今日、撮影でそちらに向かうから良かったら会わないかというメッセージがリアムのスマホに届いたのは、明日の月曜日までイースターホリデーの為に閉店時間が早いと昨日教わり今日は早く行こうとしたものの、昼寝を始めた慶一朗の寝息に誘われるようにリアムも寝入ってしまった結果、昨日と同じ頃合いにスーパーで買い物をしているときだった。
今日は無事に購入できた低脂肪乳を慶一朗が押すカートに入れ、さて、ここに滞在中どれぐらい料理をするだろうかと考えていたリアムは、己の視界の端で慶一朗が奇妙な動きをしていることに気付いてそちらに顔を向けると、カートの中に入れた覚えのないチップスや一目で食欲を無くしてしまいそうな色合いのロリポップの袋があり、更に何かを物色しているらしい細い背中に呼びかける。
「ヘイ、ダーリン、今手に持っているものを見せてくれ」
リアムのその声に細い肩がびくりと跳ね、恐る恐る振り向いた慶一朗が顔の高さに掲げたのは、一週間では食べきれないと思える大容量のチョコバーの袋だった。
「……ロリーズが欲しいのは分かるけど、それだけ大量のチョコバーは食えないぞ、ケイさん」
「持って帰れば問題ない」
「空港の税関で没収されるのが関の山だから少ないものにすればどうだ?」
オーストラリアは食料品の持ち込みに関しては世界屈指の厳しさがあり、チョコレートは引っかかるんじゃないかと肩を竦めると、名残惜しそうな顔一つせずにチョコとロリポップの袋を元に戻した慶一朗がにやりと笑い、チップスとビスケットが欲しいと笑ってすぐ近くにあった少量のビスケットが入った袋を手に取る。
「それなら食いきれるな」
お菓子も良いけれどせめて今日と明日の腹を満たせる食材を買っておこうと笑うリアムに慶一朗も頷くと明日のモーニングはベティが食いたいと歌うように呟き、エッグベネディクトとご丁寧にリアムが訂正をしながら卵をカートに入れ、一緒に食べるマッシュルームはどうだと笑いかけた時、スマホにメッセージが届いたことを知りカーゴパンツのポケットからスマホを取り出す。
「……ミスター・クルーガーからだ」
「何て言ってるんだ?」
カートに自分が食べたいものを子供のような顔で放り込む慶一朗だったが、足を止めたリアムの言葉に同じように足を止めて振り返り手元のスマホを覗き込むように顔を寄せると、今日こちらに来るから会わないかとのメッセージを読み取って二人同時に顔を見合わせる。
「撮影でこっちに来るって?」
「みたいだな……ということは夜は晴れるのか」
慶一朗の顔が一瞬で輝いたのを見逃さなかったリアムがそうだと嬉しいなぁと同じような顔になり、どうすると問い返してメガネの下の目を丸くさせる。
「彼に会ってみるか?」
「会いたいな」
撮影をするらしいがプロのフォトグラファーの仕事ぶりを拝見してみたいとも笑う慶一朗にわかったと返したリアムは、ぜひ会いたいからこちらについたら連絡を欲しいと返し、急遽できた今夜の予定に期待に胸を弾ませてしまう。
「楽しみが出来たな」
「ああ」
そう笑いあいながらカートをレジに押して会計を済ませると、旅の記念になるからと慶一朗が店のオリジナルショッパーバッグを購入した為にそこに詰め込んで店を出るのだった。
ボルボに乗ったノアが二人の元を訪れ、迷惑で無ければ予定している撮影場所に一緒に行って星を見ないかと笑顔で二人を誘い、迷惑どころか大歓迎だと顔を見合わせた二人は、少し山に登るために防寒着を持って行ってくれとノアに教えられてそれなりの準備を整える。
念のために持って来ておいて良かった厚手のアウターを着込んだ慶一朗と、それより遙かに薄いアウターでも平然としているリアムが、鍛えているとこんな時便利だよなぁと感心するノアの運転で目的地へと出発する。
車内では主に写真集の話題になるが、ノアがダニーデン近郊で暮らしている事、ダニーデンはスコットランドから移住した人達が街を作り、今でもその流れをくむ人達が多く暮らしていると教えられ、後部シートで二人が同時に思い浮かべたのは、貴族然とした友人の端正な顔だった。
二人の反応をミラーで確かめたノアがどうかしたかと問いかけると、去年の冬にスコットランド出身の人と知り合い、友人付き合いをするようになったが、まさかここでも彼に所縁のある土地の話を聞くとは思わなかったとリアムが苦笑すると、スモールワールドだなとノアが楽しそうに肩を揺らす。
確かにノアの言葉通りに世間は狭いのかも知れないと二人同時に頷き合うが、程なくして車は山道を登り始める。
「あ、そうだ。驚いて欲しいから出来るだけ空は見ないで欲しい」
己がこの街に来て見上げた星空に感銘を受けたが、それに似た感覚を覚えて欲しいから極力足下を見ていてくれとノアに提案され、そんな事ならばとその提案を受け入れた二人が車内でも極力窓の外を見ないように気を付け、そんな二人にノアが微笑ましそうに頷き、目的地である天文台へと向かう。
今夜のノアの目的地は、地球上で最南端にある天文台として知られているマウント・ジョン天文台の近くだった。
二人が滞在している湖も星空を売り出している為に観光客が多いが、この天文台ではナイトツアーが実施されているようで、今も複数の団体が天文台に向かう姿を見かけるが、そんな彼らを見ながらノアが呟いたのは、ここはまだ大丈夫だろうけど、観光客が増えすぎると光害が酷くなりそうだという冷めた言葉だった。
二人が暮らすシドニー近郊の町はまだまだ大丈夫だが、シドニー市内は日常と非日常が入り交じり、人が増えているために交通事情の悪化なども良くテレビで取り上げられていた。
人より羊の方が多く暮らしているのでは無いかと揶揄われる程牧歌的なニュージーランドだが、何かを観光名所として売り出していく以上はその手の話題は避けて通れないものなのだろう。
思わず沈黙した二人に己の言葉が鋭角的すぎたことに気付いたノアが申し訳なさそうに眉尻を下げつつ車を停め、こっちだと案内してくれたのは天文台がシルエットになっている山の端に半円形のドームが少しだけ見える場所で、ノアの車のヘッドライト以外に光源はなく、スマホのライトで足下を照らしたノアが気を付けてくれと告げてヘッドライトを消すと、頼りない明かりが二人の足下をぼんやりと浮かび上がらせるだけで、周囲は闇に沈んだような暗さになる。
ノアの提案を受け入れたためにその言葉を守っていた二人は、もう良いよと促されてスマホの明かりを消すと同時に顔を上げ、視界に飛び込んでくる光景に思わず言葉を無くしてしまう。
慶一朗は己の語彙力が無いことは誰よりも理解している為に絶句するが、そんな慶一朗をフォローできるだけの能力があるリアムでさえも言葉を無くしてしまうような星空が二人の目の前に広がっていた。
天文台やその向こうでシルエットとして見えている山並みがあり、そしてその遙か上空には濃紺の空にペンキや絵の具の飛沫を散らしたような星々が青や白に輝いていて、見慣れた星座ですらも見分けられないほどの星々が十年一日の顔で地上を見下ろしているようだった。
その星々の中にまるで夜空に浮かぶ雲のようなものが見え、あそこに雲があると慶一朗が指さすと、リアムが本当だと返す声にノアが穏やかな声でそれを否定する。
「あれは大マゼラン星雲だね」
「雲じゃ無いのか!?」
「うん。雲みたいに見えるけど、実はあれは銀河なんだ」
マゼランが航海時に目印にしたとかでその名前が付いたと言われているけれど、雲じゃ無くて銀河だよとカメラの準備をしながらノアが解説を始め、二人が興味津々の顔で続きを待つ。
「サザンクロスは分かるか?」
ノアが嬉しそうに続ける星座名に二人が空へと顔を向け、あれじゃないのか、いや、あちらだろうと、星座に詳しくない二人には形を判別することも出来ない程の星々の中から見慣れているはずの星座を探すが、夜空を斜めに流れる光の帯が邪魔だと慶一朗が不満を口にし、天の川に文句を言っても仕方がないとノアが楽しそうに笑った為、天の川と二人同時に呟く。
「そう。南十字座と偽十字を見つけられたら、その間にぼんやり見えるのがイータカリーナ星雲。もし良かったら双眼鏡を使ってくれ」
呆けたように口を開けて空を見上げる二人の様子に呆れる事も無くノアがバッグから双眼鏡を二つ取りだしてそれぞれを手渡すと、どちらからともなく双眼鏡を覗き込み、肉眼とは全く違う世界が丸の中に広がる事に知らず知らずのうちに感嘆の声を零してしまう。
ニュージーランドも二人が暮らすオーストラリアも南半球にあるため、南十字座などは暗い夜空を見上げれば目に入る筈なのに、今まで意識したことが無かったと素直にリアムが零すと、慶一朗もそういえばそうだなと同意をし、ハワイにいる双子の兄もこの星空を見ているのだろうかと一瞬考え込んでしまう。
もしも時差を越えて同じ星空、同じ星座を見ているのだとすれば、ハワイとオーストラリアという距離が一瞬で埋まってしまうのでは無いか。
時間も場所も違うが、見上げる星は同じものを見ている。
もしかしてそれを伝えたくてこの写真集を送ってきたのではないのかという、日頃の慶一朗からは中々想像出来ない思考が頭を占め、不慣れなそれに小さく息を吐くと、ハワイは今何時かなど分からないがそれでも総一朗が笑ったような気がしてしまう。
「……あいつがあの写真集を送ってきた意味が分かった」
ここに来る発端となった写真集をハワイ在住の兄、総一朗が郵送してきた理由を何となく察し、本当にあいつはと微苦笑混じりに呟き双眼鏡を下ろすと、隣で同じように双眼鏡の中に広がる宇宙に魅入っているリアムに気付く。
遠く離れたハワイでも己の幸福を願ってくれている兄がいる事は幸せと思いつつも、だがそれ以上に己を思い愛してくれる男が傍にいる事に改めて気付くと、ノアがいるにも関わらずにリアムの腰に腕を回してそっと顔を寄せてしまう。
「ケイさん?」
どうしたとそっと問われても今気付いた事を口にすることなど出来なかったため、腰を抱く腕に力を込めると安心させるようにその手を撫でられる。
「同じ星を見たい」
「ん? ああ、今見ていたのはあれだ」
己の手にある双眼鏡を覗くことをせずにリアムの手からそれを借り、先程までヘイゼルの双眸を向けていたと思しき空へと双眼鏡を向けると、もう少し上だと笑ったリアムが角度を調整する。
遠くでも近くでもこうして同じ星を見ようとしてくれる人がいるが、リアムが時々口にする、畢竟人はひとりだという言葉の意味を実感して背筋を震わせるが、だけどひとりとひとりが繋がればもうひとりでは無いとの言葉を思い出して実行するようにリアムの分厚い胸板に背中を預けると、珍しいと笑いながらもしっかりと受け止められ、まるで今立っている大地よりも強固なものに支えられているような気持ちになる。
「……リオンとウーヴェみたいだな」
二人が一心不乱に星を見上げている姿を微笑ましい顔で見ていたノアだったが、思わずぽつりと零した言葉にリアムが気付いて顔を向けて誰のことだと問いかけようと口を開くと、少しだけ慌てた顔でノアが何でも無いと己の言葉を否定する。
「二人はいつ帰国するんだ?」
ここには一体何日ぐらい滞在するんだと気分を切り替えるようにノアが問いかけ、リアムが土曜日の朝のフライトでシドニーに帰ることを伝えると、ノアが星空を見上げて何かを呟く。
「帰国するまでにオーロラが見えると良いな」
ホテルで管理人の代理としてやって来たノアに今回の旅の目的を伝えた事を思い出し、己にもたれ掛かり好奇心に顔を綻ばせながら星を見ている慶一朗のためにも本当にそうだと頷くと、少し撮影をするが車にレジャーシートを積んでいるからそれを広げてそこに寝転がって星を見ていれば良いとノアに教わり、ナイスアイデアと指を鳴らしたリアムがボルボのトランクからシートを取り出して広げ、ここに寝転がろうとシートを叩いて慶一朗に合図を送るのだった。
ノアが満足げに息を吐いて撮影を終えた頃、視界の端から銀河では無い本物の雲が湧き起こり、このままだと雪が降るかも知れないとノアが身体を震わせ、それに釣られるように慶一朗がくしゃみを立て続けに繰り返す。
「Gesundheit!」
慶一朗のくしゃみにリアムだけではなくノアも同じドイツ語で気遣う言葉を口にしたため、三人が思わず顔を見合わせてしまう。
「そういえばウィーン出身だったな」
「え? あ、ああ、そうなんだ」
くしゃみをしたときに英語圏ではBless youと声を掛けるが、ドイツ語ではGesundheit.という健康を願う言葉を掛けるのだ。
ドイツ出身のリアムがそれを言うのは理解出来るがノアが咄嗟にリアムと同じ言葉を口にしたことに二人で驚いてしまい、出身がウィーンである事を思い出すと咄嗟にドイツ語が出てきても当然だと納得してしまう。
「実は俺はドイツ出身なんだ」
10歳頃にシドニーへ来たが今でもドイツ南部で祖母と両親がレストランを経営していると笑ったリアムだったが、ごく当たり前にパーカーを脱いで慶一朗の厚めのアウターの上から肩に掛けると、寒さを感じていない顔で伸びをする。
「そうだったのか?」
「ああ。そういえばプロフィールに書いていたドイツ南部のあの街で活動をしていたんだな」
SNSでノアの情報収集をしていたとき、ウィーン出身だがドイツ南部の大都市でフォトグラファーとして名を上げ、若手の中でも有望株だったと紹介されていたことを思い出したリアムがすごいなと褒めると、何だろうか、あなたに褒められると素直に聞き入れられると驚いたように返されてリアムが目を丸くする。
「ドイツ語の方が楽だからドイツ語でも良いかな?」
俺は生粋のドイツ人だが俺の夫もドイツ語がネイティブなんだと笑うリアムに慶一朗がそっと頷き、ノアが二人の顔を交互に見つめた後、誰もが目を奪われる大輪の花が咲いたような笑みを浮かべる。
「助かる」
俺もドイツ語で話す方が楽だと笑い、改めて宜しくと差し出された手を握った二人だったが、再度慶一朗がくしゃみをしたため、Gesundheit.と告げつつノアがドアを開けて二人を車に乗せ、周囲に少し散らばっていた機材や二人が寝転がっていたシートなどを乱雑に畳んでトランクに積み込み、少し遅れて運転席へと乗り込む。
天文台から下山する道へと慎重に車を進めたノアは、オーロラの情報を調べることができるサイトなどもあるが、もし良かったら一緒に見ないかとルームミラー越しに語りかけ、嬉しいという欠伸混じりの声を聞いて苦笑してしまう。
「ホテルまで送っていくから安心してくれ」
「ダンケ、ノア」
ノアの言葉にリアムがありがとうと返すが、その肩に慶一朗が頭を預けているのをルームミラーで見ると、なるべく安全運転で帰ると笑い、そうしてもらえると嬉しいと、うたた寝から本格的な眠りへと落ちそうな慶一朗の肩を抱いて支えたリアムが小さく笑うのだった。
ノアからコンタクトを取ってくれた結果、今まで見たことがないような星空を心行くまで見る事が出来た二人はノアにホテルまで送り届けて貰い、明日の午後にでも連絡をするからとSNSではなくスマホを通して連絡先を交換し、シルバーのボルボが闇に溶け込むのを玄関先で見送る。
ドアを閉めて戸締まりを確かめたリアムの前、慶一朗が大きな欠伸をしながらシャツやセーターを脱ぎ、パンツも脱ぐと下着一枚になるが、自宅とは違って室内の温度が少し低かったために三度くしゃみをしてしまう。
「Gesundheit.」
「Da.」
リアムの気遣う言葉にダンケを省略した言葉で返し、自宅とは違って自らの足でベッドに向かう階段を上った慶一朗は、お前も早く来い、ベッドが冷たいと不満に口を尖らせる。
「うん」
慶一朗が脱ぎ散らからした服をソファに置き、己のものもそこに積み重ねたリアムが階段を軽い足取りで上ると、早く入れとマットを叩かれていそいそと潜り込み、隣に同じように潜り込んできた慶一朗の肩にまで掛布団を引っ張り上げて頭の下に腕を通す。
「それにしても星がすごかったな」
「そうだな……同じ星を今まで見ていた筈なのにな」
ノアに教わるまで星座の形も星の名前も知らなかったと、己の興味や関心が向いていない世界の一端を知ることが出来た歓喜にリアムが少しだけ興奮気味に呟き、慶一朗も微苦笑しつつそれに返すと、あいつが本を送ってきた理由が何となく分かったと星を見上げながら思い浮かんだ事を口にするとリアムが興味深そうに見つめてくる。
「……同じものを見て同じように思って欲しかったんだろうな」
ただ悲しいかな、自分達双子は感情に欠陥があるために誰かと同じものに対し同じ感想を持てなかったと自嘲する慶一朗の頬に大きな掌が宛がわれ、ケイさんとそっと名を呼ばれて目を閉じる。
「ハワイにいるあいつも見ていたかも知れない星だったけど、今日はお前と一緒に見れて良かった」
お前と同じ星を同じ場所同じ時間に見上げられる、それがどれ程幸福なのかとも気付けたとリアムの手に手を重ねた慶一朗が閉じた目を笑みの形に変える。
「ケイさん……っ!」
「だから、オーロラを見れると良いな」
「うん……ノアが穴場を教えてくれるって言ってたからそれに期待しよう」
「そうだな」
そして彼に連絡を取るのは明日の午後だから朝はゆっくりしようと慶一朗が笑いリアムも同じ顔で頷くと、どちらからともなく大きく欠伸をし、お休みのキスを掌と額に落とす。
程なくして慶一朗の寝息がリアムの鼻先に届きその穏やかさに欠伸をすると、一足先に眠りに落ちた慶一朗を追いかけるようにリアムも目を閉じるのだった。
そんな二人の頭上、朝よりは弱いが雨が叩き付ける音が静かに響くのだった。
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