It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第5話 Without You.
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 目の前に遠慮がちに居座る鮮やかな緑のボディと大きな目をしたカエルが収まるパープルのショッピングバッグを模したケースを睥睨しているのは、その向こうのソファに部屋の主以上に大きな態度で座っている慶一朗と対面しているテイラーだった。 「……僕は別にぬいぐるみの収集家でもないんだけどなぁ」  確か前にドイツに行ったときはダミ声で歌ってくれるクマのぬいぐるみを買ってきたよなぁ。  そう溜息をついて頬杖をつきながらショッピングバッグの中から申し訳なさそうに見上げてくるカエルの頭を突いたテイラーは、そんなことは知っていると言いたげに眼鏡を押し上げる部下に皮肉も嫌味も通じないと気付き、デスクから立ち上がってソファに移動する。 「ケアンズでの殴り合いに参加してどうだった?」 「……ああ、殴り合いを見学するのは楽しかったな」  楽しかったという割には眼鏡の下の目は笑っておらず、何か不愉快なことでもあったのかと問いかけると、不愉快ではないけれどと前置きをした慶一朗が足を組みかえて眼鏡を外して溜息を吐く。 「ケヴィンや他のドクター達と知り合えたのは良い事なんだろうな」 「どうした?」 「GGがどうして俺をあちらこちらに連れまわしてくれるのかをいつか聞き出したいと思った」  よくよく考えればゴードンと己の接点は同じ専門というものだけだが、そこに伴侶であるリアムのオペを執刀したという点が加わり、リアムの今の勤務先の上司であるホーキンスの教え子という点も加わり、気が付けば蜘蛛が糸を張るように関係が広がっていると、目を掛けてくれている事は嬉しいが正直戸惑いを覚えてしまうと素直な思いを口にする。 「確かにそうだよなぁ」  同級生だがここの病院長のアーチボルド程関係が親密ではないゴードンだが、ここ何年かは仕事上でもプライベートでも食事に行くようになったりと親交が深まっていた。  テイラーもどうやらそれが不思議だったようで、あの男の考えは分からないと苦笑しつつ肩を竦めるが、眼鏡を再度掛けた慶一朗がポツリと呟いた言葉に軽く目を見張る。 「……リアム」 「ん?」 「いや……ディアナとの関係もGGもそうだが……」  今の己の職場での人間関係はリアムが現れたことでまるで神経細胞のネットワークのように広がり、相互に関係を持ち増幅されているような気がすると伏し目がちに呟くとテイラーが確かにそうだなぁとソファの背もたれに凭れかかる。  慶一朗が良くも悪くも人畜無害のマッチョマンと評する己の伴侶だが、今己を取り巻く人間関係を思い浮かべ、リアム・フーバーという男を消し去ったと仮定すると、ぞっとするほど空虚な人間関係が浮かび上がってくることに気付き、無意識に体を震わせてしまう。  毎週末になれば遊びに行くナイトクラブを経営しているルカやラシード、今はハワイで研究に没頭しているであろう双子の兄の総一朗と彼と一緒にハワイに移住した恋人の一央を除くと、己の人間関係はテイラーやバロウズらで止まってしまう程空虚なものだった。  その空虚の中に長年身を置いていた為にそれが当たり前だった慶一朗の世界に、世界は広く大きく数多のものと繋がっている事を教えたのがリアムだと気付き、いつだったか、独りと独りの世界が繋がれば良いと笑った顔を自然と思い出し、あの時の言葉の意味を唐突に理解したような気がしてしまう。  人は畢竟ひとりだ。  この言葉は日頃のリアムを思えば信じられないような達観した顔で告げられたものだったが、独りを知るからこそ一緒にいて楽しめる関係を作りたい、そんな誰かと一緒にいたいと思うのだろうとも気付くと、何とも言い表しがたい溜息を吐いてしまう。 「……ケイ?」 「……俺は何という男と結婚したんだろうな」  テイラーの声に微苦笑の後天井を振り仰いだ慶一朗がポツリと呟いた言葉にテイラーが心底驚いたように目を見張るが、お前にそんな顔をさせる、そんなことを言わせるような人間がこの世にいるとは思わなかったと照れ隠しのように笑うと途端に慶一朗の口からお決まりの言葉が流れ出す。 「Scheiße.」 「……あいつに言いつけるぞ」  長年の付き合いがある者同士の気軽さで軽口を吐いた後に互いの顔を見て同時に肩を竦める。 「俺たちには計り知れない男だという事だけは分かった」 「うん、そうだな」  何しろお前を素直に出来る男なのだからだとは胸の中でのみ付け加えたテイラーだったが、次いで聞こえてきた言葉に再度天井を振り仰ぐ。 「そんなあいつを落ち込ませたことは許せないな」  ケアンズでのセミナーから無事に帰宅し、出勤後も予定されていた仕事の全てをこなした後にショッピングバッグ型のケースに納まったカエルのぬいぐるみを片手にここにやって来たのは、きっとその言葉を言いたかったからだと察したテイラーが何を言われたんだと力なく問いかけて顔を戻す。 「俺を甘やかしすぎるのは良くない、そんなことを言われてリアムが落ち込んだ」 「……」  それが気に食わないとぶちぶちと文句を垂れる慶一朗を前に口を閉ざしたテイラーだったが、それはお前とリアムの関係を知るすべての人達が言いたい事であり、また言い続けてきている事だと喉元までせり上がってくる事実をぐっと飲み込み、やるせないような溜息に混ぜ込んで体外に吐き出す。 「GGに今度会ったらあいつは好きで俺を甘やかしているんだからそれで良いと言ってやる」 「うん、そうだな、そう言ってやれ」  そして、その結果を見せつけてやれと力なく返したテイラーの様子に真剣に聞いていないだろう、こっちは悩んでいるのにと恨みが籠った目で慶一朗が睨み、そう睨むなと肩を竦められる。 「とにかく、ケアンズでは収穫があったんだな?」 「ああ……GGの病院関係者とも知り合ったし、他の病院のドクターとも知り合った」  そして何よりもの収穫はケヴィン・ヨンソンという不良オヤジだと笑う慶一朗の顔から嘘は見いだせなかったテイラーが胸を撫で下ろし、次にもしもあればまた行くかと問いかけると少し考えこむように首が傾げられるが、次はヒルかパリスに行かせろとにやりと笑みを浮かべる。 「よそにネットワークを作るのは悪いことじゃない」 「それもそうだな」 「ああ」  テイラーの言葉に頷いて伸びをしたあと、今日はもう帰ると立ち上がり、テイラーのデスクで居場所を間違っていないかと言いたげにこちらを見上げるカエルに目を細め、あれは単なる嫌がらせだから気にするな、本当の土産はここにあると言って病院内で着用している濃いグリーンのシャツのポケットから小さな袋を取り出してテイラーに投げる。 「おっと」  袋を開けるとそこにはケアンズと車体に書かれたバスのピンバッジが二つ入っていて、ピンクと水色のバスの車体が可愛かったからと教えられてテイラーがひとつを取り出して顔の前にかざす。 「この色が素敵だな」 「リズにも渡してくれ」 「サンクス、ケイ」 「ああ」  ぬいぐるみは空港でフライトの待ち時間の間に買っただけだと笑ってじゃあまた明日と手を振る慶一朗の背中を見送ったテイラーは、デスクを振り返り、その上から今のやり取りを見守っていたカエルに微苦笑を送り、己もあと少し仕事を頑張って今日は帰ろう、今日のディナーは何だろうなと学生の頃と変わらない顔で呟いて立ち上がるのだった。 「……これは?」 「うん……ケイさんがディアナにって」  心底不思議そうな声と顔で問われて思わず上目遣いになったのは、今日の診察が終わり明日の予定を院長のホーキンスと話していた時だった。  ホーキンスが座りリアムが彼女の背後の診察台に腰を下ろしているが、その手に納まっているのは、イエローグリーンのショッピングバッグ型のケースから顔を出しているハリモグラらしいぬいぐるみだった。 「彼がこれを私に?」 「ああ。……ケアンズに俺を行かせてくれたお礼だそうだ」  ただ、ぬいぐるみというのは好悪がはっきりと分かれるもので、下手をすれば嫌がらせになると申し訳なさそうに眉を下げるリアムの顔に目を瞬かせたホーキンスだったが、わたくしの趣味がぬいぐるみ集めだとすれば心底嬉しいのでしょうがと何とも言えない顔になる。 「ああ、だからここに置いて診察の時に使えばいい」 「子供たちにですか?」  病院というのは子供たちにとっては想像もつかない恐ろしいことを行ってくる怖い場所という思い込みがあるだろう、それを解消するために使えばどうだと提案すると、ホーキンスがリアムの手からハリモグラを救出し、矯めつ眇めつするようにくるくると回転させる。 「それも良いですね」 「ああ……まあそれはジョークで買って来ただけだ」  本当の土産はこれだと笑ったリアムが訝るホーキンスに待ってくれと告げて診察室の後部で繋がっている隣の診察室に向かうと、袋を片手に戻ってくる。 「好みは分からないけど、美味そうだったから買って来た」 「ロゼワインですね」 「ああ。好きだといいけど」  二人で土産を探していたが良いものが思い当たらず、ホテルで飲んだワインの中にあったからそれを買って来たと苦笑するリアムにホーキンスが教え子が正しい答えを導き出した時の教師の様な顔で笑う。 「週末にソフィーと飲みますね」 「そうしてくれ」  土産が好意的に受け入れられたことに胸を撫で下ろしたリアムが診察台に腰を下ろし、ケアンズではヨンソンとゴードンが本当に男子学生のようだったと苦笑すると、まったくあの二人はとホーキンスの眉がくっきりと寄せられる。 「それにしても不思議なんだけどな」  そう前置きをしたリアムの様子にホーキンスがどうしたのですかと顔を見上げると、どうしてあの人たちは俺たちに良くしてくれるのだろうかという疑問がポツリと零れ落ちる。 「GGがですか?」 「ああ……専門も違うし俺とあの人との接点ははっきり言ってオペをしてもらった事ぐらいだ」 「そうですね」 「なのに、前はドイツの学会にケイさんを連れて行った。今回は国内だけどケアンズに連れて行ったが、プライベートのはずなのにずっと一緒にいて面倒を見てくれていた気がする」  どうしてだろうかと素朴な疑問を口にするリアムにホーキンスも同じように考えこむが、ゴードンが学生時代から人の世話を焼くのが好きだった訳でもないと気付き、それならばそんな男を動かす何かがリアムや慶一朗にあるという事だと気付くと、それは何かと思考の森に足を踏み入れてしまう。 「俺はともかくケイさんは同じ専門だからかもなぁ」 「そんなに気になるのなら直接聞き出してみればどうですか?」 「うーん……あの人が素直に教えてくれるかな」  慶一朗が不良オヤジ達と呼んだゴードンが素直に本心を吐露するだろうかとリアムが肩を竦め、考えても仕方のないことは考えない事にすると笑うと、今日はお疲れさまとホーキンスにねぎらいの言葉を掛ける。 「ええ、あなたも」 「今日のディナーは何にしようかな」 「まだ考えてないのですか?」 「週末に買い物に行けなかったから冷蔵庫の中が空なんだよな」  まとめ買いに行けなかった弊害がこんな所に出ていると笑うリアムにホーキンスが好まし気に目を細め、最近美味しいイタリアンを見つけたらしいと教えるとリアムの顔に嬉しそうな笑みが浮かぶ。 「イタリアンも良いな」  それならあの人も喜んで食ってくれると思うと頷くリアムをただ笑顔で見守るホーキンスだったが、デスクからこちらをじっと見つめてくるぬいぐるみに目を向け、これからの診察の一助になってくれと心の中で願うと、さあ、帰りましょうと声を掛けて立ち上がり、リアムもまた明日と手を挙げて診察室を出ていく。  その背中を見送ったホーキンスが、サプライズとして早めに送り出して良かったと先週の己の行動を肯定し、可愛いぬいぐるみがその結果だと気付いて自然と肩を揺らしてしまうのだった。  互いに今日一日の仕事であった話せる範囲の話題を、アイランドキッチンのカウンターに肩を並べてテイクアウェイをした料理を食べながら話し、互いに感想や意見を述べながら食べ終えた後、久し振りに慶一朗が食後のフラットホワイトを淹れて二人分のカップを両手にソファで寛いでいるリアムの前にそれを置く。 「旅行は楽しいけどこれを飲めないのはやっぱり辛いなぁ」  このコーヒーの美味さは自宅に戻ってきて実感出来ると苦笑するリアムにお褒めに与り光栄ですと戯けた顔で礼をした後、珍しくリアムの横に腰を下ろし、肩に頭を預けるように身を寄せる。 「ディアナがワインをありがとうって」  週末にホワイトと一緒に楽しむと言っていたことを伝えると、喜んで貰えて良かったと安堵の息を慶一朗が零し、ぬいぐるみについては何か言っていたかと期待に満ちた声で問い返す。 「う、ん……クリニックに来た子どもがぐずったときに慰めに使えるんじゃないかって」  己の肩に載せられる柔らかな髪を癖のように摘まんだり撫でながらリアムが苦笑すると、そういう使い方もあるんだなと感心したような声が上がるが、ジャックに渡したら複雑な顔をしていて面白かったとその時の様子を思い出したような笑い声が流れ出す。 「後はアポフィスの分だな」 「……気付いたけどさ、ケイさんって意外とぬいぐるみとかが好きだよな」  良く考えれば今二人が座っているソファの横にも等身大のキャラクターのぬいぐるみがあるし、今は一人掛けのソファに青い電話ボックス型のぬいぐるみが鎮座していることをリアムが口にすると、そうかと不思議そうに返される。 「キャラクターが好きだから買うけど、ぬいぐるみは特に好きじゃない」 「……それもそうか」 「ああ」  もしも今存在するとすればだが、一番欲しいぬいぐるみがあると、リアムの肩から頭を持ち上げて愛嬌のある横顔を細めた目で見つめた慶一朗が促されて口にしたのは、人畜無害でネットワークの中心に座っているような男のぬいぐるみだとの言葉で、意味が分からないとリアムの眉がくっきりと寄せられる。 「今日ジャックと話をしていた」  お前と付き合いだしてゴードンと知己を得て彼の恩師であるホーキンスとも知り合い今ではお前は彼女の右腕として働いているし、今回ケアンズにゴードンの薦めがあったためにテイラーが己を推薦したのだと教えられた慶一朗が微苦笑するが、ゴードンとテイラーのその推薦のお陰でケアンズでのセミナーでNSW内外の同じ専門のドクター達と面識を得たと答えると、リアムの目が好意的に細められて大きな手がそっと頬を撫でる。 「そっか」 「ああ……お前があの事故でGGのオペを受けなければ、今でも名前は知っているけれど面識などない遠い存在だっただろうな」  セミナーの後のプライベートで一緒に行動するだけでは無く、不良オヤジと決して褒められない言葉を投げつけても笑顔で受け止めてくれるような関係になれるとは思わなかったと素直に笑う慶一朗にリアムも頷き、あの事故は時々二人の中で思い出されて胸を締め付けることがあるが、ゴードンというある意味希有な男に出会う切っ掛けになったことを思えば何もかも悪いことでは無かったと互いに小さく笑い合う。 「でも、お前を落ち込ませたことは許せないな」 「……俺はもう良いと思うけど」 「お前が良くても俺が嫌だ」  このことについてお前の意見は聞き入れないと、さっきまでの穏やかさなど嘘のように目を細めて舌を小さく出す慶一朗の顔はどこからどう見ても悪魔的なもので、それについてJa.ともNein.とも言えなかったリアムが辛うじて呟いたのは、ジーザスという一言だけだった。 「俺のものを傷付ける奴が悪い」 「俺のもの?」 「……!」  付き合い始めた頃から思えば別人のようなその言葉が俄に信じられずにリアムがオウム返しに呟くと、己の言葉の意味を理解したらしい慶一朗の顔が真っ赤になり、うるさい今の言葉は無しだとリアムの前で滑稽なほど慌てふためいてしまう。 「え、取り消すなんて言うなよ、ケイさん」 「うるさいっ! 取り消すったら取り消す!」 「ケーイさーん」  ソファの上で取り消すだの取り消すを取り消せだのと大騒ぎを始めた二人だったが、暴れた拍子に慶一朗の足がコーヒーテーブルを蹴ってしまい、そこに置いたマグカップに残っていたコーヒーが少しテーブルに零れ、二人同時にヤバいという顔を見合わせてしまう。 「……まあ、俺を心配してくれるのは、うん、嬉しい。ダンケ、ケイさん」  零れたコーヒーを拭きながらそれでも嬉しそうな笑顔で慶一朗に礼を言うリアムに羞恥と毒気を抜かれたのか、隣に戻ってきた伴侶の肩にもう一度頭を載せて大きな手を掴んでいつものように手遊びを始めてしまう。 「……またケアンズに旅行で行こうか」 「そうだな、それも悪くないな」  ただし、お前の手料理を食べられない為に味覚がおかしくなる前に帰ってきたいと笑いながらリアムの爪を指でぎゅっと圧迫する慶一朗の言葉にリアムも頷き、ケイさんのコーヒーが飲めないのは寂しいもんなぁと笑う。 「ああ」  だから旅行でいける日にちは少ないだろうがヨンソンの都合も合えばトローリングをさせて貰おうと笑い、己の手を慶一朗の手から取り戻したリアムは、何をするんだと不満を訴えるように見上げてくる視線に気付いて髪にキスをし、マグカップをシンクに運んで伸びをする。 「上に行くか?」 「ああ」  リアムの問いかけに慶一朗が小さく両手を広げた為、笑顔でその腕を掴んで勢いよく慶一朗を抱き上げると、ヨンソンが過去に発表している論文に気になることがあった、ベッドの中で読もうと告げた慶一朗がベッドへゴーと指を階段へと向けて突き出す。 「ケヴィンの論文?」 「ああ……不良オヤジなんて言っても笑って許してくれるけど、本当は尊敬できるドクターだな」  ケアンズでゴードンに紹介されたヨンソンだが、真面目な顔を一緒にいる間で見たことは数えるほどで、いつもふざけたような言動が多かった記憶があるが、それが己が飄々と病院内の人間関係の沼を泳ぐ時の処世術と同じだと気付き、ベッドに下ろされて置いてあったタブレットを手に寝転がる。 「リアム、朝飯にベティーが食いたい」 「エッグベネディクト」  タブレットの論文を読みながら明日のモーニングについてのオーダーをした慶一朗だったが、隣に同じように寝転がるのではなく、ベッドヘッドにクッションを並べて背中を預けたリアムがわざわざ言い直した事に気付き、タブレットから目を離して愛嬌のある顔を見上げる。 「……大きなマッシュルームも食いたい」 「うん、マッシュルームの上に載せて食べても良いな」 「ベティー?」 「エッグベネディクト、だ」  リアムを揶揄うようにわざとベティーと返すと、リアムが読み始めたばかりの雑誌を投げ出して慶一朗の手からタブレットも奪い取り、驚きの声を上げる慶一朗に覆い被さる。 「あ、こら! 俺の勉強の時間を奪うな!」 「ケイさんがしつこいからだ!」  分かっていてエッグベネディクトを省略して呼ぶんだからと、少しだけ拗ねた気持ちを滲ませる声に慶一朗が目を丸くするが、嫉妬深い王子様、女など食わないと前にも言っただろうとそっと囁き、広い背中に手を回して抱きしめる。 「……お前以外、要らない」  こんなにも俺を思って甘やかしてくれるし叱るときは叱ることの出来る存在は本当に貴重なものだ、お前がいない世界など最早想像も出来ないとも囁くと、嬉しそうな吐息が顔の横に落ちて抱きしめられる腕に力がこもった事にも気付く。 「だから嫉妬せずにタブレットを返してくれ」 「……嫉妬はしてないけど、タブレットは返そうかな」  珍しく素直では無い事を呟きつつタブレットを慶一朗に返すと受け取るが、すぐさまそれをベッドに投げ出して再度リアムの背中に両手を回して抱き寄せる。 「どうした?」 「論文はまた今度読む」  だからお前も本を読むのを止めろと笑いながら囁き、うんと同意の声を上げるリアムを抱き枕よろしく抱きしめると、満足そうな吐息が零れ落ちる。 「……俺も、ケイさんがいないともうダメだなぁ」 「何か言ったか?」 「言ってない」  だから気にせずにもう寝ろと部屋の明かりを消した後、サイドテーブルの照明だけを付けたリアムが慶一朗の頬にキスをし、今日も一日良く頑張ったと明日への活力を沸き起こさせるような笑顔で今日の疲れを労うと同じキスが頬に返される。 「お休み、ケイさん」 「……ん」  リアムの声に返す声は小さな掠れたものだったが、しっかりとそれを受け止めたリアムが慶一朗の頭の下に腕を差し入れると落ち着いた態勢になったことを教えてくれる吐息が零される。  それを聞きながらリアムも目を閉じ、明日も今日のように穏やかな一日であれば良いと己と先に眠りに落ちた伴侶のために願い、細い腰に腕を回しながら眠りに落ちるのだった。  今回のケアンズでのセミナーでヨンソンやその他のドクター達と面識を得た慶一朗だったが、ゴードンに何故己をこれほどまで気遣ってくれるのかという疑問には答えを得られずに毎年のようにケアンズで行われるセミナーに参加し、後から合流するリアムと一緒になってヨンソンとゴードンとトローリングを満喫したりリアムの手料理を楽しんだりする時間を、時が流れてそれぞれの肩書きが変化をしても四人の交流だけは変わらないと言いたげに過ごすのだった。    
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  俺のものを傷付ける奴が悪いんだ。
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