冬の太陽が寝床に帰る準備を始めたシドニーの空の玄関口である空港に小さなスーツケースを引っ張り現れたのは、一緒にやって来た姉夫妻と同じフライトで帰国することにしたケネスだった。
今回のシドニー滞在の主な理由は医療機関の視察だったが、その視察自体に他の同行者には決して公表できない理由を混ぜ込んでいた為、視察後もシドニーに滞在することにしていた。
約ひと月をシドニーで過ごしたケネスだったが、過去何度も訪れた時には得られなかった充足感と爽快感を覚えていて、それが表情にも出ていたのか、夫に荷物を預けているアイリーンがどうしたのとそっと問いかけてくる。
「いや、スコットランドはもう涼しくなっているのか?」
「そうね、こちらに来る前はまだ暑い日も多かったけれど、日が沈めば涼しいんじゃないかしら」
8月という世間一般ではバカンスの時期に季節が逆のシドニーを訪れる事である意味バカンスにもなると思っていたが、今回のバカンスはリフレッシュやリラックスとは程遠い緊張と自省とそして掛け替えのないものになるであろう友人との出会いを用意してくれていた。
その友人とは昨夜のうちに別れを済ませた為に次の再会はまだいつになるかは未定だった。
帰国後の落ち着いた頃合いにメッセージを送ってもきっと許してくれる、そんな空気を全身から発しながら笑みを浮かべる大きな体とそれに相応しい心を持つ友人の顔を思い浮かべ、その隣にアジア系とはまた少し違う不思議な顔立ちの古くからの友人の顔も思い出すと、二人の仲の良さにほんの少しだけ嫉妬してしまいそうになり、緩く顔を左右に振ってそれを体外へと追い払う。
今回、友人達に多大な迷惑を掛けた原因は、己の下らない嫉妬心からだった。
それを思い出して自戒をしたケネスの横顔をじっと見つめたアイリーンだったが、搭乗手続きの為に家人がカウンターに向かうのを見送り、帰国後は何かと忙しいわねとやっと家路につく安堵に息を吐くと、その隣では彼女の夫が同じように頷くが、コアラをハグできたこと、カンガルーが彼方此方を飛び跳ねている様子を見ることも出来た事が嬉しいと、まるで初めてのオーストラリアを体験した子供の様な顔で滞在時の楽しかったことを話すと、ハーバーブリッジを歩いて登ったしとケネスが片目を閉じて続ける。
「ああ、それも楽しかった」
エディンバラにフォース鉄橋があるけれど、あの橋は歩いて渡ることは出来ないからなぁと、心底残念そうな顔で呟いたアダムにケネスが半ば呆れたような顔で、あの鋼鉄の恐竜の背中から飛び降りるつもりかと笑みを浮かべた時、背後から名を呼ばれて振り返る。
「ケネス!」
間に合って良かったと笑うのは昨日別れを告げたはずのリアムと慶一朗で、軽く驚きながら来たのかと呟くと、その表情から何かを察したアイリーンが夫の腕に手を掛けて合図を送り、カウンターの前にいるわねと言い残して歩き出す。
「帰る前に言いたいことがあった」
本当は昨日伝えるつもりだったが寝落ちしてしまったから無理だったと笑った慶一朗は、何を言われるのか鼓動を速めているが決してそれをおくびにも出さないケネスにそっと頷いた後、口の端を持ち上げて青い目を驚きに見開かせる。
「……今までもこれからも……どんなことがあってもお前は俺の友達だ」
だから次は皆一緒にキャンプに行くぞと笑い、今回ケネスが巻き起こした騒動の全てを許している事を教える顔で手を差し出してくる。
その手をそっと握ったケネスだったが、隣で穏やかな顔で笑うリアムに昨夜のように悪いと詫びた後、慶一朗の細い背中をきつく抱きしめる。
「また、会ってくれるのか」
「友達と言っただろう?」
当たり前のことを聞くなと少しだけ苛立ちを覚えている声で返した慶一朗の匂いを確かめるように息を吸ったケネスは、記憶の中にあるものと同じようで確実に違うものを感じ取り、その違いを齎したのが隣にいるリアムだと確信すると、慶一朗から離れてリアムに向き直る。
「昨日は本当に楽しかった」
次はケイが言うようにキャンプに行くが私は行ったことが無いから教えろと、どうしても偉そうに聞こえる言葉でリアムに手を差し出すと、たった一晩ゆっくりと話をしただけなのにケネスの為人を見抜いているのか、分かっていると言いたげな笑みを浮かべて頷かれ、握手をした後に慶一朗とは全く違う厚みのある身体を抱きしめ、予想通りの優しさで背中を抱きしめられる。
「……次はゆっくりと酒を飲みながら話をしたいな」
昨夜もゆっくりとした時間を持てたが、次はそれ以上にもっと色々な話をしよう、そして皆で同じ料理を食べて同じ楽しい時間を過ごそうと、友人としての最上の時間の過ごし方を提案してくるリアムに頷き、楽しみにしていると返したケネスは、少しの照れを浮かべながら離れたリアムと握手をし、慶一朗の右耳に残る己の愚行の痕跡に目を細める。
「ケイ」
「何だ?」
「……今回迷惑を掛けたことを償いたいから受け取ってくれ」
慶一朗の耳に顔を寄せてリアムに聞こえないように囁いたケネスは、そんなものは不要だと眉を寄せられるが、お前の時と同じだと続けると慶一朗の眉が開いて呆れた様に息を吐く。
「ケイさん?」
「何でもない……分かった」
リアムの不思議そうな声に小さく笑みを浮かべ、ケネスにはすべて任せると頷いた慶一朗は、少し離れた位置にあるカウンターからこちらを見ているアイリーンに気付き、姉夫婦が待っているぞとそちらへと目を向ける。
「ああ、そうだな」
「じゃあ俺たちはそろそろ帰る」
スコットランドまでは時間が掛かるがフライトを楽しんでくれと告げ、ケネスの頬にキスをした慶一朗に次いでリアムも少し緊張気味にキスをすると、二人の見送りが嬉しいと笑みを浮かべたケネスが目を細めるが、俺たちだけじゃないとリアムがネタ晴らしをするように彼の背後を指し示す。
振り返ったケネスが見つけたのは、何度も訪れているが初めて空港まで見送りに来てくれたルカとラシードの姿で、一緒に来ているのならばこちらに来れば良いのにと思いつつも良く言っておいてくれと目の前の二人の友人に背後の友人のことを頼むと、それ以上は矜持が許さないと言いたげに二人に手を挙げて大股に家族が待つカウンター前へと向かう。
真っ直ぐに伸びる背中を見送ったリアムと慶一朗だったが、搭乗ゲートを潜る直前に振り返った端正な顔が笑顔であり、こちらに再度手を挙げたことに自然と笑みを浮かべ、その姿が見えなくなるまで見送ると、少し離れた場所で待っているルカとラシードの前に向かうのだった。
搭乗ゲートを潜りラウンジに入ったケネス達だったが、心地良い高揚感に胸が軽く踊っている事に気付き、こちらに来る時には嫉妬で曇っていた世界が晴れ渡る青空になっている事に気付く。
ラウンジのソファにゆったりと腰を下ろし、アダムが運んできたロックグラスを受け取り、喉を焼く琥珀の液体を気持ちよさそうな顔で飲む。
「さっき話をしていたのはどなた?」
ケネスの様子に呆気に取られながらも、駆け付けた時よりはるかに明るくなっている事から夫と顔を見合わせて安堵の笑みを浮かべたアイリーンがそっと問いかけると、グラスをテーブルに置いたケネスが少しだけ躊躇するように視線を彷徨わせるが、姉夫婦に綺麗な笑みを見せる。
「私の大切な友達だ」
いつかちゃんとアニーにも紹介したいが、ああ、次のシドニー訪問の楽しみが出来た、次はいつ来ようかと笑う弟の顔が本当に心からの歓喜を現している事に気付いた姉は、そう、大切なお友達なのねと目を伏せると、それ以上は何も聞くことなくこの後の長時間のフライトで時間潰しをどのようにしようかと思案気に呟き、ケネスも悩みそうだったが、つい先ほど慶一朗に告げた様に今回のお詫びのものを準備しなければという使命感に囚われていて、母国までのフライトも退屈すること無く時間を過ごすのだった。
ケネスという名のサイクロンが笑顔で去った後、週が明けて月が変わって9月になると、視察団が訪れた時の喧噪はいつもの日常に取って代わられ、ホーキンス・ファミリー・メディカルセンターも平常運転という言葉が相応しい日々が続いていた。
そんな日々の中、ティーブレイクに食べてくれと笑顔でリアムが差し出したのは、見るからに手作りだと分かるパウンドケーキで、表面の彼方此方に濃い色の焼き目が付いている様から慣れない人が初めて手作りしたのかと考えてしまうものだった。
切り分けておいたそれをテーブルに並べ、好き嫌いがあるから今回はプレーンとチョコレートを作ってみたと肩を竦めるリアムの言葉に女性陣がテーブルに身を乗り出して並ぶ二本のケーキについてああでもない、こうでもないと論評を始めてしまう。
それを微笑ましい顔で見守っていたホーキンスとホワイトだったが、隣に座ったリアムに顔を寄せて何事かを囁いたホワイトは、正解だと頷くリアムの横顔に同じく目を細め、じゃあ私も頂こうかしらと期待に満ちた目をケーキに向ける。
「リアム、これは……」
「うん、ケイさんと一緒に初めて作った」
参考にしたレシピ通り作ったから大丈夫だと思うと若干の不安を滲ませた声にホーキンスとホワイト以外が驚きに目を見張り、ケイが作ったのかと口々に驚愕の声を上げ始める。
「ちゃんと小麦粉をしっかりと混ぜてくれたな」
材料の小麦粉やバターなどをしっかりと混ぜ合わせてくれたから上手く出来たと笑うリアムだったが、ホーキンスがぽつりと呟いた言葉に飲んでいた紅茶を吹き出しそうになる。
「……キッチンが綺麗になりましたか?」
その言葉が意味する事を皆が理解し顔を見合わせて楽しげに肩を揺らし、身を以て経験してしまったリアムが照れくさそうに鼻の頭をカリカリと引っ掻く。
「最近掃除が行き届いていなかったから綺麗になったなぁ」
オーブンが焼いてくれている間に掃除を終わらせられたと笑うと皆が感心した顔で頷き、リアムにとっては日常の延長の、一緒に作った慶一朗にとっては初めての経験の成果であるスイーツをそれぞれ食べ始め、美味しい、美味く焼けている、もう少ししっとりしても良いかもしれないと好き放題の言葉が聞こえてくるが、どれもが悪い物ではないことに安堵し、次はバナナブレッドを作ってみようかとリアムが呟くと、ドライフルーツも捨てがたいわねとリクエストの声が上がる。
「ケイさんに伝えておく」
ひとまず今はこれが皆の口に合ったようで安心したと笑うと、リアムも慶一朗と一緒に作ったケーキを一切れ摘まんで大きく口を開ける。
「……うん、美味いな」
そうして皆が満足の内にティーブレイクを解散し、さあ、診察時間が終わるまで頑張ろうと立ち上がって三々五々会議室を出て行く。
スタッフ達の背中を見送ったリアムが満足そうに息を吐くと、残っていたホーキンスとホワイトが微笑ましそうな顔で頷き合い、本当に慶一朗とケーキを作ってくれてありがとうと礼を言い、その言葉にリアムが目を丸くする。
「ケイさんがソフィーと約束をしたって言ってたからな」
だったら作らない訳にはいかないだろうと笑う愛嬌のある顔に二人の女性が再度頷き、あれから慶一朗の様子はどうだと問われて一瞬考え込むが、ソフィーに蹴られた背中が余程痛かったみたいで素直になっているとリアムが片目を閉じると、ホワイトの顔にさっと赤が差す。
「……もう、お節介をしたと思ってるから言わないで」
「いや、ケイさんも俺も感謝してる」
本当にあの時のソフィーの行動が無ければ今頃どうなっていたか分からないと真摯な顔で告げ、本当にありがとうと軽く頭を下げるリアムにホワイトが視線を右に左にと揺らしてしまうが、仲直りをしてそれ以上に仲が深くなったのなら良かったと心からの笑みを浮かべると、そそくさと会議室を出て行ってしまう。
「ディアナにも迷惑を掛けた」
「いいえ……そういえばクレイグからメッセージが届いたわ」
「元気にしているか?」
あの時、ケネスが齎したサイクロンに巻き込まれたマッカラム伯爵から連絡があったと教えられ、元気だろうか、帰国するまでに一緒に食事に行こうと誘われていたのに行けなかったとリアムが眉尻を下げると、その素直さに感心したようにホーキンスが顔を綻ばせる。
「次に会うときに必ず食事に行こうと伝えておくわ」
「ああ、頼む」
その時は勿論ケイさんも一緒だと笑うリアムにホーキンスも頷き、さあ、あと少し頑張りましょうかと告げると、誰もいなくなった会議室を二人揃って後にするのだった。
予定されていた全てのオペを無事に終え、患者やその家族に対する説明もそつなくこなした慶一朗は、久し振りに定時に帰れると伸びをし、今日一日同じようにアシスタントドクターとして横にいたファルケに労いの言葉を告げてまた明日と笑顔で愛車に乗り込むと、スマホを取りだしてリダイヤルの一番上に表示されている番号に電話を掛ける。
『ハロウ』
聞こえてくる声は朗らかで、その後ろで犬の鳴き声が聞こえてきたことから、散歩から帰ってきているのかそれとも自宅でデュークを相棒にトレーニングに勤しんでいるのかと問いかけると、今散歩から帰ってきたと教えられ、自然と目元を綻ばせてしまう。
今までならば帰るときにメッセージを送るのが関の山で、こうして電話を掛けることなど滅多になかったが、ケネスが巻き起こした騒動の後からは気恥ずかしさを感じる己を許すことが出来ず、また何が一体恥ずかしいのかという心持ちになった為、こうして電話を掛けるようになっていた。
その結果、今までならば気付くことが無かったリアムの帰宅後の行動を感じ取り、教えてもらえるようになった慶一朗は、今日のディナーは何だと問いかけ、ポークソテーと返されて口笛を吹く。
「肉が食いたかった」
『ビンゴ。気をつけて帰ってきてくれ、ケイさん』
耳に伝わる優しい声は目の前にリアムの笑顔があるように感じさせてくれ、自然と目を伏せてああと短く返事をすると、濡れた小さな音も続けて届けられる。
さすがに今ここでそれに返すことは人目がある為に難しいが、その気持ちに応えるように早く帰ると告げると、通話を終えて最近気に入っている曲を流し始め、アイドリングをしていた愛車のステアリングを指先でノックすると、さあ帰るぞと誰にともなく口に出してシートベルトを引っ張るのだった。
今日も今日とて絶品のディナーを食べ終え、一日の締め括りの必需品となっているフラットホワイトを二人分作った慶一朗は、ソファに座って待っているリアムの前にそれを置き、その隣に腰を下ろして逞しい肩に頭を預けるように身体ごと寄り掛かると、反対側の肩をしっかりと抱きしめられる。
「皆ケイさんと一緒に作ったケーキが美味いって褒めてた」
「……あれは殆どお前が作ったようなものだ」
俺がやったことと言えば、お前が割った卵とお前が準備した小麦粉を混ぜ合わせただけだと返すと、それで十分だと優しい言葉とキスが頬に届けられる。
慶一朗のことになると途端に甘くなるリアムのその言葉にそうかなとだけ返した慶一朗だったが、でも喜んでくれたのなら良かったと素直に気持ちを伝えると、テーブルで湯気を立てるマグカップを手に取る。
「……今日、ジャックから皆が心配していたと教えられた」
視察が終わってから慶一朗の様子がおかしくなったこと、仕事に私情を挟むような男ではないから大丈夫だとは思っているが、これ以上様子がおかしくなればお前に直接話を聞こうと思っていることをヒルがテイラーに伝えたようで、それを教えられたと慶一朗がカップに口を付けながら苦笑する。
「皆気に掛けてくれているんだな」
「……そうだな」
キンバリーがいる頃からは考えられない程のチームワークを発揮するようになったと笑みを浮かべ、同僚達に何か詫びでもした方が良いのかと呟くが、同じようにカップを手に取ったリアムが笑顔で告げる言葉に軽く目を見張ってしまう。
「今まで通り全力で仕事をすれば良いんじゃ無いか?」
その言葉から伝わるのが、彼らとは仕事上の関係であり、テイラー部長とのような関係を皆と作る必要は無い、ただあなたが必要だと思うのなら作れば良いと思うという良い意味での距離の取り方だった為、そうだなと頷くと己の心を理解された安心にリアムが目を細める。
ルカやラシード、そして帰国したケネスとは友人だが、同僚はあくまでも同僚であり、友人達と同じように考える必要は無いと、何故か冷淡に感じない不思議な声で教えられ、確かにそうだと微苦笑した慶一朗は、仕事で挽回するかと頷きカップの中のフラットホワイトを飲み干すと、テーブルに置いたスマホにメッセージが届いたことに気付き、面倒くささからそれをリアムの手に預ける。
「ケイさん?」
「確認してくれ」
突如手渡された慶一朗のスマホを呆然と見ていたリアムだったが、俺が見ても良いのかと呟くと、お前に隠すことなど何もないからなと、大きな欠伸混じりに返されて目を瞬かせてしまう。
スマホというプライバシーの塊を見てくれと差し出される程の信頼感は嬉しいが、そこまで踏み込んでも良いのかという疑問から躊躇っているリアムだったが、画面に表示された名前に気付き、ケネスからだと教えると慶一朗が一瞬何かを考え込んだ後にスマホを取り上げて内容を確かめ始める。
やはりスマホを見るのは気が引けると微苦笑しつつカップを空にしたリアムが二人分のカップを手にソファから立ち上がり、キッチンで軽く洗ってシンク横に伏せた時、ソファの背もたれに顎を載せて生首のような姿でこちらを見ている慶一朗に軽く驚いてしまう。
「ケイさん、それ、首を痛めないか?」
リアムの言葉に今まで一人掛けのソファで丸まっていたデュークの頭がひょっこりと慶一朗の隣に並び、端正な顔と凜々しい顔に見つめられて絶句してしまう。
「……ケネスからシドニー近郊のキャンプ地を教えてくれってメッセージが来た」
「キャンプ地?」
「ああ」
皆でキャンプに行く予定をしっかりと組み込んで次回こちらに来るらしいと笑う顔が穏やかで、それを見たリアムも安堵に目を細めてティータオルで手を拭いた後に水のボトルを冷蔵庫から出すと、口を利く生首の前に立ってその頬を撫でる。
「キャンプに行くのが楽しみだそうだ」
「それは嬉しいなぁ」
自分の趣味が受け入れられるだけでは無く楽しみにしてもらえるというのは嬉しいと目を細め、気持ち良さそうにリアムの手に頬を押し当てる慶一朗と、同じように撫でろと頭を押しつけてくるデュークの双方を撫でながら、こんな穏やかな気持ちでケネスの顔を思い出せるようになって本当に良かったと内心で呟くと、そろそろベッドに行くかと上を見ながら問いかける。
「そうだな」
リアムの言葉に大きく伸びをした慶一朗が己の隣で尻尾をゆらゆらと揺らしているデュークの首に腕を回して抱きしめると、それが意味する事を理解している賢いデュークが甘えるように鼻で鳴く。
「おやすみ、デューク」
寝る前のルーティーンを終えた慶一朗が立ち上がり、次いでリアムが同じようにデュークを抱きしめお休みの挨拶をすると、そんなリアムの腰に慶一朗が腕を回して身を寄せる。
ケネスとの初対面は本当に最悪で一方的なものだったが、キャンプに一緒に行こうと誘うまでの仲になれたことに己でも驚きつつも、この年になっても子どもの頃のように仲違いの後に関係を修復できるのは喜ばしいことだとの思いからそれをさせてくれた慶一朗の頬にキスをし、水のボトルを手に持って貰うと掛け声ひとつで抱き上げる。
「……ケイさん」
今日は平日だし難しいかも知れないが仲良くしたいと慶一朗の額に額を重ねてそっと囁くと、その言葉の先を想像した唇が綺麗な角度に持ち上がり、仕方がない王子様だと笑って先を許してくれる。
お互い準備があると夜に咲く花のような色香を滲ませた顔をリアムの髭面に擦り寄せると、デュークが勝手に入ってこないようにドアをしっかりと閉めておこうと笑い合い、成人男性を抱き上げているとは思えない軽快な足取りでベッドルームに入ったリアムは、滅多にすることは無いドアロックをしっかりと確かめると、慶一朗がシャワーを終えて出てくるのを待っているのだった。
ケネスというサイクロンに襲われた二人とその周りの人達だったが、リアムという心身の大きな男の存在によって皆が救われたことをそれぞれ実感しーそれはケネス自身もそうだったー、本当に得難い男だと本人の与り知らないうちに医者としてよりも人としての評価が底上げされていく。
その様子を肌で感じ取っていたのは最も身近にいる慶一朗や、プライベートで親交のあるルカやラシード達だったが、本人はそんな空気を良い意味で感じる事は無いのか、学生時代からのこちらも貴重な存在である旧友から飲み会に誘われて嬉しそうに返事をし、飲み会の後にそこに行けば必ず親友に会えるという貴重なスペースになっているアポフィスで慶一朗と合流しようと約束を交わすのだった。
そんな二人を、冬から春へと季節が移ろうことを教える雲が悠然と見下ろしながら流れていくのだった。
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