It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第13話 Lonely Planet.
 シドニー市内の自宅から愛車を駆ったリアムが向かったのは、一人でも安全にキャンプができる川沿いのキャンプ場だった。  大病院の人間関係は煩わしいものだったが、どこに所属しようが人間関係は必ずある為、ある意味達観してその海を泳いでいたが、水生動物のように常に泳いでいられるはずもなく、足をついて心身を休められる場所が必要だった。  リアムにはそれがソロキャンプという形だったため、この週末をキャンプで過ごすことに決め、鋼鉄の荒馬に道具一式を積み込んで早朝に自宅を出たのだ。  海よりも山が良いと決め、前日に下調べをしたキャンプ場へと向かうリアムの横顔は日常の疲労感を少しだけ滲ませていたが、その奥に本人自身も気づいていない感情も混ざっていた。  その感情はリアムがこの国で一人で生きることを決意したときに副産物のように生れ出たものだったが、幸か不幸か一人で生きていくことに意識を向けているリアムはそれに気づかなかった。  長い付き合いになるその感情を今も気付かずに内包したリアムは、愛車をキャンプ場の駐車場に乗り入れ、ソロキャンプのテントをどこに張ろうかと考えつつ先客のテントを数えていく。  先客より少し離れた場所を見つけ、ここならばひとりでのんびりすることができると気づき、慣れた手つきで担いでいた荷物を降ろしてテントの準備を始める。  一人で生きていくことを決め、それでも今でも付き合いのある同級生やその両親の世話をそれなりに受けつつ医者という肩書を得て文字通り独り立ち出来た頃、それでも時々は家に帰ってきていた男がメモ一枚を残して家を出ていった事に気づき、怒りも呆れすら感じないでメモを握りつぶしたリアムは、あまり長い時間をかけることなくその男の存在を己の中から消し去ることにしたのだ。  そのために空いた場所を埋めるようにソロキャンプをはじめ、今では一人でテントを張ることもすっかりと慣れて何の問題もなく今夜の寝床の準備を整えると、道中で購入したサンドイッチとビールでランチにするが、ハイバックチェアに腰を下ろして空を見上げ、雲一つない爽快な青空が広がっていることに気づく。  ああ、気持ちがいいなと自然と零してビールを飲んだ時、その苦さが増幅されたような気がしてボトルを目の高さに掲げるが、何だろうと首をかしげてもう一口飲む。  すると不思議なことにいつも飲んでいる慣れ親しんだビールの味を感じ取り、何だったんだろうなと微苦笑しつつ晴れ渡る青空を見上げ、サンドイッチと火を熾しているためにクツクツと煮立ち始めたアヒージョが入っているスキレットに目をやり、食べごろだと顔を綻ばせるのだった。  ビールの苦みをより強く感じさせたのはリアムが自覚しない感情だったが、それを自覚するまでにはまだまだ時間を必要とするが本人がそれに気付くはずもなく、休日のソロキャンプを満喫するのだった。  休日の雲ひとつ無い秋の空の下を鋼鉄の白馬を走らせているのは、助手席に伴侶の慶一朗を、後部シートには愛犬のデュークを乗せたリアムだった。  今週末は久しぶりにキャンプに行こうとリアムが慶一朗に提案をしたのは今月の初めだったが、毎週末のように親友が経営しているナイトクラブの顔を出している為、そろそろ大自然の中に身を置きたくなったと微苦笑しつつ無言で見つめてくる慶一朗に自信無さげに良いかと問いかけたのだが、行きたいキャンプ地は何処だと笑み混じりに問われ、自信のなさを一瞬で吹き飛ばしたような笑みを浮かべて説明をしたのだ。  慶一朗にとって週末のナイトクラブで遊ぶことは一週間で蓄積されたストレスを解消するためのものだったが、己の伴侶のリアムが音と光が溢れる空間よりも大自然の方が好きであることを理解しつつも己の我儘に付き合わせているという罪悪感が少しだけ存在していたため、リアムがキャンプに行きたいと言った時には極力拒絶することなく行くことに決めていたのだ。  その為に今日のキャンプの準備を浮かれ気分で行うリアムを見守っていたが、こんなにも嬉しそうな顔を見られるのならもっとキャンプに行っても良いかもしれないとすら思うようになっていた。  助手席で機嫌がいいのかラジオから流れ出す曲に合わせて歌い出す慶一朗のそんな心積りに気付いていないリアムが、今日のキャンプ場所は海ではなく川沿いで、デュークを思う存分遊ばせられるドッグランも併設されているらしいと告げると、己の名が呼ばれたことに気づいたのか、後部シートから身を乗り出した黒と茶色の凛々しい顔立ちに成長したデュークが二人の間にその顔を突き出す。 「良かったな、デューク、お前が全力で走っても問題がないドッグランがあるそうだ」  ワフ、と不思議そうに首を傾げるデュークの頭を撫でた慶一朗が小さく笑い、リアムが食事の用意をしてくれる間ドッグランで遊ぶかと問いかけると、走り回れる歓喜に太い尻尾がシートの上で二度三度と左右に振られる。 「それも良いなぁ。ケイさんに散歩を任せて料理を作ろうか」 「今日は何を食わせてくれるんだ?」 「ちょっと挑戦してみたいと思ったもの」  その時までお楽しみにと笑うリアムに釣られたように慶一朗も笑みを浮かべ、二人の気配が楽しいものだと気づいたデュークが嬉しそうに小さく吠える。 「楽しみだな、デューク」  ワシワシと少し強めの力で頭を撫でた慶一朗が歌うように告げ、まるでそれに呼応するようにデュークが遠吠えをする。 「うるさいっ」  頭の直ぐそばで上がる遠吠えにうるさいと笑う慶一朗だったが、その顔は笑みに彩られていて、ナイトクラブで見る笑顔も好きだが今の顔も自然で好きだとステアリングを握りながらリアムが小さく笑い、早くキャンプ地に向かおうと少しだけアクセルを踏み込むのだった。  最近はリアムの指示を受けながら補助をしてくれるようになった慶一朗と、四つ足を揃えてビシッとした姿勢で見守っているデュークの応援を受けながら手早くテントを立ててテントの前にお気に入りのハイバックチェアを並べ、直ぐ近くに愛用しているテーブルと、食後の楽しみを満喫するための焚火台を組み立てたリアムは、キャンプ場に元々用意されているガスコンロで慶一朗が気に入ったという理由からよく買うようになったソーセージを焼き、大きなマッシュルームや野菜なども焼いていく。  そのリアムの視線の少し先にあるのは、ある程度の高さがある柵で囲われたドッグランで、その中を何頭かの犬がリードを付けずに気持ち良さそうに走っていた。  その中に愛犬デュークの姿もあり、柵に寄りかかりながら慶一朗が楽しそうに走り回る彼の姿を見守っているようだった。  デュークの様子を直接見ることはリアムが今いる場所からは難しいことだったが、愛犬を見守っている慶一朗の横顔は良く見えた為、その表情が穏やかなことからも何も問題が起きていないのだと気付き、今のうちに大急ぎで料理を仕上げにかかる。  ガスコンロだけではなくセットした焚火台にダッチオーブンもセットし本日のメインディッシュを作っているが、そろそろ出来上がりそうなことに気付き、焼き上がったソーセージや野菜をステンレスのバットに移し替えて焚火台の前に戻る。  今日のメインディッシュを喜んでくれればいいがと願いつつ自宅とはまた違う気持ちで食事の用意を手際良く続けるリアムだったが、息苦しそうな止まれという何かを制止させようとする声を聞いて料理から顔を上げると、いつの間にかドッグランから戻ってきたらしいデュークと慶一朗がいて、もう遊ぶのは終わりかと笑いかける。 「……死ぬかと思った」 「?」  リアムの背後で座り込んで背中から芝生に倒れ込む慶一朗を心配する顔でデュークが覗き込むが、何でお前はそんなに元気なんだと問いかけつつ寝返りを打った慶一朗が呆れたように頬杖をつく。 「ケイさん?」 「腹が減ったから帰ろうってデュークをドッグランから引っ張り出したけど、ここに戻ってくるのも全力で走ろうとしたから慌てて止めた」 「……デュークの全力疾走にケイさんが付き合うのは難しいなぁ」  デュークの前足に仕返しだというように手を乗せて顎を乗せる慶一朗の姿に自然と笑いが込み上げてきたリアムがくすくす笑いながら日頃の散歩の光景を思い出す。  ジャーマン・シェパードという犬種は運動の質も量も不足するとストレスを溜めて問題行動を起こすことがある為、どれほど眠くても朝一番の散歩をリアムは欠かしたことがないし、仕事から帰宅した時に時間があれば散歩に出かけ、無理なら申し訳ないと思いつつ人間用と犬用のルームランナーを並べて一緒に走ることにしているのだ。  そのどれもを慶一朗は経験していない為に愛犬の運動量が分からなかった故の愚痴にリアムが笑ってしまい、笑い事じゃないと睨まれて肩を竦める。 「ケイさん、ちょうど料理ができたから飯にしよう」  さあ、せっかく美味い料理も出来てビールも冷えている、そんな顔をしていないで楽しもうとリアムがダッチオーブンをテーブルに置きながら笑いかけると、掛け声ひとつで起き上がった慶一朗がそんなリアムの背中から抱きついて体の横からテーブルに並ぶ料理へと目を向けて腹の虫を盛大に鳴かせてしまう。 「デュークの分は?」 「もちろん。肉も焼いたし今日は肉屋で分けてもらったチキンボーンがある」  だからいつものように一緒に食い始めようと笑うと、デュークがのそのそと二人の横にやってくる。  ダッチオーブンの蓋を外して食材を覆っていたアルミホイルを取り除くと、その様子を見ていた慶一朗から嬉しそうな気配が立ち上り、食べることに興味が薄かった頃を思えば信じられない程の成長だと胸中で満足げに呟いたリアムは、いつものようにここで肩を並べて食べようかと提案をし、そそくさと慶一朗によって運ばれてくるハイバックチェアに何度も頷く。 「リアム、それは?」 「うん、ネットで調べて初めて作ってみた」  それはマーサのベーカリーで買ったカンパーニュを使った料理で、カンパーニュを繰り抜いてビーフシチューを詰め、同じカンパーニュを薄切りにしたもので蓋をしたそれに期待に目を輝かせる慶一朗の前でナイフを入れると、ビーフシチューととろりと溶けたチーズが流れ出してくる。 「これだとパンごと食べられるだろ?」  ちなみにビーフシチューのレシピはハワイで恋人と一緒に暮らしているあなたの双子の兄から教えてもらったと片目を閉じると、慶一朗がリアムの肩に手を掛けて少しだけ伸び上がりながら髭に覆われている頬にキスをする。 「ダンケ、リアム」 「どういたしまして」  慶一朗のキスを頬に受けて顔中をくしゃくしゃにしたリアムは、さあ、熱いものは熱いうちに食おうと笑って慶一朗が運んだハイバックチェアに腰を下ろし、自宅の並びと同じだと気付いたデュークもその隣でビシッと四つ足を揃えて待ち構えていることに気づいて微苦笑する。 「さあ、食うぞ」  デュークの前に水のボウルとチキンボーンを数本、素焼きにしただけの牛肉を盛り付けたボウルを置くと、慶一朗がいただきますと挨拶をしリアムも唱和するが、デュークも自分もだというように小さく吠えるのだった。  今日のメインディッシュを賑やかに食べていた頃はまだ太陽が完全に沈んでいなかったが、初めて作った割にはいつもと同じく絶品に感じる料理を平らげ、次は自分の番だと腕捲りをした慶一朗が、焚火台にパーコレーターをセットし、程なくして周囲にコーヒーの芳香が漂い始めた頃には赤やオレンジの空色がすっかり紺色へと変化をし、宝石をちりばめたような星が瞬き始めていた。  ビールのボトルを片手に慶一朗が手際よく作業をするのを見守っていたリアムは、ふと視線を夜空へと向け、いつだったかこのようなシーンを体験したと思い出すが、今まで何度となくキャンプに行っている為に一度や二度経験しているだろうと微苦笑しつつビールを飲む。  どちらかと言えば気に入ったものは長年愛用するリアムが飲んでいるビールは、働き始めて誰彼憚ることなくビールが飲めるようになった時に多種多様なものを飲み比べてこれと決めた一本だったが、ビールの苦みに変化がある事に気付いたのは最近だった。  商品として売られているものの味がコロコロと変わることなどないことから、きっとこれは己の裡に存在する問題が原因だと気付き、今日はいつもより苦みを感じないことから心身ともにリラックスしているのだろうと満足そうに息を吐く。 「……出来たぞ」 「ダンケ」  そんなリアムの鼻先により一層コーヒーの香りが届き、我に返ったように顔を空から隣へと戻すと、慶一朗がリアム愛用のブリキのカップをそっと差し出していることに気付き、慌ててそれを受け取る。 「良い香りだな」 「そうだな。この豆も良いな」  ハイバックチェアに並んで二人で座り食後のコーヒーを飲んでいると、いつだったか遠い昔に胸の底に芽生えた何かが小さな音を立てて弾けた気がし、己の胸を見下ろしてしまう。  何だろうかと意味が分からないと首を傾げたリアムに慶一朗がどうしたと柔らかく問いかけて返事を待つが、どちらかと言えば気の短い慶一朗が苛立ちを覚える寸前にリアムの口から微苦笑が零れ落ちる。 「……そうか、そういうことか」  己の中で己と対話をしているような顔で頷くリアムにもう一度どうしたと問いかけた慶一朗は、やっと気付いたと笑ったリアムが向き合うようにハイバックチェアから身を乗り出してきたことに気付いて首を傾げる。 「寂しかったんだ」 「?」  突然の告白に意味が分からないと眉根を寄せる慶一朗を前に、そうかそうかと何度も納得の声を上げて頷いたリアムは、ブリキのカップを地面に置いて慶一朗の手からもそれをそっと取り上げて隣に置くと、眼鏡の下で目を丸くする慶一朗の頬に手を宛がい破顔一笑。 「ケイさんと出会って、それまでの俺は寂しかったってことに今更気付いた」 「……」  ソロキャンプも仕事もそれなりに熟し、フレデリック達とも付き合っていたから寂しさなど感じていなかったと思っていたが、あなたと出会ってから振り返った今、ただそれに気付いていなかっただけだとたった今理解したと笑う愛嬌のある顔に慶一朗は咄嗟に何も言えずにただ息を呑んでしまう。  生まれ育ちも外見も共通しているところなど無いような自分達だが、その実誰にも見せることの無い胸の奥底にひっそりと孤独が存在している事に気付き、だからこそ深いところで繋がっていられるのだとも気付いたのは付き合いだして様々な出来事を乗り越えて来たという経験からだったが、付き合ってまだ日が浅い頃にひとりとひとりの世界が隣り合う状態から重なり合うのも楽しいだろうと言われたことを不意に思い出し、寂しかったと過去形で笑えるようになったリアムの顔を真正面から見つめると、見つめられる羞恥と己の深い場所にあった思いにやっと気付けた安堵に目を細めて見つめ返される。  焚火の光を受けていつも以上に綺麗に光るヘイゼルの双眸に目を奪われていると、そっと眼鏡が奪われて視界がぼやけてしまう。  お前の顔をしっかりと見たいのにと舌打ちをすると、恥ずかしいからと悪びれない声で笑われていつもの口癖が思わず出そうになるが、今己がいる場所が自宅ではないことを思い出し、グッとそれを飲み込む代わりに髭の下で綺麗な角度に持ち上がっている口角をペロリと舐める。 「……!」 「やっと気付いたか」  意外と鈍いんだなと笑うとうるさいなぁという小さな不満未満の声が上がるが、この会話を友人達が聞けばお前が言うなと指摘されそうなことを呟いた慶一朗は、リアムの頬を逆に掌で包み、鼻の頭が触れ合う距離に顔を引き寄せる。 「お前がいつか言った、ひとりとひとりの世界が重なれば楽しいって言葉覚えているか?」 「……何となく覚えているかな」 「俺はそれを聞いたときにひとりでいる自分が可哀想だと気付いたぞ」  それまでは孤独である事が当たり前だったからそんな自分が可哀想だとは思わなかったが、お前という存在があるお陰でそれに気付けたと、俺が先に気付いたから俺の方が偉大だと言いたげな口調で最後に鼻息も付け加えると、何だそれと笑うリアムの目尻に一粒の涙が浮かぶが、いつかとは違ってそれがこぼれ落ちることは無く、去年のドイツ帰省時にもう泣かないと決意を教えられた時の事を思い出す。 「……傷を舐め合うのは好きじゃ無いが、お前の傷ならいくらでも舐めてやる」  それで傷が瘡蓋になって存在すら忘れてしまえるようになるのなら、いくらでも舐めてやると笑いながら舌で唇を舐めると、その舌に素早くキスをされて目を瞬かせる。 「じゃあ俺もそうしよう」  慶一朗の言葉に満面の笑みを浮かべたリアムが何度も頷き、うん、そうしようと笑ったあと、慶一朗の驚きに薄く開く唇に小さな音を立ててキスをする。 「ダンケ、ケイさん」 「……お前に礼を言われるのは気持ち良いからこれからもずっと言ってくれ」 「ずっと?」 「ああ」  もう俺は世界はひとりでは無いことを知ってしまったのだ、それを知らしめたのはお前だから責任を取れと、右手薬指にキスをした慶一朗にリアムが目を丸くするが、さっきと同じように顔をくしゃくしゃにしてそうだなと頷き、これから先もずっと一緒にいてあなたに礼を言おう、だからあなたも言ってくれと強請ると、それも悪くないと素直では無い言葉が返ってくる。  何だそれ、それで良いだろうという言葉のキャッチボールを続けていると、そのボールを奪い取るようにぬっとデュークの頭が突っ込まれる。  自分もいることを忘れるなと言いたげなそれに二人同時に顔を見合わせて笑い出し、忘れる訳が無いだろう、お前も俺たちが作り出した世界にやって来てくれた大切な存在だとリアムが笑ってデュークの頭を撫で、慶一朗がまったくと言いたげに首の下辺りをポンポンと叩く。  その後は何故かどちらも言葉を発することもなく、ただ静かに星空へと顔を向け、そんな二人を倣ったようにデュークも空を見上げるのだった。    そんな二人と一頭を遙か上空の星々がキラキラと瞬きながら静かに見下ろし、少しだけ肌寒い秋の夜風がさわりと吹き抜けていくのだった。     
← 第12話 Prev | 第13話 Lonely Planet. | Next 第14話 → 
  重なったひとりとひとりの世界も良いな。
Waveboxで感想を送る
コメントは↑からどうぞ。一言でも匿名でも嬉しいです。励みになります