白のキャデラックXT6が、雪に半分閉ざされているような町を静かに進む。
自然と出来ている轍をなぞりながら、雪面に反射するヘッドライトで行き先を確認しつつ、目的の家の前にやってくる。
その家は住人の性格を表しているように、ガレージの前や人が出入りする玄関前はしっかりと雪かきがされているが、それ以外は意外と手抜きされているのか、除雪作業の痕跡が小さな山となっていた。
ドライブウェイの轍からガレージへと繋がるそちらに進路を変更し、ルームミラーの下に着いているボタンを押すと、一瞬の沈黙の後、ヘッドライトに浮かび上がるシャターがゆっくりと上がっていく。
XT6の車高でも問題なく通れる程上がったシャッターを潜り、先に停まっているネイビーブルーのF-150 King Ranchの横に停めると、一日の疲労感が一気に襲いかかってくる。
それを古傷が痛みを訴える膝で受け止めながら車を降りたのは、ストロベリーブロンドと銀縁メガネのフレームをガレージの照明に光らせた、スティーヴン・コールドウェルだった。
極力静かにドアを閉めてシャターが降りたのを確かめた後、ガレージから家に入る為の最終儀式である重いドアを開けなければならなかったが、その力は振り絞らなければ出てこない程、今夜は疲れていた。
何とかドアの先のランドリールームに入ることに成功したスティーヴンは、木製カウンター上にある鍵の束の横に己の車のキーを置き、ランドリールームとリビングを仕切っているラグの上で、雪と泥と塩化カルシウムで汚れた靴を脱ぎ、右と左で違う方を向いている靴の横に並べる。
暖かな光と空気に満ちたリビングは、家の主の性格を表してくれているようだった。
疲れた足を引きずるように入ると、アイランドキッチンの奥にいる家主の広い背中と、ソファの前の定位置でお気に入りのクッションで寝そべっているゴールデンレトリーバーの足が見えてくる。
その広い背中が自分を呼んでいたんだ。
後で言い訳をすることになるが、全力でぶつかっても揺るがないことを確信させるそこにコツンと額をぶつけると、何かを焼いている良い香りと音の中に、くすりという小さな笑い声が混ざって届けられる。
「……」
「腹が減ったからチキンを焼いてる。食うか?」
「……少し」
お前のように食えないけれど、一口だけ食べたいと告げつつ、逞しい背中に身体ごと貼り付くように腕を回す。
頭半分高い位置にある顔には何が楽しいのか笑みが浮かんでいた為、何か楽しいことでもあったのかと問うと、イタズラを思いついた子どものような笑顔が半分見える。
誰かさんは疲れていれば素直に甘えてくれる、いつも疲れていれば良いのにと思った。
そう返され、思わず絶句してしまう。
何だその言い草は。
事実だろう。
短い言葉の応酬の後、振り返った顔が一瞬真剣な眼差しを浮かべたかと思うと、人差し指で己の唇をタップする。
それから望むことを読み取り、やれやれと溜息を吐いた後、小さな音を立ててそこに口付ける。
「お帰り、スティ」
「……今日はいつもより疲れた」
おかしいな、ゲームには勝ったし、お前は得点に絡んだ活躍をしたはずなのに、どうしてこんなに疲れているんだ。
スティーヴンの頬にお帰りのキスをする恋人の顔を見つめながら呟くと、フライパンに蓋を被せた後、逞しい身体が腕の中で振り返り、愛嬌のある笑みを浮かべる顔に見つめ返される。
「俺たちが勝てるように作戦を考えてくれていたから、だろう?」
だからいつも以上に疲れているんだろう。
そう笑う顔に反論する気力も体力も、今のスティーヴンには無かったため、そうかもしれないなと呟くと、顎をそっと掴まれて視線をぶつけられてしまう。
「ステヴィ」
スティーヴンのことをその愛称で呼ぶ人間は、もうこの恋人だけだった。
その寂寥感を強烈に思い出し、思わずチームロゴの入ったシャツの背中をぎゅっと握りしめると、宥めるような優しいキスが顔中に降り注ぐ。
「……くすぐったい」
だから止めろと、自然と零れる笑みのままシャツを握っていた手で背中を叩くと、長く甘いキスをされる。
「……ん」
「チキンステーキ、食うだろ?」
「一口だけ。……マッシュポテトも食いたい」
「ああ、良いな」
両手ではなく片手で逞しい身体に抱きつき、広い肩に頭を預けると、同じように片手で腰を抱き寄せられ、無意識に安堵の息が零れ落ちる。
「今日は良くやったな、ロイ」
「サンクス、スティ」
スティーヴンの脳裏にロッカールームの様子が甦り、ロイがいることで安心出来ると、チームメイトだけではなくコーチ陣が感心していたことを思い出す。
お前はうちには欠かせないディフェンスだと胸中で告げ、ご褒美だと言うようにヒゲに覆われている顎にキスをする。
「ノンアルで良いか?」
「サンクス」
仕上げをシェフに任せるので、俺は飲み物の用意をしようか。
恋人の肩から頭を上げて小さく笑ったスティーヴンは、大きな冷蔵庫を開けるために移動すると、今度は背中から抱きしめられてしまう。
「……スティ」
「今日は本当に良くやった」
さすがはリベッターズの超攻撃的ディフェンスマン、ロイ・キャラハンだ。
己の顎の下で交差する太い腕を安心させるように叩くと、立場を変えて同じ事をする。
スティーヴンからのキスを受け止めたロイは、離れた唇に名残惜しさを覚えるが、ふ、と息を吐いて鼻先を触れ合わせることで一時の満足感を得る。
「チキンステーキ、もう一口食べても良いか?」
「一口と言わずに1枚食えよ」
チキンは2枚焼いた。1枚はお前の好きなチェダーチーズを載せてある。
勝利の乾杯はノンアルコールビールだけど、2人での祝杯ならこれでも良いよな。
子どもみたいな顔で笑う恋人に頷き、シェフに仕上げを任せると再度告げて腕を叩いた後、今度こそ冷蔵庫を開け、祝杯のためのドリンクといつも冷蔵庫に作り置きしてあるマッシュポテトを取り出す。
そして、いつの間にか後ろにいて、何か食べさせろと鼻先を押しつけてくるレトリーバーの頭を片手で撫で回すのだった。
チキンステーキ――確かにスティーヴンのものにはチーズがふんだんに載せられていた――とノンアルコールビールで祝杯を挙げた後、ゲームで勝った日のルーティーンの為、バスタブでお互いを泡塗れにしていた。
激しく動いた身体は休息を求めていたが、勝った高揚感はまだ体内で残り火のようにチロチロと燃えていた。
その為、いつもとは違い、膝頭から、触れる指先から、重なる視線から一段深い欲を感じ取り、どちらからともなく互いの肌の泡を掌に掬いとる。
「……この後、良いか?」
「……」
それは疑問の形をした確認で、言われたスティーヴンも同じ気持ちだと教えるようにロイの手首を掴んで掌の窪みに口付けると、その手を泡の下へと引きずり込みながらニヤリと口の端を持ち上げる。
「……最高」
「……だと、良いけど」
ロイの挑発的な目に圧倒されながらも、素直にそれを出すのは男の矜持が邪魔をしてしまい、ふいと視線を逸らしてしまう。
「ステヴィ」
「……っ!」
その呼び方を今するなと叫びたかったが、いつの間にか握られていた掌に口付けられ、自然と喉を鳴らしてしまう。
「……ベッドに行くぞ」
二人同時に限界だと知らしめるように目を光らせると、ロイが勢い良く立ち上がり、スティーヴンのブロンドが泡まみれになってしまう。
「ロイ!!」
「悪い悪い!」
謝るから機嫌を直してくれ。
同じように立ち上がったスティーヴンの顔の泡を腕で拭い、許してくれとキスをしたロイだったが、どうやら恋人は簡単に許してくれないと気付き、溜息を一つ。
「……Come on baby.」
その言葉は、世界中に溢れているカップル達の間では当たり前に交わされる言葉だったが、ロイとスティーヴンにとってはほんの少し違う意味を持っていた。
だから、それを耳にしたスティーヴンの肩がピクリと揺れた後、ロイの肩に額を押し当てて目を閉じる。
「嬉しくて調子に乗ってしまった」
「明日のモーニング、分厚いベーコンが食いたい。メイプルシロップもたっぷりかける」
「……うん、スティがそれを食いたいならそうしよう。ステーキみたいな分厚さにベーコンを切ろう」
だから今のことを許してくれ。そして、この後二人で気持ち良くなろう。
ロイの謝罪と懇願が混ざり合った言葉に頷いたスティーヴンは、そっと手を下ろすと、ロイの白い内股をつるりと撫でる。
「……っ!」
「気持ち良く、なろう」
その言葉を合図に、バスタブから出てシャワーブースで頭から湯を浴びて泡を流すと、スティーヴンはバスローブを、ロイはおざなりに水気を拭き取っただけで、互いに笑い合いながらベッドルームに向かうのだった。
クイーンサイズのベッドで身を寄せ、額を重ね、鼻先を擦り合わせていると、少し前に身を沈めた、彼我の境界が分からなくなるような快感を思い出してしまい、どちらからともなく満足の塊のような息を吐く。
今日の疲れがなく明日がオフであればもっと激しく抱き合っただろうが、どちらも疲労が強く残っていた。
それを上回る欲を互いの手の中に吐き出した後の、ただ穏やかに互いの身体に手を回して抱きしめる時間が好きだった。
あまりの心地良さに自然と瞼が下がり始めるスティーヴンだったが、ロイが枕の下に腕を差し入れてきた事に気付き、腕の疲れが取れなくなるから止めろと腕を枕の下から引っ張り出し、代わりに己の頭の上にそっと置くと、満足そうな息がひとつ顔の傍に落ちる。
「お休み、ロイ」
「……お休み」
大きな欠伸を同時にし、それにすら笑みを浮かべた後、良い夢をと告げて目を閉じる。
直後、瞼に濡れた感触を覚え、同じそれを返したかったが、頭を持ち上げる気力も無く、気持ち良さに身体ごと引っ張られてしまう感覚に身を委ねるのだった。
肩まで掛布団を引き上げ、寝息が掛かる距離で顔を寄せて眠るロイとスティーヴンだったが、ベッドルームのドアが静かに開いたかと思うと、ゴールデンレトリーバーのマリオが欠伸をしながら入ってくる。
二人が完全に眠っているのを確認すると、もう一度欠伸をした後、ベッドに飛び乗り、二人の足下に潜り込み、無意識の動きで二人から迎え入れられた安堵に小さく息を吐くのだった。
そんな二人と一匹が穏やかに眠る家の上、降り出した雪が静かに積もり始めるのだった。