NSW州に視察にやって来たヨンソンが視察の全ての行程を終えてケアンズに帰る日の朝、前夜にほろ酔いのままナイトクラブで年下の友人達と遊んでいた名残など一切表さないでゴードンと一緒にこちらに来た時には必ず立ち寄る場所へと向かっていた。
二人が向かったのはNSW州だけではなく国内でも有数のビーチを見下ろせる高台にある墓地で、二人を知る者が見れば驚愕に目を見張ってしまうような似つかわしくない小振りの花束をそれぞれ片手に持ちながら鉄のゲートの前でゴードンが運転する車から下りて目的の墓がある場所へと向かう。
学生時代からもドクターとして名を上げてからも二人が揃えば煩いほど口を開いては互いの思いを並べ立てていたが、今はそんな気分にならないのかそれとも別の思いがあるからか、どちらも口を開く事は無く、ただ静かに坂道を上っていた。
目的の墓は海際のエリアではなく道路寄りの端で、二人が立ったのは周囲に比べれば古さを感じさせる墓標の前だった。
故人を偲ぶ文字が掠れてしまう程歳月が風雨となって刻み込まれていて、泉下の友人に会いに来れる回数も少なくなってきた事を、墓石に刻まれているヘデラを撫でながら詫びたヨンソンは、墓石に花を手向けようとして先に手向けられている花束がある事に気付いて手を止めてしまう。
この墓で眠っているのは二人にとっては決して忘れることの出来ない同級生で、その墓に参る人が自分達以外にいた事実に驚き、同じように感じているらしいゴードンと顔を見合わせてしまう。
二人が青春の真っ只中を過ごしていた学生時代、今振り返ってもとても悲しい事件があり、その最中に今眼下で眠る同級生が命を落としてしまったのだが、その彼の為に四半世紀を過ぎた今でも花を手向ける人が自分たち以外にもいるとはとの驚きを互いの顔に見いだした二人だったが、その花束の横に無造作に手にしていた花束を置き、遠い過去から笑いかけてくる同級生の顔を思い出す。
「……あいつを覚えているかと言われれば覚えていると返せるが……」
実際、歳月が流れてしまえば目鼻立ちや特徴は覚えているが、それ以外は意外と覚えていないものだなとクイーンズランド州でも最高のドクターと称されるヨンソンが自嘲し、ニューサウスウェールズ州の同じく最高のドクターの評価を得ているゴードンもその言葉に同意する。
「……人がまず忘れていくのは声だそうだ」
優秀だが人の定めとしての命の終わりを数限りなく見届けてきた二人が互いの顔を見ることなく呟く声は日頃を思えば信じられない程の悲哀が滲んでいて、先日突撃して驚愕と呆れを与えた遥かに年下の同じ専門医である慶一朗などが見れば顎が外れてしまうのではと思う程のものだったが、幸か不幸か今この場にいるのは二人だけだった為に飾る事も気を使うことも無く素直に感情を表した結果の溜息を風に乗せる。
「……あいつの声、忘れてしまったな」
「……そうだな」
笑うと片頬にえくぼが出来るそばかすが少し残っている幼い顔が脳裏に浮かび、誰に看取られることも無く生を終えた事を無表情に教師から教えられた日を自然と思い出した二人だったが、自分達よりも先に花を手向けたのが当時の関係者であればと微かに願い、今と違って同性愛は犯罪だとされていた当時を思えばその可能性も低いかと自嘲し、晴れ渡る秋の空を見上げる。
今から随分と遠い昔、ヨンソンとゴードンが机を並べて退屈だったり興味深かったりする授業を受ける中、医者になる為の知識をふんだんに詰め込んでいた脳味噌には、年相応の色恋の話題ももちろん存在していた。
だが、その当時は二人が通っていた学校では退学するだけではなく、同性を好きになるだけで犯罪者扱いをされるという、今振り返ってみればゾッとするような処分が下される時代だった。
人を愛することが罪になる、それを多感な時代に同級生の自らの死という形で突き付けられてしまって以来、ヨンソンは人を好きになるという行為に拭い去れない恐怖感を覚え、ゴードンもまた心の中に深い傷を負っていた。
それを口に出すことは無いが互いに傷の在処を知っている二人が視線だけを重ねた後、今の世ならば愛する人とどのような人生を送っていたのだろうと夢想しては仕方のないことを思い浮かべ、ひとつ息を吐いて墓石を撫でる。
昨日、ナイトクラブで珍しく羽目を外したように酒を飲んでほろ酔いになったヨンソンだったが、そんな彼を呆れるでも詰るでもなく、ただ体を思えば飲み過ぎだと注意する程度にとどめてくれた年下の友人達の顔が脳裏に浮かび、そういえば名前が変わっていたなと呟くと、ヨンソンよりは二人に会う時間も機会も多いゴードンがそうだと声に喜色を滲ませつつ空を見上げる。
「結婚した当初は別姓で行くつもりだと言っていたのにな、去年リアムの実家に帰省した時に考えが変わったらしい」
この情報はもう一人の友人のテイラーを通して仕入れたものだから間違いが無いだろうとゴードンが目を細め、ヨンソンも昨日一足先に訪れていたクリニックで恩師から聞かされたと頷いて同じように空を見上げる。
「昨日も話していて思ったが、何か以前と変わったように思わないか?」
「リアムか?」
「ああ。……前まではそうするべきと思っていたが、今はそれが当たり前になっている、そんな感じだな」
上手く言葉にできないがと苦笑しつつゴードンが続けた言葉にヨンソンが考え込むが、確かに自然体になっている気がすると返し、自然体とオウム返しに呟かれる言葉に頷く。
「俺たちが仕事終わりのケイを捕まえて家に無理やり連れて行かせた時も、驚いていたけど嫌がっている素振りなど見せなかったしな」
「ん? ああ、そうだったな」
「お人好しで人畜無害のマッチョマンとはケイが言っていたが、お人好し過ぎる」
ディナー時に連絡もなく突然押しかけた自分達を笑顔で出迎えるだけではなく一緒に食って行ってくれと満面の笑みで食事に誘い、その用意や後片付けなど嫌な顔一つも見せずにてきぱきと行う姿を思い出し、自分だったら突然来た時点でアウトだし、飯を食わせろと言われたら勝手に食いに行けと言って追い出すとヨンソンが髪を掻きながら呆れた様に呟くと、その通りだと言いたげにゴードンが腕を組んで何度も頭を上下させる。
「あの性分は褒められるものだろうがなぁ」
「毎日一緒に仕事をしている先生はどう思っているんだろうな」
超絶お人好しでそれを利用され搾取されているとしか思えないリアムと毎日一緒に働いている自分達の恩師でもあるホーキンスはどう思っているのかとヨンソンが呟きゴードンが顎に手を当てるが、以前何かの折に聞いたことがあると続け、ヨンソンが友人の顔を覗き込む。
「……自分を馬鹿にしたり好意を利用する人の思惑も分かった上で自分は自分の道を行く、そんな事を先生が話していた気がする」
目の前にある己への悪意に気付きつつもそれを回避もせずに突き進むだけだと笑ったとホーキンスから教えられたことをゴードンが思い出したのは、リアムという男の存在を事故のオペを通して知ってから少し経った頃だった。
「視察時に松葉杖を手放せない子供の説得をしていただろう?」
「ああ、廊下に座り込んで何をしているんだって話していた時だな」
ケアンズからやって来たドクター達を何故か案内する羽目に陥っていたテイラーが発見し、見つからないように廊下の角からそっと様子を窺うように見ていたのは小児科病棟のナースステーション前の廊下に座り込み、退院するのに杖を手放せない様子の少年と話し込んでいる大きな背中だった。
「あの時も昨日も感じたのは、ケアンズで再会した時より一回りも二回りも大きくなっているんじゃないのかってことだった」
ゴードンの言葉の意味をヨンソンが優秀な脳内で捏ね繰り回した結果導き出されたものは、肉体的に鍛えているからではないのかという上っ面しか見ていない者のような言葉ではなく、精神的に、有り体に言えば人として成長したということかとの言葉で、ゴードンがその通りと言いたげに指を向ける。
「ああ」
ケアンズで初めて話をした時、人としての大きさよりも底抜けのお人好しというどちらかと言えばネガティブなイメージしか持てなかったがと続けるヨンソンに微苦笑し、確かにそうだとゴードンも同意をするが、あの時病院の裏庭で二人が一緒にいる姿を遠目に見た時に以前とは違うと感じたことも伝え、ヨンソンが半信半疑の目を向ける。
「ただ優しいだけのお人好しではないという事か?」
「そうだな」
周囲が己に向ける好悪の感情だけではなく、己を利用しようとする悪意すらも理解した上でそれを踏み越えていく、そんな強さを持っているのかと感心半分呆れ半分の顔でヨンソンが溜息を吐くが、それを手に入れなければならなかった過去がきっとあったんだろうとゴードンが目を細めつつ遠くを流れる雲へと目を向ける。
「……ケイはそれを理解しているのか?」
ヨンソンの小さな呟きは風に乗って静かに眠る人々の上を流されていくが、若かりし頃に経験した理不尽さを思い出しているのか、その顔に浮かんでいるのはいつも飄々としている男とは思えない苦悩の表情で、それがヨンソンの曝け出された本心だと気付いているゴードンが無言で頷いた後、暮らす場所は違っても親友であることに変わりはない友人の肩を抱いて安心させるように腕を一つ叩く。
「廊下の真ん中に座り込んでいれば邪魔だと叱っていたが、庭での二人きりになった時の顔を見ただろう?」
「ああ、大きな背中を小さくさせていたな」
先日の視察時に偶然見かけた年下の友人ー二人にとってリアムと慶一朗は既に友人だった-が廊下で繰り広げる日常の一コマを偶然目撃したが、ゴードンが小さく笑いながら告げた様に、リアムよりも一回り小さい慶一朗が遠目にも呆れているような顔で何やら告げていたのを思い出し、ヨンソンも釣られて肩を揺らしだす。
二人が小児科病棟から立ち去った後を面白半分のゴードンがヨンソンと何故か連れまわされてげっそりしていたテイラーと一緒に追いかけていたが、庭に出ていくのを見つからない場所で見守っていた三人が見たのは、気張ることも無い相手と一緒にいる安堵を滲ませた二人の様子で、何故かほぼ同時に三人とも安堵の溜息を吐いていたのだ。
恋人や伴侶が仲良くする様子など独り身のゴードンやヨンソンにとっては目障りなものとしてしか認識されなかったが、それが友人だとなると安心感をもって見守れるものになる不思議を体感してしたことを思い出す。
「昨日は俺たちがリアムをいじめていると思ったらすっ飛んできた。昨日もそうだしあんな姿を見せられるという事はケイがリアムの深いところを知っている証だと思うぞ」
「……あれか、ケイが受け入れてくれているからより自然体でいられるようになったのか」
「そうかも知れないな」
どのような己であれ、肩ひじを張る事も無理をすることも無いありのままの姿を最も間近で見守ってくれ受け入れてくれる人がいる、それに気付いた時人はきっとどこまでも強く優しくなれるのだろうと、日頃のヨンソンからは想像もつかない言葉を風に乗せると、ゴードンも揶揄う素振りもなくそうだなと頷き感心したような息を吐く。
「受け入れるだけではなく駆け付けて守ってくれる、それも知っているんだろうな」
「そうだろうな。……日常生活では何の役にも立たないがいざという時には誰よりも頼りになる、そんな人が傍にいてくれるとなればそりゃあ強くも優しくもなれるか」
「だろうな」
人と人との関係というのは周囲から見れば理解不能でも当人同士が深い場所で理解しあっているんだなと、昨日の一連の出来事を思い返したヨンソンが満足そうに口の端を持ち上げ、それを見たゴードンの顔にも嬉しそうな笑みが浮かぶ。
不良親父と慶一朗に罵倒されても笑顔で返している二人だったが、ふと足下を見れば風雪によって時の流れが刻まれた墓石が表すように、自分達は人生の折り返し地点を前にしているのだ。
この年まで生きてきたことは畢竟人生の喜怒哀楽の大半を経験してきているという事だった。
笑い飛ばせる過去の出来事もあれば、何十年たった今でも笑うことも口に出すことすらも出来ない悲哀も抱えていたが、それでも自分達なりに今までやって来たのだ。
その時に隣を見れば今も出会った頃と変わらない思いを抱えた親友が傍にいる、それがどれ程己を支えているのかに気付き、それを口に出せるほどの若さがないために口の端に笑みを浮かべて雲が流れる空を見上げる。
これがきっとあの年下の友人二人ならば思いを口に出し、隣にいる人生の伴走者に腕を回して同じ思い同じ熱を抱えている事を確かめるのだろうが、ゴードンもヨンソンもそれをするには少しばかり年を取ってしまい、どちらもスラックスのポケットに突っ込んだ手を引っ張り出すことが出来なかった。
「……この花、先生だったらいいのにな」
まるで気恥ずかしさを誤魔化すような声にゴードンが視線を友人へと向けると、昨日のランチは先生と三人で食べたが本当に美味かったし楽しかった、ケアンズに戻ったら行き付けのイタリアンでマルガリータを一人で食うことに恐怖を覚えるほどだったと笑うと一瞬ゴードンの目が驚きに見開かれるが、寂しかったらテレビ電話でも何でも繋げ、俺がオペの最中でも出てやると返すと、ディナー時にまで仕事をしている程お前が働き者だったなんて知らなかったなとにやりと笑い、言ってろとゴードンが気軽に返す。
「……お前の家の犬はどうしているんだ?」
「ああ、ボクサーか?」
「そうだ」
ボクサーという犬種の犬にボクサーと名付けるヨンソンに聞かされた当初はただ呆れたゴードンだったが、犬と付けるよりマシだろうと生真面目に言い返されてからは何も言わなかったが、同僚に預けてあることを教えられてそうかと安堵の息を吐く。
「さあ、そろそろ帰るか」
「そうだな……荷物は車に積んであるな?」
このままシドニーの空の玄関口である空港に向かってくれ、ケアンズ行きのフライト情報を確かめようと笑うヨンソンにゴードンも名残惜しさを瞳にだけ浮かべて頷き、足下の墓石に二人同時に顔を向ける。
「……次はいつかは分からないが、また来たいな」
「俺が無理なときはGGに頼んでおく」
だから定期的に花を供えて貰ってくれと笑うヨンソンにゴードンも笑い、泉下でも自分達二人のことを友人だと吹聴してくれていれば良いと願い、胸の内でのみ哀悼の言葉を告げて視線を戻すと、昨日も楽しかった、次はケアンズでバカンス時に会いたいとヨンソンが片腕を突き上げてゴードンがサングラスを掛けて大きく頷くと、四半世紀以上前に眠りに就いた友人に口の中で挨拶をし、今という時間を場所は違えども気持ちは近い場所で生きている友人の腕を叩いて合図を送り墓地を後にするのだった。
日曜日の昼下がり、早朝のいつもの時間に目を覚まして期待に満ちた目で見上げてきた愛犬デュークの散歩を終えて一汗流したリアムは、ベッドルームから人が下りてくる気配を感じることは無く、ならばその間にリビングやキッチンの掃除を終えてしまおうと大急ぎで掃除をし、時々デュークにロープを投げては庭で走り回る姿を微笑ましそうに見守っていた。
キッチンやリビング、一階の洗面所やトイレなどの掃除を終え、二階のバスルームに関しては今日風呂に入るときに掃除をしようと決め、冷蔵庫から炭酸が入った水のボトルを取り出す。
アイランドキッチンのカウンターに置いたスマホがメッセージの受信を教えてくれた為、ボトルに口を付けたままスマホを手に取り、ヨンソンが空港でケアンズ行きのフライトのチェックインを済ませて出発を待っていること、昨日は本当に楽しかったから次の長期休暇は必ずケアンズに来いと書かれていて、自然と目元を綻ばせてしまう。
そのリアムの様子に気付いたのか、ロープを咥えたデュークがチャッチャッと足音を少し響かせながら開け放った掃き出し窓から入ってきたかと思うと、リアムの横に行儀正しくビシッと座る。
「ああ、ケヴィンが帰るそうだ」
寂しくなるなと、久し振りの友人の再会がただただ楽しかったことを思い出したリアムがデュークに語りかけながら頭を撫でると、嬉しそうに小さく鳴きながら頭を掌に押しつけてくる。
「ケイさんはまだ寝てるのかな」
せっかくの良い天気だしそろそろ腹も減ってきたからランチを食いたいからケイさんを起こそうと、きっとこれはデュークにしか見せていないであろう悪戯っ子を彷彿とさせる顔で笑ったリアムは、デュークに静かにしろと口の前に指を立てた後、ついてこいと頭を振って忠実な部下にも友人にもなるデュークを従えて階段を静かに上がっていく。
二階のベッドルームのドアはピタリと閉ざされたままでそっとリアムがドアを開けると、己が早朝に起きて部屋を出たときとほぼ変化はないようだった。
広いベッドの中央で己の代わりの枕を抱え込んで眠っている端正な顔を発見したリアムは、デュークに合図を送るようにその顔を見下ろすと、小さな声でゴーサインを出し、それをしっかりと聞き取ったデュークがさっきとは全く違うように足音を立てずにベッドに飛び上がり、安眠を貪っているもう一人の飼い主の傍まで近付くと、ちょうど見えている頬に右前足をそっと載せたかと思うとぐぐぐと力を込めていく。
「……グ、ェ……ッ……っ!」
突然の暴行にデュークの足の下からカエルが押し潰されたかのようなしゃがれた悲鳴が上がり、デュークが天性の運動神経を発揮して飛び退くと、抱え込んでいた枕を投げ捨てながらベッドに痩身が座り込む。
「デューク!」
「ワン!」
端正な顔に浮かぶ不機嫌そのものとそれを声に表したような怒声に名前を呼ばれ歓喜にデュークが尻尾をぶんぶんと振りながら一声吠え、お前はと続ける己の伴侶の姿に思わず笑いを堪えきれなかったリアムは、じろりと睨まれたことに気付いて肩を竦めるが、何を思ったのかデュークの真似をするように一声吠えた後、やっと起き上がった慶一朗をベッドに押し倒すように飛びつき、人型の大型犬に突然飛びつかれた驚愕と受け止めきれなかった情けなさに慶一朗が悲鳴じみた声でリアムを呼びつつベッドに背中から沈んでしまう。
「リアム!」
「うん。そろそろランチタイムだ、起きないか?」
突然起こされたそれに怒りを覚えている慶一朗を見下ろしながら笑みを浮かべたリアムだったが、一度大きく口を開いた後に慶一朗の口から盛大な溜息が零れたことに気付き、暴行じみた方法で起こしたことに対する怒りを覚えていないのだと気付くと、寝癖が付いている髪にキスをしよいしょと掛け声ひとつで体勢を入れ替えて慶一朗を見上げる。
「servus、ケイさん」
「……servus、こんの悪戯王子様!」
まだ眠っていたのにと吠える慶一朗に朗らかに笑いかけたリアムは、一緒にランチを食わないかと誘いかけて己の上から色よい返事が降ってくるのを待つが、今日のランチはと問われたことに内心口笛を吹くが表だってはただ嬉しそうに笑みを浮かべるだけだった。
「マーサの店でバンズを買った、いつもの肉屋でパティも買ったからハンバーガーとポメスなんてどうだ?」
リアムが一人の時にはあまり食べる事は無いが慶一朗が好きだと知っているために好物の二つはどうだと提案をすると、それを受け入れた証に鼻の頭に一つキスが降ってくる。
「ハラペーニョを入れて欲しい」
「ハラペーニョか……うん、入れよう」
パティにレタスやオニオン、アボカドやベーコンも良い、好きなトッピングでバーガーを作ろう、そしてそれを庭で食べよう、デュークは水とおやつを、俺たちは自分好みのバーガーとビールのランチを楽しもうと慶一朗の額にキスを返すと、ごろりと寝返りを打った痩躯が己の上からベッドへと移動する。
「デューク」
「ワフ?」
「ランチを食ったらボール遊びをするぞ」
慶一朗が欠伸を堪えながらデュークの頭を強めに撫でて片目を閉じると、その言葉の意味を理解しているデュークの尻尾がぶんぶんと左右に二度揺れる。
「あ、そうだ、ケイさん」
「何だ?」
ベッドの足下に投げ出してあったバスローブを羽織り、腰紐を締めようとした慶一朗にリアムが思い出したと苦笑し、ケヴィンが空港でチェックインしたことを伝える。
「そろそろフライトの時間か?」
「うん、そうみたいだな」
結ばれた腰紐の上にリアムが腕を回して腰を抱き、同じように己の腰にも腕が回されて無意識に安堵に目を細めたリアムは、ついさっき己のスマホに届いたメッセージを伝え、次の長期休暇は必ずケアンズに来いだそうだと教えられた慶一朗がヨンソンと一緒にいたときの光景を思い出したように微苦笑しつつ頷くが、前回は行けなかったから次はグレートバリアリーフに連れて行ってもらわないかと提案をし、リアムがナイスアイデアだと口笛を吹く。
「釣りやバーベキューもしたいんだろうな」
「あの人なら教えてくれそうだからきっとケイさんも楽しめるな」
今回の再会でまたケヴィン・ヨンソンという偉大な男の心を知ることが出来たが、自分達が経験してきた様々な事象から心配のあまり皮肉を口にしてしまうような優しさを持っているのだ、きっとこの年になって釣りが出来ないのかと呆れるのではなく、一からやり方を教えてくれるだろうし、初の釣果がどのようなものであれ記念になるような言葉も投げかけてくれるだろうと笑うリアムに、それは相手がお前だからだと胸の内で少しのほろ苦さを感じつつ呟いた慶一朗だったが、見上げた顔に浮かんでいる笑みを掻き消したくない一心で頷くと、嬉しそうな吐息が落ちて頬に髭面が押し当てられる。
「くすぐったいぞ、リアム!」
「あ、これからはこれで起こせば良いか」
「止めろ!」
キッチンに向かうまでの短い距離をフルマラソンでもしているのかと疑いたくなるような時間を掛けてゆっくりと向かった二人だったが、いつかとは違ってポメスの用意を率先して行う慶一朗にリアムが嬉しそうに頷き、絶品だと褒めてくれるバーガーを作るための準備に取りかかろうと今度はキッチンで肩を並べてランチ作りに励むのだった。
そんな二人の後ろ姿を、ああ、なんだ、いつもの光景だと言いたげな顔で大きく欠伸をしたデュークが見守り後ろ足で耳の近くをカリカリと掻いているが、庭に出る為の窓が開け放たれたままなことに気付き、大理石の床の上をチャッチャッチャと足音を小さく響かせながら歩いて行くのだった。
ケアンズから突然やって来たヨンソンがリアムというある意味希有な存在の有り様を案じるあまりの皮肉を口にしていたことに何となく気付いていたリアムだったが、心配を掛けて悪いがでもこれが俺なんだと、いつだったか己の隣で今は満足そうにバーガーを頬張っている慶一朗にも伝えた事を胸中で告げ、青空の高い場所を行く飛行機に目を細める。
年上の友人達に案じられつつも、誰よりも何よりも理解し受け止めてくれている慶一朗が隣にいるからきっと何があっても大丈夫と改めて己の心の深い場所にある思いに目を向け、どうしたと首を傾げてくる慶一朗の唇の端にトマトソースが付いているとそれを指で拭き取った後、うっすらと赤く染まる頬にキスをし、ポメスもバーガーもまだお代わりがあることを伝えて日曜日の午後の青空を見上げるのだった。
この突然の再会を切っ掛けにヨンソンとゴードンとリアムと慶一朗の友人としての付き合いは生涯続くものとなり、二人の手に負えない問題が発生したときには年の功だとばかりに年上の二人が己の地位や名声を最大限活用し、それを照れを隠しながら礼を言う二人をまだまだお前達は尻に卵の殻を着けたひよっこだと豪快に笑い飛ばし、礼よりも欲しいものがあると告げてリアムの料理と、初めて出会った頃に比べれば遙かに動けるようになった慶一朗との二人のもてなしを要求し、四人でいつまでも出会った頃のような賑やかな時を過ごすようになるのだった。
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