今は遠く離れている親友が見れば目を剥いて卒倒してしまいそうな行為を平然と行えるのは、やはりここが旅先という一種の高揚感があるからだろうかと、隣を同じ速さで歩く世界一のイケメンをチラリと見つめて思案した慶一朗だったが、その視線に気付いたのか繋いだままの手に力がこもった気がし、小さな吐息の後に誰かとこうして手と繋ぐことなど殆ど経験したことがないから手が火傷しそうだと自嘲気味に呟いてしまい、瞬間的にその言葉に舌打ちをしてしまう。
「……ヤバいなぁ」
羞恥からの舌打ちに返ってきたのが嘲るようなものではない声だったから何がとそっと問いかけると、さっきまでは表皮の火傷で済んでいたが今真皮にまで到達したかもと返されて眼鏡の下で見張った目のまま愛嬌のある顔を見ると、言葉とは裏腹なにやけきった顔が見え、ああ、本当にヤバい、早くホテルに帰って主治医に治療をして貰わなければと続けられ、は、と吐息で返事をするとヘイゼルの双眸が意味有り気に細められた後、繋いだ手を顔の前に持ち上げられて口付けられる。
「俺の主治医はそれはそれは優秀だからなぁ」
きっとⅢ度の熱傷深度であっても助けてくれると笑う顔に浮かんでいるのは自慢の色で、何も知らない者からすれば嘲りの対象になりかねない優しさから誰に対しても手を差し伸べられる男が己にだけ向ける顔だと気付いた瞬間、腰から力抜けそうになり、こんな所で人の腰を砕くようなことを言うなと睨み付けると事実だと肩を竦められてしまう。
「……」
その顔がいつになく憎らしく思え、いつもならばここで罵詈雑言の一つでも吐き捨てる慶一朗だったが、それではいつもと代わり映えがしない、以前の己とは決別すると決めたはずだと改めて己の決意を思い出すと、さっき口付けられた手を己の顔の前に引き寄せて広い手の甲を舐める。
「Ⅲ度の熱傷深度は大変だ、早く手当てをしなければな」
「……っ!」
こんな星空の下で治療をする訳にもいかない、早くホテルに戻るぞと笑うと耳まで赤く染めたリアムが珍しく口の中で不明瞭な言葉を転がしケイさんのイジワルという言葉を吐き出すが、その後は慶一朗がどれ程呼びかけようが一切無視するように大股にホテルに向けて歩き出し、繋いだ手がそのままだったためにそれに引きずられるように慶一朗も早足でホテルへの道を歩くのだった。
ホテルの部屋のドアを開けて細い廊下に入った途端に我慢出来ないと言葉にする代わりに抱き上げられ、赤く染まる愛嬌のある顔を見下ろした慶一朗だったが、そこに滅多に見ないが確実に存在している男の顔を見いだし、ぞくりと背筋を震わせてしまう。
さっきは腰が抜けそうな程の表情を見せていた癖に、今はこちらを食い殺すつもりかと言いたくなるような獰猛な顔で見つめてくるリアムに精一杯の意地で目を細めた慶一朗は、火傷の治療をして欲しいんだろうと鼻の頭を触れ合わせながら囁くと、短い言葉を返されるがその声に籠もる熱に気付き、己が煽った結果だとは分かっているがこの後のことを考えるだけで身体の奥が熱を帯びてきたように感じ、ヤバいと事の発端になった言葉を呟いてしまう。
「……オペの準備をする、クランケは大人しく手術台で横になって待っていろ」
ちなみに今回のオペでは麻酔など使わないし代償は身体で払って貰うからなと、映画やフィクションの世界で良く見るマッドサイエンティストを彷彿とさせる顔で笑った慶一朗が下ろせと合図を送り、その言葉を聞き入れるだけの理性がまた残っているらしいリアムがそっと床に立たせると、良い子だと褒めるように髪にキスをした慶一朗がバスルームに向かいながら己の身体を包んでいるコートやシャツをその場に脱ぎ捨てていく。
「ケイさん、脱皮してるみたいだ」
「そうかも知れないな」
確かに古い己を脱ぎ捨てているのかもとバスルームのドアノブに手を掛けて肩越しに振り返った慶一朗がリアムの言葉にくすりと笑い、シャワー上がりに何か飲みたいとだけ告げてドアを閉め、これからの時間を楽しむための準備に掛かり、そんな細い背中を見送ったリアムが慶一朗の抜け殻をひとつずつ拾い上げてソファに纏め、己が贈った花束をテーブルに置くと希望を叶えるためにフロントにシャンパンを注文し、程なくして届けられるそれを受け取りながら一年ぶりに訪れた橋の上での告白を思い出して届けてくれたスタッフに一瞬だけ怪訝な表情を浮かべさせてしまう。
そんなスタッフに礼を言ってチップを手渡してシャンパンとグラスが載ったワゴンをテーブル横にまで運んだ時に己の右手が視界に入る。
互いの右手薬指に同じ日付を彫ったリングを嵌めるようになって半年、まだ半年とは思えない程あっという間に時間が経過したような気がするが、それでも二人一緒に足並みを揃えてここに辿り着いた結果がオーストラリアでは珍しくもない複合姓にするとの言葉で、その言葉を告げた時の慶一朗の顔も思い出すと思わず口元を手で覆ってしまう。
まさか慶一朗の口からドクター・フーバーへと姓を変えても良いかと問われるとは思ってもみなかったリアムにとってあの言葉は、まるで天上から降ってくる甘美な音楽にすら思えるものだった。
羞恥心が強くまた職場では己のプライベートを開陳することを良しとしない男が、姓を変えるという誰が見ても何があったのかが一目で分かる行為を行おうとしてくれているだけで満足なのに、その上ドクター・ユズがドクター・フーバーと同僚や患者から呼ばれるのかと呟くと、物心ついて以来何千回何万回とサインし口に出してきた己の姓の筈なのに奇妙な気恥ずかしさを覚えてしまう。
「……ヤバいな」
愛する人と同じ姓になる、その当たり前と言えば当たり前の現実を前に己でも呆れてしまいそうなほどの歓喜を覚え、口を覆っていた手で目元を覆い隠して顔を上に向けると、閉ざされた視界で微かな足音が聞こえた後に上気した肌の熱さとそれ以上の熱が己の腿に跨がり、目元を隠した手に何度も口付けられているような感覚を覚えてそっと手を持ち上げれば口の端を綺麗な角度に持ち上げた端正な顔が見えてきて。
「慶一朗」
「……何だ」
「うん……愛してる」
今まで何度も伝えてきた言葉だし常に心の中にあるその言葉だが、これからは一日に一度は伝えたいなと笑みを浮かべて強請ると、恥ずかしいけれどお前からの告白は嬉しいと笑われてしまい、己の腿を椅子代わりに座っている慶一朗の痩躯を抱きしめる。
「苦しいぞ、リアム」
「……ケイさんが悪いんだ」
「俺のせいか?」
「そう!」
そんな綺麗な顔でそんな事を言うあなたが悪いと、まるで数日前のリアムの実家での様子を彷彿とさせる声で小さく叫ばれ、まさかまた泣いているんじゃないだろうなと少しのイジワルさを込めて顔を覗き込むように距離を取らせると、そこに見えたのが子どもと大人の両方を併せ持った力強い笑みを湛えた男の顔で、その顔に再度息を呑んでしまう。
「もう泣かないと決めた」
あなたと約束したとおりもう泣かないと決めたと教えられ、決意を秘めた男の頭を胸に抱くように腕を回した慶一朗は、バスローブの後ろ襟を引き下げられて素肌が空調の風に触れたことに気付き、同じようにリアムが着ているシャツの裾に手を差し入れる。
「リアム」
「ん?」
互いの身体を覆っている服を脱がせあいながら秘め事を囁くような声でリアムを呼んだ慶一朗だったが、吐息で先を促されて見えた鎖骨に吸い付くように顔を寄せ、少しの痛みを覚える強さで吸い上げる。
「ッ……!」
「今日は俺がやる」
その言葉の真意が理解出来ずに一瞬目尻を赤く染めた顔を見上げるリアムににやりと笑った慶一朗が俺が主導権を握ると宣言すると、ああ、そういうことだったらいくらでもと余裕の顔で笑われてしまい、その余裕ぶった顔をいつまで見せられるだろうなと額をぶつけて笑うと、そういうあなたのその余裕もいつまで持つだろうなと返されてしまう。
至近距離でまるで睨み合うように見つめながらも吸い寄せられるように唇を重ね、互いの口内に舌を滑り込ませるとリアムが慶一朗の尻を掴んでいずれ入る中へと指を突き立てようとする。
「Nein.」
それ以上は今はダメだと笑って制止されてしまい、そういえばそうだったと肩を竦めた後は慶一朗に任せると伝えるように細い腰を抱くために手を持ち上げる。
「Good boy, リアム」
「俺はデュークじゃない」
今は親友達に預けているもう一人の大切な友人のジャーマン・シェパードではないと不満に口を尖らせるリアムに苦笑し、機嫌を直せと尖った唇にキスを繰り返すと次第に平坦になった後両端が楽しげに持ち上がる。
その顔を見下ろせることだけでも満足だったが、今日は己の思うようにさせて貰うと改めて宣言した慶一朗にリアムも邪魔はしませんと伝えるが、頼んでおいたシャンパンが温くなる前に飲もうと、己が頼んでおきながら失念していたような顔になる慶一朗に笑いかけ、フルートグラスにシャンパンを注いで乾杯の掛け声でグラスの澄んだ音を響かせるのだった。
己の前言通りに今夜は主導権を握って手放さないと教えるように慶一朗がいつもからは考えられない程の積極さを見せ、親友達と遊んでいるときでもどちらかと言えば受身であったことを思い出すと、この積極さが貴重なものの様に思えてくる。
今、己の腹に跨がり、好きな場所を好きなだけ突いては腰を震わせ喉を震わせている赤く染まる顔を見上げていると、慶一朗が思い描く予定調和の中に不協和音的なものをぶつけてみたくなり、身体を支えるためだけに添えていた手に力を込めてグッと引き寄せると途端に白い喉が曝け出される。
「ン……ッ……!」
いきなりなんだと快感に染まる双眸に睨まれて気持ちよさそうだったからと笑うと聞き分けのない子だと笑われ、慶一朗が気持ちよさそうな顔を見るのは好きだがどうせなら一緒に気持ち良くなりたいと苦笑交じりに告げ、腹の上に座らせたまま掛け声ひとつで起き上がると、途端繋がったままの場所に強い刺激が生まれたのか慶一朗が短く息を呑む。
「……ッ」
「……このままでも、良いな」
座ったまま抱き合うのも悪くないと笑うリアムの頭に腕を回して抱きしめると言うよりはしがみついているような慶一朗がその言葉に俺がすると不満を表明すると、リアムの手が慶一朗の勃っているものに添えられ、ビクリと細い腰が揺れる。
「ケイさんの誕生日だって言ったらエリーがプレゼントをくれたし」
「……ありがたいけど、何か悔しい」
慶一朗と別行動時にエリアスが手渡してくれたのは、今まさに慶一朗とこうして互いに気持ち良くなるために使うもので、オーストラリアでは見聞きしたことのないメーカーのジェルだのローションだのが袋に入れられていたのだ。
それを使い気持ち良さを増幅させてきた二人だったが、さすがに幼馴染みとは言えリアムのサイズまでは知らなかったようで、一緒に入れてくれていたコンドームを使うことは出来ず、仕方がないと言ったリアムが袋から取り出したそれを慶一朗の形を変え始めたものに被せ、これで好きなだけ出しても大丈夫だと、思わず何も返せなくなるようなことを笑顔で言い放ったのだ。
その結果を今リアムが大きな手の中に握り、前と後ろの刺激に慶一朗が時折強く身体を震わせているが、このままだと顔が見えないと、最早慶一朗に主導権を渡すつもりがないことが明らかな顔でぽつりと呟いた後、うんと突き抜けたような笑みを浮かべて慶一朗の細い背中をシーツに沈めて呆然と見張られる目を見下ろしながらにやりと笑う。
「リアム……っ!」
「ケイさんが気持ちよさそうな顔をずっとしてるから」
だから我慢出来なくなったしそろそろ交代だと笑うリアムに覚えた不満を吐き出そうと慶一朗が口を開けたその瞬間、抑えていたことを教えるように深い場所へとリアムが進み、突然のそれに慶一朗の身体が微かに痙攣する。
「……ッ……ァ!」
「自分で好きなところを擦るのも良いけど、これも悪くないだろ?」
いつもより深い場所を突かれて抑えられない痙攣が身体を襲うことに慶一朗が縋るように掴んだのは己の顔の横に突いている鍛えている腕で、手の甲に押しつけるように顔を寄せると嬉しそうな吐息がひとつ肌の上に落ちてくる。
その吐息に釣られて落とし主の顔を見上げると、獰猛さを押し隠しもしない男の顔とそんな凶暴さを内包しつつも際限なく優しい目で見つめられていることに気付き、抱き合う前にシャンパンを飲みながら何度も何度も囁かれた己の名と愛しているの言葉が脳裏に甦り、その時生まれた感情が脳から脊髄へと流れ落ち、そこから全身の神経に行き渡るのにそうそう時間を必要とはしなかった。
強烈な幸せは痛みを齎すものだとこの時初めて知った慶一朗は、その痛みを与える男の顔を真正面から見たいと強く願いそれを叶えるために名を呼ぶと、欲に塗れながらもキラキラと光るヘイゼルの双眸に見下ろされる。
双子の兄が星の研究をライフワークにしているが、それはどちらかと言えば物理学などに近いもののようで、彼の自宅にある大小様々な天体望遠鏡は恋人と一緒に月を見たり星を見るために使うと教えられた事を不意に思い出し、ああ、きっと数字で語られる世界では無く好きな人と同じ視覚で捉えられるものを楽しみたいのだろうと兄の行動の根源の一端を理解した瞬間、ヘイゼルの双眸に己以外のものが映り込む事への不快感が強烈に襲ってくる。
今まで自覚することの無かった独占欲に気付き、そんな事ではこの優しい男を苦しめてしまうと自嘲しかけたとき、こつんと額に額が重ねられ、窮屈な態勢に一瞬短く息を呑んでしまう。
「……慶一朗」
「な、んだ……?」
「何を考えた?」
その問いにどう返そうか逡巡するが、こんな態勢で羞恥も何もないこと、それに羞恥を感じて言葉を伝えない己とは決別するのだとの決意を思い出し、ハニーブロンドに腕を回して抱き寄せる。
「……俺以外、見るな……っ!」
ワガママだと分かっているし自分達は医者という職業のためにそんな事は不可能だと分かっているが、俺以外を見るなと繰り返すと、宥めるようなキスがこめかみや頬に落とされ、最後は唇をそっと塞がれてしまう。
「……ケイさんも、俺以外見ないで欲しいな」
唇が離れた後に悪戯っ子の顔で笑われるが胸に閊えた感情が邪魔をして言葉を出す事が出来ず、情けなさを覚えつつも何度もただ頷くと、言いたいことを理解していると言いたげな顔で頷かれ、胸のつかえが下りると同時に痛みが生まれてしまう。
その痛みを和らげることが出来るのがリアムだけだと今の慶一朗は知っている為、それをしてくれと伝えて愛嬌のある顔を見上げると嬉しそうな笑みが顔中に広がっていく。
今まで己が幸せだなどと感じた事の無い慶一朗だったが、全てを包み込んでくれる奇跡のような男と出会えたこと、こうして抱き合える時間は紛れもなく幸せだと気付き、それを与えてくれたリアムも同じ気持ちになってくれればと願いつつ、今は互いの腹に生まれた熱を解き放つために再び快感の海に飛び込もうと誘うように両足でリアムの身体を引き寄せると、満足そうな吐息がシーツに落とされ、その後は振り落とされないように広い背中を抱きしめることしか出来ないのだった。
散々快感の波に飲まれながら高い声を上げ続けたからか、リアムが満足した頃には慶一朗の意識は朦朧としている程で、慌ててタオルで身体を拭いたときには礼を言う気力も残っていないようだった。
だが、のろのろと持ち上がった手で枕をポンと叩かれてしまえば何を望んでいるのかを理解出来るため、そそくさと隣に潜り込んで掛布団を引き上げ汗ばむ髪ー短くなったからこれもまた新鮮だったーの下に腕を差し入れると、眠りに落ちる寸前の安堵の溜息がひとつ、シーツの上に滑り落ちる。
無理をさせたと思う反面積極的な顔を見られたことに感謝しつつ頬にキスをすると、気怠げに持ち上がった腕が腰に辿り着き、それが限界だと教えるように微かな寝息が聞こえてくる。
今日、別行動後に再会してからはただただ驚きばかりを経験したが、こうして穏やかに眠る慶一朗を抱きしめられる幸福をじわじわと噛みしめたリアムは、子どもは無理でも同じ姓になる事なら出来ると告白されたときのことを思い出し、ただ感謝の気持ちとさっきも伝えたが愛情だけが沸き起こってくることに気付く。
「……ダンケ、ケイさん」
あなたが変わると自らに決めたのなら俺も変わろうと内心でひっそりと呟いたリアムは、スーツケースに入れたまま取り出すことも出来ていなかった預かり物を明日実家に帰ったときに自分達を最も理解し受け入れてくれている両親達に預けようと決め、ドイツに到着して以来思い出すことが無かった男の顔を思い出すが、何故か満足そうな顔をしているように感じてその不思議を探る余裕がない顔で欠伸をひとつすると、考えることは明日でも出来ると苦笑し一足先に眠りに落ちた慶一朗を抱きしめながら目を閉じるのだった。
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