It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第10話 Life is Beautiful.
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 必ず来るとリアムの両親と祖母に約束をしたその日の朝は、シドニーにいた数日前を思えば信じられない程の暗さで、ここがドイツという高緯度の地域である事を実感させてくれていた。  前夜にエリアスとアグネスとの再会を楽しみにしていた二人だったが、アグネスの体調が思わしくない事から今夜は来る事が出来なかったと教えられて残念だと見るからに肩を落としたリアムだったが、体調不良の原因を教えられてからは逆に終始顔がにやつくほどの上機嫌になっていた。  そんな楽しい時間の中に楽しいことだけでは生きていけないと教えるような情報も飛び込んできたが、それでも昨夜を思い返せば楽しかったという感想しか出てこない時間を送ることが出来たのだ。  その余韻をほんの少し残しながら目を覚ました慶一朗は、寝返りを打った時に触れる温もりがないことに気付き、ベッドサイドの時計を確かめてその理由に納得してしまう。  ベッドがある部屋から窓は遠いが、それでもまだ暗さを感じる朝、昨夜はほろ酔いのままベッドに入ったリアムが既に起き出していたのだ。  旅先という非日常の真っ只中にいるのに日常と何ら変わらない時間に目を覚ますのは勿体ないと思わないのかと、リアムにとっては理解に苦しむことを思い浮かべつつのそのそと起き上がり、肌寒さを感じて身震いをひとつ。  ああ、こんな寒さの時にはデュークをハグすればきっと暖かいのだろうなと、長期不在の時には兄弟犬がいるルカに預けることにしている犬の姿をした親友の温もりを思い出しつつ、足下に畳んでおいてあったナイトガウンをたぐり寄せて羽織ると、伸びをした後にベッドから降り立つ。 「リアム、王子様、何処だ?」 「ここだ」  朝から聞くには心地よい明朗な声が居場所を教えてくれた為にソファとテレビがある部屋に向かうと、カーテンを開けてもまだまだ暗いなと笑いながら振り返るリアムがソファでスマホ片手に座っていて、その足に跨がり髭に覆われている顎を指先でつるりと撫でて頬にキスをする。 「おはよう」 「うん、おはよう」  昨日は楽しい酒だったから飲み過ぎた気もするけれど二日酔いになっていないということは問題なかったということだなと、慶一朗の頬におはようのキスを返したリアムが朝一番に見るには最高の笑みを浮かべると、慶一朗が小さく欠伸をしつつそうだなと頷く。 「今日は何時頃に家に行こうか」 「ランチ営業が終わってからの方が良いんじゃ無いか?」 「そうだなぁ」  でもその前にと言葉を切ったリアムが慶一朗に腹は減っていないかと問いかけ、己の薄い腹を見下ろした慶一朗が減ったと素直に呟く。 「朝飯を食いに行こう」 「昨日入ったカフェに行くのか? それともホテルで食うのか?」  そんな会話を続けつつ慶一朗が開け放たれたカーテンの向こうに見える双塔のシルエットに目を細めるが、リアムの手元から着信音が流れ出したことに気付いて二人同時に視線を手元に落とす。 「ハロ」 『おはよう、リアム。もう起きていたかい?』  電話の主はクララで、おはようと挨拶をして来た為リアムも笑顔で返すが、少し待ってくれと告げてスピーカーに切り替える。 「ばあちゃん、おはよう」 『おはよう、ケイ。あんたも起きてるんだね』 「ああ。昨日エリアスと一緒にリアムが飲み過ぎたけど、二日酔いにはなってないって」  つい先ほど仕入れたばかりの情報を暴露した慶一朗をリアムが上目遣いに睨むが、そんな視線にも負けずに今日はそっちに行くと同じく笑顔で伝えると、電話の向こうにも笑顔が広がったような気配が伝わってくる。 『今日は久しぶりに店に出るつもりだから、それが終わったら一緒にランチを食べないかい?』  クララからの彼女にとっては早朝の電話の理由が語られ、二人の孫が色の違う目を見つめ合わせた後、心身の距離が近いことを教えるように同時に返事をする。 「もちろん、食う!」  異口同音にクララとのランチを楽しみにしている事を伝えた二人の孫だったが、昨日ほろ酔いのエリアスから聞かされた話を他の家族にも伝えたいとリアムが口調を少しだけ改めて伝えると、深刻な話かと返されて苦笑する。 「深刻だけど、うん、きっと大丈夫だ」  事情を全く分かっていないクララが不安そうに問いかけるのに笑顔で返したリアムの頬を良くできましたと教師が褒める顔で慶一朗が撫でてキスをし、腹の虫を宥める為にはさすがにナイトガウン姿で部屋から出ることは出来ないと気付いて足の上から降り立ち、クローゼットにリアムが吊るしてくれてある己のセーターと細身のデニムを引っ張り出す。  昨夜、エリアスと一緒に飲んだ時に聞かされた話は喜び8割複雑な気持ち2割というものだった。  喜びに関しては諸手を挙げて祝福できるもので、今日にまでアルコールが残っていない最大の要因となっていたが、残りの2割が思い出すと同時に表情が薄くなりそうな事だった。  それは、エリアスの両親が正式に離婚の手続きに入ったというものだった。  ドイツでの離婚には何かと時間が掛かると聞いた覚えがあった為に漸く離婚できたのかと思っていたが、離婚に必要な諸条件が漸く揃っただけで手続き上はこれかららしく、何かと忙しいが幸いなことに父親が全面的に協力してくれている事、法的な手続きに関しても息子夫婦に一任している事を知り、リアムと思わず顔を見合わせたのだ。  一年前にここに来た時に遭遇した時には人の話など聞き入れない、己が正しいのだと言いたげな男だと感じたのだが、そんな彼が己の妻との離婚について息子夫婦に一任するなんてと驚いてしまっていたが、もしかするとそれが彼なりの贖罪なのかもしれないと気付き、そうか、何かと忙しいと思うが無理をするなとだけ返したのだ。  クララとリアムが今日の予定について話をしている姿をクローゼットのミラー越しに視界に納めた慶一朗は、話題について気になりつつも手早く着替えを済ませようとナイトガウンを脱いでデニムに足を突っ込みざっくりとしたセーターを着てバスルームに入ると、遠くに聞こえるリアムの珍しい感じの笑い声を聞きながら外に出ても恥ずかしくないように身なりを整えるのだった。  クララからの電話で約束したようにランチを一緒に食べる為に電車に乗ってリアムの実家に向かっていた二人だったが、電車の中で話していたのは前夜の話題だった。  エリアスの両親が離婚の手続きに入った事は既定路線とは言えやはり様々な感情を抱かせる出来事だったようで、少し考えこむ様子に気付いた慶一朗が昨日も伝えた言葉をなるべく冷酷に聞こえないように気を配りつつ口にする。 「その決断は彼女のものだ」 「……うん」 「じゃあお前がするべきことは彼女の決断を見守ること、そして彼女の息子が困っていれば助けることじゃないか?」  幼馴染みの両親の離婚の一端に己の言動が関わっているのではと言う危惧があるのは分かるが、お前のその心配は杞憂だと思うぞと神妙な面持ちのリアムに肩を竦め、お前は優しい、でもその優しさでお前自身を縛り付けるなと続けると窓枠に肘をついて窓の反射越しにその顔を見つめるが、脳裏には少し前に聞いたときには特に何の感慨も抱かなかったが日が経つにつれ言葉の重みを感じるようになってきた、お前はお前の人生を生きているのかという言葉が過っていて、それをそっと口にすると短く息を呑む様な音が聞こえた後、腿の上でそっと手を握りしめられる。  幼いリアムの世話を必要最低限しか行わないどころか虐待だと今では思われることをリアムに行い、独り立ち出来ると分かった途端に家を出て音信不通になったが、その命が終わりを迎える直前に再会した男の言葉を思い出したらしく、慶一朗の肩にそっと頭を預けるリアムの頭ではなく手をしっかりと抱きしめーああ、これが自宅や第三者の視線が無い所ならばその頭を抱きしめてやれるのにー、お前がお前の人生を生きているように、彼女もこれからは彼女の人生を生きていく、その中で元夫や息子夫婦、そしてその夫婦の歴史を受け継いでいく子ども達との関係が出来るだろうが、それもきっと彼女の人生だとある感慨を込めて囁くと、うんという納得の声が聞こえてくる。 「そうだな」 「ああ……いつだったか同じ列車に乗っている人の幸せを願っていたことがあったが、そんなお前だから気になるかも知れないな」  本当に優しい王子様、お前の両親や祖母がお前の決断に反対すること無く認めて受け入れてくれるように幼馴染みの母親の決断も静かに見守ってやろうと珍しく真摯に慶一朗が言葉を伝える労力を厭わずにいると、その気持ちがしっかり伝わったのかリアムが顔を上げて眩しそうな笑みを顔中に広げる。 「ダンケ、ケイさん」 「ああ」  お前のその顔を見られるだけですべての苦労が昇華できると笑う慶一朗の言葉が聞こえなかったのか、何だってと問われて咄嗟に何でもないと返すが、どうやらその気持ちは顔にも出ていたようで、本当に素直じゃないよなぁと感心するように呟かれて一瞬で頬に熱を覚えた慶一朗がいつもの言葉を口に出そうとした瞬間、重なっている手に力がこもり、たった今まで優しく見つめていたヘイゼルの双眸に教師を彷彿とさせる険しさが浮かぶ。  その力強さと真っ直ぐさに太刀打ちなど出来るはずのない慶一朗が視線を二度三度と左右に揺らした後、重ねられているリアムの右手薬指の誓いのリングを撫でて今度は逆に逞しいその肩に軽く頭を預ける。  自宅での謝罪方法がとれない為に許してくれと願いつつ軽く目を伏せると、まるですべての感情を読み取っているかのような優しい手が手の甲を撫でてくれる。 「……ばあちゃん、ランチで何を食わせてくれるんだろうな」  素直に謝罪することも羞恥のあまりスキンシップを取る事も出来ない己を呆れるでも嘲るでもなくありのまま受け入れ、更に理解してくれるこの世にただ一人の男の肩に頭を預けて照れ隠しだとバレても構わない気持ちでそっと囁くと、それすらも見抜いているような声がうん、なんだろうなと付き合ってくれる。  さっきも言ったがその優しさで自縄自縛にならなければ良いと胸中で呟くと、小さなそれでも強い声がうん、大丈夫と返してきて。 「……ああ」  どうしても物事を悲観的に考えてしまう癖はまだ抜けないが、それでもきっと一緒にいれば大丈夫と思えるリアムの手の温もりにそのまま目を閉じ、電車の揺れが心地よかったからと言い訳してしまう程あっという間に眠りに落ちてしまうのだった。  リアムに肩を揺らされて目を覚まし、下りるぞと笑われて眠い目を眼鏡の下で瞬かせた慶一朗だったが、何とかプラットフォームに降り立った瞬間、連続してくしゃみをしてしまう。 「Gesundheit.」 「Danke.」  くしゃみに対する気遣いに礼を言いながら駅を出るが、途端に吹き付ける風に身体を震わせた慶一朗は、隣で己よりも薄手のキルティングのコートを着ているだけのリアムが寒さを感じていない顔をしている事に気付き、やはり筋肉があると暑いのかと瞼を平らにしてしまう。 「そうだなぁ、ケイさんよりは体温が高いからなぁ」  そもそもアジア系の人達よりも基礎体温が高いはずだからと嘯く横顔に舌打ちをした後、このマッチョめと最早悪口でも何でも無い事実確認のような言葉を吐き捨ててリアムを残してずんずんと歩き出す。 「ケーイさーん」 「うるさい」  そんな声を出すなら早く横に来いと足を止めて身体半分だけで振り返った慶一朗の顔に浮かんでいるのがいつもの笑みだと気付いたリアムが大股に駆け寄ったかと思うと、遠くに見えてきた実家ではランチタイムの営業が終わった事を教えるように窓に木戸が嵌められていくのが見える。 「……家が見えてきたら腹が減ってきた」 「うん、そうだな」  いつまで経っても俺たちは学生かと、同級生の両親に暖かく出迎えられていた当時の様子を思い出したらしいリアムの横顔に穏やかな笑みが浮かび、それを見た慶一朗にも同じ笑みが浮かぶとどちらからともなくそっと手を伸ばして小指だけの最小限の繋がり方でスキンシップを図る。 「ダーッド!」  木戸を嵌めている広い背中に慶一朗が笑顔で呼びかけ、慌てて振り返るマリウスに手を挙げると、大きく頷かれて家の方に回れと合図を送られる。  その合図に従って店の裏手にある玄関へと向かうと、クララがドアを開けて出迎えてくれたため、まずはリアムがハグとキスをし、次いで慶一朗もそっと抱きしめてキスをする。 「ばあちゃん、腹が減った」  二人の孫が異口同音に空腹を訴える様子に呆気に取られたクララだったが、その顔がシドニーから帰国する数日前から見られるようになった明るいものだと気付き、今日はアイスバインを作ったと教えられてリアムが口笛を吹き、慶一朗は食ったことが無いと素直に告白する。 「そうかい、じゃあランチでお腹いっぱいになるまで食べれば良いよ」  店もちょうど閉めて今フリーダが用意をしているからと、二人の孫の間に挟まれてまるで連行される宇宙人のようになってしまったクララだったが、その様子を厨房でランチの用意をしていた娘に見られ、小さく吹き出した後に何があったと戻ってきたマリウスに説明をし、娘夫婦にも笑われてしまうのだった。  クララが用意してくれたアイスバインは二人を大層喜ばせる量と味で、珍しく慶一朗がもう何も入らないと言ってベンチソファに横臥するほど食べてしまうものだった。 「良く食べたねぇ」  シドニーにばあちゃんが行った頃は本当に食べないから心配したのにと、片付けを率先して手伝うリアムに悪いと目で合図を送った後、クララの言葉に苦笑して起き上がる。 「ばあちゃん、この料理ってリアムにも作れるか?」 「ああ、作れるよ」  時間を掛けて煮込むだけだから大丈夫と太鼓判を押してくれる祖母に笑顔で頷いた慶一朗は、もう少し落ち着いたらコーヒーを淹れると宣言し、皆から感謝の言葉を告げられてはにかんだ笑みを浮かべてテーブルで頬杖をつく。 「どうしたんだい?」 「……一昨日、もっとゆっくりドライブしたかった」 「まだ言ってるのかい?」  ばあちゃんはあの時本当に楽しかったよと、慶一朗の柔らかな髪をそっと撫でて安心させるように頷いた慶一朗だったが、次いで聞こえてきた言葉に頬を支えていた手から顔を滑り落としてしまう。 「明日はリアムと誕生日祝いでゲートルートに行くんだろう?」 「……っ!」  ばあちゃん、どうしてそれを知っていると、思い当たる理由などひとつしか無いのに疑問を発した慶一朗にクララが眉を寄せて少しだけ険しい顔で、本当にどうして明日が誕生日だと言わなかったんだいと、まるで叱るときのように睨まれてしまう。  リアムと共通する視線の強さにあぁだのうぅだのと意味の無い言葉を発した慶一朗は、洗い物を終えたらしい手をティータオルで拭きながら戻ってきたリアムを見て何かを閃き、ホテルで聞いたことのない類いの笑い声を上げていた気がしたがこれのことかとリアムを睨み付けるとにやりと笑い返されてしまう。 「黙っていろと言ったのに……!」 「諦めろ、ケイさん」  恥ずかしいから己の誕生日だと言うなとシドニーを発つときにもここに来る時にも釘を刺されたが、俺はサプライズが下手なんだ、だから諦めてくれと朗らかに笑われ、既にクララから事情を聞いていたらしいマリウスとフリーダにもそうよと似たり寄ったりの顔で睨まれてしまう。  フーバーという姓を持つ男女に笑顔で睨まれ、逃げ場がないことを悟った慶一朗の口から、ああ、くそ、だから嫌なんだという言葉が掠れて零れ落ちるが、呟いた端正な顔は驚くほど赤く染まっていて、心の底から羞恥を覚えている事に気付いたリアムがそっとその横に立つと、悔し紛れに腰を殴られる。 「痛い痛い」 「嘘を吐け!」  お前の身体はどれだけ殴っても痛みなど感じない程筋肉があるだろうと、お前は本当に医者かと思うような言葉を吐き捨てる慶一朗の顔はロブスターのように真っ赤で、ああ、珍しいものが見れたと内心呟いたリアムだったが、これ以上揶揄うと感情という堤防が危険な水域に達することに気付き、そっとその背中を抱きしめて宥めるように何度も撫でる。 「さっきも言ったけど、諦めろ、ケイさん」 「……っ!」  リアムのその宥めるよりは優しい言葉に息を呑んだ慶一朗だったが、脳裏に浮かんでいたのは諦めるとの言葉が否が応でも引きずり出してきた過去だった。  人形と同じ扱いを受け、ただ生命維持のために何かを食べさせられては排泄するという行為を繰り返していた頃、全ての感情の頂点にあったのは諦めという感情だった。  いつかここから出られる。  いつかここに誰かが来て抱きしめてくれる。  そんなささやかな願いすら諦めて生きていた慶一朗だったが、たった今愛する男が口にした諦めろとの言葉の色や明るさが己が知っているものとはかけ離れているように感じ、鍛えている為に柔らかさがない腹に顔を押しつけて背中をきつく握りしめる。 「どうして黙っていたの?」  帰る前に話をしていてくれれば誕生日の料理ぐらい作ったのにと、息子の腹に顔を押しつけている慶一朗に仕方がないと溜息を吐いたフリーダにマリウスが本当にそうだと同意をするが、その声も表情も穏やかなもので呆れなど一切感じる事は出来なかった。  だから恐る恐る顔を上げると褒めるようにリアムが目を細めて額にキスをし、ケイさんが黙っていてくれと言ったけど俺が皆と祝いたいと言ったと真相を教えてくれる。 「……恥ずかしいから、嫌だったのにな……」 「うん。でも諦めろケイさん。ばあちゃんも父さんも母さんも一緒にケイさんの誕生日を祝いたいって思ってる」  俺は明日ゲートルートでバースデーディナーを予約してあると朗らかに笑うリアムに何も言えずに呆然と見上げてしまうが、一人羞恥から立腹しているおかしさに気付いたのか腕で目元をぐいと拭ったかと思うと、腰を下ろしていたベンチテーブルから立ち上がって厨房に駆け込んでシンクに頭を突っ込んで水を浴び始める。 「ケイさん、水浴びをしてるデュークみたいだ」 「うるさいっ!」  頭から水を浴びて顔の火照りを何とか鎮めた慶一朗は、リアムの前に戻ってくると肩に引っかけられているタオルを掴んで無造作に顔と髪を拭く。 「明日は美味しいものを食べてくるんだろうけど、明後日にまたうちに帰ってこい」  その時にはお前が食いたい料理を作ってやると、リアムに負けず劣らずの太い腕を組んだマリウスがにやりと笑い、その横でフリーダがその太い腕に手を回してしがみつきながら美味しいコーヒーを淹れてくれるだろうから美味しいケーキを焼いてあげるわと笑い、同じ顔でクララが無言で頷く。  極論すれば息子の同性の伴侶というだけの己にどうしてここまで優しいんだという、このフーバー家の人達に囲まれているといつも芽生える疑問が胸の奥に生まれるが、隣のリアムを見ると慶一朗が愛して止まない愛嬌のある顔に笑みを浮かべていて、ああ、本当にサプライズが下手だと照れ隠しのように呟いてしまう。 「え?」 「何でも無い……ダッド、リアムが時々作ってくれるグラーシュがあるんだけど、それが食いたい」 「グラーシュだな?」 「うん。ケーキは……ばあちゃんのプファンクーヘンを何枚も重ねて間にクリームを挟んだのが良い」  慶一朗が自宅にいるときのようにリアムの腰に腕を回しながらリクエストをしたのは、シドニーの自宅で二人で何度も食べたことのある料理で、バースデーケーキは一度食べてみたいと思っていたものだった。  慶一朗のリクエストが長年居酒屋を経営している家族にとっては特別手間の掛かる料理ではないと気付き、本当にそんなものでいいのかとクララがもっと何か欲しいものは無いのか慶一朗を見上げると、顔の前で慶一朗が立てた人差し指を左右に振る。 「Non、ばあちゃん。……そんなものじゃない、それが良いんだ」  だから謙ってそんなものと言わずにそれを俺に食わせて欲しいと片目を閉じると、一瞬呆気に取られたクララだったが、次いで小さく吹き出し、その笑いが慶一朗を中心に家族の間に広がっていく。  そうして一頻り笑いの波が落ち着いた頃、慶一朗も漸く羞恥から立ち直ったらしく、今日は天気が良いから外の菩提樹の下でコーヒーを飲まないかと誘いかけ、一斉に飲むと返事をされて今日一番の笑みを浮かべて頷くと、その笑顔を生み出してくれる己の伴侶に手伝ってくれと告げて二人で厨房に入るのだった。  家族揃ってのランチタイムは振り返ればあっという間に忘れ去ってしまいそうな平凡なものだったが、それでも皆の胸の中にしっかりと刻まれるもので、夜の営業準備に取りかかる両親と、店を手伝ってくれている二人の女性に挨拶をしたリアムと慶一朗は、明日は無理だけど明後日にまた帰ってくると約束の言葉とキスを残し、先日に引き続きまた羞恥を覚えさせられたと顔を見合わせて笑いながらホテルに戻っていくのだった。     
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  諦めろ。ケイさん。
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