Die Sonnnennblumen -1-

Über das glückliche Leben(UGL)-Lion & Uwe -

 『─────人生の機微をつぶさに見つめ続けてきた男に、協会から最高の贈り物』
 大々的に新聞の見出しを飾っている一文を読み、国内外のカメラマンが所属する協会で、貢献した写真家を称えた賞を毎年贈っているのだが、今年も誰か著名なカメラマンが貰ったのだろうと察して暢気な声を上げたのは、午前の診察を終えて午後からの事務仕事の前に気分転換を兼ねたランチに来ていたウーヴェだった。
 彼がいるのは常連になっているために店に来るだけでいつもの、路面に面した席ではない、店の奥まったテーブルへと案内してくれる行きつけのカフェで、今日もステッキを突きながらやって来た彼をカフェのスタッフが笑顔でいつものテーブルへと案内してくれたのだ。
 その案内を受けながら通りすがりにマガジンラックから新聞を抜き取ったウーヴェは、サービスランチが終わってしまった事を教えられ、残念だと肩を竦めるが、後でリアも来ることを伝え、注文もその時に一緒にすると笑顔で返して新聞を開く。
 少し遅れてやってくる彼女も今日の午後からは書類仕事に追われる事が確定していて、二人で少しだけ気分が重かったが、二重窓の外の突き抜けるような青空を見た時、せめてランチだけでも外で食べようと意見の一致を見たのだ。
 時間が掛かるから先に出ると残してクリニックを出てきたウーヴェは、リアの姿を開け放たれた路面に面した窓から見つけ、駆け込んでくる彼女に手を上げて合図を送る。
 「お待たせ、ウーヴェ」
 「サービスランチが終わってしまったらしい」
 向かいに腰を下ろすリアに肩を竦めて楽しみにしていたランチが終わった事を伝えると、それならば仕方がない他のメニューを頼もうと微苦笑するが、ウーヴェがテーブルに半分だけ広げていた紙面へと目を落とす。
 「有名な写真家?」
 「なんだろうな。俺は写真に詳しくないから分からない」
 リアの素朴な疑問にウーヴェがもう一度肩を竦めるが、その時、スタッフが注文を聞きに来たため、クラブハウスサンドとカフェオレを、リアはキッシュとサラダが載ったプレートと紅茶を注文し、再度二人で新聞を覗き込む。
 そこに書かれていたのは、受賞が決定したカメラマンの経歴で、見つめ続けてきたと言う言葉が相応しい歴史が羅列されていた。
 「…へぇ、旧東ベルリン出身なのね」
 「ああ、そうみたいだな」
 二人の視線が集中する紙面、カメラを構えつつ穏やかな笑みを浮かべている事を想像させる顔の写真が掲載されていて、リアが呟いた言葉に経歴を改めて読んだウーヴェは、旧東ベルリン出身で現在はウィーンに暮らしていることが経歴に比べれば遙かに短く書かれている事に気付き、東ドイツ出身と言う事で経歴を詳細に書くと不都合なことでもあるのかなとぼんやりと思案する。
 「息子も若手カメラマンの登竜門である賞を受賞し、親子での受賞になった、か」
 父がカメラマンならば息子もそうなる可能性が高いのかなと呟くウーヴェにリアが一概にはそうとは言えないが、確かにアーティストなどはその確率が高いかも知れないと返し、ウーヴェの代わりに紙面を読み進めていく。
 「ヴィルヘルム・クルーガー。息子はノア・クルーガーだって」
 写真展に足を運んだり写真集を見たりすることはあるが、特定のカメラマンを意識して見たことなどなかったウーヴェがやはり聞き覚えのない名前だと再度肩を竦めるが、カメラで大半が隠れている顔が比較的大きく写された写真を何気なく見、不思議な感覚を抱く。
 それは不愉快な神経を逆なでするような物ではなく、どちらかと言えば親和性があり落ち着ける雰囲気に包まれた感覚で、何だと首を傾げて己の深い場所が捉えたそれを追求しようとするが、クラブハウスサンドを運んできたスタッフの声に作業が制止させられてしまい、小さく溜息を零す。
 「このノア・クルーガーの写真、ポストカードで店に置いてるわよ」
 「え?そうなの?」
 二人が覗き込む紙面を同じように見下ろしたスタッフがポストカードを何種類か店に置いてあると告げたため、二人同時に彼女の顔を見上げ、本当かとリアが問いかける。
 「ええ。動物が専門だったかしら。風景も時々撮るみたいだけど、カウンターの横にあるわ」
 興味があるなら後でどうぞと笑って注文の品をテーブルに置こうとしたスタッフを制止して慌てて新聞を畳んだウーヴェは、この受賞を切っ掛けに写真展が開かれれば見に行かないかとリアを誘うと、それも良いわねと頷きながらフォークを手に取った彼女にリオンとは行かないのかと問われて目を丸くし貴重な異性の友人の顔を見つめる。
 「…一緒に行ってもゆっくり見ることが出来ないからな」
 「まあ、そうよね…」
 どう考えてもリオンは色気より食い気だろうし、絵画や写真の鑑賞時間を堪えられるとは思わないと返されて喉の奥で奇妙な声を発してしまう。
 「ウーヴェ?」
 「・・・そう思うだろう?」
 「ええ」
 だから一緒に行かないかと再度問いかけると、写真展の情報などを調べるようにするとリアが笑みを浮かべた為に安堵に胸をなで下ろし、リアに続いてサンドイッチを手に取るが、先ほど覚えた不思議な感覚が脳味噌にこびりついていて、何処で見たんだろうと無意識に呟いてしまう。
 「ウーヴェ?」
 「あ、ああ…この写真家は誰でも名前を知っている人、なのか?」
 「え?」
 「いや、どこかで見たことがある気がするんだ」
 ホットサンドに齧り付く手を止めリアの手も止めさせたウーヴェの一言に彼女も首を傾げるが、折り畳んでウーヴェの横に置かれた新聞を身を乗り出しながら見つめ、カメラに隠れた向こうから笑いかけてくる顔に見覚えがないことを再確認する。
 「私は見覚えないわ」
 「そうか…勘違いかな」
 「かも知れないわね」
 今は記憶にあるかどうかよりも目の前にあるサンドとキッシュのランチを食べきることに専念しましょうと、本能の欲求に勝てない顔で片目を閉じるリアにウーヴェも頷き、確かにそうだとホットサンドに齧り付くのだった。

 

 本能を満たす食事を終えて再度紙面をテーブルに広げたウーヴェは、何故初めて見る他国の写真家が気になるのかが理解出来ずに若干の苛立ちを覚え、彼について書かれた記事総てに目を通し始める。
 その集中力にリアが慣れているからか溜息を一つ零した後、席を立ってスタッフに声を掛け、カウンターの傍の小さなラックに差し込まれているポストカードを手に取る。
 それは、紺碧の海を気持ちよさそうに泳いでいるイルカや、その横で楽しげに水面から飛び上がっているイルカの写真で、海を照らす太陽と日差しを反射させる水面や水しぶきまで捉えられていて、この写真が撮られたときにすぐ傍にいたかのように錯覚させるもので、気持ちよさそうに泳ぐイルカについリアの顔が綻んでしまう。
 「…それがさっき言ってたノア・クルーガーの写真」
 「なんだか楽しそうな写真ね」
 他にも写真面ではなく宛名を書く面に小さく彼の名前が印字されているポストカードがあり、総てを手に取ったリアはランチ代と一緒に払うからと断って席に持って帰る。
 その頃にはウーヴェは記事を総て読み終えていて満足そうに溜息を吐いていた為、これがポストカードだと紙面の上に広げると、確かに動物写真が多いんだなと素っ気なく聞こえる感想が返ってくる。
 「そうね、これ、カナリア諸島で撮ったらしいわ」
 「へえ」
 自分たちの新婚旅行先で撮影された写真なのかと、少し興味を引かれた顔でポストカードを見下ろしたウーヴェは、よく分からないが楽しそうに見えると言う事は、カメラマン自身も楽しかったのだろうと答えてリアを見、彼女の目を丸く見開かせる。
 「リア?」
 「考えたこともなかったわ…。カメラマンの感情も出るのかしら」
 「そうじゃないか?」
 どんな物でも人によって作り出されるものには何かしらの感情が籠もっているだろうが、それがアーティストと呼ばれる人達のものであれば尚更だろうと新聞を畳みながら少しの敬意を込めてウーヴェが呟き、リアも同意するように頷く。
 「このポストカード買うのか?」
 「ええ、何か気に入ったの」
 「そうか」
 クリニックに飾るのならば経費で出すし、自宅に飾るのなら俺が買うと眼鏡の下で片目を閉じるウーヴェに一瞬躊躇ったリアだったが、ありがとうと笑みを浮かべて頷き、ランチ代と一緒に払うことを伝えてある、クリニックに戻ったらランチ代を払うから立て替えてて欲しいと伝え、ウーヴェが手にした新聞を受け取ってマガジンラックに返すために席を立つ。
 一足先に店を出たリアは、日差しの強さから初夏を通り越した夏の気配を感じ取り、今年の夏は暑いのかしらと、掌で日差しを遮りながら空を見上げるが、ふと何かが気になって視線を地上へと戻し、さっきと同じように、だが口元には親しげな笑みを浮かべて手を上げる。
 「リオン!」
 リアから少し離れたインビスの前、くすんだ金髪を首の上で一つにまとめ、楽しそうに誰かと談笑している顔が少しだけ見えた為、もう一度リオンと呼びかけてみるものの、彼女の声に訝るような視線を投げかけてきたのはその背中ではなく彼女の周囲にいた人達だけで、人間違いの羞恥から頬を赤くして俯いたリアは、店から出てきたウーヴェにどうしたと問われて長い髪を乱すように頭を左右に振る。
 「何でもないわ」
 「そうか?」
 リアの様子に訝るように小首を傾げたウーヴェは、少しだけ傾いた視界に意識しなくても目に飛び込んでくるようになったものを見かけ、先ほどの彼女と同じように声に出してその名を呼ぶ。
 「リオン!」
 ウーヴェの声にならば反応するはずと、己の時とは違う安心感に赤く染まる頬に片手を宛がったリアだったが、その声にもリオンは振り返ることがなく、隣にいる顔の半分近くが隠れている夏向けの帽子を被った女性と腕を組んで二人の前から遠ざかって行ってしまう。
 「リオンよね、あれ…」
 「そうだと思うが…」
 それにしては隣にいて親しげに腕を組んでいた女性が気になると、リアが見て見ぬ振りをしていた事に気付いていたウーヴェの呟きに彼女が驚きの顔を向け、そんな人いたかしらと、上手くはない嘘をついてみるが、大きな帽子を被った女性がいただろうとぽつりと呟かれて息を飲んでしまう。
 「き、きっと見間違いよ!」
 だってあなたの声に反応しなかったのだからと、ウーヴェの眼鏡の下の双眸から表情が消えていくのを何とか引き留めようとリアが慌てふためきながらたった今見たのは人間違いだと言い募るが、美女とのデートなど聞いていないとウーヴェが呟いた瞬間、総てを諦めた顔で溜息を零す。
 「…リア、仕事に戻ろうか」
 「え、ええ、そうね」
 溜まっている書類仕事を片付けましょう、そして夕方あなたを迎えにリオンが来れば、締め上げてやるんだからと、ウーヴェと似たり寄ったりの表情で低く呟いたリアは、ウーヴェに預けていれば文字通り握りつぶされてしまうかも知れないポストカードが入っている袋を素早く取り上げると、先に帰るからゆっくり帰ってきてと、ウーヴェの返事も聞かずに掛けだしていく。
 一人取り残される形になったウーヴェは、スマホを取り出してメッセージなり電話なりをリオンに掛けようとするものの、腕を組んでいた女性の顔が心底彼といる事を楽しんでいるように思え、数年前の、今は笑い話に出来るウーヴェの嫉妬心がもたらした小さな事件を思い出してしまい、何の動作をすることもなくスマホをポケットに戻す。
 リアが言うようにクリニックに戻ってきたときに話を聞けば良いと溜息に重い決意を込めて石畳に落としたウーヴェは、立ち去ったリオンに背中を向けるようにクリニックに戻って行くのだった。
 

 

 「────まさかウィルも受賞するなんてな」
 「あら、私は信じてたわ」
 何しろあなたの父であり師匠でもある人なんだからと、ノアの腕に腕を回して少女の頃から変わっていないと称される笑顔で頷いたのは、インビスの店先に並んだ新聞から己の夫が写真家として受賞できることが一つのステータスになっている賞を彼女の予想通りに手にした事を知ったマリーだった。
 「新聞にウィルの経歴が書かれていたけど・・・旧東ドイツ時代のことはあまり書かれていなかったな」
 ノアが投げかけたのは素朴な疑問だったが、己の腕に絡められている腕から緊張を感じ取り、どうしたと母の顔を覗き込んだ息子は、そこに帽子が落とすにしては暗い陰を見出して驚きに言葉を無くす。
 「マリー?」
 「・・・ノア、ウィルにベルリンの話はしてはダメよ」
 私は彼よりは少しだけマシな気持ちで話を聞けるが、今でもウィルは感情的になってしまうのだからと、夫と良く似た息子の端正な顔を見上げていつになく真剣な顔で息子に釘を刺した母は、気持ちの切り替えを図ろうとしてノアの腕を離すと、両手を突き上げて伸びをする。
 その時、横を歩いていたステッキをついた観光客らしき初老の男に腕がぶつかってしまい、はずみで男がよろけてしまうのをノアが咄嗟に伸ばした腕で支えると、ごめんなさいと男に謝罪をするが、男がジロリと彼女を睨んだ為、もう一度申し訳ないと告げてバッグから取り出したサングラスを掛ける。
 「・・・気を付けてくれ」
 「ええ、失礼したわ」
 ぶつかってしまったことへの謝罪を受け入れてくれてありがとうと、小さな声で礼を言った彼女だったが、周囲のざわつきの中に己の名前を幾つも聞き付けてしまい、同じ場所に留まっているとファンや野次馬に囲まれてしまう危惧からノアの腕を引いて路地に向けて歩き出す。
 「待てよ、マリー」
 「行くわよ、ノア」
 男がステッキを頼りに何とか体勢を立て直したのを確認し、謝罪の代わりに軽く頭を下げたノアは、男が周囲のざわつきに反応して目を丸くしたことに気づき、幼い頃から何度も経験している場面への対処法を思い出しながら足早に立ち去ろうとする母を追いかける。
 「・・・ハイディ・クルーガー・・・?」
 ステッキを握る手に力が篭っているのか、ぶるぶると手を震えさせながら立ち去ってしまったノアとマリーの背中を見るーと言うよりは睨み付けていた男は、間近で囁かれる名前を口の中で転がすが、それがまるで劇薬か何かだったかのように目を限界まで見開いてしまう。
 「・・・・・・ハイデマリー・・・!?」
 男の呟きは周囲のざわめきに掻き消されてしまい、一瞬だけでも映画祭にノミネートされている女優を見る事のできた人々が口々に彼女の話を連れとしながら立ち去って行くが、震える手でステッキをなんとか付いて石畳の上を歩こうとした男は、どんな感情からか足が全く動かなくなってしまい、背後にあったインビスの丸椅子にぶつかるように座ってしまう。
 客でもない男に椅子を使われてしまった事への不満をインビスの店員が顔を顰めて訴えようと男の顔を覗き込み、様子が尋常ではないことから気分が悪いのなら水を飲むかと問いかけるが、いくら経っても返事が無い事から、どうすることもできないと肩を竦めて男の存在を忘れ、水をくれと商品と金を差し出す別の客の応対に回るのだった。

 

 

 初夏の太陽は徐々に遊ぶ時間を長くして行く子供のようで、つい何ヶ月か前までならばとっくに寝床に帰っていたはずなのに、そろそろ夕方も遅くなった今もまだ少し明るかった。
 午後の書類仕事を無事にリアと終えたウーヴェは、労ってくれる甘いビスケットと甘さ控えめのココアのカップを片手にお気に入りのチェアに座って雑誌を読んでいたが、脳内では午後の間中ずっと思案していた不思議な感覚とリオンと仲良く腕を組んでいた女性の姿が交互に手を取り合って不愉快なダンスを踊っていた。
 脳内で繰り広げられるそれに珍しく舌打ちをしてしまい、小さな咳払いの音に我に返って再度舌打ちをしそうになるのをグッとこらえ、チェアの肘置きを一つ叩く。
 「・・・ウーヴェ」
 「・・・・・・リオンが悪い」
 俺が今こうして苛々するのも何もかもリオンが悪いと、頬づえを付いてそっぽを向くウーヴェにリアが何度目かの溜息をこぼす。
 ウーヴェのこんな子供っぽい姿など滅多に見られないが、だからといって見せられても精神衛生上よろしく無いことは明白で、もう一度溜息をついてマグカップを口元にあてがった彼女は、そんなに気になるのなら聞いてみればどうだと片目を閉じる。
 「・・・・・・もうすぐ来る」
 「そうね。その時に聞いてみましょうか」
 私も気になっているし、午後の間中のあなたの不機嫌さに付き合わされた事へのお詫びは絶対にしてもらうわと、リアや姉をはじめとした世の女性には何があっても逆らえないのでは無いかと思わせてくれるリアの笑みに目を瞬かせたウーヴェだったが、己の今日半日の言動を振り返り、反省すべき事だらけだと思い到ると同時に咳払いをする。
 「・・・不機嫌になって悪かった」
 「明日まで引きずらないでね、ウーヴェ」
 「ああ、約束する」
 この不機嫌さは今日で終わりにすると約束したウーヴェにリアも満足そうに頷き、今日のビスケットの味はどうだと問いかけるが、その声をかき消すようにドアがノックされて二人同時に飛び上がりそうになる。
 そのノックは相も変わらずのもので、到底ノックとは呼べない代物だったが、本人がノックと言い張る為に二人も諦めてしまっていたのだ。
 その殴り付けるような音にこれまた二人同時に溜息を零し、どうぞとリアが入室の許可を与えると、ハロ、オーヴェ、リアと陽気な声を上げながら金色の嵐が飛び込んで来る。
 「・・・・・・」
 「・・・・・・お疲れ様、リオン」
 いつもならば呆れて何も言えない顔でそれでも快く出迎えてくれる二人なのに、今日に限っては何故か不機嫌なオーラを身に纏うだけではなく明からさまにリオンにぶつけてきた為、一体どうしたと蒼い目を丸くする。
 「オーヴェ?」
 「・・・・・・何だ」
 「いや、何か機嫌悪いのか?」
 しかもお前だけではなくリアもだと、ウーヴェの背後に素早く回り込んだリオンがいつものようにただいまのキスを頬にしようとするが、目には見えない不機嫌さに遮られ、口を尖らせながらもウーヴェをチェア越しに抱きしめる。
 「何だよー」
 「・・・・・・今日のランチは美女と一緒だったのか?」
 一体何なんだと、流石にリオンも焦れて不機嫌さを滲ませ始めた為、ウーヴェが視線だけで背後を振り返り、ランチの後にカフェの店先で見かけた光景を脳裏に思い浮かべながら問いかけると、リオンの目が驚きに丸くなるが、良く分かったなぁと呑気な声を上げる。
 「楽しそうに腕を組んで歩いていたな」
 「へ!?近くにいたのか、オーヴェ!?」
 それならばどうして声を掛けてくれなかったのだと、逆にリオンがウーヴェを詰るように声を大きくした為、ウーヴェが勢い良くチェアの上で身体を捻ってリオンを睨む。
 「声を掛けたのに無視をしたのはお前だろう!?」
 リアにとっては珍しいがリオンにとっては最近では見慣れてきたウーヴェの激情を目の当たりにしたリオンは、その由来へと素早く思考を巡らせるが、己の思いとウーヴェのそれが一致している自信が無かった為、今日の午前の診察は患者の家にでも行ったのかと、ウーヴェが問いかけてきた事とは一見関係のなさそうな質問を返し、今日はここで診察していた、往診に入っていないと冷ややかな声に答えを教えられる。
 ああ、いつかもこんなことがあったとウーヴェが激情の裏で冷静に呟いた時、あれはシスター・ゾフィーだったが今日は流石に誰だか分からないと眉を寄せる。
 結婚しこれからの人生共に同じ方向を向いて歩んでいこうと誓い合ったが、それを破ってしまうほど魅力的な女性だったのではないかという、冷静に考えればありえない疑問が脳裏を巡り、それを悟られたくない為に苛立っている顔を見せているのではないのかという追い詰められた思考にウーヴェのターコイズ色の双眸が染まり出す。
 己を睨みつけながら眉を寄せるウーヴェに何を言えばいいのか分からなかったリオンは、助けを求めるようにリアへと顔を向けるものの、似たり寄ったりの表情で見据えられていることに気付いて苛立たしそうに髪を掻き毟る。
 「あー、もー、クソ!何なんだよ、全く!」
 シャイセと怒鳴りつつウーヴェの横にどかっと腰をおろして足を組んだリオンは、二人の視線を受けつつ本当に一体何なんだと、何度目か分からない苛立ちをぶつけ、室内に重苦しい沈黙が流れる。
 「あのさぁ・・・・・・さっきお前が言った美女っての、どこで見た?」
 「・・・いつものカフェから少し離れた所だ」
 楽しそうに美女と俺が腕を組んでいたらしいがそれを見たのはどこだと、リオンの声に珍しく冷淡な色が滲み、ウーヴェがひやりとしたものを感じるが、今更引き下がる事も己の不機嫌さに終止符を打つ為には知らなければならない事だと腹を括り、隣で冷めた目をしたリオンの横顔を見つめる。
 「・・・ちょっと待ってろ」
 ウーヴェの返答にリオンの蒼い目が一瞬見開かれるが、スマホを取り出したかと思うと、二人が凝視する前で何処かに電話を掛け始める。
 「リオン・・・?」
 「待てって言っただろ?────ああ、悪ぃ。ちょっと電話代わるな」
 ウーヴェが名を呼ぶのを冷たい目つきで見つめ返して制止したリオンだったが、電話の相手が出たことに気付いて短く言葉を交わすと、通話が繋がったままのスマホをウーヴェに差し出す。
 「ほら、出ろよ」
 「?」
 「良いから出ろって」
 いつもウーヴェを思っているリオンの冷酷にも聞こえる声にウーヴェの喉が唾を飲み込む音を響かせるが、それを拒否させない強さも持っていて、微かに震える手でスマホを受け取ったウーヴェは、緊張にかすれる声で電話を代わったことを伝える。
 『ウーヴェ様?どうかなさいましたか?』
 聞こえてきた穏やかな声に最初は何を問われたのかも分らなかったが、どうかしたのですか、ウーヴェ様と再度問われてその声の主に気付き、スマホを耳から離しながらリオンを呆然と見つめてしまう。
 「────分かったか?」
 『リオン?ウーヴェ様に何かあったの!?』
 己の手の中から聞こえてくる心配そうな声はどう聞いてもリオンの同僚であり父の秘書でもあるヴィルマのもので、どういうことだとリオンを見つめれば、痛ましそうに目を細めたリオンがウーヴェの額にキスをし、そっとスマホを取り上げる。
 「心配かけて悪ぃな。オーヴェが俺とヴィルマがランチに行ったのを見かけたらしいんだよ」
 見かけたのに声を掛けないどころか、美女と楽しそうにデートしていたと不機嫌になっているから、あんたと話をすれば一発で分かってもらえると思ったと、肩を竦めたことで気分を切り替えたらしいリオンの言葉にウーヴェの目が限界まで見開かれ、その顔のまま同じ顔のリアを見ると、どういうことだとの疑問が顔中に浮かび上がる。
 「────これで分かったか?今日俺がランチを一緒に食ってた美女はヴィルマ」
 今日は会社の近くに新しくできたフレンチレストランに来週やって来る客を連れて行くための下見に行ったと静かな声で教えられてウーヴェの頭が自然と上下する。
 「あ、ヴィルマ、兄貴には内緒だぜ」
 『え、ええ、言わないわ』
 とにかくウーヴェ様の誤解をちゃんと解いておいてねと、リオンが今まで聞いたことがないような心配そうな声でウーヴェの不安を払拭するよう頼んで来るヴィルマに見えないのに頷いたリオンは、そういう事だと肩を竦めつつスマホをテーブルに投げ出すと、腿の上で拳を握るウーヴェの手を取り、そこに煌くリングにそっと口付ける。
 「俺の腕はお前のものだ。お前以外の自由にはさせねぇよ」
 だからたった今覚えたであろう嫉妬も誤解も何もかもを解消してくれ、そしていつものように笑ってくれと上目遣いにウーヴェを見つめたリオンは、表情を隠すように俯く白とも銀ともつかない髪を抱き寄せる為に眼鏡を強引に奪い取り、そのまま胸元に引き寄せる。
 「────っ!!」
 「なー、リア、カフェの近くで見た奴、そんなに俺に似てた?」
 「え!?え、ええ・・・。私もウーヴェも見間違えた程なのよ・・・」
 いくら他人のそら似とはいえあれは似すぎていると、斜め後ろから見えた顔とくすんだ金髪を括っている事といい、背格好もほぼ同じだったと、口元を両手で隠しながら呆然と呟くリアにリオンが斜め上を見上げ、でも俺は今日はランチを会社の近くで食っていたからこちらには来なかったと呟き、背中に回された手に力が篭ったことに気づく。
 「・・・二人が見間違えるほどかぁ。でもさ、この街で俺みたいな体格の男なんてゴロゴロしてるぜ?」
 だからその中の一人と見間違えたのだろうと、さっきとは打って変わった明るい声でリアに笑いかけウーヴェの背中をそっと撫でたリオンは、胸板にぶつけられる不満に気付いて抱きしめていた腕を緩めると、そんな他人のそら似ではない、本当にそっくりだったとウーヴェが俯き加減に呟いた為、今度はその頬を両手で挟んでリオンが視線をぶつけさせる。
 「そんなに似てたか?」
 「あ、あ・・・」
 もしもお前に血の繋がった兄弟がいるのならと、ありもしない空想をしてしまいそうになる程似ていたと、澄んだ蒼い瞳を見つめつつ冷静になった顔で呟くウーヴェに今度はリオンの目が丸くなるが、諦観したような笑みを浮かべてウーヴェの鼻先にそっとキスをする。
 「俺に血の繋がった兄弟なんているわけねぇよ、オーヴェ」
 「そう、なんだがな・・・」
 「もうこの話は終わりだ、オーヴェ。とにかく、今日俺はお前らが見かけた女とは違う女と一緒にランチを食っていた。だからそこにはいなかった。良いな?」
 お前らが見かけたのは俺じゃない他の誰かだと、少しの苛立ちを込めて断言するリオンに二人が頷かざるを得ない顔で頷くが、不意にリオンがニタリと不気味な笑みを浮かべた為、チェアの中で最大限にウーヴェが後退る。
 「リ、リオン・・・?」
 「俺のせいじゃないのにすげー嫉妬して不機嫌になってたよなぁ、二人とも」
 「え、そ、それは・・・!」
 「・・・・・・」
 リオンの言葉にウーヴェもリアもそれ以上は何も言えず、不気味な顔で笑いかけて来るリオンから逃れるようにリアはトレイを顔の前に立てかけ、ウーヴェは眼鏡を慌てて掛ける。
 「今の季節だったらさ、ルバーブが入ったチーズケーキ、美味いよなぁ」
 「・・・・・・分かった、わ」
 リアに対して謝罪しろとは言わないが代わりのものを用意しろと、満面の笑みでーそれはまるで悪魔の笑みそのものだったー言い放ったリオンは、逃げを打っている伴侶の腕を掴んで軽々と引き寄せるが、さっきとは違って抵抗するようにチェアの肘置きをウーヴェが握りしめる。
 「・・・・・・帰ったら覚えてろよ、オーヴェ」
 「い、いや・・・何を、覚えていれば、良いんだ・・・・・・?」
 さっぱり分からないなぁと、下手なシラの切り方をするウーヴェにも悪魔の笑みを見せつけたリオンは、青ざめる頬にキスをし、分かっているだろう、ダーリンと囁きながら耳朶にキスをする。
 「こらっ!!」
 「そんな顔で怒鳴っても怖くねぇよ」
 それに本当に怒っているのはお前じゃなくて俺だとウーヴェに対して珍しく居丈高に言い放ったリオンは、目の前でぐうの音も出ない様子のウーヴェに内心ほくそ笑み、テーブルにあるビスケットへと顔を向けると、食べても良いかと返事を聞く前に手を伸ばす。
 「・・・どうぞ」
 「ダンケ、リア!」
 あ、チーズケーキを食べたからといってさっきの不機嫌さを許した訳じゃないからと、二人を満面の笑みで地獄に突き落としたリオンは、最早何も言えなくなったウーヴェを抱きしめ、今日の夜が楽しみだ、どんなことをしてもらおうかなぁと、天国と地獄のどちらにも取ることのできる言葉を朗らかに言い放ち、ウーヴェとリアの口から重苦しい溜息を零させるのだった。

 

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2019.03.26
怖い怖い、怖いよ、リオン(・_・;


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