It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第14話 Mein lieber Freund.【僕の親愛なる友人】
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 久しぶりにこの腕で抱いた慶一朗の身体は記憶の中のものよりも細く冷たく、家を出て行ってからの日々がどのような影響を与えていたのかを抱きしめることで気付いたリアムは、穏やかな寝息を立てる頬を指の背で撫でるが、それだけで抑えることが出来ずに掌をそっと宛がうと、無意識のうちに力を込めてしまったようで掠れた声が不満を溢す。  それを聞きながら頬から髪へと手を移動させてそっと撫でると、幼い子供が嫌だと教えるように頭が左右に振られ、眠りの最中に邪魔をされたくないだろうなと微苦笑し手を離すと、開けっ放しのカーテンの向こうに広がる夜の町へを顔を向ける。  自宅のベッドルームやリビングから見える光景とは全く違う夜の町を見ながら、家を出てからここにいたと言っていた慶一朗の事を思うと、ひとり、見知らぬ世界に取り残されたような気持になってしまう。  窓の外の明かりのひとつひとつに、己とは知己になることも無いだろう人達が、一人だったり愛する家族だったり友人達と悲喜交々の時を過ごしているのだろう。  そのすべての人が幸福でありますようにと祈れるほどリアムは子供でもなかったが、さりとて積極的に不幸を願う程狡猾にもなれなかった。  お人好しと称される己の性格に面倒だなと微苦笑した時、小さく掠れる声が流れ出し、意識を取り戻したらしい慶一朗が身動ぎしたことに気付いて視線をそちらに向ける。  眠そうに目を瞬かせる慶一朗の顔は出ていくまでは毎朝見ていたものと同じで、一瞬今何処にいるのかを失念しそうになったリアムは、目が覚めたかと自嘲しつつ問いかける。 「……ん……!?」  目を覚ませば当たり前に聞こえてくる声に眠気混じりの声で返した慶一朗だったが、ここが何処でその声を長い間聞いていなかったことを思い出すと、バネ仕掛けの人形のように飛び起きてしまう。 「リアム……っ!」 「servus、ケイさん」  今の時間を思えばこの挨拶もおかしいと笑うリアムの顔を凝視したまま動かない慶一朗に小首を傾げ、どうしたと手を伸ばすとその手から逃げるように体が揺れて頭が下がる。  さっきもそうだったが触れることも避けられてしまう程なのかと、ここに駆け付けるまでの間の高揚感が一瞬で霧散してしまいそうな気持に心が支配されそうになったリアムだったが、シーツの上で握りしめられる両手が微かに震え、俯く頭も細い肩も揺れている事に気付いて目を細めていると、しっかりと耳を澄まさなければ聞き逃しそうな小さな声がシーツの上に零れ落ち、その声を追うようにひとつ透明な滴も落ちた気がしてそっと名を呼ぶ。 「ケイさん?」 「……っ!」  名を呼ぶだけで竦んでしまう身体が哀しくて、そこまで追い詰めてしまった己に心底腹が立つが、それと同時に今目の前で俯き身体を震わせる慶一朗が信じられない程の怖がりだったことを思い出し、何に恐怖を感じているのかと目まぐるしく脳味噌を働かせる。  付き合い出してからの短いとも長いとも言えない時間の中、事件や事故に巻き込まれたり感情のボタンの掛け違いから口論になった事が幾度もあったが、その時、慶一朗の悪い癖だとリアムが常々笑って話すように、突発的としか表せない感情の動きで別れを告げられた事があった。  突発的別れたい症候群とリアムが名付けて時折揶揄っていた慶一朗のその言動を思い出し、それが発動するトリガーは何だと問いかけると恐怖という一言が返って来るが、今回のトリガーとなった恐怖なんだと続けて問いかけると、慶一朗の過去という言葉がそっと脳内に響く。  過去を知られたくなかったのかという疑問と、今更話さなくてもある程度の事は知っているという自嘲の合間に貴族然とした端正な顔が浮かび、ケネスとの関係、ひいては恋人同士だった頃を知られたくないのではないかという疑問が次々に浮かんでは蓄積されていく。  リアムが己の思考に意識を向けている間、どちらも口を開くことは無かった為に二人の間には慶一朗の少し荒くなった呼気だけが零れ落ち、我に返ったリアムがそれを聞き出さなければと腹を括った瞬間、俯いたままの慶一朗の口から再度小さな声が流れ出す。 「リアム……っ……ご、め、ん……っ」  絞り出すような声に名を呼ばれたリアムが呆然と目を見張ってしまうと勢いよく慶一朗の顔が上がり、ごめんと繰り返される言葉に絶句してしまう。  こんな顔をさせたかった訳ではなかったし、ましてやそんな声で謝罪をさせたかった訳でもなかった。  己の存在が恐怖を与えてしまっているという事実にリアムの心が深く沈みそうになるが、そんなリアムの胸倉を掴んで引き寄せようとする声が耳の奥底で木霊する。  その声は先程まで一緒にいたフレデリックのもので、いつものお前らしくないとの言葉だった。  それを言われた日、いつもの俺とはどんな俺だと、振り返った今反省しか出来ない言葉を返して店を飛び出したが、いつもの俺と小さく呟き、拳を握りしめ子供の様な顔で覚えている言葉がごめんとリアムの名前だけだと言うように繰り返す慶一朗をさっきとはまた違う驚きから見つめてしまう。  仲直りをするときの謝罪はこれだっただろうかとの疑問がリアムの脳裏に浮かび、そうではないとすぐさま反論があったことに驚き目を見張ってしまう。  過去に何度も喧嘩をしたり家を出て行った事もあったが、仲直りの合図は慶一朗が小さく手を広げる事だった。  それは、第三者からすれば謝罪にもなっていない謝罪方法で、それで本当に謝っているつもりなのかとルカやラシードから呆れられたこともあるが、それでもそれは二人にだけ通用する謝罪だった。  それを忘れてしまっているのかと問いかけたくなるが、忘れていたのはそれだけではないと唐突に思い出す。  感情の行き違いがあって口論になったとしても話し合いで問題を解決しよう、すれ違いを別離にしない為に思いを伝えようと約束をし、実際に問題が起きる度にどれほど拙いものであっても思いを口に出し、解決へと二人で進んできたのだ。  それすらも忘れてしまっていた事を思い出したリアムが天井を見上げた後、何とも言えない溜息を吐いて慶一朗へと顔を向けると、リアムの行動の意味が分からない不安から慶一朗の顔が蒼白を通り越して蝋人形のような白さになってしまう。  きっと今慶一朗の中では、謝るだけでは許されないのか、もう自分はリアムの傍にいてはいけないのではないのかという思いが渦を巻いているはずだと、本人よりも正確に心の動きを読み取ったリアムの口元、リアムを良く知る者たちが簡単に思い出せる笑みが浮かび、強張っている慶一朗の頬を両手で包む。 「違う、ケイさん」  リアムの言葉の意味も分からない、己の耳に届く言語が英語なのかドイツ語なのかも理解できないと言いたげに眉尻を下げて本当に分からないと呟く唇に小さな音を立ててキスをしたリアムは、驚愕に見開かれる瞳にもうそんなに驚く必要はないと伝える代わりに口髭の下で綺麗な角度に口角を持ち上げる。 「謝る時はどうするんだった?」  思い出してみろと笑うリアムの手に震える手を重ねた慶一朗の目がその言葉に応えようと左右に激しく揺れた後、真正面でピタリと止まって限界まで見開かれるが、目尻からひとつ、いつみてもただ綺麗だとしか思わない滴が零れ落ち、震える手がゆっくりと持ち上がり広げられる。 「Sehr gut.」  良くできましたと子供を褒めるように笑顔で頷き、己に向けて広げられる腕の中に身体を押し込むと慶一朗が短く息を飲んで肩に顔を押し付け、シャツの背中をきつく握りしめる。  己の肩に吐き出される感情を受け止め、もう怒っていないしあなただけが謝る事じゃないと繰り返し背中を撫でて言葉でも安心させるように伝えるが、解き放ってしまった感情を抑えることは難しいようで、不明瞭な声で何度も謝られてしまい、もう怒ってないんだけどなぁと天井に困惑の溜息を吐いてしまう。  今回の別離の要因は仕事とプライベートの問題が縺れて解けない糸のようになってしまったことだろうが、古来の王のようにそれを一刀両断できるだけの武器があればこんなことにはならなかったのだろうかと慶一朗の震える背中を撫でながら思案するが、必要なのはそんな武器ではなくほんの小さな勇気だったと気付き、慶一朗の髪を撫でて頬にキスをする。  もしもあの時、慶一朗が勇気を出して彼と会う事をリアムに話していれば、言い出そうとして言い出せない様子の慶一朗から上手く話を聞き出せていれば、それ以前に、ホーキンスに与太話だと苦笑しつつ話した友人が彼だという疑念をぶつけていればこんなことにはならなかったのではないのか。  その後悔の念から慶一朗の震える背中を強く抱きしめ、驚いたように上げられる顔に目を細めたリアムは、そっとその背中をベッドに沈ませて驚く顔を見下ろした後、額に額を重ねて目を閉じる。 「ごめん、ケイさん」  俺が躊躇わずにあなたに話をしていれば、あなたの話を聞いていればこんなことにはならなかったのにと、眉根をきつく寄せて謝罪をしたリアムの耳に小さな小さな溜息の音が流れ込み、そっと目を開けるとさっきの自分の言葉を思い出せと言うように両手が広げられた為、もう一度その腕の中に身体を押し込んできつく抱きしめる。 「……ケイ、さん……っ」 「……うん」  悪かった、心配をかけたと謝る慶一朗にリアムが顔を上げてもう一度間近で端正な顔を見下ろすと、今度は鼻の頭を擦り合わせて目を閉じ吐息混じりに名前を呼ぶ。 「ケイさん……会いたかった」  さっきも言ったが悪いのはあなただけじゃないとリアムが心の底からの思いを囁き、濡れた双眸を見つめると背中を抱いていた手が頬に宛がわれ、一緒にいる時には手入れをしてくれていたが不在だったために少し乱雑に伸びている髭を愛おしそうに撫でられる。 「俺も……お前に、会いたかった」  久しぶりに吐息が届く距離で見つめ合った慶一朗のその言葉に我慢が出来なかったリアムは、再度額を重ねて様子を見るが、さっきまでの震えや拒絶を感じることが無かった為、慶一朗に覆い被さるように体を重ねると、薄く開く唇にキスをするのだった。  ホテルの狭いシングルルームの一つしかないベッドで心身が満足するまでただ互いの背中を抱きしめあった二人だったが、慶一朗がそっとリアムの背中を撫でて合図を送り、それをしっかりと受け取ったリアムが身体を起こすと二人同時に座り込み、何かを思い出した顔でベッドから降り立って床に胡坐をかいたリアムが枕を慶一朗に差し出す。  その姿勢から何を求められているのかを察した慶一朗が枕を受け取り、自宅では青い電話ボックス型のぬいぐるみだが今は仕方がないと肩を竦めながら枕を抱きしめる。 「ケイさん、これだけは言っておく」 「……うん」 「俺は今回の事でケイさんに怒っている訳じゃない」  ケネスに会いに行く事を黙っていた事、そもそも彼との関係を黙っていた事も別に怒っている訳じゃないと、どうか己の本心が伝わりますようにと願いつつリアムが口を開くと、慶一朗が緊張に息を飲む。 「……ただ、悲しかっただけだ」 「かな、しい……?」 「うん。彼との関係を教えて欲しかったし、会いに行く事も教えて欲しかった」  それを知らせずにひとりで問題を解決しようとした事が悲しかったと、慶一朗の目を見つめつつ伝えるリアムの声は本人が前置きをしたように怒りなどの感情は籠っておらず、慶一朗が最も恐れている呆れの感情も無いことに気付き、抱きしめていた枕をくるりと回転させる。  その動きから己の思いがある程度正確に伝わっている事に気付いたリアムが安堵の息を吐き、その上で行くのなら一人じゃなく俺と一緒に行って欲しかった、ひとりきりでは行って欲しくなかったと、今度はさっきとは違って視線を床に落とし口早に呟かれ、慶一朗の手が枕から離れてしまう。  リアムが滅多に見せる事の無い嫉妬という顔を見せつつ出来れば行って欲しくなかったなぁと未練がましく呟くと、慶一朗の口からこの日初めて吹き出す音が聞こえ、リアムが端正な顔を見ると肩で目尻を拭った慶一朗が小さく笑みを浮かべていて、うん、やっぱりあなたには笑っていて欲しいと素直に告白する。 「……リアム」 「うん」 「後で、話を聞いてくれるか……?」  そのたった一言を言えないがために別々の場所で夜を越えて朝を迎えなければならなかったのだと今ならば分かるが、勇気を持てずに逃げてしまい、その挙げ句にケネスに襲われ掛けた馬鹿な俺だけど話を聞いてくれるかと問われて一も二もなく頷いたリアムは、床に膝立ちになって慶一朗の腰に腕を回して甘えるように顔を寄せると、抱えていたものを枕からリアムに乗り換えた慶一朗が広い背中を抱きしめ頬を宛がいながら震える息を吐く。 「……ダンケ、リアム」  本当に愚かな俺を許してくれと背中越しに告げられる謝罪の言葉に腰に回した腕に力を込めることで返事をしたリアムだったが、背中に重みが掛かったことに気付き、苦しい姿勢から抜け出すように上体を起こすと、貧血を起こしたような顔で慶一朗が寄り掛かってきたために痩躯を支えると、ありがとうと小さく礼を言われてしまい、そっとベッドに寝かせて首筋に手を宛がう。 「熱はなさそうだな」 「……お前が来てくれて安心したから……」  腹が減ったと、羞恥に首筋まで真っ赤に染めながらそっぽを向いた顔で告白する慶一朗に目を激しく瞬かせたリアムは、何も食ってないのかと問いかけようとして慶一朗と付き合うまでの恐ろしい食習慣を思い出してしまう。  最近は食べたいもののリクエストもするようになってきたから失念していたが、ひとりになった慶一朗がまともな食事を取っているとは思えなかった。  慌てて冷蔵庫を開けても入っているのはビールや水のボトルだけで、申し訳程度に開封されているチーズがぽつんと棚に載っているだけだった。  その光景に無意識に神に救いを求めるようにジーザスと呟いたリアムは、何か食うものを買ってくるから待っていろと慶一朗に告げるが、シャツの裾を引っ張られてしまい溜息を吐いてベッドに腰を下ろす。 「ケイさん」 「……要らない……っ!」  せっかくお前が来てくれたのに食い物なんか要らないからここにいてくれと、いつになく素直に懇願する慶一朗のそれを拒絶することも押し留めることも出来ずに再度溜息を吐いたリアムは、分かったからと伝える代わりにシャツを握る手をそっと撫でて額にキスをすると、ビールの栄養を借りるかと片目を閉じる。 「ケイさんが黒ビールを買っててくれて良かった」  普通のビールでも小麦の栄養があるが、黒ビールの方が栄養価が高いと片目を閉じるリアムの手からボトルを受け取った慶一朗がベッドヘッドに背中を預けると、その横にリアムが座り込んだためにその肩に頭を預ければ肩を抱き寄せられて安堵の息が零れ落ちる。 「でも今日だけだからな?」  明日家に帰ればビールだけを飲むなんて認めないぞと慶一朗の食育を一手に担っているリアムが厳しい顔を慶一朗に向けるが、うんと素直に頷いた後ビールを飲み、不思議と甘く感じるそれを一気に飲み干してしまう。 「今日は車か?」 「いや、さっきまでフレッド達と飲んでたから今日は電車で出てきた」 「大丈夫なのか……?」 「うん。あいつらが行ってこいって背中を押してくれた」  三人の王思いの臣下に感謝だなと笑うリアムの言葉に意味が分からないと呟く慶一朗の髪を撫で、王様ゲームという自分達が学生時代から繰り返しているゲームがあると、リアムの声が一気に若返ったように明るくなり、その声を聞いている慶一朗の気持ちも徐々に解れて柔らかくなってくる。  リアムの肩に頭を預けていると家を飛び出して別々に寝ていたことも悪い夢だったように思え、肩を抱く腕の強さと温もりに自然と瞼が下がってくるが、これだけは伝えなければと思っている一言を最後の気力を振り絞ってリアムに伝える。 「……明日、朝……に、行きたい……」 「ケイさん?」  何だと返したつもりだったがその声は慶一朗の口の中でのみ響いたようで、手にしていたボトルをそっと取り上げられ、ベッドに寝かされて掛布団を掛けられたことも気付かず、何日ぶりかの穏やかな眠りに落ちていくのだった。  ここに到着したときのものとは違う本格的な寝息を立て始めた慶一朗を隣で見つめたリアムは、今日はこのまま一緒に寝るしかないなと、己のシャツを握りしめたまま眠りに落ちた慶一朗に微苦笑し、いつものように慶一朗の頭の下に腕を差し入れ、反対の手で掛布団を引っ張り上げて大きく欠伸をひとつ。  フレデリック達と王様ゲームで盛り上がっていた中飛び出して来てしまったが、快く送り出してくれた三人の臣下達には明日にでも仲直りしたことを報告しようと欠伸の最中に決めると、部屋の照明を必要最低限に落として慶一朗の後を追うように眠りに就くのだった。  慶一朗を腕の中に抱えて眠るリアムの顔も別々に過ごしていた前のように穏やかなものになっていることを、開けたままのカーテンの合間から白い月と星々が見下ろしているのだった。      
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  怒ってるんじゃ無い。悲しかったんだ。
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