Wings at Rest.

Episode1/Roy & Stephen.
 今日も満員のアリーナで歓声を上げていた人達が、一人、また一人と姿を消す。  そして、リンクやスタンドの清掃をするスタッフが動くだけになったアリーナでは、プレスボックスで少し落とした照明にストロベリーブロンドの髪と細身のフレームを反射させた男が、手元のノートに何やら書き込んでいた。  そのノートには赤と青の太さも細さもバラバラながらも、書き手の癖が表れている線が縦横に走っていた。  そのページの欄外に、今日の日付と己の名を殴り書きにしたとき、ヘッドセットから名前を呼ぶ声が流れ出す。 『……スティーヴ、俺のオフィスに来てくれ』 「分かりました」  ヘッドセットを外し、ノートとラップトップを閉じると、今日のゲームが終わったのだと不意に強く思ってしまう。  バック・トゥ・バック――連日試合――の二日目のゲームがやっと終わったのだ。  その実感が全身に広がると同時に、選手として分析しアドバイスをしてきたチームのディフェンスであり、己の恋人であるロイの顔が脳裏に浮かび、ロッカールームでゲームに挑む直前の儀式を一人行っていた顔も思い出させる。  その儀式はロイがこのチームに入ったときからのもので、長年見続けてきたスティーヴンにとっても大切な物になっていた。  それを脳内で再生しながら、指示があったヘッドコーチのオフィスに向かう為に立ち上がるが、無意識に左膝を庇うような動きをしてしまう。  自分がここのリンクに立ち、歓声を浴びる。それは大学時代の膝の怪我で叶うことはなくなったが、今では己の頭脳をフルに働かせた結果、チームメイトがそれを浴びる。  その光景を見ることが、何よりも生き甲斐になっている。  スティーヴン・コールドウェルは、肩越しにリンクを見下ろしながら、改めてその事実に気付くのだった。        ゲームが終わった後のロッカールームは、二日連続のゲームの疲労が音も無く降り注いでいるようで、ベンチに座って手首や足首をアイシングするベテランも、今日のゲームで活躍できなかった悔しさをグローブにぶつける若手も、昨日に比べれば口数も少なく、それぞれが立てる小さな音が全てだった。  そんなロッカールーム内に手を打つ音が小気味よく響き、皆の顔が上げられて音の主へと顔を向ける。  小気味よい音を響かせたのは、チームのディフェンスであり、アシスタントキャプテンでもある、ロイ・キャラハンで、その隣ではキャプテンマークを付けているニコ・ライネが、ロイに頷いた後に口を開く。 「皆、2連戦よく戦った。良いところも反省点もあった。明後日のゲームのために明日は軽い調整をしよう」  さあ、俯いてばかりではなく明後日のゲームの良いイメージを描こうと、自然と皆の顔を上げさせる言葉を告げたライネは、若手ベテランに拘わらずにひとりひとりの顔を見た後、解散と告げる。  その言葉に、若手同士で今日のゲームについて意見を交わしたり、一分一秒でも早く愛する家族と一緒に帰ろうと、三々五々、スーツに着替えてロッカールームを出ていく。 「ロイ、帰らないのか?」 「ん? ああ……」  先程手を打った事で気力を使い果たしたと言いたげに肩を竦めるロイに、同じく気力を使い果たしたと笑ったライネがロイの隣のベンチにドサリと腰を落とす。 「……マヤは来てるのか?」  二人、肩を落とす訳ではないが、いつもと比べれば双肩に重い疲労感が漂っている顔を見合わせた後、ロイが口ひげの下でにやりと笑い、ライネの北欧出身だと分かる白い肌に赤味が差すが、言われっぱなしは悔しいと思ったのか、お前はどうなんだと返し、ロイの碧に近い青い瞳を見開かせる。 「……うちのミスター・アナリストはまだプレスボックスにいるんじゃないか?」  プレスボックスにいないのであれば、必ずロッカールームに顔を出すはずだ。  ロイが天井を上目遣いで見つめた後、ロイとミスター・アナリストことスティーヴン・コールドウェルの関係を知っている数少ない人であるライネが立ち上がって伸びをする。 「会見に出てくる」 「ああ。……俺たちはまだまだ熱い鉄を打ち込める、そう言ってこい」  今日のゲームについての会見が開かれる事を思い出し、立ち上がったライネが選手からチームのフロントマンへと変身するためにスーツに着替え、汗の臭いをシャワーだけで消せなかった為、お気に入りのオーデコロンを振り、身嗜みを完璧に整える。  さすがに今日のような激しいゲームの後に身嗜みを整える力はロイには残っておらず、元気なキャプテン、精々マスコミに俺たちはまだやれるとの言葉を叩き付けてこいと笑って親指を突き立てる。 「ああ」  出て行く背中を見送った後、己の背番号と名前が書かれているマフラータオルを目元に被せ、ハンガーに吊してあるプロテクターに寄り掛かると、肺の中を空にするような息を吐く。  1シーズンごとに、いや、1ゲームごとにゲーム後の身体の重さが気になりだしたのはいつからだろうか。  今日はやけに疲れていると感じつつ緩く頭を振ったとき、ロッカールームのドアが開く音が聞こえ、タオルを軽く持ち上げてそのまま動きを止めてしまう。  タオルを持ち上げた細い視界から見えるのは、濃紺の細身のデニムの細くロールアップされた裾と、細身のチャッカブーツの爪先だった。  それだけで誰が来たのかを理解したロイは、口元を少しだけ緩めながらタオルを顔から払い落とし、肩を竦めて一言、疲れたと弱音のような本音を零してしまう。  その言葉に返事はなく、その代わりにロイの隣、先程までライネが座っていたそこに静かに腰を下ろし、ロイの額に掛かる前髪を男にしては細い指が掻き上げる。 「バック・トゥ・バックだ、疲れて当然だ」  2連戦をよく戦い抜いた。  前髪を掻き上げた手で額をそっと撫でられ、鼻筋を辿って口元に辿り着いた手を咄嗟に握りしめたロイは、リンクの上とそれを見下ろすプレスボックスという場所は違っても同じ敵と戦っていた、アナリストで己の恋人で良き理解者であるスティーヴンの手に口付ける。 「良くやった」  今日のお前の働きは、本当にこのチームのディフェンスとして恥じないものだった。  己の手にキスを繰り返すロイの頭を逆の手で撫でたスティーヴンは、コーチ達とまだ少し話をしなけれならないから先に帰っていてくれ、今日はお前の家に行くと告げると、ロイが一瞬考え込んだ後、光を受ければブロンドに見える茶色の髪が左右に揺れる。 「今日はお前のコンドが良い」 「ん? ああ、分かった」  じゃあ先に部屋に帰っていてくれ。  車はいつもの場所に停めれば良いからと、ロイの髪にキスをしたスティーヴンは、疲労困憊を隠せない顔の恋人に囁きかけると、無言で頭が上下する。 「……帰ったら……」  一緒に風呂に入る。  その言葉は、ゲームに勝った夜のルーティーンを表すものだったが、そんな元気があるのかと苦笑交じりに問いかけると、絶対に入るという子どものワガママのような言葉が聞こえてくる。 「分かった分かった」  だから今は脱いだユニフォームと同じように、その肩の荷物を下ろせ。  スティーヴンの言葉に小さく頷いた後、気合いを入れるように両頬を手で叩いたロイは、勢いを付けて立ち上がると同時に、スティーヴンの手を掴んでベンチから立ち上がらせる。 「おいっ!」 「……先に帰ってる、ステヴィ」  ロイがスティーヴンを呼ぶ時、気分次第で好き勝手に呼ぶ事があるのだが、その中でも特別な感情の時にしか出てこない呼び方があった。  それを今小さく告げた為、一瞬覚えそうになった怒りを霧散させたスティーヴンが、ロイの後ろ頭に手を回し、コーチ達にお前の今夜の活躍ぶりをデータで示してくると囁き、帰宅すれば少しゆっくりしようとも告げる。  そして、いつまでもこうしていたい気分を払いのけるようにロイから離れると、肩越しに手を振ってロッカールームを出て行く。  部屋を出る細い背中を見送ったロイは、自分以外いなくなったロッカールームでスーツに着替えを済ませると、己のネームプレートをそっと撫でた後、激闘の跡を流したシャワーの熱気と蒸気が残るロッカールームを出ていくのだった。  ロイより遅れること小一時間で自宅コンドミニアムに帰ってきたスティーヴンは、18階に向かうエレベーターの壁に背中を預け、溜息を吐く。  知らず知らずのうちに蓄積していた疲労が、左膝を中心に全身に広がっていく感覚が、箱の上昇と共に体外に溢れ出しそうだった。  己が吐き出した息がブーツの上に落ちた頃、軽い音が響いて目的の階にエレベーターが到着した事を報せ、少しだけ慌てながらフロアに降り立つ。  スティーヴンの部屋は南東の角部屋の為、エレベーターから降りて少し歩くと、真鍮の縁取りがあるドアが見えてきて、ドアを開けて中に入る。  玄関のフロアマットの上、どれ程口酸っぱく注意をしても、これだけは直らない癖なのか、靴が右足と左足で違う方を向いて並んでいて、やれやれと息を吐きながら靴を揃えると、その横にスティーヴンも脱いだ靴を並べ、短い廊下へと進む。  廊下の左手にはメインのベッドルームがあり、その向かいには書斎兼ゲストルームのドアがあるが、その隣にはバスルームがあった。  バスルームのドアの下から湯気が廊下に漏れ出していることから、先に帰っていたロイがバスルームにいるのだと気付き、そっとドアを開けると、アンティークタイプなバスタブの縁から腕を垂らしたロイの姿を発見し、一瞬短く息を呑んでしまう。  学生時代に歴史か美術の教科書で見た、政治家の最後の姿を彷彿とさせるそれに、慌ててバスタブの傍に向かうと、碧に近い青い瞳が茫洋とした姿を見せる。 「……遅かったな」 「……ああ。GMが今日はやけに食い下がってきたんだ」  その説得というか納得させるのに時間が必要だったと、バスタブから垂れ下がっているロイの腕をそっと掴んだスティーヴンは、チームジャケットが濡れるのも構わずにその場に座り込むと、逞しい腕に顔を寄せてそっと息を吐く。 「スティーヴィー、服を脱げよ」  ほら、帰ってきたのだから勝った夜のルーティーンをするぞ。  バスタブの中から泡まみれの手で招かれ、やれやれと本音とは違う不満を訴えながらジャケットを脱ぎ、ニットやロールアップしていたデニムを脱いで下着姿になると、下着のままバスタブに入るつもりかと、ロイがバスタブの縁に腕を突いてにやりと笑う。  連戦した身体は疲労が蓄積しているはずなのに、アドレナリンがまだ分泌されているのか、本能の滲んだ笑みを見せつけられたスティーヴンは、ふんと鼻息で返事をして希望通り下着も脱ぐと、ロイに両手を広げろと指示をする。  恋人の指示の意味が理解出来ず、それでもその言葉に従うロイに良い子だと頷いたスティーヴンは、広げられている腕の中に背中から倒れ込むと、軽く驚くような声を上げながらもロイがしっかりと抱き留める。  バスタブで向かい合うのではなく背中を預けたスティーヴンは、明日の午前中の練習はどうすると問いかけると、泡の中からロイの腕が突き出され、何かをその手に掴むようにゆっくりと握りしめられるが、その手を開かせた後、掌に掌を重ねてそっと握りしめる。 「……トレーナーに見て貰う」 「そうか」  行ってこいと笑みを浮かべ、背後のロイを振り返ったスティーヴンは、もう少し身体を捻った後、期待に薄く開く唇にそっと口付ける。 「お疲れの所、大変恐縮でございますが、明日のトレーニングが終わればデートしませんか、ミスター・ディフェンスマン?」  薄い青の瞳を細めながら期待に満ちた視線を流すと、眼前の唇に太い笑みが浮かび、握っていた手が離された後、水中に移動し、そのまま内股を撫でられる。 「……っ……デートは明日だぞ?」 「どちらが良い?」  明日のデートをメインにするか、これからの時間をメインにするか。  後ろに伸ばした手で茶色の髪を抱き寄せるスティーヴンの首筋に顔を寄せ、匂いを確かめるように小さく鼻を鳴らしたロイが、明日のデートをメインにするかデザートにするか、さあ、選べと笑い、さすがはディフェンスを長年勤めるだけの男は体力があると、スティーヴンが己の恋人のモンスター級の体力に呆れたような笑いを零すのだった。  バック・トゥ・バックで身体は疲労の極致の筈だった。  それなのに、どうしてこの男はこんなにも元気なのだろうか。  スティーヴンが寝心地の良さを求めて何種類も試した結果の心地良いベッドの上で、自然と逃げを打ってしまう身体を掴まれ引き寄せられ、最奥を突き上げられて悲鳴じみた声が上がる。  バスタブの中でじゃれ合うようにキスを交わした時、モンスター級だと笑っていたが、ベッドに移動してからは、その言葉を口にした己の甘さを笑い飛ばしたくなってしまう。 「……ん、ア……っ!」  薄いグレーの肌触りの良いシーツを握りしめ、脳天まで一気に突き抜けるような快感を堪えると、それを与えている男の大きな手が重なり、指の間に指を差し入れられて握りしめられる。  今日も大活躍をしたその手だが、こうして抱き合うようになってからは、その手がない時間に不満を覚える事も多くなっていた。  心の奥底で様々な感情を封じていた箱の蓋が開いたのか、自分だけのものにしたいが許されない関係である事実が、水面に向かって浮上する泡のように浮かび、音も無く弾けてしまう。  超一流の選手ではないが、それでも彼がいなければチームが成り立たない。  そう思わせる実力と信頼を勝ち得ている男を、己のような男が独り占めして良いはずが無かった。  その思いは、付き合い始めた当初からどうしても拭えないものとして存在していた。  今もまたそう考えたようで、何を考えていると少し弾んだ息の下で問われ、意味が分からずに見下ろしてくる顔を見つめると、なあ、何を考えたと囁きながら腰を押しつけられ、顎が上がる。 「……何、も……っ!」  考えていないと言わせてもらえず、突き上げられる快感に白い喉を晒すと、噛みつくように口付けられる。 「今日はオードブルにしようと思っていたけど……」  そんなに素直じゃない態度を取るのなら、明日のデートは自宅でハニートーストを食うだけになるな。  数時間前まで闘争本能丸出しで戦っていた男の顔で見下ろされ、思わず息を呑んだスティーヴンだったが、素直だろうと返す口をキスで塞がれ、思わず目を見開いてしまう。 「ん、ん……っ!」 「……なあ、ステヴィ、付き合うと決めたときの言葉を覚えてるか?」  離れてくれたお陰で大きく息が吸えたが、快感の向こうから聞こえる問いに咄嗟に答えられず、教えてくれと強請る代わりに、まるでパックを持って自陣ゴールへと向かってくる敵のフォワードを待ち構えているような目を見上げる。  何を言ったか、当然覚えていたが、強すぎる快感が思考回路を焼き切ってしまったようで、分からないと答えることも出来なかった。  そんなスティーヴンを睨むように見下ろしていたロイだったが、ふ、と息を吐いた瞬間、目を逸らすことの出来ない、見たもの全ての目を惹き付ける笑みを浮かべ、スティーヴンの額に額を重ねて小さく笑う。 「選手である俺の独り占めは無理だけど、プライベートではただのロイだ、独り占めにすれば良い、そう言ったな?」  思い出したかと笑う顔に何度も頷くことしか出来なかったスティーヴンだったが、どうして今俺が考えていたことが分かったと、苦痛にも感じる快感の下で辛うじて問いかけると、どう返そうか悩んでいるようにロイが天井を見上げる。  だが、再度顔を戻したときには、憎らしいほど自慢に充ちた笑みを浮かべ、スティーヴンの頭を囲うように両手をつき、今度は鼻の頭が触れ合う距離に顔を寄せる。 「俺は何でもお見通しだ。だから素直になれ、ステヴィ」  チームのアナリストとして働くお前の顔からは中々感情を読み取れないが、こうしているときは触れた場所から、その目からお前の思いを感じ取れるから、無駄な足掻きは止めて素直になれ。  囁かれる甘言に一度唇を噛みしめたスティーヴンだったが、親指で下唇を左右に撫でられ、細めた目に見つめられると、蓋をしていた感情がムクムクと頭を擡げてくる。  それを見抜いているのかどうなのか、そっと息を吐いたロイがスティーヴンの目尻を撫でながら、二人にとってとても大切な言葉を囁く。 「Come on baby, ステヴィ」  その言葉はスティーヴンの心を確実に解すもので、耳から体内に入った瞬間、もう一度唇が噛みしめられ、シーツを握っていた手が持ち上がったかと思うと、ロイの首の後ろで交差する。  さっき考えたような事など、本当は考えたくはなかった。  だが、ふとした瞬間に、どうしても沸き起こってしまうのだ。  自分自身でも制御出来ない感情に、ロイの首にしがみつくように腕に力を込めると、安心しろと教えるように背中を抱きしめられる。  言葉に出来ない感情も掬い取ってくれる恋人に、素直になりたくても思うようになれない己にが腹立たしかった。  でも、その感情すら読み取られていたようで、Babyと繰り返されて頑なだった心がゆっくりと解れていく。 「……ロイ……っ」 「ああ。安心しろ、皆俺を仲間だなんだと言ってくれるけど……」  プライベートの俺は、お前だけのものだ。  キスと何よりも甘く確かな言葉を繰り返され、覚えた不安も解けていくのを感じたスティーヴンは、逞しい両肩にそっと手を添えて顔が見えるように距離を取ると、ロイ以外には見せたことがない顔で目を閉じる。 「……愛してる、俺のR」  それは、スティーヴンにとっての最大の告白で、それを受けたロイの目が驚きに見開かれるが、次の瞬間、極上としか言い表せない笑みに細められ、首筋に顔を押しつけてくる。  いきなりのそれにスティーヴンが思わず首を竦め、くすぐったいと声を上げると、腰を引き寄せられて今どんな状態だったのかを亡失していたことを思い出してしまう。 「ァ……っ!」  最奥に生まれた強い衝撃と快感に自然と声が零れ、それに羞恥を覚える余裕も無い快感に煽られて熱の籠もった声を上げ続けてしまう。  そして、ロイの動きも強く速くなり、それにリズムを合わせると、脳味噌まで突き抜けるような快感が再びやって来る。  瞼の裏に強烈な光が溢れ、それに手が届いたと思った瞬間、最奥に熱が弾けた事に気付き、自身も同じものを吐き出してしまうのだった。 「……じゃあ、行ってくる」 「ああ。また後で」 「うん、そうだな」  デトロイトの冬の朝の光が、ブラインドを細く開けた隙間から差し込むリビングで、昨日の疲れなど感じさせない顔で笑うロイの顎に残っていたシェービングクリームを指で拭き取ったスティーヴンは、データの分析をしたいから俺も後で行くと笑い、恥ずかしいところを見られたと言いたげに笑う唇にキスをする。 「トレーニングが終わったら連絡をくれ」 「分かった」  今日の午後のデートを、昨日のベッドの中ではメインにするかデザートにするかと言っていたが、お前とのデートは全てがメインだと笑う頬を軽く抓ったスティーヴンは、納得していない顔でふぅんと呟き、本当だと慌てる恋人に小さく吹き出す。  昨夜ベッドの上で、己を追い上げ追い詰めた男とは到底同じ人間だと思えないその顔が、追い詰められた悔しさもその後本音を吐露した気恥ずかしさも忘れてしまえる程、愛していた。  だからその一端を伝える為に下唇を指でなぞると、後ろ髪を軽く握られて自然と顎が上がる。  そしてそのまま重なる唇に目を閉じ、腕に手を掛けると、満足そうな吐息が一つ。 「……行ってくる」 「ああ」  先程と同じ言葉を繰り返した二人だったが、昨日とは違って今日はロイが名残惜しさを断ち切るように踵を返し、スティーヴンも廊下に背中を向け、フルハイト窓を覆うブラインドを開けるために窓の前に向かう。  背後で聞こえる玄関のドアの開閉音にそっと目を閉じた後、朝一番の朝日を浴びたいからブラインドを開けても良いかと問われても、眩しいから止めてくれとの言葉で拒否したが、一気にブラインドを引き上げる。  南から東に掛けて繋がるフルハイト窓の全てのブラインドを開け放ったスティーヴンの全身に、デトロイトの冬の朝日が降り注ぐ。  眩しそうな顔をすることなく街の遠景を見つめたスティーヴンは、地上へと視線を落とすと同時に、18階下の雪かきがされているエントランスから出てくる人影を発見し、行ってこいと三度告げながら拳を窓に軽くぶつける。  ブラインドを全て下ろしていたのは、この部屋で寛いでいるロイの姿を誰にも見られたくないからだった。  地上18階のこの部屋を見れるものなど、空を飛ぶ鳥や上空で我関せずの顔で輝いている星や月だけなのに、己の度しがたい独占欲に呆れながらも、それを止めることが出来なかった。  そんな己を小さく笑った後、ロイと一緒に食べた朝食――今朝は二人ともサニーサイドアップとカリカリに焼いたベーコンとドリップコーヒー――の後片付けをするため、窓から離れてアイランドキッチンのシンク前に向かうのだった。  そんなスティーヴンの動きを追うように、雲の隙間から差し込む朝日が、リビングの毛足の長いラグの上に柔らかく伸びるのだった。    
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  2026/03/06 Mr.ディフェンスマン&Mr.アナリストの物語、本格スタートです(笑)