慶一朗が戻って来た翌週、リアム自身はいつも通りの表情と態度で出勤したつもりだが、週末までと様子が違う事を一目で見抜かれてしまい、どう誤魔化そうかと天井の辺りに視線を飛ばすが、己を取り囲む皆が何か得体の知れないものに憑りつかれているような形相だった為に腹を括って視線を水平へと戻すと、少し離れた場所で二人の女性がこちらを見つめている事に気付く。
そして改めて取り囲む皆を見つめた後、晴れ渡る青空という言葉が相応しい笑みを浮かべ、週末に慶一朗が帰って来た事、その際に納得するまで話し合いが出来た事、必要な別離だったのかなと今ならば分かると素直に告げると、取り囲んでいた顔が一斉に呆けたものになってすぐに安堵の表情を浮かべ始めるが、そのうちの何人かが心配を掛けさせて結果はそれかと小さく叫び、鍛えているリアムの腹や二の腕などを力が入らない拳で叩いた後、心配して損したと笑いながら三々五々包囲を解いて踵を返していく。
その気変わりの早さにリアムが呆気に取られているとくすくすと楽しそうな笑い声が聞こえ、そちらへと恐る恐る顔を向けると、ホーキンスが咳ばらいをしその横では彼女の肩に手をついて口元を抑えながら肩を揺らすホワイトの姿が見え、笑わないでくれと情けない顔で肩を竦める。
「問題は解決したのですか、リアム」
「ああ、無事解決したしこれからの対策も話し合った」
だからもう同じようなことにはならないはずだと苦笑するリアムの言葉に頷いた二人だったが、受付のカウンターの奥からヘンリーがホーキンスとリアムに封筒を振りながら手紙が届いていると教えてくれ、二人が顔を見合わせる。
「手紙?」
どうせどこかの製薬会社のDMだろうと思いつつリアムがカウンターの前に向かうと、ヘンリーが差出人の名前に見覚えがあるがどこで見たんだろうと首を傾げつつ差し出してくるため、同じような顔でそれを受け取ったリアムが封筒の差出人を確かめて一瞬目を見張ってしまう。
差出人はケネスだったが手紙を届けられる理由が思い当たらない為に身構えてしまい、思わず内容物を確かめようと明かりに透かすように頭上に掲げるが、残念ながら内容物が透けるような薄い封筒ではない為に諦めて肩を竦める。
「ディアナ、ジョンストン侯爵から手紙だ」
「彼からの手紙、ですか?」
リアムが封筒を手にホーキンスの前に戻って来るとリアムと同じような顔で二人が出迎えてリアムが差し出す封筒を受け取り、同じように天井の明かりにそれを翳す。
「何でしょうか」
「ランチの時に読んでみる」
彼からの手紙は俺とディアナ宛だからと肩を竦め、診察準備に掛かろうと気分を切り替えた様に頷くリアムにホーキンスとホワイトも頷き、さあ、今日も一日働きましょうと歌うように呟きながらそれぞれのデスクがある場所に向かうのだった。
ケネスからの手紙はリアムが全く予想もしていなかった一言から始まっていて、ランチボックスの蓋を開けるついでに開封したそれを開いて思わず手を止めてしまう。
冒頭、親愛なるリアムと書かれていて、自分はいつ彼と友人になったのだろうか、それともビジネスメールの発展形かと眉を寄せてしまうが、本文の始まりは誠心誠意の表れである謝罪文で、リアムが彼に対して抱いているものから覚える印象とは齟齬があった為に激しく目を瞬かせてしまう。
ケネスとリアムの初対面はどちらにとっても最悪なものだったが、この手紙から受ける印象は少し堅苦しさを感じさせながらも誠実に向き合おうとしている態度で、視線だけで人を殺せそうな強さで睨んできた彼と、手紙とはいえ誠心誠意謝罪をしてくる彼のどちらが本当の彼なのかと微苦笑してしまう。
だが彼の肩書などを思えばこれぐらいの謝罪は社交辞令として当たり前に出てくるものかもしれないと、いつもの己を思えば随分と疑り深くなっている事を自覚し、丁重な謝罪文に対してまで疑いたくはないと溜息を吐きながら極力フラットな気持ちで手紙を読み進め、二度三度と読み返しながら己の中のケネス・ジョンストンという男の像を書き換えようとするが、その作業を中断させるようにスマホが着信を教え、ロクに画面を見ることもせずにタップする。
「ハロー」
『リアム? 今大丈夫か?』
ロクに確かめずに出た相手が慶一朗だった事に気付いて再度瞬きを繰り返したリアムは、うん、大丈夫だけどどうしたと驚愕を押し殺した声で問いかけ、少しだけ言い淀む様な気配を感じ取ってそっと名を呼ぶ。
「ケイさん」
週末に話し合ったことを忘れた訳じゃないだろうと微苦笑交じりに囁くと、ああという何かを確認するような声が聞こえてくるが、続けられた言葉に思わず絶句してしまう。
『職場にケネスから手紙が届いていた』
「ケイさんにも!?」
まさか週明けの月曜日に彼からの手紙が届くなど思ってもいなかった為に驚き絶句したリアムだったが、お前にも届いているのかと問われて見えないのに何度も頷いてしまう。
「うん。俺とディアナにも届いていた」
『ディアナにも? ……読んだか?』
自分達だけではなくホーキンスにも届いていた事実に慶一朗が声を潜めて問いかけてきた為、丁寧な謝罪文が書かれていたとリアムが流れる雲を見るように顔を上げて溜息をひとつ。
「彼のイメージが変わったように思う」
『そうか?』
「うん。……視察の時の悪いイメージしかなかったから正直驚いた」
今でも上流階級と呼ばれる人たちは素直に謝罪をすることも無ければ人を傷付けても平気な人たちだと思っていたと苦く笑うリアムの言葉に一瞬呆れたような慶一朗の声が返ってくるが、その言葉に素直に頷いたリアムが反省の言葉を口にすると、まるでその反省を褒める様な気配が伝わってくる。
『……お前でもそんな偏見を持ってるんだな』
何だか安心したと笑う慶一朗に朝と同じ言葉を返して肩を竦めたリアムは、その偏見を払拭しても良いのだろうかという最後の不安と最大の疑問である、友人になってくれと書かれていたと口にすると、少し考えこんだような気配の後に穏やかな声で名を呼ばれて目を見張る。
『リアム……俺の王子様、そんな風に人を疑うお前も嫌いではない。でも人を信じられる強さがあるお前を誰よりも好きで愛している』
だからその不安は消し去り、そしてその上であいつと友達になってくれると嬉しいとそっと囁かれ、ここが自宅ならば間違いなく慶一朗を抱きしめてその肩に顔を押し当てているのにと拳を握ると、自宅以外での告白の重さに胸の奥がジワリと熱くなる。
「ケイさん……」
『……それに、あいつは……あんなことをしたとしても、それでも俺の友達だ』
人の好き嫌いが激しい俺の性格を誰よりも理解しているお前なら俺が長年友人関係を保っていられるその意味を分かってくれるだろうとも続けられ、その言葉の重さに思わず握りしめた右手を見つめてきらりと光るリングに目を細める。
慶一朗のただ一人のパートナーである己に対する嫉妬から嫌がらせのような事を画策し、その結果大切な慶一朗を傷付けるだけではなくリアムにも迷惑を掛けた事、彼をあのように苦しめることは己の本望ではなかった事、そしてあの狂乱の中から彼を助けるために駆け付けたリアムを尊敬し心から謝罪をしたい、その上で友人になってくれないかと続けられている文面を思い浮かべた後、再度名を呼ばれて顔を上げる。
『リアム』
俺が心の底から愛し俺を愛してくれる心優しい人、どうか彼の行為とそして己の愚行を許してくれと続けられ、何かを振り切るようにひとつ頭を振ったリアムは、震える手でスマホを握りしめてうんと掠れる声で返事をする。
「うん……もう大丈夫だケイさん。もう大丈夫」
この一瞬で悩み続けていた問題が昇華したような気がし、その痕跡を追う様に空を見上げたリアムの顔には慶一朗が見れなかったことを心底悔やむ様な笑みが浮かんでいて、満足げに息を吐いてもう大丈夫とそっと繰り返す。
「ケイさんもだけど、あなたの友達は本当にエキセントリックな人が多いな」
そう笑う声は誰もが想像するリアムという男を体現する朗らかさが滲んでいて、自身と友人達をエキセントリックと称された慶一朗が何だってと顰める声にも明るさを失わなかった。
「きっとあれだな、ケイさんが一番エキセントリックだからだな」
『Scheiße!』
「まーたそれを言う!」
本当に俺のダーリンはすぐに英語ドイツ語関わらずにFワードを口にすると、今まで笑っていた声を叱りつけるものへと一瞬で変化させたリアムの耳に、今のはお前が言わせたから悪いのはお前だという言い訳にもなっていない言葉が流れ込み、やれやれと頭を左右に振って溜息をひとつ。
「慶一朗」
「……うん」
その声は自宅ならば両手を小さく広げて自分達にだけ通用する謝罪をしている事を簡単に想像させるものだった為、一つ息を吐いてうんと返した後に表情と口調と話題を変えるように手紙の最後の一文について口にする。
「手紙の最後に追伸があった」
『何を書いていたんだ?』
「アポフィスで今週末に会いたいって」
土曜日の夕方の便で帰国するからその前に会いたいと書かれていたことを伝えると慶一朗が考え込んだような気配が漂ってくるが、こちらには相変わらずの文面で、金曜日にお前のハニーと一緒にアポフィスに来いとしか書いていなかったと教えられ、ハニーと思わず呟いてしまう。
『どうする、ハニー。アポフィスに行くか?』
その問いは今までならば当たり前のものだったが、ケネスに招待されている事ともう一つの気がかりが一瞬リアムの口を閉ざさせてしまうものの、久し振りに二人にも会いに行こうとそっと返すとそれを予想していた声が同意してくれる。
『二人の様子も心配だな』
「うん、心配だ」
ケイさんを迎えに行って以降ルカとラシードに連絡を取っていないから心配だと親友の顔を脳裏に浮かべながら笑ったリアムだったが、慶一朗の声の後ろから呼びかける様な声が聞こえてきたことに気付き、そろそろ時間かと眉尻を下げた顔で呟いてしまう。
『仕方がないな。……帰ったら話そう』
「分かった……昼からも仕事を頑張って来い、ケイさん」
『ダンケ。お前も頑張れ』
ああ、今日のラップサンドのチーズが美味かった、また作ってくれと続けられ、今日のブリトーがケイさんの口に合って良かったと笑い己のランチボックスを見下ろしたリアムは、本当に名残惜しいが仕方がないと往生際の悪さを発揮しながらスマホにキスをし、同じく小さな濡れた音を聞いて目元を和らげる。
『チャオ、リアム。帰るときに電話をする』
「うん」
その言葉の余韻を耳の奥で感じつつ通話が切れたスマホを広げたままの手紙の上に置くと、冷めてしまっているはずなのに何故か極上に感じるブリトーに齧りつき、午後からの診察も頑張ろうと気合いを入れるのだった。
自ら作ったランチボックスを綺麗に平らげてクリニックに戻ったリアムは、同じくランチを終えたホーキンスに呼び止められて足を止めるが、二階の院長室にと誘われて階段を一段飛ばしに上って行く。
その背中が以前のように穏やかさと力強さを内包する真っ直ぐさを見せていることにそれを見ていたホワイトが安堵し、事務室に戻って午後の診察の前に処理をしなければならない書類に取りかかろうとするが、電話が鳴ったことに気付いて受話器を取り上げる。
「ホーキンス・ファミリー・メディカルセンターです」
ホワイトの声に沈黙が返ってきたため悪戯電話かと受話器を思わず睨んだ彼女だったが、小さな咳払いの後に俺だと名乗られ、俺じゃあ分からないわと暇人の相手をするような返事をしてしまって小さく舌打ちをする。
『そうだな……悪い、ケイだ』
「あ、ら……こんにちは、ケイ」
予想外の相手からの電話に驚きながらも平静さを装ったホワイトだったが、オペ前に電話をしたかったと教えられて瞬きひとつで気持ちを切り替える。
「どうしたの?」
リアムに用事なら今ディアナの部屋にいるから回しましょうかと天井を見上げたホワイトだったが、いや、それは大丈夫と返されて再度瞬きをすると、もう一度咳払いが聞こえてきた後にありがとうという言葉が聞こえてくる。
「ケイ?」
『……ソフィーがあの時背中を押してくれたから家に帰ることが出来た』
あの時、病院に来てくれなければきっと今でも俺は一人で鬱々としていただろう、そこから抜け出せる力をくれてありがとうと礼を言われ、咄嗟にどんな言葉も返せなかったホワイトだったが、もう分かっているかも知れないが、先週末にリアムとこれから先同じことにならないようにと改めて約束をしたことを教えられ、今朝リアムがスタッフ達に囲まれていた光景を思い出し、さっきまでとは打って変わった柔らかな声でそうと返しながら何度も頷いてしまう。
あの日、リアムが会議の出席を変わってくれと言ってきたのを幸いとばかりにホーキンスと一緒に慶一朗の勤務先のビクトリア・ノースヒル・ホスピタルに出向いたホワイトは、自ら動くことをせずに傷付いているのが己だけと言いかねない態度に見えた慶一朗の背中を蹴り飛ばすように言葉で非難をしたのだが、それがただの非難では無いことを受け止めて行動に移してくれたのだと教えられ、あの日の己のお節介が無駄では無かったとそっと目を伏せる。
「あなた達は傍迷惑な仲の良さがちょうど良いのよ」
『何だそれ』
ホワイトの少し湿り気を帯びた陽気な声に慶一朗が肩を揺らしていることを簡単に想像させる明るい声が返事をし、本当にありがとう、このお礼を今度したいと思うけれど何が良いだろうかと続ける声にホワイトが天井を見上げる。
「そうねぇ……今日ぐらいからまたティーブレイクにリアムも参加するでしょうし……」
その時に何か食べられるものが良いわね、ああ、そうだわ、リアムと一緒に手作りのスイーツを作ってちょうだいと笑うホワイトの言葉に慶一朗が絶句するが、俺も作るのかという素っ頓狂な声が受話器の向こう側にまで届いたようで、部屋にいたスタッフが何事だと顔を振り向けてくる。
その顔に笑顔で手を振った彼女は、ええ、あなたも一緒に作ってちょうだいと繰り返し、頑張るという腹の底からの決意を秘めた返事に心底楽しみにしていると教える声で告げて笑みを浮かべる。
「楽しみにしているわ」
『ああ……本当にありがとう、ソフィー』
その言葉を最後に通話が終わり、慶一朗との会話の余韻を残した受話器をそっと戻したホワイトは、ランチを終えて戻ってきたヘンリーに何をニヤニヤしているんだと揶揄われてしまい、何でも無いわと思わず顔を背けてしまうが、顔が綻んでしまうのをどうしても抑えることが出来ず、午後の仕事中気を抜けば顔が笑み崩れてしまうのを目撃したヘンリーや他のスタッフ達にティーブレイク時にあれこれ詮索されて返答に窮してしまうのだった。
ホーキンスと一緒に院長室に入ったリアムは、ソファを勧められて腰を下ろし、対面に彼女が腰を下ろすのをぼんやりと見守ってしまう。
「手紙を読んだかしら」
「ああ、読んだ……丁寧な謝罪文だった」
ホーキンスの問いにやはり何度読み返しても驚いてしまうと肩を竦めながら返したリアムは、ランチボックスを入れている袋に無造作に突っ込んでいたそれを取りだし、そちらに来たものはどうだったとテーブルに置いて彼女を見る。
「同じように丁寧な謝罪文だったわ」
自分の行為を愚かなものだと反省をし、何よりもマッカラム伯爵の顔に泥を塗るようなことをしたのは本当に己の至らなさだった、今回騒がせたことはいずれ何かの形で償いたいとも書かれていたことを教えられ、その内容からさっきも一瞬抱いた、高圧的な彼とこの手紙に現れている誠実さを見せる彼のどちらが本当の彼なのかと思案するが、きっとそのどちらも彼なのだと不意に気付いてしまい、己ですら滅多に見せない顔で慶一朗を見てしまったことも思い出して頭を抱えてしまいたくなる。
ある種の非常事態になればあんなにも冷たい顔を見せてしまのかと我ながら驚いてしまうが、きっとケネスも嫉妬というフィルターを通してしか見る事の出来なかった世界で平静さを取り戻した結果がこの手紙なのだろうと小さく笑い、ホーキンスがその笑みに気付いてどうしたのと問いかけてくる。
「ケイさんの友人は本当にエキセントリックな人が多いけど、そんな人が俺と友達になりたいそうだ」
「え?」
リアムの唐突な呟きの意味が理解出来ずにホーキンスがくっきりと眉を寄せるが、彼の事を慶一朗が友人だと言っていたこと、手紙に書かれていた友人関係になれればとの言葉を伝えると、寄せられた眉根が更に寄せられてしまう。
確かに今のホーキンスのように今回の一連の出来事を知っている者からすればどうして彼を友人と呼べるのか、しかも友人になってくれとどうして言えるのかとの疑問を覚えるだろうが、例え己を傷付けたとしてもそれでも彼は友人だと言い切れる慶一朗のある意味懐の深さと己の底抜けな人の良さを自覚し、己のことは遥か上空に棚上げをしたリアムが本当にあの人はと感心したように呟いてしまう。
「……ケイと仲直りしたのならそれで良いわ」
「ディアナにもソフィーにも心配を掛けた」
俺たちの事を気遣ってくれてありがとう、本当に二人には助けられたと頭を下げるリアムを無言で見つめたホーキンスの口から安堵の吐息が零れて本当に良かったと家族の幸せを願っているような顔で頷かれ、ドイツにいる家族以外にもこうして自分達を案じてくれる人がいることに面映ゆさとありがたさを感じたリアムがその顔に太い笑みを浮かべると、ホーキンスが呆気に取られたように見つめ返してくる。
「サンクス、ディアナ」
「……不思議な人ね」
今回の騒動で一番悩み傷付いたのは他でもないあなたなのに、その傷を与えた彼をどうして許せるのか、しかも友人になろうと思えるのか不思議だと素朴な声で問われ、どうしてだろうなぁと己の心なのに読み切れないと肩を竦めて返すと、今の顔を見ていればもう問題は全て解決したようねとホーキンスの顔にも笑みが浮かぶ。
「ああ」
多分この先似たようなことが起きたとしても今回のようなことにはならないと穏やかさの中に強さを秘めた声で頷いたリアムにホーキンスも頷き、今回の騒動は終わりねと心底安堵した顔でソファの背もたれに寄り掛かる。
「クレイグにも報告しなきゃね」
「そうだな……彼が一番やきもきしていただろうし」
もっとも彼はこの土曜日に帰国するらしいから、もしかすると帰国後に会うかも知れないなぁと呟きつつリアムがホーキンスの背後の窓に視線を向けると、彼女もソファの上で振り返って目を細め、やっと落ち着けるわねと感慨深い呟きを発し、リアムもそれに無言で頷く。
「今日のティーブレイクには顔を出すんでしょう?」
「……怖いから出したくないんだけどなぁ」
今回の騒動で結構な間ティーブレイクに参加していないためにスタッフ達から根掘り葉掘り聞かれてしまえばどうしようと、恐怖を微塵も感じていない顔で頷き立ち上がるリアムに呆れたように溜息を吐いたホーキンスだったが、今日は参加しなさいと珍しく命令をした彼女にリアムが一瞬考え込むものの院長命令には逆らえないと肩を竦め、午後の診察の準備があるからと院長室を後にする。
広く大きな背中がより一層大きさを増した気がしたホーキンスが何度目かの溜息を零すが、今回の騒動の最中己の胸中に突然芽生えた考えについて思案するようにソファの背もたれに寄り掛かりながら天井を見上げ、己が思い描く未来予想図が皆にとって満足を得られそうだと分かり、自然と笑みを浮かべてしまうのだった。
今から帰ると電話の声で教えられ、気をつけて帰ってこいとの言葉とキスを返した小一時間後、慶一朗の愛車が自宅の定位置に停まり、ガレージから出入りするドアが開くと、ランドリーバスケットを小脇に抱えたリアムと、その横でビシッと背筋を伸ばして待っているデュークに出迎えられる。
「お帰り、ケイさん」
「……ただ今、リアム、デューク」
リアムの言葉に両手を広げるとランドリーバスケットが落下し、デュークが伸び上がって前足で慶一朗の腿を引っ掻くが、その前にと笑ってリアムの分厚い胸板に飛び込むように抱きつく。
「……ディナーの用意も出来てる。着替えてこい」
「そうする」
着替えが終わってディナーを終えたらデュークのイケメン化計画の発動だと笑うと、己の相手をしてくれると理解したデュークの尻尾が嬉しそうに左右に揺れる。
「電話で話していたことはメシの後だな」
「ああ」
帰宅後のルーティーンをする為に洗面所に向かう慶一朗を見送り、さあ、ディナーの用意をしようとデュークの頭を撫でたリアムは、先週までの火が消えたような家の中を見回した後、満足そうに息を吐いて仕事終わりの家事を嫌な顔ひとつ見せる事無く率先して行い、洗面所から出てきた慶一朗にお願いをしカトラリーなどをカウンターにセットして貰うのだった。
その二人の姿をデュークが嬉しそうな顔でお気に入りのテディベアのぬいぐるみを抱きかかえ、二人と自分の食事の用意が出来るのを楽しみに待っているのだった。
その後、二人とデュークのディナーの用意が出来、リアムの掛け声で食べ始めるが、その際ホワイトに手作りのスイーツを持ってこいと言われたことを慶一朗が告白し、スイーツと呟いたリアムが絶句してしまうが、彼女のティーブレイク時の様子がおかしかった理由が判明したと頭痛を堪えるような顔になってしまう。
俺にスイーツなど作れるはずが無いと慶一朗が胸を張り、うん、確かにそうだなぁと料理全般何でも出来る男が天井を見上げると、その足下で二人の顔を見たデュークが遠吠えのように鳴き声を上げる。
「こら、デューク」
吠えるなと苦笑するリアムの言葉を大人しく聞き入れたらしいデュークが水を飲む様子に苦笑し、スイーツかぁと繰り返すリアムに俺も一緒に作らなければならないそうだと慶一朗が教えると、プファンクーヘンを焼くか、いや、でも時間が経つから美味くないか、どうしようかとディナーを食べながらいつかのティーブレイク時のスイーツの話題で盛り上がってしまうのだった。
そんな、以前と同じようで確実に何かが変化をした穏やかな時間が流れる家の遙か上空、楽しそうに見下ろす雲が悠然と流れていくのだった。
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