It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第10話 Life is Beautiful.
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「――何処かに行かないか、ケイさん」  いつものキャンプへの誘いの言葉にしては少し元気がないが、それでも徐々にそれを取り戻しつつある声に慶一朗が問われたのは、ユーリ・シュライバーの名で生まれ育ち、ユーリ・ノーツという名で母国ではない異国の地で数少ない友人と恋人に見守られながら満足のうちに生を終えたのを見届けた数日後だった。  いつものように仕事から帰り、前日よりも少し元気になったリアムが用意してくれたディナーを二人でいつものように食べ、食後のコーヒーー最近はアイリッシュコーヒーなどのコーヒーカクテルを欲しがるようになったーを飲んだ後に庭でデュークを遊ばせているときだった。 「何処に行きたいんだ?」  デュークに取ってこいとボールを投げた後に顔をリアムへと向けると、テーブルに頬杖をついたリアムがうんとだけ答えるが、具体的に何処に行きたいのかという返事は無く、行きたいところは無いのかと重ねて問いかけると、何処でも良いとの返事がある。 「何処でも良いのか?」 「うん。……もうすぐケイさんの誕生日だろう?」  元々あなたの誕生日の前後には休みを取って旅行に行くつもりだったから休暇は取得している、その休みを使って何処かに行こうかと笑うリアムの顔をじっと見つめた慶一朗は、ボールを取って戻ってきたデュークがもう一度投げろと強請るように己の手に頭を押しつけてくることにも気付かないでいたが、気を引くように吠えられて我に返り、さっきとは違う方へとボールをもう一度投げる。  それを追っていく黒と茶色の物体を見送った後、いつもとは逆に椅子に座ったままのリアムの前に向かった慶一朗は、その腿に腰を下ろしてヘイゼルの双眸を覗き込むように顔を寄せる。 「どうした、王子様」  何か言いたいことがあるのなら言え、どんな言葉でも聞いてやると少しだけ軽口に聞こえるように問いかけると、腰に腕が回されて肩に額がコツンとぶつけられる。 「今日、レスリーから連絡が入った」 「彼から?」 「うん。……もしドイツに行く機会があったら持って行って欲しいものがあるって」  本当は自ら行くつもりだったが、精神的に不安定な為まだドイツには行けないとメッセージが続けられていて、それを受け取りに行ってきたと教えられた慶一朗がそっと労るようにハニーブロンドを抱きしめる。 「そうか」 「うん……ケイさん、さっきは何処かって言ったけど……ドイツに行っても良いか?」  リアムが顔を上げて慶一朗に伺うように問いかけると、ボールを咥えたデュークがトコトコと二人の傍に戻ってきた後、ボールを投げ出してそこに寝そべって遊び始める。 「……去年もドイツだったな」 「うん……二年続けては嫌か?」 「嫌じゃない。ただ、行きたいところがあるかなと思っただけだ」  慶一朗の苦笑にリアムが昨年の旅行のことを思い出し、そういえば幼馴染みも結婚して1年が経つと笑うと、慶一朗の脳裏にも昨年の出来事が蘇ったようで、彼の父は本当にクズだったなと笑う。 「うん。エリーのお父さんだからあまり悪くは言いたくないけど、褒められた人ではないよな」 「ああ」  幼馴染みの父が執拗に付け狙った結果、リアムは幼い頃に家族から離れてこの国に移住しなければならなかったことや、その後リアムが経験してきた苦痛や苦悩の根源だと言いたげに慶一朗が顔を歪め、そんな慶一朗の頬にリアムがキスをする。 「……ドイツ旅行でも構わない」 「ケイさん……」 「ただし、一つ条件がある」  その条件をお前が飲んでくれるのならば今年もドイツに行こう、そして誕生日に今年こそはあの店に予約を入れて美味しい料理を食べ、クリスマスマーケットが始まっていれば食後に見学しようと笑みの質を変えると、リアムの顔がみるみるうちに明るくなり、下がっていた口の端も持ち上がる。 「うん」  昨年は俺の失態でレストランの予約を忘れていたが、親切な二人組に席を譲って貰えた、彼らにまた会えると良いなと笑うと、そんな奇跡みたいなことが起きるかと慶一朗が苦笑するものの、オーナーの知り合いだと言っていたことをぼんやりと思い出す。  ドイツでは良く見るブロンドを首筋の後ろで一つに束ね、両耳に蒼い瞳と似通った色のピアスを嵌めていた同年代っぽい男と、同じ同年代の筈だがステッキを着いていた穏やかな表情の二人組にテーブルを譲って貰ったことを思い出し、また会えると良いなと繰り返すと慶一朗もさっきとは違ってそうだなと目を細めるが、条件は何だと問われて眼鏡の下で目を瞬かせる。 「ケイさんの条件」 「ああ……ばあちゃんと一緒に何処かに行きたい」 「へ?」  慶一朗の旅行の条件に何が飛び出すのだろうか、最近また増え始めたバスルームのフィギュアをベッドルームに進出させても良いかだったらどうしようと内心ヒヤヒヤしていたリアムの耳に流れ込んだのは、祖母クララと一緒に出かけたいとの言葉だった。 「ばあちゃんと?」 「ああ。……日帰りでも一泊でも良い」  ばあちゃんがここにいたときにハーバーブリッジを案内したことがあったが、その時本当に楽しかった、だからその気持ちをまた味わいたいと少し照れているのか、視線を左右に二度三度泳がせた後に慶一朗がリアムの額に額を重ねて小さく希望を伝えると背中にリアムの腕が回される。  自らの誕生日祝いを兼ねた旅行に行こう、それを決めたのは慶一朗と付き合いだした次の年だったが、それでもその時の約束はただの口約束と思っている節があり、本当に旅行に行こうとパンフレットを広げたときには呆然としていた顔を思い出したリアムは、あの頃から比べればゆっくりだがそれでも確実に己の希望を口にするようになっていることに気付き、毎日毎日、それこそリアムの食育の結果と周囲が褒めそやす慶一朗が食事に対して興味を持つようになってきた事と同じだとも気付くと、そんな条件など何の足枷にもならないと笑みを浮かべる。 「うん、俺もばあちゃんと旅行したいな」  近くでも良いし少し足を伸ばしても良い、ばあちゃんの希望を聞いてみようと漸くはっきりとした笑みがリアムの顔に浮かび、間近でそれを見た慶一朗の顔に安堵の色が浮かぶ。 「……もっと前から決めていたらチケットも取っていたのにな」 「うん、でもまあそれも仕方ない」  今ドイツに行こうと決めたのだ、それは何もユーリの遺品をレスリーから預かったからでは無いと実は密かに慶一朗が案じていたことをリアムが明確に否定し、預かったから持って行くがそれがあっても無くてもドイツには行きたかったとも笑われる。 「ああ」  それならばお前の幼馴染み夫妻とも食事が出来れば良いなと伝えてリアムがまだ飲みきっていなかったアイリッシュコーヒーのグラスに手を伸ばすと、今日も美味かった、また作ってほしいと強請られる。 「これぐらいならいくらでも作ってやる」  ただしこれもれっきとしたカクテルだから程々にしろと忠告し、素直にそれに頷く伴侶の額に良い子だと褒めるようなキスをすると、足下でボールにじゃれついているデュークを抱き上げて尻尾を激しく振らせると、顔の高さに抱き上げて鼻先にキスをする。 「デューク、もう少ししたら俺とリアムは旅行に行く、だからお前はその間ルカ達の家でビクターと一緒に過ごしていろ」 「?」  慶一朗の言葉は理解出来ないが、表情からは歓喜を読み取ったらしいデュークがワンと嬉しそうに吠え、お返しのキスのように慶一朗の顎を軽く噛むと、痛いと思わず慶一朗が悲鳴を上げ、それを聞いたリアムが慶一朗とデュークを足の上から下ろしてデュークの前に座り込んだかと思うと、人を噛んだときにはどうなるかを身をもってしらすように怖い顔と声でデュークを叱り、普段は優しいリアムに叱られた事に耳と尻尾を垂らしてデュークが項垂れてしまう。  躾に関しては一家言持っているリアムの為、ハラハラしようが心が痛もうとも任せているために慶一朗は口も手も出さずにただそれを見守っているのだが、勿論、デュークがしっかりと反省をしたことが分かった後にリアムがデュークとスキンシップをして互いの思いを伝え合う姿までそっと見守っているのだった。    11月半ばのドイツは夏に比べれば遙かに太陽は遅く昇り、早く地平の下へと帰るようになっていて、青空よりも灰色や暗い雲が空の大半を占める天気の悪さが増えてきていた。  そんな冬を連想させる空が増えてきた中で今日は季節が遡ったような晴天で、まるで己の心を反映しているように感じたクララは、今年の夏以降常に感じている身体の重さを今朝は不思議と感じる事は無く、それまで毎日厨房に立っていた頃と同じ気持ちでベッドから起き上がり、最近は自分に代わって店を切り盛りしてくれている為に食事時にしかゆっくりと話をすることも少なくなってきた娘夫婦の為に朝食を作り始める。  キッチンから家に広がる朝の香りを久し振りに嗅いだことに驚いた顔の娘が自室から出てくるが、久し振りに朝食を作ったから一緒に食べよう、マールを起こしておいでと伝え、嬉しそうな顔で頷く娘を送り出すと、今日は本当に身体が軽い、きっとそれはこの後やって来る二人のお陰だろうと気付くと鼻歌交じりに三人分の朝食を作り、娘と一緒に眠気も吹き飛ばした顔でやって来た娘婿に笑顔で席に着けと伝えるのだった。  三人で久し振りに穏やかな朝を迎え、家の横の菩提樹の下でコーヒーを飲もうとマリウスが誘い、二人が喜んでと小春日和の空の下でコーヒーを飲む準備を始める。  この家に引っ越してきて四半世紀近く経過するが、今のように菩提樹の下でコーヒーを飲む習慣をクララ達に根付かせたのは、規制をまだかまだかと待ち侘びている孫とその伴侶ー半年近く前に正式に入籍して伴侶になったーが自らのアイデアが最高だと言いたげな顔で提案をしたからだったが、二人を見送ってからは天気が良ければこうしてここでコーヒーを飲むことがクララとその娘のフリーダ、そしてフリーダの夫のマリウス達との習慣になっていた。  ただそれも夏を境に徐々にクララの体力が衰え、今まで出来ていたことがひとつ、またひとつと出来なくなり始めてからは、天気が良くてもせいぜい店の中で飲むだけになってしまっていたのだ。  それが久し振りに出来る歓喜をそれぞれの胸の内で噛みしめつつも口に出すのはまだ来ないのかねぇという待ち人に対する小さな不満で、それを聞いたマリウスが飛行機は予定通り到着して昨日のうちにホテルに入ったこと、朝食を食べてからこちらに来ると言っていたと、腕の時計を見ながらクララほどではないがそれでも息子の帰省を待ち侘びる顔で肩を竦める。 「今日は良い天気だねぇ」  菩提樹の色付いた葉が青空を背景に落ちるのを見つめ、今日は暖かくて気持ちが良いと笑ったクララは、確かに気持ちが良いと娘夫婦と頷き、記憶の中のコーヒーより味は落ちるがそれでも毎日飲んでいる美味しいコーヒーを飲み、満足そうに息を吐く。 「そういえば、リアム達が来たら何処かに連れて行ってもらうんでしょう、母さん」  何処に連れて行ってもらうか決めたのかとテーブルで頬杖をつきながらフリーダがクララに問いかけ、一瞬それが何を意味しているのかが分からずに目を丸くしてしまうが、二人が帰省を決めた報告をしてくれたときに母さんと旅行に行きたいと言っていたじゃ無い、もう、しっかりしてよと笑われてああと思い出したような顔になる。 「そうだったねぇ」 「何処に連れて行ってもらうの?」 「前の店のお隣だったアンナを覚えているかい?」  クララの目が遠い昔を懐かしむように細められ、その横顔からフリーダがアンナと繰り返し、子ども達にとっては少し怖いおばさんがいたと返すと、そうそう、そのアンナと相槌を打つ。 「最近懐かしい人達が夢に出てくるんだよ」  だから久し振りに会ってみたいと思ったと続けるクララにフリーダが目を細めるが、みんな元気かどうか見てきてと笑い、母と息子達の日帰り旅行が楽しいものであるようにとひっそりと願う。 「……本当に、早く来ないかしら」  そのどうしても埋めることの出来ない寂寥感から八つ当たり気味に息子達が早く帰ってこないかと口を尖らせると、そんな妻の心に気付いたのかマリウスが苦笑し、もうすぐ帰ってくるからそう拗ねるなと出会った頃と変わらない表情を浮かべるフリーダの頬を撫でるのだった。    シドニーを早朝に発つ便で中東を経由してドイツに到着した二人だったが、実家に向かうにはさすがに疲労があった為、予約しているホテルに向かい、荷物を下ろして疲労感を覚えている身体をやっと遠慮すること無く手足が伸ばせるベッドで眠りについたのだが、前日の移動の疲労がまだ身体の芯に残っている気がすると欠伸を堪えながら呟くものの、窓の外を流れる景色を楽しみたいのか眼鏡の下で何度も目を瞬かせたのは、ボックス席で並んで腰を下ろしているリアムが同じように疲れている筈なのにその色が一切見えないどころか、何故か笑いを堪えていることに気付いた慶一朗だった。 「ん?」 「いや、ケイさん、前にこの電車に乗った時も嬉しそうだったなって思い出した」  そうかと首を傾げる慶一朗にうんと頷いたリアムの脳裏には今とは逆にこの列車に乗った駅へユーリに連れられて向かう幼い頃の光景が思い浮かんでいたが、それを口に出さずにただ今は隣で嬉しそうに口の端を無意識に持ち上げている慶一朗の横顔を見ては同じように笑みを浮かべていた。  あの頃、どうして己が一人で家族の元を離れなければならないのかということよりも、隣で不機嫌そうにブツブツと何かを呟くユーリの機嫌を損ねる事の方がリアムには恐ろしくて、ただ悲しくて俯いてしまっていた為にろくに車窓を見る事も無かったが、あの頃からこの景色はどれ程変化をしたのだろうかと呟くと、それを聞いた慶一朗が窓の外を見つめたままそっと手を伸ばしてリアムの足の上で握りしめられている手に重ねてくる。  最小限の繋がりを許せとその手に教えられて勿論と頷いたリアムだったが、そっと手を返してその手に指を絡めると、一瞬の羞恥を乗り越えたように慶一朗が手を組むことを許してくれる。  そんなささやかなことが嬉しくて、過去の己が齎す感情を自然と忘れることが出来たリアムは、そろそろ目的の駅に着くことに気付き、車窓を楽しんでいる慶一朗に合図を送るように手を引く。 「もう着くのか?」 「うん。……みんな元気かな」 「元気だろう?」  昨日無事に到着した事をダッドに報告したのはお前だろうと笑う慶一朗にリアムが頷き、その時の声は元気そうだったとも頷くと、電車がプラットフォームに着いたことに気付いて慌てて立ち上がり慶一朗も立ち上がるが、一瞬繋いだ手をどうするか悩んだあと、小さく笑みを浮かべてそのまま何食わぬ顔でリアムと一緒にプラットフォームに降り立つ。  荷物を片手にもう片手は慶一朗と手を繋いだままな状態をすっかり失念しているリアムが実家に向かう道を歩き出してようやく現状に気付き慌てて慶一朗の顔を見ると、目尻がうっすら赤く染まっているが何だとだけ問われて意味を察し、何も無いと満面の笑みを浮かべる。 「……肌寒いな」 「うん、そうだな」  そういえば去年も同じ事を言って俺のジャケットを着ていたなと、トレンチコートの肩を震わせる慶一朗に笑ったリアムが再現するように今も着ているジャケットをコートの上から羽織らせる。 「筋肉という名前の毛布を着ているから暑いんだろう?」 「バレたか?」  くすくすとそんな会話を交わしながら自然と足早になる実家への帰路を進んでいると、菩提樹が見えてきて、その下にテーブルを置いてコーヒーを飲んでいたことが一目で分かる姿で談笑している三人の姿が見えてくる。 「みんないる」 「ああ」  昨年の慶一朗が思いつき、クライネ・ウンター・デン・リンデンだとテーブルを菩提樹の下に置いたのだが、それが今でも受け継がれていることに二人が同時に何とも言えない温かなものが胸に生まれたと言うように目を細め、繋いでいる手をしっかりと繋ぎ直すと、徐々に大きく見える菩提樹の下でこちらに気付いた様に立ち上がる家族に繋いだ手を見せつけるように手を挙げるのだった。  二人の到着を歓迎する様にか、菩提樹の色付いた葉が風に乗って舞い、枝がさわさわと心地よく揺れるのだった。    
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  クライネ・ウンターリンデンでコーヒーを飲まないか。
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