It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第24話 Pistachio & Cinnamon.
 真夏の暑さが少し和らいだシドニーの、バレンタインの夜。  今日は土曜日だったが、リアムはクリニックが隔週土曜日は診察がある為に出勤していた。  慶一朗は完全休養日だったが、朝のアイランドキッチンのカウンターで、自分ひとりのために作ったモーニングを一人で食べるリアムの姿を想像した時、言葉に出来ない感情が生まれ、いつものようにモーニングが出来たら起こしてくれ、一緒に食べると告げたのだ。  その言葉に盛大に驚くリアムに気恥ずかしさを覚えるが、それをグッと押し殺し、デュークとマイロの朝の散歩にも行ってくると告げると、今度は羞恥ではなく悲鳴を上げてしまうような強さで抱きしめられる。 『ギブギブギブ! ベアハグは止めろ、グリズリー!』 『だーかーらー! だーれがグリズリーだ!』 『お前以外の誰がいる!?』  ソファ上で突如始まった騒動だったが、一人掛けのソファの前でお気に入りのぬいぐるみと遊んでいたデュークがのそりと顔を上げ、ソファの上で同じくお気に入りのボールを咥えていたマイロが、短い尻尾をピンと立てて二人を見やる。  だが、色の違う二対の双眸の先で繰り広げられているのが、自分達すら食わないケンカだと気付き、やれやれと溜息を吐いてそれぞれの遊び相手に意識を向けてしまう。  愛犬二匹の呆れ返った視線にも気付かず、力を緩めろ、こんな嬉しい事を言われて緩められるかという口論未満の声が上がるが、どちらも大声を出す事に疲れたのか、リアムが小さく笑って礼を言い、慶一朗がリアムの手の甲をそっと撫でた事で休戦協定が無事に結ばれた結果、今朝、いつもの時間にリアムが慶一朗を起こし、眠い目を擦りながらも二人でいつものようにカウンターでモーニングを食べたのだった。 「あ、そうだ、ケイさん、今日の散歩はどうだった?」  昨夜、犬も食わないドタバタを繰り広げた同じソファで、今日はリアムが慶一朗をバックハグしながら問いかけ、慶一朗もリアムの腕を撫でたり抓ったりしながらそれを受け入れていたが、不意に問われて背後を振り返る。 「……足が死んだ」 「……だよなぁ」  普段、デュークとマイロの散歩はリアムが朝と夕方に行っているが、今朝は慶一朗が行くと宣言し、実行してくれたのだ。  だが、今朝はリアムではなく慶一朗が散歩に行くと知ったデュークが、全力疾走をせずに慶一朗に合わせるようにゆっくりと――それでも人にとっては速かった――小走りになっていたが、慶一朗大好きなマイロが興奮してしまい、結果、大小の愛犬に引っ張られた慶一朗の体力が見事に削られてしまったのだ。  足が痛いと呟く慶一朗にリアムが微苦笑した後、振り返った頬にキスをし、今日一日感じ続けていた感謝の思いを口にする。 「ダンケ、ケイさん」 「……俺も、たまにはやらないと」 「うん。やってくれて嬉しかった」  そのお陰か今日は比較的患者も少なかったからと笑ったリアムの腕をポンと叩いて合図を送った慶一朗は、安全地帯から抜け出して伸びをすると、今日はバレンタインだからホットチョコを飲まないかと片目を閉じる。 「あ、バレンタインだったな」 「ああ」  二人ともお互いの誕生日や付き合い始めたイースター、結婚記念日などの自分達に深い関わりのある記念日は意識をしているが、バレンタインやクリスマスには深い関心を持っていなかった。  だが、今日は慶一朗がホットチョコを飲むかと誘ってくれたため、慶一朗の誘いなら余程がない限りは断らないリアムが起き上がり、勿論と嬉しそうに顔を綻ばせる。  キッチンに慶一朗が向かった為、マイロがソファから飛び降りるが、リアムが名前を呼ぶと足を止めて振り返り、先に行った慶一朗との顔を交互に見比べた後、カウンターの横で足を揃えて待つ体勢に入る。  デュークも何をするのかを気にしている様子だったが、リアムの顔を見た後、自分にはきっと関係が無いと悟ったように溜息を吐く。 「リアム、デューク達にチョコは絶対にダメなんだったな?」 「うん。チョコは本当に危険だな」 「分かった」  キッチンで慶一朗が作業するのは、今までならばコーヒーの用意をするときだけだったが、今日はホットチョコを作ってくれるらしく、それが嬉しくてソファの背もたれに手を付き、その上に顎を載せるという、まるで古典絵画の天使のような顔でキッチンを見守っていたリアムは、そんなに見つめるなと苦笑されるが、今日は本当に一日が嬉しい日だと目を細める。 「まだ今日は終わってないぞ?」 「?」  慶一朗が何かを秘密にしている声で呟いた後、トレイに二つのカップとソーサーを載せてリビングに戻ってくるが、足下でついて回るマイロを蹴り飛ばしてしまいそうになり、リアムに助けを求める。 「リアム、マーロを頼む」 「ん」  慶一朗の声にリアムが立ち上がり、マイロを軽々と抱き上げた後、デュークの前に下ろして大人しくしていろと笑う間に、慶一朗がトレイをコーヒーテーブルでは無く、ソファに置いて腰を下ろす。 「……あ」  慶一朗が運んできたのは、ホットチョコが満たされたマグカップだけではなく、クッキーが載ったソーサーと、デュークとマイロのためのおやつを載せた小皿だった。  自分達は後回しにと、慶一朗が兄弟犬の為に小皿を二匹の前にそっと置くと、まずは慶一朗の顔を見つめ、次いでリアムを見て何かを確認するように小首を傾げるが、リアムが笑顔で頷いたのを確かめた後、小皿の白いおやつを食べ始める。  小首を傾げるタイミングも、リアムを見て確認をするその顔も、犬種も年齢も全く違う筈なのに、何故か揃ってしまい、兄弟犬だと分かるといつも笑っていた二人だったが、今も食べ始めるタイミングも同じ事に目を細め、リアムが手作りをしてくれたおやつだと慶一朗が笑い、ソファで早く戻ってこいと待ち侘びている超大型犬の横に戻る。 「……どうぞ」  慶一朗が楽しげに肩を揺らしながら掌をハニーブロンドの毛を持つ超大型犬に向けると、ダンケという聞く方も気持ちが良いほどの感謝の声が上がり、マグカップに口を付ける。 「……あまり甘くないし、シナモンも入れてる?」 「……俺は嫌いだけど、お前は別に嫌いじゃない、だろう?」  だから、ちょっとだけ頑張って入れてみたけれど、悲しいかなシナモンは俺の天敵だから味見が出来ていない、甘さはどうだと苦笑する慶一朗の前、これ以上の歓喜を表すにはどんな顔をすれば良いかと聞きたくなるほどの笑みを浮かべたリアムが、一口、また一口と、ホットチョコを飲み始める。 「ちょっと甘さが控え目だけど……」  でも、その甘さはきっと、これで補える。  カップをトレイに置いたリアムの手が、ソーサーのビスケットに伸びて目の横に掲げた後、片目を閉じる。 「ホワイトチョコとピスタチオ?」 「……何処かの誰かさんが、ピスタチオマニアだからな」  リアムのこれ以上はない満面の笑みに対し、慶一朗の顔は羞恥から不機嫌寄りに見えるものだったが、二人きりの今、そんな顔をしている事へのおかしさに気付き、ふ、と息を吐いた後、前髪を掻き上げる。 「嬉しいか?」 「これを嬉しいと言わないで何を言うか教えて欲しいぐらいだ」  ハート型のチョコはさすがに気恥ずかしさが勝って注文できなかった為、星形の半分にホワイトチョコが、半分を鮮やかなイエローグリーンのピスタチオチョコでコーティングされているそれにキスをし、どちらから食べようかとリアムが悩み始める。 「好きな方から食え」  リアムの子どもっぽい顔など、自分達の友人や職場の人達はきっと目にしたことが無いだろうと気付き、ソファの上で胡座をかいて頬杖をついた慶一朗は、嬉しそうにクッキーを食べるリアムに目を細めるが、口の端に食べかすが着いていることに気付いて手でそっと取る。 「どちらのチョコが美味い?」 「……ピスタチオは殿堂入りだから、ホワイトか?」 「消去法にもなってないな」  リアムの言葉に笑いながら慶一朗がカップを手に取るが、何を思ったのか、リアムが自分のカップを慶一朗の口の前に差し出し、眼鏡の下で見開かれる目に小さく頷く。 「ちょっとだけ」  飲んで見ろと促されるが、何しろ己の天敵のシナモンが入っているのだ、飲めるはずが無いと慶一朗が視線を彷徨わせてしまう。 「大丈夫、ケイさん」  そんなにシナモンは感じられないからと尚も促され、慶一朗にとっては決死の思いで口を付けると、己の想像よりも遙かに苦手な香りもせず、一口飲むと微かに口の中に残るだけで、記憶に焼き付いていたものとの違いに驚いてしまう。 「平気、かも知れない……」 「うん。そうだな」  これが平気ならば、ケイさんはシナモンが苦手と言っても、調理方法によっては平気になれるかも知れない。  慶一朗は幼い頃の食習慣から、好き嫌いが激しい――というよりは、食べ慣れたものしか食べなかったが、リアムの食育の成果か、最近では食べられるものも増えてきていた。  またひとつ、食べられるものが増えるかもしれないな。  そう笑うリアムに無言で頷いた慶一朗は、シナモンを入れていない自らのカップのそれを飲み、どちらも美味しく感じた事に自然と口の端を持ち上げる。 「……そうなれば、良いな」  その小さな呟きは、慶一朗自身意識しないものだったが、リアムにとっては今まで自分が手を替え品を替え、それどころか幼児に対するお節介と同じだと自省しつつも行ってきた事へのご褒美のようなものだった。  それに気付いたリアムが、慶一朗の手からカップを取ってトレイに置き、自らのものも置くと、不思議そうに首を傾げる端正な頬に手を添え、古来、今日という日に限らず口にされてきた言葉をそっと囁く。 「I hob di liab.」  二人きりのときにだけ出る、ドイツ南部の柔らかな響きで告白したリアムは、己の掌の下の頬が熱を帯びたように感じてそっと目を覗き込む。 「……Da.」  ダンケという言葉を最短に略したそれだが、それを告げた慶一朗の顔はリアムの脳に生涯刻まれる程の穏やかなもので、色付く唇にそっと口付ける。 「……な、ケイさん」 「なんだ?」 「うん。来年もバレンタインにこれを作って欲しいな」  ダメかとヘイゼルの双眸に上目遣いで見つめられ、その目を直視できなかった慶一朗だったが、二度三度と視線を左右に泳がせた後、小さく頷きリアムを見つめる。 「ホワイトデーを期待しても良いか?」 「うん」  あなたが欲しいと思うものを用意する、だから何が良いか教えてくれと笑い、いつもの癖で互いの背中に腕を回そうとするが、二人の間にあるトレイの存在を思い出すと我に返って微苦笑する。 「今までバレンタインには興味無かったけど、これからは楽しみだな」 「そうだな」  そう言ってくれるとやった甲斐があったと笑った慶一朗の肩を抱き、こつんと頭をぶつけたリアムの言葉に慶一朗も笑い、ホットチョコがすっかり冷めてしまったけれど、早く飲んでクッキーも食べてしまおうと笑い合うのだった。  そんな二人を、自分達のおやつを早々に食べ終えたデュークとマイロが見つめていたが、自分達を思い出せと言うように、デュークはリアムに、マイロは慶一朗の足の上に飛び乗り、盛大な悲鳴を上げさせるのだった。    
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  2026.02.23 一週間以上遅れてのバレンタイン。変わらず仲が良くて安心したのと、デュークとマイロも元気そうでした(笑)
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