It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第14話 Mein lieber Freund.【僕の親愛なる友人】
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 いつも以上に緊張を覚えた視察が終わり、バスに乗って一段がシドニー市内に戻っていくのを見送ったホーキンスの口から溜息が零れ落ち、一団とは別行動を取ることにしたマッカラム夫妻がそんな彼女の疲労を感じ取って労うようにそっと背中に手を当て、その気遣いを感じ取ったホーキンスの顔に微苦笑が浮かぶ。 「お疲れ様ね、ディアナ」 「ええ……少し疲れたわ」  視察を受け入れることに抵抗はないが、スタッフた達も忙しくなるのは考え物だと肩を竦めた後、今日はもう診察が終わっているので少し休憩にしようと夫妻に笑いかけて二階の院長室にい行こうと伝えたホーキンスだったが、診察を終えたらしい身体を解すように肩をぐるぐると回しながら出てくるリアムに気付いてお疲れさまと先ほどは己が掛けられた言葉を投げかけ、どこか上の空で返事をされて思わず三人が顔を見合わせる。 「どうかしたのですか、リアム」 「いや……クレイグ、イザベラも視察お疲れ様」  己の感情をひとまず横に置いたのか、笑顔で二人を労い、勿論ディアナもと片目を閉じるリアムの様子に三人が安堵の顔で頷くと、院長室でお茶にしようと声を掛けて院長室に向かう。 「それにしても、今日はディアナの仕事ぶりに感心する時間だったわね」  久しぶりに会った夫のいとこの仕事ぶりを感心しきりに見ていたイザベラだったが、ソファに腰を下ろすと同時に彼女を褒めるように声を掛け、ありがとうと疲れが一瞬でも忘れられると言いたげな顔でホーキンスが頷くが、視察中はいつ何時彼が支援について口に出すかが不安だったとマッカラムが額の汗を手の甲で拭く。 「……視察中は終始にこやかにしていたように思うけど、本当にどんなつもりなのかしら」  夫の様子に妻も溜息を吐いて頬に手を宛がうが、そんな二人の様子にホーキンスも確かにと軽く目を伏せ、その場面を見ていないリアムだけが何とも言えない顔をしていたが、マッカラムが言った彼が誰の事かに気付き、ここに来る前に見せた表情で顎に手を当ててしまう。 「リアム、どうかしましたか?」  さっきも聞いた事だが何か考え事があるのかとホーキンスに問われて我に返り、彼というのはジョンストン侯爵かとそっと問いかけると三人の顔が一斉に上下する。 「あの見た目には威圧されてしまうな」  フィクションの登場人物のように世間の人が何となく想像する貴族像に当て嵌まる容姿だったが、それに対して憧れや羨望よりも威圧感を与えてくるもので、何だか近寄りがたさを覚えたと苦笑するリアムに共感するように同じ貴族と呼ばれているであろうマッカラムが何度も頭を上下させる。 「彼は本当に威圧感がすごい」 「顔が整っているから余計にそう感じるわね」  マッカラム夫妻の溜息交じりの言葉に頷きつつも己と対話しているようなリアムの様子に気付き、ホーキンスが皆の分の紅茶の用意をしながら三度問いかける。 「どうかしたの?」  その声は遠い故郷にいる祖母からのもののように感じ、ハッとしたように顔を上げてティーポットを片手に己を見つめてくる彼女に気付いて少しだけバツの悪そうな顔になるものの、黙っていても仕方がないと腹を括ったように溜息を吐く。 「……支援を譲ってくれって言っていたんだよな、彼」 「ええ」 「人を見た目で判断するのは間違っているとは思うけど、あの手のタイプは人に何かを譲ってくれとは言わないだろう」  その言葉を口にした時、本心を譲るという言葉をオブラードにして包み隠しているのではないかと苦く笑い、どちらかと言えば俺が苦手なタイプだと肩を竦めると、三人が自分達と一緒にいた訳ではないリアムが、一見すれば穏やかだがその実冷酷で傲慢な性格をしているかもしれないと想像した事に驚き顔を見合わせる。  先程から驚きを与えている事にリアム自身自覚はなかった為に三人の表情を良く見ていなかったが、今はそれ以上に己の脳味噌に爪を立てて――どちらかと言えば突き刺して――いる蒼い双眸から放たれた強い視線が気になっていた。  午後の診察でジュリアンの定期検診をしたのだが、彼が随分と癇癪を起こし、診察の後にフロアのマットで大の字になって泣き叫んでいるのを諭したのだが、その時、背中に強い視線を感じていたのだ。  人を殺せる程の視線の強さではないかと内心苦笑しつつ子どもを諭し、彼の母親から何度も何度も礼を言われたり、その様子を見ていたスタッフから本当に子どもの扱いはあなたに任せるのが一番ねと褒められて気恥ずかしかったが、その間も背中には視線が突き刺さっていて、日頃どちらかと言えば機嫌の良いリアムだったが、その強いというには力がこもりすぎている視線が突き刺さった胸がざわついてしまい、その後の診察も気分を切り替えたもののいつもと同じように患者に接することが難しくなりそうな程だった。 「私達は今週末に帰国するけれど、彼は別行動をするみたい」  癖になっているのか顎髭を指で撫でるリアムの様子に心配そうに目を細めたイザベラが明日以降の予定を思い出してホーキンスとリアムに伝え、二人が別行動と同時に呟いたことに頷く。 「他の参加者のように医療施設に対しての思い入れが少ない気がしたわね」  視察中一言二言言葉を交わしたり視察先のスタッフに質問をしたりしていたが、その際彼からは視察への熱量というものを感じられなかったと続け、妻の言葉に夫が少し考え込んだ後確かにそうかもしれないと腕を組む。 「熱量の少ない先の支援を譲って欲しい、か」  言動の不一致を感じるのは俺だけかなとリアムがホーキンスを見つめ、己の倍以上の時間を生きている人生の先輩の意見を仰ぐと、ホーキンスが僅かに目を伏せた後確かにそうだと同意し、三人がそれぞれ同時に溜息を吐く。 「彼は本当に何をしたいんだろうな」  クレイグが厳つい顔に険しい表情を浮かべ、イザベラもそうだと憤慨するようにホーキンスを見つめると、二人の怒りは嬉しいが彼の目的について少し調べてほしいと返されて夫妻が顔を見合わせる。 「勿論。帰国したら彼がこれまでに支援してきている団体を調べるわ」 「お願いね、イザベラ、クレイグ」  こちらも調べられる限りは調べるが、果たして彼は本当にうちに支援をするつもりなのかと、先程のリアムの言葉から得られた気付きを口に出したホーキンスの言葉に三人が頷き、確かにその心配はある、ただもしも彼が支援をしないというのであれば誰彼憚ることなく俺がここの支援をしても良いはずだと声を大きくするマッカラムにイザベラが窘めるように苦笑し、ホーキンスも落ち着いてと笑いつつ紅茶で口を潤す。 「本当に、何をしたいんでしょうね」  視察に来るからには帰国後己の事業か数多の支援先に何かしら有益な情報を求めてのことだと思うが、彼からは他の視察団の面々のように熱意も情熱も感じられず、何のために来たのかという彼に聞かなければ本当のことは分からない疑問が四人の間でループしてしまうが、それを断ち切ったのはノックの後にホワイトだと名乗った声だった。 「ソフィー? どうしたの?」  ドアを開けたホワイトに今日の働きを労う言葉を掛ける前にどうしたと問いかけたホーキンスは、彼女がトレイを持っていて、そこにカップケーキが載っていることに気付いてホワイトからリアムへと視線を向ける。 「それ、ケイさんが買ってきてくれたケーキか?」 「ええ。美味しかったわ。皆食べたから後はあなた達で食べて」  マッカラム夫妻も良かったら食べて下さいと笑みを浮かべてテーブルにトレイを置いた彼女だったが、ホーキンスが何かを問いかけそうな顔で己を見た事に気付き、マッカラム夫妻を一度見つめて小さく首を左右に振る。 「下で仕事をしているわ。今日は残業ね」 「お疲れ様、ソフィー」  言葉と溜息で疲労感を表した彼女に四人が同時にお疲れ様と労いの言葉を掛け、落ち着けば飲みに行こうとホーキンスに誘われると同時に顔中に笑みを浮かべる。 「楽しみにしているわ」  その言葉を残して部屋を出て行くホワイトの背中を見送ったリアムは、突然やって来た慶一朗とランチを食べにいけた午後が随分と遠い昔のように感じつつカップケーキをひとつ手に取り早速頬張る。  チョコレート生地の上に載っているのはどうやら少し溶けたマシュマロのようで、その甘さに思わずホーキンスが淹れてくれた紅茶のカップに手が伸びてしまい、チラリと様子を窺ったホーキンスやマッカラム夫妻が美味しそうに食べていることから、この甘さを苦手に思っているのは己だけだと気付き、紅茶で何とかカップケーキを食べたリアムは、それでも己の夫がわざわざ買って持って来てくれた事への感謝の言葉を帰宅後ちゃんと伝えようと決めるが、何故か理由は不明だがその時脳裏で慶一朗の顔とケネスの端正だが冷酷に見える顔が重なってしまう。 「?」  先日ホーキンス達に慶一朗の友人に侯爵というあだ名の人がいると伝えたが、もしもそれがあだ名ではなく本当に侯爵という肩書きを持つ男だったら。  そしてそれが、今日の午後己を突き刺しそうな視線で見つめていた彼だとすれば。  その疑問は、今まで穏やかだった水面に突如生まれた水泡のように浮上したかと思うと、随分遠い昔に思えるが二人が付き合う前の出来事を思い出せと言うように弾ける。  あの時あの人は何と言っていたのか。  当時を思い出せと水面の泡が次から次へと生まれては割れていき、そのひとつひとつから思い出していったリアムだったが、最も印象に残っているものが浮かんだ瞬間、咄嗟に口元に手を宛ててしまう。  慶一朗の友人についての話を始めてリアムが聞いたのは告白をして付き合うまでの、友人以上恋人未満の関係の頃だった。  一晩中寝させてくれない友人がいたと言っていたが、その時の慶一朗の様子は夜通し遊び通した疲労感と言うよりは体力が残っていない気怠い様子を感じさせた上、ソファでうたた寝をしている時に見えた素肌には目にしたリアムが思わず赤面してしまうほどの情痕が見えていたのだ。  そのことから友人というのが所謂セフレだと気付いたものの、自分とは違って男女共に肉体関係のある友人がいることを言葉の端々から感じ取っていた為にそれ以上は何も聞かなかったのだ。  慶一朗のというよりは恋人であれセフレであれ人目に付く可能性が高い上半身にキスマークをあれほど大量に残す事から、その友人が慶一朗に抱いている感情を無意識に読み取っていたリアムだったが、その後、そのセフレが慶一朗と過去に唯一恋人関係になった男だと教えられ、その際にある種異常な関係であったと教えられた事も自然と思い出してしまう。  小さなものだから目立たないために余り口に出されることもないし、また若気の至りと言われてしまいかねないのだが、慶一朗の右耳にはピアスを開けた痕跡があり、それは自ら望んでではなく無理矢理恋人関係だったその友人に開けられたと告白した時の慶一朗の横顔が浮かび、口を覆った手に無意識に力を込めてしまう。  己の身体は双子の兄に何かがあれば差し出す必要があるために傷付けてはいけないと、感情がこもらない声で教えてくれたのは、当時暮らしていたリアムの家の階段を二人一緒に落ちて軽い打撲傷を負ったときだったが、打撲程度で感情を爆発させるほどの強迫観念を抱き、己の身体を傷付けることに想像も出来ないほどの恐怖を抱く慶一朗の耳朶にピアス穴を強引に開けたのが彼だとすれば。  好きな人の身体に己の痕跡を残したい、それほどまでに慶一朗に執着しているように思える元恋人であり友人である男が、慶一朗の結婚という事実に対し思う事があるとすればあの視線の強さに得心がいってしまい、半ば暴走気味の思考を止めることが出来ずにまた手に力を込めていたリアムの様子に気付いたホーキンスがそっと名を呼び、己にだけ見える景色に目を見張っているリアムの意識を現実に呼び戻す。 「リアム」  それはただ名を呼ぶだけのものだったが、リアムにとっては暴走気味の思考を止めさせる力を持っていて、恐る恐る彼女の顔を見たリアムは、そこに遠いドイツで己の身を案じて心配したり励ましてくれていた祖母の面影を重ねてしまう。  失礼なこととは分かっているがそれをどうしても止められなかったが、落ち着いて下さいといつもの穏やかな少し厳しさが滲んだ声に諭されて深呼吸を繰り返し、恥ずかしいところを見せたと眉尻を下げると、ホーキンスの顔にも安堵の笑みが浮かぶ。 「このカップケーキのお礼をケイに伝えて下さいね」 「あ、ああ、勿論」  皆喜んでいたと伝えると笑みを浮かべて残っていたカップケーキを一口で食べたリアムだったが、例え暴走していたとはいえそれを打ち消すだけの言葉も光景も持っていないことに気付き、重苦しい息を吐く。 「……支援を譲ってくれというのも、もしかすると俺が気に食わないからかもなぁ」  過去からの声と景色がそんな言葉をリアムに吐き出させ、突然のその思考に三人が盛大に驚いたような顔になり、ジョンストン侯爵と見識があったのかとマッカラムが目を吊り上げる。 「ああ、いや、そうじゃない」  ケネス・ジョンストン侯爵という男とは今日が初対面であり、今まで間接的にも直接的にも言葉を交わしたこともないと、マッカラムの気色ばんだ声に少し慌てつつそうではないと否定をしたリアムは、ホーキンスにも同じ思いをさせてしまったことに気付き、ひとつ咳払いをする。 「これは確信も何もないことだし、与太話と思ってくれても良い」  そう前置きをし、今日の午後にジュリアンを説得しているときに見せた彼の態度から何となく思ったことだとも続けた後、もしかするとケネス・ジョンストン侯爵は俺の夫の慶一朗の友人かも知れないと、広げた足に肘をついて顔の前で手を組みながら告白すると、三人が今日一番の驚きの顔を見せてソファの背もたれから上体を浮かせてリアムの方に乗り出してくる。 「どういうことだ!?」 「俺もはっきりと聞いた訳じゃ無いから分からない。でも、初めましてと握手をする相手にあれほど強く睨まれる理由が思い当たらない」  このクリニックに対して初めて支援したいと言っている事からディアナとも面識があった訳ではないだろう、なら一連の出来事とあの視線を結ぶのは慶一朗しかいないと続けると、ホーキンスがどのような言葉を口にすれば良いと思案するように天井を見上げる。 「帰ってケイさんに聞いてみる」 「……何と言うことだ」  リアムの言葉にマッカラムが頭痛を堪えるような顔を伏せ、その横ではイザベラが心配そうに夫の腕に手を付いて身を寄せるが、天井を見上げていたホーキンスがリアムへと顔を向けた後、仕事以外で余計な心配事をさせてしまうと頭を下げる。  彼女のその行為に飛び上がるほど驚いたリアムは、ディアナが頭を下げることじゃない、気にしないでくれと慌てて彼女に頭を上げてくれと伝え、その言葉に息を吐きながらホーキンスが顔を上げると、もう一度咳払いをして口の端を持ち上げる。  その顔はホーキンスが今まで何度となく見てきた頼もしい笑みだったが、ほんの少し違和感を覚えさせていて、感じたそれを上手く言葉に出来ないもどかしさに何度目かも数えられない溜息を吐くとリアムが大丈夫と己に言い聞かせるように告げて小さく頷くが、その後は誰も口を開くものがおらず、院長室に重い空気を撒くために天使が降りてきてしまったようで、その沈黙を誰も破ることが出来ないのだった。  スコットランドからの視察団を受け入れるという、予定通りであれば今日の午後で終わるはずの出来事が、思いもしなかった混乱を齎そうとしていることに薄々と勘付いていたリアムだったが、自ら語ったように与太話から話を広げる事など出来ず、また今日は自宅でディナーの準備で己が出来る事をやって待ってくれている慶一朗のことを思うと俄には信じられず、リクエストを受けていたローストビーフを購入する為にアンジーの肉屋に寄ることも忘れてしまうほど混乱したまま帰宅するのだった。  だから、出迎えた慶一朗が何かを言いたいが言い出せない気配を滲ませている事にも気付けないのだった。  
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  まさか、な。
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