二人の仲違いを心配するあまり厳しい言葉をホワイトが慶一朗に伝えたその週末、今夜飲みに行くぞとフレデリックからのメッセージがリアムの元に届き、ロッカールームの壁に背中をぶつけながら考えこんでしまう。
10歳でこの国に移住し、11学年の頃に知り合ったフレデリック、ラルフ、ネイサンという三人とは進学先が違い就職先もまったく違う中でも時間を合わせては定期的に飲みに行ったりする仲の良さだった。
だから今までならばその誘いを受けると何の躊躇もなく返事をし、集合場所などを教えてもらって当日を楽しみにしている筈なのに、先日のことがあるからか返事を躊躇してしまっていた。
友人達と飲みに出かけて強かに酔っ払ってしまえば今の気持ちも晴れるのだろうかと微苦笑するが、付き合い出した頃に酔っ払った挙句に寝ていたであろう慶一朗を半ば襲ってしまった事があり、その時の反省からリアムは酔いつぶれる程酒を飲むことがなくなっていた。
だから今回の問題でもある意味酒に逃避することも出来ず、さりとて汗を掻いて気分転換をする気持ちにもなれず、それでも必要だからという義務感でデュークの散歩だけは何とか行っているような有様だった。
こんな姿を友人達に見せることも出来なかったが、その時ホーキンスの声が脳裏に響き、助けを求めることが苦手だろうしひとりで向き合わなければならないと思い込んでいるかも知れないが、あなたの周りにはあなたからの声を待っている人もいるのだと教えられたことを思い出し、以前慶一朗が事件に巻き込まれた時も事後報告をした結果、心配することも出来ないのかと、そんな浅い付き合いなのかとフレデリックに怒鳴られた事も思い出してしまう。
あの時、後で話を聞いてくれれば良いと本気で思っていたが、現在進行形の今話をすれば気の良いフレデリックの事だから親身になってくれるだろうと簡単に予測は出来た。
だが、先日、飲んでいる時に言われた一言がどうしてもその時のリアムでは受け止めることが出来なかった為に席を立って店を出てしまったのだ。
その態度は冷静になれば取るべきものではないと理解でき、その理解が己の情けなさを浮き彫りにさせた結果、今リアムが返事を躊躇ってしまう現状を生み出していた。
もしも先日の態度も受け止めた上で誘ってくれているのであれば、思春期という人生の中である意味特別な期間の喜怒哀楽を共有した友人に話を聞いてもらいたいという思いがリアムの中に芽生え、何処に行けば良いと返事をしようとスマホを軽く握りしめた瞬間、手の中で電話の着信を教える音が響きだす。
「……ハロー」
画面を見なくても誰だか理解できたために不安と安心を混ぜ込んだ声で返すと、おうという予想通りの声が聞こえてきて、知らず知らずのうちに覚えた安堵から盛大な溜息を吐いてしまう。
『どうした?』
「いや、何でもない」
『そうか。……今夜どうだ?』
まだあの人との問題は解決していないのかも知れないがお前に必要なのは気分転換と話を聞いてくれる誰かだと笑われて、お前には電話相手の気持ちを見抜く力があるのかと半ば本心から呟くと、この間のお前の様子からそうとしか考えられないだろうがと苦笑されてしまい、そんなに心配をさせてしまったかと反省の言葉を口にすると、今するべきなのは反省ではなく対策を練る事だと言い切られ、その言葉にそっと背中を押されたリアムが顔を上げる。
「フレッド、どうすれば良いか分からなくなった」
『……ああ。俺だけなら難しいけど、あいつらがいればきっと何かが見えてくる』
だから学生の頃のように皆で集まって無い知恵を絞ろうと笑う声はあの頃と何も変わっておらず、その安心感に見えないのに頷いたリアムは、待ち合わせの駅と時間はあとでメッセージで送ると教えられて頼むと返し、通話が途切れる前にフレデリックを呼ぶ。
「フレッド」
『ん? どうした?』
「いや……サンクス」
『どういたしまして』
それにしてもお前からの礼の言葉は聞いていて耳が喜ぶなと、フレデリックよりもネイサンが口にしそうな言葉につい小さく吹き出し、また後でと通話を終える。
フレデリックのメッセージと電話で気持ちが少し軽くなった事に気付き、背後の壁に後頭部を軽くぶつけたリアムは、あいつらの顔を見て少し酒を飲んで他愛もない話をすればきっと大丈夫と、誰よりもそう思い込もうとしている自覚がない顔で呟き診察をする時にいつも着ているジャケットを脱ぐと、出勤した時よりは軽い気持ちでドアを開けて着替えを済ませるのだった。
フレデリックが教えてくれた待ち合わせの店は四人揃って飲みに行く事が多い店より一つ前の駅にあり、そこは昔から地元の客を相手にしているようなこじんまりとした店が点在する場所だった。
駅からまっすぐに伸びる道を進み角を曲がって路地を二つ渡った角に一見すれば飲食店には見えない構えの店があり、中から暖かな光が路面に窓の模様を描いている店だった。
店構えに懐かしさを覚えながらドアを開けるとスタッフがのんびりとやってきて、連れが先にいることを伝えると、スタッフの肩越しにこっちだと手を挙げるネイサンの顔が見えたため、そこだと指で合図を送る。
「……遅くなった」
「気にすんな」
一番遠いのがお前だから仕方がないと笑うフレデリックは先日喧嘩別れしたような気配を一切感じさせない、今までと何も変わらない態度だった。
それが今は嬉しいと思いつつ一つだけ空いていた椅子に座るとグラスにビールが注がれ、三人がそれぞれグラスを手にする。
「……今夜のキングに乾杯」
フレデリックが片眼を閉じて告げた乾杯の音頭にネイサンとラルフがにやりと笑ってリアムを見つめ、その視線から己に課された役目を理解したリアムが天井を見上げつつ乾杯と告げて同時にビールを飲む。
「今夜はお前がキングだからな」
「懐かしいなぁ」
王様ゲームかと、ビールが満たされているピッチャーからそれぞれのグラスにビールを注いだラルフが楽し気に笑い、ネイサンも学生時代は毎日誰かがキングだったと懐かしさに目を細める。
「……俺じゃないとダメか?」
「だめだ」
リアムが最後の抵抗というように上目遣いで三人を見つめると異口同音に駄目だと否定されてしまい、広い肩を落として盛大なため息も吐いてしまう。
「諦めろ」
今夜の飲み会という名を借りたリアムのお悩み相談会を開催するとフレデリックが二人にメッセージを送ったのは少し前で、リアムの様子があまりにもおかしいことを伝えた結果、久しぶりに王様ゲームをするぞとネイサンが返したのだ。
王様ゲームという言葉から連想するのは誰か一人が他のプレイヤーに命令をするものだったが、リアム達が学生の頃に遊んでいたものは言葉から連想するものとは少し違っている遊びだった。
キングに指定された人は他の三人に命令できる代わりに今一番頭を悩ませている問題を必ず話さなければならないというもので、今日はお前がキングだと店に入ったリアムに命じたことから、フレデリックの目的が己の胸中で出口を求めて渦巻いている感情を吐き出させることだと気付いたリアムが再度天井を見上げて溜息を吐く。
天に向けて溜息を吐いても落下地点にあるのは己がそれを吐き出した口だったため、目には見えないそれを飲み込む素振りをして顔を戻したリアムは、ビールを一気に飲み干した後、腕で口元を拭って三人を順番に見つめていく。
「……さあ、望みを言え、リアム」
そして俺たちに悩んでいることを聞かせろと、出会った頃から変わらない表情で先を促すフレデリックに胸の内で感謝の言葉を伝えたリアムは、ビールと言葉少なに命令をすると、ネイサンが嬉々としてピッチャーをグラスに向けて傾ける。
三杯目のそれも見事な飲みっぷりで飲み干し、あの時フレデリックにも伝えていなかった慶一朗との仲違いーどちらかといえばすれ違いーについて、店に入る前と比べれば少しだけ軽くなった心で気が置けない友人たちに話し始めるのだった。
リアムが王様ゲームという名の悩み相談を強制的にされている頃、リアムのように悩みを聞き出すのにゲームを装って気遣ってくれるような友人がいない為にただ一人で今回の事態に直面している慶一朗が、清潔だが無機質な部屋のベッドでテレビから流れてくる音を前に項垂れていた。
先日、珍しく職場にやって来たホワイトに指摘された言葉が何処で何をしていても脳裏でぐるぐると回り、その声を打ち消すようにうるさいと呟いてもその声にすら被さってくるように聞こえるのだ。
残照が消え去り屋上が闇に包まれた頃に漸く立ち上がる力が戻ってきたが、その後何処をどうしてこの部屋に戻ってきたのかすら覚えていない程憔悴していた為に水を飲んでそのままベッドに潜り込んだのだが、当然ながら眠りが訪れることも無く、リアムがいなくなった事から空虚になってしまった体内に彼女の声が響き、それを打ち消すことも霧散させることも出来ずにただ寝返りを打っていたのだ。
あの日の彼女の言葉は慶一朗が受け止めるには重く痛すぎた為、それを和らげようとテレビを付けたりスマホで自作のジオラマに模型を走らせている愛好者の動画を見たりしていたが、それでもその合間合間に痛みが襲い掛かって来るのだ。
向き合う勇気も、もう知るかと振り切る根性もない己の情けなさを独り冷たい布団の中で感じるような日々を過ごしていたが、いつまでもこのままで良いのかという疑問が水面に落ちた小石が作る波紋のように心の中に広がっていく。
ケネスに呼び出された夜、彼から威圧的な態度を受けて抵抗したが、長年の付き合いからか慶一朗のあしらい方を熟知しているケネスにベッドに抑え込まれ、用意していたらしい小さなボトルを半ば強引に吸引させられたことまでは覚えていたが、その後首筋に生温かな何かが触れた瞬間、慶一朗の中で未だに血を流し続けている傷口にそれが届き、忘れようとしても出来ない四人の男女の顔が浮かび上がったのだ。
その顔に小さく息を飲み悲鳴を上げたような気はするが、次に慶一朗が見たのは、心配そうな、だが少しの安堵を込めた声で間に合ったと呟いたリアムの顔だった。
何に間に合ったのか、その言葉の意味をあの時は理解できなかったが、今ならばはっきりと理解できた為、ベッドに転がっている枕に吸い込まれるように倒れ込み、顔を押し付ける。
あの事件の傷はリアムと一年近く前に家に来たジャーマン・シェパードのデュークと一緒に少しずつ癒しているが、それらを無に帰すような暴挙をケネスが取ったおかげで、慶一朗は脳内で心身の自由を奪われながら犯され続けた時を、鏡で己の顔を見た瞬間や似たような声を聞いただけで己の意志とは関係なく再現してしまうようになっていた。
仕事中だけは何とか集中している為に思い出すことは抑えられていたが、仕事が終わった直後には膝が砕けそうなほどの衝撃を伴って閉じた瞼の裏で自動再生されてしまっていた。
今までならば夢で魘されても隣にはリアムがいたしリアムが不在の時には黒と茶色の毛並みで慶一朗の傍に寄り添ってくれるデュークがいたが、今この無機質な部屋をどれだけ見回しても彼らの姿は見えず、闇に浮かぶ窓には何故か己をのべつ幕なしに犯し続けた男たちの顔が浮かんでは消えていくのだ。
悪夢ならば早く醒めてくれと握りしめた拳をベッドに叩きつけても無意味で、どうしてこんなところで独りなんだと肩を揺らしても誰も答えを与えてはくれなかった。
そんな己にホワイトが厳しい言葉ながらも答えを教えてくれたのではないのかと横臥していたベッドで寝返りを打って天井を見上げた時、嘲笑う顔の横から涙を堪えているような彼女の顔が、その横に同じく心配顔のホーキンスやテイラーのものも見えるが、その奥で最も己が望む顔が見えた瞬間に瞬きをすると目尻から何かがひとつ、枕へと転がり落ちていく。
幼少時の過去から人と積極的に関わりを持つ事をしてこなかった慶一朗は、己の本心を口に出せる相手が片手で足りる程しかいなかった。
その中でどんな己の姿を見せてもいつも受け止めて抱きしめてくれていたのはリアムだった。
それなのにそんな彼にも過去の付き合いを素直に話すことが出来なかった己は生きとし生けるもの達の中で最も愚かな生き物だと肩を揺らしてしまい、もうひとつさっきと同じ何かがこめかみから髪に吸い込まれていく事に気付く。
己の過去の恋愛遍歴ーとも呼べない倫理観など皆無の乱れ切った関係をリアムは知っていただろうし、その上で付き合い結婚までしている筈だったのに、何を今更隠す必要があったのだろうか。
乱れまくった付き合いをして来た慶一朗を嘲るような目で見つめ、言葉で嘲笑されてしまえば二度と立ち直れないという恐怖から家を飛び出してしまったが、あの日ホワイトに言われたようにリアムがそんな態度を取るだろうかという疑問が流れ落ちた二粒の涙の分だけ出来た隙間に沸き起こり、眼鏡を投げ捨てて枕に顔を押し付ける。
己は一体何に怯えていたのだろうか。
あれほどまでに真摯に向き合い支え続けてくれた心優しい男を、そんな彼に昔の男との付き合いを知られたくないという、振り返った今ならば理解できる些末な思いに囚われ、何があっても一緒にいてくれるはずの男を傷付けるだけではなく、この居た堪れない時間からも逃げ出したいがために優しい男にすべてを背負わせて関係を終わらせようとしているなんて、これほど愚かで卑怯な者はいないと自嘲し、枕の下で拳を握りしめる。
まだ詳しく話していない己の過去だったが、それは自ら進んで話していないだけで、勘の良いリアムのことだからある程度のことは察しているだろう。
知っている事をこちらに言わなかったのは、ただ優しさから知らないフリをしてくれていたのではないのか。
もしかすると、いつか話してくれるかも知れない、そんな期待を何処かに持ちつつ、話さないのであればそれで良いし話してくれるのならば真正面から受け止めよう、そう思っていたのでは無いのかと思いを巡らせると、ホワイトの涙ぐんだ顔が脳裏に浮かび、あの時彼女は手厳しい言葉を放ったが、確かに彼女の言うとおり余程親しい友人でも無い限り職場の人間が同僚の過去など気にすることも無いだろう。
なのに、今のような自分達を見ていたくない一心で己の態度を諫めに来てくれたのでは無いのかと気付き、唇を噛みしめる。
過去を知られる恐怖から、知っていても黙っていられるだけの力を持つ心優しい男を傷付け、何を言われるかが分からないからと逃げ出した己は、一体どこまで愚かで弱い男なんだろうか。
全てを知っていても傍にいて支えてくれる男を喪う恐怖と比べればそんな恐怖など些末なものの筈なのに、ただ知られることが怖いというだけで逃げ出したのだ。
己のあまりの愚鈍さに笑い続けることすら出来ずにのそりと起き上がった慶一朗は、窓に映るやつれた男の顔に呆れた笑みを見せつけ、投げ捨てた眼鏡を掛けてスマホを手に取る。
本来ならば彼女は他人の過去など気にしない人だろうが、そんなホワイトがわざわざ職場に顔を出して厳しい言葉を告げたこと、立ち去る前の涙は決して嘘では無いだろうと、あなたが動かなければ何も変わらないとの言葉に背中を蹴り飛ばされた気がし、その勢いを借りても良いだろうと誰にともなく呟くと、一番電話を掛けている番号を震える指でタップしようとするが、心にある底なし沼からひとつ気泡が弾け、そこから溢れ出した諸々の感情が手を止めさせてしまう。
馬鹿で愚かなお前が誰からも必要とされる心優しい男に今更何を言うつもりだ、お前が傍にいてよい男だと思うのかと、過去の誰かの声が未来の慶一朗の思考を奪うような言葉を投げかけてくるが、過去も未来も関係なく、今、この今、ただただリアムの声が聴きたくて、もしも許されるのなら傍にいて欲しかった。
無くして初めて理解できる大切なもの。
その言葉は日々の暮らしでも職場でも良く耳にしてきたものだったが、今まで生きてきた中で今ほどそれを実感したことは無いと肩を揺らした慶一朗は、震える指でもう一度スマホを操作し、やっとの思いでその番号をタップする。
微かに聞こえてくる呼び出し音が10を数えても出ない為に諦めから赤いボタンを押そうとした時、待ってくれ、切らないでくれという切羽詰まった声が聞こえた気がし、思わずスピーカーのボタンを押してしまう。
『……ケイ、さん……?』
スマホを通して久しぶりに聞くリアムの声は雑多な感情に満ちて掠れて揺れている事に気付き、そんなに慌てる必要はないのにと頭の片隅で思案した慶一朗だったが、その呼びかけに返事をしようと口を開いたものの、喉に声が貼りついたようで声が音として出てくることは無かった。
いたずら電話か何かかと通話を切られても仕方がないような状況に焦りから口を開閉させるが、途切れ途切れの呼気が流れ出るだけだった。
こんな状態で何を話せるのか、本当に通話を切られてしまえばどうなると、いざという時に役に立たなくなる己を殴りつけたい一心で声を振り絞ろうとした慶一朗の耳にスピーカー越しでも優しく温かな声が流れ込む。
『……慶一朗』
その呼びかけは慶一朗の心だけではなく全身へと血流に乗って行き渡り、雷に打たれたかのように細い体がひとつ痙攣した後、己でも止めることのできない感情に突き動かされた口が漸く声となってスマホ越しのリアムに届けられる。
「リアム……っ……ご、めん……た、い」
ごめんと会いたいというただその気持ちをロクに伝えることも出来ない声帯に殺意すら覚えてしまいそうになるが、うん、俺もという小さな小さな声が聞こえた瞬間、スマホを握りしめて身体を折ってしまう。
同じ気持ちを持ちながらどうしてそれを確かめるために言葉を交わさなかったのか。
付き合うと決めた時にいくつか交わした約束の中、どんなことがあっても言葉で思いを伝えあおう、話しあおうと決めたはずなのに、それを亡失しただけではなく一緒にいようと誓った言葉も忘れ去ってしまっていたことを思い出し、右手薬指から消えてしまった指輪を思い出して手を握りしめる。
家を飛び出した時以来、右手薬指に空虚が生まれた気がしていたが、それが些細なことに思える程自分達の間に広がった空隙に気付き、それを解消するようにリアムの名前を繰り返し繰り返し呼び続け、何度も答えられて感情を抑えることが出来なくなるが、そんな情けない顔を見せられないという無駄な意地から奥歯を噛みしめて震えながら深呼吸を繰り返す。
手の中のスマホの画面が滲んだように思えたが、湿り気を帯びた吐息を落とした後、前髪を掻き上げながらも呟いたのは、ごめんと漸く口に出来た言葉だった。
馬鹿な俺を許してくれ、お前に会いたい、会って謝りたいといつになく素直に感情を吐露する慶一朗の耳に震えながら吐き出されたらしい息の音が聞こえ、どのような顔になっているのかの自覚もないままもう一度名を呼ぶと今何処にいると問われて目を瞬かせる。
『教えてくれ、ケイさん』
あなたは今何処にいるんだと重ねて問われて家を出て以来滞在しているホテルの名前を告げると、アポフィスではないのかと軽く驚かれてしまうが、あの日からルカ達にも連絡は取っていないと苦く返せばそうかという俯いてしまった顔を自然と挙げさせる優しい声が返ってきて、ホテルの名前と最寄り駅を伝えれば沈黙が生まれてしまう。
どうして黙ってしまったのかが分からずに不安に陥った慶一朗が次の言葉を発する前、ジーザスという低い呟きが聞こえ、どうしたんだと恐る恐る問いかける。
『ケイさん、すぐにそっちに行く』
ホテルの部屋の番号を教えてくれと口早に捲し立てられてその剣幕に圧されながら305という数字を伝えると、すぐに行くとスピーカーから大きな声が流れ出した後、無機質な音が聞こえてくる。
通話が終わった事を画面がブラックアウトしたことで気付き、眼鏡を押し上げて肩で顔をぐいと拭くと、今の様子からリアムが何処にいるのかを読み取ることが出来なかったと気付き、すぐに行くと言ったがどれぐらいだろうとベッドに背中から倒れ込む。
素直に子供のように泣くなど到底出来ない情けない大人だったが、反面、リアムにならばその顔を見せても良いのでは無いかという今まで一度も自覚したことのない穏やかな声が胸中で響く。
ホワイトに厳しい言葉で詰られた時、彼女の前で膝を折る事など何があっても出来ずにただの意地で踏ん張っていたが、もしも今リアムが目の前にいればきっと己は何の躊躇もなく膝を折りその足に許しを請うように首を垂れるであろうことが簡単に想像できてしまい、他の誰でもないただ一人がリアムである現実に背筋が震えそうになる。
双子の兄の総一朗ですら同じことが出来るとは思えないと苦笑し、すぐに行くと言ったリアムが来た時にこんな顔を見せたくないという最後の意地でバスルームの洗面台に頭を突っ込み水を浴びようと蛇口を捻った時、ドアの向こうから騒々しい足音が聞こえてくる。
一体何事だと眉根を寄せつつ恐る恐るドアの前に向かうとドアが破られそうな勢いでノックされ、その場で飛び上がってしまう。
「ケイさん!」
ドア越しに絶対に聞き間違えることのない声に名を呼ばれ、情けないほど慌てふためきながらドアを開けた慶一朗だったが、懐かしい匂いと熱に全身が包まれたと気付いた瞬間、膝から力が抜けてその場にへたり込みそうになる。
「おっと」
こんな時でも誰よりも優しい腕に身体を支えられた気がしたが、全身を包む懐かしさとそれを遥かに上回る安堵から慶一朗は緊張の連続とロクに食事もしなければ睡眠時間も取れていない疲労が蓄積した身体が意識を手放せと命じ、そんな慶一朗を駆け付けた為に少しだけ上がっていた息を整えてしっかりと抱きしめたリアムは、己の腕の中で小さな寝息を立てる顔に安堵から目を細め、自宅にいる時と同じように抱き上げると慶一朗が一人で過ごしていた部屋に入るのだった。
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