It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第10話 Life is Beautiful.
13
 夕方から降り始めた雨は徐々に雨脚を弱めて今では窓や屋根を静かに濡らすだけになっていたが、その屋根の下では鍛えている体を気恥ずかしさから小さくしているこの家のひとり息子と、その隣では叫び続けた喉が今になって痛みを訴えている為にロクに言葉を発することが出来なくなっているその伴侶が、心配と不安と落ち着いたらしい安堵に胸を撫で下ろした祖母と両親に見守られながら用意されていた料理を食べ終え、夜も遅い時間だからコーヒーではなくハーブティーを飲んでいた。  雨のおかげで客足も疎らだった為に早々に閉店した店の中は時折外を通る車の音や人の足音が微かに聞こえるだけで、テーブルを囲んでいる者達の口からはぽつりぽつりとした言葉が思い出したように零れ落ちるだけだった。  静かだが決して居心地は悪くない不思議と穏やかな時間の中、ハーブティーを飲んで喉の痛みが少し治まったらしい慶一朗がカップを両手で包んでくるくると回転させながら口を開く。 「心配かけて悪かった」  それに、本当ならばばあちゃんやリアムと一緒にドライブをして観光をしてくるつもりだったのにと、数時間前の出来事を思い出して顔を伏せる慶一朗の肩をリアムが抱き寄せ、そんな二人を三人が顔を見合わせて困惑を見出すが、あんたさえ良ければ教えてくれとクララが最年長者の責務だと言いたげな顔で口を開く。 「あのカフェにいたのは、あれは……」  湖畔の居心地の良さそうなカフェで声を掛けていたあの男は一体誰だと、いくつかの回答を己の中に用意した顔でクララが問いかけ、慶一朗の手がマグカップから離れて軽く組み合わされるのを見守っているが、掠れた声が教えてくれた事実に言葉を無くしてしまう。 「あれは、……俺の、……父、だ」  Mein Fater.という単語を口に出すだけでも力を要するのか、時間をかけて言葉を区切りながら伝えたのは、オーストラリアに移住してからは一度も会ったことが無い己の父だとの言葉だったが、さっきも慶一朗を抱きしめている時に己の父だと口にしたのを思い出したリアムが肩を抱く腕に力を込めてしまう。  今まで慶一朗が己の家族を紹介するときは双子の兄の総一朗としか言わず、戸籍や心理的なものは別にして物理的に絶対に存在する両親については双子の兄の両親という婉曲した表現でしか表してこなかった。  その婉曲した表現が慶一朗と家族との心理的な距離感を表している事に気付いている為にリアムはそのことについては何も言わず、慶一朗が伝えたいままを受け止めていたのだが、それがここに来て直截的な表現になった事にさっきも驚いたが今もまた驚いて目を見張ってしまっていた。  今、軽く顔を伏せながらそう告げた慶一朗の胸に何が去来しているのかなどまで察することは出来ないが、何かしらのけじめなり区切りが付けられたのだと気付き、そっと名を呼んで眼鏡の下の目を覗き込む。 「ケイさん……」  リアムが名を呼んだ後に続けようと思った言葉を先読みしたのか、それとも己に話をさせろと言いたいのか、リアムの口の前に人差し指を立てて合図を送った慶一朗は、混乱に言葉を無くしている三人に自嘲気味に笑いかけて驚くのも無理はないと肩を竦める。 「総一朗と同じ全寮制の中学に俺を入学させること、その後自分達が希望する進路に進むこと、それぞれが高校なり大学なりを卒業して独り立ちできるまでの学費や生活費を支払うことを、あいつに……約束させた」 「そうだったの?」 「ああ……もっとも、それを決めさせたのはソウだったけど」  双子の兄の総一朗は初めて出会ったときから同年代の子供とは一線を画すような大人びた子供で、その計画を教えられた時に慶一朗は己と住む世界が違うと恐れすら抱いてしまう程だった。  そんなある意味子供離れした兄が父ーその当時は顔も名前も父という存在である事すら知らなかった-に提案をしたのだが、交換条件も提示したことを慶一朗が苦く笑いながら伝えると皆がその先を静かに待つ。 「家族の解散だ」 「家族の解散?」  慶一朗の口から流れ出す言葉がすぐさま理解出来ずにフリーダとマリウスが顔を見合わせ、クララがどういうことだいと眉を寄せるが、少しだけ聞きかじっていたリアムは再度慶一朗の肩を抱く腕に力を込めると、その力に甘えるように慶一朗が軽く体を寄せる。 「俺たちの両親の仲は冷え切っていた。あいつにはドイツ出身の女がいて、あの女にはケルン出身の男がいた」  その男についてお前は知ってるだろうとリアムをちらりと見た慶一朗に険しい表情のリアムが頷き、ライトマイヤーと言ったっけと名を告げると、慶一朗の頭が上下する。 「好きでもない相手と一緒にいるのは苦痛だろう、だから家族を解散するとソウがあいつに言った」  その結果、俺たちは全寮制の中学に進学し、そのまま高校を卒業した後総一朗は日本の大学に進み、俺は医者になるためシドニーに留学したと小さく笑うと、そうだったのかとクララが溜息を吐いて首を左右に振る。 「夫婦の事は外からじゃ分からないもんだけどね……」  だからといってまだまだ子供だったあんたやあんたの兄にそんなことを言わさせた大人たちがあまりにも情けないと、目の前に当事者がいても同じ顔で非難したであろうことを簡単に想像させる顔でクララが吐き捨て、そんな母の気持ちが理解できるとフリーダとマリウスも何度も頷く。 「それで、あんたの家族は双子の兄だけって言ってたのかい?」 「……ああ」 「そうか……。本当ならそんな苦労をあんた達がする必要なんてないはずなのにねぇ」  大人たちが不甲斐ないばかりに本来なら何も心配すること無く愛情を受けてすくすく育つはずの子供たちに苦労を背負わせるだけではなく、家族の解散という決して心から消えることのない罪悪感を背負わされてしまったと今にも泣きそうな顔でクララが告げた後、対面に座っている慶一朗の頭にそっと手を載せて目を細める。 「そりゃあそんな事をしてきた父親にせっかくの旅行先で出会ったらあんな風になってもおかしくないよ」  あんな風に叫び続けてしまっても仕方がないことだと、慶一朗の行動の全てを無条件で受け入れてくれるようなクララの言葉と頭を何度も撫でてくれる手に慶一朗が眼鏡の下で限界まで目を見張ってしまう。  今まで己の過去を詳しく話した相手は親友のルカやラシードと今も己を抱きしめ安心させてくれているリアムだけだったが、幼い自分達の心の中に植え付けられてしまった罪悪感ーそれは二人がそれぞれに対して持っていたものとは少し違っていたーに気付いて言及した人はいなかった。  だからクララの言葉に何かを返そうと顔を上げるが、クララの隣で同じように頷いて見守ってくれているフリーダとマリウスの顔を見た瞬間、自分でも理解できない何かが喉をせり上がり、それを堪えるように頭を左右に振るが、そんな慶一朗の動きすらも受け入れてくれるようにそっと頭を何度も撫でられ、気が付いたときには頬を何かが伝い落ちていた。 「……ケイさん」 「……な、……だ、これ……?」  どうして泣いているのか理解できないと手の甲で眼鏡の下から伝い落ちる涙を拭おうとするが、その手を押さえられて眼鏡を外されたかと思うと、リアムが宥めるように涙にキスをする。 「本当に、どうしてケイさんとイチローが親の不仲の尻拭いをさせられなきゃならないんだろうな」  大人同士で勝手に揉めてくれればいいのに、家族の解散という重く辛い決断を何故子供にさせたんだと、慶一朗の頭をそっと抱き寄せてきつく目を閉じたリアムの背中に震える手が回されてシャツの背中を握りしめる。 「イチローがNICUに入った事は彼のせいじゃないし、あなたが元気だったこともあなたのせいじゃない」  その後、双子の兄のスペアだと、ボディパーツだと虐待されてきた事も何一つあなた達兄弟のせいではなく、それらすべてはその時周囲にいた大人たちの問題であり不甲斐なさなのに何故その尻拭いを今も続け、罪悪感を覚えて生きなければならないのかと、腹の底に熱く煮え滾っているマグマのような怒りを覚えているらしいリアムの言葉に慶一朗は何も返せずにただその体にしがみつき、そんな二人を三人が見守っているが、クララが静かに立ち上がって厨房に入って冷蔵庫から牛乳のボトルを出して鍋に注いで温め始める。 「……リア、ム……っ!」 「うん……ケイさんもイチローも……本当なら背負う必要のない荷物を押し付けられて今まで生きてきた」  その荷物は並大抵の人には持ちきれない重さで、下手をすれば膝を屈して立ち上がる事すら出来なくなる程だろう。でもあなたは今までそれを持って生まれ育った国ではない場所で生きてきた。そんなことは普通の人には無理なことだと、震える体をしっかりと抱きしめて心の底から尊敬している事が少しでも伝われと願いながらリアムが慶一朗に伝えると、最後のプライドだと教えるように慶一朗がリアムのシャツに口を押し付けて肩を上下させる。 「うん……本当に本当に、今まで良く頑張って来た」  だからもうその荷物は少し下ろしてしまおう、下ろした荷物は俺が持つと慶一朗の髪に頬を押し当てて静かに宣言したリアムに両親が目に涙を滲ませながら頷くが、フリーダが立ち上がってクララの手伝いをするのか厨房に向かい、マリウスが湿り気を帯びた溜息をテーブルに落とした後、同じように静かに立ち上がってリアムとは反対側に腰を下ろし、クララの時とは違って少し乱雑にその髪を撫でる。 「……我慢しなくていい」  ここにいるのはお前を本当の息子のように思っている俺たちだけだから何も堪えなくていい、だから気が済んだら半年前の結婚式とその後のパーティーで見せていた楽しそうな幸せそうな顔を見せてくれと、不器用ながらも慶一朗を思っている言葉を伝えつつ髪を撫でたマリウスの言葉が届いたのか、慶一朗がリアムにしがみつきながら背中を震わせる。  微かに漏れ聞こえる声を聞くのは辛かったが、意地であれ無意識であれ我慢させ続ける事を思えば遥かにマシで、湖畔から家に帰るまでの間車内で聞き続けていた悲鳴じみた声とは確実に何かが違う事を感じ、もう泣くなと困惑気味に慶一朗の髪を撫で続ける父を見て目で礼を言ったリアムは、己の腕の中で声を押し殺して泣き続ける慶一朗を嘲るでも呆れるでもなくただただ黙って抱きしめ、そんな三人の様子を厨房で作業をしていたクララとフリーダが涙を堪えながら見守っているのだった。  叫び続けた後に人生で文字通り数える程の涙を流し続けた慶一朗の喉は仕事を放棄したように声を出すことをしなくなり、喉の痛みと人前で大泣きしてしまった気恥ずかしさとそれを遥かに上回る受け止めてもらえたという安堵感から、隣でずっと抱きしめてくれているリアムに寄りかかる。 「疲れたなぁ」  それにこのまま外に出れば皆を心配させてしまうような顔になっているとリアムがさすがに苦笑し、慶一朗の赤く腫れぼったくなった瞼を指の腹でそっと撫でると、湖の底に沈んだように濡れている双眸に睨まれてしまう。 「母さん、ホットタオルを用意して欲しい」  慶一朗の視線から顔を逸らすように厨房内で何やら作業をしている母に息子が注文をすると、慶一朗がそそくさと立ち上がって厨房へと向かい、ホットタオルの準備を始めるフリーダを後ろから抱きしめる。 「どうしたの?」  突然抱きしめても驚きはするもののそれ以外の感情を覚えていないようにフリーダが顔を振り向け、端正な顔が赤く腫れぼったい様子にあらあらと遠い昔を思い出している顔で小さく笑う。 「どうして……」 「?」  フリーダの手で頬を撫でられて気恥ずかしさよりも上回る疑問からどうしてリアムをはじめとしたこの家族は優しいんだと、己の解散してしまった家族と比べているような呟きにフリーダが手を止めてしまうが、特別優しいわけではないと思うがきっとそれは悲しいことを経験してきたからかも知れないと返し、驚いたように顔を上げる慶一朗の額に張り付く前髪を掻き分けてそこにキスをする。 「……泣いて少しはすっきりしたかしら?」 「……した」 「良かった」  ホットタオルが準備できたからそれを顔に載せていなさいと、慶一朗の頬にキスをしてその手に温かなタオルを載せたフリーダは、後で母さん特製の飲み物を持っていくからとその背中をそっと押すと、慶一朗がその力を受けてリアムの隣に戻って来る。  いつもの慶一朗からすれば信じられない程素直にリアムの隣に座った後、ホットタオルを顔に載せられてその温かさに緊張も何もかもが解れていく気がし、気持ちいいと呟くと目を塞いでいるから分からないが、大きな掌に頭を撫でられてしまい、その手の温もりが収まったはずの涙を再び溢れさせてしまいそうで拳を握ってぐっとこらえるとその拳に手が重ねられる。 「母さん特製のホットチョコが出来たわよ」  その言葉に慶一朗がホットタオルを顔から降ろして眼鏡を掛けると、鼻先にチョコレートの甘い香りがふわりと漂い、隣のリアムを見て目を瞬かせる。 「……懐かしいなぁ」  幼い頃、冬でも外で遊んで疲れて帰宅したリアムを店の準備が忙しいのに手を止めたクララがホットチョコレートを作って出迎えてくれていた事を思い出した顔で頷き、マグカップを手に息を吹きかける。 「ケイさん、ホットチョコは大丈夫か?」 「……飲んだことが無い」 「そっか。……ばあちゃん特製だから美味いぜ」  熱いうちにどうぞと勧められてリアムと同じようにカップを手にすると、恐る恐る一口飲んで程よい甘さと温かさが胸を温めることに気付くと飲むのを止めることが出来なくなってしまう。 「……美味いな」 「うん。ケイさんが気に入ったら家でも作ろうか」  リアムの提案に無言で頷いた慶一朗だったが、コーヒーと同じで俺が作りたいと恐る恐る告げると、リアムだけではなく二人を見守っていた祖母と両親の顔にも同じような笑みが浮かび、気恥ずかしさから何だと上目遣いになってしまう。 「じゃあばあちゃんにレシピを聞かなきゃな」 「……ああ」  クララが作るホットチョコを皆で囲み、さっきよりももっと穏やかな空気が店の中に広がった事に気付いたリアムがこれを飲んで落ち着いたらホテルに戻ろうかと告げ、慶一朗もその言葉に頷くが、ばあちゃんともっとゆっくり旅行に行きたかったと心残りを口にし、リアムもそうだなぁと頷く。 「わざわざ旅行に行かなくてもあんた達がここに帰って来てくれるだけで十分さ」  昨日ドイツに着いたばかりでまだオーストラリアに帰国するまでは日がある、予定がない時はここに帰ってくれば良いとクララが笑い、ばあちゃんは今日のドライブでも十分楽しかったと二人の孫を安心させるように頷くと、母さんだけずるいと娘が子供のように頬を膨らませる。 「明日はエリーと飲みに行くから無理だけど、明後日また帰ってくる」  だからその時に店があるかも知れないけれど、出来るだけ一緒にいようと慶一朗がフリーダを宥めるようにその手を撫でて泣き腫らした目を笑みに細めると、その手に横合いから伸びてきたマリウスの手が重ねられる。 「必ず二人一緒に帰って来い」 「……ダンケ、ダッド、マム」  マリウスやフリーダにとっては何気ない言葉でも慶一朗にとっては何よりも大切にしたい言葉であるその一言にうんと素直に頷くが、このままではまた泣かされてしまう、もう泣きたくないからホテルに戻るぞとリアムに言い放つと、泣いてるケイさんも良いけどやっぱり笑ってるあなたの方が好きだなぁと暢気に返されて目を瞬かせてしまう。 「……は? それは俺のセリフだ」  さっきまでビービー泣いていたのは何処の王子様だと慶一朗がいつもの調子を取り戻したようににやりと笑い、さすがにその指摘にリアムが顔を赤らめて珍しくうるさいと言い放って立ち上がる。 「雨は上がったみたいだし、気を付けて帰るんだよ」 「うん、大丈夫だばあちゃん。……ケイさん、行くぞ」 「ああ」  祖母の心配そうな顔に太い笑みを見せたリアムが慶一朗の背中をそっと撫でて合図を送り、それに気付いた慶一朗がまずはマリウスの大きな手を、次いでフリーダの優しさと強さが混ざり合っている手を取ってしっかりと握ると、笑顔で待ってくれているリアムに一つ頷き、同じように待っているクララを抱きしめる。 「ばあちゃん、明後日帰ってきたらプファンクーヘンが食いたい」 「じゃあ作ってあげようねぇ」 「ダンケ」  おやすみばあちゃんとクララの頬に再度キスをした慶一朗は、荷物を取りに行ってくると階段を駆け上がっていくリアムを見送り、笑顔で見送ろうとしてくれる三人に少しだけ照れたような笑みを見せる。 「リアムはどうしてあんなにも優しいのかずっと疑問だったけど……」  あの優しさは一朝一夕に生まれたものでも突然変異で生まれたものでもない、紛れもなくあなた達から受け継がれたものだと分かったと納得したように肩を揺らし、三人を驚かせてしまう。 「……明後日、帰ってくる」 「ああ。気を付けて帰って来い」  帰ってくるの一言に込められている慶一朗の本意までは読み取れないが何某かの感情が籠っている事に気付いたマリウスが大きな手でもう一度慶一朗の頭をわしゃわしゃと撫で、俺はデュークじゃないとくすぐったそうに首を竦めてしまう。 「……お待たせ、ケイさん」 「ああ」  仮の宿であるホテルに戻ろうと頷き、ここに来た時と同じように自然と手を繋いで家族にそれを見せつけるように上げると、またねとフリーダが手を振る。  早々に店仕舞いをした為に自宅側のドアを開けて外に出た二人は体に感じる冷気に自然と体を寄せ合い、駅に向かおうと玄関先で見送ってくれる家族に寒いから中に入れと笑顔で告げて足早に駅に向かうのだった。  二人の背中が見えなくなるまで見送っていた三人の頭上、雨が空気を一掃したために冬の星座がひと際綺麗に瞬いているのだった。    
← Prev | 第10話 Life is beautiful. | Next → 
  本当なら、そんな苦労をする必要なんてなかったのにねぇ。
Waveboxで感想を送る
コメントは↑からどうぞ。一言でも匿名でも嬉しいです。励みになります