祖母の死を受けたリアムが、家族の支えで立ち直り、以前にも増して笑顔で働き出してからしばらく経った9月上旬の休日の朝。
欠伸を繰り返しながらも好奇心に目を輝かせる慶一朗を助手席に、同じ顔をしたリアムがステアリングを握り、目的地へと車を走らせていた。
二人の目的地は、慶一朗が希望した小型犬のブリーダーの家だった。
リアムが己を取り戻した後、慶一朗がご褒美に小型犬を強請ったのだが、その後、念のための確認をリアムがした時、慶一朗が軽い気持ちでその言葉を発したのではないと気付いたのだ。
お前のように全ての世話は出来ないが、出来るだけの事はしたい。
デュークを迎える前まではペットを飼ったことが無い不安を口にしていたが、あの日から二年が経過し、慶一朗なりに自信がついたのか、次に迎える小型犬は自分が世話をしたいと繰り返した。
その言葉から大丈夫と確信し、仔犬を探そうと約束をしたのだ。
仕事から帰宅し、いつものように賑やかなディナー後のリラックスした時間、リアムをクッションにしながらタブレットを見ていた慶一朗が目の色を変えた仔犬がいた。
タブレットを鼻先三寸に突きつけられながらも、この犬種であれば慶一朗のフォローが出来ると気付き、その場でブリーダーにメールを送ったのだ。
その結果が、休日の午前中のドライブになったのだが、シートを軽く倒してもたれ掛かり、鼻歌まで歌う慶一朗の横顔をドライビンググラスの下から見たリアムは、こんなにも嬉しそうな顔をしてくれるのなら、二匹目を迎える決断をして良かったと胸を撫で下ろす。
「リアム」
「ん? どうした、ケイさん」
そんな事を思いながらナビの案内に従って住宅街から郊外へと車を進めていると、慶一朗が感慨深い声で名を呼んだ為、どうしたと少しだけ顔を向ける。
「マッチングアプリで約束した相手に会いに行く時みたいだな」
「……」
慶一朗の言葉に咄嗟にどう返事をすれば良いのかが分からなかったが、うん、そうなのかなと曖昧に返してしまい、にやりと笑った気配を助手席から感じ取ってしまう。
「……ケイさんは、マッチングアプリを使ったことはあるのか?」
「あるな」
お前と出会う前だからもう時効だと前置きをし、遊び相手を探すのに都合が良かったと笑う慶一朗の言葉を聞いているうちに、どうしてもリアムの唇が尖り始めてしまう。
その様子に気付いた慶一朗だったが、付き合い始めた当初を思い出して内心苦笑してしまう。
ここまで素直に嫉妬を見せる事はあまりなかったが、付き合いだしてから少しずつ互いを曝け出した結果だとも気付くと、少し膨らんでいるように見える髭に覆われた頬を指の背で撫でる。
「拗ねるな、王子様」
お前ももう分かっているだろうけど、お前と付き合ってからはお前だけだ。
誰に何を言われても胸を張って言える事実をそっと口にすると、頬を撫でていた手を取られ、薬指を定位置にしているリングに口付けられる。
「……うん」
「アプリの写真は加工できるから、いくら何でも盛りすぎだろうって男もいたな」
「そうなのか?」
「ああ」
だからではないが、今から会いに行く仔犬も盛られていないか心配だと笑うと、不満げだったリアムの顔が明るいものになる。
「仔犬を加工する必要はないんじゃないか?」
「分からないぞ?」
サイトに掲載されていた仔犬の写真はどれも可愛いもので、庇護欲を掻き立てられるようなポーズに見えたが、慶一朗が気になると教えたのは、真っ黒の柔らかそうな毛並みをした仔犬だった。
写真通りだろうか、それともそれ以上だろうか。
その不安と期待はどちらの胸にもあり、それを抱きながらブリーダーの家に到着したリアムは、郊外故の広さに感心しつつ邪魔にならない場所へと停める。
「ハイ、今日の訪問を予約していたユズリハ=フーバーだけど、入っても大丈夫かな?」
ドアベルを鳴らして誰何され、返事をしたリアムの横では慶一朗が周囲を興味深そうに見ていた。
塀の向こうの庭から仔犬特有の甲高い鳴き声が複数聞こえ、広い庭を走り回っている姿を簡単に想像させ、自然と目元が和らいでしまう。
「いらっしゃい」
出迎えてくれたのは自分達とさほど変わらない年齢の女性で、ジェシカだと名乗った彼女に案内されたのは、先程慶一朗が塀の向こうを想像していた庭だった。
広い庭の一角をケージで仕切った中、仔犬が5匹ほど元気良く走り回っていた。
「ケイさん、あの仔犬だ」
写真で一目見て気になった仔犬はあの子だとリアムが指さす。
それを受けたジェシカが、聞いていたのはこの子だと笑いながら仔犬を抱き上げ、二人の前に戻ってくる。
突然抱き上げられて驚いたのか、それとももっと遊びたかったのか、彼女の腕の中で小さな身体を精一杯捩って降りようとする。
その様子に元気いっぱいだなとリアムが笑い、慶一朗も頷くと、仔犬の鼻先にそっと手の甲を向ける。
突然鼻先に見知らぬ人の手を押しつけられたが、驚きよりも好奇心が勝ったのか、慶一朗の手の甲から情報収集をするように匂いを嗅ぎ、その度に慶一朗の顔を見上げてくる。
その顔をじっと見ていた慶一朗は、顔を撫でて嫌がられないことに気付くと、ジェシカの手から小さな身体を受け取る。
両手に収まる小さな身体。元気いっぱいに動く足と短い尻尾に自然と慶一朗の顔が綻んでいく。
「……リアム、この子が良い」
他にもかわいい仔犬がいるが、やはりこの子を俺たちの家族に迎え入れたい。
慶一朗の手の中で安心したのか、彼女の手の中にいたときのように動き出してしまい、落としてしまうから暴れるなと慶一朗が明るい声で制止する声に仔犬の嬉しそうな鳴き声が重なり、それを見ていたリアムが一つ頷く。
「ジェシカ、譲渡について話を聞かせてくれないか」
「ええ」
こちらに来てとリビングに案内され、用意されていた書類を受け取ったリアムは、慶一朗が仔犬と遊んでいるのを横目に、家族に迎え入れるに当たっての説明や自分達の生活環境について話を始める。
自宅に既に2歳になるジャーマンシェパードのデュークがいること、二人とも勤務医だが、朝晩の散歩や休日にはドッグランやキャンプで遊ばせていることを説明すると、リアムのその言葉から安心感を覚えたらしい彼女が何度も頷く。
今日までの間、何度となくメールをやり取りし、二人の生活環境を教わり、小さな弟を迎える準備が整っていること、兄になるジャーマン・シェパードのデュークについての説明を受けていたのだ。
メールだけではなく、こうして直接顔を合わせた今、彼女が抱いたのはメールからも伝わってきていた、誠実という感想だった。
これだけの誠実さを感じさせる人達なら、安心して任せられるのではないか。
そう確信させる二人の様子にもう一度頷いた彼女は、必要事項が記された書類を差し出し、真剣な顔で読み進めるリアムに、わが子を送り出す母の顔で頷く。
「ありがとう」
「準備をするから少し待ってて」
ジェシカの言葉に頷いたリアムだったが、フロアで仔犬に纏わりつかれながら笑みを浮かべる慶一朗へと顔を向け、すっかり懐いているなと顔を綻ばせる。
「デュークが家に来た時と同じぐらいの月齢なのか?」
「うん、そうだな」
「大きさが全然違うな」
慶一朗の手が気に入ったのか、一心に掌を舐める仔犬に手を差し出しながら笑う夫に、うん、そうだなと返しながらその前に移動すると、同じように腰を下ろして仔犬の鼻先に手を差し出す。
スンスンと匂いを嗅ぐ仔犬に、覚えてくれと笑いかけるリアムだったが、慶一朗の腕の中から移動しようとする仔犬を大きな手で受け止め、確かに大きさが全然違うと笑う。
「……お待たせ。これ、この子のお友達なの」
今食べているフードや匂いがついているブランケットと一緒に差し出されたのは、長い片耳が折れた白いうさぎのぬいぐるみだった。
デュークが家に来た時のことを思い出した二人は、この仔犬よりも大きなウサギのぬいぐるみだが、あっという間にぬいぐるみが小さくなるのだろうと笑い、仔犬のための荷物を受け取る。
「気をつけて帰って」
「ありがとう」
新しく迎え入れたこの仔犬と一緒に帰ることを慶一朗に伝え、車にクレートがあるから安心してくれとジェシカに伝える。
兄弟達と離れることに気付いているのかいないのか、後部シートのクレートにそっと入れられた時も不安げに鳴くこともなく、きょろきょろと見まわしては、上部から見える慶一朗に向かって前足を動かしていた。
「ケイさんのことが本当に気に入ったみたいだな」
その様子に安堵したリアムは、見送りに出てくるジェシカと一言二言交わした後、シートベルトでクレートを固定し、荷物を積んでドアを閉める。
「さ、帰ろうか」
「ああ」
「デュークと仲良くしてくれると良いな」
「うん、そうだな」
運転席のリアムがルームミラー越しに、助手席の慶一朗が直接振り返りながら、クレートの中で大人しくしている仔犬に目を細め、自宅で待っているデュークとの相性が良ければいいのにと強く願う。
だが、こればかりは顔を合わせてみないと分からないと呟くリアムに、とにかく早く家に帰ろうと慶一朗が急かす。
慶一朗の様子に嬉しさを感じ取ったリアムが、それに応えるように帰路に就くのだった。
少し前までは灰色に感じていた冬空から、青を取り戻した初夏の空へと移ろい始めた頃。
今日も予定されていたオペや入院している患者の診察も終えた慶一朗が、一日の仕事を終えようとしていた。
ロッカールームに向かう背中に自分を呼ぶ声がぶつかり、顔だけで振り返ると廊下の先からアシスタント・ドクターのファルケが走ってくることに気付き、足を止めて振り返る。
「どうした?」
「いえ、僕も終わりなので」
声を掛けただけですと笑う顔は幼くて、そうかと頷いた慶一朗は、肩を並べて歩き出すが、いつだったかカフェでファルケと交わした言葉を思い出す。
「そういえば、前に二匹目の犬の話をしていただろう?」
「……あ、ええ、そうでしたね」
先住犬の弟か妹かを迎え入れたのですかと、まるでその犬のように感情を表に出すファルケに苦笑し、ロッカールームの自分のロッカーを開けてスマホを取りだした慶一朗は、ずいとスマホをファルケの鼻先に突きつける。
「これ……」
「俺の家族だ」
スマホの横から少しだけ見える端正な顔が僅かに赤くなり、声には自慢が滲んでいる事に気付いたファルケだったが、噂でしか聞いたことの無い彼の夫を初めて見せてもらえた事が嬉しくて、満面の笑みを浮かべてしまう。
「ホアコ?」
以前カフェで、仕事を離れたときにはそう呼んで欲しいと伝えたが、それも覚えていてくれたようで、不思議そうに首を傾げられて口元に拳を宛がい、何でもないですと返してしまう。
「新しく迎えたのは、ミニチュア・シュナウザーの仔犬?」
「ああ。髭と眉毛があっておじいちゃんみたいだろ?」
「……そう、ですね。名前は何にしたんですか?」
「マイロだ」
慶一朗がスマホを見ながら新しい仔犬がミニチュア・シュナウザーであること、名前はマイロになったと告げるが、その横顔を見たファルケが驚きに目を見張っていることに気付けなかった。
「マイロかぁ。何だかいたずらっ子になりそうな名前だなぁ」
「……リアムにもそう言われた」
やはり名は体を表すのか。
慶一朗が少しだけ不安そうに呟くとファルケが小さく笑い、躾がしっかり出来る犬種だから大丈夫だと頷くと、ああ、僕も犬を飼いたくなってきたとロッカーのドアを閉める。
「これから沢山写真を撮るでしょう? また見せてください」
「ああ」
スマホの容量を圧迫するぐらい写真を撮ってやる。
そう笑う慶一朗の顔が初めて見るほどの穏やかさだった事、見せて貰った写真が本当に幸せそうな家族写真だったことにファルケの顔も自然と綻び、良い写真だなぁと感慨を口に出してしまう。
「ケイのパートナーは体を鍛えていると聞いてたけど、ケイとシェパードを背中に乗せて笑っていられるなんて、本当にすごい」
さっき見た写真を思い出している顔で笑うファルケに微苦笑した慶一朗だったが、いくら細身とはいえ70キロはある自分と40キロを超えたデュークを背中に乗せて笑っていられるのは、確かに身体を鍛えているからだろうなと笑ってしまう。
そんなリアムの顔の横では、小さなマイロが尻尾をピコピコと振っていたことも思い出し、こいつは尻尾が本体だと呟くと、ファルケの顔に疑問が浮かび上がる。
「すぐに尻尾を振るから、尻尾で考えているんだろう」
慶一朗が世紀の発見をしたと言いたげに呟くそれに、ファルケがこの人が部長からエキセントリックと称されている理由が理解できたと言いたげに頷くが、可愛いですよねと返すと嬉しそうに頷かれる。
仔犬の話をする前まではこんな風にプライベートの顔を見せてくれなかった。
それが、たったと言えば語弊があるが、たった一匹の犬のお陰で、プライベートの最たる家族写真も見せてもらえるようになるなんて、想像も出来ないことだった。
芝生の上にリアムが腹這いになり、その背中に慶一朗が覆い被さり、その上にはジャーマン・シェパードのデュークが満足げに四肢を伸ばして寝そべる。
そして、そんな二人と一匹の前では、迎え入れたばかりの仔犬が嬉しそうに舌を出している。
何も知らない人が見ればただの家族写真だろうが、慶一朗とリアムが辿ってきた足跡を少しでも知っている者からすれば、思わず感慨に言葉を無くしてしまう程、幸福な光景。
慶一朗が経験してきた出来事の、ほんの一端しか知らないファルケでもそう感じる程、その写真は幸せに充ちたものだった。
「良いなあ。やっぱり僕も犬を飼おうかなぁ」
「もし飼ったらデュークとマーロの友達になってやってくれ」
グリーンのシャツを脱ぐと同時にドクターの顔も脱ぎ去った慶一朗が、うちの子と仲良くしてやってくれと、やって来るかどうかも分からない未来を想像して笑う声にファルケも同じ顔で頷く。
「良いですね。……マーロって呼んでるんですか?」
「ああ。届け出はマイロだけどな」
何だかその呼び方も良いなぁと呟く声にお疲れと声を掛けた慶一朗は、キーホルダーが立てる音を手の中に握り、明日も頼むと手を挙げてロッカールームを出て行く。
その背中を、仕事だけでは得られない充足感を覚えたファルケが見送り、家に帰って犬を探そうと決めるのだった。
自宅ガレージのシャッターが上がるのを待つ間ももどかしく、車高すれすれになると同時に、鋼鉄の白馬の横に愛車を停める。
シャッターが反転して地面に接するのを堪えながら見守り確かめた慶一朗は、家に入るドアノブに手を掛けるが、甲高い仔犬特有の鳴き声が聞こえてくることに気付き、自然と顔を綻ばせてしまう。
デュークを迎えた直後も同じように毎日鳴き声に迎えられたが、きっとドアの向こうでリアムが飛び出しにだけ注意を払っているのだろうと予測し、そっとドアを開ける。
「ただいま」
「お帰り、ケイさん」
「ワンっ!」
「バウっ!」
慶一朗の声に超大型犬と大型犬、そして小型犬の仔犬がそれぞれの言語で出迎えてくれ、その三重奏に笑い出しそうになる。
それをグッと堪え、超大型犬に向けて両手を広げると、嬉しそうな笑みを髭に覆われている頬に浮かべ、しっかりと抱き留められる。
「ただいま、リアム」
もう一度ただいまと告げリアムの頬にキスをした慶一朗は、左右の足を大きさの違う足で引っ掻かれたことに気付き、足下に視線を落とす。
そこには、自分もハグをしろと言いたげに慶一朗の腿を引っ掻くデュークと、僕も僕もと尻尾を激しく振りながら短い前足で必死に足を掻くマイロがいて。
「ケイさんが帰ってくる5分前には気付いていたんじゃないかな」
さすがの嗅覚を持っているなぁと、感心しつつも少し呆れたように笑うリアムに眼鏡の下で瞬きをした慶一朗だったが、お前達はと呟いた後、その場に膝を着いてまずはデュークの頭を撫でてキスをし、次いで跳びはねているマイロを抱き上げてキスをする。
「メシの用意をするから着替えてくればどうだ?」
「そうする」
リアムの言葉にマイロを下ろして洗面所に向かうと、その後を二匹がついてくる。
デュークは以前からそうだったが、マイロもどうやらデュークに倣うと決めているようで、大小のお供を従える慶一朗の様子に安堵したリアムがキッチンに向かうのだった。
今日も絶品だったディナーを終え、片付けをリアムに任せた慶一朗は、その間に自分が出来る事を思い出し、リビングのテーブル下から二つの籠を引っ張り出し、スリッカーを手にする。
「ヘイ、デューク、イケメンになるか?」
「バウッ!」
慶一朗のお決まりの言葉にデュークがマイロと遊ぶのを止め、尻尾を左右に揺らしながら慶一朗の前に向かい、ごろりと腹を見せる。
兄のその姿に自分も自分もと、慶一朗の足に必死によじ登ったマイロも腹を見せるが、まずはデュークから、お前はその後だとキスと共に教えられ、不思議そうに首を傾げる。
その様子にもう一度キスをした慶一朗だったが、スリッカーを早く動かせとデュークの前足で手を突かれ、分かった分かったと苦笑する。
自分には想像するしか出来ないが、子どもがいるとこんな感じに忙しいのだろうか。
自分達には子どもを持つという未来がやって来ない。
それはいくつもの事件をリアムと共に乗り越えて来た末に見えたものだったが、その代わりではないが、今こうして世話をしているデュークとマイロがいる。
それで良いと改めて気付き、デュークのブラッシングを丁寧に行うと、天井の照明を艶やかな毛に反射させたデュークが、キッチンのカウンター横で早くこっちに来いとリアムを呼ぶように吼える。
「分かった分かった」
イケメンになった自分を見て欲しいのだろう、デュークのその声に苦笑したリアムだったが、Na, na, na, du kloa Prinz, sei fei a bisserl brav, gell?と、マイロに小さな王子様、少しは大人しくしろと語りかける声が聞こえてくる。
王子様は俺なんだけどなぁと、少しの嫉妬を込めた言葉を小さく呟くと、お前は第一王子だ、子犬相手に嫉妬するなと笑われ、グラスを洗う手が止まってしまう。
「お前とのスキンシップはベッドで、だな」
「……うん」
その言葉から今夜は仲良くするつもりだと気付くと、後片付けにいつまでも時間を取られていられないとリアムがペースを上げる。
デュークの手触りが良くなった頭を撫でながらリアムがリビングに来たのはマイロのブラッシングが終わる頃で、二人の王子をイケメンにした俺を労えと言わんばかりに慶一朗がソファを指さし、リアムがいそいそと整えたソファに寝転がると、その身体に慶一朗が覆い被さるように腹這いになる。
「ブラッシングするのも疲れるな」
「うん、そうだな」
ありがとう、ケイさんと労う言葉に頷いた慶一朗は、帰り際のファルケとの会話を聞かせると、ビクター以外に友達が増えるのは嬉しいなぁとリアムの顔が綻ぶ。
「そうだな」
「うん」
互いに笑い合った後、自然と視線がリビングとトレーニングエリアの仕切りになっている本棚に向かい、幾つかの写真立てに目を留める。
その写真たちは二人の絆が深まる様を見せていて、年を追うごとにデュークが加わり、今ではマイロも加わった写真が並んでいた。
その奥で、二人が最も辛い時を共に過ごし、乗り越える力を与えてくれた祖母が二人の間で笑っている写真があり、もそもそと起き上がった慶一朗が本棚に向かうと、リアムの訝しむ視線を受けながら祖母との一枚を手に戻ってくる。
「ケイさん?」
「……本当に可愛いばあちゃんだったな」
「……うん」
その一言に膨大な感情を込めて頷いたリアムは、腕を引かれて身体を起こすと、肩に慶一朗がもたれ掛かってくる。
それを受け止め柔らかな髪にキスをすると、慶一朗の腿に向けてマイロがジャンプをし、やれやれと溜息を吐いた慶一朗が抱き上げて腿に座らせる。
マイロが慶一朗の足に座った事に気付いたデュークが一人掛けのソファから降りたかと思うと、リアムの腿に顎を載せてくる。
互いの足で愛犬を受け止めた二人だったが、マイロが来てからデュークが甘えん坊になったと笑いながら耳の付け根を撫でると、甘えるような高い声が流れ出す。
慶一朗に背中を押されてデュークと二人旅に出たリアムだったが、その時もこうして座っていると腿に顎を載せていた事を思い出し、甘えん坊めと笑うが、その顔は穏やかだった。
「そういえば、さっき食べた料理、初めて作ってくれたんじゃないか?」
腿の上で丸くなるマイロを撫でながら慶一朗が思い出したように問いかけると、リアムが気付いてくれた事が嬉しいと言いたげに顔を綻ばせ、もう一度本棚へと目を向ける。
「ばあちゃんのレシピにあった料理なんだ」
「そうなのか?」
「うん。多分店で出してたんじゃないかな」
そう教えてくれるリアムの目線の先には数冊のノートがあり、その背表紙には番号が振られていた。
それは、数日前にドイツから届いたもので、表紙にはヴィルトハウス・クラウスと書かれているレシピノートだった。
祖母のクララが毎日料理の腕を振るっていたときから客に出していたものや、自宅で家族揃って食べる特別な料理などが写真付きで記されていたが、祖母が母に頼んで書きためていたものらしかった。
それを受け取ったリアムがノートから両親の筆跡や祖母が語った言葉を読み取り、懐かしさと掛け替えのない贈り物を受け取った事を改めて感じていると、慶一朗がリアムの肩に寄り掛かりながらぽつりと零す。
「向こうの家でばあちゃんやマムの料理を食べてるみたいだった」
まるでドイツの家で食べている時のようで嬉しかった。
そう教えられ、リアムが咄嗟に片手で口を覆う。
食べる事に関して興味が薄かった慶一朗に、食べる事の大切さや楽しさ、なによりも好きな人と一緒に食事をする喜びを知って欲しかったが、それが伝わっていたのだと気付き、込み上げてくるものをグッと飲み込む。
「……我慢するな、王子様」
前にも言っただろう、お前の良さは感情を堪えないところだ。
その言葉に誘われて一粒だけ涙が流れ落ちるが、それを手の甲で拭ったリアムは、嬉しいと呟きながら慶一朗の頬にキスをする。
「ケイさんがそう思ってくれたのが本当に嬉しい」
「……お前やばあちゃんが教えてくれた事だからな」
その教えは守りたいだろうと笑う慶一朗だったが、リアムの様子に何かを感じ取ったのか、丸まっていたマイロが身体を起こしたかと思うと、リアムの腿に移動して伸び上がりながら顎髭を何度も舐める。
「マーロは優しいな」
「そうだな」
仔犬のうちから飼い主を慰める方法を知っているなんてと、軽い驚きから小さく笑った二人だったが、そんな二人に向けて僕もと言いたげにデュークが吼え、リアムがデュークの首に手を回して抱き寄せる。
スマホの待ち受けは、庭で腹這いになるリアムの背中に慶一朗とデュークが乗り、マイロがリアムの顔の傍に座って尻尾を振っている写真だった。
それを撮影した時と同じ気持ちでリアムの肩にもたれ掛かると、片腕で慶一朗を、片腕でデュークを抱きしめるが、その間にマイロが小さな身体を押し込んでくる。
この世の何処よりも安心出来る腕の中でそっと息を吐き、更にもたれ掛かると安心させるように腕を撫でられる。
「……リアム」
「ん?」
「うん……幸せ、だな」
「……っ」
慶一朗の小さな笑み交じりの言葉に咄嗟に何も返せなかったリアムだったが、グッと奥歯を噛みしめた後、慶一朗の赤く染まる頬にキスをし、顔を擦り寄せる。
髭が痛いしくすぐったいと笑う声に、うん、俺も本当に幸せだと返すと、少し距離を取っても間近にある端正な顔を見つめる。
「愛してる、慶一朗」
「……うん」
こんな俺を理解して支えてくれてありがとう。
リアムの穏やかな告白に慶一朗の目が左右に一度揺れるが、小さく頷いた後にその言葉は俺の物だからお前が使うなと照れ隠しで口早に告げる。
「ダメか?」
「ダメだ!」
俺を一番理解し支えてくれるのはお前なんだ、お前がその言葉を使うなと繰り返す慶一朗がおかしくて、ついつい小さく笑ってしまう。
笑うなと口を尖らせる顔が幼く見え、こんな顔も見せてくれるようになった歓喜を胸に、赤く染まる頬に手を宛がうと、その手を取られて口付けられる。
「ケイさんと俺とデュークとマーロ」
家族が増えて楽しいことも増える。言葉と一緒にバラ色に染まる頬を包むと、軽く首が傾げられる。
支えられているのは俺だと言った慶一朗だったが、本当に支えられているのは俺だった。
祖母の死をきっかけに、自分でも気付かなかった事を教えられたリアムは、どうしたと問いかける慶一朗と、その足の上で首を傾げるマイロが同じ表情をしているように思え、それぞれの手でそれぞれの頬を撫でる。
だが、仲間外れにされた不満の声がひとつ上がったかと思うと、リアムの肘を持ち上げたデュークがぐいぐいと頭を押し込んできて、その力に負けたリアムが慶一朗に向けて倒れこみそうになる。
「ストップ、デューク!」
ケイさんを圧し潰してしまう。
リアムの制止の声にデュークが動きを止め、自分の時には言う事を聞かないくせにという慶一朗の嫉妬の声に微苦笑し、何とか体勢を立て直したリアムは、誰もお前を仲間外れにしないと笑い、デュークの頭を少し強く撫でる。
それが嬉しかったのか、デュークがリアムに飛び掛かると、さすがに堪えられなかったのか、結果的に慶一朗に圧し掛かってしまい、オーストラリアにいる巨大なカエルが圧し潰されたような悲鳴がリビングに響く。
「ぐえ!」
「ケイさん!!」
リアムとデュークの体重を受けてソファに押しつぶされた慶一朗だったが、その腕の中から素早く抜け出したマイロが不思議そうに三人を見上げると、楽しそうに尻尾を左右に振りながら慶一朗の頭を踏みつけ、次いでリアムのハニーブロンドに足を掛けると、その勢いでデュークの背中に飛び乗る。
頂上に立つのは楽しいな。
まるでミュージカルのライオンのように胸を張り、甲高い声で遠吠えをするマイロにリアムが降りろと叫ぶが、お前も降りろと慶一朗に苦しそうに見上げられ、ヘイゼルの双眸を左右に泳がせる。
超大型犬と大型犬、そして小型犬の子犬の体重を受けとめた慶一朗は、俺はどこぞの人畜無害のマッチョマンじゃないと叫び、その声にリアムが朗らかに笑い返す。
その笑い声が明るくて、デュークとマイロがあおーんと吠え、ああ、うるさいと慶一朗が不満を零す。
朗らかな笑い声と不満を訴えているにしては明るい声がリビングの天井に届き、愛犬の遠吠えの合唱が跳ね返る。
照明以上に明るい光が、家族が揃っているリビングを中心に家中に広がっていく。
その輪の中心、テーブルに置かれた写真立ての中、クララが永遠に変わることのない笑顔を浮かべ、二人の孫とその子供たちのような愛犬を優しく見守っているのだった。
そんな光に満ちた家の遥か頭上、明るさを取り戻した事に安堵しているようにか、星がきらりと光るのだった。
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