まるで地の果てまで行けそうな真っ直ぐに伸びる国道の上、日頃の感覚からすれば低い場所に絵に描いたような白い雲が浮かび、日々をこの地で暮らす人達や海を越えてやって来た観光客をゆったりと見下ろしていた。
そんな白雲の下を一台のSUVが周囲の光景を楽しむような速度で走っているが、運転席ではパイロットサングラスを掛けたリアムが穏やかな表情でステアリングを握っていて、その隣の助手席では同じくサングラスをかけた慶一朗が何度目かの欠伸をしていた。
SUVの車内はエンジン音だけが響いているが空気は穏やかなもので、その穏やかさの中に小さな笑い声が混じり、声の主を見るように慶一朗が運転席へと顔を向け、もう一度欠伸をする。
「今日は早く起きたからなぁ」
この国に来るためのフライトは8時台だったが、昨今の事情から時間の余裕をもって空港に向かったため、早朝と呼べる時間に起きなければならなかったし眠いよなぁと笑う声に無言で頷き、セダンに比べれば高い天井に手を付けるように伸びをすると、残滓のような欠伸が出てしまう。
「……この道をまっすぐに進むと南極に行けるんじゃないか」
常識的に考えれば馬鹿なことだが思わずそう考えてしまいたくなるほど真っ直ぐな国道を走り始めてどのくらい時間が経ったと今度は逆の手を天井につけながら呟くと、パネルの時計を見たリアムが1時間ほどかと小さく欠伸を堪えながら返事をする。
「オーストラリアでもまっすぐなハイウェイはあるけど、また違うなぁ」
少しだけアクセルを緩めたリアムがのんびりと呟き、数時間前に発った国を思い出しながら目を細めると、ロリーズが欲しいとひと際大きな欠伸をしながら慶一朗が今度は両手を突き上げる。
「珍しい。甘いお菓子が欲しくなったか?」
「ビスケットが食いたい。コーヒーも」
だから運転手さん、この先で良さそうな店があれば停まってくれと片眼を閉じる慶一朗にリアムが鷹揚に頷き、ここのコーヒーは口に合うかなと歌うように呟く。
「合えば良いな」
自宅以外ではコーヒーを飲まなくなったマッチョマン、お前の口に合うコーヒーだと良いなと慶一朗が笑い、その状況を生み出した張本人が何を言うと言いたげにサングラスの下から睨まれてしまい、人のせいにするなと肩を竦める。
「……本当に南極まで行けそうだな」
「うん、そんな気がするな」
このどこまでも続きそうな一本道の先には何があるんだろうと笑うリアムに慶一朗が窓縁で頬杖を突き、オーロラが見えるだろうかとフロントガラス越しに雲を見上げる。
「見えると良いな、ケイさん」
あの日、ハワイから届いた郵便物で目にした星空とそんな星空をオレンジから紫の色彩で彩るオーロラを目にすることができれば良いなとリアムが返し、無言で頷いた慶一朗は、もしも見れたらスマホで撮影をしてそれをあいつに送ってやろうと返し、少し先にカフェらしき建物が見えたため、あそこによってくれと合図を送り、それを間違えることなくリアムが受け止めて見えてきたカフェの駐車場に向かう。
イースターホリデーの為に休業中だったらどうする、その時はもう少し我慢すると言いながら車を降りた二人だったが、二人の懸念は外れたことを教えるように馴染み客らしい人が店の奥に向けて手を挙げながら出てくる。
「ハイ」
「ハイ」
見ず知らずの相手にハイと気軽に声をかけたリアムの後ろで何度目かの欠伸をした慶一朗だったが、鼻腔が真っ先に感じ取ったコーヒーの芳醇な香りに顔を綻ばせ、この店のコーヒーは当たりかもしれないと感じたことを伝えるためにリアムの背中を突く。
「ここで飲んでいくか?」
「ホテルのチェックインが少し心配だからテイクアウェイしないか?」
フライトは予定通りで到着時間も予定通りだったがチェックインの時間が気になると腕時計を見ながらリアムが微苦笑し、慶一朗も当然だと言いたげに頷いた後、カウンターの前で他の客と話しているスタッフにハロウと呼びかける。
「ハイ、何にする?」
「フラットホワイトを二つ。一つは低脂肪乳で」
持ち帰り出来るかと続けると勿論と笑顔で頷かれ、カウンター横のショーケースを覗き込む。
「コーンフレークとチョコチップのビスケットを一枚ずつ、ピスタチオのタルトを一つ」
すべて持ち帰りでとオーダーをした慶一朗がちらりと隣を見上げると、サングラスを通しても理解できる嬉しそうな瞳に見つめ返されて口の端を得意げに持ち上げる。
「ピスタチオマニアが喜んでくれると良いけど」
「ホテルまでの運転は任せてくれ、ケイさん」
慶一朗の言葉にリアムが分厚い胸板を見せつけるように胸を張り、会話を聞いていたスタッフにくすくすと笑われてしまう。
「この後天気が崩れるみたいだから気を付けて運転してね、運転手さん」
ビスケットを店名がスタンプされた袋に入れながら笑うスタッフに天気が崩れるのかと店の外へと顔を向けた二人だったが、ここでは一日のうちに四季があると続けられて二人同時にスタッフへと顔を向ける。
「それだけ急激に天気が変わるってことか」
「ええ。だから雨だとしてもすぐに上がって晴れることもある」
何事もそうだと額面通りに受け取ることも深読みすることもできそうな言葉に二人が頷き、ビスケットと運転手であるリアムに献上するタルトを受け取った慶一朗は、フラットホワイトが出来上がるまでの間待たせてもらおうと邪魔にならない場所に退き、窓の外を見るとはなしに見つめてしまう。
ニュージーランドにやってきた初日にオーロラが見えるとは思っていないが、もしも見えたら本当に良いのにと内心呟くと、それを察したのかリアムが慶一朗の隣の壁に腕をついて同じように窓の外を見つめ、夜に雲が出ていないと良いなと目を細める。
「そうだな」
一日で天気が変動する国なのだ、雨が降っていても一時間後には晴れているかもしれない、それを楽しみたいなと、どこにいてもその場所を楽しもうとする前向きな言葉が聞こえ、思わずその声の主を見つめた慶一朗は、不思議そうな顔で見つめ返されて一つ目を瞬かせてその前向きさに眩しそうに目を細める。
自分自身悲観的とは思わないが、それでも今リアムが口にしたような心境にはかなか達することはできなかった。
天体観測を期待してやってきた国で雨が降れば落胆してしまうし楽しめない。なのにリアムはそんな中でも天気がすぐに変わるという情報をキャッチし、雨が降ってもすぐに天気が変わるかもしれないという気持ちになれるのだ。
いつどんな状況であってもそれを受け入れ、その中で己の心をまっすぐに前へと向けられるのは、持って生まれたものなのかそれとも培われたものなのかが判断できずにいると、慶一朗が次のアクションを取らないことからリアムが目を瞬かせる。
「ケイさん?」
不思議そうな呼びかけに我に返って咳ばらいをし、何でもないと返そうとしたタイミングでカウンターの端から呼びかけられて二人同時にそちらに顔を向け、二つのカップを差し出されて笑顔で受け取る。
「サンクス」
「目的地がどこか分からないけれど、気を付けて!」
この先どれくらいの距離を走るのか分からないが、気を付けてねとの言葉に笑顔のまま頷き、ホテルへの道程もあと半分ほどだと笑いながら道中のお供になるコーヒーとビスケット、そしてホテルまでレンタカーを運転してくれるリアムの疲労を少しでも癒すスイーツを手に車に戻るのだった。
フラットホワイトとビスケット、そして疲労解消と労いの役割を担ったタルトをお供に今日からここに滞在する間の拠点となるホテルにリアムと慶一朗が到着したのは、チェックインのタイムリミットまで残り10分という時間だった。
念のために少し遅れるかもしれないという連絡を入れておいたが、ホテルーそこは通常のホテルではなく一棟貸しの宿で、二人が乗ったSUVが到着した時、玄関近くに停車していたボルボのドアが開いて青年が下りてくる。
彼がホテルの管理人かと話しながら車を止めると同時に慶一朗が助手席のドアを開けて青年の前に向かえば、人懐こい笑みを浮かべた青年が手を差し出しながらハイと笑いかけてくる。
「今日から予約をくれている方かな?」
「ええ、そうです」
ユズリハ=フーバーですと名乗りつつ差し出された手を握った慶一朗は、その手から伝わる温もりと笑顔から人の良さを感じ取り、一瞬でいい印象を覚えると隣にやってきたリアムに視線を向ける。
「管理人代理のクルーガーです」
ここを管理している人間がどうしても都合がつかなくなってしまい、今日だけ俺が代理をしていると笑う青年に慶一朗はそれはお疲れ様ですとここが職場であるかのような笑みを浮かべるが、隣のリアムの顔にはとっさに読み取れない表情が浮かんでいて、どうしたと問いかけようとした矢先に中を案内すると教えられて青年について中に入る。
ホテルとして一棟貸しをしている家は近隣のものに比べても似たり寄ったりの大きさの家で、玄関から短い廊下があり、その先にはソファセットが置かれているリビングと端にはスツールが二つのカウンターとその向こうにキッチンがあった。
そのLDKの先は裏庭に出る掃き出し窓があり、自宅よりも広い庭を囲うようにあまり高くない塀が三方に巡らされていて、その中央にはベンチテーブルがあり、庭で食事を楽しむことも出来そうな雰囲気に慶一朗よりも具体的に想像できるリアムが顔を綻ばせ、外で食ってもいいなと笑いかけてくる。
その顔はさっきの不可解な表情が消えていつものものになっていたために内心で安堵した慶一朗にクルーガーと名乗った青年がベッドルームは上にあると伝え、その言葉と青年の視線を追いかけるように顔を向ける。
リビングの端に階段があり、二階というよりは屋根裏を利用したロフトで、シングルのマットレスが並べられているのが少し見えるが、斜めになった天井には窓が填められていて、ベッドに寝転がりながら夜空が楽しめそうだった。
「自炊をするって聞いたから、調理道具は一応揃えてある」
申し訳ないがそこにあるものを使って欲しいと、スツールの背もたれを撫でながら微苦笑する青年に二人が示し合わせたように同時に頷くが、この近くにスーパーか食料品を購入出来る店はあるだろうかとリアムが問いかける。
「小さなスーパーならあるけど、ただイースターホリデーだからいつもより早く閉まるかも」
もしも買いたいものがあるのならすぐに行った方が良いかもしれないと教えられて再度顔を見合わせた二人は、チェックインの手続きを慶一朗が済ませる間にリアムが車に積んだままの荷物を取りに出て行く。
「……はい。これで手続きは終わり」
冷蔵庫にウェルカムドリンクならぬウェルカムミルクが入れてあるから飲んでくれと、必要書類に記入を終えた慶一朗に笑顔で青年が伝えると、ミルクという意外な飲み物の事を教えられた慶一朗が眼鏡の下で目を丸くする。
「ああ、この辺りの習慣かな」
不要なら開封せずにいてくれると助かると笑われ、ホテルで提供されるウェルカムドリンクがミルクなのかと感心しきりの顔で慶一朗が呟くと、二人分の荷物を軽々と担いだリアムが戻ってくる。
「今日の夜は雨かも知れないけど、二人が滞在中は多分良い天気だと思う」
もし興味があれば庭に出て空を見れば良いと教えられ、荷物を下ろしたリアムが一瞬何かを考え込むが、自分のバッグを開けて一冊の本を取り出す。
「この本で見たんだけど、オーロラが見える場所を知ってるかな」
それはこの国にやって来る切っ掛けをくれた写真集で、その表紙を見た青年の目が見開かれた後、目尻を少し赤く染めながらくすんだ金髪に手を宛がい、その様子からオーロラ観察の穴場を知っているのかと慶一朗が問いかける。
「穴場は、うん、知ってるよ」
「それはここから近いかな」
スーパーの閉店時間も気になるがそれ以上に気になるからと珍しく慶一朗が前のめりに問いかける前、青年がやや躊躇ったように視線を流した後、俺の家と呟くが予想外の言葉に二人が顔を見合わせる。
「あなたの、家?」
「そう。俺の家」
海沿いにある一軒家だから夜間は家の明かり以外ない、ちなみにその表紙の写真も家の庭から撮影したものだと続けると、二人同時に鳩が豆鉄砲を食ったような顔になってしまう。
「これを撮影したのはあなたですか!?」
「うん、そう。……ノア・クルーガー。最近は天体の写真をメインに活動してる」
そう言って改めて宜しくと笑った青年、ノアの自己紹介に二人は絶句したままになるが、そろそろスーパーに行った方が良いと教えられて名残惜しそうに慶一朗が一度口を開けて閉ざす。
「もし興味があるなら本にも書いてあるけどSNSを見て欲しい」
そちらに他の写真も掲載しているし連絡先も書いてある、もしも何かあればメッセージをくれと笑って教えるノアの言葉に二人の頭がバネが壊れかけている人形のように何度も上下する。
その様子がおかしかったのか、ノアが笑を浮かべたまま手を差し出し、ここに滞在中なにか不都合なことがあれば管理人でも俺でも良いので連絡をくれと言い残し、じゃあ素敵な休暇をと記憶に残る笑みを浮かべて出て行ってしまう。
ノアの背中を呆然と見送った二人だったが、スーパーと思い出したように叫び、荷物の中から財布とスマホだけを掴んで二人揃って家を出ると、ノアに教えて貰ったスーパーに向けて車を走らせるのだった。
ロフトにツインルームのように距離を取って置かれたマットレスに勢いよく倒れ込んだ慶一朗は、その姿を見ながら肩を揺らすリアムを振り仰ぎ、何がおかしいと問いかけながら己も同じような顔になってしまう。
「寝心地はどうだ、ダーリン」
「……悪くないな」
マットの固さも枕の高さも悪くはないが、最大にして最悪の不満があると口を尖らせ枕を抱え込みながら座り込んだ慶一朗にリアムが目を瞬かせ、どうしたと膝を着いて不満そうに膨らむ唇の先端にキスをする。
「どうした?」
リアムのキスでも不満は解消しないようで、本当にどうしたと問いかけながら慶一朗の視線を追いかけると、今二人が座っているマットと少し離れた位置にあるそれを交互に見つめている事に気付き、ああと何かに気付いた様にリアムが口の端を持ち上げる。
「これで良いか?」
軽やかに立ち上がってベッドの向こう側に回り込んだリアムがマットを両手で押してピタリとくっつけると、慶一朗の顔に教師が生徒を褒めるような笑みが浮かぶ。
「Sehr gut.」
「Danke.」
慶一朗の言葉にリアムも戯けたように返すと、離れていたマットレスをピタリとくっつけてシーツを整える。
シングルベッドが即席のダブルベッドになった事に慶一朗の顔に満足そうな笑みが浮かび、背中からシーツに倒れ込むと、そんな慶一朗に覆い被さるようにリアムが腕を突いて端正な顔を見下ろす。
「スーパーで大急ぎで買ったサーモン、美味かった」
「適当に選んだものにしては美味かったな」
「明日はどうする?」
「そうだなぁ、明日はイースターだからなぁ」
去年のイースターはルカやラシード達と夜通し遊んでホテルで寝ていたからなぁとリアムが笑い、そんな笑みに彩られている髭に覆われている頬を慶一朗が手を挙げて包み、鼻の頭にキスをする。
「ゆっくり寝て天気が良かったら湖に出てみないか?」
ニュージーランド南島でも観光スポットになっている湖の近くにいるのだ、明日の天候次第で観光しても良いなと笑うと慶一朗も賛成と頬を包んだ手をハニーブロンドの短髪に回す。
「……雨が降ってきたな」
「ああ、本当だ」
早めに庭でのディナーを終えて良かったと、斜めになった窓にぶつかっては弾けて流れ落ちる雨をマットに並んで見上げた二人だったが、オーロラを見る事が出来るだろうかと慶一朗がぽつりと零し、リアムがその頬にキスをする。
「大丈夫だ、ケイさん」
オーロラが見えるスポットを調べよう、もしも良い場所が無ければ彼に教えて貰おうと告げると、慶一朗が顔を横に向けて鼻の頭が触れ合う距離で向かい合う。
「彼?」
「ノア。SNSをやってると言ってただろう?」
色々写真を載せているとも言っていたから明日調べてみようと笑う愛嬌のある顔に頷いた慶一朗は、今日一日を振り返って自然と欠伸をしてしまう。
「今日は早かったからな」
「そうだな」
いつもならまだまだベッドの中にいる時間、自宅からだと早朝に空港に向かうには不便だから泊まっていけば良いとアポフィスの私室を提供してくれたルカとラシードに空港まで送って貰い、抱えきれないほどの土産を買ってくると約束をして機上の人になって約三時間後にはクライストチャーチの空気を吸っていた。
それからはレンタカーでここに向かったのだが、乗り物で移動ばかりしていた一日だったと述懐する慶一朗に同意するように頷いたリアムは、小さく欠伸をする慶一朗にもう寝るかと問いかけて無言で頷かれると、もぞもぞと身動いだ慶一朗がリアムの肩に顔を寄せて軽く頭を持ち上げる。
それが意味する事を誰よりも理解しているリアムが微苦笑しつつ持ち上がった頭の下に腕を差し入れ、慶一朗の口から穏やかな安堵の吐息を引き出す。
「お休み、ケイさん」
明日は一日天気が良ければ良いなと額にキスをした後に囁くと、不明瞭な声がお休みと返したため、もう一度お休みを告げてリアムも目を閉じる。
自宅から約2000キロ離れたニュージーランドの観光地にハネムーンの宿を決めた二人だったが、自宅であろうがどこであろうが一つのベッドで眠り、そして朝を迎えるという習慣を変えるつもりは無いようで、雨が流れ落ちる窓に穏やかな寝息がふわりとぶつかっては霧散し、朝の光が窓から二人を照らす時間までその光景が続くのだった。
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