その日は冬の寒さを忘れさせてくれるような日差しが窓から入る一日で、大きな窓を背負ってデスクに腰を下ろしているテイラーが、顎の下で手を組み、背後を肩越しに振り返りながら今日は暖かいなと呟く。
その声にそうだなと返したのは、デスクとドアの間にある応接セットのソファに、まるで己が部屋の主だと言いたげな態度で腰を下ろしている慶一朗で、部下であり友人でもある男の端正な顔を見つめたテイラーは、何かを言いたげに口を開くものの、その口から出てくるのは溜息だけで、人の顔を見ながら溜息を吐くなと憎まれ口を叩かれてしまい、思わず眼下にある物体を握りしめてしまう。
テイラーが手に力を込めた瞬間、顔の下からだみ声としか言い表しようのない悲鳴が響き、脱力感に襲われたテイラーの額がデスクにごつんとぶつけられてしまう。
「大丈夫か、ジャック」
痛そうな音が聞こえたぞと、ソファで足を組み替えた慶一朗が呆れたように問いかけると、大丈夫だという代わりに勢いよく顔を上げたテイラーが手の中に握っていた物体を再度握りしめ、代弁する様にだみ声の悲鳴が上がる。
Aという音に濁点を付けたとしか表せない悲鳴を上げるそれは、キーウィフルーツに手足が生え、丸い目も生えるだけではなく、ボディをまるで口のようにぱかっと開閉させたぬいぐるみーご丁寧なことにグリーンのキーウィフルーツとゴールドキーウィと呼ばれる黄色のボディの二組ーで、大きさは成人男性の掌にならばすっぽりと収まりそうな程よい大きさだった。
それを両手に握りしめたテイラーが、だからお前はどうして海外に行くたびに訳の分からない土産を買ってくるんだと、デスクの表面を這うような低い声で問われ、訳が分からないなど心外だと慶一朗が眼鏡を押し上げる。
「なあ、教えてくれ、ケイ」
「何だ?」
「お前、僕のことが嫌いなんだろう? なあ、そうなんだろう?」
だから前はだみ声で歌う熊のぬいぐるみで、ケアンズの時にはショッパーに押し込められたカエルのぬいぐるみを買い、そして今回、この意味の分からないキーウィフルーツの妖精もどきのぬいぐるみを買ってきたのだろうと、両手でだみ声を発生させながらテイラーが叫ぶと、慶一朗の顔がさらに心外だと言いたげな色に染まる。
「心外だぞ、ジャック。こんなにもお前を愛しているのに」
「息を吐くように嘘をつくな!」
本当に愛しているのならどうしてこんなぬいぐるみを、と、己の手の中のキーウィフルーツの妖精を三度両手で握りつぶし、左右の手の中から上がるだみ声にがっくりと肩を落とす。
「喜んでもらえて良かった」
ハネムーン先のニュージーランドで見つけたが、ルカやラシード達もお前と同じように喜んで涙を流していたと、ソファから立ち上がってテイラーのデスクの端に尻を乗せた慶一朗がにやりと笑う。
「絶望の涙の見間違いだろう」
「どちらにしても涙に変わりはないな」
いや、大きく変わるだろうと言いたげなテイラーだったが、スクイーズのように握りつぶされているキウィブラザーズをデスクに座らせて形を整えると、ハネムーンはどうだったと話題を変えるように問いかける。
「ああ、楽しかった」
目的にしていたオーロラを見るだけではなく、流れ星や人工衛星が進むのも見ることができた、星を見るときに想像できる天体現象のすべてを見れた気がすると目を細めると、オーロラかぁとテイラーが遠い昔を思い出すように天井を見上げる。
「そこで知り合ったフォトグラファーがいたが、彼の兄がドイツで世話になった人だった」
「は!?」
ドイツでリアムが有名なレストランの予約を忘れるという失態を犯した結果、偶然やって来た人に席を譲ってもらった話は慶一朗から聞かされていたテイラーだったが、その人と所縁のある青年にニュージーランドで会うなど、一体どんな善行を積んだ結果なんだとテイラーがキーウィの頭を指でぐりぐりと撫でながら逆の手で頬杖を突く。
「善行を積んでいるのは俺じゃない、リアムだ」
「……それもそうかぁ」
確かにお前が善行を積んでいる姿など見たことも聞いたこともないと肩を竦められ、うるさいと脊髄反射のように返すが、その言葉がテイラーに届く前に慶一朗が口元を手で覆う。
そのしぐさの意味を正確に理解しているテイラーがやっと反省できるようになったかと笑うが、表情を切り替えたあと、リアムは本当に善行を積むために生きているようなものだなと続けると、慶一朗も眼鏡の下で目を伏せ、あいつこそ善意の塊だとぽつりとつぶやく。
俄かには信じられないほどの広い心を持つ巨人であるリアムを、慶一朗は出会ったころから人畜無害のマッチョマンと揶揄っていたが、その言葉の奥底にはリアムにだけ向ける情とリスペクトが存在していた。
それを感じ取ってくれているのかなど慶一朗には分からないが、それでも言い続けても呆れたように、だが嬉しそうに笑うことからしっかりと己の本心が伝わっているのだと思っていた。
そんな心の広い伴侶とのニュージーランドで過ごした時間は、慶一朗にとってはすべての記憶と引き換えにしても良いと思えるほどのもので、思い出すと同時にその時何を感じ、またリアムも何を感じていたのかを思い出せるものだった。
テイラーのデスクを撫でながら慶一朗が自然と口角を持ち上げたことに気付きつつも、こんな表情をするようになったのは本当に善意の塊であるリアムという男のおかげだとテイラーが胸中で感嘆の溜息を吐く。
上司である自分をそう思っていないと言いたくなるような言動をとる慶一朗だったが、テイラーにとっては異国から単身海を渡ってきた慶一朗から目が離せず、なにくれとなく世話を焼いた結果、今こうして一緒に働いているのだが、そんなテイラーですら慶一朗の今のような表情を見たことがなかった。
だが、今の慶一朗はそれを難なく出来る男と一緒にいるのだと改めて実感したテイラーは、土産はともかくとしてハネムーンが良い意味で一生記憶に残るもので良かったと笑みを浮かべると、慶一朗がソファに戻った後、掌に乗るサイズの変哲もない箱を手に戻ってくる。
「どうした?」
「そのぬいぐるみも土産だけど、こっちも土産だ」
そう笑って箱を差し出すと、何だと言いたげに箱を開けたテイラーの目が丸くなり、何かを確かめる様に慶一朗を見上げる。
「これは……」
「ノアの恋人がマオリ出身らしい」
だから彼に意味を聞いて買ってきたと、箱の中を指さした慶一朗がこれが本当の土産だと笑うと、テイラーの掌にペンダントトップを載せる。
「男女関係なく使えると思うから良かったらリズと一緒に使ってくれ」
ちなみにこれを選んだのは俺のハニィだと笑うと、お前のハニィは本当に心優しい巨人だなと笑い、これの意味はと問いかけるが、俺が覚えているはずがないだろうと胸を張られて再度肩を落とす。
「そうだったな、お前に聞いた僕がバカだったよ」
お前のハニィに礼を言いがてら聞くことにしようと溜息を吐くテイラーを見下ろした慶一朗だったが、ピコルアか何かだったと思うと告げると、ツイストしながらループしている形から、きっと人の絆や愛情などの意味があるんじゃないかとテイラーが顔の高さにそれを掲げて部屋の照明できらりと光らせる。
「多分そんな感じだろうな」
ちなみにルカやラシード、そしてもう帰国したが侯爵様にも同じデザインのペンダントトップやキーホルダーをプレゼントしたと慶一朗が笑うと、彼が来ていたのかとテイラーが軽く驚く。
「ああ。本当はイースターに来たかったが無理だったようだ」
だからその腹癒せにイースターホリデーが終わった後に仕事も兼ねて来たそうだと、帰国した翌日に再会した友人の貴族然とした顔を思い出しながら慶一朗が肩を竦めると、テイラーも同じような顔で頷く。
「その時にあいつや俺たちからリアムにプレゼントをしたんだけどな」
「どうした?」
慶一朗がその時の様子を思い出しているのか、肩を揺らしながら笑ったために言葉が続けられず、そんなに面白いことがあったのかとテイラーが僅かに身を乗り出す。
「サプライズを仕掛けて成功した」
かなり面白かったこと、そしてその後に心底嬉しそうな顔を見れたことは良かったと思い出し笑いから復帰した慶一朗が喜ぶ顔を見れて皆も喜んでいたと頷き、取り出したスマホの写真をテイラーに見せる。
その写真はリアムを中心に皆で撮影をしたものだったが、彼らの背後に並ぶ車に目敏く気付いたテイラーが真相を確かめる様に慶一朗とスマホを交互に見つめ、その通りと頷かれて天井を見上げる。
「本当に、どれだけの善行を積めばこんなサプライズを受けられるんだろうな」
「今まで一人で頑張ってきたあいつへ神様からのプレゼントだろうな」
「……スコットランドからやって来た神か?」
「中東の神もな」
二人の間だけで通じる言葉を交わして笑いあった上司と部下だったが、さて、あと少し仕事をして今日は帰ろう、明日も頑張って働いてくれとテイラーが上司の顔で慶一朗に告げ、大きく欠伸をしながらその言葉を聞き入れた後、じゃあと手を上げてテイラーのオフィスを出ていく。
細い背中を見送ったテイラーは、本当にどうしようもない男だが、善意の塊のそばにいるおかげで少しずつ人格が矯正されてきたんじゃないかと小さく笑い、なあ、どう思うと、並んで足を投げ出しているキーウィの妖精の頭を軽くつつくのだった。
二人が生涯忘れられない体験をしたハネムーンから帰ってきた翌週末、新旧二台の白いジープがシドニー市内にある自動車整備工場の敷地へと入ってくる。
その二台を驚愕の顔で出迎えたのはここの息子であり、今日この後の手続きが済めばアポフィスに行こうと約束をしたリアムの友人のラルフと、一足先にやってきて彼の両親や従業員と車の話題で盛り上がっていたフレデリックだった。
もう一人の友人のネイサンは都合が合わずにアポフィスで待ち合わせのため、二人が学生時代と何ら変わらない顔で同じように積み上げられている木箱に腰を下ろしていた時に入ってきたジープの音に顔を向け、そのままの姿勢で固まってしまう。
二台並んで停まったジープの運転席のドアがほぼ同時に開き、古い方からはゴツいワークブーツが見え、カーゴパンツの長い足も見えると、ドアの向こうに愛嬌のある髭面が見え始め、その横に黒と茶色のジャーマンシェパードの姿も見える。
そしてもう一台のジープーこちらはどこからどう見ても新車としか思えない煌めきを発しているボディを見せていたが、その運転席からはスキニータイプのデニムに包まれた細身の足が見え、ドアを静かに閉めながらサングラスから眼鏡に掛け替えた端正な顔が見える。
Hiyaと手を挙げる友人に木箱から慌てて飛び降りたフレデリックとラルフは、おいおいおいと捲し立てるように呼びかけながら新旧の愛車の前に並ぶリアムと慶一朗の前に向かう。
「手続きって車を買い換えたのか!?」
「お前がこの車を手放す日が来るなんて信じられないな!」
フレデリックとラルフの驚愕の声に皆が振り返り、ここで何度も目にしたリアムの愛車とそれに並ぶ最新モデルのそれに目を見張り、興味深そうに周囲を取り囲む。
「本当にお前は立派な男になったなぁ! この車、高かったんじゃないのか?」
手に付いているグリスを布で拭きながら感心感心と頷くのは工場の主でありラルフの父であるジェイムズで、その奥からはエイミーが顔を輝かせながら姿を見せる。
「立派な車を買ったねぇ!」
リアムの車に対する愛情を知っている人達からすれば寂寥感はあるが、同じ車種の最上級モデルと思われるそれを目前にすると、新車は良いねぇと皆が口々に新車を褒める言葉を口にする。
「実はこれ、プレゼントなんだ」
リアムがハニーブロンドに手を宛てながら照れたように告げた言葉が二人を取り囲んでいる人達の頭上を流れていった後、皆異口同音に声を上げる。
「はぁ!?」
「一体どこのセレブとお知り合いになったんだ!」
十万ドル近くする車をプレゼントしてくれるなんてどこの石油王だと笑うフレデリックにリアムが肩を組めた後、スコットランドの実業家だと笑い、その後慶一朗の肩に腕を回して髪に口付ける。
「アポフィスって名前の店を経営している二人と、世界一のイケメンの脳神経外科が一緒にプレゼントしてくれた」
リアムの心底嬉しそうな声に慶一朗が羞恥を覚えているのか、太い腕を摘まんで悲鳴を上げさせるが、そんな二人の前では友人達が違う種類の悲鳴を上げていた。
「はー!?」
「誕生日と結婚祝いで貰った」
「Whaaaat!?」
リアムのその言葉にフレデリックとラルフが絶叫するが、それが落ち着いた頃に一息つくと、学生時代から人の良さに磨きが掛かったような友人の笑顔に同じような表情を浮かべ、お前なら車の一台や二台プレゼントされてもおかしくないよなぁ、それどころか無人島を貰ったと言われても驚かないと笑い、ラルフも何度も頭を上下させる。
「驚きはするけど、お前なら納得出来るな」
「そうだな」
何しろお前は人が好すぎるからと笑う二人の顔には嫌味や嫉妬といった後ろ暗い感情は浮かんでおらず、11学年の頃に出会ったこの心優しき巨人のような友人の幸運を心底から祝うように肩や腕を叩く。
「でも家に三台も車は必要ないから、古い方を処分しようと思ってる」
もし誰か乗りたい人がいるのならその人に譲るし、売れそうなら売ってくれとリアムがラルフに告げると、少し考え込んだ後にフレデリックがサムズアップをしながら決めたと告げる。
「フレッド?」
「お前の車、俺が譲り受けても良いか、リアム」
フレデリックの言葉に皆が顔を向けてどういうことだと問いかけると、こほんと咳払いをしたフレデリックがリアムの肩をポンと叩く。
「そろそろ車を買い換えようと思っていたんだ」
「そうなのか?」
もしもお前が乗ってくれるのなら嬉しいと、古い愛車のエンブレムを撫でたリアムの言葉にお前には負けるだろうけど大事に乗るとフレデリックが胸を張る。
自分が大切にしてきたものを同じように大切にしてくれるという事実は嬉しいもので、それが友人ならば嬉しさは倍増すると笑うリアムにフレデリックが腕を組んで大きく頷く。
「ラルフ、新しい車のメンテナンスを頼んでも良いか?」
リアムの新しい愛車の未来が末永く続くためのメンテナンスを今まで通り頼むと告げると、ラルフとその左右にいたジェイムズとエイミーが任せろと請け負ってくれる。
安心して任せられる先があることは良いと隣にやって来た慶一朗の言葉に頷いたリアムは、書類の記入をしてくれと促されるが、大切なことを思い出したと言いたげにリアムがラルフを見つめ、メンテナンスの際でも悪いが助手席にだけは座らないでくれと告げると、その言葉に皆の足が止まる。
「どういうことだ?」
「うん、助手席はケイさん専用だから」
だから他の誰にも座られたくないと、外と同じような晴天を連想させる笑みを浮かべると、皆呆気に取られてしまう。
だが、患者の恋人に同じ事を言われても診察だからとその言葉を一笑に付すはずだ、今のその言葉はそれと同じだと目尻を赤らめた慶一朗が諭すようにリアムを睨むと、だって嫌だという一言が返ってきて絶句してしまう。
お前は一体どこの子どもだと慶一朗が目を吊り上げそうになるが、あんたがそこまで我儘を言いたい程大切なんだねとエイミーの声が響き、リアムの頭がブンブンと上下する。
「分かった分かった、メンテナンスでどうしても座らなければならないときはブランケットを敷いて作業をする」
それで妥協してくれとジェイムズが笑いながらリアムの頭をぐしゃぐしゃにし、呆然と友人の言葉を聞いていたフレデリックとラルフがその動きに釣られて肩を揺らし始める。
「リアムがここまで我儘になるとはねぇ」
「……これはネイサンにも言わないとな」
フレデリックとラルフが互いの肩を組んでニヤニヤと笑う姿にリアムがにやりと笑みを浮かべ、その隣で慶一朗が珍しく顔を赤くしたり青くしたりしながら、これ以上は言わないでくれと二人の口を塞ぐように手を伸ばす。
「ほら、そこで遊んでないで早く中に入りな」
エイミーが子どもを扱うように一纏めに呼びかけ、慶一朗以外はそれに慣れているために素直に返事をし、慣れていない慶一朗がどう返事をすれば良いのか分からないと言いたげに視線を落とすが、それに気付いたリアムがそっと肩を抱き寄せて頬にキスをする。
「新しい車のメンテナンスも任せられて安心だな」
「……そうだな」
色々言いたいことはあるが、兎に角これからも今までのように安心して車に乗れることは嬉しいなと、リアムの腰に腕を回した慶一朗が小さく笑い、二人並んで最後に事務所に入るのだった。
ラルフの家で愛車を譲渡するため必要な書類にサインを済ませ、この後アポフィスに行くから車を家に置いてから合流すると言い残して帰ったフレデリックを見送る。
ハネムーンはどうだったとジェイムズとエイミーに問われてラルフも交えてその話題で盛り上がったが、アポフィスに行く前に本屋に立ち寄りたいと慶一朗が伝え、仕事の邪魔をするのも悪いからとリアムが帰ることを伝える。
「ラルフ、また後で」
「アポフィスで合流な」
ネイサンもその頃には仕事が終わっているだろうしと笑うラルフと、その横で同じようににこにこして見守っているジェイムズとエイミーにも会釈し、真新しいジープの指定席に乗り込むと、クラクションを一つ鳴らして敷地から出ていく。
慶一朗が希望した本屋に立ち寄り、シートの間から頭を突き出すデュークの頭を無意識に撫でていた慶一朗だったが、今日このままアポフィスで踊りたいという思いとリアムを独占したいという気持ちを心の中で秤に掛けてしまう。
毎週末は親友がいる店で踊り、酒を飲んで心地良い気分で帰宅したり、親友の好意に甘えて店に泊まったりしていたが、今日はその楽しみよりも、有り体に言えばリアムの身体をソファなりベッドなりでクッションにしながら、さっき買ったノアの写真集を見たいという気持ちが強くなったことに気付く。
心の秤が一方に傾いたことを自覚し、アポフィスに行くのをやめたいと口に出そうとするが、今日はリアムの友人達に土産を渡す必要があったこと、アポフィスで会おうと約束をしたことを思い出し、己の我儘をそっと閉じ込める。
助手席の様子が少し変化をした事に運転席のリアムが気付いたが、変化の原因にまでは気付けず、何かあれば話してくれるだろうし、無理ならば言動の端々に現れるはずとのある種の楽観さを胸に、デュークの頭を撫でた延長ではないが、同じ方向にあると笑いながら慶一朗の柔らかな髪をそっと撫でるのだった。
約束通りアポフィスでネイサンとも合流し、慶一朗はいつものようにフロアに出向き、そんな彼を見送ったリアム達はテーブルを囲んでハネムーンについて盛り上がっていた。
初めて目にしたオーロラ、スターリンクという衛星がまるで夜空を渡っていくような光景、その中の流れ星など、目に焼き付いていた光景をその時の気持ちが伝わるような顔で話したリアムに、皆がそれぞれの想像力を発揮して楽しそうで良かったと顔を綻ばせる。
その様子をフロアで踊りながら時折見ていた慶一朗だったが、やはり今日は余り気分じゃないと気付き、早々にフロアを出てカウンターに向かう。
「どうした?」
カウンターの内側で別々の場所で楽しむ二人を見ていたルカが首を傾げるが、今日は何かが違う気がするから早く帰ると伝えられ、アイシャドウに彩られた目を大きく見開くが、慶一朗の様子から何かを察し、素直になることは良いことだと何度も頷く。
「ハネムーンから帰ってきて素直になったよね」
それは本当に良いことだと笑うルカをじろりと睨んだ慶一朗だったが、素直になっても良いのかと思わず零し、当たり前だろうと呆れたように返されてしまう。
「誰よりもきっとリアムがそれを喜んで受け入れてくれるよ」
だからお前の夫を信じなさいと片目を閉じるルカの頬を撫でてそこにキスを残し、ラシードにも伝えておいてくれともう一度キスをすると、リアム達が楽しげに話しているテーブルに近付く。
目の前の広く大きな背中は楽しげに揺れていて、その楽しみを中断させてしまう申し訳なさを覚えつつ、そっと背中から抱きつくと、リアムからは軽いが目の前の友人達からは盛大な驚きが伝わってくる。
それに羞恥を覚えつつもグッと堪え、盛り上がっているところを悪いと切り出すと、顎の下で重ねた手に手が重ねられ、どうしたと促す言葉が聞こえてくる。
「今日は何か分からないがリアムを独り占めしたいんだ」
だから悪い、話が落ち着いたら今日は帰ろうと、露骨な独占欲と思いながらも素直な気持ちを抑えられずに口にすると、リアムの手が慶一朗の頭にそっと触れ、それを見た三人がやれやれと言いたげに溜息を吐くが、今日は楽しい話を聞かせて貰いました、次はゆっくりと飲んで楽しみましょうとフレデリックが笑顔で頷き、ラルフとネイサンも同じ気持ちだと言うように頷いて慶一朗の我儘を受け入れてくれる。
「……お前達は本当に良い友人だな」
リアム自身が良い奴だから集まる友人達もそうなんだろうなと、三人にキスをしたい気分だと笑った慶一朗の言葉にリアムが三人に礼を言う。
「サンクス、フレッド、ラルフ、ネイサン」
リアムの言葉に三人も笑顔で頷き、また会おうと二人に手を振ってくれたため、申し訳なさを覚えつつも慶一朗がリアムの大きな手にそっと手を触れさせ、それに気付いたリアムがその手を取って軽く握り、カウンターの中から見守ってくれているルカにも手を振って店を出たのだ。
アポフィスで遊んだ割には早い時間に帰宅した二人だったが、デュークが夜の居場所だと言うように一人掛けのソファに登って満足げに溜息を吐き、慶一朗がリアムの手を引いてリビングのソファに向かうと、望んでいる事を察したリアムが肘置きにクッションを立てかけて背もたれにし、はいどうぞと言うように両手を広げる。
車内での様子と人前であのように抱きついてきた事から離れたくないのだろうと気付き、独り占めしたいという言葉から間違いはないと確信をしたリアムは、視線を左右に泳がせた後に己の腕の中に飛び込んでくる痩躯を抱きしめ、今日は甘えてくれて嬉しいと頬にキスをする。
「……そんな気分だった」
「うん、そんな時もあるよな」
日頃のあなたも好きだけど、あんな風に素直に甘えてくれるのももっと好きだなと笑うリアムの鼻をぎゅっと摘まんだ慶一朗だったが、素直になろうと小さく呟いた後、星に願いをしたのはこれから先もお前とずっと一緒にいられますようにというものだと慶一朗が告白し、リアムが端正な顔を両手で挟んで笑みを浮かべる。
「そっか」
「ああ」
永遠に一緒にいられるはずなどないが、それでもこの人生が終わりを迎えるその時、お前が傍にいてくれればと思ったと続ける慶一朗の額に額を重ねるように頭を持ち上げたリアムは、実は俺も同じ事を願ったと告白し、そうなのかと慶一朗が顔中に素朴な疑問を広げる。
「うん。俺とケイさん、デュークもずっと一緒にいられたらって」
当然今までのようにこれからも問題は起きるだろうが、それも一緒にいれば乗り越えられるだろうと笑うと、慶一朗がリアムの胸板に頬を押し当てるように身体を丸め、そんな痩躯をリアムがそっと抱きしめる。
「ケネスにも言ったけど、願いを叶えるには自分が動かないとダメだよな」
だから一緒にいたいと願ったのなら一緒にいられるように行動しよう、そうなるようにしようと笑うと、リアムの言葉に慶一朗がそっと頷く。
「ニュージーランドに行って良かった」
「うん」
「次の旅行も楽しみだけど、ノアに早く会いたいな」
本屋で買ってきた写真集のことを思い出し、テーブルに置いたそれを手に取って開くと、リアムと一緒に見たいからとその身体に半ば乗り上げながら本を開く。
「ウルルの撮影に来るって言ってたな」
「そうだな……ノアならどんな写真を撮るんだろうな」
早く見て見たいなと笑う慶一朗の髪を優しく撫でながらリアムが笑い、何度もその髪にキスをする。
ハワイ在住の総一朗が送ってくれた写真集をきっかけに、ニュージーランドでオーロラを見たいという夢を叶えるためにハネムーンを兼ねて出向いたが、その先である意味奇跡的な天体ショーを見る事が出来た。
それがどれ程の幸運なのかを改めて気付き、今日一日、何度となく見聞きした、リアムという男の日頃の言動の良さが齎してくれた幸運だと気付くと、写真集を床に置いた慶一朗が寝返りを打ってリアムと正対する。
「ケイさん?」
己の上司であり友人であるテイラーにも話したが、日頃の行いが本当に良い男で、こんな風に舞い降りてきた幸運が間違いではないと誰もが思える性情の持ち主であり、人畜無害と揶揄う程人の好い男。
こんな男は世界中のどこを探しても見当たらないと改めて気付き、それを確かめるためのハネムーンだったのではないかと気付いた慶一朗は、髭に覆われている頬を指で撫で頬の高い場所を撫でると、同じ場所にキスをする。
「ケイさん、くすぐったい」
慶一朗からのキスをくすぐったいと笑いながら受け止めたリアムは、そのキスが楽しさから齎されるものであることに気付き、それならばと掛け声を放つと、狭いソファの上で寝返りを打って慶一朗を見下ろす様に覆い被さる。
「イタズラばかりするのはこの口か?」
「……イタズラをしたいんだから仕方がないだろう?」
くすくすとにやりと笑い合いながら互いの頬を手で包み、鼻の頭を擦り合わせ額を重ね、最後に期待に綺麗な弧を描く唇にキスをする。
触れるものから次第に角度を変えたものへと深めていくが、息をつくために離れた後、ベッドで仲良くしたいとリアムが囁き、広い背中を慶一朗の手がそっと撫でる。
それを合図に起き上がり、一人掛けのソファで見上げてくるデュークの頭を撫でてお休みのハグをすると、事情を察したらしい賢いデュークがベッドがあるケージへと向かう。
お休みとその背中に告げた後、慶一朗を軽々と抱き上げたリアムがハネムーンで唯一の不満を思い出したと笑い、何だと慶一朗が首を傾げると、ホテルのロフトへの階段の角度が急だったからケイさんを抱いて上ることが辛かったと笑う。
そして、今は自宅だから余裕で階段も上れると笑ったリアムの首に腕を回した慶一朗は、その耳にキスをした後、仲良くするから早く行けと命じ、デュークのような従順さを見せるリアムにクスクスと笑みを零してしまうのだった。
こうして二人のハネムーンホリデーは気持ちの上で終わりを迎えるが、二人が確信をしたようにニュージーランドで目にした天体ショーは二人の中から消えることは無く、これから先も大小様々な口論を繰り広げる度に二人だけに通じる仲直りをし、それらを自然と思い出す。
あの夜、同じ事を同じ星に願ったように、この先の時間や景色や感情を共有し、どちらかが目を閉じるその時まで離れることなく傍にいて、互いへの同じ思いを胸に抱き続けるのだった。
そんな二人を、オーストラリアでも見る事が出来る星達が静かに見下ろしているのだった。
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