It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第14話 Mein lieber Freund.【僕の親愛なる友人】
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 その日、真冬が舞い戻ってきたような冷たい風が上空を吹き抜けていたが、そんな風が吹く大空の下、いつもとは逆に出勤するリアムをガレージに出るドアの前で見送る慶一朗とデュークの姿があった。  今日は慶一朗が休みの為、自分の為だけにランチボックスを作る気力が無かった為、家や車、職場関係の鍵に財布とハンカチだけが入っているショルダーバッグを手にしつつもハグした慶一朗から離れる気配が無い為、そろそろ家を出ないと本当に遅刻するぞと、広くて逞しい背中を撫でながら苦笑した慶一朗は、やっぱりケイさんと一緒に働きたいといつの頃からか口にするようになってきた我儘を聞かされて盛大な溜息を吐く。  この手のワガママをリアムが口にするようになったのはいつからだっただろうと思い出そうとするが、気が付いた頃には何やらぶつぶつと言い出したと気付き、拗ねた子供のように眉尻を下げる己の夫の少し尖っている唇に小さな音を立ててキスをし、目を瞬かせて驚く顔ににやりと笑いかけて今度は両頬を手で包みながらしっかりと唇を重ねると、腰に回った手が抱き寄せてくる。 「……機嫌は直ったか、ワガママ王子様?」 「ワガママ陛下はケイさんだったのになぁ」 「ああ。俺の専売特許を奪いやがって」  許せないから罰として今日一日全力で働いてこい、ご褒美にはお前のお気に入りのコーヒーを使ったカクテルを作ってやると口の端を持ち上げると、両手を肩の高さに挙げて降参と呟かれる。 「今日は視察団が来る日なんだろう?」 「うん、そうだった」 「そいつらにお前が優秀な所を見せつけてやれ」  お前の頭は鍛えられている肉体よりも優秀なんだと示せと胸に拳をとんと宛がった慶一朗の言葉にリアムが視線を胸元に落とすが、宛がわれる拳から伝わる熱と感情に自然と笑みを浮かべて慶一朗が望む顔になる。 「うん」 「行ってこい」  そしてお前の優秀さを見せつけた後はすぐに飛んで帰って来いと笑い、行ってきますのキスを今日はリアムの人差し指から飛ばされて片手で受け止めた後、その手を口元に宛がって片目を閉じる。 「久しぶりにジョーイの店に行くか」  出かける予定が無ければランチボックスを作り置きしておいてもらうつもりだったが、今日は午前中にシドニー市内に出かける為、ランチは良いと伝えたことを思い出し、己の横で大人しくリアムが出勤していくのを見守っていたデュークの頭を撫で、不思議そうに挙げられた顔にこの後の予定を伝えると、いつもそうだからと言いたげな顔でお気に入りのテディベアを口に咥えて己の城であるケージに向かって行き、そこのベッドに咥えたクマを投げ捨てて圧し掛かる様に身を伏せる。 「デューク、帰ってきたらブラッシングをしてやる」  だから留守番を頼むと告げれば間延びした声で了解と言われたような気がし、本当にお前が人間の言葉を話せれば良かったのにと溜息を吐いた後、出掛ける準備をする為に階段を上がっていくのだった。  丘の上に建つ白亜の堅牢な建物はいつもは病院という為に好ましい静けさの中に佇んでいるが、今朝はその静けさが失われているようだった。  予定時間を30分程遅れたが、それについての詫びなどはなく、さあ、シドニー近郊でも名前が通っている病院を案内してくれと、何故か上段から語り掛けられて案内役を買って出ていた事務長のカーターの顔が少し引き攣るほどだった。  他国の病院というデリケートな扱いをしなければならない場所に視察に来るのにどうしてそう上段から物を言えるのかと、カーターが内心でどれほど毒づいたとしてもその口から出てくるのは案内しますの丁寧な言葉だけで、視察団の10人はそれぞれ病院内についての感想というよりは昨日到着したばかりで疲労が残っていると、渡航の使命を忘れ去っているような言葉を交わし合っていた。  その中に一人、他の面々とは違うという事を自然と体現するように悠然とした態度で事務長と少し遅れたと断りを入れてやって来た病院長のアーチボルドに会釈し、さあ皆さん、案内してもらいましょうと誰も逆らうことが出来ない穏やかな顔で頷き、その穏やかさに救われたと胸を撫で下ろす人たちににこにこと笑みを見せていた。  まず案内されたのはカンファレンスルームで、毎日ここでカンファレンスを行った後皆それぞれの診察室やオペ室に向かう事を教えられ、病院内にある機器が最新鋭のものである事、それを扱うスタッフ達も皆優秀だとの説明を受け、視察団の中から疑問の声が上がればそれを丁寧に拾い上げて答えていく。  そんな、視察団とほんの少し距離を取って穏やかな顔で一行を見守っていたケネスだったが、少し小柄で穏やかな表情の男がカンファレンスルームに入ってきた後、病院長のアーチボルドに一言二言耳打ちし、オペを見学する予定だがモニタールームの準備が整ったこと、大丈夫だとは思うが血を見るのが苦手な人にはモニタールームの後方で控えていただきたいと、カーターに代わってこの先は自分が案内すると笑顔でテイラーと名乗る。 「皆さまに見学していただく予定の脳神経科の部長のテイラーです」  オペを見学していただく部屋はこちらですと笑顔で告げ、視察団のひとりひとりの顔を見渡したテイラーだったが、ケネスを見た時に少し目を細めたことに気付くが、表面上は穏やかなまま会釈すると、同じく会釈をして視線が隣の女性へと向けられる。  その一瞬の仕草から知り合いだっただろうかと目まぐるしく己の記憶を探ったケネスだったが、カンファレンスルームから移動することを左右の人達が立ち上がった事から気付き、どうしたという顔で見つめてくる同行者に少し考え事をしていたと苦笑し、それにしてもオペの視察が心配だと頬に手を当てる女性に、きっと大丈夫だろうが気分が悪くなりそうだったら離れた場所で見守っていれば良いとアドバイスをし、皆に遅れないようについていくのだった。  一台のバスに乗り込む視察団を病院の玄関横で見送ったアーチボルドとカーターだったが、その二人にご苦労さんと労いの言葉を掛けたのは、視察団の面々と一緒に行動していても遜色のない身形をしているジャレッド・メイフィールドで、理事長の登場にカーターが恐縮したように一礼し、アーチボルドは幼馴染という間柄でもあるために一つ肩を竦めて疲れたよと溜息を吐く。  視察の時間が30分ほど遅れてしまったことから予定していたオペの見学はせっかく用意をしたモニタールームを使う程でもない短時間になってしまい、早々に病棟の視察へと移動したのだ。  それに付き合い事細かく説明をしていた為に疲れたともう一度溜息を吐いたアーチボルドだったが、一行が次に向かうのが己の恩師が院長を務めるクリニックだと思い出し、先生ならば上手くあしらうだろうかと空を見上げて嘆息してしまう。 「どうした、ハリー?」 「いや……次の視察先のことまで俺が責任を負う必要はないな」  バスが見えなくなったのを確かめたカーターがアーチボルドと同じように溜息を吐いた後、仕事に戻りますと二人に伝えて踵を返し、そんな彼に二人が最大限のねぎらいを込めてご苦労様と告げて手を挙げるが、自動ドアの向こうからテイラーがやって来たことに気付き、二人が同時に振り返る。 「ご苦労だったな、ジャック」  メイフィールドの労いに無言で肩を竦めたテイラーだったが、うちでやるべきことはすべて終えられたはずだ、次は先生のクリニックだと先程のアーチボルドと同じことを呟き、先生なら大丈夫だろうと頷くが、気になる事があると小さく続け、アーチボルドが目を瞬かせる。 「どうした、ジャック?」 「いや、考えすぎかな」  オペの見学も短時間で済んでうちのホットマンが残念だと嘯いていると笑うと、ホットマンの言葉から厳つい体格とそれにふさわしい表情のパリスを思い浮かべるが、彼もそれなりに優秀だが同科のドクター・ユズリハ=フーバーとドクター・ヒルが優秀なためにその実力が埋没している感があるとアーチボルドが溜息を吐く。 「二人とも今日のランチはどうするんだ?」  アーチボルドとテイラーが顔を見合わせて同じであろう感情を互いの顔から読み取ったあと、メイフィールドがそろそろランチの時間だが二人ともどうすると問いかけ、テイラーが自らのオフィスで食べると返すと、アーチボルドがメイフィールドに何処かに食いに行こうと誘いの言葉を返す。 「それも良いな」  じゃあ今日の視察は本当にお疲れ様と再度労ってくれる理事長に院長と部長が頷き病院内に戻っていくが、少し遅れて戻ろうとしたテイラーは、ふと足を止めてバスが走り去った道路へと顔を向けて眉を寄せる。  視察団の名簿をアーチボルドに見せてもらったが、大半が伯爵だの男爵だのの肩書を持つ面々で、その中に一人明らかに突出した男がいたのだ。  その名前を思い出そうとしたテイラーだったが、それを邪魔するのか助けるのか判別がつかない部下の苦み走った声と顔が脳裏に浮かぶ。 『あのくそったれ侯爵のせいで大変な目に遭った』  二度と会いたくないがそれでもあいつは一応友人だから無碍にできないと吐き捨てた時のことだと思い出したテイラーは、今日その部下が休暇を取ってくれていて本当に助かったと己と部下の為に胸を撫で下ろすが、視察団が向かった先にはその部下の夫が働いている事を思い出し、何事もなく無事に視察が終わりますようにと、今度は己と部下だけではなく関係者の事を思って強く願うのだった。    テイラーが案じたホーキンス・ファミリー・メディカルセンターでは午前の診察が終わったが、事務長であるホワイトはランチタイムを取ることも出来ずに午後からやって来る視察団を受け入れる準備に追われてバタバタとしていた。  彼女が慌ただしく仕事をする光景など滅多に見れるものでもない為か、事務員はそれに釣られるように何故か忙しなく事務室を行き来し、フロアを横切っては階段を駆け上がる足音を響かせていた。  そんな見るからにいつもと違う空気を醸し出している建物の横手にあるスタッフ専用のドアをそっと開けて診察時間外であることを示すように照明が落とされていていつもより暗いそこに、紙袋を片手に病院に来るにしては軽い足取りの慶一朗がひょっこりと姿を見せる。 「ハロゥ、ソフィー」  スタッフ専用のドアから入って来た慶一朗が真っ先に目にしたのは己の伴侶ではなくカウンターの内側で目が回りそうだと言いながら書類を両手に抱えたホワイトで、その呼びかけに何よと顔を振り向けるが、そこにいるのが慶一朗であることに気付いて目を丸くする。 「ケイ!?」 「ああ。忙しそうだな」  ここの事務全般を取り仕切っているホワイトはいつもどちらかと言えば温かな雰囲気を与えてくれる優しさや穏やかさがあり、ここまで忙しさに追いかけられている印象が無かった為、忙しい所を申し訳ないと思わず謝罪をしてしまう。 「い、いいえ、大丈夫よ……今日の午後の視察の準備に忙しかっただけ」 「ああ、そうか」  そういえば他国の医療現場を視察したいと申し出た一行がやってくるとリアムから聞かされていたことを思い出した慶一朗が、それこそ本当に忙しい時に悪いと目を伏せるが、ホワイトが取り繕ったのではない、心からの笑みを浮かべて気にしないでと優しく受け入れてくれた為、サンクスと礼を言ってカウンターの内側から出てきた彼女をそっと抱きしめる。 「!?」 「……俺より先にハグするなんて酷いなぁ」  慶一朗からのハグに飛び上がらんばかりに驚くホワイトだったが、驚きに見開かれた目に診察室のドアを開けて姿を見せたリアムが映り込み、これは違うの、これはケイが、と、いつものホワイトらしさを完全に失った挙動不審とも思える態度で手を振りリアムに事情を説明しようとする。  その動きに気付いた慶一朗が彼女から離れて赤くなったり蒼くなったりと忙しい頬にキスをし、くるりと踵を返して不機嫌そうに下がる髭の下の口の端を見て笑みを浮かべる。 「ヘイ、嫉妬深い王子様、拗ねるな」  突然やってきた俺を忙しくても受け入れてくれた彼女へ最大限のお礼だと伝えると、それぐらいわかっていると言いたげにヘイゼルの双眸が左右に揺れるが、慶一朗に向けて動きを止めると、気分一新したことを教えるような笑みを顔中に広げて両手を広げる。 「来るなら来るって連絡をくれれば良いのに」 「驚かせたかったから黙ってた」  どうだ、驚いただろうと子供じみた顔でくすくす笑いながらリアムの広げた腕の中に飛び込んだ慶一朗は、本当に驚いたと肺の中の空気をすべて吐き出したようなホワイトの様子に片目を閉じるが、手にしていた袋を差し出し、受け取って中を確かめる彼女に新しいカフェで買って来たカップケーキだと告げつつリアムのキスを頬で受け止める。 「視察団が帰った後のティーブレイクで食ってくれ」 「皆喜ぶわ」  でも今日に限って言えば一番喜ぶのは私とディアナねと、さっきまでは亡失していたような笑みを浮かべるホワイトに慶一朗とリアムが同じ顔になり、姿を見せた何の事情も知らないホーキンスに三人同時に顔を向ける。 「来ていたのですか、ケイ」 「ああ。ティーブレイクで皆に食べて欲しいカップケーキを買って来た」 「まあ……今日は一段と嬉しいわね。ありがとう、ケイ」  突然の訪問を歓迎してくれる夫とその職場の人達に礼を言いたいのは俺だと呟くが、視察が来るために忙しいのは分かっているがリアムとランチに行っても良いかと問いかけ、二人から同時に行ってきなさいと快く許可を与えられる。 「サンクス、ディアナ、ソフィー」 「いいえ。その代わり、午後の診察を独りで頑張ってね、リアム」  ホワイトが片目を閉じながら告げる言葉に頷き、財布を取ってくると言い残してロッカールームに駆け込むリアムを見送った三人だったが、視察は予定時間通りに来る事、10人だがそこにホーキンスのいとこであるクレイグとイザベラのマッカラム夫妻も加わる事をヘンリーが告げ、ホーキンスが溜息を吐いて了解と頷く。 「……あの件について何か分かれば良いわね、ディアナ」 「……そうね」  一瞬で思案顔になったホーキンスにホワイトが小さな声で耳打ちをし彼女もそうねとだけ返すが、慶一朗はそのやり取りを聞いていませんと言いたげに顔を背けていた為、戻って来たリアムにどうしたと呼びかけられて目を瞬かせてしまう。 「美味しいランチを食べてきてね」 「サンクス」  あなたの気遣いは本当に嬉しいとホワイトが言葉で、ホーキンスが表情で慶一朗に伝え、何でもないとひとつ首を振った後、意味が分からないと首を傾げるリアムの頬にキスをし、早くランチに行こうとその腕に腕を回すのだった。  月に一度のペースで二人の親友であるルカとラシードとランチを食べるチャイニーズレストランに今日は慶一朗と訪れ、午後からの仕事にも全力で向かえるだけのエネルギーを補給したリアムは、お前と外食をすると食べ過ぎてしまうと己の薄い腹を見下ろした慶一朗が笑い、確かにいつものあなたを思えばしっかりと食べたほうだとリアムも笑う。 「ランチを食ったばかりだけど、今日のディナーは何にするんだ?」 「んー、ケイさんは何を食いたい?」  本人の言葉通りにランチを終えたばかりだが、次の食事のメニューについて話題に出すまでになった己の夫に感心の目を向けたリアムだったが、ローストビーフと答えられて一瞬考え込んでしまう。 「出来ればステーキみたいな分厚いのが良い」 「……肉屋で買ってきても良いか?」  慶一朗が望むものをほぼ正確に想像したリアムだったが、平日にそれを作るのはさすがに無理がある、買ってきたものでも良いかと問えば、何の問題も無いと返されて安堵の息を吐く。 「じゃあケイさんにひとつ頼みがある」 「何だ?」 「うん、付け合わせのポテトだけど、ケイさんと俺の分をパントリーから出しておいて欲しい」  本当を言えば必要な分だけボイルしておいて欲しいが、そこまでまだ求めないと笑うリアムの脇腹に悔しそうな顔で拳をたたき込んだ慶一朗に痛い痛いと笑いながら身を捩るが、いくつ出しておけば良いと問われてあなたが食べる分にひとつ追加してくれと答え、了承の頷きを貰う。 「スイートポテトもあるからケイさんが食いたい方を出しててくれ」 「分かった」  そんな言葉を交わしつつクリニックに戻ったとき、さして広くない駐車場が手狭に感じるバスが一台停まっていることに気付き、自然と顔を見合わせてしまう。 「視察が来たか」 「そうみたいだな……午後の診察も頑張って来い、リアム」  お前の頑張りを見せつけてやれと、家を出る前にも言われたことを再度言われ、さっきは脇腹だったが今度は胸板にトンと拳をぶつけられ、それから勇気を分け与えられたリアムがその手を両手で包んで押し頂くように額に宛がった後、口の中で一言二言何かを呟き、満足そうに息を吐いて顔を上げる。 「行ってくる」 「行ってこい。……中に入るとソフィーの邪魔になるだろうからこのまま帰る」 「うん。気を付けて」  その言葉を残して手を挙げて、スタッフ専用のドアを開けて建物の中に入っていく広い背中を見送った慶一朗は、満足そうに息を吐いて愛車に向かおうとするが、運転席のドアに寄り掛かっている人に気付き、眼鏡の下で目を細める。  一体誰が人の愛車に寄り掛かっているんだと文句を言おうと口を開けたが、その人物が寄り掛かっていた慶一朗の愛車から身体を起こして向き直ったことに気付き、手にしていたキーを取り落としてしまう。 「……お前の職場では会えなかったから連絡をしようと思っていたが、まさかここで会えるとはな」  何という巡り合わせだろうねと冷たく笑う顔をただ凝視することしか出来なかった慶一朗は、掌から車のキーが落ちた事にも気付かないほどの衝撃を受けていて、一歩また一歩と己に向けて歩いてくる端正なー良い意味でも悪い意味でも貴族然とした男の顔を限界まで見開いた目で見つめてしまう。 「……ど、う、して……お前が、ここ、に……?」 「うん? ああ、他国の医療現場を見てみたいと思って視察団に混ぜて貰ったんだ」  ほら、車のキーを落としたぞと、掠れて震える声で問われたことに穏やかだが底冷えのする声で返したケネスは、足下に落ちているキーを手に取り、まだ私が買った車に乗っているんだなと呟くと、小刻みに震える慶一朗の手を無理矢理開かせてそこにキーを載せる。 「ケネス……っ!」 「これからこのクリニックの視察をしてくるが――ルカに頼んで部屋を取ってある。金曜日に仕事が終わればアポフィスに来るんだ」  本当を言えば今日の夜にでもゆっくり話をしたかったが、何しろ視察団に混ぜて貰った以上は視察を真面目にしなければならない、金曜日まで他の病院にも行くために夜は一人でゆっくりしたいんだと肩を竦めるケネスの言葉にどんな類いの言葉も返せなかった慶一朗は、キーと一緒に手を握られ、ついさっきリアムに握られた時には感じる事の無かった背筋が寒くなるような冷たさに無意識に身体を震わせてしまう。 「お前のそのリングのこともその時に詳しく聞かせて貰うが……」  目にするのも精神衛生上宜しくないから部屋に来るときにはそれを外してきて貰おうかと笑い、ああ、呼ばれているから中に入ると告げると、動くことが出来なくなったように立ち尽くす慶一朗の肩にポンと手を載せ、呼びに来たマッカラムに詫びるように笑みを浮かべて彼と一緒に正面に回るために駐車場から出て行くのだった。  ケネスがクリニックに入っていく姿をぎこちない動きで見守る事しかできなかった慶一朗は、己の手の上の車のキーをついで見下ろし、金曜日にアポフィスの特別室に来るようにとの言葉が脳裏でこだまするのを止めることも出来ずにただただ呆然と立ち尽くすことしか出来ないのだった。  
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  Hee hee hee,嫉妬深いと嫌われるぞ、王子様。
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