スコットランドからの使者は視察という任務を終えて無事に帰国の途に就いたが、彼らが図らずも残していった物が小さな充足感と大きな安堵とそれを遙かに上回る不和の種だった事を今回の視察に関係する人達が知ったのは、彼らの帰国後に戻ってきた日常へと今日も進もうとした時だった。
一日の始まりのカンファレンスルームに向かう道中、慶一朗が隣を歩く同僚のヒルの話をポケットに手を突っ込みながら頷いたり小首を傾げたりしていたが、眼鏡の奥の双眸には感情らしき物が浮かんでおらず、慶一朗に対して好悪の感情を持つ人達が良く言っていた飄々とした雰囲気が感じ取れない、まるで無機質な存在になっているかのようで、部屋に入ってきたときに皆驚きの声を小さく上げるほどだった。
ドクター・ユズー今はユズリハ=フーバーと変わっていたーのその様子に、まるでこの病院で働き始めた頃のようだと、古参のスタッフは皆思っただろうし、彼と一緒に仕事をしてまだ日数が浅い者はただただ驚いてしまっていた。
左右の大小の驚きを無表情の顔で受け流し、いつものようにヒルと並んで背後の席に腰を下ろした慶一朗は、同じように驚きの顔と言うよりは心配の余り曇らせてしまっている視線で己を見つめてくるテイラーに気付き、今は何も話をしたい気持ちになれないと現すようにひとつ肩を竦め、カンファレンスが終わるまでテイラーとは視線を合わせないのだった。
その日は慶一朗が担当するオペが複数あり大忙しの一日だったが、それら全てが終わって入院患者への対応、術後の経過についての説明をスタッフらにした後、いつもならばテイラーのオフィスに顔を出して働かせすぎだと不満を盛大に訴えるのにそれもせず、着替えを済ませてお疲れ様とその時すれ違ったスタッフらに一声掛けて愛車に乗り込んで帰路に就くのだった。
その様子が慶一朗を知る者達からすれば異常だとしか思えず、何があったと彼らの間で話題になったのは三日後のランチタイムだった。
仕事はそつなくこなしているし患者に対する態度も教科書に掲載されるような模範的なものだったが、慶一朗の場合はそれが異常だとカフェでヒルとパリスが頭を突きつけ、そんな二人の横でアントショヴァーとロブソンも困惑したような顔でそれぞれ顔を見合わせていた。
「……彼と何かあったのかな?」
その呟きは所謂お誕生日席で四人の顔を左右に顔を振りながら見ていたファルケがぽつりと零したもので、慶一朗のアシスタントドクターをしている為に最も身近でその様子を見ている者の口から零れた疑問に四人が顔を見合わせてファルケを見つめる。
「あいつがプライベートを仕事に持ち込むか?」
「僕もそう思います。でも……」
あの人、意外と喜怒哀楽がはっきりしているので分かりやすいのに今回は感情にシャッターを下ろしてしまっているような気がする、そんな事など珍しい、それこそ夫のリアムと口論になったと教えられたときよりも感情の起伏が無いことが怖いと素直に告白し、慶一朗の感情の起伏が激しいのは理解出来るとパリスが太い腕を組んで大きく頷く。
「確かに、腹が立つことがあれば態度に出しているよな」
少し前までならばこんなこと思いもしなかったと苦笑しつつヒルが一同の思いを代弁するように告げ、その慶一朗が沈黙していることが恐ろしいと溜息交じりに呟き、いつもと感情表現が全く違うことが怖いとファルケと同じ意見だと続けるが、仕事でミスはしないだろうが何かあれば大変だから部長にそれとなく確かめてみると四人に同意を求めて一斉にお願いしますと言葉を添えられ、医療事故になど繋がらないようにとの危惧から今日にでもテイラーに話をしようと改めて決め、さあ、午後からの仕事も頑張ろうと皆を安心させるように告げて立ち上がると、本当にあの人がいた頃なら考えられない事態だなと、少し前まで身を寄せていれば安心だと思っていた人がいなくなった結果、気付けば己がその役割になりつつあると気付き、そんな役割が似合う訳がないのにと自嘲してしまうのだった。
だから、カフェの奥まった席でこの世の終わりを覗いてきたような顔で水だけを飲む慶一朗がいた事にも気付かずにカフェを出て行くと、アントショヴァーと一緒にオペの予定を話し合うのだった。
慶一朗の態度が周囲に不安と心配を与えていた頃、少し離れた場所にあるリアムが働くクリニックでも同様の言葉が交わされていた。
皆の親睦を深めるためと話題の共有化とそして息抜きを兼ねたティーブレイクにリアムが参加しなくなったのが発端だったが、女性が多い職場のためかそれとも日頃のリアムとの関わり方からか、その翌日から皆が大丈夫なのかという疑問をホーキンスやホワイトにぶつけるようになっていた。
彼女たちもただ手を拱いている訳ではなく、何かがあればきっとリアムから話してくれるだろうし今まで数々の問題が発生したときにはそうしてくれていたと信じる気持ちから静観していたが、さすがに週の半ばになった時には限界が訪れたらしく、一人でランチを食べている川縁のベンチに向かう背中ー今は何故か小さく見えたーをホワイトが追いかけ、ベンチに腰を下ろしたものの何も食べる気配の無い様子に気付いて声を掛けつつテーブルを回り込んで向かい合わせに腰を下ろす。
「……心配かけさせてるよな」
「そうね、心配しているわ」
ただそれでもあなたならきっと問題解決の糸口を見つけられることをディアナと私は信じていると顎の下で手を組むホワイトの言葉にリアムの顔が自嘲に歪み、このような表情など未だかつて見たことがないとホワイトが内心息を呑む。
こんな顔をしてしまわなければならない程の出来事が起きたのだろうか、それはやはり口に出せないことなのかと自問自答したホワイトにリアムが微苦笑へと切り替え、本当に心配を掛けてしまっていると反省の言葉を口にする。
「だったら話してみない?」
私達を心配させていると分かっているのなら話してみないかしらと少しだけ緊張を覚えつつ促すホワイトの言葉にリアムが驚きから目を見張るが、ヘイゼルの双眸が躊躇うように左右に揺れたことに気付き、手を組み替えてふぅと息を吐く。
その息は彼女の決意の表れだったがそれに気付かなかったリアムが小首を傾げると、慶一朗と何かあったのだろうと問われて小さく頷いてしまう。
「あなたがそんな顔になると言うことは彼の事だと思っていたけど、やっぱりそうね」
「……なあ、ソフィー、教えてくれ」
「何かしら?」
「俺らしい顔ってどんな顔だ?」
慶一朗と口論になった後に再会したフレデリックにらしくないと言われたことがリアムの中で意外な程大きく育っていたらしく、その疑問をぶつけるようにホワイトを真っ直ぐに見つめると少女のように口元に指を宛てながら彼女が何度か首を左右に傾げ、お人好しで誰にでも優しくていつも機嫌良く過ごしている様な顔と答えられて一度瞬きをする。
「私が見て思ったのはそんなところかしら」
でもあなたが彼にだけ見せていた顔も当然あるだろうと問われ、あなたらしくないと誰かに言われたのかと問い返されて驚きに目を見張ってしまう。
「そんなに驚くことじゃないわ」
さっきの言葉からそう感じただけと肩を竦める彼女にリアムも納得したように頷き、皆にお前らしくないだのどうしてお前はそんなに優しいだのと言われ続けた為に少し考え込んでしまったと本音を吐露してしまう。
「そうだったの」
「……こんな自分になりたかったとか考えた訳じゃない」
それなのに成長するにつれ誰かが苦しんだり辛い思いをするのなら自らが動いた方が早いと思い、その思いに従って動いていただけだと苦く笑う顔をじっとホワイトが見つめるが、確かにあなたは人に甘えたり頼ったりすることは苦手でしょうねとぽつりと呟き、リアムと視線が重なったタイミングで小さく笑みを浮かべる。
「ディアナも私も似たようなものだから分かるわ」
人に頼るよりも甘えるよりも自らが動いた方が早い、その方が誰にも気兼ねすることが無いだろうと続けられてその通りだなと微苦笑するリアムに、そうなのよねと同意の頷きを何度もホワイトが見せる。
「……でもだからって人を信用していない訳じゃ無い」
人を頼れない、甘えられないからと言って信用していない訳ではない事も分かっていると教えられてリアムが限界まで目を見開いてしまう。
「……私もあなたの全てを知っている訳じゃ無い。でもそんな私でもあなたは甘えたり頼ったりするのが苦手だと感じているし分かっているわ」
ただ彼にはそれが通じていないのかも知れないと深い溜息を吐く彼女の言葉に何も返せなかったリアムは、そうなのだろうかと長い時間の沈黙の後に漸くその言葉を返すと、もしかするとあなたは何でも出来て当たり前と思っているのかも知れないわねとホワイトが呟くが、その声がリアムの耳に届くことは無かった。
「私もディアナもあなたの事を心配している……あなたと彼が一緒にいるところを見るのは好きなの。だからもしケンカをしているのなら早く仲直りをして欲しいと思うわ」
そして、もしも気が向けばティーブレイクを一緒に楽しみましょうと誘いの言葉を残して立ち上がる彼女を呆然と見上げたリアムだったが、慰めるために来てくれたのだと気付き、照れたような笑みを浮かべながらサンクスと礼を言い、あなたに貸しを作るのは悪いことじゃないと片目を閉じて茶目っ気たっぷりに唇を尖らせられて肩を竦め、ほんの少しだけ気持ちが軽くなったように空を見上げるのだった。
ホワイトの慰めを受けたリアムが昼の休憩から診察室に戻ろうとするが、その直前にロビーで他のスタッフ達と話し込んでいるホーキンスに気付き、話し中悪いと断りを入れて皆の視線を一身に集めてしまう。
「どうしました?」
「……少し、話したいことがある」
ホーキンスがリアムの言葉に少しだけ考え込むように床に視線を落とすが、二階の私の部屋で話しましょうと天井へと視線を移し、リアムもそっと頷いて安心と不安を綯い交ぜにした顔で見つめてくるスタッフらに今日初めて笑顔を見せる。
「少しディアナを借りる」
「明日のティーブレイクに顔を出すのなら許してあげるわ」
このクリニックではティーブレイクは意外な程重要なのだと教えるように腰に手を宛てたスーザンがにやりと笑い、そんな彼女の肩に腕を乗せてその通りだと頷くニナにリアムが肩を竦めて努力しようと頷き、二人にもサンクスと礼を言って階段を上って行くホーキンスを追いかけるように大股に一歩を踏み出す。
その足が意外な軽さを周囲に印象づけるものだった為、カウンターの内側からそれを見ていたホワイトが安堵の息を吐いてリアムは大丈夫と零し、横にいたヘンリーにどうしたんだと小首を傾げさせてしまうのだった。
ホーキンスの後に着いて院長室に入ったリアムは、いつかのようにソファを示されて座る前に一言、悪かったと言葉に出して謝罪をするだけではなく軽く頭も下げる。
その行動にホーキンスは何も言わなかったが、ふうと息を吐いた後に心配したわよと滅多に聞かないが最近では聞くことが増えた院長という肩書きが取れた、ディアナ・ホーキンスという一個人になったような気さくな言葉を告げられ、悪いと再度返してソファに向かい合わせに腰を下ろすと、何があったのと、息子や孫の不調を案じる家族の顔で問われ、己の家族がドイツの祖母と両親だけでは無くここにもいてくれると思っても良いのかとぽつりと零してしまい、驚いたように見つめられて何でも無いと苦く笑うと、今更何を言っている、あなたはもう私の子どもみたいなものよと笑われ、その一言が齎す安堵感に自然と身体から力が抜けて背もたれに深く寄り掛かってしまう。
「ケイさんともそう思っていたけど……」
口論になったときに俺に相応しくないと言われた事で何かがぷつりと切れてしまったと顔を押さえて天井を見上げたリアムの独白にホーキンスはただ黙って頷き、それが重かったリアムの心と口を軽くしたようで、途切れながらも己の思いを言葉に出していく。
あの時哄笑の中で聞いた、こんな自分はお前に相応しくないとの悲しい言葉。
いつもならばそんな事は無いと返せていたしまた腹が立つことでそれを表現できていたが、あの時は色々と重なりすぎて張り詰めていた何かがぷつりと切れてしまった為、あなたがそう思うのならそうなんだろうなと、悲しさから返してしまったことを告げたリアムの手に力が籠もり、指の隙間から見える双眸が少し潤んだようにホーキンスには見えたが、話を途切れさせるのでは無く全てを吐き出させた方が良いと判断したのか、そうだったのという短い言葉だけで先を促す。
「俺はそんな事を一度も思ったことは無いのに、俺がいつも思っていた事は伝わってなかったのかって……」
そう考えたら本当に本当に悲しかったと口の端が少し持ち上がるが、そんな悲しい顔で笑わなくても良いとホーキンスが告げてソファからリアムの横へと移動すると、ハニーブロンドの髪を胸に抱え込むように腕を回して抱きしめる。
幼い頃に本当はずっとこうして欲しかったのだと思い出すが、ここで感情を爆発させられるほどリアムも子どもでは無い為に慶一朗が家を出て行くのを見送った時と同じように拳を握りしめ、ソファに押しつけて突沸を堪えようとする。
「一番伝わって欲しい人に伝わらないのは悲しいわね」
「……っ!」
ホーキンスの優しい言葉にリアムが一瞬だけ肩を上下させるが、少し心が折れてしまったと笑うとそれも仕方がないことだと受け止められ、いつも支えると誓ったのにと結婚式での誓いやそれ以前の二人の間に溝が出来そうな時には必ず伝えていた思いが空回りしていたのだろうかとの思いはただただ悲しかった為、少し湿り気を帯びている息を吐いてホーキンスの腕を安心させるように二度叩く。
「……それもそうだけど、これを見て欲しい」
ホーキンスの慰めはさっきホワイトから受けたものとはまた違うがリアムの背筋をピンと伸ばす力があり、彼女が教壇に立っていた時にはきっと生徒達は今のような気持ちになっていたのでは無いかと思いつつリアムがジーンズの尻ポケットからくしゃくしゃになってしまった手紙を取り出し、ソファに腰を下ろした彼女の前にそっと差し出す。
「……ケイさんがそれを残して家を出て行った」
「そうだったの……?」
また口論から別の部屋で寝てしまい今朝も気まずさから会話できなかったと思っていたが、家を出て行ったと教えられたホーキンスの顔に驚きと悲しみが浮かび、リアムの様子がおかしくなってしまったことに理解を示すように頷くと差し出された手紙を受け取って読み進めようとするが、感情に乱れる文字は読みにくく、それ以上に羅列されている文字に違和感があった為にリアムの顔を見ると何かに気付いた様な顔になり、悪いと詫びつつ手紙を受け取る。
「……ドイツ語だった」
「ケイからの手紙?」
「ああ……ケイさんが出て行く前に残していったものだ」
意識しなければあの人が話す言葉や書く言葉はドイツ語だと説明をし手紙に書かれている言葉を要約すると、聞き終わったホーキンスが口元を片手で覆ってしまう。
彼女が覚えた感情は己も覚えたものだと思い出したリアムがひとつ肩を竦め、手紙を二人の間のテーブルにそっと置く。
「今回の一連の出来事は……ケネス・ジョンストン侯爵がケイさんが結婚したことに対する腹癒せと俺への嫉妬だった」
その嫉妬からマッカラム伯爵へ接近して支援を横合いから奪い取り、今回の視察で自分が支援をするほどの病院ではない事が分かったから支援を打ち切ると決めたそうだと、打ち付けた掌の間にどれ程の悔しさ、無念を込めているのかを察するのが難しい程淡々とした声で慶一朗が教えてくれた事実を伝えたリアムにホーキンスが背もたれにもたれ掛かり、何と言うことと繰り返し繰り返し呟き、その声が途切れたかと思うとリアムと同じように感情の突沸を堪えるように握りしめた拳に手を重ねて額をぶつける。
「本当に、何てこと……!」
そんなつまらない嫉妬で私の大切な従弟夫婦を困らせ、忙しい人達の時間を割かせた挙げ句、愛し合う二人の間に亀裂を生むような事態を引き起こしたのかと、聞く者が思わず背筋を震わせてしまうような低い声でケネスの行為を非難したホーキンスにリアムも目を伏せて同意をすると、あの視線の意味がようやく分かったと苦笑し、金曜日の慶一朗の行動についての謝罪の気持ちを彼女に伝えると、ケネスと慶一朗の関係をホーキンスが問いかけてくる。
「元カレで……俺と付き合うまではセフレだった」
ただあの人の名誉のためにこれだけは誓って否定できるがと脳裏に慶一朗の顔を思い浮かべながらリアムが告げたのは、自分達の付き合いが始まってからは彼の話題は時々口に出る程度で、己の知らない場所で慶一朗が彼と会って関係を持っていたという事実は無いと断言するが、本当なのかと疑うような言葉が聞こえたために伏せていた顔を真っ直ぐに上げてホーキンスの目を見つめてしっかりと頷く。
「あの人は嘘を吐くのが下手だし吐けない人だ。嘘を吐くぐらいなら誤魔化す」
それが職場の人間関係において飄々とした態度という形に表れていたが、仕事を離れた親しい友人達に対しては沈黙を選ぶか誤魔化す人だと、慶一朗と付き合いだしてから少しずつ知っていった人となりを思い出しながら、どうかホーキンスという己の身近にいる理解者にも慶一朗を理解して欲しい一心で伝えると、その気持ちの一端を酌み取ったらしい彼女が肺を空にするような息を吐いて天井を見上げる。
「ケイさんは……誤魔化すのも苦手な人だ。どうしても話せない事なら沈黙することを選ぶ」
だから俺は今でもあの人の過去について詳しい話は知らされていないと、悲しさや不満を上回る信頼を双眸に浮かべたリアムがひとつ肩を竦めると、ホーキンスもその言葉を信じようと頷いて姿勢を正す。
「それにしても……ジョンストン侯爵は本当にどうしようもない人ね」
「そうだな」
俺の周囲には貴族と呼ばれる人達はいないために付き合いが無い、侯爵ともなるとあのような態度が当たり前なのだろうかと、さすがに不快感を隠しきれない声で呟くと、ホーキンスが自身が知る侯爵はもっと大人な人だったと返し、大人とオウム返しに呟いてしまう。
「ええ。……元カレの今の幸せを壊すような子供じみた嫉妬はしないわね」
彼女の従弟であるマッカラムが伯爵という肩書きを持っている事から、もしかするとスコットランドにあったというホーキンスの家も由緒がある家では無いのかとようやく思い至ったリアムがディアナにも肩書きがあるんじゃ無いかと窺うように問いかけると、生まれた頃にはあったがこの国に来た時には肩書きなど必要が無かった、だからクレイグに譲ったとまるで道を譲ったときの気軽さで答えられて目と口を丸くしてしまう。
「そうだったのか」
「ええ。そのこともあって彼は私の仕事を支えてくれているのよ」
数日前に帰国してしまったマッカラムとここで初めて言葉を交わしたときの様子から随分とホーキンスを慕っているのだと思っていたが、その事情の一端を垣間見たリアムは、そうだったのかと今日初めて穏やかな笑みを浮かべ、その笑みを見たホーキンスが照れ隠しの咳払いをする。
「彼にとってきっとディアナが本当に頼りになる人なんだろうな」
俺にはそんな人はいなかったから羨ましいと本音を零すと、あなたの親友のご両親はどうなんだと問われ、学生時代に何くれとなく世話をしてくれたラルフの両親の顔を思い浮かべる。
「……彼らは本当に頼りになったな」
「そう……あなたさえ良ければだけど、私やソフィーを頼ってくれて良いのよ」
今度はリアムが照れた笑みを浮かべ、それを微笑ましそうに見守っていたホーキンスが少し緊張しながらそっと提案をすると、その提案にリアムの目が見開かれる。
「ソフィーと話していたのよ……あなたは頼ることも甘えることも出来ないからって」
あなたは周囲の大人にもっと甘えても頼っても良いのと、ホワイトにも言われたことをホーキンスにも言われて絶句してしまうが、上下左右へと一頻り顔を向けた後、再度真っ直ぐに上司であり家族同然だと言ってくれた良き理解者であるホーキンスを見つめて軽く頭を下げる。
「ありがとう、ディアナ」
あなたがそう言ってくれることは本当に心強いし嬉しいが、すぐにそれを出来るかと言われれば自信が無い、だから見守っていてくれないかと上目遣いで提案をすると、ホーキンスが小さく吹き出した後、何よりも頼りになる存在だと教えてくれる笑顔で頷いてくれ、その頷きだけで言葉以上のものを得られた気がしてありがとうともう一度礼を言う。
「子ども扱いするなって怒ることも出来るのに、それをしないどころか見守っていてくれと言ってくれたことが嬉しいわ」
「……心配を、掛けた」
「そうね……今回の裏の事情が分かったことだけは良かったけど、早くケイと仲直りしなさい」
彼があなたを信じていない、あなたの言葉が届いていないと疑心暗鬼になって挫けてしまいそうになるのも分かるが、彼同様あなたも余裕がないのだから少し時間が経てばきっと大丈夫と、ホーキンスの励ましを受けてぼんやりしつつ頷くと、今回の件が落ち着けば彼に対して何かしら仕返しをしたいわねとの声が聞こえてきてぎょっと目を見張ってしまう。
「ディアナ?」
「……私のクリニックや家族を傷付けた報いを受けてもらうわ」
侯爵という肩書きが通用しない場所で自分の愚行について考えさせてあげると笑うホーキンスの顔はリアムが初めて見るようなもので、ここにテイラーやゴードンがいれば慌てて制止するだろうと思うようなものだった。
それに呆気に取られつつも頼もしさも感じ、あなたと一緒に働けて本当に幸運だと安堵のため息を零した後に素直に告げると、ケネスにどのような罰を与えるのかを脳内で考えているような顔のホーキンスが一瞬真顔になった後、目尻を赤らめて何を言うのかしらと視線を彷徨わせ、頼りになるが女性らしいかわいらしさも持ち合わせていることに意外な程驚いてしまい、教師の顔になったホーキンスの一瞥を受けてそそくさと院長室を後にするのだった。
それぞれの職場の同僚達に違和感を与えながらも仕事を疎かにする事無く精一杯向き合い、仕事が終われば今まで一人でどのように過ごしていたのかすら忘れていることに呆然としながらも、辛うじて流れていく時間に別々の場所で、いつかこの流れが合流することを祈りながら二人身を委ねることしか出来ないのだった。
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