It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第14話 Mein lieber Freund.【僕の親愛なる友人】
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  それぞれの職場である意味大きな問題に発展しそうな出来事が冬の雲のごとくスコットランドの上空から赤道を越えた南半球にまで流れ着き、関係者の頭を悩まし始めた十数日後、遠路遙々シドニーの空の玄関口に到着した飛行機から長旅に辟易しているというよりはそれ以上に何やら重大な問題を抱えている事を眉間の皺で表しているような初老の男が一日以上の空の旅を終える為に地を踏み、一緒にやって来た長年連れ添っている妻に心配を掛けさせてしまっていた。  ビジネスクラスを利用してもそれでも長旅の疲労は拭えず、やれやれと息を吐いて自宅があるスコットランドと全く違う気候からシドニーに到着したことを実感したのはクレイグ・マッカラムで、そんな彼を案じる顔の妻、イザベラがそっと夫の手に手を重ねて大丈夫かと問いかけると、妻の言葉に最初は意地を張るように顔を上げたマッカラムだったが、意地を張る必要がないと思いだしたのか、大丈夫だが酷く疲れたと返し、予約しているホテルにまずは向かおうと提案されて一も二もなく頷く。 「年は取りたくないものだな」 「そうかしら」  年を重ねたという言葉もあるぐらいなのだ、年を取ることは悪いことだけではないはずだとイザベラに笑われてそれもそうかと苦笑した彼は、ターンテーブル傍で己と妻のスーツケースが出てくるのを待ち、遅いなと不満を覚える直前に流れてきた荷物を無事に回収すると、二人揃って入国審査の列ー今ではある程度の電子化がされているためにスムーズに通れるようになってきたーに並び、特に何の問題もなくオーストラリアで首都よりも発展しているシドニーの地を踏みしめるのだった。  後日振り返ったときに、ああ、あの静かな日々は嵐の前の静けさだったのだと、その嵐に巻き込まれた人々は皆似たり寄ったりの思いを抱くようなその日の午後、ホーキンス・ファミリー・メディカルセンターの院長、ディアナ・ホーキンスは軽く驚いた顔で来客者を応接室で出迎えていた。 「突然押しかけて悪かった、ディアナ」 「驚きましたよ、クレイグ」  応接セットに向かい合わせに腰を下ろしたいとこ同士は顔を見合わせて突然の来訪に驚いたと苦笑するが、それが収まったのを見計らったクレイグ・マッカラムが咳払いをし、言い出したいことがあるのに言葉にすれば己の思いが半減してしまうことを危惧しているような顔で俯き、次いで視線を左右に泳がせる。  いとこの落ち着きがない様子に無言で目を細めたホーキンスだったが、ホワイトが飲み物を持って来てくれたことに礼を言い、彼女にだけ分かる様に合図を送った後、カップを手に取りコーヒーの芳香に目を閉じる。 「クレイグ、先日のメッセージはどう言うことですか?」  この調子だと日が暮れても口を開く事は無いと判断したのか、ホーキンスが促すように口を開くと、勢いよくマッカラムの顔が上げられ、足の上でぎゅっと手が握りしめられる。 「すまない、ディアナ」 「事情を聞かせて貰えますか」  今まであなたが少なからず支援をしてくれていたからこのクリニックを恙無く運営できていたのにと心底残念そうに呟くとマッカラムの両手に更に力が込められ、それによって微かに両手が震え始める。 「あの男が、急に首を突っ込んできた」 「あの男?」  マッカラムが悔しそうに呟く言葉に小首を傾げたホーキンスは、ジョンストン侯爵だと名を教えられ、聞き覚えのない名前だと思いながらその名を口の中で復唱する。 「ケネス・ジョンストン侯爵、ですか?」 「ああ……俺がここを支援していることを調べたようで、自分が支援したいと思っている医療関係を探している、今回は自分に花を持たせてくれないだろうかと言ってきた」  言葉はあくまでも丁寧なものだったが内容はお前は支援から手を引けという脅迫じみたものだったと、その時のことを思い出すだけでも冷や汗を浮かべられるマッカラムが握った拳をソファの肘置きに叩き付け、その音にホーキンスの肩がピクリと揺れる。 「うちなどと比べられない地位があるからな、彼は」 「侯爵にはさすがに逆立ちしても勝てませんね」 「ああ……それにしても、突然何故支援を打ち切らなければならないんだ」  自分が支援先を探していて初めての事だからというのなら、俺と同じ方法で同じ金額の支援をすれば良いだけなのに、何故どちらか一方だけにしなければならないんだと、抑えることの出来ない怒りを拳に宿してもう一度肘置きを殴ると、侯爵だか何だか知らないが俺の邪魔をすると歯噛みをする。 「クレイグ、落ち着きなさい」 「これが落ち着いていられるか!?」  口ひげを蓄えた上品なと称されることのあるマッカラムが激昂する姿は友人知人の間では有名なものだったが、遠く離れたこの地で暮らすホーキンスにとっても幼い頃を彷彿とさせるもので、ついつい微笑ましさから笑みを浮かべそうになるが、何が問題か分かっているのかと恨みがましい目で睨まれてしまい、こほんと咳払いをひとつ。 「それにしても本当に何故あなたに支援を遠慮させなければならなかったのでしょうね」 「ディアナ、ダイ、笑ってる場合じゃない!」  年下のいとこがホーキンスの名を正しく呼べずにダイという愛称で呼んでいた当時を彷彿とさせる顔でマッカラムが彼女を見つめ、その顔から本当に困惑していることを読み取ると、もう一度咳払いをして確かにそうですねと表情を改める。 「本当にどうすればいいんだ、ダイ、何か良い案はないか?」  マッカラムの様子がホーキンスがこの国に移住するまで一緒にいた頃のものになっていて、懐かしさを胸の奥に秘めながら彼を少しでも落ち着かせようとコーヒーを飲み、息をひとつ吐いてカップをテーブルに戻す。 「ここの支援はダイのママとの約束なのに」  ホーキンスにとっては遠い昔の約束だが、それを今でも律儀に守り、その約束の結果今窮地に陥っているのにそれを恨むのではなく、どのようにすれば今まで通り約束を守ることが出来るのかに頭を悩ませているいとこの様子に胸の奥で礼を言った彼女は、ジョンストン侯爵が支援をしたいと申し出てくるのを待ちましょうと伝え、マッカラムに今後の方針を伝えると、彼も漸く落ち着きを取り戻したように息を吐いてソファの背もたれに凭れ掛かる。 「……支援の申し入れがあると良いのですが」 「ディアナ?」  天井に向けて溜息を吐いたマッカラムの様子にもう一つのある意味最悪の事態を思い浮かべたホーキンスだったが、緩く首を左右に振った後、兎に角あちらからのアクションを待ちましょうと告げて渋々ながらの同意を得た後、話題を切り替えるように笑みを浮かべる。 「そういえば今回は一人でこちらに来たのですか?」 「あ、ああ、いや、ベルと一緒に来たよ」 「いつまでこちらに?」  必要なときにはオンラインで顔を見ながら話をしているが、直接会うのは何年ぶりかと思うほどの日が開いている、もし予定がないのであればあなたの妻のイザベラと一緒に食事をしたいと提案をすると、彼女も会いたがっていたと、今までの話題から解き放たれたようににこにこと顔を笑み崩れさせ、口ひげを撫でては何度も頷くマッカラムに自然とホーキンスも笑みを深めてどこに泊まっているのかと問いかけると、イザベラの友人がシドニー市内にいること、連絡を取ったらホテルの予約をキャンセルして家に来いと言われたのでそちらに邪魔をしていると教えられて目を丸くする。 「ああ、そうだ」 「どうしました?」 「今月の10日以降にスコットランドから視察がこの辺りの医療施設に来ることになっていて、もしかするとそれにジョンストン侯爵が参加するかも知れないって聞いた」  その話題は支援についての相談を彼から持ちかけられてすぐに妻のイザベラが親しい友人とお茶をしているときに耳に挟んだと教えられ、もしも彼が来るのなら直接聞き出せるか理由が分かるかも知れないからと、夫婦でその視察に自分達も参加することにしたとマッカラムが告げ、ホーキンスが限界まで目を見張る。 「先日、その話を私も聞きましたよ」 「そうなのか?」 「ええ。この周辺の拠点病院になっているビクトリア・ノースヒル・ホスピタルの事務長と病院長から直々に話を聞きました」 「……侯爵、こちらにも来るのか?」 「どうでしょうか。自分の目で見て支援をするかどうかを確かめたいのかも知れませんね」  私たちには彼との面識などないのだ、視察に来るというのならばそれを受け入れいつも通りに診察をするだけだとホーキンスが少しの不安を押し殺しながら頷くと、マッカラムもいとこの顔に浮かんだ感情を読み取りながらも同じように頷いてコーヒーを飲む。 「兎に角、俺の名前で支援が無理ならイザベラや娘にも協力して貰うから待っててくれ」 「ええ。迷惑をおかけしますね、クレイグ」  ホーキンスが背筋を伸ばして軽く一礼をする姿にマッカラムが言葉を無くすが、グッと拳を握りしめた後、ママとの約束だとはにかんだような笑みを浮かべ、そんな彼の様子に彼女も穏やかな笑みを浮かべると、イザベラと久し振りに会いたいわとクリニックでは滅多に見せない穏やかな顔でもう一度頷くのだった。  時間がかかるかも知れないが、今までのように支援を続ける方策を考えるから早まったことをしないでくれと、態度や顔の割には心配性のいとこの言葉に何度も頷きつつ彼を送り出したホーキンスだったが、院長室に入ると同時に今まで感じた事のない疲労を覚えてソファにドサリと腰を落としてしまう。  今まで支援を続けてくれたマッカラムからのメッセージでクリニックの経営に問題が発生すると危惧していたが、その理由をこうして説明してくれることから彼の作り話ではないことを確認したが、それにしても見ず知らずの侯爵が支援をするからといって、長年継続しているマッカラムにそれを止めさせるという暴挙ー彼女にはそれが暴挙にしか思えなかったーを取る理由が分からず、やれやれと溜息を吐いて肘置きに寄り掛かると、ドアがノックされたことに気付き、身体を起こす気力もなくてどうぞと声を掛ける。 「ディアナ、彼が今度の視察については自分も来ると言っていたけれど、その視察って……」  入ってきたのはホワイトで、マッカラムを見送る際に視察の件で注意をしておいてくれと言い残してタクシーに乗ったのを見送っていたのだが、視察の件というのはどのことだと問いかけてくる。  だが今はそれに答える気力がなく、ドアを閉めてそこに座れと手で指し示すと、長年の付き合いから理解しているホワイトがそっとドアを閉めて彼女の向かい側に腰を下ろす。 「お疲れね」 「……疲れるわ」  盛大な溜息の後にクリニックでは滅多に口にすることのないぞんざいな口調でホーキンスが返し、それに気付いたホワイトがクスクスと笑い出す。 「そんな口調になるってことはかなり疲れたって事ね」 「そう、ね……クレイグが血相を変えてやって来たってことだけでどれ程大きな問題が発生したのか分かるわ」  ふうと息を吐いて姿勢を正すと同時にホーキンスがどうしましたと問いかけ、いつもの院長の口調になっている事に気付いたホワイトが残念と言いたげに肩を竦める。 「支援のことよね」 「そうですね……ソフィー、この件についてリアムにはまだ話さないで貰えますか」  ホーキンスが肘置きの上で手をグッと握りしめる様子にホワイトが目を細めるが、特に言葉に出しては何も言わずに視線で先を促すと、彼はまだノースヒル・ホスピタル所属のドクターで、うちには出向できてくれているだけだと、それが現実だが今では忘れ去ってしまっているものだと言いたげな顔で続け、ホワイトが軽く目を伏せる。 「医者としての問題ならばいくらでも話し合えますが、出向に来ているドクターをクリニックの経営問題に巻き込むことは出来ません」 「そうかしら」  ホーキンスのリアムのことを思っての言葉にホワイトが少女のように唇に指先を宛がって疑問を投げかけ、彼女の握りしめられている手から少しだけ脱力させることに成功する。 「彼、医者としては及第点どころか満点に近い実力があると思うわ。経営に関しては未知数だけど、未知数ならば今から教え込めばきっとものになると思うわよ」 「そうですか?」 「ええ。それに、彼をここに引っ張ってきた本当の理由を忘れてないでしょう?」  テーブルを挟んで向かい合う二人の女性の間には彼女たちが過ごしてきた歳月が揺蕩っていて、それに気付いたホーキンスが息を呑んで額に手を宛がい、肘置きに再度寄り掛かる様に上体を伏せる。 「……危うく忘れるところでした」 「思い出してくれて良かったわ」  無駄な力を発揮しなくて済むのだからと、チラリと見つめてくるホーキンスにホワイトがにこにこと笑みを浮かべるが、一年、二年先はまだ大丈夫だろうが、五年、十年先となるとどうなっているのか分からないお年頃に差し掛かってきた自分達の後継者を探していたのでしょうと片目を閉じられ、あなたには隠し事は出来ませんと笑ったホーキンスが再度姿勢を正して天井を見上げる。  今から何年前になるだろうか、元教え子が院長を務めている病院を訪れ、優秀な若手の医者を一人派遣して欲しいと無理難題をふっかけた結果、リアム・ユズリハ=フーバーー当時はリアム・フーバーと名乗っていたーが出向してくれることになったのだが、彼がここで患者らと向き合うようになってからネットや患者達の口コミで、病院の雰囲気が変わっただの若いドクターがこちらの言葉を可能な限り聞こうとしている態度を見せてくれることに安心すると言った、どちらかと言えば評価が良い言葉が書かれていたり直接伝えられるようになっていたのだ。  握手をしたときに感じた印象に間違いはなかったと安堵したホーキンスだったが、そのリアムがここで働くようになってからは彼の恋人で今は伴侶であるケイ・ユズリハ=フーバーー彼もつい先日までは杠慶一朗と名乗っていたーがやってきたり、リアムのオペを担当した縁からか、こちらも元教え子であるゴードンやヨンソンがやって来たりと、気が付けばホーキンスの周囲は教え子などが訪問してくれた結果の賑やかな空気に満ちていたのだ。  それら全てがリアムという希有な男を迎え入れたからだと気付いたホーキンスは、己の過ちを訂正するような咳払いをした後、彼に話をするが今日一日考えさせてくれと最後の足掻きのように伝えると、ホワイトがやれやれと言いたげに片目を閉じる。 「あなたが決めれば良いわ、ディアナ」 「ソフィー」 「何かしら?」 「サンクス、ソフィー。よく私を支えてくれているわ」  あなたがいなければきっとこのクリニックはとっくの昔に閉めてしまっていることをホーキンスが笑顔で伝えると、ホワイトの頬が瞬時に赤く染まり、や、やぁねぇと照れたような言葉が不明瞭ながらも流れ出す。 「先程の視察の件ですが、ノースヒル・ホスピタルの事務長から連絡がまたあると思います。彼と相談してくれますか?」 「ええ、分かったわ」  院長と事務長の会話の後、ホワイトが出会った頃のようなあなたをまた見れたと笑い、羞恥から今すぐ忘れてくれと額に手を宛てたホーキンスにどうしようかしらと、こちらも出会った頃を彷彿とさせるような茶目っ気を浮かべたホワイトが院長室を出て行くが、その直前に足を止めてひとつ深呼吸をする。 「ねえ、ダイ」 「何かしら?」 「……リアムは本当に良い子よ」  あなたが悩んでいることに気付いている、だからあなたの心が決まったらそれを打ち明けてあげてと、今では自然とリアムを庇護する役目を請け負っているホワイトがぽつりと呟き、ホーキンスの返事を聞く前に出て行ってしまう。  パタンと閉まるドアの音に混ぜるように溜息を吐いたホーキンスだったが、リアムが良い子であることなど十二分に理解しているが、良い子だからこそこんな問題に巻き込みたくなかったと苦く笑い、デスクに置いてあるいつぞやの旅行でジョークで買ってきたと笑顔でプレゼントしてくれた、イエローグリーンの紙袋をもしたプラスチックケースに無理矢理入っているハリモグラのぬいぐるみに目を向け、それを受け取ったときのことを思い出しながら天井を見上げて嘆息するのだった。   スコットランドから文字通り飛んできたいとこのマッカラムが持ち込んだ問題は、ホーキンス・ファミリー・メディカルセンターの存続に絡む問題に後々発展してしまうのだが、今の彼女にはその片鱗しか感じられず、先程親友であり仕事上での右腕であるホワイトの言葉を真剣に考えるためにデスクに座り直してペンを片手にメモ帳に意味のあるようなないような言葉を書き殴ってしまうのだった。     
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  当初の目的を忘れた訳じゃ無いでしょう?
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