Die Sonnenblumen-21-

Über das glückliche Leben(UGL)-Lion & Uwe -

 真夏の太陽は地上をあまねく照らし、生真面目に働く者には息抜きを、それなりの働き方をする者にもバカンスの時を与えてくれる様に輝いていたが、その太陽を二重窓を通して恨めしげに見上げたのは、気力だけで何とか今日の診察を乗り切ったウーヴェだった。
 この世でただ一つの太陽は今も上空で誇らしげに輝いているが、己の太陽は今深い地中に潜り込んでいて、どこにいるのかすら知る事が出来ないでいるのにと、真夏の暑さに対するものとは全く違う苦情を胸中で呟き、その余韻を溜息として吐き出してしまうが、デスクに無造作に置いた差出人も無く消印も薄れている開封済みの封筒を一瞥する。
 あの夜、ただ一人自転車に乗って去って行く背中を見送ったウーヴェだったが、必ず戻ってくるとの言葉を信じる以外に出来る事が無く、信じると決めたのであれば愚直なまでのその一言を信じようと腹を括った。
 だが、一睡も出来ずに迎えた朝、本当に帰ってくるのか、己の知らない所で一人きりで膝を抱えて蹲る背中が思い出されてしまい、両親の家でハンナの後を継いで料理をしている料理長の食事も碌に食べることが出来なかった。
 その度に、信じると決めただろうと己の弱さを詰る声と、でも帰ってこなければどうするという不安の声が胸の中で拮抗し、物理的に胸を軋ませるような大きさにまで声が成長してしまっていたのだ。
 そんな不安を抱えたまま何とかクリニックに出勤し、おはようの挨拶をするなり、右手薬指の寒々しさを見抜かれた結果、いつかとは違って昨夜の出来事を彼女に聞いて貰ったのだ。
 同級生や他の友人達との集まりになると職業柄か持って生まれた性分からか、聞き役になる事が圧倒的に多かったが、診察が始まるまでの短い時間でウーヴェが話す事をただ黙って聞いたリアだったが、話の締めくくりをウーヴェが溜息でした後、ついやってしまったと後で僅かに顔を赤くしながら彼女が言い訳したように、ウーヴェの頭をそっと胸に抱き寄せ、きっと大丈夫、あなた達なら大丈夫絶対に大丈夫と優しい声で慰めてくれたのだ。
 その行為に一瞬驚き羞恥を覚えたウーヴェだったが、耳に届く声や抱きしめてくれる腕の優しさが、幼い頃感じていた姉の温もりと同じだと気付くと、一度だけ強く彼女の背中を抱きしめたが、優しい温もりに力を分け与えられて漸く顔を上げることが出来たウーヴェは、羞恥とそれでも大切な友人の力になれた事を誇る笑みを浮かべるリアの頬にキスをし、ありがとうとだけ告げた後、気分転換に顔を洗ったのだった。
 リオンが一人姿を消した夜を越えた朝、世界はいつもと何ら変わる事は無く、ウーヴェを頼ってやってくる患者も変わることは無かった。
 だから習慣のように何とか診察を終えたが、胸を軋ませる音は時計の短針が進むごとに大きくなっていくようで、予定通りに診察を終えた頃には息苦しさすら感じるようになっていたのだった。
 そんな一日を何とか乗り越えたウーヴェだったが、その日のハイライトは、兄、ギュンター・ノルベルトがアポも無く突然クリニックを訪れたことだった。
リオンが出て行った翌日の午後、真夏の太陽が傾き始めた頃には精神的に限界が訪れていて、デスクに尻を乗せて二重窓を見ては、太陽に皮肉な思いをウーヴェはぶつけていた。
 いつもならば仕事が終わった、早く家に帰ろう今すぐ帰ろうと、まるで子どものように顔を輝かせて飛び込んでくる金色の嵐が来ない静けさに診察室が包まれていて、リオンと知り合うまではこの静けさが当たり前だったのにと、デスクを撫でながらぼんやりと呟くものの、そんなものは遙か遠くの昔の出来事か、もしくは幻覚だったのでは無いかと思えてしまい、いてもいなくても騒々しいと感じる伴侶が不在という現実を突きつけられ、やるせない溜息を零す。
 その溜息がデスク表面を滑り落ちた時、聞こえるはずの無いノックの音が響き、デスクの上で身を竦めてしまったウーヴェは、はいと掠れる声で返事をし、ドアが開くのを待つ。
 『・・・まだ帰っていなかったんだな』
 『・・・・・・ノル・・・?』
 ドアが開いて見えたのが見慣れたくすんだ金髪では無く、経年による色のくすみはあれどもそれでも綺麗なブロンドをさっぱりと整え、そんな清潔感を増すようなサマースーツを一分の隙が無いほど着こなしている兄、ギュンター・ノルベルトの姿で、意外さと若干の苛立ちを感じつつ眼鏡の下で目を瞠ると、後ろ手でドアを閉めて患者専用のソファに静かに近寄った後、慈しむ様に背もたれを撫でる。
 『どう、したんだ・・・?』
 掠れる声でどうしたと問いつつリアが帰ったから何も出せないと断ると、そんなものは必要ないと穏やかに頷かれるが、いつも思う事があればまっすぐに目を見つめてくるギュンター・ノルベルトの癖を思い出して無意識に拳を握ってしまう。
 幼い頃の事件の結果、四半世紀近くの歳月を父や兄と接触を避けて来たが、リオンの力を借りて事件以前のような仲の良い家族関係になった後は定期的に自宅で食事をするなど一緒にいる機会が増えていたが、それでもやはり長期間心身ともに距離を取ってきたせいか、今でも二人きりになると緊張を覚えてしまっていた。
 何とか一日を乗り切った疲労感と睡眠不足、そしてリオンが不在というある種の極限状況下、そんな緊張を覚える兄と二人きりで対面することに強い焦燥感を覚えてしまう。
 ギュンター・ノルベルトはそもそもリオンとの付き合いを誰よりも反対し、認めないと結婚式の時ですら素直に祝福することも無かったぐらいだった。
 そんな兄が、リオンが仕事も家庭も放り出して出奔した事実を快く思うはずが無く、これ幸いとリオンの人格否定の言動をする可能性が非常に高く、もし今それをされてしまえば己は抑えられるのか、兄に対し口にしてはならない言葉を吐き捨ててしまうのでは無いかと言う恐怖を覚え、腕を組んで肘をきつく握りしめてしまう。
 それをウーヴェの様子から察したのか、微苦笑しつつ肩を竦めたギュンター・ノルベルトは、ソファの肘置きに腰を下ろしてデスクに同じく座っているウーヴェの目を真っ直ぐに見つめる。
 『リオンの事を聞いたよ』
 『・・・!』
 忙しいはずの兄が何の連絡も無く突然やって来た理由はそれしか無いはずだったが、知られてしまったという事実にウーヴェが無意識に息を飲む。
 父や母の前ではまだ冷静さを保っていられるが、胃の辺りに不快感を覚えながら硬い表情で頷くことしか出来なかったウーヴェの耳に、次に流れ込んでくる言葉がリオンを否定するものであったり非難するようなものであればと眉を寄せるが、聞こえてきたのはそれに類するものだった為、眼鏡の下で限界まで目を瞠ってしまう。
 『全く、あいつも何を考えているんだか・・・』
 何も言わずに出て行ってしまうなど、何を考えているのかと、ウーヴェから目を逸らさずにギュンター・ノルベルトが呟いた瞬間、ウーヴェが握った拳をデスクに叩き付ける。
 『それだけの事が、あいつにはあった・・・!』
 会社に休業届けや言いたくはないが辞表も出すこと無く家を出て行ってしまったことは確かに社会人としては問題があると思うが、それが出来ない程のショックがあいつにはあったと、ただリオンを思って震える声で兄の言葉に言い返したウーヴェだったが、背もたれをゆっくりと撫でるギュンター・ノルベルトの手が動きを止めたのを見、思わず身構えてしまう。
 『確かに、思わず家出をしたくなるような事だな』
 だが、いい年をした大人が、何もかもを投げ出してしまうのはどうなんだと、ウーヴェの人生を大きく変化させた事件の前までと変わらない、ウーヴェと話をするときには絶対にそうしてくる、真っ直ぐに目を見つめたまま問われてしまい、十歳以前に時が遡ったかのような錯覚を抱いてしまう。
 『そうだろう、フェリクス。リオンはものの道理が分からない子どもではない』
 会社に対し仕事を休む説明をする責任がある、それよりも何よりも、己の家族に対して責任を果たしているのかと静かに問われて唇を噛んだウーヴェは、兄の言葉にどう返せば良いのかを思案するが、いつもならばそれなりに動いてくれるはずの脳味噌が全く役に立たなくなっている事に気付き、苛立たしげに舌打ちをする。
 『お前はあいつのことを理解していて分かっている、だから構わないと言えるだろうが・・・』
 それは家族の理解と愛情にあいつが甘えていて、会社、ひいては社会に対しての責任を放棄している事になると静かに諭すように告げられた瞬間、ウーヴェが危惧していた様に感情を抑制することが出来なくなる。
 『確かに、会社に対しての責任を放棄しているかも知れない!何も言わずに家を出て行くことは、良い年をした大人ならやらないことだろうからな!だからといって・・・自分の根源に関わる事で苦しんでいるあいつに、そんなことは個人の問題だ、会社には関係が無いのだから責任を果たせと言えと言うのか!?』
 物心ついて以来、口に出すことはほぼ無かっただろう悩みを目の前に突きつけられ、それに苦しんでいるあいつに、他の責任はどうするんだと言えるのかと、握った拳を腿に押し当てながらギュンター・ノルベルトを睨み付けたウーヴェは、自覚は無いが良く似た面持ちの兄が目を細めた後に無言で肩を竦めたのを見た瞬間、デスクから飛び降りて動かない左足を引きずりながら兄の前に立ち、高級そうなスーツの胸倉を掴んでしまう。
 『そ、れを・・・言え、というのか・・・!?』
 『・・・落ちつけ、フェリクス』
 『落ち着ける、はずが、ない・・・っ!ど、してそんなこと、を・・・っ!!』
 感情の昂ぶりと苦手ではあっても心の奥底では信頼していた兄の冷酷な言葉に声を途切れさせながらも、滅多に見せない激情を兄にぶつけたウーヴェは、どうしてそんなことを言えるんだと、一流ブランドのネクタイに悔しそうに額を押し当てながらどうしてとただ叫んでしまう。
 『ど、うして・・・っ!』
 何故分かってくれないのか。相手の立場を慮って言葉を掛けなさいと、幼い頃膝の上に座らせながら相手をまず思いやる言葉を掛けなさいと教えたのはノルなのにと、遠い昔を思い出しながら叫んだウーヴェだったが、皺が寄ってしまったシャツを気にする余裕も無く、脳裏に浮かぶ背中を思い出し、どうしてと繰り返す。
 『お前を支え、護ると言ったあいつが、今お前を一人にするだけじゃ無くこんなにも悲しませている。許せるはずがないだろう?』
 『────!!』
 俯くウーヴェの頭に降ってきた声は予想外のもので、のろのろと顔を上げたウーヴェが見出したのは、さっきまで対面していた冷酷な兄の顔では無く、幼い頃から毎日見続けていた、己をまず心配し愛してくれる、己にとっては限りなく優しい顔だった為、ウーヴェの見開かれた目から滴が一つ、目尻から零れ落ちる。
 『ノル・・・っ!』
 『あいつも考えた末のことだとは思うが・・・』
 お前を心配し泣かせた、それだけでも十分なのに、俺や父さんの力を借りることもせずに家を出た、許せるはずがないだろうと、ウーヴェの眼鏡をそっと外しながらたギュンター・ノルベルトが目を細めて微苦笑交じりに呟くと、一人で考え込むのでは無く、周囲にいる人達を頼れば誰もあいつを見捨てることなどしないのにと、己の怒りの根源を少しだけ軽口に混ぜてウーヴェに伝えれば、ウーヴェの唇が微かに震えだすだけでは無く、口の端が下がったことに気付き、ウーヴェ同様遠い昔を思い出して嘆息する。
 『ああ、フェリクス、俺たちの宝。────独りで苦しむあいつを誰よりも愛し、心配できる優しいフェリクス。泣くな』
 その一言がウーヴェの背中を押した様で、先の滴を追いかける様に次から次へと涙が頬へと流れて行く。
 『・・・っ!リ、オン・・・・・・っ!』
 『・・・お前もリオンも・・・辛い選択をしたな』
 一人で向き合うなどなかなかできないことだが、この選択はお前達の未来が良くなるために必要不可欠なものだろう、だからお前もあいつを一人で行かせたんだろうと、リオンの名を何度も繰り返すウーヴェの頬を流れ落ちる涙を掌で拭ったギュンター・ノルベルトだったが、拳を握りしめて肩を震わせ大粒の涙を流しながら泣き声を上げていた幼い頃のウーヴェを思い出し、懐かしさに目元を緩めてしまう。
 『人のことで泣くことができ、人の心を思って我慢ができる優しいフェリクス、あいつが戻ってくると言ったのなら必ず戻ってくる、だからそれを待っていよう。出来るな?』
 『リオン・・・っ、リーオ・・・っ!!ノ、ル・・・っ、リオンが・・・っ!』
 リオンが一人で出て行ってしまった、独りは嫌だといつも言っていたあいつを独りきりにさせてしまったと、途切れ途切れにギュンター・ノルベルトに伝えたウーヴェは、あいつを独りにさせてしまったと繰り返したのが限界だったのか、恥も外聞も無く兄のシャツを再度握りしめて顔を押し当てる。
 『────っ!!』
 幼い頃のウーヴェはギュンター・ノルベルトの前では感情を抑えることがない子供で、悲しい時にはそれはそれは盛大に涙や鼻水を流し、咳き込んでしまうほど声を上げて泣いていたのだが、あの頃から時が流れたことを示す様に、ただシャツを握り締めて肩を震わせるだけで、その口から流れ出すのは堪えきれない微かな嗚咽だけだった。
 幼い頃は素直に泣き声を上げられたが、人は一体いつ頃から声を上げて泣くことをやめてしまうのだろうと、ぼんやりと思案しつつも、震える肩や背中を幼い頃と変わらない優しさで撫でて慰めたギュンター・ノルベルトは、幼い頃何度も繰り返した様に、色が変わってしまったがそれでも手触りなどは変わらない髪にキスをし、一人がけのソファに倒れこむ様に座ってウーヴェを足に座らせる。
 『ああ、辛いな、フェリクス。お前もリオンも・・・その辛い道を自ら選べる強い人だ』
 自分たちの未来が別々の道へと進まない様にする為、今最も辛く苦しい道を選べる強い人だと、髪を撫でて背中を撫でながらウーヴェを慰めたギュンター・ノルベルトだったが、ウーヴェがリオンの名前だけを繰り返し嗚咽をこぼす姿を見守るのは流石に胸が痛んでしまい、頼むからもう泣くなと囁きかける。
 『フェリクス、俺たちの宝。頼むからもう泣くな。お前に泣かれると・・・』
 俺も父さんも本当にどうすれば良いかわからないし胸が痛いと、過去の痛みを思い出しながら囁くが、リオンを思う気持ちと今までずっと堪えていたものを解き放ってしまったウーヴェには涙を止める術がないようで、ギュンター・ノルベルトのシャツを握り締め、顔を押し当ててシャツに涙の滲みを作ってしまうのだった。

 

 子供の頃とは違って静かに、ただ愛する人の名を呼びながら涙を流したウーヴェがふと我に返った時真っ先に目に飛び込んで来たのは、高級なシャツに広がる染みと、困惑しつつもしっかりと抱きしめ支えてくれている兄の顔で、もう気が済んだかと苦笑交じりに問われて今更ながらに羞恥を覚えて赤面してしまう。
 『・・・ほら、これで顔を拭け、フェリクス』
 差し出されたチーフに流石にそれでは顔を拭けないと首を横に振って断ったウーヴェだったが、何を今更遠慮しているんだと笑われ、顔の中心、特に目元と鼻にチーフを押し当てられて目を白黒させる。
 『ほら』
 『自分で、出来るっ・・・ 』
 『はは、そうだな。じゃあ涙と鼻水を拭いたら少し話をしよう』
 もうさっきのようにリオンを責めたりはしない、だから感情的になるのでは無く落ち着いて話をしようと笑う兄に、遠慮せずにチーフで顔を拭いて鼻もかんだウーヴェは、時々リオンに似たようなことをして子供扱いするなと睨まれたことを思い出すが、兄にとって己はいつまでも幼い頃のままなのかと、少しだけ暗澹たる気持ちに囚われかけるが、ちらりと見た兄の顔は昔から全く変わることのない穏やかな顔で、感謝の言葉を小さく呟きながらチーフを折り畳んでジャケットのポケットにしまう。
 『クリーニング、するから・・・』
 『ああ、気にしなくて良い』
 それよりも、もし可能なら足がしびれて麻痺しているから一度降りてくれないかと、己が兄の足に座ったままであることを思い出したウーヴェが猫か何かのように飛び上がってギュンター・ノルベルトが座るソファから立ち上がる。
 『ああ、ありがとう、フェリクス』
 幼い頃は全く平気だったが、流石にいまは立派な大人だ、少しの時間だけでも足が痺れてしまうなと笑う兄に赤面した弟は何も返せずに俯いてしまうが、ぽんぽんと肘置きを叩かれて意味を理解し、ギュンター・ノルベルトの手が示したそこに遠慮がちに腰を下ろす。
 『リオンもお前も・・・本当に辛かったな』
 『ノル・・・?』
 『映画祭でクルーガー夫妻と関わることになったが・・・』
 それが無ければ、今でもリオンは毎日文句を言いながらも会社に出勤し、お前との暮らしを垣間見せてくれていただろうにと、腕を組んで天井を見上げつつ悲痛な思いを滲ませながら口を開く兄を呆然と見つめた弟は、まさかそんな言葉を聞くことになるとは思わなかったと呟いてしまい、苦笑されてしまう。
 『クルーガー夫妻がリオンの実の両親だと聞いたよ』
 ノア・クルーガーと血縁関係があるかどうかの検査をした事も聞いたし、その結果も聞いたと頷かれて自然と頷き返したウーヴェは、全部聞いたかと掠れる声で問いかけ、兄の頭が上下するのを見届けると、肺の中を空にするような息を吐く。
 『・・・先に分かっていれば、リオンに会いたいと頼まれても断っていたのにな』
 『え・・・?』
 次いで聞こえてきた言葉の真意が咄嗟に理解出来ずにただただ呆然とギュンター・ノルベルトの顔を見下ろしたウーヴェは、会社にクルーガー夫妻が来たことかと呟くと、兄が申し訳なさそうな顔で一つ頷く。
 『時間がかかって申し訳なかったが、リオンに直接礼を言わせてほしい、そう先方からオファーがあった』
 『そうだったのか』
 その日は確か検査結果がクリニックに届いた日で、正直な話、その結果にウーヴェが予想以上に打ちのめされてしまい、リオンが残業のために午後の休暇が潰れたことに安堵してしまっていたのだが、その日の夜遅くに帰宅したリオンの様子は、今思い出してみればウーヴェだけが読み取れる異変が言葉の端々や表情に現れていたのだ。
 『今も言ったが・・・彼らがリオンを捨てた両親だと分かっていれば、どれだけ懇願されようが絶対に会わせることはなかった』
 『ノル、それは・・・』
 『・・・俺は、今まで何度も言って来たように、お前が生まれて人生が大きく変わった。────俺の人生を豊かにしてくれたのはお前だ、フェリクス』
 顔の前で指先を重ねて目を細めるギュンター・ノルベルトの言葉にウーヴェが軽く目を見張って兄を見下ろすが、遠い昔を懐かしむように口元に笑みを浮かべる。
『お前が生まれて家に戻った、その結果エリーや父さん母さんとも普通の親子のようになった』
 もちろん、それにはヘクターとハンナという強力な助っ人の手助けがあったからだと肩を竦めたギュンター・ノルベルトは、子供の誕生というのは良くも悪くも人が変わるきっかけになるものだと呟き、それなのにあの二人は生まれたばかりのリオンを教会に捨てた、許せるはずがないしどの面を下げてリオンに顔を合わせるつもりだと詰りたくもなるだろうと、上目遣いにウーヴェを見つめてきたため、素直にウーヴェの頭が上下する。
 『・・・うん』
 『一度だけでも十分すぎるほどなのに、リオンを目の前にして、自分達の子供はノアただ一人、ノアに兄などいないと断言までした』
 『そ、んなことを・・・!?』
 『ああ。────リオンもまだ検査結果を知らなかったから当たり前の顔でそれを聞いていたが・・・』
 今から思えばその一言はリオンの前では絶対に言ってはいけない言葉だとわかると、珍しく舌打ちをしたギュンター・ノルベルトは、ウーヴェがどうしてそう思うと、掠れて途切れる声で問いかけてきたため、意外そうに目を見張ってソファの上で身体を捻ると、ウーヴェの目をまっすぐに見上げる。
 『どうして?それがわからないお前じゃないだろう、フェリクス。────リオンは両親によって一度ならずも二度までも捨てられたんだぞ?』
 お前はそれを許せるのかと強くは無いが決して逆らうことなどできない語気で問われて息を飲んだウーヴェだったが、兄の言葉の真意を読み取った瞬間、止まったはずの涙がまた頬を流れ落ちてしまう。
 『────リ、オン・・・っ』
 『Einmal ist keinmal.とはいうが・・・子供を捨てる親の事情は多少は理解できる。だが・・・たとえリオンがあの時自分たちの手で捨てた子供だと知らずにその言葉を言ったとしても、二度目は有り得ない。もし、もしもリオンが自分たちの子供だと理解した上でのその言葉なら・・・』
 今後一切、会社の広告などにクルーガー夫妻を使わない、来年の映画祭も事情が事情だから彼女を招待しようと話が出ているそうだが、招待どころかこの街に足を踏み入れさせない、俺たちの大切な家族を傷付けた報いを受けて貰うと、仕事に絡んだギュンター・ノルベルトが、氷でできた鋭利な剃刀だと評される横顔を珍しくウーヴェに見せるが、ふと目元に柔らかさを称えて手を挙げ、弟の頬を流れ落ちる涙をさっきと同じ優しい手で拭いてやる。
 『だからフェリクス、もう泣くな。────自分と向き合ったリオンが戻って来た時、あいつの居場所を用意できるのはお前だけだ』
 だから今は構わないが、ここを出た後はいつ戻ってきてもいいように、あいつの居場所を護ってやろう、その為に俺ができることがあるのなら喜んでなんでもしよう、エリーにも連絡を入れたが随分と怒っていたと笑い、ウーヴェの目を見開かせる。
 『・・・リオン、の、居場所・・・』
 『ああ。お前がもし前のように心を閉ざしたり引きこもってしまえば、戻ってきたあいつが心配するだろう?』
 一人で抱えるのは辛い、こんな時だからこそ家族やお前の友人達を頼り、可能な限り元気に過ごすことだと、頬をぐいと掌で撫でたギュンター・ノルベルトは、ウーヴェの双眸に強い光が戻ったことに気付き、隠しもしない安堵の溜息をこぼす。
 『・・・うん』
 『よし。じゃあ今後の対策を決めなければならないから、ベルトランの店で食事をしながら話さないか?』
 お前のことだ、ベルトランには会って直接話すつもりだったんだろうと笑う兄に弟が素直に頷くと、ギュンター・ノルベルトがプライベートのスマホを取り出してゲートルートに電話を掛ける。
 すぐ近くで交わされる兄と幼馴染の会話を断片的に聞いていたウーヴェだったが、確かに戻ってきたリオンが窶れていたり仕事にもまともに向き合わない己だったら心配し、己の行動がウーヴェをこんな風にさせてしまったと自己嫌悪に陥ることは明白で、それは避けたい一心で両頬を軽く叩く。
 リオンが戻ってこなければどうするという不安は今日一日ずっと胸に居座っていたが、必ず戻ってくると己が信じなければ誰が信じるんだと、随分と前向きな気持ちに取って代わられていく。
 心模様が変わる様を感じ、口ではどれだけ意地悪なことを言おうとも己が愛しまた愛してくれるリオンが大切な家族と言い切ってくれた兄には頭が上がらなくなってしまう。
 やはりギュンター・ノルベルトは、バルツァーという企業のトップで会社を守る力量を持つ男である前に、愛する家族が悲しんでいれば一緒に悲しむだけではなく、前を向く力を分け与えてくれる偉大な人であると実感し、ポケットに入れたチーフでもう一度顔を拭くと、通話を終えた兄がじっと見つめていることに気づく。
 『・・・もう大丈夫だな、フェリクス?』
 『・・・ああ、大丈夫』
 ダンケ、ノルと、若干の照れを浮かべつつもしっかりと礼を言ったウーヴェは、幼い頃は自然と、今は少しだけ勇気を奮ってギュンター・ノルベルトの頭を抱え込むように抱き締める。
 『・・・よし。お前が元気になれば大丈夫だ』
 ただ、それでも不安を覚えたり心がざわつく時はすぐに連絡をくれ、一緒にベルトランの店でハンナ直伝のポメスを食べようとウーヴェの背中を撫でると、この日初めてウーヴェの口から小さな笑い声が零れ落ちる。
 『・・・タマネギのみじん切りが載ってるアレ?』
 『そう。お前が泣いたり落ち込んだ時にハンナが作ってくれたものだ』
 ベルトランにレシピを教えて作ってもらおう、いっそそれを裏メニューにしてもらおうかと笑う兄に弟も笑顔で頷くと、ウーヴェがギュンター・ノルベルトの髪にキスをする。
 『・・・ダンケ、ノル。・・・・・・もし、一人が辛かったら・・・・・・』
 『ああ、すぐに連絡をするんだ』
 たとえ国際的な会議の途中であろうがなんであろうがお前からの電話には必ず出るからと、力まずに当たり前の顔で答えるギュンター・ノルベルトにウーヴェも安堵の顔で頷き、ゲートルートに場所を変えて今後の話をしようと立ち上がるのだった。

 

 10日ほど前の兄の突然の来訪とその後のベルトランの店での今後の話し合いを思い出し、開封済みの封筒を手に取ったウーヴェは、チラシか何かの裏に殴り書きされた短すぎる文面を指先でなぞり、そこから書き手の温もりと思いを感じ取ろうとする。
 書かれていたのは、手紙なんて初めてだから何を書けばいいか分からない、ただ、何とか寝る所は確保できたという報告と、追伸、愛している、オーヴェという、手紙というには短すぎるものだけだった。
 ただの報告書のようなそれでもウーヴェにとってはリオンが自ら書いて出してくれた手紙というだけでジワリと胸が温まり、開封すると同時にギュンター・ノルベルトに電話をかけ、あの日の言葉通りにすぐさま電話にでた兄に、今夜ゲートルートに来て欲しいと伝えたのだ。
 ベルトランには自分のテーブルを兄と使うとメッセージを送るだけで十分だった為、クリニックを出る時間を確認し、開封してから何度読み返したか分からないリオンからの手紙を撫で、小さく音を立ててキスをしたウーヴェは、お前が戻ってくるまでお前の居場所は俺が守ると、誰に対する宣言でもないその言葉を小さく呟き、デスクに立てかけてあったステッキを片手に、クリニックを出てゲートルートに向かう準備を始めるのだった。


  Back | Die Sonnenblumen | Next


2020.07.05
少し、ウーヴェがスッキリして前を向いてくれました。これでいける!


Page Top