It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第14話 Mein lieber Freund.【僕の親愛なる友人】
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 リアムと慶一朗が周囲に心配やささやかな不満を齎しながらも日常生活を送ることができていると思い込んでいた違和感だらけの日が続いたその日、午後からの会議のためにヴィクトリア・ノースヒル・ホスピタルに出向かなければならない事を思い出したリアムは、あの大きな病院で慶一朗にばったりと出くわす可能性を見た目以上に優秀に働く脳みそで弾き出し、大丈夫だろうと到底そうとは思っていないような溜息を床に落としてしまう。  それを目撃していたホワイトが何かを決意した顔を上げて隣の診察室に顔を出したのは、午前の診察がそろそろ終わりそうな頃合いだった。  今日の午前中最後の患者を送り出した後に満足そうに息を吐いたホーキンスの診察室の壁をノックしたホワイトは、その音に椅子を回して振り返る彼女に相談があると告げ、事務長のその様子から真剣な話だと気づいた看護師のスーザンが二人に一礼をして邪魔にならないようにと処置室へと姿を消す。  自分たちのスタッフの気遣いに感謝しつつ壁際にある診察台に腰を下ろしたホワイトが何を言うのかを待つように彼女を見上げたホーキンスだったが、なかなか言い出さないことから話の主題に気づき、隣の診察室との区切りになっている壁を彼女の肩越しに見つめる。 「……リアムの事?」 「そう……今日の午後、VNHに会議で行くでしょう?」  その会議に私も同行させてもらえないかとの言葉を躊躇いがちに切り出されて軽く目を見張ったホーキンスは、それは何の問題もないと頷くが、できれば今日はリアムにここに残ってもらってあなたに一緒に行って欲しいと懇願するように見つめられてしまい、さすがに驚きから口を閉ざしてしまう。 「それはどうして?」 「今のリアムを彼に会わせるのはどうかしら」  いつも通りを装っているがカルテもスタッフへの指示も文字も荒ければ口調も素っ気ないものになっている、それに何よりもティーブレイクに顔を出さないのは大問題なのにそれに気付いていないと眉を寄せながら不安そうに口に出すホワイトをじっと見つめたホーキンスだったが、確かにティーブレイクに参加しないのは危険な兆候だと彼女自身感じていたことを口にする。  スコットランドからの視察団が帰国した週明け、一見すればいつもと変わらないが根幹にある何かが大きく変化をしたのではないかと、リアムという男の見た目だけ同じでその魂は別人になったのではないのかと疑ってしまうような雰囲気で出勤してきたのだ。  リアムを心配しつつもそれでも大人だし何とかするだろう、どうにもならなければ手助けを求めてくるだろうと考えていた二人だったが、リアムから今回の件で助けてくれとの言葉は今まで聞かされておらず、少し前に案じたホワイトがランチタイムにリアムに事情を話してくれと伝えホーキンスに何やら話をしたようだったが、それ以降もリアムがティーブレイクに参加することはなく、ほかのスタッフたちもそろそろ様子のおかしいリアムに対し、何か手が打てないのかとタイミングはバラバラだったが同じ内容の相談をホワイトらにするようになっていた。  そんな事情もあり、今日の会議はもしかすると仲直りの切っ掛けになるかもしれないと相談していたが、今の様子なら会わせない方が良いのではないかと不安を覚え、それならばホーキンスが出席し自分も一緒に行きたいとホワイトが提案してきたのだ。  彼女の提案を受けながら確かにその方が良いかもしれないと再度彼女の背後の壁を見つめたホーキンスがそうねと頷いた時、壁の横から今いいかと問いかけながら話題の主が顔を出す。 「どうしたの?」  何か話をしていたのではないかと遠慮するリアムに大丈夫とホワイトが頷きホーキンスも掌を向けると、今日の午後の会議のことだと切り出す。 「……今日の会議、代わってもらえないか?」 「何かあったの?」  まさかリアムから言い出してくるとは思わずに二人が顔を見合わせた後にホーキンスが首を傾げると、情けなさそうに眉尻を下げて肩を竦められて驚きに目を見張ってしまう。 「……少し、ケイさんに、会うかも知れないのが……」  怖いというか不安というか上手く説明できなくて悪いと歯切れも悪く説明され、それが先日二人がランチタイムに相談に乗ったことへの回答だと気づいてどちらからともなく目元を和らげてしまう。 「私とソフィーで出席してきます」  だからあなたは午後からの診察を頑張ってくれとホーキンスが安堵に笑みを浮かべ、ホワイトが何度も何度も首を縦に振る。 「サンクス、ディアナ、ソフィー」  多分もう少しすれば気持ちも落ち着くと思うがまだ今は無理だと、噓偽りのない本心をポツリとこぼし広い肩を小さくしたリアムの言葉に二人がもう一度顔を見合わせた後、そんなことがあっても悪くない、だから今は仕事のことだけを考えていろとホワイトが安心させるようにリアムの肩を撫で、ホーキンスが力を分け与えるように頷く。 「悪いけど、頼む」 「ええ」  顔中に安堵の色を浮かべるリアムの背中をそっと押したホワイトは今は小さく見える背中が隣の診察室へと消えていくのを見送り、あの日ホーキンスとどのような話をしたのかは分からないが、その時の会話が今のリアムの言動に反映されているのだと気づき、厳しいことも言うが誰よりもスタッフたちのことを考えてくれている院長であり親友でもあるホーキンスにありがとうと告げて己もヘンリーに指示をするために事務室に戻っていくのだった。  そんな二人を見送ったホーキンスは、こちらについては何とかなりそうだが午後から向かうあちらは一体どんな様子なのかを我が目で確かめることも必要だと気付き、少し気が重いと溜息を吐くのだった。      ホワイトがホーキンスと一緒にビクトリア・ノースヒル・ホスピタルに顔を出し会議を恙無く終えたのは夕方近くで、会議中もリアムからの緊急招集などは掛かっていなかったために一人でも上手く回しているのだろうと判断をしたホーキンスは、同じ病院内にいるのに姿を見ない慶一朗を一瞬だけ探そうとするが、その視線を周囲に巡らせたと同時に肩を叩かれてそちらに顔を向け、何かを言いたげにしている教え子の顔を発見して軽く驚いてしまう。 「どうしました、ジャック」 「……先生、お時間はありますか?」  もし大丈夫なら僕のオフィスに顔を出して貰えませんかと問われ、隣にやって来たホワイトにも一緒にと頷いたが、私は少し用事があるからと辞退し、帰る前に電話をくれと手を挙げ二人がテイラーのオフィスに向かう背中をその場で見送ると、先程会議に参加した人から聞いたフロアに向かう為に足早に歩き出す。  目的地のフロアで入院患者の診察が終わったらしく部屋から出てくる痩躯を発見し、邪魔にならないように壁際で彼が目の前を通るのをじっと見つめているが、まるでこちらの存在に気付いていない顔で素通りしようとしたことに気付き、待ってと声を上げてその腕を掴む。 「!?」  突如横合いから伸びてきた手に腕を掴まれた驚きに飛び上がりそうになりながらホワイトを見たのは、少し前にカップケーキを持ってクリニックを訪れた時から比べると窶れているようにも見える慶一朗で、突然の出来事を受け入れようと眼鏡の下の目を激しく瞬かせてしまう。 「……ソフィー!?」 「ええ……少し良いかしら」  きっと忙しいと思うのだけれど少し私のために時間を割いてちょうだいと有無を言わさない口調で慶一朗の顔を見上げた彼女は、周囲からの突き刺さるような視線に気付き、にこりと笑みを浮かべてホーキンス・クリニックの事務長だけど少しだけ相談したいことがあるのと誰も反論できない笑顔で周囲を見回すと、彼女の笑顔と剣幕に押されたらしいスタッフ達がぎこちなく頷き、そんな皆をもう一度見渡した彼女がありがとうともう一度笑みを浮かべる。 「……俺は……」 「ええ。あなたには話は無いかも知れないけれど聞いて欲しい事があるの」  あと出来ればあなたの口から聞きたいこともあると告げ、もうこれ以上逃げたりしないから手を離してくれとそっと手を撫でられて素直に謝罪をすると、落ち着いて話がしたいのならこちらだと先導するように歩き出したため、慌てて細い背中を追いかける。  何処にでもいる口さがない人達に話題を提供してしまったことは残念だったが今はそれどころでは無いと内心溜息を吐き、慶一朗が押さえているエレベーターに乗り込むため小走りに駆け寄り、二人だけが乗っている箱が上昇していくのを点灯しているランプから察すると、目的地に到着したことを教える音とドアが開く音が箱の中に響く。  慶一朗が女性と接することを余りしない上に元部下の女性に拉致監禁されたという事件以降、女性とは一定の距離を取らなければ精神的に不安になっていたのはあの事件の直後で、リアムの支えと慶一朗自身の努力から以前のような生活に戻った頃、ホワイトをハグしても落ち着いていられるようになっていた。  なのに今手を伸ばせば届く距離にいる細い背中はどれだけ手を伸ばそうとも届かない絶望的な遠さにあるように思え、クリニックで今日は一人で患者を受け入れているリアムも似たような気配を滲ませている事に気付き、ついついもうと小さく呟いてしまう。  慶一朗が背後のホワイトを気遣っているのかどうかも分からないまま向かったのは屋上で、ドアを開けて外に出ると高く昇っていた太陽がそろそろ地上へと帰りそうな空色になっていて、まもなく残照が見れるかも知れないわねとホワイトが呟くと、柵に背中を預けた慶一朗が眼鏡の下の目を伏せてそうかもしれないと、今最も興味の無い話題だと言いたげな声を返す。  全ての事象に興味が無い、そんな精神状態は日常生活を送る上では危険な兆候だと理解出来るホワイトが、どのように切り出そうか、思いを伝えようかと思案するように両肘をぎゅっと握りしめた時、あいつに何か言われたのかという声が風に乗って届く。 「え……?」 「いや、ソフィーがここに来るのが珍しいからな……何か言われたのかと思っただけだ」  もし何か伝言があるのならどんな言葉でも聞くから教えてくれと顔を上げた慶一朗だったが、その目をホワイトは直視することが出来ず、思わず口元を手で覆ってしまう。  数日前に手土産を片手にクリニックにやってきたかと思うとリアムと一緒にランチに行ってきても良いかと笑っていた顔が自然と思い出されるが、今ホワイトが向かい合っている男と同じ男とは思えない昏く沈んだ目で見つめられ、その落差に自然と身体が震えそうになるのを渾身の力で堪えると、何も言われていないと首を左右に振る。 「……そうか」  もう俺には何を言っても無駄だと思われているんだろうな、そんな自嘲の言葉が届いた瞬間、彼女は勢いよく顔を上げて何を言っているのと声を荒げてしまう。 「リアムが……彼がそんな言葉をあなたに言うと本気で思ってるの!?」  今までの付き合いで彼の何を見て感じてきたんだと、己でも理解出来ない怒りに似た感情から声を荒げた彼女に慶一朗が限界まで目を見張り、次いで悔しそうに唇を噛みしめるがそれが開いても言葉が出てくることは無かった。 「今までどんな問題が起きても……あの事件の後もあなたの事を手放したりせずにずっと支えてきてたじゃない。それを知っているのにそんな事を言うの!?」  あなた今まで彼の何を見てきたのよと詰られ、瞬間的に覚えたらしい怒りに慶一朗が腿の横で拳を握るが、続けられるホワイトの言葉にその手から力が抜けてしまうほどの衝撃を受けてしまう。 「あなたの過去に何があったかなんて知らないわよ」 「……っ!」 「でも……リアムは違う。私のような考えになる事も無くあなたを支えようとしているし、今までも支えてきた」  そんな彼に話しもせずに家を飛び出して一人にした挙げ句にそんなことを言うなんてあなた何様と笑われてしまい、呆然と己を見つめる慶一朗にホワイトが溜息をひとつ落とす。 「ねえ、そんな事を考えるなんてあなたは自分に原因があると思ってるの?」 「……」 「だったら……逃げることをせずに謝ればどうなの? それも出来ないならいっそのこと……っ」 「……っ!」  ホワイトの言葉が風に乗って慶一朗に届くと同時に口が開き、誰が別れたいと思っていると言いたげな顔になるが、開いた口から出てきたのは音にならない呼気だけで、それを見たホワイトが心底呆れたと言いたげに溜息を吐く。 「自分が悪いのに言い訳することも謝る事もせずに逃げ出した挙げ句、まるでリアムからの別れの言葉を待っているようなって……子どもじゃ無い、いい歳をした大人がそんな態度ってどうなのかしら」  今まで良くそれでやってこられたわねと、慶一朗の人生の中ここまで痛烈に非難してきた人物などいない為にどのように返せば良いのかも咄嗟に思い浮かばずに眼鏡の下からホワイトを睨むと、私を睨んでも構わないけれど何の問題の解決にもならないと肩を竦められてしまう。 「俺、は……」 「何かしら。……きっとあなたは過去にしてきたことを話すのが怖いのでしょうね」  怖いとの言葉が慶一朗の心の何かに触れたのかホワイトを睨む目に力が籠もるが、その目を真正面から受け止めた彼女が微かに震える手を握りしめ、続ける言葉を慶一朗が待ち構える。 「……怖いのはあなただけじゃ無いわ」  リアムもきっとあなたの過去を知るのが怖いはずだと続けられ一拍の間を置いて慶一朗が顔を上げ、あいつが怖いと思うのかと呟くと、あなたはリアムを何だと思っているのと、さっきの嘲笑や呆れではない哀れみの目で見つめられてしまい、その視線に耐えられないのか慶一朗が顔を伏せてしまう。 「リアムも怖いはずよ。でも……あなたとならそれも乗り越えられると思っていたし今までそうしてきた」  あなたと一緒だからリアムも恐怖に打ち勝ってきたのだとホワイトが呟くと、慶一朗の首が力なく左右に振られてしまう。 「リアムには何をしても何を言っても平気とでも思ってるのかしら」  彼もあなたと同じ悩みを抱え、それでも懸命に日々好きな人と一緒に生きていくことに幸せを感じているのに、そんな簡単なことも分からないのかと憐れむような声で問われて再度勢いよく顔を上げると、そこには己が想像しているような表情ではない、自分達二人のことを心の底から案じて涙を滲ませているホワイトがいて、慶一朗の全身から力が抜けそうになる。  数少ない親友やリアムの前以外で膝を着くなど出来る筈も無く最後の意地で辛うじて立っていたが、ホワイトが俯いた後に顔を上げ、でもそれでも私はクリニックであなたとリアムが一緒に笑っていたり週末の過ごし方を週明けに教えられることが好きだと泣き笑いの顔で告げ、だから本当は今すぐにでも仲直りして欲しいがそれにはあなたが自分から動かなければならないのよと諭すように告げて滲んだ涙を指の腹でそっと拭くと、時間を取らせて悪かったわねとだけ残して慶一朗に背中を向ける。  ホワイトの足音が小さくなっていくのを呆然と聞いていた慶一朗だったが、膝に限界が来たのかずるずると柵にもたれ掛かりながら座り込むと立てた膝の間に頭を突っ込んでしまう。  彼女に言われた言葉のひとつひとつが胸に突き刺さり反論しようとする口を封じてしまい、結果ロクに何も言い返せなかった。  彼女に言われたように別れたい訳では無かった。それどころか家を出て以降、何を食べても飲んでも何の味もしない味覚異常が引き起こされるだけでは無く、ひとりきりで誰もいない砂漠に放り出されて彷徨っているような夢を何度も見ては嫌な汗を掻いて飛び起きる始末だった。  そんな情けなさを見せるのが嫌で意地を張っているだけなのに、彼女の言葉がその意地の膜を貫通して慶一朗の心に突き刺さり、その痛みに髪を握りしめてしまう。  旧友のケネスに会いに行く、彼とは昔恋人関係でそれを解消した後はセフレだった。  そんな事実をリアムに自ら話す勇気を慶一朗は持ち合わせておらず、それでも勇気を振り絞ってあの日ちゃんと伝えていれば今こんなことにはならなかったのだろうか。  己の勇気の無さに自然と笑いが込み上げてきて、膝の間に突っ込んだ頭が揺れるほど笑い声を上げてしまう。  リアムに呆れられるような付き合いをしてきたのは自分自身だった。  だが、呆れられてしまえばきっと自分は立ち直れない、そんな思いから正面から向き合うことをせずに逃げ出し、挙げ句の果てには彼女に指摘されたように別れの言葉すらリアムに言わせようとしていたのだ。  ただただ過去を知られて呆れられるのが怖いという一心で逃げ、どれ程リアムを傷付けているのかを知ろうともしなかった己は、彼女に非難されて当然だった。  その思いから笑いを抑えられずにいつまでも声を上げ続けた慶一朗は、ドアの傍で蒼白な顔を俯かせるホワイトと彼女の気持ちを正確に酌み取っているホーキンスとテイラーが見守っていることに当然ながら気付くことは無く、彼女が呟いた残照が屋上を染めるまでただただ笑い続けているのだった。    
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  怖いのはあなただけじゃないわ。
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