It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第14話 Mein lieber Freund.【僕の親愛なる友人】
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 日本という狭い島国を飛び出し、お前はお前の人生を生きろと教えてくれた双子の兄と高校の教師の言葉に突き動かされた慶一朗がこの国で初めてできた親友とも呼べる関係になったのは、アポフィスという古代エジプトの悪神の名を冠したナイトクラブをオープンさせてこれから繁盛させていくと意気込んでいる中近東出身と思しきルカと、そのルカの影に徹するように静かに横に付き従うラシードという二人の男だった。  ナイトクラブを経営していることから時折仄暗い横顔を見せることもあったが、それでもその顔は慶一朗に向けられることは決してなく、双子の兄とはまた違う安心感を二人と一緒にいると得られるようになっていた。  そんなある日、アポフィスの営業日ではない平日にルカから呼び出された慶一朗は、市内で一人暮らしをしているアパートからアポフィスに向かい、当然閉まっている入口ではなく従業員が主に使う裏口に回って来いと教えられてそちらに向かうと、ドアに肩で寄りかかっていたラシードが慶一朗に気付いて頭をひとつ中に向けて振る。  裏口から入るのは初めてだと思いつつ足を踏み入れた慶一朗の視界に飛び込んできたのは、アポフィスの名に恥じない装飾がされた扉が左右の壁に並ぶ中、ひと際豪奢なドアが開いていて、そこから人待ち顔を出しているルカの姿だった。 『ルカ?』 『急に呼び出してごめん、ケイ。お前に会わせたい人がいるんだ』  来てくれてありがとうと、アポフィスのカウンターに立つときには必ずしているメイクをせずに素顔で出迎えたことに軽く驚いた慶一朗だったが、会わせたい人と呟き招かれて中に入る。  その部屋はドアは豪奢なものだったが、室内はドアに似つかわしい絢爛豪華というよりは、見る人が見れば高級な家具が置かれている事が理解できる落ち着きのある部屋だった。  その部屋の中、慶一朗は興味が無い為に何処かで見かけたことがある程度に知っている名前の通ったデザイナーのものと思える3人掛けのソファがあり、その中央に高級家具に慣れている様子でゆったりと足を組み、フルートグラスを傾けている男がいることに気付いて彼かと親友を見ると無言で頷かれる。  ドアのすぐ傍で声を潜めて会話をする二人を一瞥した後、グラスの中の細かな泡を飲み干した男が、そのグラスに相応しい優美な手つきでグラスをテーブルに置き、足を組み替えて片手をソファの背もたれへと回す。 『ルカの友人と聞いたけれど、不思議な雰囲気の男だな』  最近アポフィスの存在を知ったがここできみのような男に会えるとはと感心したように呟く男だが、その顔は自分達とは何かが違うと教えてくれる端正さと冷淡さを感じさせるものだった。  幼い頃から同年代であれ年上であれ人との接触がほぼ無かったため、己が今覚えた感情の名前も分からず、ただ目が離せなくなってしまう。 『彼はケネス。実業家だ』  今回仕事でシドニーに来たが時間が出来たから店に寄ってくれたんだと、ルカが慶一朗の肩に腕を回して囁いたのは一瞬で目を奪うほどの雰囲気を身に纏う男の素性だった。  それが慶一朗とケネス・ジョンストンとの初めての出会いだった。  まさかそこで出会うことなど想像も付かなかった友人との再会は、楽しかったランチタイムの記憶を吹き飛ばすほどの衝撃で、愛車に乗り込んだ慶一朗が気付いたのは、己の手だけではなくブレーキペダルに置いた足もカタカタと小刻みに震えてしまっている事実だった。  結婚する前後から連絡を取っていなかったケネスと、アポフィスではなく寄りによってリアムが働くクリニックで再会するという事実の奥に潜む何かを読み取ろうとするが、久し振りに会った友人の目がいつかのような底冷えを齎すものに感じ、ケネスとの過去が現在の慶一朗の行動に制限を与えてしまう。  いつまでもここにいては診察を受けるためにやって来た患者の迷惑になることを何とか思い出し、エンジンを掛けて車を走らせようとするが、その時、助手席に投げ出したスマホが着信を伝え、その音がいつもとは違う大きさで慶一朗の耳に流れ込んだ結果、ステアリングを握りしめた両手が離れてしまうほどシートの上で飛び上がってしまう。  まるでそこからケネスの氷を連想させる冷たい声が聞こえてくるかのような恐怖を覚えた慶一朗だったが、電話に出ない訳にもいかず、自然と震える手でスマホを取り上げてボタンを押す。 『今話をして大丈夫か、ケイ』  電話の相手は今はハワイで研究に日夜没頭し、一緒にハワイに着いてきてくれた恋人と時々ケンカをしては慶一朗に電話を掛けてくる双子の兄、総一朗だった。  自覚はないが同じと良く揶揄われる兄の声に一瞬で脱力した慶一朗がシートに深くもたれ掛かり、大丈夫と掠れた声で返事をすると、こちらの異変を感じ取ったのかどうしたと問いかけてくる。 「……ソウ、あいつがシドニーに来ている」  ぼそぼそと聞き取りにくい声で返した慶一朗の耳に流れてきたのはライトマイヤーかというドイツ出身の男の名前だったが、そうじゃないと辛うじて返した後、右の耳朶に鋭い痛みが生まれたことに気付いて小さく悲鳴を上げてしまう。 『ケイ!?』 「……耳が痛くなっただけだ」  今、咄嗟に押さえた耳朶に無理矢理ピアス穴を開けられたのはケネスと知り合った後に交友関係を深め、気付いたときには彼がシドニーに来る度に呼び出されては肉体関係を持つようになってしばらく経ってからだった。  その傷が痛いと再度呟くとケネスがシドニーに来ているのかと問われ、見えないのに無言で頷いてしまう。 「リアムのクリニックに来ている」  ついさっきクリニックの駐車場で再会したこと、その時に金曜日の夜にアポフィスに部屋を取って貰っているので来いと言われたことを告げると、行かなければ良いだろうと返される。  当たり前のその言葉だったが、この時の慶一朗にはそれが当たり前とは受け止められず、友人が来いと言っているのを断るのは気の毒だし無理だから行ってくると返すと沈黙が生まれてしまう。 『……お前が彼をまだ友達だと思っているのなら、行ってくれば良い』  ただし、金曜日に何処で誰に会うのかは当たり前だけどリアムにはちゃんと伝えておけと、これもまた至極真っ当なことを兄に諭すように告げられて瞬間的に頭に熱が上ってしまう。 「そ、れぐらい、分かってる……!」 『ああ、分かっていれば良い』  それにしても彼は一体何をするために来たんだと呟く総一朗の言葉に冷静さを取り戻せた慶一朗が、あ、と短く呟くと同時に己の失言にも気付き、悪いと小さな声で謝罪をすると、今度は盛大に驚いたような気配が伝わってくる。 「何だよ」 『……まさかお前の口から悪かったなんて聞けるとはなぁ』  本当にリアムと付き合いだして良かったんじゃないかと笑う声に、用事が無いのなら切るぞと小さく叫ぶと、切るなと笑った後に咳払いをひとつし、彼との関係は特に悪化していないのだろうと問われて小さく頷く。 「していない……というか、結婚してから初めて会った」 『そういえば結婚の事は話してなかったのか?』  当たり前と言えば当たり前の疑問が兄から三度投げかけられ、そう言えばと思いだしてみると、友人という割には結婚することもしたことも伝えていなかったような気がすると返し、盛大な呆れたような気配が耳から伝わってくる。 『まったく……それにしても、何故リアムのクリニックに来たんだ?』 「あ、ああ、いや、今日の午前中にうちの病院に視察に来ているはずだ」 『視察?』  事情を知らない兄に今回の出来事について掻い摘まんで説明をすると、視察団の一員という何かについて納得出来ないと言うような匂いを声に滲ませた返事があり、兄の名を呼ぶと考えすぎかなと苦笑されてしまう。 「ソウ?」 『……視察が終われば帰るのか?』 「さっき会ったばかりだから何も聞いていない。ただ……金曜日にアポフィスに来いとは言われた」  だから最低でも今週いっぱいはシドニーにいるつもりではないかと返し、どうすればいいと眉根を寄せた慶一朗は、さっきも言ったがリアムには誰に会いに行くのかだけは話をしておいた方が良いと返されて唇を噛む。  ケネスとの関係について、己とは正反対と言える堅実な恋愛遍歴を辿ってきたリアムに有りの儘話すことなど想像も出来なかった慶一朗は、存在を隠すと言うよりは積極的に話題に出す事をせず、聞かれたときにはセフレという関係を大人の友人というオブラードに包んだ言葉で説明をしていた程度だった。  だからそんな彼とどのように出会い、関係を深めた結果の別離を選択したのかなど話したことはなく、また積極的に話すつもりもなかった為、結婚したことを友人であるケネスに伝えることもせず、リアムにそんな友人がいることを敢えて掘り起こすような事を言わなかったのだ。  そんな思い出すことも少なくなっていた元カレに呼び出されている事を夫のリアムに伝える事に問題は無いのだろうかとふと疑問を覚え、その疑問から総一朗の名を呼ぶと、こちらを案じてくれていることが分かる声がどうしたと先を促してくれる。 「……呼び出されたことを言っても大丈夫なのか?」  もしも自分が立場を入れ替えたとき、リアムの元カノに呼び出されたと教えられただけで胸の奥がモヤモヤするし嫉妬から良からぬ事を考えてしまうと自信なさげに呟くと、遠く離れたハワイからひとつ溜息が届く。 『俺は、知りたいと思うけどな』 「……うん」 『会って話をするだけだろう?』  総一朗の言葉に頷いた後、それ以外に何もないと返すがその声に自信の色など一切無く、ついさっき己に向けられた冷たい視線を思い出すだけで過去の恐怖が蘇ってくる。 「それだけだと、思う」 『ケイ、それだけだ』  久し振りに友人に会って話をする、結婚したことを何故教えてくれなかったと責められたのなら、悪かった、元カレの結婚話など聞きたくないだろうと言って帰ってくれば良いと少しだけ語気を強めた声に諭され、自分が今抱えている悩みはちっぽけなもので、過去から這い上ってくるような恐怖もただの錯覚だと教えてくれた為、そうだなとそれでもまだまだ自信なさげな声で返してしまう。 『ケイ、お前のリアムを信じろ』  お前がお前を信じられないとは良く言う言葉だが、それならばお前の全てを預けているリアムを信じろと、さっきよりは穏やかな優しい声で諭されて自然と頷いた慶一朗は、ステアリングを一度グッと握りしめた後、金曜日のことはリアムに説明をする、そしてその上であいつに会ってくると腹を括ったことを教える言葉を伝えると、漸く安堵の吐息が返ってくる。 「……それよりも、お前の話は何だ?」  わざわざ電話を掛けてきたと言うことは何かあったのか、まさかまた一央を泣かせたのかと問いかけると、今度はハワイの空気が一瞬で変化をしてしまったことに気付き、おいと短く呼びかけると、いや、仲直りはしたが元気がないと返されて今度はこっちが呆れたような空気を醸し出してしまう。 「ソウ、日本から着いてきてくれた一央が大切なんだろう?」 『……ああ』 「だったらもっと大事にしてやれ」  その言葉は今まで何度か伝えた事のあるものだったが、己のその言葉の本意が伝わっていないのだと気付き、前髪を掻き上げた慶一朗は、大事にしていると返す兄にそうだろうなと返すが、お前が思う大事と一央が思う大事は違うはずだ、あいつが感じる大事さを見せてやれと言っていると伝えると沈黙が生まれてしまう。 「お前があいつを大事に思っているのはあいつも知っている筈だ。でも余裕がないとそれを感じられなくなる」 『……』 「今仕事は忙しいのか、ソウ?」 『いや、少し落ち着いた』 「じゃあ二人で日帰りでも一泊でも良い。旅行に行ってこい」  旅行が厳しいというのならドライブでも構わないが、一央に向き合っている事を伝えられるように二人で何処かに行ってこいと提案をし、ハワイに移住してから休暇を取ったのかとも問いかけて無言の返事を受け取る。 「休めるのなら一週間でも休暇を取って一央に付き合ってやれ」  それをしないとこのままでは間違いなく一央は日本に帰り、全ての事情を聞いた笑美子さんと雅彦さんから手酷い説教を食らってしまうぞと、最後は笑いに混ぜた確実に訪れる未来を告げると、それだけは止めてくれと悲鳴じみた声が返ってくる。 「大切なんだろう、お前が思う大事じゃなくあいつが感じる大事な扱いをしてやれよ」 『……そうするか』 「それしかお前に道は残されてないからな」  兄とその恋人の関係について随分と生意気な口を叩いていると自覚している慶一朗だったが、いつでも笑顔で出迎えてくれるだけではなく、日常生活をろくに送ることが出来ない自分達の面倒を纏めてみてくれる恋人とその家族には二人とも頭が上がらず、一央というある種貴重な存在を手放すなど自殺行為だと思っているためについつい口煩くなることを苦笑交じりに伝えた慶一朗は、しばらく経った後に返ってきた小さな小さなうんという声に遠い昔を思い出してしまう。  総一朗と慶一朗は女の腹で同じ時を過ごしてきたが、この世に生まれ出た瞬間から別離を余儀なくされ、10年という時間が経ってから初めて互いの存在を知ったあの時に聞いたものと同じで、懐かしさとあの頃を思えば随分と遠くに来てしまったという望郷の念にも似た思いが弟の胸に沸き起こり、お互い随分と遠くに来てしまったなと呟くと、己と同じ事を考えていたのかハワイの空の下で兄が感慨深げに嘆息する。 『……そうだな』  そんな遠くにあいつを連れてきてしまった責任は取らなければなと、兄らしい前向きな言葉を聞いた弟の顔に笑みが浮かぶが、お互いへのアドバイスならば出来るくせにどうしてそれを我が身に置き換えたときには無理なのかと苦く笑い、不思議だなと兄も笑った事に溜息を吐いてフロントガラス越しに空を見上げる。  苦い笑みを浮かべたままの慶一朗の遙か上空、白い雲が地上で蠢く人の悩みなどちっぽけすぎて聞く価値もないと言いたげに悠然と流れていくが、どれ程ちっぽけであってもこの広い空の下、それぞれがそれぞれの苦悩を抱えながらも生きているのだ。  何かの折に触れ気付くその真理に一度目を閉じた慶一朗は、兄のアドバイスを思い浮かべ、今日リアムが仕事から帰宅したときに話をしようとそっと決意をする。 「ダンケ、ソウ。リアムが帰ってきたら話をする」  その声にはある種の悲壮さが滲んでいたが、慶一朗の決意を侮らないように気を付けているのか、総一朗がただ一言、 頑張れと励ます声にうんと頷き、じゃあまたと通話を終える。  再度シートにもたれ掛かり、ついさっき見上げたはずの空に今は薄い雲がかかっていることに気付き、深呼吸をした後、リアムが帰宅すればディナーの準備をしておいて欲しいと言っていたことを何とか思い出すと、想像もしなかった場所での友人との再会という衝撃からようやく乗り越えた慶一朗が愛車を自宅に向けて走らせるのだった。  そしてその夜、いつもなら上機嫌とまでは行かなくても機嫌が良いはずのリアムが険しい顔で帰宅した事に驚き、ディナーの準備も気もそぞろの様子だったことから友人に会いに行くとの一言を伝えることが出来ず、あっという間に金曜日が訪れてしまうのだった。  
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  大事なら相手が思うやり方で大事にしてやれ
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