It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第21話 A Pawprint in the Light.
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 トレーラーハウスの庭に小さなテーブルをセットし、ハイバックチェア二つでテーブルを囲む。  こんな夜更けに何をするんだと、欠伸をしながら動きを見守っているのは、少し前にもう一人の家族の声を聴いて嬉しそうに尻尾をぶんぶん振っていたデュークだった。  そんなデュークの視線を受けながら、テーブルセットを終えたリアムは、チェアの近くに今度は焚火の用意をはじめ、デュークがリアムの腿の裏に鼻先を押し付ける。 「こら、止めろ、デューク」  焚火の準備ができたら一緒に当たろうと笑い、デュークの首に腕を回して片手で顎の下を撫でたリアムは、小さな赤い点が周囲の木と空気を抱き込んでじわじわと広がり、次第に高く大きくなっていく様を見守る。  木がぱちぱちと爆ぜる音が聞こえはじめ、リアムがデュークを抱き上げてハイバックチェアにそっと座らせる。  自身はその反対側に腰を下ろし、小さなテーブルに水を満たしたボウルを置く。  デュークには水を、自分のためには今回の旅で仲良くなったバーボンを取り出し、ブリキのカップに琥珀の海を生み出す。  自宅にいるときには必要としなかった、度数の高い酒のボトル。  そこにあしらわれている四つのバラを指でなぞる。  通りかかった酒屋で購入したバーボンだったが、ボトルデザインに目を奪われて購入したのだ。  ふと、毎週のように訪れていたアポフィスでドリンク類を作ってくれていたシャルルに、このバーボンの最も美味い飲み方を聞きたくなってしまう。  ここにはいないのにと肩を揺らした時、シャルルの顔を思い浮かべることができるまでになっていることに気づき、このボトルを手に取るきっかけを与えてくれた端正な顔を思い出す。  その顔は数時間前に画面越しに見たもので、その時に交わした声はリアムの心の中に静かに降り積もっていたが、先ほど伝えたように一分でも一秒でも早くその声を直接聞きたかった。  だけど、この気持ちのまま飛んで帰る事に二の足を踏んでしまう。  自分らしさを取り戻して帰ってこい。  そう言って背中を押してくれたが、自分らしさを取り戻せているのかという疑問が湧き起こり、それを掻き消すようにひとつ頭を振ってブリキのカップを手に取る。  その時だった。  テーブルの向こうのチェアで丸まろうとしていたデュークが頭を擡げ、警戒するように小さく唸り声を上げ始めたのだ。  こんな深夜に近い時間に誰かいるのかと、デュークが顔を向けている闇へと顔を向けると、遠慮がちな声でハイと呼びかけられて目を丸くする。 「どうも」  闇に目が慣れてきたからか、呼びかけてきた声の主のシルエットが浮かび上がり、次いで目鼻立ちもはっきりと見えてくる。  そこにいたのは、寒い冬の夜、ひとりきりでいたくないと思いながらも、己の言動に自信が持てない不安を顔に浮かべた青年だった。  何だろうと思いつつ、どうかしたかとそっと問いかけたリアムは、威嚇の姿勢を解かないデュークの名を呼んで己の傍に来いと命じると、威嚇しなくても良いのかと言いたげながらもリアムの命令には忠実に従ったデュークが、チェアを下りてリアムの横に尻を着く。 「Good boy,デューク」  お前は本当に賢いとデュークの頭を撫で、どうしようかと躊躇っている青年に向け、話し相手を探しているのかと苦笑すると、夜目にも目立つブロンドが上下する。 「この焚火で良ければ一緒に当たるか?」  真冬の夜、人恋しくなるのも理解出来ると笑ったリアムがハイバックチェアを勧めると、嬉しそうに青年が頷き、手にしていたボトルをテーブルに置く。 「一人ですか?」 「うん、そうだな……一人と、弟のようなこいつと一緒だな」  青年の言葉に以前のリアムならば一人だと返しただろうが、頭を撫でているデュークが今では手の掛かる弟のようなものだと思っている為、こいつも一緒だと笑うと、デュークが嬉しそうにリアムの分厚い掌に頭を押しつける。 「きみは?」 「僕も、一人です」  そう笑う顔は何処か寂しげで、興味を惹かれるリアムだったが、青年の左手薬指に焚火の炎がきらりと反射したことに気付き、一人の意味を考え込んでしまう。 「何となく走ってきて……キャンプ場を発見して立ち寄ったんです」 「俺と一緒だな」  実は俺も今日ここを偶然発見して泊まっているんだと笑うリアムに青年も笑い、チェアの上で姿勢を少し変えてリアムに向き直る。  青年が控え目に感じる声で告げる、初対面の人間が交わすありきたりな言葉と、パチパチと爆ぜる焚火を受け止めていたリアムだったが、青年が半身で同じ炎を受け止めていることに気付き、どうしたと問いかけるように首を傾げる。 「……ひとりになりたいと思って家を出てきたのに、いざひとりになると我慢出来ないなんて情けないな」 「そうかな」  その時その時の感情に素直になっているだけじゃないのかと、ブリキのカップを両手で挟んで手の中の琥珀の海を波立たせたリアムだったが、脳裏に響く声に目を細める。 『ヘイ、ハニィ、リラックスする為に出掛けたキャンプでお悩み相談会か?』  小児科医からカウンセラーに転職するつもりか。  その声に滲むのは少しの呆れと少しの嫉妬、そして、それらを遙かに凌駕する、そんなリアムの言動を肯定する穏やかさだった。  自分を取り戻してこいと言われたが、何が自分なのかに頭を悩ませたこの数日間。  今日、灰色の空の下で一旦停止をした車内で親友と電話をし、一瞬であの頃に舞い戻ったリアムだったが、その気持ちのまま、つい何時間か前に久し振りに慶一朗の顔を見ながら話をした。  その結果、一分一秒でも早く帰りたいとの気持ちになったのだ。  そんな気分になってデュークを見下ろすと、嬉しそうに上目遣いになって小首を傾げて見上げてくる。  デュークが家に来たときから変わらないその癖に、あの頃はあんなにも小さかったのにと笑うと、そのシェパードは大人しいなと感心したような声が聞こえてきて、我に返って微苦笑する。 「そうだなぁ、外面が良いからな」  家の中では好き放題暴れ倒しているが、外では大人しいな。もう一人の家族のように。  デュークの首の後ろを撫でながらひっそりと呟くリアムの言葉に興味を覚えたのかどうなのか、青年に家族と呟かれて炎の色が映り込む瞳を細める。 「そう。俺の大切な家族」  こいつも今では大切な家族だけどと、デュークの名を呼び目を合わせた後、掛け声ひとつで抱き上げて足の上に座らせると、腹話術師のようにデュークの前足を両手で持ってコメディアンのように大袈裟にその手を振る。 「きみにもいるんじゃないのか?」  本当にひとりの人間は、ひとりになりたいとわざわざ言ったりしない。  デュークの前足で青年をロックしたリアムは、青年が目と口を開いた後に顔を左右に振り、片手で口元を覆った姿に無言だったが、デュークの耳の付け根にキスをし、きみの左手のリングと俺の右手のこれは同じ意味を持っていると思うけれどと告げ、上げられる顔に目を細める。 「酷く、ケンカをして……家を飛び出して……」  ひとりになりたいと思っていたけれど、確かにあなたの言うとおり、ひとりの人間は一人になりたい等と言わないと自嘲され、リアムの肩が軽く上下する。 「……やられたら、やり返しても良いはず、ですよね」  その言葉に潜む感情に気付きながらも素知らぬフリをしたリアムだったが、その言葉に同意することは出来ず、ひとつ肩を竦めて青年を真っ直ぐに見つめる。 「そう考える人もいるだろうな」  ただその考えは俺が好きな考えじゃないけれど。  青年の言葉に再度肩を竦め、俺の腹に収めて物事が済むのならそれで済ませたいなと笑うと、デュークの前足の肉球を指で押さえ、少し堅くなっているからマッサージをしようかと笑いかける。 「きみの家族にきみが傷付けられて復讐をしたいのか?」 「……」 「例えば、恋人やパートナーに浮気をされたから仕返したい?」  デュークが嬉しそうに振り返りながらリアムの顎髭を舐め、くすぐったいぞと笑いながら問いかけると、青年の身体が緊張に強張り、ああ、浮気をされたのかと呟くと、ブロンドが上下する。 「ひとりになりたくて家を飛び出して、でもひとりは寂しいし復讐したいから俺に声を掛けた、かぁ」  そう呟くリアムの言葉は青年の心情を見事に捉えていて、そうかぁと、ここに慶一朗がいれば呆れかえること必死な笑顔を浮かべ、そういう気持ちになることは理解出来ると三度肩を竦める。 「……だったら」 「うん、でも、さっきも言ったけど、俺はその考えに賛同出来ない」  そして何よりも、こんな俺を愛して信じてくれている人が、俺の帰りを家で待ってくれている。  その信頼を裏切るようなことは、俺には出来ない。  なあ、デュークと、意味が全く分かっていないが、リアムが何やら楽しそうな顔をしている事が嬉しいのか、デュークがリアムの顎に頭突きをし、こらと何の威厳も感じない柔らかな声で注意をする。  その様子はこのひと月ほど喪われていた穏やかさだったが、それを自覚することのないリアムがデュークの耳の付け根を両手で撫でながら、こーの、わんぱくボーイと口の端を持ち上げる。  そんなリアムとデュークを見ていた青年だったが、己の思うような返事がないことを予測したのか、持参したボトルのウィスキーを呷るように飲んだ後、弟のようなそいつと一緒に愛する家族の元にどうぞ早く帰れと言い放たれ、その言葉に咄嗟に返事が出来ずに目を瞬かせてしまう。 「じゃあ、良い旅を」  一息着いた後にリアムを見つめた青年は、何か面白いことがないかと呟きながら立ち上がり、自身が借りているトレーラーハウスに向かって歩き出す。  その背中を呆然と見ていたリアムだったが、面白いことは自分で見つけ出さないと見つからないぞと呟き、膝の上のデュークの背中に顔を押しつける。  今のような会話を、自宅で苦手な留守番をひとりでしてくれている慶一朗とすれば、彼のような冷笑をするのではなく、それはお前だからだと、リアムの考えを肯定し受け入れてくれるだろう。  そして、浮気をされたから仕返すという考えになること自体を否定しないが、その結果は甘んじて受け入れろとまで言い放つだろう。  至極簡単に想像出来る己の夫の言動に自然と笑いが込み上げてくる。  その会話の締め括りに、きっとこう言うのだろう。 『お人好しで人畜無害のマッチョマン』と。  その言葉はリアムを揶揄うためのものだったが、いつしか己を体現するものの様になっていて、ああ、と吐息を零して振り返るデュークの鼻先にキスをする。 「なあ、デューク、もう少し旅に付き合ってくれと言ったけど、明日、朝飯を食ったら帰るぞ」 「ワフ?」  本当に今すぐにでも飛んで帰りたい、でも酒を飲んでしまっているから無理だ。  少し前の己に、止めておけと言いたいと苦く笑ったリアムは、青年が座っていたハイバックチェアに目を向け、自宅に持って帰る気持ちになれずにどうしようかと思案する。  別に彼のようにやられたらやり返すという考えを否定はしなかった。  フレデリックやネイサンなども良くそう口にしていたし、実際それをする様を何度も見てきたが、それに伴う結果も受け入れていたのだ。  先程の青年にそれが出来るのだろうかと考えた直後、陽気なフリをした嫉妬と呆れが混ざったドイツ語が脳裏に響く。 『Hee, hee, hee! Du gutmütiger Muskelmann, zeig dein liebes Gesicht nicht jedem, ja?』  ヘイ、ヘイ、ヘイ、お人好しのマッチョマン、誰にでも優しい顔を見せないの。ね?  己の記憶の中でも戯けた風にリアムのお人好しさに呆れ、それでも受け入れてくれる言葉を響かせてくれる夫に、勿論です、陛下と同じく戯けた風に返したリアムは、デュークの耳が期待にピクピクと動く様に頷き、明日帰るぞと顔を寄せる。  嬉しそうに吠えるデュークに、夜中だから吠えるなと注意をし、お前も嬉しいのかと笑いかける。 「そうだよなぁ、嬉しいよなぁ」  何しろお前が大好きなケイさんに明日会えるんだからな。  デュークの顔を両手で挟んでわしゃわしゃと撫で回し、良しと満足げに息を吐く。  何故か変える気持ちになれなかったが、先程の青年と会話をして気持ちが定まったというか、きっと誰もが己らしいと笑ってくれるだろうと笑うと、ひとつ伸びをする。  やられたらやり返す、そうしたいのならばすれば良いのだ。そして、その言動の帰結した先で笑おうが泣きを見ようが自身が招いた結果なのだから受け止めれば良い。  そう、達観していると言うよりは冷徹な目で睥睨しているような言葉を笑み交じりに呟いた後、ハイバックチェアから立ち上がる。  結局、一口も飲まなかったバーボンをボトルに戻すのも面倒だったため、トレーラーハウスの砂利部分に捨て、焚火だけを残してハイバックチェアを畳み、テーブルの上のものを取り出したクーラーボックスに戻す。  真冬のひとりの夜、酒を飲みながら愛する人の言葉について考えようと思っていたが、焚火の熱と光に引き寄せられた珍客が立ち去った方へと顔を向け、何だと言いたげに見上げてくるデュークと目を合わせると、片付けをして寝るぞと肩を竦めるのだった。  リアムの顔を見ながらのビデオ通話の翌日、今日もオペに診察に同僚達とのディスカッションを終え、精神的な疲労感を強く覚えながら帰宅した慶一朗は、昨日のようにシャッターが上がるのを、ステアリングに顎を載せてぼんやりと見守っていた。  慶一朗が今乗っている鋼鉄の荒馬は、二人が目下最大にして最悪のケンカをした後、そのケンカの発端となったケネスやラシードを中心に、慶一朗も資金を提供して購入したもので、リアムの愛車の最新モデルだった。  今回の男二人旅にこの車ではなく慶一朗の愛車に乗っていくと教えられ、お前がそう望むのならと愛車を交換したのだ。  新車の乗り心地は最高だった。だが、シートの位置やリクライニングの角度から、この車をメインで運転するのが自分ではなくリアムであることを感じ取っていた。  己よりも少し下げられていたドライビングシートは、悔しい事にリアムの足の長さを実感させ、背もたれの角度も身体の厚みを教えてくれるような角度だった。  運転席のそこかしこからリアムを実感していた慶一朗は、体格で負けている事に悔しさを覚えるよりも、リアムが乗っていった己のセダンは窮屈ではないのかと考えて苦笑してしまう。  そして、その苦笑が顔から消える直前には、慶一朗ではなく本来の持ち主のサイズに早くシート位置や背もたれの角度を合わせたいなと、ステアリングのセンターに書かれているロゴを見つめて嘆息し、昨夜今回初めて告げた言葉を再度口にする。  シャッターが上がり、自宅に入るドアと反対側の壁際に車を進めた慶一朗だったが、デュークの鳴き声が聞こえた気がしてドアに目をやり、見える筈のドアが見えてこないことに気付いて目を瞬かせる。  ドアの前にどうして視界を遮る赤い物体があるのか。  何かドアを塞ぐようなものを購入しただろうかと、ここ数日の己の行動を振り返り、何も買っていないと疑問を否定しつつリモコンを押してシャッターを下ろす。  そのシャッターが地面に接した音を聞きながら運転席のドアを開けてステップに足を掛けて降り立つ。  その時にはドアの前の赤い物体が何であるのかを脳味噌が理解し、荷物を車に積んだままドアノブを掴んで勢いよく開け放つ。 「……お帰り、ケイさん」 「バウっ!」  呆然とドアノブを掴んだままの慶一朗の前、はにかんだような笑みを浮かべて両手を大きく広げるリアムと、子犬の頃のように飛び跳ねながら嬉しそうに吠えるデュークがいた。  やっと帰ってきた。遅すぎるぞ。もう満足したのか。  リアムを送り出してからの日々、ふと手を止めると考え込んでしまう言葉と、それが齎す明るくない未来予想図を思い出すが、毎日夢に見ていたリアムが目の前にいる現実に目眩を覚えたように細い身体がぐらりと傾ぐ。 「ケイさん!」  咄嗟に広げた両手で慶一朗を支えたリアムだったが、聞き取れない言葉が腕の中から聞こえてきたかと思うと、リアムが着ているオフホワイトのシャツの胸元を両手で握りしめられ、身体が傾いだ拍子に眼鏡を落とした慶一朗がもどかしそうに口を開閉させる。  間近で見つめる慶一朗の端正な顔に浮かんでいる雑多な感情。その全てを読み取れないが、その中でも最も雄弁に語られる感情に目を細め、指の腹で目尻をそっと撫でた後、同じ場所にキスをする。 「――ただいま、慶一朗」  その言葉に慶一朗の細い背中がひとつ揺れるが、小さな子どものように飛び上がってリアムに抱きつき、さすがにそれを支えきれなかったリアムがその場に尻餅をついてしまう。 「おっと」  それでも慶一朗がソファや壁に身体をぶつけないように気を付けつつ床に座り込んだリアムは、きついぐらいの力で背中を抱きしめられ、言葉には出されないが帰宅した事を喜んでくれているのだと気付くが、押し倒されて己に馬乗りになる慶一朗の薄く色付く頬を両手で挟んで頭を持ち上げる。 「デュークと一緒に帰ってきた」 「……っ!」  そんなこと見れば分かると言いたげな顔で睨まれるが、頬を包んでいた手で頭を抱き寄せると、押し倒した強さが嘘のように素直に引き寄せられてくる。  久し振りに感じる慶一朗の少し低い体温、記憶の中とは違っている匂いにリアムがきつく目を閉じる。 「……お帰り、リアム」 「うん……帰ってきた」  多分あなたが見送ってくれたときと比べて俺らしくなったと思うけれど、どうだろうか。  戯けた風に問いかけるリアムから少し離れて見下ろした慶一朗は、記憶の中よりも伸びている髭を両手で撫でて顔の輪郭を確かめると、髭に覆われている顎、頬の高い場所、鼻の頭、額の順にキスをし、最後の期待に持ち上がっている口の端に小さな音を立ててキスをする。  互いの体温を、匂いをこうして間近で感じられる歓喜が二人の身体を震わせるが、今はそれを言葉にすることがどちらも難しかったようで、今夜のディナーという、ある意味どうでも良い話題を慶一朗が口にする。 「……今日は、サーモンを温めて、お前がしてくれたようにソースを掛けようかと思ってた」  だからではないが、サーモンと温めた野菜に合うソースのアドバイスをくれと、この数日、リアムにひとつでも自慢できる何かを作ろうと必死だったことをおくびにも出さないで慶一朗が口の端を持ち上げると、驚いたように目が丸くなった後、ああ、と思わず感嘆の声がこぼれ落ちる程の笑みがリアムの顔を彩る。  ああ、戻ってきた。  その言葉を慶一朗が零そうとするが、それよりも先に震える唇が重なった為、広い背中を抱きしめるために両手を広げると、見下ろしていた顔を見上げるようにリアムが寝返りを打つ。 「サーモンだったらイチオシはスイートチリソースだけど、クリームチーズとハーブを混ぜたものをディップしても良いかもしれない」  けれど、そんなアドバイスは後でいくらでも出来る。  慶一朗を見下ろしながら呟いたリアムは、顔中に笑みを広げながら額に額を重ね、鼻の頭を何度か擦り合わせた後、再度キスをする。  重なった唇から流れ込む感情に慶一朗がきつく目を閉じ、広い背中を抱きしめ、撫でた後に再度抱きしめる。 「……ただいま、ケイさん」 「……うん」  互いの腕の中に互いの温もりを抱きしめ、どちらもその言葉を口にするのが精一杯だったが、そんな二人に向け、不満を訴えるようにデュークが激しく吠える。  リアムの頬にキスをして身体を起こした慶一朗は、胡座をかいて座り込んだその場でひとつ手を打ち、デュークに向けて両手を広げる。 「ヘイ、デューク。どうしてホットヘッドになってるんだ?」  久し振りに再会したのにご機嫌斜めなのか。       その言葉と慶一朗の笑顔と広げられた両手にデュークの尻尾が音を立てて左右に振られた後、その場でジャンプを決めて広げられた腕に飛び込んでくる。 「……っ!」  リアムと違って身体を鍛えていない為、黒と茶色の40キロオーバーの弾丸を受け止めることが出来ず、その勢いのまま背後に倒れそうになった慶一朗だったが、いつまで経ってもフロアの堅い感触が身体に訪れないことに気付き、デュークを撫でながら顔を巡らせる。  フロアと慶一朗の間、当たり前の顔で当たり前のようにリアムが座り込み、身体を支えてくれていたのだ。 「デューク、はしゃぎすぎだ」  お前が嬉しいと思っているのと同じかそれ以上に、俺も嬉しいんだ。  慶一朗を背後から抱きしめ、バウバウと不満を訴えるように鳴くデュークをじろりと睨んだリアムだったが、慶一朗が咳払いをした事に気付いて顔を覗き込む。 「Ja, ja, scho recht, scho recht.」  はいはい、分かった分かった。  俺を挟んだ前後でガウガウ吠えるな。  前方の大型犬と背後の超大型犬を同時に宥める言葉を口にした慶一朗だったが、片手でデュークを、片手でリアムの頭を撫でる。  この光景もたった数日間とは言え喪われていたのだと思い出すと身体が震えてしまう慶一朗だったが、それに気付いたリアムがそっと抱きしめ、頬にキスをする。 「……腹が減った、ディナーにしないか」  このまま居心地の良いリアムの腕の中にいたかったが、仕事の疲労を解消するためにもお前の手料理を久し振りに食わせてくれと慶一朗が背後に笑いかけると、喜んでと嬉しそうな声が返ってくる。  同時に立ち上がり、デュークの頭を撫でた慶一朗は、リアムと一緒にディナーの準備をするから遊んでいろと頭にキスをし、その言葉に素直に従うデュークを本当にお前は良い子だと褒める。  そんな慶一朗の腰に腕を回し、うん、あいつは本当に賢くて良い子だと、さっきは啀み合うような声を出していたリアムが笑い、さあ、ディナーの準備に取りかかろうと二人でキッチンに向かうのだった。  久し振りにカウンターに料理が並び、二人で食べているのに賑やかな空気がキッチンを中心にリビングにまで広がっていく。  その空気はリビングとトレーニングエリアを区切っている本棚にまで届き、二人とクララが一緒に映っている写真を包みながら家中に満ち、心なしか写真のクララの顔の笑みが深くなったような気がするのだった。  
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  ただいま、ケイさん。
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