It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第21話 A Pawprint in the Light.
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 リアムが数日ぶりに帰宅した。  その結果、慶一朗は久し振りにリアムの、――ここ数日食べていた冷凍されたものではなく、熱いものは熱いまま、冷たい物は冷たいままの手料理を食べ、リアムは、食後に慶一朗が淹れてくれるフラットホワイトを飲み、互いにリアムの帰還を実感していた。  その横ではデュークが自身の食事をしているが、一口食べては顔を上げてリアムと慶一朗がいることを確かめ、一口食べては嬉しそうに鳴き声を上げていた。  デュークにも不安を与えていたのだと気付いた二人だったが、食後の片付けをリアムに一任した慶一朗が、リビングのテーブルの下からデュークの為の籠を引っ張り出し、スリッカーとブラシを両手に笑いかける。 「ヘイ、デューク、イケメンになるか?」  その言葉を口にした慶一朗も、聞いたデュークも嬉しそうで、一任された後片付けを行いながらリアムが微笑ましい顔で二人を見守る。  後片付けなど面倒くさい家事だったが、目の前でスリッカーでデュークの被毛を梳き、ブラシで抜けた毛を一纏めにする慶一朗の背中を見、その身体の横からゆらゆらと揺れるデュークの尻尾を見ていると、兄弟と言うよりは子どものような物になっているのかと思案し、手を止めてしまう。  デュークを初めて家に迎え入れたとき、慶一朗が事件の傷を癒やしながら日常生活を過ごしていて、自宅であってもひとりになる事への恐怖をどうしても拭い去れないでいた頃だった。  それを少しでも和らげる為と、ジャーマン・シェパードという犬種であれば、万が一不測の事態が起きたとしても、慶一朗を守ってくれるだろうとの思いから、ルカの知人を介して仔犬だったデュークを迎えたのだ。  その時は、慶一朗の親友兼ボディガードになってくれればと思っていたが、二年の時が流れた今、リアムが想像していた以上に慶一朗とデュークの絆は深まり、手の掛かる弟のようなものと慶一朗も口にするようになっていた。  子どものいない夫婦や同性のカップル達が、子どもの代わりに犬を飼う光景は、世界中の何処でも見られる光景だった。  デュークを飼うまでのリアムには、その心情は理解出来るが自らが同じ境地になるとは到底考えられない事だった。  だけどと、リビングのフロアで、ブラッシングを終えた慶一朗がデュークにロープを見せ、嬉しそうに声を上げながらそれを引っ張ろうとするデュークの姿を見ていると、子どもがいる家庭はこのような賑やかさがあるのだろうと考えてしまう。  デュークを子どもとは思えないが、子どものような存在と言いたくなる気持ちも理解出来るものだった。  本来は慶一朗の友人候補だったんだけどなぁと、食器類を水切りカゴに伏せながら溜息を吐いたリアムだったが、そう思うようになった理由に思い当たり、自然と肩を揺らしてしまう。  デュークを迎え入れたのも、リアムがそう考えるようになったのも、全ては慶一朗がいるからだった。  そう考えたとき、己の思考の全てに――それこそ、朝起きてから夜眠るまで――慶一朗が存在しているのだ。  デュークを連れての今回の旅で文字通りひとりになったとき、リアムが覚えたのは困惑だった。  腹が減ったから何かを食う、その際にまず考えたのは、今から作ろうとする料理は慶一朗の口に合うだろうか、味付けは好きだろうかとの事で、今ここに慶一朗がいないだろうと、デュークに太腿の裏を鼻先で突かれて我に返る事が何度もあった。  リアムと慶一朗の深い関係を知らないものからすれば、依存しているのかと呆れられそうだったが、それだけ慶一朗の存在はリアムの中では当たり前になっていたのだ。  フレデリックと電話で話をしているとき、脳内に浮かんだ光の輪の中心で手を広げて笑みを浮かべる慶一朗の姿。  その周囲に、リアムにとっては欠かすことの出来ない存在である祖母や両親、毎週末会いに行く親友達、連絡を取ることは頻繁ではないが、それでも一声掛けると皆が集まって一瞬で学生の頃の気分に戻れる友人達がいるのだ。  人達の輪の中心で笑っているのが慶一朗である事実に、ああ、これが自分なのだと奇妙な納得感を覚えたリアムは、ティータオルで手を拭いてシンクの縁に両手をついて満足げな息を落とす。  今回、自分を取り戻せと背中を押してくれた慶一朗だったが、何のことはない、取り戻したい自分は慶一朗の傍にいたのだ。  久し振りにキャンプに行ってそれに気付けたが、ならば何故慶一朗がリアムの背中を押してくれる事態に陥ったのか。  己の心の動きを読み取れずにさっきとは別の溜息を吐き、ふと視線に気付いて顔を上げると、カウンターの向こうのソファの背もたれに、生首にしておくには勿体ない端正な顔と、楽しげに息を吐いているジャーマン・シェパードの顔が二つ並んでいて。 「……っ!」  その光景は今では見慣れたものになっていたが、つい吹き出したリアムに生首がにやりと笑いかける。 「Hee hee hee! Mein Prinz, どうした?」  シンクでやらなければならない宿題でも発見したのか。  そう笑う生首状の慶一朗に、ふ、と息を吐いた後にうんと頷いたリアムは、ティータオルを投げ捨てて慶一朗の前に向かうと、笑みの形の唇に触れるだけのキスをする。 「リアム?」  そのキスから何かを感じ取ったのか、慶一朗が身体を起こしてソファで膝立ちになると、隣に来いとソファを叩く。  その手に誘われたリアムが隣に座ると、デュークがその太腿に顎を載せて満足の息を吐き、慶一朗が肘置きに腰掛けてリアムのハニーブロンドを撫でる。 「どうした?」  短い問いに同じく短く返したリアムだったが、自分らしさについて考えていたと続けると、何か分かったのかと慶一朗がリアムの頭に頬を宛てながら問いかける。 「うん……何をしていても、ケイさんがいた」 「俺がいた?」 「うん。キャンプで目を覚まして朝飯を作ろうと思った」  その時、まず思い浮かんだのが、今朝ケイさんは何を食べたいと思うだろうか。  その疑問だったと続けるリアムを呆然と見下ろした慶一朗だったが、続けられる言葉からは負の感情が感じられず、意味が分からないまま続きを待っていると、慶一朗の腰とデュークの頭にリアムがそれぞれ手を回して抱きしめる。 「ケイさんとデュークの二人の間にいる、それが俺だと思った」  だから、送り出してくれたけれど、困惑していたと素直に告白したリアムは、見下ろしてくる慶一朗の眼鏡越しに双眸を見つめ、わざわざ出て行かなくてもここにこそ、俺らしさがあったと目を細める。 「リアム……」 「うん。でも、ケイさんが行けと言ってくれたことを思えば、きっとあなたが思う俺らしさが喪われていたんだろうな」  それが何であるのかはまだ分からないけれどと、肩を竦めて苦笑するリアムに慶一朗が思案するように天井を見上げるが、分かったと小さく呟いた後、指を鳴らしてリアムとデュークの視線を集めてしまう。 「分かった?」 「ああ」  見上げてくるリアムの頬を両手で包み、鼻の頭にイタズラっ気の籠もったキスをすると、本棚の前に移動する。  慶一朗が何をするのかを見守るリアムの前、本棚から一つの写真立てを手に戻ってきた慶一朗は、今度はリアムの腿に座り込み、鍛えられている太腿の左右に慶一朗とデュークが身体を預ける。 「ばあちゃんの写真?」 「そうだ……リアム、お前、ばあちゃんが亡くなってから……」  泣いてないだろう。  慶一朗が写真の中で笑うクララにキスをし、リアムの手に写真立てを持たせると、今度はハニーブロンドに再度キスをする。 「え?」 「自覚がないか?」  ドイツの祖母が祖父の元に旅立ったと報せを受けてからひと月、彼女に持たせる花をあちらの花屋に注文したり、両親と連絡を取り合ってはいたが、彼女を亡くした事を落ち着いて悲しんでいないだろうと、顎のラインを多う髭を手の甲で撫でながら慶一朗が目を細める。  慶一朗の指摘でリアムの目が見開かれ、言われたとおりだと気付いたように頭が一度上下する。 「……葬儀に来るなと言われてしまったからそれを守った」  本来なら葬儀の場で喪失する悲しみを表すことが出来たが、その場に立ち会えずにそれが出来なかった。  だからと言って、ここでお前が彼女の死に涙を流したことはなかった。優しく断言されてリアムの広い肩がぐらりと揺れる。 「感情を殺せば、何処かに歪みが出る。……それが、お前らしさを奪っていった」  その行為は一瞬で行われるようなものではなく、ゆっくりとリアム自身も気付かないうちに心を蝕んでいったと続けると、リアムがそうかなとまだその言葉に賛成できないような言葉を口にする。 「後でクローゼットを見ろ」  いつも明るい色合いや白っぽい衣類が多い為に明るく見えるクローゼットが、今はダークカラーが中心になっているぞと笑う慶一朗に、リアムが呆然と目を見張る。 「俺は以前からダークカラーの服が多いけれど、お前はそうじゃない」  せいぜいカーキ色の上下がある程度だろうと笑う慶一朗に、うんと頷いたリアムだったが、そっと頭を抱き寄せられて逆らうことなくその胸に頭を預ける。 「ばあちゃんの死を家族と同じときに同じ場所で悲しめなかった」  それはきっとこの国に移住してからお前が幾度となく経験してきたことだろう、その度にお前らしさが喪われていたのかと思うと、俺がひとりになることなどどうでも良いほどのことに思えた。  珍しいほどの慶一朗の本心の吐露にリアムが無意識に唇を噛みしめ、細い腰に両手を回して抱きしめる。 「だから……泣け、ウィリアム」  キスの後に呼ばれた名前にリアムの目が限界まで見開かれ、呆然と端正な顔を見上げると、自慢と愛嬌とそれを遙かに上回る愛情から慶一朗が目を細める。 「マムが教えてくれた」  お前の出生届はウィリアムだが、じいちゃんが長いと言ったからリアムと皆が呼び始めたんだろう。  その話はごくまれに家族間で話題になる程度で、今では皆がリアムと呼ぶのが当たり前になっていて、亡くなる直前に祖母が何度もその名を呼んだために訝るほどだった。  自分自身でも失念してしまいそうなそれを呼ばれて呆然としていると、目尻にキスをされてそっと頭を抱きしめられる。 「前のドイツ旅行からお前は泣かなくなったけど、お前らしさはその感情を素直に出すところじゃないか?」  泣きたいのを堪えてお前らしさを喪うぐらいなら好きなだけ泣け。  優しい命令にリアムが何だそれと笑うが、笑うと同時に慶一朗がキスをした目尻からひとつ、大粒の涙がこぼれ落ちる。 「俺が変わったからお前も変わらなければと言っていたな」  でも、悪い影響がある変化ならしない方が良いだろう。  慶一朗が穏やかに目を細めながらリアムの髪を撫で、広い肩を撫でるとその動きに合わせたように目尻から透明な滴がひとつ、またひとつと零れ落ち、それに気付いたデュークが伸び上がってリアムの頬を舐める。 「ケ、イ、さ……っ!」 「大切な家族が亡くなって泣くことは何も恥ずかしいことでもダメな事でもない。だから気が済むまで泣け」  人間、いつまでも泣き続けることは出来ないのだ、否が応でも顔を上げて前を見て歩き出す、笑う日が必ずやって来る。  リアムがと言うよりは人の持つ力を信じている、そんな顔でリアムの頭を抱き寄せ何度も髪にキスをした慶一朗だったが、ああ、これだけは言っておくと続けると、目を赤くしたリアムににやりと笑いかける。 「お前が泣き顔を見せて良いのは俺だけだ」 「ケイ、さん……」 「フレッド達にも見せるなよ」  良いな、ハニィと、本心を揶揄うような言葉に混ぜた慶一朗の言葉にリアムが小さく笑うが、一度溢れ出した涙は留まることを知らないようで、手の甲でそれを拭おうとする手を取って慶一朗が止めさせる。 「……本当に可愛いばあちゃんだったな」  俺たちを助けるためにドイツから遙々駆けつけてくれて、今でも俺たちが忘れられない笑顔と美味い料理を残していってくれた、本当に最高のばあちゃんだった。  低く嗚咽を零すリアムを抱きしめた慶一朗は、自分達が今もこうしていられるのはきっとばあちゃんのお陰だと、ひと月前に旅立ってしまったクララの笑顔が残されている写真を見下ろす。  家族というものを兄以外に知らず、当たり前にあるかも知れないその温もりを教えてくれたのは、お前やダッドやマム、そしてばあちゃんだったと、慶一朗がリアムの広い背中を抱きしめ、頭に頬を宛てながら呟く言葉にリアムの目から涙が止まること泣く流れ出す。  自分達を心身共に支えてくれた祖母クララの死は、リアムを静かに追い詰めていたが、取り返しの付かないところに足を踏み出す前に引き返すことが出来て良かったと、遅れながらも表すことの出来た感情に震える背中を安堵しながら抱きしめ続けるのだった。  腕の中の嗚咽が不規則にしゃくり上げるものに変化をし、それも落ち着きを取り戻した事に気付いた慶一朗が、顔を洗ってくるかとそっと囁くと、無言で抱えた頭が上下する。 「ほら、行って来い」  くすりと笑いながら広い背中をひとつ叩いて立ち上がらせた慶一朗は、洗面所に駆け込むリアムとそれを追いかけるデュークにやれやれと肩を竦めるが、気持ちが落ち着いたのなら飲ませようと思っていたものを作るため、同じくソファから立ち上がってキッチンで何やら作業を始める。  泣き腫らした顔をタオルで拭きながら、デュークをお供に戻ってきたリアムが見たのは、卵を片手に真剣な顔でミルクパンを見下ろしている慶一朗の横顔で、何をしているのかは理解出来るがそこにいたるまでの思考が理解出来ず、思わず何をしているんだと小さく問いかけてしまう。 「……お前がいない間、俺がやったことを見せてやる」  リアムの不在という、慶一朗にとっては心身の両面にダメージを与えかねない期間の様子を見せてやる、そうにやりと笑った慶一朗は、シンクで卵の殻にヒビを入れると、驚きに絶句しているリアムの前で卵を割り、おまけのように一緒に鍋に入った殻をスプーンを使って掬い上げる。 「ケイさん、卵、割れるようになった……?」  ネイティブの筈のドイツ語なのに、まるで初学者のように途切れ途切れに呟くリアムの前、片目を閉じた慶一朗が胸を張る。 「殻が入れば取れば良いってばあちゃんが教えてくれた」  ばあちゃんとここに一緒に立っていた日々、料理をする彼女の傍で見ていたが、今の言葉を教えてくれたと笑うと、リアムが大股三歩で慶一朗の傍にやって来る。 「……あの時、プファンクーヘンを焼いてくれたなぁ」 「生焼け部分があったり焼きすぎて破れたりしたものだけどな」  それでもお前に食べて欲しいと思い、ばあちゃんに作り方を教えて貰った。その結果は両手の全ての指に火傷を負って救急絆を貼り付け、挙げ句の果てにはひっくり返す際に失敗をして頭にそれを被ってしまった。  当時の様子を思い出したリアムが笑いながら慶一朗を背後から抱きしめ、その腕に両手を回してもたれかかった慶一朗が、黒歴史だけどそれも忘れるのも勿体ないものだと笑う。 「ばあちゃんが教えてくれた」  彼女の存在を、その温もりを感じる事はもう出来ないが、彼女が遺してくれたものがあると、リアムの頭をそっと撫でた慶一朗は、鼻を啜る音に気付き、泣いても良いけれどどうせなら今から作るものを飲んでからにしろと告げ、何を作ってくれるんだと問われて片目を閉じる。 「エッグノッグだ」  お前が元気を取り戻すための特製ドリンクだ。  慶一朗の言葉にリアムが目を見張るが、晴れた夏空を連想させる笑みを浮かべ、慶一朗を再度抱きしめる。 「キャンプで寝る前にいつも飲んでたバーボンがある」  それを使って作ってくれと強請ると、バーボンかと慶一朗が上目遣いになる。 「ナイトキャップが必要だったのか?」 「うん。でも……」  まだ分からないけれど、きっと今夜からは不要になる。  慶一朗が心配を滲ませた問いを背後に投げかけると、明るい声がもう不要になると返し、無意識に安堵の息を零す。 「じゃあ作ろうか」  今までリアムが不安を覚えて眠れなくなったとき、ナイトキャップ代わりにエッグノッグを作っていたが、それは慶一朗が指示を与え、それを受けたリアムが作っていたのだ。  だが、今からは慶一朗自らが作ると宣言し、心配と期待とを綯い交ぜにした顔でリアムが慶一朗の手元を見つめる。  リアムにしてみればハラハラしてしまう手付きだったが、それでも慶一朗は必要な材料をミルクパンに入れて火に掛けると、吹きこぼれないように火加減を調整し、甘く優しい温かさを与えてくれるエッグノッグを作ってくれる。 「バーボンを使ったから味はちょっと分からないけどな」  でも初めて作ったにしては上出来だろう。  リアムが不在の間、作り置きの料理を温めるだけだったが、以前はそれすらも出来なかった事を思えば成長しただろう、褒めろと一人言い放っていた顔で胸を張ると、あの日々望んでいた反応がすぐ傍の大きな身体から返ってくる。  それだけで嬉しくて、リアムが料理をするときに比べれば遙かに散らかっているそこを気にする事なくリアムに飛びつくと、コアラを抱くように尻を支えてくれる。 「……ダンケ、ケイさん」 「……ああ」  しがみついてくる慶一朗を決して落とさないようにしっかりと抱きしめ、せっかく作ってくれたエッグノッグが冷めないうちに飲みたいからソファに行こうと告げると、慶一朗が下りたってリアムの腰に腕を回す。 「口に合えばこれからはバーボンで作ろうか」 「うん」  それも良いと笑うリアムだったが、作業スペースに出されているバーボンのボトルに目をやり、何かを思い出した顔で小さく笑う。 「どうした?」 「うん。このバーボンを買うとき、ボトルを見てケイさんを思い出した」  やはり俺の目にも指先にもあなたはいたようだ。  そう朗らかな顔で笑うリアムを呆然と見上げた慶一朗は、このバーボンが俺を思い出させたのかと問いかけ、うんと頷かれて瞬きをひとつ。 「薔薇がボトルに彫られているだろう?」  その薔薇を見た時、あなたの顔が思い浮かんだと目を細め、慶一朗のこめかみにキスをするリアムに何も言えなかった慶一朗だったが、四つの薔薇が浮き上がるボトルとラベルに目をやり、次いで本棚でひっそりと自分達の歴史を教えてくれる青い薔薇へと目をやる。 「……これからバーボンを買うときはこれにするか」  琥珀の海に浮かぶ四つの薔薇と青い薔薇を見比べた後、薔薇のような華やかさはないがそれでも野に咲く花のような愛嬌のある顔を隣に見つけた慶一朗は、その肩に今までのようにもたれかかりたい一心で、早くソファに移動するぞと笑い、リアムもそれを受けて大きく頷く。  キッチンスペースには絶対に入ってこないデュークが、二人がやっと出てきた事からくるくると回り始め、落ち着けと二人同時に笑いかけ、定位置になっている肘置き横にリアムが、その隣に慶一朗が腰を下ろし、デュークが一人掛けのソファにテディベアを運んで座り込む。  この光景が数日間とはいえ喪われていた事実よりも、以前のように戻ってきた事が嬉しくて、エッグノッグを飲むリアムの右手を掴んだ慶一朗は、何をするのかを問わないリアムに笑いかけ、長時間のドライブのときのように爪を押してみたり、手の甲の皮膚を摘まんで引っ張ってみたりと、手遊びを始める。  それが慶一朗の機嫌が良いときの癖だと今では十二分に気付いているリアムが好きにさせ、自身はその手が初めて自ら作ってくれたエッグノッグを味わうのだった。  エッグノッグを飲み、身体の内側から温まったリアムは、慶一朗がいつものように送った合図を受け取り、肘置きにクッションを立てかけてそこに凭れ掛かる。  程なくして己の胸に背中を預けて満足げに慶一朗が息を吐き、薄い腹の上に手を載せると、慶一朗がそっと手を重ねてくる。  身体の外からも温められている感覚にリアムが目を閉じ、こうしている時間がきっと俺らしさだと呟くと、慶一朗が寝返りを打ったような動きが伝わってきて、片目を開けると胸元に両手をついて顎を載せる端正な顔が見える。 「ケヴィンやGGにそこまで世話を焼く必要があるのかって言われただろ?」 「……そうだな」 「周りから見ればおかしな事かも知れないけど、俺はこうしてケイさんと一緒にいたいし、迷惑かも知れないけど世話を焼きたい」  改めてそれに気付いたと告白すると、それを受けた慶一朗の頬が僅かに赤く染まる。 「お前はそれで良いのか?」  いい歳をした男が日常生活における必要な事が何一つ出来ない、そんな情けない俺でも良いのかと、慶一朗が目を伏せつつ問いかけると、慶一朗の頬にリアムが両手を当てて口の端を持ち上げる。 「うん」  言いたい人には言わせておけば良い。  全てのことに腹を括った顔で笑うリアムに慶一朗が逆に目を見張ると、家族の世話をすることは俺にとっては苦痛でもなんでもないと朗らかに笑う。 「……お人好し」 「うん」 「究極のお人好し」 「うん」  リアムの胸板に頬を宛て、何度も何度もお人好しと繰り返す慶一朗にリアムが笑顔で頷くが、勢いよく慶一朗が顔を上げたことに軽く驚いてしまう。 「そのお人好し全開も俺の前だけだぞ!」 「……うん」 「他の人には加減しろ」 「……う、ん」  徐々に自信なさげに頷くリアムをじろりと睨み付けた慶一朗は、お前のプリティでキュートな泣き顔も、そんなお人好しの顔も俺だけが知っていれば良いと叫び、誰がプリティでキュートなんだと、さすがに現実を見ろと言いたげな顔でリアムが溜息交じりに呟く。 「お前は世界一イケメンでプリティでキュートなハニィだ」 「……ケイさん」  それは恥ずかしいから止めろと目尻を赤くしたリアムだったが、己の腹を跨ぐように座り込んだ慶一朗の口元が不気味な形に持ち上がったことに気付き、恐る恐るその名を呼ぶ。 「ケイ、さん……?」 「何だ、キューティーなハニィ」  どうした、何がお前を悩ませているんだと、何処までが本気なのか判別の付きにくい笑顔でさらりと言い放つと、リアムが顔の前で両腕を交差させる。 「ハニィは嫌か?」 「好きじゃないなぁ」 「俺は好きだけどな」  でも、お前がそこまで嫌がるのなら控え目にしようか。  眉尻を下げるリアムの額にキスをした慶一朗は、金曜日にお前が戻ってきてくれて嬉しいと囁くと、リアムが慶一朗の細い腰をしっかりと抱きしめる。  慶一朗の声に潜む色に気付き、うんと返したリアムの頬にキスをし、リアムの身体から下りたってソファの前で伸びを一つ。 「……これからまたお前と一緒に寝られるな」 「うん」  もうこれからは離れることはないからと、少し前の盛大なケンカの際に慶一朗が家を飛び出した事があったが、今日のリアムの帰宅でそれが実質最後になると笑うと、振り返った慶一朗がにやりと笑みを浮かべる。 「ヘイ、王子様」  今までのようにベッドに連れて行けと、艶然と笑みを浮かべた慶一朗を呆然と見上げたリアムだったが、勢いよく飛び起きると同時に慶一朗を抱き上げて鼻の頭を擦り合わせるように顔を寄せる。 「……デュークにお休みのキスをして準備をしてくる」 「じゃあその間に俺はシャワーをしようか」  顔を見合わせ自然と零れる笑いに、数日間の別離を一瞬で取り戻したような気持ちになる。  その気持ちのまま慶一朗がデュークを呼び、顔を上げたデュークに慶一朗がキスを投げる。  それが嬉しいのか、デュークのふさふさの尻尾が音を立てて左右に振られる。  その様子にリアムが目を細め、腕に掛かる愛しい重さに小さく息を吐く。  背中を押されたのは数日前だったが、いるべき場所に戻ってきた安堵を覚えたリアムは、慶一朗の額にコツンと額を重ね、何度目になるか分からない言葉をそっと囁く。 「ただいま、ケイさん」 「……ああ」  ベッドルームに向かう足取りはゆっくりで、互いに今夜は長い夜になるとの期待の表れのようでもあった。  バスルームのドアを開けて慶一朗を下ろすと、慶一朗の頬にキスを残しバスルームを後にする。  リアムの広い背中を見送った慶一朗は、バスルームの中で遠離る足音を聞きながら、バスタブに腰を下ろして溜息を一つ。  やっと戻ってきた。  さっきも言ったが、もうひとりきりで広いベッドで寝る必要はないのだ。  ああ、本当にリアムが帰ってきた。  その実感が、淡い溜息一つでバスルームのタイルの上に落ち、バスタブの縁をきゅっと掴んだ慶一朗だったが、その顔には自然と滲み出る歓喜が笑みとして現れているのだった。  そんな二人の遙か頭上では、白い月が仄かに光っていた。  その光は、数日ぶりの再会を果たした二人を見守るよう、柔らかく夜を照らしているのだった。  
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  お前のプリティな泣き顔は誰にも見せるな。良いな。
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