It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第14話 Mein lieber Freund.【僕の親愛なる友人】
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  スコットランド方面から吹き寄せる嵐の存在をまだ限られた人達だけが感じていたが、その嵐に否が応でも巻き込まれる人々の中で信じられない程の穏やかな日常を送っていたのは、今日も今日とて朝から仲が良いことだと友人一同に呆れられるほどの仲の良さを自然と見せていたリアムと慶一朗だった。  リアムが愛犬のデュークと早朝の散歩から帰宅し、自身と愛犬のための水分補給を並んで行っていた時、階段を下ってくる足音が聞こえ、腰に手を宛てた謎のポーズで特製ドリンクを飲んでいた姿のまま階段を見上げ、自然と笑みを浮かべてしまう。  欠伸を堪えることもせずに大口を開け、跳ね放題の髪を寝起きのシャワーで強引に押さえつけたのか、襟足から水滴を滴らせながらバスローブの紐を結びながら階段から下りてきたのは、この家のもう一人の主でリアムの夫である慶一朗だった。 「ハーロゥ?」  お目覚めですか陛下と、階段を下りきった慶一朗にクスクス笑いながら声を掛けたリアムを睨み付けるように見つめた慶一朗だったが、それが単に目が見えにくいだけだと理解しているリアムが手にしたボトルをカウンターに置くと、デュークがチャッチャッチャと足音を軽く立てながら慶一朗の前に向かい、おはようの挨拶代わりに一声吠える。 「ワン!」 「……モーニン、リアム、デューク」  欠伸の後に挨拶をしデュークの頭をキスの代わりにわしゃわしゃと撫でた慶一朗は、壁に吊してあるエプロンを手に笑うリアムの前に向かうと、おはようとぼそぼそともう一度挨拶をして逞しい身体に腕を回して抱きしめる。 「今日は何を食いたい?」 「……目玉焼き。両面焼き。ソーセージとベーコン」 「分かった。レタスとトマトも付けるか」 「要らない」  これから食べるモーニングに何が良いかと問いかけながら濡れている髪にキスをするリアムだったが、希望を聞いた後に己の希望も伝えると、途端に貼り付いていた身体がすすすと離れていく。 「ケーイさーん?」 「野菜を食わなくても死なない!」 「食っても死なないと思うけどなぁ」  アイランドキッチンのカウンターの向こう側とこちら側で朝から賑やかに言い合う二人をちょうどその間の位置に尻を着けていたデュークが、まるで球技のラリーを見学しているように顔を左右に振って見守っているが、ひとつ尻尾を振ったかと思うと、慶一朗のバスローブの裾を軽く引っ張る。 「くぅん」 「……ケイさん、ご要望のものを焼いておくから髪を乾かしてくればどうだ?」  愛犬の仕草が慶一朗に分が悪いと言いたげだったためにリアムがひとつ肩を竦めて提案をすると、その助け船にそそくさと乗り込んだ慶一朗がひとつ頷き、すぐに髪を乾かしてくるから絶品モーニングを楽しみにしてると言い残し、階段向こうの洗面所に駆け込む。  その朝から慌ただしい様子にひとつ息を吐いたリアムは、髪を乾かし終えれば二階に戻って着替えも済ませてくるはずだ、その間にご要望のモーニングを完璧に仕上げておきましょうと袖があれば捲っているような様子で頷き、冷蔵庫から必要な食材を、コンロの下からはフライパンを取り出して己と慶一朗が期待する料理の完成に向けて腕を振るうのだった。  毎朝の儀式のように慶一朗の髪をセットし、今日もイケメンになったと満足げに溜息を吐いたリアムを鏡の中から見つめた慶一朗だったが、日々思う事があってもきっと伝えたところで笑顔で却下されるのだろうと理解している為に何も言わず、ただうんとだけ返すとその返事が嬉しかったのか髪にキスが落とされる。 「今日のランチボックスはベーグルサンドにしたけど大丈夫か?」 「ああ。……コーヒーも持って行くことにすれば良いか」  いつ頃からだっただろうか、仕事に行く慶一朗が職場のカフェの料理の味が本当に受け付けなくなってしまったと言ったことがあり、それならばとリアムがひとつ作るのも二つ作るのも何ら変わりは無いと大らかに笑って二つランチボックスの準備をするようになったのだが、今日はベーグルサンドを二つ作った、無理なら一つだけでも良いから食ってくれと鏡の中から頼まれて了承した合図に頷くと,一つ咳払いをしたリアムが意味有り気に視線を投げかけてきたことに気付き、鏡越しではなく直接目を見て話をしろと伝えるようにくるりと振り返る。 「どうした?」 「……クリニックのレンジで温め直しても美味いコーヒーをランチの後に飲みたい」  己が働くクリニックではティーブレイクの時間があるが、あなたのコーヒーを毎日飲むようになってから贅沢なことにコーヒーの味が分かるようになった結果、職場では飲めなくなってしまったと肩を竦められ、己の場合はお前の料理を食べ続けた結果カフェの料理が口に合わないという悲しい事実に気付いたことを思い出し、これからは出勤前に飲むロングブラックとランチのために持って行くものを用意してやると伝えると、途端に嬉しそうな笑みが顔中に広がる。 「ロングブラックで良いのか?」 「……アメリカーノでも良いか?」 「勿論。湯を先に入れるかどうかの違いだから何も問題は無い」  ポットにエスプレッソを先に入れるか後に入れるかの違いで、ロングブラックとカフェアメリカーノになると笑う慶一朗に安堵の笑みを浮かべたリアムは、ここ最近ティーブレイクにディアナが顔を出さないことが心配だと表情を切り替えて呟き、慶一朗がどう言うことだと視線で先を促すと、何かを考え込んでいる様子があること、先日見たことのない初老の紳士が慌てたようでホーキンスに会いに来たことを伝えると、慶一朗が考え込むように眼鏡の下で視線を左右に泳がせる。 「何だろうな」 「うん。ソフィーに聞いてもディアナから直接聞いてとしか言ってくれないし」  ならばその時を待つだけだがどうにも何やら胸騒ぎがすることを告げたリアムだったが、そろそろ慶一朗が家を出なければならない時間だと気付き、遅刻するぞと微苦笑を浮かべる。 「リアム、もし彼女から相談があれば……」 「ああ、うん、大丈夫だ。相談には乗る」 「ああ」  お前ほどの男が相談に乗ってくれればあっという間に問題も解決するだろうと、己の伴侶であるリアムを心の底から信じていることを伝えるように拳で分厚い胸板をトンと軽く叩くと、その手に分厚い掌が重ねられる。 「今日もあなたを待っている人のために頑張って来い」 「……お前も」  お互い専門は違うが医者という職業は同じで、どちらにもどちらの存在を待ち侘びている患者がいるのだ、その人達のために働いてこようと互いの決意を重ねた掌から体内に取り込んだ二人だったが、満足したように同時に溜息を吐いて洗面所を出て行くと、ガレージに出るためのドアの前でデュークが姿勢正しく座って二人を待っていた。 「行ってくる、デューク」  デュークの顔を撫でて頭を撫で、最後に耳の根元を強めに撫でるとデュークが鼻先を慶一朗の太腿に押し当ててくる。 「帰ってきたら遊ぶぞ」  その約束が破られたことが無いためにデュークの尻尾が嬉しそうに左右に二度振られ、本当に遅刻すると気付いた慶一朗がシューズボックス横の棚から車のキーなどが束ねられているキーリングを手に取り、見送りをしてくれるリアムとデュークに向け、唇に軽く押し当てた人差し指でキスを送るとガレージのドアノブに手を掛けるが、何かを思い出したリアムが少し待ってくれと咄嗟のドイツ語で叫び、キッチンへと足音を響かせて戻っていく。 「ランチボックス」 「ああ、ダンケ」  お前が作ってくれたそれを危うく忘れてしまうところだったと苦笑し、ランチボックスが入っているバッグを受け取った慶一朗は、再度人差し指でキスを送ると今度こそガレージへと出て行く。  程なくして響くエンジン音とシャッターが上がる音、そして車が動く気配とシャッターが完全に閉まる音を確かめるまでその場から動かなかったリアムだったが、それを確かめた後デュークの頭を撫でると己も仕事に行く準備をしようと伸びをし、デュークには留守番の間に寂しさを少しでも紛らわせる為に犠牲にした己のサンダルを見せつけると、嬉しそうにそれを己の城であるケージ内にテイクアウェイしていくことに安堵し階段を上って行くのだった。  リアムお手製のランチボックスを、カフェではなく二人で良くランチを食べていた裏庭のベンチテーブルに広げ、仕方がないと妥協をしてカフェで購入したカフェラテのカップを仕上のように置いた慶一朗は、クリームチーズとサーモン、スモークチキンとレタスのベーグルサンドを二つ並べ、さあ、どちらから食って欲しいと指輪が光る右手で今日はサーモンからだと告げてそれに手を伸ばし、一口齧りついて咀嚼し、美味いと呟いてもう一口と食べるが、テーブルに放置するように置いていたスマホが着信を教えるように振動し、舌打ちをしつつ画面をタップする。 「ハロー」 『ランチ時に悪い』  院内で使用する連絡用の携帯ではなく個人のスマホに電話を掛けてきたのは己の上司であり、仕事を離れれば友人付き合いが出来るある意味奇跡の男であるジャック・テイラーで、悪いと思っているのなら掛けてくるなと、友人同士の親しさから返すと、沈黙の後に盛大な溜息の音が聞こえてくる。 『お前に話がある、ランチが終わればオフィスに来てくれ』 「……りょーかい」  今絶品のベーグルサンドを食べているからそれを食べ終えれば行くと返し、なるべく早く来いと吐き捨てられて通話が終わり、何なんだ一体と、テイラーの機嫌の善し悪しを先程の言葉から推し測った慶一朗だったが、気になるのならば後で確かめられる、今はこの目の前の絶品ベーグルサンドを消化するだけだと舌舐めずりをし、サーモンとクリームチーズを味わい、ついでスモークチキンが少しスモーキー過ぎると思いつつもあまり好きではないレタスと一緒に食べれば不思議と美味しく感じる等と呟きながら空を見上げる。  今日はいつもとは違って風があるからか流れる雲の早さに気付き、雨だけは降らないでくれと曇り始めた空を見上げて呟き、自宅とは全く違うスピードでランチボックスを空にすると、喉が詰まらないようにする為だけに購入したカフェラテを二口三口と飲むがこれが限界だと苦笑しベンチテーブルに広げたランチボックスをバッグに戻すと、部長が電話をしてきたから落ち着いて食えなかったと嘯きながら院内に戻ると少し先を歩く同僚の背中を発見し、小走りに近寄って肩に手を乗せる。 「ガス、ランチは食ったのか?」 「ん? ああ、ケイか」  ランチを食べようと思っていたら部長から呼び出されたと憮然と呟く同僚に肩を並べ、お前もかと返すと同じ言葉を口に出そうとする顔でヒルが慶一朗へと顔を向ける。 「急に何だろうな」 「あまり良いことじゃない、それだけは理解出来るな」  上司のオフィスに向かう為にエレベーターに乗り込んだ二人だったが、以前までは積極的に啀み合っていると思われていた二人が以前とは全く違う雰囲気で言葉を交わしていることに同乗したスタッフ達が未だに驚いているが、いつまでも同じ事で驚けるなんて安上がりで良いなと、口にこそ出さないが細い銀縁と太い黒縁という違いのある眼鏡の下の色違いの目を皮肉気に細め、目的のフロアに到着した事に気付いて箱から下りる。  エレベーターを降りた前は腰までの高さの窓が続く廊下で、テイラーのオフィスへと向けて廊下を進んでいると、今まさにドアをノックして入室の許可を待っている大きな背中を発見し、ヒルと慶一朗が顔を見合わせる。  そこにいたのはもう一人の同僚のパリスで、その背中にヒルが呼びかける。 「リベリオ!」 「……ああ、オーガストにケイも一緒か」  意外ではないがカンファレンスルーム以外で三人が顔を合わせるのはどちらかと言えば珍しく、何か問題でも起きたのかと慶一朗が口笛混じりに呟き、パリスがそんな態度に呆れたような溜息を吐くが、ドアの向こうから入れという声が聞こえ、失礼しますとパリスが一同を代表してドアを開ける。 「三人揃ってきてくれたか」  ドアの向こうに己の直属の部下であり最も信頼しているドクター達の姿を発見したテイラーがデスクから立ち上がり、三人にソファを示して己もそちらへと移動してくる。 「皆ランチは食べたか?」 「俺はまだです」 「大急ぎで食ったからせっかくのランチの味が分からなくなった」 「俺は食べました」  三者三様の言葉にテイラーがどう返そうか悩んでいるように眉尻を下げるが、手短に説明をするから後でランチを食ってくれ、リベリオは食べたようで良かった、ケイについてはそれは悪かったと口先だけで返答し、慶一朗が小さく舌打ちをする。 「何か話が?」  パリスの巨体ーリアムやここの事務員のサミとも張るぐらいの肉体だったーがソファに座ると三人が並んで腰を下ろすのが苦しく、慶一朗が肘置きに腰を下ろし、ソファにはヒルとパリスが腰を下ろす。 「8月10日と11日に視察団が来る事になった」 「視察?」  テイラーの言葉に三人が互いの顔を見た後にヒルが今度は口を開いて視察と返すとテイラーの頭が上下し、オペの見学と診察の様子を見学したいそうだと続けるが、慶一朗が8月10日と11日かと確かめるように日付を問いかけ、ああとテイラーが頷く。 「10日、俺は休みが入ってる」 「ああ、そうだったな」  だから視察団に関してはオーガストとリベリオで対応してくれと告げ、二人が素っ気ないながらもしっかりとその思いを受け継いだ顔で頷き、そんな三人の様子にテイラーがホッとしたように息を吐く。  その様子から一瞬何かを感じ取った慶一朗だったが、その視察に関して何か問題でもあるのかと問いかけると、この国の医療機関へ支援をしてくれているお貴族様だと珍しくテイラーが吐き捨てるように告げ、それについて驚いた三人が顔を見合わせる。  日頃どちらかと言えば穏やかな部長のそんな顔が珍しくて余程嫌な人間が来るのかと呟くと、嫌というよりは面倒だとテイラーが呟き、余程面倒くさい奴らが来るのかと慶一朗が口笛混じりに呟く。 「そうだな……うちの視察をした後、ホーキンス・ファミリー・メディカルセンターにも視察に行くそうだ」  その一言を聞いた後、ヒルとパリスが意味有り気に慶一朗の顔を見つめ、見つめられた方はいつもと変わらない飄々とした顔でひとつ肩を竦めただけだった。 「先生には事務長が説明をしてくれているはずだ」  視察団と一緒に病院内の案内をするのは僕が引き受けた、だから君たちにはいつも通りにオペをして診察をしている様子を見せて欲しいとひとりひとりの顔をじっと見つめたテイラーだったが、リベリオとオーガストでどちらにするか決めて欲しいと告げ、その日は休暇を取っている慶一朗にはそれまでの間に二人のフォローを頼むと伝える。 「了解」  話はそれだけかと言いたげに慶一朗がテイラーを見つめ、肩を竦められたからもう戻るぞと尻を浮かせると、ヒルとパリスに手を挙げてテイラーのオフィスを出て行く。 「部長、視察団の人数は?」 「今判明しているのは5名だけど、まだ増えそうだね」  やれやれと息を吐いて天井を見上げるテイラーの顔に滲む疲労感にヒルとパリスが顔を見合わせ、自分達ならばいつも通りに行うだけだとパリスが宣言すると、うん、そうしてくれ、助かると苦笑し、それにしてもわざわざスコットランドからやって来る必要があるのかなと額に手を宛がい、ヒルがスコットランドとオウム返しに呟く。 「ああ。何でも結構有名というか地位の高いお貴族様が来るそうだ」  ただでなくても忙しいのに、そんな立派な地位の人が来ればそれこそ対応に付きっきりになって日常の業務が何も出来なくなると肺の中を空にするような息を吐き、まったくと広げた足の間に項垂れるように頭を垂らすと、それはお気の毒だとヒルが微苦笑混じりに告げ、己も午後の診察の前にランチを食べてくると告げて立ち上がり、パリスも同じように立ち上がる。 「二人とも、詳細が分かればすぐに教えるからよろしく頼む」 「了解です」  テイラーが頭痛を堪えているような顔で呟くそれにしっかりと頷いた二人は、失礼すると残してテイラーのオフィスを出て行く。  それぞれの職場へと戻っていった三人の背中を思い出し、頼もしいと思うと同時に問題が起きればきっとその背中はそれぞれの思うように動き回り、問題解決と言うよりは混沌を生み出すのではないのかという危惧を自然と抱かせ、有能だけど何かと問題のある部下達だと何度目かの溜息を吐き、仕方がないと腹を括ったように天井を見上げて拳を握るのだった。       
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