己の電話口でのやりとりに腹を立てながらもどこか冷静なまま助手席にデュークを乗せた愛車をルカの家に向けて走らせた慶一朗が友人の家に到着したときには、友人の愛車と何故か寂しげに見える鋼鉄の白馬が二台並んで停まっていた。
その後ろに愛車を横付けにし、助手席のキャリーケースを乱暴に掴んで飛び降りると、ドアベルを鳴らすことなく門扉を開けて玄関のドアも開け放つ。
「リアム!」
リアムの愛車が停まっている事からルカが約束したようにラシードが迎えに行ったのだろうが、本当にここにいるのだろうか、それに電話で落ち込んでいる相手を更に落ち込ませるような発言をする己の顔を見たくないのではないかという不安と恐怖が芽生えるが、キャリーケースの中から嬉しそうに吠える声が聞こえ、人には真似の出来ない嗅覚でリアムがいることを察したのだろうかと考えつつ自宅と比べれば遙かに広いリビングに突進する。
「……ケイ、さん……」
革張りの立派なソファに座っているリアムはその心情を表しているかのようにいつもの大きさを感じられず、不安そうに名を呼ばれてグッと拳を握った慶一朗は、そっとキャリーケースを下ろしていつものようにデュークを解放すると、ラシードの膝の上で丸まっていた兄弟犬の元に駆け寄っていく。
ラシードの膝の上から飛び降りて兄弟犬が来た事に喜びの声を上げて尻尾を振る子犬のように、ソファで不安そうに座って己を見てくるリアムの元に駆け寄りハグをして素直に感情を表すことが出来ればどれ程良いだろうかと考えるが、天地がひっくり返ったとしても素直な感情表現をすることはまだまだ苦手で、リアムの前にそっと立った慶一朗が告げたのは、付き合いが長くないと理解されにくい一言だった。
「……迷子の王子様を見つけた」
「……っ」
迷子になっていたからそんな不安そうな顔をしているのかと苦笑しつついつもに比べれば血色の悪い頬を手の甲で撫でた慶一朗だったが、その手が不快なのかどうなのかヘイゼルの双眸が左右に揺れたことに気付き、胸の疼痛を押し殺しながら床に胡座をかいて座り、俯き加減の顔を覗き込む。
「どうした?」
「……ごめん」
「……さっきの電話でも謝るなと言ったけど、お前のその謝罪は何に対するものだ?」
俺には謝られなければならない理由が思い当たらないと肩を竦めた慶一朗だったが、軽口とは裏腹に眼鏡の下の視線は力強く、本心以外を口にすればどうなるか分かるだろうなという恫喝にも似た感情がこもっていて、それにいち早く気付いたリアムだったが、螺旋階段のように見えない地下に気持ちも視線も向いている今、その眼光を受け止めるだけの力が無かった。
だからその問いに答えられずにいると思わず肩がビクリと揺れてしまいそうな溜息が二人の間に落ちたことに気付き、恐る恐る顔を上げたリアムの前では慶一朗が苛立ちを込めたように前髪を掻き上げていて、慶一朗の一挙手一投足を不必要なほどの過敏さで受け止めてしまう。
「……リアム」
落ちた視線と覗き込むそれが重なったときに慶一朗の口からそっと声が流れ、己の名を呼ぶそれに促されるように顔を上げると、眉を寄せて何かを言い足そうに口を開閉させる顔が見えたあとに小さく両手を広げられ、何を言わんとしているのかに気付いて唇を噛みしめる。
それは自分達二人の間でのみ通用する謝罪の方法だったが、慶一朗が今それをする理由に気付き、謝る必要は無いと小さく首を左右に振ると、幼い子どもが抱き上げろと強請るように両手が更に広げられ、その手の動きに逆らえるはずのないリアムがソファから滑り落ちるように慶一朗の腕の中に身体を押し込む。
「……!」
いくらいつもより小さく見えたとしても質量が小さくなっている訳ではない為、飛び込んでくるリアムの身体を受け止めきれずに背後の床に背中から倒れ込んでしまった慶一朗だったが、想像していた痛みが訪れなかったことからリアムがしっかりと背中を抱きしめて支えてくれていることに気付く。
どれ程己が辛く落ち込んでいたとしてもこうして人を支えられる男が己の伴侶である事に改めて気付いた慶一朗の胸に密やかな自慢と、その男をここまで落ち込ませている全ての事象に苛立ちを覚え、広い背中を抱きしめながらお決まりになっている言葉を吐き捨てる。
「くそったれ……! 一体誰が何の権利があって俺のリアムをここまで落ち込ませるんだ……!」
昨日のまだまだ深く事情が分からない過去について落ち込んでいる様子を思い出すとそれも怒りを増幅させてしまうようで、己の伴侶の傷を思って目の裏が怒りに赤く染まるほどの腹立たしさから語気も荒く吐き捨てると、腕の中でリアムの身体がビクリと揺れ、その揺れすらも怒りと悲しみを深くさせてしまう。
「くそ……! ルカ、ラシード! ユーリを捜して連れてこい!」
ここまで落ち込む原因は過去に関するものしか思い当たる節がなく、その過去と言えば遠い親戚になるユーリというファーストネームしか知らない男が絡んでいる事しか分からず、感情のままにルカとラシードに怒鳴ると、日頃の感情の発露とはまた違うそれに今までじっと見守っていた二人が顔を見合わせて互いの顔に驚きの色を見いだし、ルカが俺もそうしたいのは山々だがさすがにユーリという名前だけで人捜しをするのは難しいと、慶一朗の希望に今すぐ応えられない事への罪悪感を顔に浮かべて二人の横に膝を着くと、リアムが小さく慶一朗を呼ぶ。
「……ケイさん」
「何だ」
「……うん……ごめん」
己の腕の中から聞こえる謝罪の声に興奮状態の慶一朗がリアムの両頬を両手で挟みながら謝るなと怒鳴ると、そうじゃないと先程までは見えなかった冷静さがリアムの双眸に浮かんでいることに気付き、この謝罪は結果的に押し倒してしまって危うくケガをさせてしまう所だった事への詫びだと告げた後、話を聞いてくれるかとそっと問いかけてくる。
「……聞いてやる」
お前が言いたくないことまで聞いてやるから洗い浚い話してしまえとヘイゼルの双眸を睨み付けた慶一朗だったが、起き上がったリアムに起こされて床に座り込み、盛大な溜息を一つ吐いて髪を掻き毟る。
「ルカ、泊まっても良いか?」
「問題ないよ。……何か飲むか?」
「ああ」
ルカの言葉に素っ気ない態度で頷いた慶一朗が立ち上がり、まだ床に座ったままのリアムに向けて手を差し伸べる。
「ほら、いつまで床に座ってるんだ」
そんなにここの家の床が気に入ったのかと笑う慶一朗を眩しそうに見上げたあと、気分を切り替えようとしたのか己の頬を軽く叩いたリアムがその手をそっと取り、意外な力強さで引き寄せられて慶一朗にぶつかりそうになるが、今度は先程とは違ってしっかりとリアムの身体を受け止めた慶一朗が肩に顎を乗せて満足そうに息を一つ吐く。
「今日、何があったか教えてくれ」
「……うん」
「後、腹が減った。お前の気持ちが落ち着いたらで良い、ルカやラシードたちの分も何か作ってやってくれないか」
落ち込んでいるリアムにメシの用意などさせるなと思わずラシードが苦虫を噛み潰したような顔で呟くが、その言葉にリアムがサンクスと返し、うん、後で何か作るけどその前に気持ちをすっきりさせたいと告げて慶一朗を抱きしめるのだった。
話すと決めた過去だったが、いざ三人を前にすると口が思うように動いてくれず、ビールの助けを借りても舌が滑らかに動くことはなかった。
その様子に先程までとは違って苛立つ様子も急かすこともせず、ただ静かにリアムの隣に座って肩を抱き寄せ、短く刈っているハニーブロンドを手癖のように撫でている慶一朗の肩に頬を押し当てるように横を向くと、慌てなくても俺たちは何処にも行かないとの優しさだけに彩られた言葉とキスがこめかみに降ってくる。
その優しさにきつく目を閉じて慶一朗の腰に腕を回して力を込めた時、優しさに少しの厳しさを混ぜたような声が降ってきて、閉ざした目を開けて端正な顔を間近で見上げると眼鏡の下の目が細められる。
「ここにいる皆のガキの頃の暮らしは最悪なものだった」
俺の過去はもう知っているだろうが、ルカやラシードも俺たちと比べられないぐらい辛い思いをしてきていると続ける声にそっと距離を取るように離れようとしたリアムだったが、離れるなと伝える代わりに腕に力が込められて更に引き寄せられてしまう。
「なあ、ルカ、今なら言えることも今でも言えないこともしてきたよな」
「ああ、そうだな……本当に、今でも言えないことを沢山してきたなぁ」
そのお陰でラシードの口数も減ってしまったしと、これがきっと店に立っていないときのルカなのだろうと思わせる顔でにやりと口の端を持ち上げる顔にリアムが慶一朗の腕の中で驚き、そうなのかとラシードを見れば、確かにそうだなと声に出してルカの言葉に同意をし、隣に座るルカの手を取って頬にキスをする。
「……でも、それだから、今もこうしてルカと一緒にいられる」
ラシードのキスと告白が面映ゆかったのか、ルカが顔をくしゃくしゃにしてうんと頷き、お返しのキスをする様子を驚いた顔のまま見守っていたリアムだったが、俺は総一朗が家から連れ出してくれた、ルカとラシードはお互いが支えになってこの国に流れ着いたと慶一朗がリアムの髪を撫でながら呟くと、顔を上げろと促してリアムが起き上がる。
「だから、お前の過去を聞いても驚くことはあっても嫌悪することも呆れることもない」
「ケイ、さん……」
「ただ、腹が立ってFワードを連発するかも知れない」
でもそれはお前が過去に経験した事への怒りだから大目に見てくれと片目を閉じる慶一朗の戯けた風を装った真剣な言葉にリアムがグッと唇を噛みしめて俯いてしまう。
「ケイがドイツ語なら俺はアラビア語にしようかな」
「……程々にしろ」
慶一朗の言葉にルカが面白そうだと笑いながら続け、そんな二人の様子にラシードが呆れたように溜息を吐くが、いつも何があってもどんな時でも笑っていられるお前をそこまで落ち込ませる男に対しては言いたいことよりもやりたいことがあると剣呑な笑みを浮かべ、顔を上げたリアムの目が驚きに見開かれる様に笑みを深める。
「……う、ん……」
「泣き虫王子様、公爵もその兄弟もお前を心配して駆けつけてくれたぞ」
つい先程まで二匹で家中を走り回っていた子犬たちだったが、気が付けばリアムの足下に寄り添うように丸まっていて、自分達の話題が出たと気付いたのか、二匹が同時に顔を上げてワンと吠える声を唱和させる。
「……うん」
デューク達にまで心配を掛けてしまうのはもう嫌だと目尻の涙を手の甲で拭いたリアムは、伸び上がってくる二匹の子犬を抱き上げてそれぞれの鼻先にキスをしデュークを己の腿に座らせ、兄弟犬のビクターをラシードの手に預けた後に慶一朗の肩に再度頭を預けるように身を寄せると、リアムの希望を察したらしい慶一朗がそっとその肩を抱き寄せ、お前のタイミングで良いからお前の過去をお前の言葉で教えてくれと囁きかける。
「……サンクス、ケイさん、ルカ、ラシード」
言葉で優しく促してくれる慶一朗と、言葉ではなく態度で安心して良いことを教えてくれる二人の友人の顔を見つめた後感謝の言葉を伝えたリアムは、膝の上で丸まる子犬の温もりに安堵を覚えつつ目を閉じてしっかりと支えてくれる慶一朗に寄り掛かるのだった。
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