It's a Wonderful Life.-Family Plan.-

第2話 PRIDEⅡ.
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 日を追うにつれ寒さが増してくる6月のシドニーは今日も昨日より少し寒さが厳しくなっていたが、それでも人々は昨日と同じか同じに感じつつも違う今日を送っていた。  そんな中、シドニー市内から車で小一時間西に走った先の丘陵地帯にある、この周辺一帯の医療の拠点となる総合病院や専門に特化した病院では、今日もホームドクターからの紹介を受けた患者が専門医の診察を受けるために近隣の町からやって来ていた。  その専門の病院の中核にもなるこの丘陵と同じ名前を冠するビクトリア・ノースヒル・ホスピタルでも今朝から不安そうな顔でやって来る患者や退院できる安堵に顔を綻ばせる人々が行き交っていた。  そんな、病院としてはいつもと変わらない時間が今日も始まろうとしていた午前、ERに一報が入り室内にいたスタッフらに緊張が走る。 「病院から1キロ北の住宅街のランナバウトで車同士の衝突事故、一台は路肩に弾き飛ばされて横転、一台は路肩で停止。乗員は横転した車に父と息子の二人、路肩で停止した車に一人」  双方の負傷具合については詳細を確認中だが、どちらも衝突の衝撃で全身の負傷と頭部からの出血などを確認との情報が流れ、ERから各科の担当ドクターへと連絡が回され、三人が搬送されてくる事も伝えられると、朝一番のカンファレンスを終えたばかりのドクターらがERに駆け込んでくる。 「患者の容体は?」 「横転した車の運転手は意識不明、後部のチャイルドシートに乗っていた子供は意識あり。もう一台の車の運転手も意識あり」  その報告がドクターやスタッフらの間に共有された直後に聞き慣れた救急車のサイレン音が近づいてきて、その場にいる皆に緊張が走る。  到着した救急車から大急ぎで搬送されてくる患者に必要な処置を行いつつER内のベッドに移動させると、指先に患者のバイタルを把握するための器具や酸素マスクが装着されていく。  最初に搬送されたのがどうやら父親のようで、チャイルドシートに乗っていた子供もストレッチャーで運ばれてくるが、痛みから呼吸が早くなっていることに気づいたドクターたちがてきぱきと冷静に処置をしていく。 「もう一人は!?」 「今入りました!」  朝の交通事故で負傷した三名が搬送され、それぞれのドクターやスタッフらが慌ただしくもやるべきことを的確に行っている中、警察と救急隊員が病院の事務員に説明を行い、別の事務スタッフが病院内でのみ使える携帯電話で何やら早口に捲し立てていた。 「……チャイルドシートは偉大だな」 「ああ」  事故に遭ってしまったが父親が常識と危機感を持ち合わせてくれていて良かったと、三人が搬送されたことでてんやわんやになっているERに緊張感も何もない顔でやってきたのは、ビクトリア・ノースヒル・ホスピタルの脳神経科に所属する二人のドクターで、彼らの後ろにスタッフらの見覚えのない男女も緊張を通り越した蒼白にすら見える顔でやってきていた。 「ドクター・ヒル、ドクター・ユズ、頭部のレントゲンです」  二人に気づいたスタッフが撮影されたレントゲンを提示し、それぞれが担当を決めていたようにヒルが最も重傷を負っている父親の横に、慶一朗が子供の横に向かうが子供の負傷がチャイルドシートに正しく乗せていた為に起きる最低限のものであることに気付くと、小児科からバロウズを呼べとスタッフに伝え、痛みと恐怖を訴えるように体を痙攣させる子供を見下ろし、今ここに己の伴侶がいればきっとこの子供も安心出来るだろうにと瞬間的にその顔を脳裏に思い浮かべるが、背後から聞こえてきた声に意識を切り替える。 「ドクター・ユズ、こちらをお願いします!」  最も負傷の酷い父親の己の子供を思う愛情から子供の命が守られた事実に皆の顔が安堵に緩みかけるが、もう一人の事故の当事者のレントゲンを見せられて思わず眉間に皺を刻んでしまう。 「…………どこまでやれるか分からないがやるぞ」  レントゲンを見るだけで感じる絶望感を己の腹の底に押し込み、後ろで緊張から蒼白な顔色になっている研修医のファルケを振り返った慶一朗は、落ち着いてやれば大丈夫だから落ち着けと、この場で聞くには場違いにも聞こえる飄々とした口調で呟くと、言葉と表情が一致しない事が理解できないと言いたげにファルケが眉を寄せる。 「オペ室の準備完了です」 「頼む」  その声に頷きファルケにも頷いた慶一朗がチラリと背後を振り返ると子どもの父親のベッドが運び出され、そのすぐ傍をヒルが険しい表情で歩くのに気付き思わず声を掛けてしまう。 「ヘイ、オーガスト!」  その声に足を止めて振り返ったのはヒル以外のスタッフらだったが、それを特に気にすることもなくグッドラックと片手を挙げると、決して振り返らないヒルの手が肩越しに挙げられる。  一年、いや、半年前でも中々信じられないコミュニケーションの方法に周囲が一瞬唖然としたまま動きを止めてしまうが、エレベーターに乗り込んだヒルの横顔が自信に満ちていることに気付き、その横顔から周囲のスタッフらも絶望的なオペにはならなという一縷の希望を抱く。  二人の関係を知らない状態のファルケが呆然とある種の感動のようなモノを目に込めて慶一朗を見つめ、その視線に気付いた慶一朗が照れ隠しのように咳払いをすると、己の患者のオペ室への移送の準備が整ったことを改めて教えられる。 「さ、やるか」 「は、はい」  一足先にオペに向かったヒルを追いかけるようにエレベーターを待っていたときにベッドの上で喉が詰まったような呼吸音が聞こえ、スタッフも含めて同時にベッドの上へと顔を向けるが、最も素早く行動に移したのは飄々とした顔でエレベーターの表示パネルを見ていると思っていた慶一朗だった。  ベッドの上の患者の酸素マスクを外して口元に耳を宛て何かを確かめた後、患者の体を跨ぐようにベッドに飛び乗ったのだ。 「AEDの用意。オペ室に念のための電気ショックも用意してくれ」 「は、はい!」  鋭いその一言にスタッフが携帯を取りだしてスタッフに手早く事情を説明するが、その間患者に跨がった慶一朗はテンポ良く心臓マッサージを繰り返していた。 「エレベーター、来ます!」 「停めててくれ」  まだだ、まだ逝くなと呟きながら力一杯心臓マッサージを繰り返していると、連絡を受けたスタッフがAEDを運んできた為、そちらの準備の指示をし、その声に突き動かされたように従ったのはファルケで、スタッフから器具を受け取ると慶一朗の心臓マッサージの合間に患者の胸にパッドを貼り付けていく。 「サンクス、ホアキン」 「い、いえ……」  にやりと笑みを浮かべた慶一朗がファルケを褒めるようにファーストネームを呼び、いえともう一度呟いたファルケの前、AEDを教科書通りに正しい使い方で起動させる。  一度は停止した心臓が動き出したのを掌で感じた慶一朗だったが、停めていたエレベーターにこのまま乗せろ、もしもまた心停止になればオペ室で電気ショックを使用する事を告げつつも心臓マッサージを停めることはなかった。  患者に跨がりながらエレベーターでオペ室があるフロアに移動した慶一朗は、連絡が先に届いていたために準備がなされているそこに入り、少し遅れてやって来るファルケの肩をポンと叩くと無言でオペ室の扉を見つめる。 「ドクター・ユズ」 「さ、やるだけやるか」  準備室で殺菌済みのオペ着に着替え、最近では必要不可欠なものになっているゴーグルを装着した慶一朗にファルケも唾を飲みこんで頷き、一足先に運び込まれた患者の元に向かう。 「先生、心電図が……」 「電気ショックの用意」  今朝の事故で運び込まれた急患という以外今まで何度となく経験してきたオペだ、落ち着いてやろうと患者を囲むように立つスタッフの顔をしっかりと見回した慶一朗が頷き、準備出来ましたと教えられて両手に電気ショックのパッドを持つ。 「離れろ」  その言葉を合図に放電の音と患者の体が手術台の上で跳ねる音が響くが、心電戻りませんと悲鳴じみた声が上がる。 「まだ逝くときじゃない」  もう一度ショックを与えた後に戻りましたという声が響きオペ室に安堵の空気が一瞬だけ流れるが、さあ、これからが本番だと慶一朗が歌うように呟き、一連の動きをただ見つめることしか出来なかったファルケが今己に何が出来るのかを考え、この場では看護師達よりも何も知らないであろうと己の状況を判断すると、オペ室での動きを覚える真摯さで誰かの指示が飛べば真っ先にそれに応えるように神経を張り巡らせているのだった。  ホーキンス・ファミリー・メディカルセンターという名前のクリニックで院長のディアナ・ホーキンスとともに患者の診察を担っているリアムがその事故について知ったのは、ランチタイムが終わり午後からの診察までの空き時間で少しトレーニングをしようとクリニックに戻ってきた時だった。  待合室のテレビでニュースを見ていたホワイトが痛ましそうに眉を寄せていた事が気になりどうしたと問いかけつつその横に並ぶと、ランナバウトの路肩で横転しているセダンと停止しているピックアップが映し出されていて、警察車両や救急車両が何台も停止し、警察官がランナバウトに出ては入る車の誘導を行っている映像が目に入り、大きな事故でもあったのかと問うと、幼稚園に子どもを送る途中の父親が運転していた車にランナバウトに無理矢理進入してきた車が衝突し、親子の乗った車が横転したそうだと教えられ、子どもが巻き込まれた事故にリアムも眉を寄せてしまう。  今はここのホームドクターとして勤務しているが、元々のリアムの職場は慶一朗と同じビクトリア・ノースヒル・ホスピタルで、専門は小児科だった。  だから子どもが巻き込まれる事件や事故には敏感で、子どもの容態はと気になることを確かめたときに画面下方に流れる字幕情報で事故現場の住所が示され、慶一朗の勤務先からさほど離れていない住宅地だと気付く。 「VNHの近くね」 「そうだな……きっと搬送先だろうな」  なら今あの病院は言葉は悪いが戦場になっているだろうと腕を組み、今日の帰りに寄ってみようと呟くとケイが心配かと問われてヘイゼルの双眸を丸くする。 「まさか! ケイさんならうまく対処するに決まってる」  ただしそれは対患者という己の職務を全うしている時限定で、仕事から解放されたらきっとあの人の事だ、帰る事も煩わしいから病院で泊ると言い出しかねないと、数時間後の伴侶の言動を完全に読み切ったリアムが肩を竦め、二人の付き合いをそっと見守り続けてきたホワイトが確かにそうねと頬に手を宛がい、事故の被害者も心配だがあなたの伴侶も心配ねと苦笑する。 「……事故に遭った人皆命だけは助かってほしいな」 「ええ、そうね」  さて、不幸な事故の話はもうおいておき、午後の診察の準備に取り掛かりましょうと己の気持ちを切り替えるように溜息を吐いたホワイトにリアムも頷き、それもそうだなと伸びをするが、まだ時間があるから少しトレーニングでもしていると笑うと、程々にしないと今着ているポロシャツの袖が筋肉で破れてしまうわよとホワイトに笑われてしまう。 「最近袖周りが細い服が増えたと思わないか?」 「あなたが鍛えすぎてるんじゃないの?」  そんな言葉を交わしつつもリアムはフロアマットが敷かれているエリアに向かい、息をするような気軽さで腕立て伏せをはじめ、それを見ていたホワイトがやれやれと言葉に出して呆れた息を零すが、リアムを見守る目は家族を見るものと同じ優しさを帯びているのだった。  オペ室にスタッフが耳にするのが最もつらいであろう機械音が響き、モニターのチェックをするスタッフの肩越しに画面を睨みつける。 「……心電、戻りません」  その言葉を今日何度聞いただろうと、脳味噌の片隅で思案しながらもスタッフの報告に頷く事で事態の把握をしている事を伝えたのは、朝一番からの緊急のオペにスタッフと共に奮闘していた慶一朗だった。  ゴーグルの奥の双眸には暗い光が浮かび、本日一番の働き手であったファルケが驚いたように端正な横顔を見つめるが、その視線に気付いたのか、暗い光を湛えながらも綺麗だと感じる双眸を細めた慶一朗に頷かれ、ああと眩い照明が降り注ぐ天井を見上げる。 「皆、ご苦労だったな」  やれるだけのことはやったと言える動きを皆やってくれた、ありがとう。  その言葉を患者の傍でスタッフに伝えた慶一朗は、事故の衝撃で負傷した顔面を少しでも整えてもらえないか形成外科のドクターに掛け合ってくれと伝え、沈痛な面持ちから深呼吸を行って気持ちをひとまず切り替えた様に内線電話の受話器を取り上げるスタッフをぼんやりとファルケが顔で追いかけてしまう。 「ホアキン、オペを終えるから手伝ってくれ」  その言葉に顔を戻してはいと小さく返事をしたファルケは、慶一朗の周囲に患者の命を救うために使用した器具や機材が並んでいる事に気付き、それを片付ければ良いのかと悩んでしまうが、開頭手術を行った患者の体を可能な限り生前と同じような状態に戻すことを教えられて無言で頷く。  ファルケが勤務するようになって10日足らずだが、予定されている患者のオペには毎日のように参加して動きを覚えていた。だが今日のような事故で運び込まれた患者のオペは初体験で、それ故にあっという間に時間が流れた気がしてしまい、己がそれだけ必死に動いていた事でもあると気付くと、それ以上に飄々とした表情で、時には軽口すら叩きながらオペに臨んでいた慶一朗の心にはどのような思いが去来しているのかを急に知りたくなる。  そして、噂で聞いていた、己の前に慶一朗の下で働いていた研修医とはどのような人だったのかも知りたくなり、誰かに聞いてみようと一度決めて今は脳味噌の片隅にその話題を追いやり、慶一朗の指示に従ってただ右に左に動き回るのだった。
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  やるだけやるぞ。
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