It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第10話 Life is Beautiful.
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 一年ぶりに訪れたゲートルートは記憶の中と変わらない賑やかさに包まれていて、窓際のテーブルに腰を下ろした二人が興味深げに店内を失礼にならない程度に見回し、自然と顔を寄せて今日も客で満席だなと笑いあうが、慶一朗が顔を上げるとリアムが視線を左右に彷徨わせてしまい、さっきからどうしたと何度目かのそのしぐさの後に慶一朗が頬杖を突きながら問いかける。 「……う、ん……」  ごめんと謝られてしまい何度目か分からない苦笑をこぼしたあと、ヘイと呼び掛けてヘイゼルの双眸を眼鏡越しに見据えた慶一朗は、Herr Entschuldigung.と二人にとっては懐かしさを誘発する呼びかけを再度すると、リアムの目じりが赤く染まる。 「……黙って髪を切った事が気に食わないのか?」  やや俯き加減のリアムに小さく溜息を吐いた慶一朗が罪悪感が滲みかけた声で問いかけると、ハニーブロンドの短い髪が勢いよく跳ね上がり、まさかと周囲に迷惑にならない程度の大きさの声がその言葉を否定する。 「なら、どうした?」 「……恥ずかしいからあまり言いたくなかったんだけどなぁ」  でもあなたにそんな誤解をさせてしまうのなら言ってしまおうと、慶一朗の疑問に答えるようで実は己の中での対話をしていることを伝えるような言葉をリアムがテーブルクロスの上に零した後、その笑顔を最も見ていて免疫もついているはずの慶一朗ですらぽかんと口をあけ放ってしまうほどの満面の笑みを浮かべ、破顔一笑。 「見惚れてしまって真っ直ぐ顔を見られなかった」  一体俺は何度あなたに見惚れてしまうんだろうなと、己の惚れっぽさに呆れているにしては突き抜けている笑みを浮かべて髪に手を当てるリアムの言葉に今度は慶一朗が視線を二度三度と左右に泳がせてしまう。 「ケイさん?」 「……何でもないっ!」  目の前で目尻を赤く染める慶一朗の様子からその言葉を額面通りに受け止める事など出来なかったが、自宅ならばまだしも人目の多いレストランでこれ以上その言葉について追及すれば、プレゼントするために用意をした花束も慶一朗ではなく店で飾ってくれと泣く泣く渡す羽目に陥るかも知れず、その恐怖からうんと頷いた時、頼んでいた料理とワインが運ばれてくる。  今夜は慶一朗の誕生日を二人で祝う為にここに来たのだ、羞恥からとはいえ睨み合うのではなくどうせならば笑顔で過ごしたいとの思いが二人同時に芽生えたらしく互いの顔に同じ表情を見出し、リアムが自然な動作でワインを注ぎ、それを受け取った慶一朗が顔の高さにグラスを掲げる。 「乾杯」  グラスの向こうで頬杖をつきながら乾杯と笑みを浮かべる慶一朗の顔に同じ笑顔で同じ言葉を返したリアムは、グラスの縁を軽く触れ合わせた後にワインに口を付けて知らず知らずのうちに覚えていたらしい渇きを少しだけ解消する。  料理はシェフのおすすめ料理を頼んだのだが、自宅や両親の家とは違って人目の多い場所ではいつものように一口目を食べさせることが出来ずに内心残念な気持ちになっていると、目の前の慶一朗がナイフとフォークを構えたまま小さく口を開け、リアムにだけ聞こえる声で先を強請ってくる。 「……ぁ」  その仕草と小さな声に全身の血が沸騰した錯覚に襲われたリアムだったが、理性をフル動員させた結果、何とか一切れだけ切り分けた料理を目の前にそっと差し出すとまるで自宅であるかのような自然さで慶一朗がそれを食べる。 「……美味いな」 「そ、うか……?」  ああ、お前も食ってみれば分かると笑われた後に同じように切り分けられた一切れを差し出され、素早く周囲を見回した後にそれと食べると慶一朗の言葉通りだと大きく頷く。 「これ、家で作れるか?」 「うん、この味の再現は無理だろうけど、ばあちゃんのレシピにあるんじゃないかな?」  明日ばあちゃんに会った時にレシピを聞いて家で作ろうかと笑うリアムに慶一朗が満足そうに頷き少しだけ照れたように周囲を見回すが、各テーブルで盛り上がっている人たちは周囲のテーブルの客の様子にまで気を配る余裕もないようで、自宅では当然の儀式について誰にも何も言われずに済んだと安堵の溜息を吐くが、リアムも同じように溜息を吐いた事に気付いてどうしたとその顔を見る。 「うん……まさかケイさんがここで食わせてくれるなんて思わなかったから」  何か嬉しいなと素直に頷かれてどう返そうかと悩んでしまうが、世界一のイケメンとデートをするからそれに相応しい髪にしてくれと美容師に頼み、肩の下まで伸びていた髪に入れられるハサミの音と髪がフロアに落ちる微かな音と共にいつまでも過去に怯える己や、誰よりも己を理解し守ってくれる男の隣に立つのに相応しくない己とも決別しようとの決意を思い出すと、ワイングラスを手にグラス越しに笑みを浮かべる。 「料理の一口目は俺に食わせてくれるんだろう?」 「……うん、そうだった」  俺が作る料理はもとよりこれから先色々な料理をそれこそ一緒にいる間は食べることが出来るだろう、そのどの料理も一口目を食べて欲しいと同じくワイングラスを片手にリアムが返すと、慶一朗が当然と言いたげに胸を張る。 「それにしても、思い切って髪を切ったなぁ」  その短さではもう毎朝の髪のセットをする必要は無いかと少しの寂しさを覚えている顔でリアムが笑うと、慶一朗が片目を閉じて頬杖を付く。 「髪が短くなっただけで毎朝のセットをしてくれなくなるのか?」 「まだセットして良いのか?」  その言葉にリアムが心底驚いたように目を丸くし、当たり前だろう、この半年以上お前に甘やかされてきたんだ、今更自分でやれと言われて出来ると思うのかと慶一朗が不満を表すように眼鏡の下で半目にすると慌てた様に首を左右に振る。 「これからも俺がする」 「よし。じゃあこれからも毎朝のロングブラックと仕事終わりのフラットホワイトは俺が淹れてやる」  だから職場でのティーブレイクはコーヒーではなく紅茶かもしくはお前の筋肉になるプロテインドリンクを飲めと肩を揺らす慶一朗の言葉にリアムが呆気に取られるが、ふ、と息を吐いてそのまま笑って肩を揺らし、うん、そうしようと片目を閉じる。 「そういえば明日、父さんがグラーシュを作ってくれるって言ってたな」 「それも楽しみだな」  でも今は目の前の料理を楽しもうと笑ってワインを飲み料理を食べ、空腹を満たすだけではなくそれ以上に満足できる時間を自宅とは違う賑やかな空間で過ごすのだった。  ゲートルートで不思議なほど満足できる時間を過ごし、その最中にいつ渡そうかと悩みつつもそのタイミングが訪れずに手元に置いたままの花束を片手に、片手はまるで手遊びを楽しむように繋いでは離れてすぐに戻って来る悪戯を繰り返す整った手に翻弄されてしまい、チラチラとその手の持ち主を見るが、そこに見出せるのは今の時間が楽しいと教えてくれるような表情だけだった。  自宅以外でのスキンシップを楽しんでいるような様子も旅先での特別感からくるものだろうかと考えるが、それにしてはゲートルートでの食事の時の様子を思い出すと、そうではないという小さな否定の声も聞こえてくる。  ゲートルートからホテルまでは徒歩で戻れる距離だったが、店を出る直前に慶一朗が告げたのは昨年も行ったあの橋に行きたいとの言葉で、リアムだけではなく慶一朗にとっても人生の岐路になった川に掛かる橋へと向かっていたのだ。 「やっぱり夜になると冷えてくるな」 「うん、そうだな」  雪が降っていないだけまだましかと星が瞬く夜空を見上げて苦笑するリアムに慶一朗も頷くが、目的地が見えてきた安堵に白い息を吐き、一年程度では何も変わらないかと述懐するが変わったのは俺の気持ちだなと眼鏡の下で目を伏せつつ手遊びをしていた大きな分厚い手をギュッと握ると、本当にどうしたと問いたいのを堪えているような顔で見つめられてしまう。  その疑問に答える前に欄干に手をついて握った手を口元に引き寄せると、ヘイゼルの双眸が夜目にもきらりと光り、天空で瞬く星が目の前に現れたかのような錯覚を覚えてしまう。  今までならばきっと気恥ずかしさから言葉にする事も態度に表すことも出来なかっただろうが、そんな情けない己とは髪を切った時に決別したことを思い出し、愛嬌もある世界一の男前の顔を両手で挟んで触れるだけのキスをする。 「!?」 「去年はここで俺たちの子供について話をしたな」 「う、うん……」 「でもその話は今は遠くにいってもらっている」 「そうだな」  一年前の同じ夜、この場所で自分達の人生にとって大きな節目について話をしたが、年が明けて少し経った頃に巻き込まれた事件の結果、その節目は慶一朗の言う通り二人の手の届かない場所でいつか訪れるかもしれない出番を待ってもらっているのだ。  それを思い出すだけでどちらの胸も軋んでしまうが、それを堪えつつ驚く顔にやっと浮かべることが出来るようになってきた穏やかな笑みで呼びかけると、掠れた声がうんと返事をしてくれる。 「あの事を思い出すだけでもまだまだ苦しいし夢に見ることもある」 「うん、そうだな」  事件から半年以上が経過したが、それでもまだまだ半年という短い時間の為に夢に見てしまっては悲鳴を上げて飛び起きてしまう事もたびたびあった。  それを思えば今こうして穏やかに笑えるようになったのも、すべてはあの時も今も一緒にいて己を支えてくれるリアムという奇跡のような男のおかげだと胸の内でのみ呟くと、何かを探るように顔の高さに持ち上げられる大きな手を視線で追いかけるだけでその先を許すように目を閉じる。  程なくして触れる温もりに知らず知らずに安堵の息を零すと手に力が込められた為、小さく笑みを浮かべて掌に頬を押し当てるように頭を傾ける。 「……こうして笑えるようになったのはお前のおかげだ、リアム」  お前がいつもどんな時も支えてくれた、だからこうして今も一緒に笑っていられるんだと目を開けて真っ直ぐに愛する男を見つめると、恥ずかしさと自慢が少し赤く染まる顔に浮かび、その顔に自然と笑みが深くなるが、次いで聞こえてきた否定の言葉に眼鏡の下で目を見張ってしまう。 「それは違う、ケイさん」 「リアム?」 「確かに俺の力もあるかも知れないけど、それはケイさんが努力したからだ」  今振り返るだけでも胸が痛むようなあの辛く苦しい日々、事件に囚われ続ける事が嫌で前を向いて歩き出そうと立ち上がり、その一歩をあなたが踏み出してくれたから今こうして笑っていられるんだと、心の底からの言葉に慶一朗の羞恥の許容量がオーバーしてしまい視線を二度三度と左右に泳がせてしまうが、今日もそうだと続けられて恐る恐るその顔を見ると、何を考えているのかはまだ分からないけれど変わりたいと思った結果、事件以来行く事のなかった美容室で髪を切って来たのだろうと問われ、素直に頷くとそれも誉めるように頬を大きな手で撫でられる。 「どれだけ辛くても前を向いてくれる。一緒に歩いてくれる」  そんなあなただからまた惚れてしまったとゲートルートで見せた笑顔を彷彿とさせる顔で笑われてしまい、首筋にまで熱を感じる程顔を赤く染めてしまう。 「そんなケイさんに、渡したかった」  今日別行動をしている時に見かけたのだが受け取ってくれると嬉しいとはにかんだような笑みを浮かべたリアムが見せたのはベルベットを想起させる黒に近い赤いバラの花束で、ホテルで渡そうかと思ったけれど別行動を自ら選択する勇気を見せてくれたあなたにとの言葉を添えて慶一朗の前にそっと差し出す。 「……ばあちゃんかマムに渡すんじゃないのか?」 「まさか! これはケイさんに」  二人には帰省して顔を見せるだけで十分なはずだと笑うリアムに呆気に取られた慶一朗だったが、差し出される花束をそっと受け取ったかと思うと、花の色が移ったかのように赤く染まった顔で小さく頷く。 「ダンケ、リアム」  自宅にあるプロポーズで渡した青いバラに次いでこの花も大切にしたいなと笑うが、リアムの匂いに全身が包まれた事に気付いて目を瞬かせてしまう。 「リアム?」 「……本当、今までずっと頑張ってくれたから、こうして一緒にいられる」  それが何よりも嬉しいと小さく鼻を啜る音が耳の後ろで聞こえ、貰ったばかりの花束を落とさないように気を付けつつ広い背中を片手で抱きしめて頬に口を寄せる。 「俺が頑張った結果なんだな?」 「うん」 「じゃあ……」  泣くのではなく笑顔で褒めてくれと少しの茶目っ気を込めて囁くと、顔をよく見ようとリアムが距離を取って覗き込んでくる。  その顔がルカたちに預けてきたデュークを思い出させてついくすくすと笑ってしまうが、驚いたように目を見張るリアムの鼻をギュッと抓むと、痛いと言う小さな悲鳴が流れ出す。 「お前の泣き顔も悪くない。でもお前に相応しいのは笑顔だ」  人の心臓を鷲掴みにするような泣き顔ではなく、心臓を握る結果は同じだが全く意味の違うさっき見せてくれた極上の笑顔を見せて欲しいと素直に強請ると、リアムが短く息を飲んだ後咳ばらいをする。 「……うん」  その素直さが慶一朗にとっては眩しくて直視するのも難しかったが、己の希望を叶えてくれるのだから己も今日後ろ髪と決別した時にもう一つ思い浮かべた言葉を伝えようと決め、笑みの形になっている唇に二度目の触れるだけのキスをする。 「俺と本当に家族にならないか、リアム」 「ケイさん……?」  慶一朗が穏やかな声で囁く言葉の真意が全く理解出来ずに思わず己と慶一朗の右手を交互に見つめたリアムだったが、そういう意味じゃないと苦笑されて先を強請るように見つめると、その右手を掴まれて口の前に運ばれて光るリングにキスをされる。 「ばあちゃんやダッドやマムが俺を本当の家族のように思ってくれていることが嬉しかった」  先日、お前の実家で年甲斐もなく大泣きしてしまった己に対し、今まで不必要な苦労をしてきた事やもう一人ではない事を教えてくれた優しく温かなお前の家族に俺も入れてもらえたことが嬉しかったと告白すると、リアムが当然だと言いたげに頷き、それに小さくうんと返した慶一朗は、だったら名前も同じものにして本当に家族になりたいと思ったと続けるとリアムが震える手で口元を覆う。 「お前の遺伝子を受け継ぐ子供を俺は産むことは出来ない。でも、お前と同じ名前を名乗る事は出来る」  結婚式を挙げた時にはまだまだ実感も想像も出来なかったが、どんなに辛いことがあっても家族の絆で乗り越え、それが途切れることも無く今も続けられる強い家族に俺も含めてもらえたことが本当に嬉しいと笑うと、堪えきれないと言いたげにリアムが腕を伸ばして再度慶一朗を抱きしめる。 「ケイさん……っ!」 「……でも、俺の家族であるソウとの縁は……切りたくない」 「……っ、う、ん、当然だ」 「ああ……だから、オーストラリアでは認められている複合姓にしないか?」  微かに震える背中を片手で抱きしめ、お前の家族の名前に良かったら俺と双子の兄の総一朗の絆を物理的に示す名前を入れてくれないかと囁くと、当たり前だと強い口調で返されてしまう。 「具体的にどんな姓にするかはまだ考えていない」  オーストラリアに戻ってから手続きをする事になるからまだまだ先のことになるかも知れないが、職場で俺の呼び方がドクター・ユズからドクター・フーバーになっても良いかと、その未来がただただ明るいものだと信じて疑わない声で問いかけると、返事の代わりに体が痛みを覚える程抱きしめられる。  慶一朗の言葉に幾重にも込められた思いの全てを感じ取るのは無理だったが、それでもその中でも感じ取った言葉を疑問という形で口にすると、お前には泣くなと言ったのだから俺もいつまでも恥ずかしいだのと言っていられないだろうと返されてしまい、ついさっきの約束を破りそうになるのを必死で堪え、額と額を重ねて口の端を持ち上げる。 「ドクター・ユズからドクター・フーバーか」 「ダメか?」 「まさか! 皆驚くだろうな」  たった今聞かされた己が驚いたように、祖母も両親も、そして職場の気の合う仲間たちもきっと飛び上がって驚くぞと笑うリアムに釣られて慶一朗も笑い声をあげ、また一つ自分達の人生で大きな節目が来たなと感慨深い声で囁きながらリアムの腰に腕を回すと同じように腰に腕が回って安堵の息を吐く。 「――世界一強くて優しい王子様、俺に兄以外の家族をくれてありがとう」  世界は独りだと思っていた己の意識を変えるだけではなく、物心両面で家族という温もりを教えてくれてありがとうといつになく素直に礼を言いつつキルト地のコートの下に隠れている分厚い胸板に頭をこつんとぶつけると、言葉ではなく優しい手が以前のように短くなった髪を撫でてくれ、唐突にこんな寒空の下で抱き合うのではなく、お気に入りになっているホテルの部屋で誰にも邪魔をされることなく心身が満足するまで抱き合おうと囁きかけると、今度もまた言葉ではなく抱きしめる腕の力が強くなる。 「帰るぞ、王子様」  ここではお前の肌に直接触れることも抱き上げてもらう事も出来ないと笑って歩き出すと慌てた様にリアムもついてくるが、慶一朗が顔をも見ずに後ろへと手を伸ばした事に気付き、満面の笑みを浮かべたリアムがその手をしっかりと繋ぎ、他愛もない言葉を交わしながら二人ホテルに戻る道を歩くのだった。    そんな二人を、ドイツに帰国しない限りはなかなか見ることのできない北半球の冬の星々が見下ろしているのだった。       
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  どうせなら、同じラストネームにならないか?
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