It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第18話 Der Held.
 真夏へと向かうシドニーは日を追うごとに日中の暑さが増し、建物内のエアコンのありがたさをその身で感じるようになっていたが、外界が暑かろうが寒かろうが病院内は常に一定の温度に保たれている為、一歩外に出れば一気に汗が噴き出すような気温にも気付くことは無かった。  そんなある意味理想的な温度の中で患者の命を救うオペに臨んでいるのは、今日も飄々と病院内の人間関係の海を泳ぎオペ室に上陸した慶一朗で、その傍には同期の他のドクター達の中でも優秀だと上司たちも判断できるように頭角を現し始めたファルケがいて、二人のコンビは二人が所属する科だけではなく病院内でも評判になりつつあった。  以前ならば耳に流れ込む評判を飄々とした上っ面に表すことも無い無関心さで聞いていたが、今は己の評判がアシスタントドクターをしているファルケやひいては所属する科の評価に繋がるのならプラスに繋がるように後進を育てようという気持ちに繋がり始めていた。  それは同僚であり以前はどちらかと言えば親しくすることすら避けていたドクター・ヒルにも伝わっているようで、彼の下で日夜ドクターとしての腕前を研鑽しているアントショヴァーの指導に程よく熱が入るようになっていた。  以前とは違う空気を脳神経外科から発信している慶一朗だったが、本人はそんな風を吹かせている事に気付いておらず、今日も今日とて担当している患者の為に腕を奮いオペに臨んでいた。  今日のオペは慶一朗の感覚で言えば少し難しいが、ファルケにすれば何をどうすれば良いのかを確かめながら進めなければならないと怯んでしまいそうな難易度のものだった。  オペについての共有事項を他科のドクターやスタッフらに説明をしている時、ファルケの顔が緊張に強張っているのを見抜いた慶一朗がそっと促した結果、不安を口にされて驚くものの、その不安は慶一朗自身も記憶にあるものだった為に懐かしさに目を細めるが、生真面目に見つめてくる顔ににやりと笑みを浮かべ、今のお前に足りない最大のものは経験だと告げると、黒っぽい目を見開いてその言葉を受け止めようとする。  その経験はこれから積み重ねていくもので、一段飛ばしに階段を駆け上っても入手することは難しいものだ、だからひとつひとつ階段を上れとその肩をポンと叩き、さあ、経験値を入手しに行くぞと陽気な声で片目を閉じるとファルケの顔から緊張が薄れる。  RPGゲームのように敵を倒せば経験値が入るのなら簡単だけどと肩を竦め歩き出すとファルケが慌てた様にその横に並び、飄々とした様子でオペ室に向かう慶一朗から成長するための糧を得ようと決めたように頷き、勇者になれるでしょうかと不安を誤魔化すようにおどけた問いを発すると、勇者レベル5ぐらいだなと片目を閉じつつ肩越しに慶一朗が振り返る。  ファルケのレベルが5だとすれば己のレベルはもう少し上かなと内心で微苦笑しつつ呟くと、隣に並んだ駆け出しの勇者が初見の敵に対する緊張に顔を紅潮させている事に気付き、力を抜けと伝えるようにその肩に手を乗せる。  そんな二人がオペ室に入ると先に入室していた、主義主張は一切合わず顔を合わせればついつい白熱したディスカッションをしてしまうが、オペでは誰よりも信頼できる麻酔科のドクターであるドクター・ケンジントンに会釈をすると、素っ気無いが同じ顔で頷かれ、準備を終えて指示を待っているスタッフ達をゴーグル越しに見回した慶一朗は、さて、今日は手強い敵だがいつも通りにすれば大丈夫だとマスクの下で口の端を持ち上げると、時計を確認した後手術台で麻酔を掛けられて眠っている患者へと向き直るのだった。  レベル5の勇者をアシスタントに病巣という敵と闘った慶一朗が満足気にマスクの下で息を吐き、爪先でリズムを取り始めたのに気付いたファルケの口からも安堵の息が零れ落ちるが、それに気付いた慶一朗がゴーグルの下で目を細め、勇者のレベルアップの祝いで今日の締めの曲はファルケに選んでもらおうと笑い、他のスタッフの顔にも安堵の笑みが浮かび始める。  他のドクターは知らないが慶一朗はオペの終わりが見えてくると、後ひと踏ん張りであることを自身に認識させるためにかその時の気分に合わせた音楽を流すのだが、その選曲を今日はファルケに任せると告げると、こんなことも考えて流したい曲を考えていた筈のファルケの顔が困惑に染まってしまう。 「どうした?」 「あ、いえ……その……」  緊張と疲労の為に何も考えられませんと素直に告白されて目を見張った慶一朗だったが、目が元の大きさに戻ったかと思うとからからとした笑い声が流れ出す。 「レベルアップのBGMは次回までお預けだな」  その声が心底楽しそうだった事にスタッフ達の間に好ましい笑いの波動が伝播し、仕事中は笑うことが無いのではないかと陰で好き放題言われている麻酔科のドクター・ケンジントンの目元にもその波動が伝わったように細められる。 「……次回でお願いします」  顔を赤らめて俯き加減に口を開くファルケに慶一朗が頷くとモニターを注視していたケンジントンの名を呼び、今何が聞きたいと問いかけると、間もなく見えてくる地上に何事もなくソフトランディングしたいものだと返され、考え込むように天井を見上げた慶一朗の口から流れ出したのは近年続編が作られて話題になった映画の曲で、選曲を担当しているスタッフが確認するように曲名を口に出し、慶一朗が人差し指でそのスタッフを指差す。 「……今からもう一戦するつもりか」  流れ出したテンポが良いどころか高揚感すら覚える曲にケンジントンが苦虫を噛み潰したかのような声を出すが、好きだろうと慶一朗が問い返し、頷くことも煩わしいと言いたげに頷き返す。 「後少しで終わる……最後まで気を抜かずにやるぞ」 「Yes!」  流れる曲に合わせるように爪先でリズムを取り、オペの総仕上げにかかる慶一朗の言葉にスタッフ一同声を揃え、ケンジントンも口を閉ざしながらも気持ちは同じだと教えるようにしっかりと頷くそれを視界の端で捉えた慶一朗が鼻歌交じりに手を動かし、その動きをファルケが感心しきりの顔で見守っているのだった。  今日のオペでレベルが5ぐらい上がったんじゃないのか、そんなことはありませんという微笑ましい会話を交わし、患者の術後についての申し送りを夜勤のスタッフやドクター達に伝えた後、長い一日が終わったと星空を見上げながら呟いた慶一朗は、愛車に乗り込んで取り出したスマホでメッセージを作成しようとするが、愛車という極小のプライベート空間に滑り込んだ為か全身から力が抜けていく錯覚に囚われてスマホを助手席に投げ出してしまう。  あっという間に靄に侵食されてしまいそうな脳味噌をクリアにする為に頭を振り、このままでは家に帰りつけるかどうかも怪しいと眉を寄せるが、晴れ渡った靄の向こうに愛嬌のある髭面に笑みを浮かべ、掛け替えのない存在になっている愛犬と並んで己を呼ぶ姿が見え、オペの時と同じ気持ちで同じ曲を気力だけでスマホを操作して流し、後ひと踏ん張りだと言い聞かせてシートベルトを引っ張る。  以前ならばこんな状態で家に帰る事など考えもつかなかったが、脳内で笑いかけてくる顔を見ることなく一晩を過ごすなど今では想像も出来なかった。  少し前を思えば真逆の思考に囚われている己が可笑しかったが、本能が欲しているものには逆らえないと自嘲し、それでも最大限の注意を払いつつ愛車を職場の駐車場から星空の下で交通量も減った道路へと進めるのだった。  やっとの思いで帰り着いた自宅ガレージのシャッターが上がる速さがこんなにも遅かったのかとステアリングに上体を被せるようにしながら待っていた慶一朗は、愛車の屋根がシャッターに接触するギリギリの時まで待っていられずに衝突覚悟でアクセルを踏もうと足に力を込めようとするが、こんなことで愛車と自宅のガレージに傷をつけるなど馬鹿らしいと最後の理性が嘲笑い、それもそうだと冷静さを取り戻してシャッターが上がり切るのを何とか待ち構える。  漸くそのタイミングが訪れたことに気付き、今日の仕事を終えて休息している己の王子が乗る鋼鉄の白馬の横に愛車を並べ、シャッターを下ろす。  その作業だけですべての力を使ってしまったのか、ドアを開けて車から降りるだけなのに気合を入れなければならないほどで、今日のオペの何にこれほどの力を使ったのだろうかと思案するが、自宅に無事に帰り着くという最大のミッションを果たした脳味噌は思考することを手放してしまったように言葉一つ思い浮かばず、覚束ない足元を支える為にリアムの愛車に手を着き何とかドアの前に辿り着くと微かに犬の鳴き声が聞こえてくる。  その声に力を分け与えられながらノブを掴んでドアを開けると隙間からリアムの笑顔とデュークの鳴き声が出迎えてくれ、ホッとした瞬間、ノブに手を掛けたままドアを体で押し開いてしまい、その場に倒れそうになる。 「ケイさん!」 「ワンっ!」  前のめりに倒れそうになった慶一朗だったが、デュークが身体の下に滑り込み、その上に逞しい腕が差し込まれて身体を支えられた事に気付いて安堵の息が見上げてくるデュークの顔に落ちる。 「今日はそんなになるまで頑張って働いて来たんだな」  慶一朗を難なく支えながら笑ったリアムの声に不満を訴えたかったが、口を開く前に流れ出したのは信じられない程の大きさの腹の音だった。 「……!」 「……」  己の腹が立てたとは到底信じたくない大音量で、慶一朗の身体の下にいるデュークもその音に驚いて目を丸くしてしまう程だった。  いつまでもしつこく鳴り続ける腹の音に慶一朗の端正な顔が茹でたロブスターのように真っ赤に染まり、魚のように口をパクパクと開閉させるが、小さく笑ったリアムを羞恥のあまり滲んだ涙越しに睨むと、宥める様なキスが額に落とされ、掛け声ひとつで抱き上げられて咄嗟にリアムの首に腕を回してしまう。 「今日はランチを食えなかったのか?」 「……オペが長引いた」 「そうか」  本当に頑張ったんだなと笑いながら頬にキスをされ、まだまだ消えない羞恥から顔を背けようとした慶一朗だったが、横抱きにされたままリビングのソファに下ろされると、ソファ横に置いてある青い電話ボックス型のぬいぐるみを抱え込んで羞恥から熱を帯びている顔を押し付ける。 「ケイさん、それも良いけどデュークをハグしてやってくれ」  さっき倒れそうになったことできっと不安になっているはずだ、だからハグして安心させてやってくれとリアムが背後から慶一朗の髪を撫でてキスをし、じっと見上げてくるデュークの頭も同じように撫でると、しおしおと揺れていた尻尾が少しだけ持ち上がる。  その様子から慶一朗が抱え込んだぬいぐるみを脇に置き、デュークに来いと命じるとぬいぐるみが陣取っていた場所に飛び乗り、頭を不安げな声を上げながら慶一朗の顔に押し付けてくる。 「心配させたな」  腹が減って力が出なかっただけだからもう大丈夫だとデュークを撫でると、すぐに食えるものを作るから後少しだけ我慢してくれとリアムがエプロンを着けながら笑い、それに頷いた慶一朗だったが、未だに小さく鳴り続ける腹の虫にお前のせいで恥ずかしい思いをしたと己の薄い腹を見下ろすのだった。    家事全般万能な男であるリアムが本気を出した結果のすぐに食べられる料理がカウンターに並び、その匂いに釣られた慶一朗がソファの背もたれに顎を乗せると、くすくすと笑いながらリアムがソファを回り込んでぬいぐるみを抱き上げる気軽さで慶一朗の脇の下に手を入れて掛け声ひとつで抱き上げ、子犬の頃のデュークを彷彿とさせるだらりとした姿で抱き上げられる。  鍛えていた良かったなぁと笑いつつ慶一朗をカウンターの前のスツールに座らせると、まずはデュークのお食事処の準備をし、ついで慶一朗の前に澄んだ琥珀色のスープの皿を置く。 「大急ぎで作ったけど味は大丈夫だと思う」  リアムが若干の言い訳じみた言葉を聞きながら眼鏡の下の目をひとつ瞬かせた慶一朗にはその澄んだスープの原材料など理解できるはずもなく、何だと問いかけながら隣にリアムが腰を下ろすのを見守っていると、エプロンを外しながらお待たせと笑ったリアムが慶一朗の期待に応えるように隣に腰を下ろす。 「Mal zeit.」  いただきますの合図をドイツ語で告げ、右の足元からは嬉しそうな鳴き声が、左からはいつもより疲労が滲んでいる声がいただきますと呟く声を聞いたリアムがループをスプーンで掬うと、ぼうっとしているように見える慶一朗の口元に差し出す。 「ほら、ケイさん」  ビールを飲みたい気持ちも理解できるがまずはこれを食ってしまえと澄んだスープを差し出すと、慶一朗の顔がゆっくりと動いてスプーンに出来た琥珀の湖を飲み込む。 「美味いか?」  リアムの自信なさげな声など珍しいと思う余裕もないのか、慶一朗がまるで雛がエサを強請るように口を開け、それに軽く驚きつつもくすくすと笑ったリアムが仕方がないなぁと二口目を掬い、それを飲んでは次というように慶一朗が強請る様子に目を細めるが、ケイさん、甘えてないで自分で食えと苦言を呈するものの、その様子を見上げていたデュークが二人に分かる言葉を話せるとすれば、そんな顔で甘えるなと言っても通じるかと呆れた様に呟く事必至の顔を見せていた。  スープの大半が慶一朗の胃袋に消えた頃、メインディッシュに目が向けられて自らの手にナイフとフォークを掴もうとするが、長時間オペの器具やメスを握りしめていた手には握力が残っていないのか、白い手からナイフが滑り落ちてしまい、慌てて拾おうとするその手をリアムが止めつつ後で拾えば良いからと笑みを浮かべると、慶一朗の双子の兄の恋人から教わったハンバーグを一口大に切り分けて今度はそれを口元に運ぶ。  以前ならばここまで疲労していれば職場に泊まる事を選択したであろう慶一朗が帰宅するだけではなく、疲れ切っているのにこうして食事をしている事実がリアムの原動力になっているようで、他者が同じように食べさせる場面を見ればさすがのリアムでも甘やかしすぎではないかと眉を顰めたくなるが、慶一朗の過去を知り恐ろしさすら感じる食生活を幾度も目の当たりにした為、こうして食べてくれるようになっただけでも嬉しくて、食べ方にまで文句をつけるつもりはなかった。  それに、家を一歩出れば気を許せる場所でもない限りはこんな風に甘える姿など見せるはずもなく、ならば自宅にいる間ぐらいは最大限甘えさせてやりたいという、どうしても拭い去る事の出来ない甘い心が頭を擡げてしまうのだ。  親友たちにもお前は甘すぎると指摘されることを思い出すが、仕方がない、これが俺なんだと開き直った顔で脳内の親友たちに反論すると、甲斐甲斐しいという言葉が相応しい態度で慶一朗の口元に料理を運び、それが無事に胃袋に納まる光景に安堵に目を細めるのだった。  いい歳をした大人が子どものように食べさせて貰うなんて恥ずかしいと、全てをリアムに食べさせて貰った後に羞恥に耳を赤く染めた慶一朗がぽつりと呟き、リアムの顔に慶一朗には意味が分からない罪悪感のような表情を浮かべさせてしまった事に気付くと、キッチンでの後片付けを終えたらしいリアムを手招きしてソファに座らせる。 「どうした?」  その罪悪感に似た物は何だと問いかけようとして口を開けるが、今言うべきはその言葉じゃ無いと泥の中に沈んでいるような鈍重な動きしかしない脳味噌を何とか働かせるが思い浮かぶのは自嘲の言葉ばかりで、リアムの手を掴んで分厚い掌に頬を擦り寄せ、帰宅してから甘えてしまって情けないと自嘲してしまう。 「疲れていたんだろう?」  だから構わないがそれ以上にあなたに恥ずかしさを感じさせてしまったことは俺がやり過ぎたことだと、逆に慶一朗の手を握って額に押し頂くリアムの言葉に眼鏡の下の目を瞬かせた慶一朗だったが、俺にだけだろうと小首を傾げつつ問いかけて驚いたように見つめ返されてしまう。 「他の誰にもしないだろう?」 「うん」 「じゃあ良い」  もっとも、明日以降も同じ事をされるとさすがに恥ずかしいと言うよりは自分が情けなくて顔を上げられなくなるから控え目にしてくれると嬉しいと、それでもしっかりと己の希望も伝えると正確にそれが伝わったようにリアムが真剣な顔で頷く。 「でも……食わせてくれて助かった」  それに何よりも一口目のスープが本当に旨かった、あれで生き返った気がしたと笑うと、あのレシピはじいちゃんから父さんに受け継がれた物だとリアムが照れたような顔で教えてくれ、お前の家族に受け継がれている物かと目を細める。 「うん」  酷い空腹時に固形物を食う前にあのスープを食べるのが家の決まりだったと続けるリアムに背中を向けて太い腕を掴んでマフラーのように己の顎の下に回させると、慶一朗が望んでいることを読み取ったリアムが後ろからそっと抱きしめ、肘置きに立てかけたクッションに背中を預ける。 「ダッドから受け継いだ他の料理も食いたい」 「父さんの?」 「ああ……ばあちゃんもそうだしマムもそうだけど、お前の家族の料理は本当に優しい味がする」  己の語彙力ではこれ以上表現しようがないが、そうとしか言えない味だと、料理と同じく優しい腕を掴んで寄り掛かりながら笑う慶一朗をしっかりと受け止め、その言葉は嬉しいなとリアムが返すと端正な顔が振り仰いでくる。  鍛えている為にしっかりと筋肉が付いていて強固なはずなのに、何故かそれ以上にその腕から感じ取れるのは優しさで、何をどうすればこんなにも優しくなれるのかという疑問が不意に芽生え、その優しさがレベルというもので現せるのならば、きっとその数値は上限を突破しているのでは無いかと気付き、オペの前にファルケと交わした言葉を思い出してしまう。 「今日、ホアキンと勇者のレベルについて話をしていた」 「勇者?」  慶一朗が己を見ながら唐突に笑み交じりに呟く言葉の真意が分からずに困惑した顔で思わず問い返したリアムに、笑みをにやりとしたものに変えた慶一朗が一瞬名残惜しそうに腕を解いて向き合うようにソファに座り直すと、髭に覆われている顎を指で撫でながら軽く持ち上げる。 「今日は彼にとって初めての難しいオペだった」  朝から緊張していたからそれを解すためにお前に不足しているのは経験だと話していた時、ゲームのように敵を倒すだけで経験値が上がればどれ程良いだろうなと話し、勇者だとしてレベルはどのくらいだろうかと聞いてきたからレベル5ぐらいかと返したと肩を揺らすと、リアムの顔に一瞬の驚愕の後に見惚れてしまうような笑みが浮かび、顎を軽く持ち上げながらキスをする。 「彼がレベル5ならケイさんはどのくらいだ?」 「……せいぜい10ぐらいじゃないか?」  たかが5レベルの差で偉そうにしている己がおかしすぎると笑うとリアムの両手が慶一朗の頬を包み、あなたのレベルはもっと高いと思うと真摯な顔で訂正されて口を閉ざす。  ドクターとしてのレベルはリアムの言うとおり高いのかも知れないが、今はその言葉を素直に受け入れることが出来ずにそうであって欲しいなと目を閉じると、眼鏡が外される感触がし次いで瞼に濡れた感触が生まれる。  「大丈夫だ。あなたの傍にいる彼もきっとすぐにレベルアップする。そしてあなたもまたレベルアップするんだ」  疲れているから自己肯定感が低くなっているのだろうが、一晩眠ればそんな気持ちもきっと変化するだろうと笑いながら抱き寄せられ、分厚い胸板に全てを預けるように力を抜くと先程のようにしっかりと抱きしめられる。  ドクターとしてのレベルは高いかも知れないが人としてのレベルを思ったとき、リアムはそのレベルが優しさ同様マックスに達しているのではと思える程だった。  人畜無害と揶揄っているが、文字通り人にも動物にも害を及ぼさない優しさと、守れる強さを兼ね備えた男。  それに引き換え己のレベルはきっと地を這うほどの低さだろうと自嘲するが、そっと顔を上げるとそこには慶一朗を信じて疑わない穏やかな優しい笑みを浮かべた顔があり、その信頼に応える為に己が出来る事は一晩ぐっすり眠り、明日の朝には二人分のコーヒーを淹れるだけだと気付くと、口の端を今できる最大限の力で持ち上げて小さく両手を広げる。  二人の間で両手を広げる意味は主に謝罪だったが、今はそうではないと別の意味を酌み取ったリアムが、心底嬉しそうな顔で慶一朗の両手の間に身体を押し込んで細い背中を抱きしめる。  リアムの行動が間違っていないことを教えるように慶一朗の口から嬉しそうな吐息が零れ落ち、朝のコーヒーを楽しみにしていてくれと自覚のない寝息交じりに呟くと、期待していることを教えてくれるキスがこめかみに落とされる。 「……今日は、もう……」  いつもと比べれば早い時間だが今日はもう限界だと呟くことも限界だったようで、慶一朗にとってこの世の何処よりも安心出来る場所から穏やかな寝息が流れ出し、そっと慶一朗をソファに寝かせたリアムは、静かにだが大急ぎで寝る前のルーティーンを済ませると、ベッドルームに行く前の決まり事であるデュークをぎゅっとハグしてお休みを告げ、ソファで寝息を立てている慶一朗を静かに抱き上げる。  また甘やかしているという言葉が脳裏に蘇るが、疲労困憊の慶一朗を起こすことなど出来ずに今日だけは許して貰おうと笑みを浮かべ、ぐっすりと眠ることで明日目を覚ました時にいつもの慶一朗になっている事を信じて疑わない顔でゆっくりとベッドルームに向かいベッドに下ろすと、その隣に潜り込んで疲労が滲んだ慶一朗の頬にキスをし、眠気がやって来るまでの間、読書灯を使って穏やかな眠りを妨げないように気を付けつつタブレットを開くのだった。  最近ではリアムでは無くデュークに起こされることが多くなった慶一朗が寝癖が跳ね放題の頭に手を宛てながら階段を降りてきたことに気付き、朝一番に見るには相応しい笑顔でリアムがモーニン、トースターにパンが入っているから出してくれとフライパン片手に伝えると重力に従ったように慶一朗の頭が上下する。 「……今日はスクランブルエッグか?」 「うん。他が良いか?」  料理が得意であっても朝から二人分のモーニングの用意をすることなど面倒な筈なのに、リクエストがあるのかと笑顔で聞いてくれる人の好い愛すべき男の髭に埋もれていない頬にキスをした慶一朗は、驚いたように見つめられる目に目を細め、スクランブルエッグならブラックペッパーを振ってくれと伝えると、途端に嬉しそうな笑みが顔を彩る。  昨日疲労困憊から自己肯定感の低い言葉を発した気がするが、リアムの言うとおり一晩眠ればそんな気持ちも薄らいでいて、この笑顔を見るためならばそんな思いをなるべく封じようと決めると、昨日のように髭に覆われている顎を掴んで小さな音を立てて唇にキスをする。 「今朝はドリップコーヒーが良いんだな?」 「うん。ケイさんが淹れてくれるようになって職場でコーヒーが飲めなくなった」  味の違いが分かるようになって幸せなのか不幸せなのか分からなくなったと笑うリアムに、それは俺が毎日職場で感じている事だと返すと、今日のランチボックスは何だと慶一朗が作業スペースに並べられている二つのランチボックスを覗き込む。 「今日は忙しくても手軽に食えるホットサンドにした」  職場で温め直して食うのは難しいだろうが、忙しくても片手で食えると笑うリアムに背後から抱きつき、昨日みたいな無様な姿はもう見せないとその背中に告白すると、信じていると教えるように腹の前に回した手を叩かれる。 「ほら、出来たぞ」  皿を取ってくれと笑うリアムに慶一朗も素直に両手に皿を持ってまるで料理の助手のように、シェフ、これで宜しいでしょうかと戯けた風に問いかけると、Sehr gut.とドイツ語で返ってくる。  朝から昨日とは全く違う気持ちで料理をカウンターに並べ、リアムが横に座るのを同じ気持ちで待つと、デュークのお食事処を開設した家事全般万能男が隣のスツールに腰を下ろす。 「Mal zeit.」  定番になっている合図を機に左右から上がる犬語と日本語の声を聞き、リアムも己が作ったモーニングを食べ始めるのだった。    朝から贅沢なことに紙では無く布のフィルターを使ったドリップコーヒーを味わったリアムは、慶一朗の跳ね放題の髪を落ち着かせながら今日もイケメンになったと笑い、男前のレベルがあればケイさんはカンストしているなぁと朗らかに笑う。  己の顔面のレベルなど興味は無いが、鏡越しに見るリアムの顔が本当に嬉しそうだったことが嬉しくて、それでも少しの気恥ずかしさからそんな事は無いと返すと、そんな事はあるんだなと言葉遊びのようなものが鏡に反射する。 「……良し」  専属スタイリストが満足したように息を吐いたことに気付いた慶一朗がくるりと振り返り、髭に覆われている顔を両手で挟むと、額をコツンとぶつけて目を閉じる。 「行ってくる」 「うん、行ってこい」  ランチボックスを忘れずにと笑うリアムの唇にキスをして洗面所を出ると、二人が出てくるのを待っていたデュークの尻尾がブンブンと左右に揺れた後、この後の事態を理解している為にしおしおと下がってしまう。 「帰ってきたらブラッシングをしてお前もイケメンになるぞ」 「ワフッ!」  その言葉が嬉しかったようで、その場でくるくると回り始めるデュークを掛け声一つでリアムが落ち着かせ、愛車のキーと通勤時のバッグとランチボックスを入れた袋を手にした慶一朗がリアムとデュークを交互に見た後、人差し指を口元に宛がい、二人に向けて軽く指を弾いてキスを投げる。  それをそれぞれの表情で受け取った二人は昨日とは全く違う足取りでドアを開けて出て行く背中を見送り、程なくして聞こえてくるエンジン音に今日も一日頑張ってこいと祈るように告げると、リアムは己の出勤の準備を、デュークは留守番の為に一人掛けのソファに飛び乗り、お気に入りのテディベアを相手にガウガウと遊び始めるのだった。    今日も昨日の続きのようにオペが入り、それ以外にも仕事が待ち構えている職場に入った慶一朗は、自宅で見せていた甘えるような顔から飄々としたものに切り替え、おはようございますと挨拶をしてくる声に振り返る。  そこにいたのは朝からすがすがしい笑みを浮かべるファルケで、この男もリアムと同じ人種なのかも知れないと内心苦笑し、おはようと返すと昨日の不安など一切感じさせない顔で今日も頑張りますと笑みを浮かべてくる。  きっと昨日一晩で己とは違う自己肯定感を覚えていただろうが、この素直さがあればあっという間にレベルアップするだろうとの予感を覚えた慶一朗は、ゲームの勇者と違って敵と戦ったからと言ってすぐさまレベルが上がる訳ではないが、階段をある程度上った先で振り返ったときに己が歩んできた道が見え、その時に実感するだろうと気付き、その実感を得るための一歩を今日も踏み出そうと伝える代わりに肩に手を載せると、今日のオペで聴きたい曲を選んできましたと朗らかに返される。 「昨日流せなかったからな、じゃあ今日はそれを流そう」  そのためには今日も精一杯やるかと、今から冒険に向かう勇者のように二人並んで向かうのだった。      
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  Hey darling, give me a hug, please.
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