It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第8話 Puppy.
 公爵という肩書きを名前に持ったジャーマン・シェパードの子犬がリアムと慶一朗の家にやって来た翌朝、家族と離れて新たな環境にやって来た事による不安から遠吠えをするかも知れないと密かに危惧していた事態も起こらず、デュークの部屋として用意したケージの中で気持ちよさそうな寝息を立てている子犬を見下ろしたのは、この家の快適な住環境を一手に担っているだけではなく、住人の健康管理ーもちろんメンタルも含めてーも担っているリアム・フーバーだった。  昨日新たに親友候補として迎え入れた子犬は、子犬用にしては広すぎるケージの中でさすがに不安そうにうろうろしていたため、キャンプ時に使っているクッションを倉庫から引っ張り出してきたリアムがケージの半分を埋めるように設置し、子犬が落ち着ける広さに調整をした結果ケージの中でうろうろすることも無く、ブリーダーの彼が持たせてくれた母犬の匂いが付いているブランケットとクマのぬいぐるみと一緒に真新しいふかふかのベッドに横になったのだ。  神経質な子犬ならば環境の変化から吠えたり落ち着かない行動を取るものだが、名前に負けない性格をしているのかどうなのか、デュークは落ち着ける場所を見つけた安堵に丸まる姿を見せていた。  もう一人の家主は人生で初めて人間以外と暮らす事からケージの前に胡座をかいて座り込み、子犬の一挙手一投足を飽きること無く見つめ続けていたが、そんな一人と一匹の様子をリアムが見守っていた。  子犬を迎え入れる前の不安さを微塵も感じさせないその様子にも安堵した事を思い出して小さく欠伸をするとリアムの気配に気付いたのか、ブランケットを敷いたベッドで丸まっていたデュークが身動ぎし、大きくなることを予感させる足をピンと伸ばして頭を擡げてリアムを不思議そうに見つめた後、朝一番の挨拶と言わんばかりにひと吠えする。 「おはよう、デューク」  さあ、今からもう一人の飼い主でありお前の親友候補を一緒に起こしに行こうと笑ってケージのドアを開けると、子犬特有のコロコロとした黒と茶色の何とも形容しがたい愛らしさを持つ公爵閣下が飛び出してくる。  リアムの足の周りをぐるぐると回り、こら、踏んでしまうと笑うリアムの声に更に歓喜が増したように跳びはねた為、ひょいと片手で抱き上げると、今度はリアムの髭に覆われている顎や鼻先を舐めてくる。 「くすぐったいぞ、デューク。ケイさん驚くかな」 「?」  リアムが何かを想像して楽しそうに肩を揺らす顔にデュークが頭を傾げさせるが、階段を上った先は初めての為にリアムの身体に密着するように前足を腕に載せる。 「大丈夫だ」  お前がここに来れるようになるにはまだ少し時間が掛かるだろうが、大きくなればお前にケイさんを起こして貰う役目を担って貰うかもと笑って子犬の頭を撫でたリアムは、ベッドルームのドアを開けて小一時間前に己が抜け出した時と何も変わっていないベッドの上を見て苦笑する。 「デューク、ケイさんを起こしてくれ」  そう囁いてベッドの上に子犬を下ろしたリアムの目の前で掛布団の海をよたよたと渡り、人の形に盛り上がっているそこを乗り越えて反対側に転がり落ちる姿に自然と肩を揺らしてしまい、子犬というのはどうしてこうも可愛いんだろうなと腕を組んで満足そうな息を吐くと、掛布団から出ている慶一朗の髪をデュークが噛んで引っ張り始める。 「こら、髪を噛むな、デューク」  ケイさんの髪が抜けてしまえば大変だと慌てて抱き上げるとそれが不満だったのか抗議の声をデュークが上げ、その声に掛布団がもぞもぞと動き始める。  それに気付いたリアムが再度デュークを掛け布団の上に下ろすと、今度は慶一朗の顔があると思しき空間にデュークが潜り込み、成り行きを見守るリアムの前、程なくして朝一番の悲鳴とともに掛布団が跳ね飛ばされる。 「!?」 「おはよう、ケイさん」  何が起きたのかを把握できていない顔で慶一朗がリアムに顔を向け、己の腿に乗り上げて人間よりも早い呼気を繰り返す黒と茶色の物体を交互に見つめる。 「デュークに起こして貰えば一発だな」 「は? ……今のはデュークだったのか……?」 「うん、そうだ」  遊んで貰えると思っているのか、慶一朗の素肌の胸に前足を突いてちぎれそうな程尻尾を振る子犬をひょいと抱き上げ、驚きに身体を捩るのをしっかりと手で支えたリアムが尖っている耳にキスをし、朝飯の用意が出来たからシャワーを浴びてこいと跳ね放題の慶一朗の髪に今度はキスをする。 「……犬に舐められたらくすぐったいんだな」  髪を掻き上げつつ初体験の感想をぽつりと零した慶一朗にリアムがベッドルームから出ようとしていた足を止めて振り返り、これから毎日経験できると笑うと、ミスター・ナマケモノといつかリアムが笑ったようにのそのそとベッドから慶一朗が起き上がる。 「リアム、スクランブルエッグが食いたい」 「分かった。今日からデュークも一緒にメシを食おう」  カウンターの横にデューク専用の食事スペースを設置しようと笑うリアムに慶一朗が欠伸混じりに頷き、その腕の中でじっとしている子犬の頭を一つ撫でてベッドルーム内のシャワーブースのドアを開け、睡魔の残滓を洗い流す為に頭からシャワーを浴びるのだった。  今日予定されていたオペを全て順調に終え、互いの仕事をお疲れ様と労えるようになった同僚と別れた後で上司のオフィスに出向いたのは、疲労感の中にも満足感を滲ませた顔の慶一朗だった。  テイラーはデスクでラップトップを破壊するつもりかと言いたくなるような険しい顔で睨み付けていた為、何か不機嫌なことがあったのかと呟きつつソファにドサリと座ると、盛大な溜息を吐いたテイラーが立ち上がる。 「……昨日、デュークが家に来た」  ソファでふんぞり返りながら慶一朗が呟いた時、立ち上がろうとしたその姿勢のままテイラーが動きを止めてしまう。 「ジャック?」 「……彼が公務でこちらに来ている情報は入ってなかっただろう?」  慶一朗が訝るように声を掛けるとぎゅっと拳を握った後にテイラーが苦々しく呟いたため、ああ、そうじゃないと苦笑し外した眼鏡を服の裾で拭く。 「前に話をした子犬だ」  その子犬の名前がデュークと言うと肩を竦めると、何だ、お前の大人のお友達の中で最高で最低の彼ではないのかと苦虫を噛み潰したような顔でテイラーが呟き、あいつからの連絡はリアムと付き合いだしてからはまったくないと年上の友人を安心させるような笑みを口元に浮かべて慶一朗が告げると、不機嫌を溜息に混ぜ込んで体外に吐き出したテイラーがそうかと呟きつつ慶一朗の前のソファに座る。 「子犬はどうだ?」 「ああ……今朝顔を舐められて起こされた」 「ほ……どうだった?」 「何だろうな、くすぐったかったな」  これから毎朝公爵閣下に皇帝陛下を起こして貰おうと王子様が笑っていたと、事情を知らないものが聞けば理解不能と言いたくなるようなことを呟き、事情を知っているテイラーがその光景を思い浮かべて楽しそうに肩を揺らす。 「刺激的なキスをされたんだな」 「……飛び起きてしまった」  くすぐったさと温かさに驚いたと苦笑する慶一朗がお前の家の猫もそうなのかと問いかけると、うちは朝になると頭突きで起こしてくれると肩を竦められ、舐めて起こされるのとどちらが良いんだろうかと本気で考え込んでしまうが、そんな慶一朗の様子にテイラーが安堵の息を零し、膝の上で丸くなってくれると信頼されている事が分かるぞと頬杖をつく。 「……飼う前はあんなに不安だったのにな」  たった一日でその不安が掻き消え、以前なら考えることも出来なかった事態に陥っても嫌な気持ちにならないんだなと己の変化におかしさを感じている顔で頷く慶一朗にテイラーも頷くが、お前がそんな顔をするようになったのは良いことだと頷いてじろりと睨まれてしまう。 「今度写真を見せてくれ」 「ああ」  リアムが言うにはワクチンをもう一度接種し役所で登録をしなければ散歩に連れて行けないそうだから、家で遊んでいる写真を撮ろうかと、まだまだ己が子犬にスマホのカメラを向ける姿が想像出来ない顔で慶一朗が頷く。 「たかが子犬って前なら思ったんだろうけどな」 「そのたかが子犬が大きく世界を変えるなんて信じられないだろう?」 「ああ」  たった一匹の子犬が家にやって来ただけで何もかもが変わったような気がすると、その変化にまだ戸惑いを感じている様に慶一朗が呟き、友人にとっての未知の経験を既に済ませているテイラーが理解出来ると頷くが、その変化はきっとお前にとって良いものだろうと続けると、そうであって欲しいと慶一朗が肩を竦めて立ち上がる。 「ホアキンにも写真を見せてくれと言われた」 「そうか」  一緒に働くチームメンバー同士交流を深めてくれと笑って慶一朗を見送ったテイラーだったが、公爵という称号を名に持つまだ見ぬ子犬がどのような悪戯をこの先友人の家で巻き起こすのかと想像するだけで笑みが顔中に広がってしまう。 「子犬のパワーは恐ろしいぞ」  この先せいぜい振り回されろと愛のある皮肉を呟いたテイラーは、さっきまで睨み付けていたラップトップが実は敵では無く優秀な味方である事を思い出したような顔でデスクに戻って画面を見つめるのだった。  今日も一日精一杯働いた後に一目散という言葉が相応しい早さで帰宅をした慶一朗を、ハッハッとリアムの腕の中で息を吐きつつちぎれんばかりに尻尾を振るデュークが出迎え、今日からの習慣になるであろう二人と一匹の食事をカウンターの上下という段差はありながらも横一列に並んで終え、慶一朗がいつものようにコーヒーをリビングに持って来たとき、トレーニングエリアでは両端に結び目を作ったロープをリアムがデュークに咥えさせて引っ張り合いを楽しむ姿があり、コーヒーテーブルにカップを置いた慶一朗がソファに腹這いになってその光景を見守る。  食後にはいつもリアムをクッション代わりにソファに寝そべり録画していた番組を見ていたのだが、昨日やってきた子犬、言い方は悪いがたかが子犬一匹がやって来ただけで今までの日常が想像も出来なかった光景で上書きされてしまったのだ。  その変化を自然と受け入れている己に不思議な感覚を覚えた慶一朗だったが、それが嫌なものでは無い事に気付き、テーブルに置いたスマホを手に取ると楽しげに子犬とロープの引っ張り合いをするリアムの姿を動画に収めつつも、まさか己がこのような動画や写真を撮るようになるとはと苦笑した時、ヘイと声を掛けられてスマホから顔上げた慶一朗に向けてロープが飛んでくる。 「!?」  慌ててそれを受け止めて起き上がると信じられない事に次にデュークが飛ぶように駆けてきて、クッションを踏み台にして慶一朗に向けて飛びかかってくる。  身体全体で黒と茶色の弾丸を受け止めた慶一朗は、次に遊んでくれるのを期待するように荒い息を吐く子犬を見下ろし、疲労感を覚えたような顔のリアムと子犬の顔を交互に見つめ、ロープを指し示されて恐る恐る反対側の端を顔の前に向けると、必死になってその結び目にデュークが噛みつく。 「……すごい力だな」 「うん。子犬だと思ってたけど、さすがはシェパードだな」  子犬のうちでこれだけの力を発揮するのだから躾には本当に気を付けないといけないと一瞬だけリアムの顔に不安が過るが、お前がいるから大丈夫だろうと慶一朗が全幅の信頼を寄せている顔で笑い、その声にリアムが軽く目を見張る。 「俺の王子様は相手の為に叱る時は叱ることが出来る男だ」  情に絆されて叱るべき所で甘やかすような事はしないだろうとも続ける慶一朗を座っているソファの背もたれ越しにそっと腕を回して抱きしめたリアムは、その信頼が嬉しいと告げて頬にキスをする。 「そういえばジャックが膝の上で寝てくれると信頼されている事が分かると言っていたな」 「そうかもしれないなぁ」  リアムの頭を後ろに伸ばした手で撫でて引き寄せ、片手でデュークの相手をしながら顔を笑み崩れさせる慶一朗にリアムが嬉しそうに頷くと、背もたれを跨いで慶一朗の隣に座りいつものようにクッションを背もたれに立てかけさせてそこに凭れ掛かる。  子犬が来た事で新たな習慣が生まれたが、今までの二人にとっての心地よい習慣を忘れるつもりは無いと教えるようなその仕草に慶一朗が恐る恐るながらもデュークを抱き上げ、クッションにしては固い感触があるリアムの胸板に背中から倒れ込む。 「皆にデュークが来たって言ったら公爵が来たのかって驚かれた」 「……ジャックも驚いていたな」  リアムが思い浮かべる公爵というのは、面識などなくメディアを通じてしか知ることの出来ない何処かの誰かの事だろうが、慶一朗が思い浮かべるのはある一人の男の事で、テイラーと会話をしていた時の事を思い出しつつ呟くと、確かに驚かれるよなとリアムが苦笑する。 「ああ」  でもそんな事はどうでも良いほどデュークの名前はこれしかないと思える程になっていると笑い、己の胸に座り込む子犬を顔の高さに抱き上げる。 「デューク、ワクチンを打って登録を済ませたらリアムと一緒にキャンプに行こう」  そこで好きなだけ遊ぼうと笑って抱き上げた子犬の鼻の頭にキスをすると、言葉を理解したように子犬の歓喜の声が上がり、そんな慶一朗をリアムがいつものように後ろから抱きしめ、その手をデュークがペロリと舐める。 「お前の兄弟にも会いに行こう」 「そうだな、店に連れて行っても良いか聞いて欲しいな、ケイさん」 「ああ、そうしよう」  デュークの兄弟犬も親友の家に迎え入れられたそうだしどちらもワクチンを終えたら再会させようと笑い、早くその時が来ないかと笑う慶一朗の髪にキスをしたリアムは、犬も一緒に楽しめるキャンプ場を探そうと約束をした時にデュークが大きく欠伸をした事に気付く。 「眠いのか?」 「……そうかも知れないなぁ」  残念そうな気配を漂わせる慶一朗に苦笑したリアムが起きてくれと合図を送り、身体を起こした慶一朗の手からもう一度欠伸をする子犬を受け取ると、ケージのドアを開けて母犬の匂いが残っていて安心できるブランケットとふかふかのベッドにそっと下ろす。  程なくして眠りに落ちた事を教えるようにぽっこりと膨らんだ腹だけが上下するようになり、リアムが静かにケージから離れると今度は慶一朗がぶつかるように抱きしめてくる。 「どうした?」 「……風呂に入る」 「ああ……うん」  じゃあここを片付けるからもう少しだけ待っていてくれと髪にキスをしつつ首筋の上で束ねていたゴムを外すと、慶一朗が大人しく待っている事を教えるようにソファの肘置きに腰を下ろしてリアムがキッチンを片付け終わるのを待ち、これだけは何があっても譲ることは無いとどちらも思っている、ベッドルームに行く際にリアムに抱き上げられるのを待っているのだった。  どちらの息も上がるような時間が過ぎ、眠気がやって来た事をリアムの腕を頭の下に突っ込みながら欠伸をして伝えた慶一朗は、自分達が仕事に行っている間、公爵閣下がどのように過ごしているのかが心配だと呟き、いつもの寝る態勢になったリアムが同意するように頷く。 「そうだなぁ」 「……何か見守るようなカメラとかはないのか?」 「探してみようか」 「ああ」  まだ家に来て一日しか経っていない為にどのような事をするのかは分からないが、見守りカメラがあれば安心だろうと慶一朗が続けると、リアムもその通りだなと頷きながら慶一朗の汗がようやく引いた素肌にキスをする。 「ケイさんがそんなに考えてくれる事が嬉しいな」  躾についての信頼もそうだが、色々考えてくれることが嬉しいと笑うリアムの言葉に何だそれはと返したかった慶一朗だったが、不意に訪れた眠気に負けてしまい、うるさいと呟くことしか出来なかった。 「……お休み、ケイさん」 「……お休み」  その言葉を伝えるだけで限界が訪れ、リアムが抱きしめた痩躯から穏やかな寝息が流れ出し、それに釣られるようにリアムも欠伸をして目を閉じるのだった。  こうして前日やって来た子犬は、二人が考えていた以上に二人の日常の光景を書き換えてしまう力を持っていて、その力に圧倒されつつもそれでも今までと変わらない光景を生み出した二人が穏やかな眠りに向かい、階下の子犬にとっては大きすぎるケージの中では公爵閣下が満足気に眠りを貪っているのだった。      
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  仔犬のパワーは恐ろしいぞ。
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