オーストラリアへの帰国を控え、早朝にホテルを出発する事から友人一同への土産を買い揃えてランチを食べて早々にホテルに戻った二人だったが、レスリーへの土産を最後まで悩んでいたリアムが、やはり買ってくると言って慶一朗を残して部屋を出たのは、働いている人たちがそろそろ家に帰ろうとする時間帯だった。
「生真面目な王子様め」
お前がそうしたいというのならすればいいと、生真面目なリアムの性情を愛し受け止めながらも、皮肉な思いからどうしても呆れてしまう思いも覗かせた慶一朗にその言葉とキスで背中を押されたリアムがお返しと理解してくれている感謝の気持ちとすぐに帰ってくるの思いを込めたキスを頬と唇に残して部屋を飛び出したのだが、己を理解してくれる人がいる事実が己も想像できなかったほど精神的にも安定させてくれている事を今も実感しつつこの街で古くから店を構えていて有名な店に入り、ネットが繋がっている今ではどこでも購入できるかも知れないがこの店でしか買えないコーヒーを買い、満足気に店を出る。
店の前は公園になっていて、そのベンチで休んでいる人たちの姿を横目に建物の間を抜けると市庁舎の前に出てきた事に気づき、クリスマスマーケットの準備がなされている市庁舎前の広場を横切るが、その時己の名を呼ばれた気がして周囲を見回す。
ここは大人になった今は年に一度数日間訪れるだけの街で、今の己を知っている人などいないと思っている為に聞き間違いかと微苦笑するが、もう一度今度はさっきよりは大きな声で名を呼ばれてそちらに顔を向けると、そこにいたのは笑顔で手を挙げる父マリウスと、どのような顔をすれば良いのか分からないと言いたげに視線を足元に落としつつ父の横にいるエリアスの父サシャだった。
「父さんとおじさん!?」
「ああ。何だ、土産の買い忘れでもあったのか?」
遠く離れた国で暮らす息子の日々の暮らしなど分からない父だったが、息子が今ここに一人でいる理由を察して苦笑すると、その横ではサシャが何かを決めたように顔を上げ、明日帰るんだなと問いかけてくる。
「あ、ああ、うん、そうなんだ」
ユーリの恋人で友人付き合いを始めたばかりのレスリーへの土産を忘れていたから買いに来たと苦笑交じりに返しつつ二人の前に駆け寄ると、二人に向けて手を差し出して父とはしっかりと、サシャとはまだ少し遠慮がちに握手をする。
「ケイはどうした?」
「寒くなってきたから部屋で待ってもらってる」
外に出るたびに寒い寒いと震えているから荷物の整理を頼んでおいたと肩を竦めるとサシャがお前の妻かと問いかけ二人が一瞬顔を見合わせるが、リアムが当たり前の顔で頷いた後、俺の夫だと返してその言葉にサシャの目が見開かれる。
父親たちの年代からすれば同性同士の結婚にはまだまだ抵抗がある人たちが多いとは思っているが、それでも一言二言口の中で言葉を転がした後にサシャが告げたのは、そうかという一言だけで、驚愕からのリアムの心を傷付けてしまいかねない言葉を口にすることも表情で嫌悪感を示すこともなかった。
リアムが知っているサシャならば顔でも言葉でも嫌悪を示すと思っていたが、そうではない事をこうして示してくれた事実にリアムの口の端が持ち上がり、おじさんに会わせられなかったけれど来年も帰省するつもりだからその時に一緒に店に顔を出すと答え、楽しみにしていると頷かれて胸の中でまだ少し燻っていた何かが淡雪が溶けた時のような気持ちになる。
「これから飲みに行くのか?」
「ああ、久しぶりにサシャが連絡をくれたからな」
「二人とも、店は良いのか?」
父の言葉にリアムが苦笑しつつ店は大丈夫かと問いかけると、サシャがエリーに任せても何の問題もないと大きく頷くが、その横ではマリウスが少しだけ寂しそうな顔で小さく頷くと、お前たちにはまだ報告していなかったがと切り出し、自分たち家族にも訪れた変化を息子に伝える。
「クララの調子があまり良くない事が増えてきたからな、実はランチ営業を中心で夜は週末のみにしているんだ。だから今日はサシャと飲みに来ても大丈夫だ」
「そうなのか!?」
もっと早く教えてくれればと帰国直前に教えられた祖母の不調にリアムの顔が一瞬で曇るが、仕方のない事だとマリウスが寂寥感を滲ませた溜息を吐き、サシャがそんなマリウスを慰めるように背中をポンと叩く。
「そんな顔をするな、リアム」
クララはお前達が帰ってきてからは見違えるほど元気になった、ベッドにいることが多かったのにここ最近はずっと起きて料理を手伝ってくれたりしている、それはお前とケイが帰ってきてくれたからだと父に教えられて複雑な表情を浮かべてしまうリアムだったが、今回の帰省でやりたいと思っていた事のすべてをやれたことを思い出し、来年の帰省もばあちゃんと約束したなぁと胸の疼痛を押し隠しながら空を見上げると、そうだなと父の同意の言葉が聞こえてきて、視線を戻して頷く。
「シドニーに帰ったら彼女のためにクリスマスプレゼントを何か探して贈ってやれ」
「ケイさんと一緒に選ぶ」
「ああ」
「……リアム、また帰ってきたときには店に顔を出してくれ」
次はお前の伴侶と一緒に来てくれとサシャが告げつつ手を差し出しリアムが一瞬驚きながらもその手をさっきよりはしっかりと握り返すともちろんと大きく頷き、もしかすると次に来る時にはおじさんもおじいちゃんになっているかも知れないなと笑うと、ああ、楽しみなんだと素直な言葉が返ってくる。
遠い昔に疎遠になるどころか互いに傷つけ合う関係になるのを避けた祖父母の考えで己はオーストラリアに移住することになったが、その発端となったサシャと今こうして穏やかに笑って握手を交わせるようになるなど、今回の帰省前までは考えられないことだった。
だが、良くも悪くも信じられないことが起きるのが人生だと今のリアムは良く知っていて、もう一度しっかりとその手を握り返し、歳を取っても人は変わろうと思えば変われるという姿を見せてくれた事に笑みが深くなる。
「そろそろホテルに帰る」
「ああ、気を付けてな」
「父さんもおじさんも飲みすぎないようにな」
ジワリと胸を温めてくれる言葉が涙腺を刺激しそうだった為に再度空を見上げた後ににやりと笑みを浮かべて医者の顔で飲みすぎるなと忠告をすると、その言葉は聞かなかったことにしようと二人が同時に返したため、やれやれと溜息を吐いて肩を竦める。
「家に着いたらまた連絡する」
「ああ」
気を付けて帰れと、いつどこにいてもお前とお前の愛する人の身を案じていると教えるような優しい言葉にリアムが頷き、じゃあと手を挙げてホテルへの道を小走りに歩き出す。
年々己に似てくると言われる息子の背中を見送った父は、会えて良かったなと呟く旧友の言葉に素直に頷き、今日は足元が覚束なくなるまで飲もうと決めていたが、息子の忠告を聞き入れてほどほどにしようと肩を竦め、久しぶりに二人で飲むために良い店へ向かおうと肩を並べて歩き出すのだった。
ただいまケイさんと、出て行った時より遥かに陽気な声で帰ってきた事を告げるリアムを、ソファでクッションを抱え込みながら面白くもなんともないテレビを見ていた慶一朗が出迎え、声と比例するような笑み浮かべる愛嬌のある顔に目を瞬かせる。
日頃からどちらかと言えば機嫌が良いリアムだったが、浮かれているようにすら見える顔になっていることが珍しく、浮かれる程何か良い事があったのかと体を起こしながら問いかけると、たった今出来た空間に腰を下ろしてバスローブ姿の慶一朗の腰に腕を回して懐く様に肩に顔を押し当ててくる。
「どうした?」
ハニーブロンドを撫でながらもう一度どうしたと問いかけると、うん、すごく嬉しいことがあったと返されて肩に押し付けている顔を見下ろす。
「……父さんとエリーのおじさんに会った」
「ダッドに会った?」
どういうことだと問いかけつつリアムの顔を良く見たい思いから立ち上がって腿に座り直すと、腰の後ろで優しく手が組まれて歓喜の滲む顔に見上げられる。
「おじさんが、次の帰省の時にケイさんと二人で店に来てくれって」
その言葉も嬉しかったし同性結婚に対して最も嫌悪感を持っていそうなおじさんが気遣いをしてくれた事が嬉しかったと、慶一朗を眩しそうに見上げながらリアムが笑い、その言葉に慶一朗も軽く驚いてしまう。
前回の帰省時にリアムの心を傷付けたエリアスの父に対して慶一朗は天地がひっくり返っても良い印象など持てるはずもなかったし、またお前の幼馴染の家族を貶すのも気が引けると思いつつも貶してしまっていたが、たった一年でそんなにも変化があったのかと驚きの声を上げると、うんと頷いたリアムが慶一朗の前髪を掻きあげてキスをする。
「人はいくつになっても変わろうと思えば変わることが出来る、それを見せてくれた」
それが嬉しかったと笑うリアムにお返しのキスをした慶一朗だったが、リアム程関係があるわけではない男の心境の変化についての感想などあるはずもなかった。
ただ、その変化を目の当たりにしたリアムが喜んでいる事が嬉しくて、髭に覆われている顎を指で持ち上げて唇に小さな音を立ててキスをする。
「良かったな」
「うん」
今回は前回の嫌だった事を昇華させてくれるような帰省になったとリアムが満足そうに呟くと、観光地のカフェで意外な再会を果たしてしまった己の父の驚愕に満ちた顔が脳裏に浮かび、思わず目の前の体にしがみついてしまう。
「ケイさん?」
「……あいつ、は……」
「……うん、あの時は本当に驚いたな」
クララと三人でドライブを楽しんだ後のカフェでの遭遇を思い出したようなリアムに抱きしめられ、今己は何も怯える必要のない絶対の安心を得られる腕の中にいるのだと思い出すと、背中を何度も撫でられて無意識に安堵の息を零してしまう。
「……いつか、ちゃんと向き合わないといけないんだろうな」
その安堵から己でも想像していなかった言葉が流れ出し、同じ驚きに目を見張りながら互いの顔を間近で見つめた二人だったが、リアムがその小さな小さな変化を守るようにうんと頷きながら慶一朗の顔を両手で挟んで額を触れ合わせてくる。
「うん。ケイさんがそう思うのならやってみよう。でも、焦る必要も無理をする必要もない」
人はいくつになっても変わることが出来るのだと今日実感したばかりだ、長い間あなたの中にいた気持ちも大切にしていこう、そして変化をしても良いと自然と思えた時には変わっていこうと目を細めるリアムに頷いた慶一朗は、お前という存在は本当に奇跡のようなものだが、その奇跡を生み出す土台はあの心優しく強い人達が作り上げたものなんだなと告げると、家族を手放しで褒められた歓喜にハニーブロンドが上下する。
今回の帰省はリアムの過去に深いかかわりを持つ男との再会の結果のようなものだったが、慶一朗の実父との十何年ぶりの再会やエリアスの父との和解など、喜怒哀楽の感情の全てを経験させてくれるようなある意味特別なものになったと苦笑交じりにリアムが呟くと、色々ありすぎると慶一朗が不満の滲んだ声で返し、宥める様なキスをリアムが頬に落として寄りかかってくる痩躯を抱きしめる。
「帰ったら役所で新しい姓の申請をしないといけないな」
「ああ、そうだなぁ……新しい姓はどうするんだ?」
慶一朗が橋の上で告白した思いを叶える為には帰国してからすることが沢山あるがひとつひとつ片付けて行こうと苦笑し、リアムがすっかり暗くなっている窓の外へと顔を向け、慶一朗も同じ景色を見ようと顔を向ける。
「なあ、ケイさん」
「何だ?」
己の腿に座り肩に腕を回して同じ窓の外を見つめる慶一朗の名を呼んだリアムは、窓に反射する端正な顔に向けて目を細め、何か問題が起きても一緒にいてくれる人がいること、その人が信頼し理解してくれている事は本当に嬉しいことだし奇跡のような事なんだなと、さすがに面映さが勝っているような顔で告白すると、それを受け止めた事を教えるように慶一朗がリアムの頭に頬を宛てて目を閉じる。
「……素晴らしきかな、人生、だな」
ハリウッドの古い映画でそんなタイトルのものがあったような気がするしそれこそ言い古されている言葉かも知れないが、確かに人生とはすばらしいのかも知れないなと続けた慶一朗がリアムの顔を真正面から見つめ、口の端を綺麗な角度に持ち上げる。
「幼い頃は死んでいたようなものだったが……」
もしもあの頃の己に声を掛けることが出来るのなら、いつか必ずお前を理解し抱きしめてくれる人が現れる、だからそれまでは何があっても諦めるなと言ってやりたいと続けると、最上級の告白を受けたようにリアムが顔をくしゃくしゃにするが、今までとは違ってその目に涙は浮かんでおらず、代わりに口元に太い自信に満ちた笑みが浮かんでいた。
その笑顔こそが誰よりも望んでいるものだと再確認した慶一朗は笑みの形のままの唇にそっとキスをし、背中を抱きしめてくれる腕の強さに安堵を覚え、その様子を窓の反射からも確かめたリアムの顔にも似たような色が浮かぶのだった。
青い空に悠然と浮かぶ白い雲が有るか無しかの風に乗ってゆったりと流れていく。
そんな夏空の下、今日も暑くなるなと呟きつつ太いロープのようなリードをしっかりと握り、横にぴったりと着いて軽快な足取りで歩く愛犬、デュークの早朝の散歩をしていたリアムがサングラスの下の目を細め、子犬時代を思い出すと信じられない程の大きさに成長しているデュークの頭に手を載せる。
「わふ?」
突然のスキンシップに何事だと言いたげに耳をぴくぴくと振ったデュークが不思議そうな声を上げて見上げてきた為、来年のドイツ帰省には連れて行けるだろうか、さすがに飛行機に乗せるのは難しいかと思案したリアムがなだらかな坂道を自宅に向けて下っていく。
先日ドイツからオーストラリアに帰国したリアムと慶一朗は、翌日のまだまだ時差が抜けきっていない体に鞭を打ってルカの家に預けていたデュークを迎えに行ったのだが、デュークがいることが嬉しかったらしいルカたちの愛犬でありデュークの兄弟犬であるビクターがやんちゃばかりをしてラシードが大変な目に遭っていたと教えられ、大変な目に遭っていた本人を見ると深い溜息を吐いて首を左右に振られたのだ。
「デューク、ビクターと一緒にはしゃぎ過ぎたのか?」
お前達ももう立派な大人の仲間入りをしているはずだ、だからいつまでも子供のようにはしゃぎまわるなと苦笑交じりに告げたリアムだったが、自宅に戻って来ると新聞をポストから引き抜き、玄関のドアを開けて習慣になっている言葉を口にする。
「ただいま」
「……お帰り、リアム、デューク」
朝の散歩帰りの挨拶に返事など無いと思っていた為に俯いていた顔を上げたリアムが見たのは、玄関前の荷物置き場になったり靴を履いたり脱いだりするためにも使っているソファの肘置きに腰を下ろして欠伸をする慶一朗の姿で、どうした、何かあったのかと思わず問いかけてしまう。
「散歩から帰ってきたら足を拭くんだろう?」
「え? あ、ああ、うん、そうだな」
帰宅後のルーティーンを思い出したリアムがデュークに待てと命令をし、慶一朗が起きている歓喜を尻尾を激しく振る事で表現していたデュークが絵に描いたようにびしっと待ての姿勢を取り、本当に躾が上手い男だと洗面所に消えたリアムを振り返って苦笑する。
その躾が上手い男が戻って来た時には両手に濡らしたタオルを持っていて、いつものようにデュークの前に座り込もうとするが、ふと何かに気付いて慶一朗を振り返り、やってみるかとタオルを差し出す。
「大丈夫か?」
「大丈夫だ。ケイさんはいつもブラッシングをしてるだろう?」
あれより簡単だと笑うリアムに背中を押されてタオルを受け取った慶一朗がデュークの前に胡坐をかいて座ると、足を拭くぞと声を掛けて右前足を手に取る。
「ケイさん、ちょっとここを頼む」
「?」
「朝飯の用意をする」
「ああ」
今日はケイさんが自ら起きるだけではなく散歩帰りに出迎えてくれたからケイさんのリクエストに応えよう、モーニングに何を食いたいと、キッチンの壁に吊るしてあるエプロンを着けながら玄関先に顔を向けたリアムは、ベティというある意味お決まりの言葉が聞こえてきた事に気付き、腰に両手を当てて鼻息荒く言い放つ。
「エッグベネディクト!」
「……マッシュルームに載せてくれ」
「OK.」
エッグベネディクトをベティとまるでどこかの誰かのように略すとリアムの上機嫌が途端に不機嫌へと転化する事を知りながらわざとその言葉を使った慶一朗は、不思議そうに首を傾げるデュークの次の足をリアムに比べれば時間は掛かるがそれでも丁寧に拭いてやり、すべての足から泥を落とした満足感に溜息を吐く。
「よし、デューク、もう終わったぞ」
「ワン!」
楽しかった散歩から帰ってきたら慶一朗が起きていた、こんな嬉しいことがあるのか、次はボール遊びだと言いたげに己の玩具が入れられているテーブル下の籠を引きずり出してきたデュークだったが、遊ぶのはモーニングを食ってからだとリアムが告げ、上向きに揺れていた尻尾がみるみるうちに下降気味になり、アイランドキッチンのカウンター前にやって来た慶一朗の足に頭を摺り寄せて悲し気な声を上げる。
「仕方がないだろう?」
お前の朝飯の用意をするから待っていろと笑い、二人が今でも肩を並べて食べているカウンターの足元にデューク専用のお食事処をセッティングし、喉の渇きを癒すためにデュークが新鮮な水が入っているボウルに鼻先を突っ込む。
今までならばデュークの世話はブラッシングだけだった為にその変化に驚きつつも、きっとこれもあの夜橋の上で告白してくれた事の一環だろうと気付くと、デュークの餌は計量カップ一杯分だと伝え、慣れない手つきながらも準備をする慶一朗を温かく見守るのだった。
ドイツに帰省する前までは慶一朗の髪が長く、それを毎朝丁寧にセットするのがリアムの役目だったが、短くなった今もそれは続いていて、洗面所の前で己の時以上に念入りに髪をセットするリアムに程々で良いぞと、さすがに半ば呆れたような声を出した慶一朗は、そうだな、あまり気合を入れすぎるとケイさんの魅力に皆が気付くかと本気でそう思っているような声で返されて絶句してしまう。
「そういえば、職場の皆への土産の用意はできてるのか?」
「ああ、大丈夫だ」
前回はしゃがれた声で歌うテディベアのぬいぐるみーそれを受け取った上司は迷惑そうな顔をしていたが今でもそれは彼のオフィスのデスクに鎮座していたーだったが、今回は一抱えもある大きな容器に入っているクマの形をしたグミを買ってきていた。
それを上司のデスクにどんと置いた時の顔を想像するだけで肩が自然と揺れてしまうが、それはあくまでもジョークであり、本当の土産は去年同様別に用意をしてあることを笑み交じりに伝えると、リアムの顔が鏡の中で安堵に彩られる。
「お前もティーブレイクで食べる為に買って来たんだろう?」
「うん、そうだな」
ケイさんが買った大きさではないけれどと笑うリアムも己の職場で休憩時に食べてもらうグミを購入していて、それを今日持っていこうと頷くとセットが終わった髪にキスをする。
「よし」
その言葉に慶一朗が鏡の中の己に今日もイケメンに仕上げてもらったと笑いかけ、くるりと振り返って背後の壁のような伴侶の顎を掴んでありがとうのキスをする。
「……ん」
「……行ってくる」
「うん。今日も一日頑張って来い」
先日二人で決めた事について何か聞かれるかもしれないがすべてはあなたの良いようにと、慶一朗に全幅の信頼を置いている顔でリアムが告げ、行ってきますのキスを再度唇に受けてお返しのキスを同じ場所にする。
「じゃあ帰る前に連絡する」
「分かった」
出勤するためにガレージのドアの前に向かう慶一朗の腰に腕を回して一緒に歩いていくリアムだったが、そこではすでにデュークが見送りの体勢になっていて、慶一朗の腰から離した手をデュークの頭にそっと乗せる。
「デューク、留守番の間あまり悪戯をするなよ」
「ワン!」
その言葉に返ってくる声に慶一朗が小さく笑いながらドアを開けて行ってくるともう一度リアムに告げると、人差し指を口元に宛ててリアムに向けて軽く弾く。
二人の間の愛情表現を今朝もしっかりと受け止めたリアムの口の端が持ち上がり、ガレージのシャッターの音とそれを遥かに上回るエンジン音をしばらく聞いているが、そのどちらも聞こえなくなったと同時に溜息を吐いてデュークの頭を少し強めに撫でると己も出勤するための支度に取り掛かるのだが、ドイツから帰省後に目に見え始めた慶一朗の変化に自然と顔が綻び、頑張りたいとの思いの表れなんだろうなと、本人以上にその心の動きを理解しているリアムが小さく笑い、そんな飼い主の様子をデュークが不思議そうに、でも嬉しそうに尻尾を振りながら見上げているのだった。
数日前まではこの時間でも外はまだまだ暗く、夜明けが来るのかと不安を覚えそうな朝を迎えていたが、二人が日々を過ごす国に帰国してからは、突き抜けるような夏の空が二人の上空に広がっているのだった。
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