金曜日の夜にアポフィスに来てくれとの誘いを受けたその日、リアムは慶一朗との待ち合わせ場所であるアンディの前で待ち合わせが苦にならない顔で壁に背中を預けていた。
リアムの隣にはセキュリティスタッフのアンディが濃い色のサングラスを掛けて周囲を威圧するように立っていたが、そんな彼の気配を気にも留めないでリアムが何かを話し掛け、アンディもその言葉に面白ければ肩をひとつ揺らし、疑問が浮かべば小さな声で問い返していた。
それにしてもどうして待ち合わせ場所を俺の前にするんだと、目の前を行き交う人達を見るとはなしに見ていたリアムの耳に当然の疑問が流れ込み、 そちらに顔を向けながら軽く驚いたように目を見張る。
「ケイさんが待ち合わせ場所に指定してきたからなぁ」
俺は何処で待ち合わせをしても問題は無いがあの人が指定してきたからと肩を揺らすリアムを全く理解出来ないと言いたげな顔でアンディが見つめるが、俺も理解出来ないんだと肩を竦められて夜空を見上げるように顔を上げる。
「あの人の言動は理解出来ない事が多い」
でもそれが楽しいんだと最近漸くそう思えるようになったと笑うリアムへと視線を戻したアンディだったが、お前がそう思うのなら良いんじゃ無いかと、無関心というよりは感心しているように思える声にTaと短くありがとうと返したリアムだったが、通りの向こうで信号待ちをしている慶一朗を発見する。
前髪を軽く引っ張って満足そうに息を吐き、眼鏡を一度外してシャツの裾で拭いた後にもう一度満足そうに息を吐いて眼鏡を掛ける姿を見ていた二人だったが、思わず顔を見合わせて小さく笑ってしまう。
待ち合わせのスポットを場所では無く人の前と指定する己の伴侶の思考回路が本当に謎だったが、付き合いだして様々な問題を一緒に乗り越えて来た今、その謎を楽しめるような気持ちになっていたリアムは、信号機の急かすような音を気に留めることもない様子で通りを渡ってやって来る慶一朗に手を挙げて合図を送ると、眼鏡の下の目が一瞬見開かれた後にそっと頷いて二人の前にやって来る。
「待たせたか?」
「アンディと話をしていたから大丈夫」
そうか、時間に遅れたとしてもアンディの前なら時間潰しが出来るからここを待ち合わせ場所に選んだのかとリアムがにやりと口の端を持ち上げるとその言葉に驚いたように目が見開かれるが、さすがは俺のハニーだ、良く分かっていると同じような笑みを浮かべられてしまう。
「ハニーは止めて欲しいなぁ」
何処からどう見てもハニーには見えない俺をどうしてそう呼ぶんだと腰に手を宛てると、ハニーはハニーだ、プリティなお前をハニーと呼んで何が悪いと胸を張られてしまっては最早何も言い返せずに溜息を吐いたリアムだったが、何かを思い出した顔でポケットから50セントコインを取り出してはアンディのスーツのポケットにそっと落とすと慶一朗もリアムと同じ動作をした後にポケットの上からポンとひとつ叩く。
「ビスケットじゃないからって泣かないでくれ」
片目を閉じる慶一朗の言葉の意味が分からないながらもリアムがくすりと笑い、アンディが首を左右に振った後に咳払いひとつで気分を切り替え顔を伏せる。
「……アンディ、ルカとラシードは元気か?」
その声にアンディが伏せた顔を上げると、さっきとはまた違う意味で緩く頭を左右に振る。
「元気そうに見えますね」
その言葉が意味する事をほぼ正確に把握したリアムが眉を寄せ、リアムの表情から親友二人の状況を何となく理解した慶一朗が唇を一度噛んで顔を伏せるが、次いで上げられたその顔には何某かの決意が秘められていて、己の決意を伝えるようにリアムの手に手を重ねて組み合わせてくる。
掌から伝わる温もりから慶一朗の思いが伝わった気がしたリアムは、繋いだ手を顔の高さに持ち上げて手の甲に安心させるようなキスをする。
「……皆が元気を無くした原因を作った人に会いに行くか」
今日ここに来た理由を片目を閉じて明るい声で伝えたリアムにアンディが頷き慶一朗もそっと頷くと、意を決した顔でアポフィスと流暢な文字のプレートが掲げられているドアを開けて中に入るのだった。
久し振りに訪れたー実際は違っているが気分的にはひと月以上も来ていない感覚だったーアポフィスは、二人がいてもいなくても何も変わらないほどの賑やかさを見せていて、常連や一見の男女が音に合わせて楽しんでいるようだった。
その様子に自然と顔を綻ばせたリアムが手を繋いだままの慶一朗に顔を向け、さあ、俺たちの親友に久し振りのキスをしに行こうと手を引っ張り、それに応えるように慶一朗が一歩を踏み出す。
その一歩は慶一朗にとっては心に葛藤がある事を教えるものだった為、大丈夫、あなたの親友はきっと誰よりもあなたを理解しているし悪いと思ったことにはちゃんと謝れる人達だと繋いだ手にキスをし、そのままその頬にもキスをすると、一段下にあるフロアに向かう為に階段を降りていく。
二人が入ってきた事にいち早く気付いたルカがカウンターの内側でどのような顔をすれば良いのかが分からないと言いたげにしていて、そんな顔をする必要は無いのにと微苦笑したリアムだったが、慶一朗を連れて帰った夜から連絡を取っていなかったことを思い出し、もしかすると連絡をしなかったことから不安にさせてしまったかもと漸く気付いた顔で呟くと、逆に慶一朗がリアムの手をぎゅっと握りしめる。
「大丈夫だ。もし不安を感じていたとしても……それを理由に関係を絶つような奴らじゃない」
この間も言ったと思うが人の好き嫌いが激しい俺が長年付き合える友人なんだと笑う顔にリアムがそっと頷き、ハイ、といつもよりは遠慮がちに声を掛けてくるルカに繋いだ手を挙げて久し振りとリアムが笑みを浮かべる。
「元気そうで良かった」
ルカのその言葉は本心からだと理解している為に黙ったまま頷いた慶一朗だったが、中々視線を合わせようとしないルカに舌打ちをし、彼の前のスツールに腰を下ろすと同時に両手を伸ばしてチークが薄く乗っている頬を挟んで目を見張らせる。
「ルカ」
目を逸らすなと眼鏡の下から睨むように見つめる視線にルカの目が伏せられるが、うんという小さな呟きの後に慶一朗の手に手が重ねられ、小さく首を傾げて頬を掌に押し当てる。
「……今日は来てくれて本当に嬉しい」
お前があんな状態になってから連絡も出来なかった、だから来てくれて嬉しいと素直に告白するルカの髪に手を差し入れた慶一朗が親友の頭をそっと抱き寄せ、心配を掛けて悪かったとその耳に囁き、震える手が己の背中に回ったことに気付いてリアムに対するものとはまた違う信頼の証のようにコツンと頭をぶつける。
「もう大丈夫だ、ルカ」
俺もリアムももう怒っていないし問題はほぼ解決したも同然だと笑うと、目尻を潤ませたルカが本当かと上目遣いで慶一朗を、次いでリアムを見つめて唇を噛むが、慶一朗の隣に腰を下ろしたリアムがいつも見せている笑顔で大きく頷いたのを見ると、じわじわと曇っていた顔に笑みが戻るように唇の端が持ち上がるもののあっという間に下がってしまい、思わず二人が顔を見合わせてしまう。
「どうした?」
「……ラシードが……」
あの後、慶一朗の尋常ではない様子について説明を求められたラシードが彼の下に出向き、二人が巻き込まれた事件について少し話をしたのだが、その後からロクに食事もしなくなったと続けられてしまい、慶一朗が短く舌打ちをしリアムがルカの背後の酒が並ぶ棚を見つめて口の中で何かを呟く。
「ラシードは?」
「……奥にいる」
食事もあまりしなければ口数も少なくなっていて、最近はまともに声を聞いていないとルカが眉尻を下げ、こんな状態になったのはここに来てすぐの頃に一度あったぐらいだ、どうしよう、いなくなったりしないよなと弱々しく呟きながら爪を噛む仕草を見せた為、慶一朗の手がそっとルカの手を抑えて安心させるように握りしめる。
「どうしよう……あいつ、今回の事、ずっと気にしてる」
ルカの弱々しい声など聞いたことが無いリアムが何かを思い出したような顔になり、慶一朗に見つめられて目を伏せるが、入院していた時と同じだと呟くと二人の視線を受けてうんと頷く。
「……今回の原因になった彼に会ってくるか」
リアムがポツリと呟いた言葉に慶一朗が小さく頷きルカも無言で頷くと二人が滅多に行く事のない店の奥のドアに顔を向け、あの部屋で待っていると二人に伝え、目尻に浮かぶ涙を指で拭いて両頬を軽く叩く。
「話が終わったら……帰らないで教えて欲しい」
「安心しろ、ルカ」
黙って帰るような事は絶対にしないと見た人が無意識に安心できるような笑みを浮かべたリアムがスツールから立ち上がり慶一朗もそれに続いて立ち上がるが、その顔にはやはり緊張の色が強く浮かんでいて、それを見抜いたリアムがその頬にキスをして片目を閉じる。
「ケイさん、先に俺だけ話をしてきても良いか?」
あなたも彼から呼ばれているけれど今回の件できっと彼が本当に話をしたいのは俺だと思うと苦笑するリアムの顔を再度二人が見つめるが、全幅の信頼を置いている顔でルカが頷き、慶一朗が無言でリアムを抱きしめて頬に頬を寄せて目を閉じる。
「……お前に、任せる」
いい大人がする事ではないけれど己の感情の全てをお前に預けると囁くと、しっかりと受け取った証にリアムが背中をそっと抱きしめる。
「じゃあちょっと話をしてくる」
慶一朗の頬に再度キスを残したリアムが軽い足取りでVIPと書かれたプレートが光るドアの前に向かい、ノックをして中に入る背中を見送ったルカと慶一朗だったが、スツールに再度腰を下ろした慶一朗の前にシャルルがビールのボトルをそっと置き、サンクスと微苦笑しつつそれを受け取る。
「シャルルも久しぶり」
「はい」
ビールを飲みつつもリアムを送り出した部屋の中が気になるのか、そちらに上体を向けながら頬杖をつく慶一朗にルカはルカで己の半身の様子が気になると言いたげに背後のドアをちらちらと見つめる。
「今日もラシードは奥か?」
「うん」
仕事にだけは穴を開けたくないのか一緒に店に来ているけれどと答えるルカの顔はリアムの前で見せたものが一瞬の晴れ間だったと教える様に曇っていて、そんな親友の顔を横目に慶一朗がビールをカウンターに戻すと、その手でルカの肩をポンと叩いて安心させるように撫でるが、背後のドアが静かに開いたことに気付いて目を見張ってしまう。
「……リアムは?」
ドアから姿を見せたラシードの問いに慶一朗がリアムの居場所を教えるようにVIPルームを見ると、ルカの隣に並んで慶一朗の前で一度口を開いた後に悪かったと小さな声で謝罪をする。
「……もう良い。俺は何とも思っていない」
お前の謝罪があいつに襲われた事ならもう俺の中では昇華したことだと小さく笑った慶一朗だったが、お前の気が済まないのならその謝罪は受け入れる、だけどと続けてじっと見つめてくる二人の親友の顔を交互に見つめた後、小さな笑みをしっかりとしたものへと切り替えて二人の肩を同時に抱くようにカウンターに身を乗り出して腕を回す。
「今回の事はすべてケネスが悪い」
あいつがリアムにくだらない嫉妬をして暴走した結果だ、その贖罪についてリアムにすべてを任せたからお前達も俺の頼りになるハニーに丸投げしろといつもの顔でいつものように悪戯っ気を込めて囁くと、二人同時に背中を抱きしめられて安堵の息を零す。
「お前達は何があっても……俺の友達だ」
リアムにも言ったが、人の好き嫌いの激しい俺が長年付き合える貴重な友人なんだと眼鏡の下で目を閉じる慶一朗の言葉にルカとラシードが顔を見合わせた後、ルカが慶一朗に向けて両手を広げ、何だ、俺の専売特許をマネするなと笑って謝罪を受け入れるようにルカを抱きしめ、ほんの少しだけ表情を明るくしたラシードにも同じように謝罪をされてその背中を抱きしめる。
「あいつも……俺の友達だ」
だから一言二言文句を言うがそれで許してしまうんだろうなと、二人が離れた後にリアムとケネスがいる部屋に顔を向けた慶一朗が自嘲気味に呟くと、お前も甘いとラシードが眉を寄せ、頬杖をつきながらその顔を横目で見る。
「……友達だからな」
慶一朗の中で友達という言葉はルカやラシードが想像する以上の重さを持っているものだったが、それをほんの少しだけ感じさせる笑みを浮かべると二人が顔を見合わせた後に頷き合い、ラシードがシャルルと一言二言言葉を交わした後にビールを片手にカウンターの中から出てきてVIPルームへと歩いていく。
「俺の王子様にすべて任せよう」
王子なんだから侯爵に負ける事など無いだろうと肩を竦める慶一朗の言葉にルカもそうだなと返し、二人同時にラシードが入っていくドアを見つめるのだった。
慶一朗を残して一人でケネスが待つ部屋に入ったリアムは、一段低い床を取り囲むように置かれているソファで足を組んでゆったりと寛ぎながらフルートグラスを傾けているケネスを発見し、こんばんはと丁寧に呼びかける。
ファーストネームで呼ぶような関係ではないがあからさまに敵対している訳でもない為にどう呼びかけようか思案しつつ声を掛けると、ナイフとフォーク以上に重い物など持ったことが無いと思わせる優美な手がフルートグラスをテーブルに置き、ソファを勧めてくる。
「どうぞ」
「ありがとう」
ケネスが座っているソファからコーナーを経て繋がるそこを示されて緊張を覚えつつ腰を下ろしたリアムは、何か飲まないかと問われてビールが欲しいと素直に欲しいものを告げると、ケネスがテーブルに置いてあるスマホを操作し、満足そうに息を吐く。
そして、リアムに向き直るように座り直すと同時に、手紙を受け取ってくれてありがとうと礼を言われてヘイゼルの双眸を瞬かせてしまう。
「受け取って読んだから来てくれたのだろう?」
そう穏やかに問いかけてくる顔はリアムの中のケネス・ジョンストン侯爵という男からはかけ離れていて、手紙を受け取り読んだ時に感じたものと同じものを覚えてしまう。
「読ませてもらいました」
リアムが生真面目な顔で頷き返事をした時、ケネスが咳ばらいをして掌をリアムに見せるように手を立てた為、黙れと言っているのだろうかとどうしても抜けきらない偏見と不信感から口を閉ざすと、その様子から良くない事を感じ取ったらしい端正な顔が俄に曇る。
「手紙にも少し書いたが……リアムと呼んでも良いか?」
その疑問は予想しながらも回答を想像できないもので、一瞬目を見張った後にケネスの口が開くのをじっと待っていると、もう一度咳払いをした顔にさっと赤みが差した事に気付いて激しく目を瞬かせてしまう。
「……ドイツ出身だと聞いた」
だから君にそう聞いてみたのだがと上目遣いに見つめられ、理由の分からない眩暈を覚えたリアムがソファの背もたれに凭れかかり天井を見上げてしまう。
確かにドイツ出身のリアムは、今ではその習慣も薄らいでいるものの、それでも初対面の人と親しく付き合えるかどうかをある程度の時間を掛けて見定める癖があった。
それを端的に表すものがファーストネームを呼ぶかどうか、親しい相手にだけ使う言葉遣いなどだったが、リアム自身はファーストネームを呼ばれても特に嫌悪も何も感じる事はなく、友人として相手に名を呼ばれるかどうかはまた別問題だった。
リアムの中ではしっかりと線引きされている問題を見抜きながら伺いを立ててくれる人に嫌とは言えなかったが、それ以上に今この瞬間にケネスに対する不信や偏見が昇華したような気がし、大きな掌で目元を覆って思わず呟いてしまう。
「……俺の友人、か」
その一言は先日今回の事態を引き起こしたケネスを許して欲しい思いから慶一朗がリアムに告げた言葉だったが、今目の前でうっすらと顔を赤らめるこの貴人が、人の好き嫌いが激しい己の夫が長年付き合える人なのだと実感し、どうだろうかと急かすように問われて堪えきれずに肩を揺らしてしまう。
「……本当に、ケイさんの友人はエキセントリックな人ばかりだ」
考え方のユニークさも気性の激しさも何もかも今まで周囲にいないタイプの人達だ、そんな人たちと最後まで付き合うと俺もどのように変化するのか観察してみたいなと嘆息混じりに呟いた後、ケネスへと顔を向けて破顔一笑。
「よろしく、ケネス」
その言葉に籠る感情をしっかりと読み取ったケネスの顔に不思議な笑みが浮かび、ああ、よろしくと小さな声で呟いた後、慶一朗の次に見惚れてしまうような美しい手をそっと差し出してきた為、にやりと笑みを浮かべながらリアムがその手を握り返す。
「クリニックでは随分と失礼な態度を取った、許してくれ」
「俺への態度については何も問題はない。今の握手ですべて解決した」
ただと言葉を続けるリアムの顔を真摯な目で見つめるケネスに微苦笑し、ホーキンスとマッカラム夫妻には手紙だけでは無く直接詫びてもらえると安心すると肩を竦めると、勿論と鷹揚に頷かれる。
「レディ・ホーキンスには時間がないから次にこちらに来た時に直接謝罪をさせて貰うつもりだ。マッカラム夫妻には帰国後すぐに会いに行こうと思う」
勿論それは彼らが許してくれればの話だと自嘲する顔をまじまじと見つめ、手紙をもらったときに感じたケネスという男の実直さ、ある種の純真さを見せられてどれが本当の彼なのかと頭を悩ませるが、視察時の厳しい視線も、慶一朗を力づくで抑え込もうとした時の顔も、そして今見せている顔もすべてが本当の彼だと気付き、どんな顔を持っていようが己に向けている時の顔こそが己に対する本当の顔だと腹を括り、そうしてくれると安心すると頷く。
「それにしても明日帰国するなんて急じゃないか?」
手紙には明日帰国と書かれていたがとケネスに対する警戒を解いた証のようにソファに片胡坐をかいて彼に向かい合ったリアムが残念だと続けると一瞬驚いたように青い目が見開かれるが、姉夫婦と一緒に帰国することにしたんだと教えられてそうかと頷いた時、リアムが半ば背中を向けているドアが開いたような音が聞こえ、顔だけを振り向けてそこにビールのボトルを手にしたラシードの姿を発見してケネスに見せていた顔とはまた違う笑みを浮かべて体ごと振り返る。
「ラシード!」
久しぶりだなと腰を浮かしかけたリアムだったが、無言で己の前にやってくる親友の顔を見つめていると、ビールをテーブルに置いた後、いつかの光景を彷彿とさせる顔で跪き、悪かったと床に額をぶつけるように頭を下げる。
その背中を見るのは二度目のリアムが思いを口の中で転がした後にその謝罪は誰に対するものだと低い声で問いかけると、お前だと答えられて細めた目で頭を見下ろす。
「分かった」
確か以前にも似たような事をした覚えがあるんだけどなぁと、やれやれと溜息を吐きながら下げられている頭の前に立ったリアムがその膂力を余すことなく発揮し、同じ高さに引き上げた苦し気に歪む顔に惚れ惚れとする太い笑みを浮かべて歯を食いしばれと言い放ち、背後でその様子を見ていたケネスが次に目にする光景を予想して思わず顔を背けてしまうが、耳に届いたのは鈍い音と悲鳴を噛み殺したような声で、恐る恐る二人へと顔を向けると、呆然としたまま額を押さえるラシードとそんな彼の前で鼻息で憤慨を現すリアムがいて、何があったと思わず零してしまう。
「ケイさんが救出されて病院に搬送された時も同じことを言っていたな」
こうしてフィクションの世界でしか目にする事のない謝罪をすることで気が済むのなら良いが、見せられる俺は気が気ではない、だから謝罪をするのなら普通に頭を下げるだけで良いと、ラシードの額に打ち付けた己の額がひりひりと痛みだしたのか、指先で撫でながら頼むからもう止めてくれとも続けるリアムをただ茫然と見る事しか出来なかったラシードは、どうしてお前はそれで許せるんだと震える声で問いを発し、リアムの背後で見守っていたケネスも同じ疑問を口に出してしまう。
「どうしてと言われてもなぁ」
そういえば前にルカにも同じようなことを聞かれたが、何故と言われてもこれが俺だからとしか答えられないと肩を竦めるものの、大切なことを思い出したと微苦笑をひとつ。
「今回のことを俺はもう怒っていないし許している。でもケイさんはどうなんだろうか」
もっともあの人の事だからもう既に許していると思うけどと、ラシードやケネスが知る慶一朗という男の性情を思えばこの世の終わりまで人を恨み続けているような気もするだろうが、俺が知るあの人は自分が気を許した相手に対しては意外とさっぱりしていると言葉を続けるリアムに驚きながらも頷いたラシードが、慶一朗に謝罪をし許された、そして今回のことについてすべてをお前に任せるという思いを教えられたと告げると、リアムの目が柔らかく細められる。
「……そういう事だからお前ももう必要以上に気にしないでくれ、ケネス」
背後のケネスの様子を失念したわけではないリアムが振り返りつつ肩を竦めると、口元に手を当てたケネスがそっと頷いてその言葉を受け入れたことを教えてくれ、それにリアムが胸を撫で下ろしたような顔で頷くと慶一朗とルカを呼んでも良いかとケネスに問いかけ、勿論と頷かれて口笛を吹く。
「サンクス。……ラシード、ケイさんとルカを呼んで欲しい」
リアムの頼みにラシードが部屋を出て行くのを見送り、ああ、これでもう悩まなくていいと片目を閉じるリアムに何も言えずに感心したような顔で見つめたケネスは、この瞬間、リアムという男の心身の大きさの一端を感じ取り、喉が渇いたと笑ってビールを飲む横顔を滅多に覚えることのない感慨を視線に宿して見つめてしまうのだった。
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