ラシードと一緒にVIPルームに入ってきた慶一朗とルカを笑顔で出迎えたリアムだったが、ここには似つかわしくない天使が何人か訪れたようで、室内に流れているBGMですら場違いに思える静けさが室内を覆ってしまう。
沈黙の理由を皆理解出来ている上に何ならその原因は自分達にあるとすら思っているようで、こんなことがなければきっと今流れている曲についての話題で盛り上がれるはずだった。
そんな四人を何とも言えない顔で見ていたのはリアムで、やれやれと溜息を吐いた後に大きな手を打ち付けて小気味良い音を室内に響かせる。
突如響いたその音にドアの前から動けなかった慶一朗の細い肩が跳ね上がり、その隣でラシードの腕に手を乗せていたルカも驚いたように目を見張るが、ソファで座っていたケネスも二人と同じように驚いたことを隠そうと咳払いをして座りなおしていた。
「みんなここで踊るのか?」
ドアの前で突っ立ったままということは踊りたいのか、さすがにこの曲は少しテンポがゆっくりじゃないかと肩を竦めるリアムの言葉にいち早く我に返った慶一朗がスローステップも悪くないがこの曲では踊れないなと同じように肩を竦めリアムの横に並ぶと、お前とはもっと激しいリズムの曲で踊りたいなと囁きながらその頬にキスをする。
「うん、俺もその方が好きだな」
小難しい話を終えたら一緒に踊りませんかと片目を閉じるリアムに頷いた慶一朗だったが、鍛えられている体の横からひょっこりと顔を出すと、座ったままこちらから顔を背けているケネスに気付いて苦笑交じりに呼びかける。
「ケネス」
「……何だ」
慶一朗の呼びかけに顔を向けずに返事をするケネスだったが、先程のリアムのように溜息を吐いた慶一朗がソファの背後を回り込み、リアムとケネスの間のコーナーの背もたれに座り込んで背けられたままの顔を見下ろす。
「ケネス、こっちを向け」
呼びかける声は穏やかなものだったが、やはり無理矢理襲おうとしたあの夜がケネスに慶一朗を直視できなくさせているようで、口の中で何かを呟くものの顔を向けることはなかった。
その態度に短く舌打ちをした慶一朗が背もたれから滑り落ちるようにソファに膝立ちになると、こっちを向けともう一度告げて端正な顔を両手で固定し、無理矢理正対させる。
「先に言っておく」
慶一朗の両手に顔を固定されて逃げることもできずに真正面から見つめられたケネスは、まるで死刑を言い渡される囚人のような気持ちになるが、それを顔に出すことなど矜持からできずに腿の横で拳を握り、何だと静かに問い返すと、やっとこっちを見たと慶一朗の顔に笑みが浮かんだことに驚き目を見張ってしまう。
「この間のことだ」
「ああ」
「あの時、俺も頭に血が上っていてお前にグラスを投げつけた」
友達に本気でグラスを投げつけるなどやってはいけないことだった、許してくれとまずは己の愚行の謝罪をする慶一朗を呆然と見つめたケネスは、その謝罪につられるように意地を張ることなく私こそ悪かったと謝罪の言葉を口にする。
「……お前の意見を聞かずに……前のようなことをしてしまった」
お前とは友人という関係になったのに、それなのに自分のものだと強く思い込み、薬を使って無理矢理襲おうとしたことを許してくれと伏し目がちに謝罪をされた慶一朗の口から小さな吐息が一つ零れ落ち、それに気づいたケネスが己の意思で眼鏡越しに色素の薄い目を見つめると、花が開いたような笑みが顔中に広がっていく事に呆然と目を見張ってしまう。
「俺の友人は馬鹿じゃないってことを証明してくれてサンクス、ケネス」
同じ過ちを繰り返さない、もしも繰り返したとしても謝罪するべき時はそれができる男だと自ら証明してくれてありがとうと笑みを浮かべた慶一朗が両手を広げると、恐る恐るといった様子でケネスがその腕の間に体を押し込んで細い背中を抱きしめる。
慶一朗がリアムと付き合うかどうかについて悩んでいた頃、何度か電話で相談を受けたことがあったケネスは、半ば軽い気持ちで付き合ってみればどうだと勧めたのだが、それ以降はリアムとの関係について何の音沙汰もなく、それどころか仕事でシドニーに来ているときでさえもケネス自身の多忙さもあり、連絡を取ることも出来なくなっていたのだ。
だから慶一朗が付き合うかどうかを悩んでいた男と結婚という一つのゴールを潜ったことも当然ながら知らず、風の便りで耳にした事を確かめた結果、届いた便りが何一つ間違いではないことを知らされ、脳味噌が白熱しそうになるほどの衝撃を受けたのだ。
いつもとは違う働きをする脳味噌で思案したのが、慶一朗と結婚したリアムという男に対する嫌がらせーとしか言いようのない幼稚な行為だと今では理解できるーで、彼が働くクリニックへの支援を続ける母国の伯爵の手からそれを奪い取り、支援を中止するという暴挙に出てしまったのだ。
全ては己の幼稚な嫉妬からくるものだと今のケネスは十二分に理解しているため、背中を抱きしめる手に力を込め、お前とお前の愛する人を傷つけて悪かったと謝罪を繰り返すと、付き合っている頃には感じられなかった慶一朗の優しさを背中越しに受け止め、目の前の細い肩に額を押し当てる。
「何度か言ったことがあると思う……俺は、俺の言葉を無視したり無理矢理抱こうとする奴は嫌いだ」
己の背中を撫でながらいつかの出来事を思い出しているような顔で笑う慶一朗の言葉を聞いたリアムが、上目遣いで鼻の頭を引っ搔きながら許してほしいなぁと呟いたのを聞いたケネスが驚いたように慶一朗とリアムを交互に見つめ、付き合いだしてすぐの頃、酒に酔ったリアムに襲われたことがある、その時は頭突きを食らわせてやったと笑う声に呆気に取られてしまう。
「お前のような筋肉バカに襲われたらひとたまりもない、俺の意見を無視するような奴は恋人と認めない」
あの夜、強かに酔ったリアムを見下ろした慶一朗が言い放った言葉を再度耳にし、反省していますと肩を落としたリアムを肩越しに振り返った慶一朗が楽しそうに目を細め、次いで目の前の端正な顔を見つめながらその頬にキスをする。
「お前は権力を持っている」
「……私の権力など……」
「たかが知れていると言いたいのかもしれないが、俺たちに比べればお前ははるかに力を持っている」
そんな人間が持たざる者を権力や暴力で屈服させるような言動は積極的に嫌いだと笑いながらケネスの白い頬を手の甲で撫でた慶一朗は、だからあの時双子の兄の総一朗も腹を立てたんだと思うと告白し、己の背後にリアムが腰を下ろしたことに気づくと、鼻から抜けるような息を吐いて背後に倒れこむ。
その行動はリアムを信じるが故のものだったが、ケネスが驚き手を伸ばそうとする前に大きな手が慶一朗を背後から支え、己の顎の下に回される逞しい腕に満足そうに眼を閉じた顔を見てしまえばその手をソファに落とすしかできなかった。
知らない間に築かれていったリアムとの信頼関係があるからこそだろうが、その信頼を得るまでに二人の間では一体どれだけの感情のぶつかり合いがあり、二人を苦しめる問題があったのだろうと、目の前で見せられる仲の良さに嫉妬するよりも先にケネスが思い描いたのは、こうして信頼している姿を見せられるまでになった二人が歩んできた道だった。
その道は当然ながらなだらかなものなどではなく、乗り越えることすら困難に思えるような険しい山をいくつも登り、時には転がり落ちる痛みを経験してきたかもしれなかった。
だが、そんな時でもきっと二人は互いを信じ、離れかけた手を伸ばしては繋ぎ合ってきたのだろう。
自分たちの後ろに続く果てしない道を振り返った慶一朗が穏やかな笑みを浮かべ、その横では見た人を幸福な気持ちにさせるような笑みを浮かべたリアムが慶一朗を支えながら立っている、そんな見てきたかのような鮮烈な映像が脳裏に浮かび、知らず知らずのうちに感慨に囚われそうになったケネスは、小さく声を零した後に顔の前に手を立てて皆の視線を遮る。
不思議な事に胸に満ちていくのが爽快感としか言えない爽やかな感情で、その不思議に目を伏せるが、立てた手の横から慶一朗の少し悪戯を思いついた子供のような笑顔と、その後ろでは大きな心身でもって己に関わる人たちを幸せにするような笑みを浮かべるリアムに見つめられている事に気付いて咳ばらいを一つ。
遠い昔、若気の至りという言葉がふさわしい、恋も愛も何も分かっていない付き合い方をしていた慶一朗と恋人という関係を解消し友人になったはずなのに、それを受け入れることが出来ないようにいつまでも立ち止まっていた己を、呆れるでもなくこうして穏やかな顔で見守ってくれているのだと気付くと、今回の己の浅慮から発したすべての事象が音もなく昇華していくような気持ちになる。
「敵わないな」
「ケネス?」
リアムの太い腕をまるでマフラーか何かのように首に回しながら慶一朗が小首を傾げるが、何でもないとさっぱりとした顔で笑われて何だと眉を寄せる。
「……ルカ、ラシード、こちらに来て座れ」
今の今までドアの前でいつ自分たちに判決が下るのかと言いたげな顔で寄り添っていた二人にケネスが苦笑しつつ手招きし、その声に二人が雷に打たれたようなショックを受けている顔で目を見張る。
「何だ」
何をそんなに驚いているんだとケネスが怪訝な顔で二人を見つめ、何でもないとルカが顔の前で手を振ると、リアムと慶一朗と対面の場所に並んで座りながら迷惑をかけたことを詫びようとするが、それに気づいたケネスが咳払いで先制し、皆の視線を集めながらきれいな笑みを浮かべる。
「リアム、ケイ、今回は色々と迷惑をかけた。ルカ、ラシード、お前たちにも迷惑も心配もかけさせた」
許してくれと頭を下げるケネスを慶一朗は当然だと言いたげに、リアムは今日何度目の衝撃だろうと言いたげな顔で、そしてルカとラシードは今までの長い付き合いの中で初めて目の当たりにしたケネスの真摯さに絶句してしまう。
「明日スコットランドに帰るが、次にここに来た時にまた会おう」
続けられるケネスの言葉に皆反対などなかったが、会おうじゃなくて会ってくれと泣いて頼むべきだろうと慶一朗が減らず口をたたき、お前はその口を何とかしなければいつかリアムに呆れられるぞと青い目に睨まれて明後日のほうへと視線を飛ばす。
「……小難しい話は終わりか?」
室内に先ほどとは全く違う理由で駆け付けた天使が沈黙をまき散らすが、天使が通り過ぎた気配を感じ取ったリアムがケネスに問いかけると、もう終わりだと鷹揚に頷かれて良かったと胸を撫で下ろす。
「何か飲まないか?」
「何でも飲んでくれ。今日は俺が奢る」
リアムの言葉に皆の顔にも安堵の笑みが浮かぶとラシードが今日のドリンクはすべて俺が払うと告げ、ルカも何度も首を縦に振ってそうしようと促してくる。
「あ、そうだ!」
大切なことを思い出したとルカが目と口を丸くした後、隣のラシードのシャツの胸ポケットに手を突っ込み、皆の目を己と同じように丸くさせることに成功する。
「これ、渡さなきゃって思って預かってた」
ルカがラシードのポケットから取り出したのは、部屋の照明にきらりと光る一本のリングで、あの日、行方不明になったと思っていた慶一朗のマリッジリングだった。
己の右手薬指から失われていたリングと久しぶりに対面し、持っていてくれたのかとルカを見つめた慶一朗は、小さく頷く親友にキスを投げてお返しにリングを投げてくれと合図を送り、煌めきながら己の掌に吸い込まれるように落ちてくるリングを愛おしそうに見つめる。
このリングが失われたことで己はリアムに相応しくないと思い込んだ結果の悲しい口論を思い出し、あの時の思いはまたいつ何時顔を出すかも分からないが、そんな弱い己を受け入れられるようになるまでは己の感情を何があっても倒れることなく支えてくれる男に委ねようと振り返った慶一朗は、鼻の頭を掻きながら上目遣いに何やら不明瞭な言葉を呟くリアムに気づいてどうしたと首を傾げると、そのリングを貸してくれと掌を向けられて意味も分からないまま分厚い掌に載せる。
「……うん」
何がうんなのか全く理解できない顔を見せる慶一朗の右手を押し戴くようにリアムが顔の高さに持ち上げると、もう二度とそこを離れるなと言いたげな顔で薬指にリングを嵌め、友人達の前で新たな誓いを交わすように口付ける。
「二度目の誓いだな」
「……ああ」
もうこれから先、何があっても外すことはないと穏やかな顔で断言する慶一朗にリアムも満足げに頷くと、ケネスが二人のそれを祝うように拍手をする。
「友達の私を結婚式にも招待しない水臭いお前達、結婚祝いは何が欲しい?」
手を打ち付けるケネスの顔からは嫉妬などの負の感情は欠片も見えず、本心から祝いをくれると言ってるのだと気づいた慶一朗が考え込むように天井を見上げた後、俺たち全員が一緒に行くキャンプで使える道具一式が欲しいと言い放ち、リアムがキャンプ道具なら今あるものでも十分だ、結婚祝いなど気持ちだけで良いと慌てながら慶一朗の言葉を取り消そうとするが、今回一番迷惑をかけられたのはお前なんだ、お前が欲しいものを言えと言い放たれて言葉に詰まってしまう。
「ふむ。キャンプ道具か……リアムが好きなのか?」
「ああ。連休になればデュークも一緒に良く行っている」
休日の過ごし方の一部を披露した慶一朗の言葉に公爵という言葉が混ざっていることに気付いたケネスの眉がくっきりと寄せられ、自分以外に公爵の肩書を持つ誰かと付き合いがあるのかと問いかけると、事情を知っているルカがそうじゃないと苦笑しつつケネスの疑念を払拭する。
「デュークという名前のジャーマンシェパードだ」
「シェパード?」
「良く躾けられていて本当に頭の良い犬だ」
今日は自宅で留守番をしているが本当に頭の良い犬だと笑うルカとラシードに、何故かそうだろうそうだろうと胸を張る慶一朗だったが、お前に犬の躾など出来るはずがない、どうせ躾をしたのはリアムだろうとケネスに冷たく言い放たれて喉の奥で奇妙な音を立ててしまう。
「子供とペットはドイツ人に躾させろと言うからな」
いつかどこかで誰かの口から聞かされた言葉に慶一朗が荒い鼻息を吐き腕を組むと、ケネスに向けて目を眇める。
「クソッタレ」
「まーたそれを言う!」
「お前はどうしてそう汚い言葉を使いたがるんだ?」
何度それを言えば使わなくなるんだと前と後ろの二人から指摘された慶一朗だったが、どちらの男の顔にも素直に謝らなければ許してくれないと書かれていて、まずはリアムに向けて小さく両手を広げると、まったくと呆れながらもそれでもそんな慶一朗でも受け入れると言いたげに目元を和らげたリアムがその手を押し広げるように体を押し込んで背中をポンと叩き、今度はその腕から抜け出してケネスをそっとハグする。
「……もう、言わない」
「是非そうしてくれ」
その様子を呆然と見ていたルカとラシードだったが、あのケイが素直に謝っている、一体いつからこんな素直な男になったんだと盛大に驚き、確かにケイさんが謝ることは滅多にないなぁと、この中では最も謝罪をされてしかるべき男が天井を見上げて嘯き、ケネスから離れた慶一朗が目じりを赤く染めて同じ言葉を吐き捨てようとするが、寸前の所で両手で口元を覆い隠して言葉が流れ出すのを防止する。
「……良く止めたなぁ」
感心感心と手を打つリアムをじろりと睨んだ慶一朗だったが、唾を飲み込んだ後に喉が渇いたから何か飲もうと声を上げ、テーブルのスマホを取り上げてビールと叫ぶ。
「ケイさん、俺もビール」
「私はスパークリングワインが欲しいな」
スマホを操作する慶一朗にリアムとケネスが、ルカとラシードもビールを注文し、程なくして皆がオーダーしたものをシャルルが運んでくる。
「サンクス、シャルル」
ルカが笑顔でトレイを受け取り、テーブルにそれを置くのを見ていたシャルルがリアムの視線に気づいて顔を向けると、すべて解決したからと片目を閉じてアンディにも伝言してくれと伝えると安堵の顔で頷いたシャルルが静かに部屋を出ていく。
「じゃあ次の再会を願って」
今までの事をこの酒で飲み干してしまおう、そして次は友人として再会しようとリアムがビールのボトルを掲げ、その隣で慶一朗も同じようにボトルを掲げると、ルカとラシードもそれぞれのグラスを顔の高さに持ち上げ、最後にケネスがフルートグラスをそっと持ち上げる。
「乾杯」
その言葉に皆が唱和し、ボトルの底と底、グラスの縁を軽く触れ合わせる澄んだ音が声に覆い被さって部屋に満ち、部屋のドアに嵌められている細い窓からその様子を見たシャルルの顔にも心底安堵した笑みが浮かぶのだった。
ああ、今日は本当に楽しかった、忘れられない夜になったと笑顔で差し出される綺麗な手をそっと握ったリアムは、明日のフライトは何時だと問いかけ、夕方の便だと教えられて隣で欠伸を噛み殺している慶一朗を見つめる。
「……分かった」
その一言でリアムが何を言いたいのかを察するだけではなく行動への許可を与え、勿論と続ける事でリアムの顔に安堵の笑みが広がる。
「今日はケイさんが限界みたいだからそろそろ帰る」
いつもならばこんな時間はまだまだ遊び倒す時間だと言い張る慶一朗だったが、このひと月ほど公私に渡って頭を悩ませ心を塞いでいた問題が解決した反動か、珍しく今日は家に帰って寝ると言い放った為、リアムも同意をしたのだ。
その結果、明日帰国するケネスとも別れることになり、それだけは残念だと肩を竦めて伝えるが、その腕をケネスが理解していると言いたげにポンと叩き、ワガママな男を頼むと慶一朗に目を向ける。
「ケイ」
「何だ?」
「……そのリングを二度と外すなよ」
私が言えたことではないがと微苦笑するケネスに慶一朗が無言で頷くが、右手をしっかりと握りしめたことを確かめ、それでいいと小さく頷かれてリアムに寄り掛る。
突然寄りかかってくる体を支えながら、次に来る時は教えてくれ、時間の都合がつくのなら一緒にキャンプに行こう、勿論ルカとラシードも一緒だとケネスの次回の予定に自分達と一緒に過ごす日を組み込んでくれと笑顔で伝えると一瞬驚いたように青い瞳が見開かれるが、期待していようと鷹揚に頷かれて嬉しそうに顔を綻ばせる。
「今回は本当に来てよかった」
新たな友人も出来たことだしと片目を閉じる端正な顔にリアムも頷き、自分達がスコットランドに行く事があれば案内してくれと再度手を差し出すと、勿論と頷くケネスがその手を再度握りしめる。
「ルカが呼んでくれた車が来たみたいだ」
VIPルームのドアを開けたルカが合図を送り、それを受け取ったケネスが名残惜しさを感じさせつつも静かに立ち上がる。
「ケネス」
「どうした?」
「……何でもない」
お休みバイバイまた明日と呟く慶一朗の意識は既に睡魔に敗北しているようで、何を呟いているのかを理解していない様子だった為、本当に仕方がないと溜息を吐いたケネスがリアムに向けて許してくれと呟いた後に慶一朗の額にそっとキスをすると、さあ、私も良い気分のまま帰って寝ようと歌うように呟き、ルカが開けているドアから出ていく。
振り返ることなく出ていく背中を見送ったリアムは、ルカが合図を送って来た事に気付いてソファの背もたれに深く凭れかかり、その反動で寄りかかっていた慶一朗が膝の上に倒れ込んだことに慌てて手で支える。
「……ん」
自宅で寛いでいる時と同じ顔で小さな声を上げて目を閉じる慶一朗を安堵の顔で見下ろしたリアムは、程なくして戻って来たルカに彼が帰った事を教えられ、初対面では最悪の印象しか互いに持てなかったがそれを書き換えた上で友人になれるなんてと、彼が視察に来た8月上旬を思えば半月あまりだが見える景色が大きく変わったと笑うと、隣にそっと腰を下ろしたルカが黙って頭を上下させる。
「今回は本当に色々キツかったなぁ」
慶一朗の髪を撫でながら天井を見上げるリアムの嘆息にルカがうんと小さく返すが、その声にまだまだ申し訳なさが滲んでいる気がし、顔をそちらに向けると己の予想通りの表情で視線を落とすルカがいて、まったくともう一度溜息を吐いて慶一朗の頭からルカのそれへと手を移動させる。
「もう平気だと言っただろう?」
彼とも友人になれたんだ、だから今回の事を反省するのはもう終わりにしよう、そして明日からは今まで通りの関係になろうと笑うリアムの手をギュッと握りしめたルカは、ごめんと謝りそうになるのをぐっと堪え、精一杯の笑みをリップで光る唇に浮かべて小さく頷く。
「明日は彼を空港で見送るつもりだろ?」
「うん、そうだな」
「じゃあ帰りは店に寄って欲しい」
そしてもしお前さえ良ければ料理を作って欲しいと、本来ならば迷惑を掛けた詫びをしなければならないのはこちらだがそれは別の機会に用意をする、その前にリアムの手料理が食べたいとおずおずと上目遣いで見つめてくるルカの言葉に呆気に取られてしまうが、そうだな俺も食いたいという言葉が己の腿の上からも聞こえた為にそちらに顔を向けると、大きな欠伸をひとつした慶一朗がにやりと笑みを浮かべていて。
「本当に、ケイさんの友達はエキセントリックな人達ばかりだ」
その言葉で二人のリクエストの形をした謝罪を受け取ったリアムは、本当に俺の周りには素直に謝ることが出来ない奴らが多すぎると自嘲し、ドアの向こうで入室を躊躇っているようなもう一人の親友に気付いて手招きをし、それに応じて入ってくるラシードに頷いた後、シャルルとアンディも誘って明日はパーティーをしよう、だから手伝ってくれとルカとラシードを見つめると大きく頷かれるが、そこのワガママ大王は何をするつもりだとルカが胡乱な目を向け、俺は食べる人だと胸を張っているような返事にがっくりと肩を落とすのだった。
眠い目を擦る慶一朗に堪えてくれと告げ、ルカとラシードの見送りを背中に受けながらいつもよりは早い時間の電車で帰宅したリアムは、玄関のドアを開けて中に入ると同時にまだ起きていたデュークが小さく鼻を鳴らしながらソファの前にやって来た事に気付き、ただ今といつもよりは静かな声でデュークに帰宅を告げ、大きく欠伸をしながらもたれ掛かってくる慶一朗を背中で受け止める。
「ケイさん、あと少し頑張れ」
「……無理」
その言葉を呟いた後、玄関前の荷物置きになったり靴を履いたりするときに使うソファに倒れ込んだ慶一朗を不思議そうな顔で見つめたデュークに苦笑し、ケイさんが限界だから今日はもう寝るぞ、お前も寝ろとデュークの前に膝を着くと、寝る前のルーティンであるハグをする。
慶一朗が家出をしている間に比べれば遙かに柔らかく手触りも良くなったデュークの毛皮に頬を擦り寄せ、明日はきっと楽しいことがあるぞと笑ったリアムに応えるようにデュークが小さく鼻を鳴らす。
「お休み、デューク」
もう一度お休みと告げて立ち上がり、さてとソファを振り返ったリアムは、寝惚け眼を瞬かせながら起き上がった慶一朗に笑いかけると、ベッドに行くかと問いかけて小さな子どものように頷かれる。
そんな慶一朗に両手を伸ばして軽い掛け声ひとつで抱き上げると、まるでコアラか何かのように抱きついてきた為、落とさないように尻を支えながら階段を上り、ベッドルームのドアを足で開ける。
慶一朗をベッドに下ろして着ている服を少しだけ乱暴な手つきで剥ぎ取ると、寒暖差に細い身体が震えた後、掛布団の下にもぞもぞと潜り込み、その様子に己も着ていた服を脱ぎ捨ててベッドに入ろうとするが、掛布団が人の手で持ち上げられているように膨らみ、その中に大急ぎで潜り込む。
「……お休み、リアム」
「うん、お休み」
今日も少し疲れただろうと慶一朗の額にキスをしたリアムの声に大きな欠伸が重なるが、己の頭の下にいつものようにリアムの腕を差し込んだ後に無意識のように身体を寄せてくる。
その身体をしっかりと受け止め、一足先に寝息を立てはじめた慶一朗を追いかけるようにリアムが目を閉じたのは程なくしてからだった。
小さな嫉妬を発端とした感情の行き違いやボタンの掛け違いのような仲違いを経て向き合った結果、反省すべきは反省し、今後同じことにならないようにと自戒をした夜は更け、それぞれの場所で数日前を思えば信じられない程の穏やかな夜を過ごすのだった。
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