朝一番のオペをそつなくこなし、珍しくカフェテリアに向かうのは、昨夜の悪夢の残滓を瞳の奥に僅かに滲ませている慶一朗だった。
慶一朗がカフェテリアに顔を出すのは最近では珍しい事だった。
今日、慶一朗がここにいるのは、年に一度あるかないかの珍事が発生したからだった。
それは、リアムの寝坊だった。
昨夜の悪夢に叩き起こされ、最愛の家族――今ではその言葉の意味も分かるようになっていた――のリアムとデュークに守られながら眠ったのだが、それを破ったのは、意趣返しのように夢の中にまで響いてきたリアムの絶叫だった。
一瞬で目を覚まさせるそれに飛び上がり、声の方へと顔を向けると、アナログ時計を手に取ったリアムが蒼白な顔で座り込んでいて、朝食を強請りにきたデュークが少し低い声で唸りながらリアムの腿をひっかいていた。
『おはよう、ケイさん! 寝坊した!』
ジーザスと己を罵りながら飛び起きたリアムは、デュークの先導を受けながらベッドルームを出ていく。が、一声叫んで引き返してきたかと思うと、呆然としている慶一朗の頬におはようのキスをし、再度部屋を飛び出していった。
朝から珍しいものを見たと呟く慶一朗だったが、今日のランチボックスは諦めてくれと階下から叫ばれ、残念に思いながらも分かったと返したのだ。
今朝の騒動を思い出しながら、このカフェテリアで唯一食べられる、エビとアボカドのサラダとコーンスープを注文し、トレイに載せたそれを片手にテラス席へと向かう。
そんな慶一朗の背中に、今日はこちらですかと朗らかな声が投げかけられ、テーブルにトレイを置きながら振り返る。
「そうなんだ」
慶一朗を呼んで笑みを浮かべているのは、朝一番のオペもアシスタントドクターとしてテキパキ働いてくたファルケだった。
彼が持つトレイにはファルケの体格を思えば、俄かには信じられない程の料理が載せられていた。
それだけの量を本当に食べるのかと思いつつ、にこにこしているファルケに一緒に食べないかと誘うと、これ以上はないと思えるほどの笑みが顔を彩る。
その素直さに少しの羨望を覚え、いつもはランチボックスだろうと問いかけながら腰を下ろすファルケに、今日はリアムの寝坊という珍事があってここに来たと肩を竦め、コーンスープのカップを手に取る。
「今日の午後は病棟の診察でしたよね」
「そうだな」
ファルケが美味しそうに食べるのを見守っていた慶一朗だったが、その脳裏に浮かんでいたのは、リアムが毎日持たせてくれているランチボックスだった。
慶一朗の食に対するワガママ――それは何も食だけではなかった――に応え、苦手な野菜も食べやすく工夫して持たせてくれていた。
ランチボックスはごくありふれたコンテナタイプのもので、慶一朗が好きなマフィン――これは甘いものではない、いわゆるイングリッシュマフィン――や、バケットを使ったサンドイッチが多いためか、ボックスの蓋がカッティングボードになっていて、食べるときに切り分けるのに役立っていた。
その蓋を開けた時、今日はどんなサンドイッチが姿を見せてくれるのか、それとも今日は全粒粉のパンと分厚いハムとソーセージだろうかという、期待に満ちた心を満足させてくれる瞬間が訪れるのだ。
そんな瞬間など、リアムがランチボックスを持たせてくれるまで経験したことがなかった。眼下のトレイを見ながらそれが失われている事に気付き、脳裏で申し訳なさそうに眉尻を下げ、行ってこいのキスで送り出してくれた顔に不満をぶつける。
ランチタイムを楽しみにさせてくれる、それを持たせてくれることがどれほどの贅沢だったかに気付き、それでも習慣が失われた事にだけ不満を覚えるものの、仕方がないと一つ溜息を吐いてスープを飲むが、目の前でランチを食べているファルケに聞いてみたいことが脳裏に浮かぶ。
「なあ、ホアキン」
嬉しそうにランチを食べるファルケを呼んだ慶一朗だったが、笑顔が生真面目な表情に切り替わったかと思うと、先生が良ければホアコと呼んでくださいと告げ、意外な言葉に慶一朗が眼鏡の下で目を瞬かせる。
「ホアコ?」
「はい。――オペの時や仕事中はホアキンで問題ないです。でも……」
こうしてランチを食べている時は、出来ればそう呼んで欲しい、友人達は皆そう呼んでいるから。
小型犬が何かを強請っている様を彷彿とさせる顔で見つめられ、口元に握った手を当てて小さく息を吐いた慶一朗だったが、片目を閉じてじゃあ俺もケイで良いと返す。
「ハイ!」
「……ホアコ、一つ聞きたいことがある」
「何ですか?」
「前に犬を飼っていたと言ってなかったか?」
サラダを食べながらの慶一朗の言葉にファルケが目を見張った後、実家で飼っていましたが、飼っている犬に何かあったのかと小首を傾げる。
「ああ、……恋の季節だと言われた」
あまり味がしないサラダを食べた慶一朗が、昨日リアムから聞かされた事を口にすると、ああ、発情期ですかとさらりと返されて目を瞬かせる。
「一般的に、発情期が来たら手術をするものなのか?」
「どうでしょうか。うちはしてましたね」
僕が家を出るまでに飼っていた犬はすべて去勢なり避妊手術をしていたと教えられ、慶一朗がそうなのかと返すと、ファルケが当たり前の顔で小さく頷く。
「両親が無責任なことは出来ないと良く言ってました」
犬や猫は人と違って多産なことが多く、生まれた命に対して無責任なことだけはしたくないとの思いから、去勢や避妊をしていたと続けるファルケに目を伏せた慶一朗だったが、もしかしてデュークのことで悩んでいるのかと問われて頭を上下させる。
「子供を産ませるつもりはない?」
「リアムが真剣に考えないといけないと言っていたから気になった」
「ジャーマン・シェパード二匹かぁ」
ケイの家の経済状況であれば、大型犬が二匹いても何も心配はないだろう。
ファルケが腕を組んで考え込んでしまうが、その前では慶一朗がルカとラシードの家にいるビクターを預かったときのことを思い出していた。
あの時はたった一晩だった。ジャーマン・シェパード二匹が、開け放った庭に出る窓から何度も出入りするだけではなく、リビングやトレーニングエリアなど所狭しと走り回った結果、家事全般何もしない筈の慶一朗ですら何も言えなくなるほどの光景が広がっていた。
恋の季節が到来しているデュークの子どもを産ませ引き取ると、たった一晩の悪夢のようなあの光景が毎日繰り広げられるのだろうか。想像するだけでデュークには申し訳ないが、子供について考えざるを得なくなってしまう。
迎え入れた当初は親友候補だったジャーマン・シェパードのデュークだが、今ではリアムも認める通り、手のかかる弟のような存在になっていた。
家族扱いをするつもりはないと話していたリアムですらそう感じるデュークだが、そのデュークの子どもを育てたい、見てみたいとリアムは考えないのだろうか。
唐突に思い浮かんだ疑問に対し、今の慶一朗は答えを用意できず、サラダを食べる手が自然と止まってしまう。
「あ、でも、僕の友人は大型犬を多頭飼いしてますよ」
「そうなのか?」
ファルケが慶一朗の突然の沈黙に何かを感じたのか、自身の友人の話題を持ち出し、我に返った慶一朗がその気遣いに感謝しつつ小首を傾げる。
「ええ。ゴールデンを4頭」
「ゴールデン……帰ったらリアムに聞いてみるか」
ファルケが肩を竦めつつ口にしたゴールデンという犬種の想像がつかず、家に帰ってリアムに聞いてみようと苦笑した慶一朗は、早く食べないとランチタイムが終わると気づく。
リアムのランチボックスに比べれば味も何もないそれを何とか腹に収め、ファルケにとっては適量だったらしい料理をすべて平らげた部下と一緒に、午後の仕事も頑張るかと笑いあいながらカフェテラスを出るのだった。
リビングのソファに、いつもとは違って慶一朗が腰を下ろし、そんな慶一朗と向き合うようにフロアにクッションを置いて座ったリアムは、デュークを呼び寄せると、己の足の間に座らせる。
腹話術師とその人形のように、デュークの前足をリアムが手に取り、旗揚げゲームを始めたかのように遊び始める。
いきなり始まったそれにデュークが嬉しそうに吠え、こら、吠えるなとリアムが微苦笑混じりに告げると、慶一朗がデュークの前足の動きに目を細める。
「なあ、ケイさん」
一頻りデュークの前足で遊んだ二人だったが、リアムがそっと慶一朗を呼んで上げられる端正な顔に頷くと、昨日の話をしても良いかと切り出す。
その言葉は慶一朗が帰宅した時から胸の中にあったもので、己の好きな料理が並ぶカウンターに座ったときから、いつ切り出されるかと僅かに緊張していたものだった。
今日はリアムが寝坊をした為に、最近覚えたランチタイムの楽しみを奪われたと、帰宅直後にただいまのキスの前に不満を訴え、ごめんと何度も謝罪のキスをされてやっと溜飲を下げたが、その後、カウンターに並べられた料理を食べたのだ。
その時も特に昨日の話題が上ることはなく、ファルケとの会話を思い出しながら、いつそれを切り出そうかとも考えていた慶一朗だったが、リアムが切り出してくれた安堵に胸を撫で下ろす。
「……うん」
「ダンケ。……デュークが今も吠えていたけど、それは昨日も言ったように発情期の雌が近くにいるからだと思う」
「そうなのか?」
「うん」
人と犬という違いはあれども、生物の本能は自身の遺伝子を後世に伝えるためにあると、遙か昔に生物の授業で習った後は意識することのなかった本能について話すリアムをじっと見つめ、その話題の帰結先をぼんやりと想像する。
「俺たちにも経験があるだろう?」
思春期の頃からピンナップやヌード姿に鼓動を早めただろうと問われ、リアムが覚えたその胸のときめきを慶一朗は覚えた事がないと思いつつも、目の前で今デュークの前足を相変わらず人形のように上下させたり左右に振ったりと、まるでいつもの己のような行動をしているリアムの姿を見ると、鼓動が跳ね上がることを思い出す。
もしも今リアムが口にした感情がそれなら理解は出来ると頷くと、うんと嬉しそうに目が細められる。
「デュークもそろそろそんな年頃だ」
本当ならもう少し早く出る症状だが、デュークは奥手なのかもしれないなと笑うリアムに、釣られたように慶一朗も肩を揺らしてしまう。
「それを発散できないときの辛さも分かるよな」
そう問われて勿論と頷いた慶一朗は、ソファから滑り降りると、デュークを挟んでリアムと向かい合う。
「デュークは俺たちが飼うと決めた」
管理という言葉は好きじゃないが、デュークが生を全うできるようにしてやる義務がある。
生真面目なリアムらしい言葉に頷いた慶一朗は、リアムに代わってデュークの前足で手遊びするように握りしめる。
いつもならば二人のすぐ近くで遊んでいるデュークだったが、今夜は二人が構ってくれることが嬉しいのか、尻尾をブンブンと振りながら遠吠えをし、こらとリアムが窘める。
「子どもを産ませるのが自然だけど、解決しないといけない問題がある」
問題というか課題だなと言い直したリアムは、その課題はと慶一朗が問い返したことに頷き、ビクターを預かったときの事を思い出してくれと苦笑する。
「……それは、俺も思った」
「うん。正直シェパードを二匹飼う自信はない」
多頭飼いをしている人にしてみれば、飼い始めればどうにでもなると言うかも知れないが、そんな無責任にも思える気持ちでデュークの子供を飼うことは出来ない。
生真面目で真摯なリアムの言葉に慶一朗も全面的に賛成できると頷くが、今日のランチタイムにファルケと話していたときに浮かんだ疑問が再度浮かび、お前はデュークの子供が欲しいと思わないのかと、微かに震える声で問いかける。
「……正直、子供を見てみたい気持ちはある」
でもその気持ちだけで突っ走り、いざ子どもを迎えたとき、飼えないからと放棄は出来ない。
穏やかな声で断言され、リアムの中では悩みながらもひとつの解答に辿り着いたのだと気付く。
「俺たちが迎えたのなら、責任を持ちたい」
「うん」
「俺はそう思ってるけど、ケイさんはどうだ?」
俺と意見が違って当たり前だが、あなたはどうだろう。
二人と友人達をも巻き込んだ慶一朗の拉致監禁事件。それ以降、あの事件を思い出させるような話題は極力避けてきたが、今は避けて通れないと気付き、一度伏せた顔を上げる。
そこには、己を全面的に信頼しながら見守っているリアムと、その足に座って嬉しそうな呼吸を繰り返すデュークがいて。
「……俺も……見てみたい」
俺たちとデュークとその子供。ペットを家族に含めて良いのかは分からないが、四人で作る家族を見てみたい気もする。
慶一朗が臆さず気張らず、己の中にある言葉で本心を口にすると、リアムの顔に笑みが浮かぶ。
「うん、そうだな」
確かに、ここにもう一人という言い方は奇妙だけど、子供がいる光景見てみたい。
リアムがデュークをハグしながら笑うと、首を捻ったデュークがリアムの頬を舐める。
「家族、か」
デュークの好きにさせながらリアムがぽつりと呟いた言葉に慶一朗が軽く目を見張り、どうしたと先を促すと微苦笑しつつ家族かと再度同じ言葉が零される。
「リアム?」
「うん。……確かにデュークを家族と数えるには少し抵抗があるけど、何をするにもデュークを頭数に入れてしまっていたなぁって」
先日、職場で何かのアンケートに回答したとき、家族構成に俺とケイさん、そしてデュークと書きそうになったと笑ったリアムに慶一朗が目を見開く。
最初は親友候補で迎え入れたが、気が付けばなくてはならない存在になり、今では無意識に家族としてカウントしてしまっていると続けるリアムに、慶一朗もその気持ちは理解出来ると微苦笑する。
「今じゃ手の掛かる弟って感じだな」
「そうだな」
「……俺とケイさん。そしてデューク」
生まれも育ちも全く違うし、その上デュークは人ですらない。それでも家族と思えるようになった。
リアムの独白に慶一朗も理解出来る顔で頷くが、手の掛かる弟と繰り返すと、そう思わないかと同意を求められる。
「こんなに大きな図体をしていて、でもすごく甘えん坊だ」
リアムが笑いながらデュークの顔を両手で挟んで額に額を重ねると、嬉しそうな鳴き声を上げてリアムの顔をべろりと舐める。
止めろと笑うリアムの顔は満更でもない顔で、本当に甘えん坊だと笑うが嫌ではないのだろうと気付いた慶一朗だったが、もう一つ気付いた事があり、肩を揺らして笑い出してしまう。
「ケイさん?」
「確かに誰かさんそっくりで、大きな図体をして甘えん坊だな」
慶一朗が心底楽しそうに、だが少しだけイジワルな笑みを顔中に広げる様にリアムがデュークと目を見合わせ、言葉の意味を理解した瞬間、目尻を赤く染めてぐるるるると低い唸り声を上げる。
それに我慢出来ないと慶一朗が背後のソファの座面に突っ伏して笑い出し、リアムがこの野郎と一声吠えて細い背中に覆い被さる。
己を超大型犬扱いする慶一朗に覆い被さり、この野郎と珍しく乱雑な言葉を吐きながら慶一朗の腹を擽ると、笑いと悲鳴が混ざり合う声がリビングの天井と床を反復する。
「ははは、止めろ、リアムっ!」
身を捩る慶一朗の笑い声にリアムが小さく叫び、レスリングの寝技を掛けるように痩躯を抱きしめ背後に倒れると、慶一朗がギブギブと手をフロアに叩き付け、それを不思議そうに見ていたデュークが、一声吠えてソファに飛び乗る。
そして、威厳たっぷりに、威圧感すら覚える顔で二人を見下ろすが、それに気付いたリアムが制止の命令を発し、慶一朗が横に転がるが、もう一度吠えたデュークがソファから飛び上がる。
「ぐふっ!」
「リアムっ!」
嬉しそうにジャンプした40キロオーバーの毛玉がリアムの腹の上に飛び降り、その衝撃を受け止めたリアムの口からくぐもった悲鳴が上がる。
リアムの腹の上でビシッと背筋を伸ばすデュークだったが、早く下りろと慶一朗に慌てて命じられ不思議そうに首を傾げると、リアムが先程のようにデュークの前足を掴み、この野郎と呟きながら上体を起こす。
「こーの、イタズラ小僧!」
リアムの様子から我が身の危機を感じたらしいデュークが、助けを求めるように顔を振り向け、自業自得だと慶一朗が腕を組む。
デュークの断末魔のような悲鳴を聞き、イタズラばかりするからだとリアムが怖い声を出すと、みるみるうちにデュークの耳と尻尾がしな垂れてしまう。
「Ja ja ja! 終わりだ、二人とも!」
その言葉にデュークが耳を右左右へと忙しなく動かし、リアムも鼻の頭を引っ掻いた後、慶一朗に向けて小さく両手を広げる。
それが二人の間での謝罪の合図だと気付いている慶一朗が鷹揚に頷いた後、先程のデュークと同じようにソファから飛び上がってリアムの腕の中に飛び込む。
今度はさすがに心構えが出来ているからと、何が何でも慶一朗をフロアに落とすことを良しとしないリアムが気合いを入れて痩躯を抱き留め、細い背中を抱きしめて浮かれてしまったと謝罪をする。
「なあ、ケイさん」
「何だ?」
リアムの髭に覆われている頬を両手で挟んだ慶一朗が、そっと名を呼ぶリアムの鼻の頭にキスをし、どうしたと先を促すと、ヘイゼルの双眸が左右に揺れた後、弟を作るのはどうだろうかと問われて眼鏡の下で目を瞬かせる。
「弟?」
「うん」
大型犬をもう一匹飼うのは物理的に無理があるが、小型犬ならば多分大丈夫。
慶一朗をソファに座らせたリアムが冷蔵庫から水のボトルを取り出し、まずは慶一朗にそれを飲ませ、自らも喉の渇きを潤した後、同じように水を飲みに向かったデュークを見つめ、慶一朗の隣に腰を下ろす。
「俺とケイさんとデューク。そこにもうひとり、小型犬を迎え入れるのはどうだ」
リアムの提案に慶一朗が考え込むように天井を見上げるが、その手は無意識にリアムの大きな手を掴んで胸元に引き寄せていた為、されるがままになっていると、ぽつりと言葉が零れ落ちる。
「……弟、か」
「うん」
現状は一人っ子のようなものだ、だから弟を迎えればデュークも寂しくないだろうし、去勢という選択をしたことに対する後悔も必要以上にしなくて済むのではないかと続けられ、それもそうかと慶一朗が天井を見上げたまま呟く。
ペットとして家に迎えたデュークだが、その生が終わりを迎える日は自分達よりも早くやって来るだろう。
だからその日が来るまでは、迎え入れた者の責任として最後まで世話をすることを決めていたが、自分達の都合で後世に遺伝子を残さないという選択をさせてしまうのだ。
ならば、デュークが少しでも寂しくないようにしてやろう。
天井から隣へと視線を戻すと、慶一朗の横顔をじっと見つめる視線に気付くが、その視線の主が同じ気持ちであることにも気付く。
ファルケの両親ではないが、自分達が抱えられるものには限りがあるのだ。
残念ながらデュークの子供を抱えることは出来ないが、新たに小型犬を迎え入れ、デュークの弟として暮らすことは出来る筈だった。
「……うん」
「じゃあ、デュークの弟候補を探そうか」
「そうだな」
リアムの視線を受けて小さく頷いた慶一朗は、今はリアムに世話の大半を任せているが、俺に出来る事を教えてくれと小さな声で告げると、リアムの顔に驚愕の色が浮かび、次いで真夏を連想させる笑みがじわじわと広がっていく。
「うん、じゃあケイさんにはデュークと弟をイケメンにしてもらおうかな」
今まで通り、こうして寝るまでの間のリラックスタイムにブラッシングをしてやって欲しいと笑われ、それぐらいならと慶一朗が少し呆然とした顔で返すと、デュークがテーブルの下から籠を引っ張り出してくる。
「ワン!」
二人の前に籠を運んできたかと思うと、その場で腹を見せて寝転がってしまう。
「……お前がイケメンにしてやって欲しいなんて言うからだぞ」
デュークが腹を見せて早くと強請るように前足で慶一朗の足を軽く引っ掻き、それを受けた慶一朗がリアムをじろりと睨むと、睨まれた愛嬌のある顔が明後日の方へと向けられてしまう。
「仕方ない……ヘイ、ワガママボーイ、イケメンになるか?」
やれやれと溜息をつきながらソファから滑り降り、デュークの横に座り込んだ慶一朗は、スリッカーを片手ににやりと笑いかけると、腹を上に向けていながらもデュークの尻尾がブンブンと左右に振られる。
慶一朗のブラッシングを受けながらデュークが嬉しそうに目を細め、その姿をソファでリアムが見守っているが、そこにもう一匹――やはり犬をもうひとりと数えることにリアムは抵抗があった――小型犬が加わる光景を思い浮かべる。
リアムの脳裏に、言葉では言い表せない平和な世界が広がり、その中に己が飛び込む姿も想像するが、拒絶されることなく歓迎される姿もありありと思い浮かび、自然と笑みを浮かべてしまう。
「小型犬はどんな犬にしようか」
デュークを迎え入れたときのようにブリーダーを探しても良いし、次は保護施設から引き取っても良いだろう。
浮かれている事が分かる明るい声でリアムが問いかけ、慶一朗が保護施設と返す。
「うん、色々な事情があって引き取った犬の世話をしている団体だな」
そこには純血種から雑種と呼ばれる混血種がいるだろう、そのなかで一目惚れした犬を弟に迎え入れても良いと笑うリアムに慶一朗もそうかと返すと、スリッカーからブラシに持ち替え、今でも艶やかな毛並みをしているデュークの毛をブラッシングするのだった。
昨日とは全く違う、二人と一匹の穏やかな時間、何処かホッとしたように夜空を流れる雲が頭上をゆっくりと風に乗って流れていくのだった。
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