ウーヴェとマウリッツが久し振りに前後不覚になるまで飲んだ夜から数日後、今日も一日、縋るような思いを抱えてやってくる患者に誠実に向き合った充足感を得ていたウーヴェは、疲れを感じた身体に優しい甘さで労ってくれるようなココアを飲みながらため息を一つ零すが、甘過ぎたかと問われて緩く頭を左右に振る。
「ちょうどいい。いつもありがとう」
「どういたしまして」
コーヒーテーブルを挟んで向かい合うリアに笑顔で本当に美味しいと再度伝え、ジンジャークッキーにも手を伸ばしたウーヴェだったが、ドアがノックされたことに気付いて顔を見合わせる。
「どうぞ」
診察後に来るとすれば業者か上の階のクリニックの双子達か、はたまた仕事を終えたか抜けて来たリオンぐらいだったが、ノックがごく一般的なものだった為にリオンが消去され、双子ならばドアの向こうからこちらの様子を窺う楽しそうな声が聞こえて来るが、それもない事から業者かと二人が再度顔を見合わせ、リアが立ち上がってドアをあける。
リアの様子を注意深く見守っていたウーヴェは、彼女の肩越しに見えた男の顔に、お気に入りのチェアに立てかけていたステッキをついて慌てて立ち上がる。
「ドナルド!?」
「やあ、ウーヴェ。久しぶりだね」
リアが今目の前にる男性と面識はあるが誰だったかを思いだそうとするのを自然と手助けをしたウーヴェは、今日はどうしたと問いかけながらステッキを付きながらいつもよりは足早にリアの傍に向かう。
何年前になるだろうか、沈痛な面持ちで今日のように突然やってきたドナルドが、いまも決して忘れることのできない悲しい事実を伝えたのはと、脳裏で昨日の事のように思い出しながら片手を差し出すと、そっとその手を握り返される。
「大変だったようだね、ウーヴェ。足はもう大丈夫なのか?」
誰かから聞いたのだろうが、足を悪くしたウーヴェを気遣う言葉に小さく笑みを浮かべて頷き、ソファへと身体を振り向けると、ドナルドもそれを汲み取ってウーヴェに並んでゆっくりとソファへと歩いていく。
「・・・ウーヴェ、お茶の用意をして来るわ」
「ああ、頼む」
ソファとチェアに向かい合って腰を下ろした二人だったが、どちらが口を開くのかを待っているような雰囲気になってしまい、互いに顔を見合わせて肩を竦めあうと、自然と笑顔を浮かべてしまう。
「本当に久しぶりだ」
「元気そうに見えますが、元気でしたか?」
なんだか緊張していて変なことを聞いてしまうなと、珍しく己の言動に自信がない顔でウーヴェが呟き、ドナルドもその気持ちがわかるのか、小さな笑みを浮かべて一つ頷く。
「元気にしている。今年の夏にデナリに登ってきたよ」
「デナリ・・・?」
リオンなどからは辞書が要らないのではないかと揶揄われるぐらい、いろいろな物事を知っているウーヴェだったが、聞きなれない固有名詞に素直に聞き返すと、以前はマッキンリー山と呼ばれていたと教えられて軽く目を見張る。
「カナダかアメリカにある山ですよね?」
「ああ。アラスカだね。アルプスやヒマラヤの山々とはまた違う雄大な山だよ」
山体は本当に雄大という一言に尽きると、心の中で山容を思い浮かべているらしいドナルドにウーヴェもぼんやりと想像しようとするが、全く想像できないと苦笑した時、リアが紅茶とクッキーを運んで来る。
「ああ、ありがとう、フラウ」
「いいえ。どうぞごゆっくり」
ウーヴェに目礼をして診察室を出て行った彼女は、ドアが閉まる直前に嬉しい知らせがあったと聞こえた気がして振り返りたくなるが、それをグッとこらえて己のデスクに戻り、明日の診察の準備をしようと気分を切り替えるのだった。
「嬉しい知らせ?」
一体何だろうかと訝るウーヴェにドナルドが出された紅茶を一口飲んで喉の乾燥を癒すと、深呼吸を一度だけし、ウーヴェの目を真っ直ぐに見つめて腿の上で拳を握る。
「・・・あの子が見つかったよ」
その言葉がウーヴェの耳に入り脳味噌の中で理解されるまで珍しく時間を要してしまったようで、眼鏡の下でターコイズ色の双眸が限界まで見開かれたのは、再度ドナルドが紅茶のカップを手に取った頃だった。
「・・・オイゲンが、見つかった、のですか・・・!?」
「ああ。あの子が落ちたクレバスは深かったけれど、まだ浅い場所に引っかかっていたようで、漸く引き上げる事が出来たよ」
数年前、悲しい、どうあっても後悔しか残らない永遠の別れをしてしまった友人の遺体が発見されただけではなく、引き上げる事が出来たと教えられたウーヴェは、震える手であの日のように口元を覆い、肩を揺らす事で溢れ出しそうになる感情を何とか堪える。
そのウーヴェの様子にドナルドが好意的に目を細め、今は手続きをしているためにまだ帰ってこれないがと前置きをした後、スイスに迎えに行くのだが、君さえ良ければ一緒に来てくれないかと、甥の気持ちを知った上で相談だと告げるが、ウーヴェの表情が見る見るうちに悪くなり、心配そうに名を呼んでしまう。
「ウーヴェ?」
「・・・す、みませ、ん・・・少し、待って・・・」
口元を覆っていた手が震えるだけではなく、身体全体が震え出したことにドナルドがソファから身を乗り出そうとするが、ウーヴェが手の中に吐き出すように何かを呟いていることにも気付き、眉を寄せる。
「・・・約束・・・。大丈夫、だ・・・」
約束という単語を繰り返していることにドナルドの目が見開かれるが、まもなくウーヴェの口から震える吐息が流れ出し、少し取り乱してしまったと反省の言葉も流れ出したため、ゆっくりと頭を左右に振って気にすることは無いとウーヴェの罪悪感を薄めようとする。
「・・・俺、は、行け・・・ません」
「そうか」
学生時代一番仲の良かった君に同行して欲しかったがと、残念だと肩を竦めるドナルドにウーヴェが軽く目を伏せるが、次いで顔をあげた時には顔色の悪さはそのままだったが、眼鏡の下のターコイズは強い意志に染まっていた。
「その代わりと言っては何ですが、俺の代わりに行ってもらいたい人が、います」
「代わり?」
君の代わりなどいないと思うがと、残念さからつい皮肉な言葉を告げてしまったドナルドにウーヴェが頷き、俺とオイゲンが学生時代にもっとも仲良くしていて、今でももちろん付き合いのある男ですと告げ、俺よりも彼が相応しいとも伝えると、ドナルドがそっと頷く。
「君がそう言うのならその人が相応しいのだろう」
「・・・は、い」
迎えに行く日時が確定したら連絡をするからその人に伝えて欲しいとの言葉に脳裏に友人の横顔を思い浮かべたウーヴェは、必ずと頷き、紅茶を飲んで足を組んだドナルドの動きに釣られたわけでは無いが、左足を撫でて二重窓の外へと視線を向ける。
「・・・もうすぐ雪が降りそうですね」
「ああ、天気予報でも降ると言っていたな」
陰鬱で憂鬱になる冬がまた来ると、二人揃って窓の外の光景に想いを馳せるが、ドナルドがさてと小さく呟いて立ち上がったことに気づき、ウーヴェも同じように立ち上がる。
「ああ、ここで良いよ、ウーヴェ」
「・・・今日は来てくださってありがとうございます」
そして、オイゲンが発見され、連れて帰って来ることができると教えられ、本当に嬉しいと他意の無い笑みを浮かべて手を差し出すと、ドナルドも同じ顔で頷きウーヴェの手を握る。
「そうだね。私も報告出来て嬉しかったよ」
こちらに戻って来たらお別れ会を行おうと思うが出席してくれるかと問われ、呼ばれなくても行くつもりだと即答したウーヴェにドナルドも安堵の笑みに切り替え、その時はよろしく頼むと言い残して診察室を出ていく。
その背中を見送ったウーヴェだったが、クリニックの両開きの扉を出て言った頃、膝から力が抜けたようにチェアにどさりと座り込んでしまう。
辛く苦い思い出となったオイゲンとの最後、己の未熟さから唐突な別れになってしまい、文字通り二度と顔を見られなくなったと思っていた彼の遺体との再会。
亡くなったことへの悲痛な思いや慚愧の念は消えず少し薄らいだだけだったが、遺体となって戻って来る彼と対面した時、己はあの夜の出来事に引きずられてしまうのでは無いかと言う恐怖が不意に芽生え、両肘をきつく握りしめる。
オイゲンにレイプされた事実をリオンと二人で乗り越え、時には忘れたふりをして来たが、対面すると否が応でもそれを思い出してしまうのでは無いかとの恐怖に加え、ウーヴェの足を壊した男達にされていた事も連鎖的に思い出されてしまうのではと言う恐怖が芽生えた瞬間、己の努力では到底抑えきれない程に身体が震え、一瞬にして世界から色や音が消えてしまう。
音も色も無くなった世界の中、人を傷付けることになんら躊躇しない、それどころかそれを歓喜にすら感じている男の声が深淵の闇の奥から響いて来る。
「・・・ぁ・・・っ!」
『スイスに行けばどうだ?お前をたいそう可愛がってくれる人が待っているぞ』
その声に体が強張り反論する事も否定する事も出来ず、震える身体を己で抱きしめることしか出来なかったウーヴェは、ドアが開いてリアが入って来たことにも気付けなかった。
客が帰ったことで診察室に戻ってきたリアだったが、お気に入りのチェアで己の身体を抱きしめて蒼白な顔で震えるウーヴェを発見し駆け寄り呼びかけたものの、己の声に反応しない不安に彼女も蒼白になる。
「ウーヴェ、大丈夫!?」
リアの必死の呼びかけが何度か続いた時、ウーヴェの震える手が意思表示をするように立てられる。
「・・・リア、悪、い・・・一人にしてもらっても、良い、か・・・」
「え、ええ。大丈夫?ウーヴェ・・・」
「あ、ああ、大丈夫、だ」
だから頼む、一人にしてくれと、蒼白な顔でリアを見つめるウーヴェに彼女も心配をギュッと押し殺して頷くと、何かあればすぐに内線を鳴らしてと言い残して部屋を出て行く。
心配しつつも己の言葉を受け入れ守ってくれる彼女に感謝の言葉を胸のうちで呟いたウーヴェは、浅くなる呼吸を意識的に深く長く大きくする為に胸を開こうとするものの上手くできず、こんな時リオンがいればどうしていたと脳味噌が悲鳴じみた声を響かせる。
「約束・・・、だ、いじょ・・・うぶ・・・」
リオンと幾度となく交わした言葉を震えながらも口に出し、大丈夫と安心させる言葉を続けると、体の奥底に芽生えた恐怖がほんの少しだけ薄らいだ気持ちになる。
恐怖の割合が減ってくれば震えも薄らぐはずで、それはもう間も無くだと信じ、震える己の身体を好きにさせつつ抱きしめた時、診察室のドアが壊れたのではないかと思えるような音がする。
いつもならばその物音に溜息をこぼしたり頭痛をこらえる表情を浮かべてしまうが、今ばかりは天からもたらされた救いの手のように感じ、それを受け取った脳味噌が震え以外の動きを全身に伝え、それに突き動かされるようにウーヴェがチェアから立ち上がる。
ステッキが無ければ己の身体を支える事も難しくなったはずなのに、左足の痛みや不自由を亡失し、逸る気持ちに引きずられるように診察室のドアに向かった時、ドアが開いて陽気な声が出迎えてくれる。
「ハロ、オーヴェ!熱烈大歓迎してくれるなんて、俺、愛されてるー」
前のめりに気持ちだけで駆け寄って来ている事を教えるようなウーヴェの姿にドアを開けたリオンが両手を広げて抱きしめる態勢になった直後、ウーヴェの足が力を無くしたように動きを止めた為、リオンが一歩を踏み出してウーヴェの身体をしっかりと抱きとめる。
「・・・よく頑張ったな、オーヴェ」
リオンの腕の中で目を見張り、己の現状を伝えようとウーヴェが口を開くものの、出てくるものはいつものように滑らかな言葉ではなく、ただの音の羅列になってしまっていた。
それもしっかりと見抜いたリオンが、そんな状態になっていても、付き合い出した当初とは違って思いを伝えようとしてくれるウーヴェのこめかみに口付け、力が抜けたウーヴェの身体を優しく抱きしめる。
「リ、オン・・・っ」
「ああ。もう大丈夫だぜ、オーヴェ」
患者が座る一人がけのソファにウーヴェを座らせ、その前に膝をついて蒼白な顔を見上げたリオンは、震える口が開いて意味のない音を流す様を辛抱強く見守っているが、震えながら上がった手が何かを探していることに気づき、己の左手をそっと差し出すと痛みを覚えるほどの強さで握り締められる。
ウーヴェの心が過去に囚われて不安を覚えた時、それを解消するためにリオンの手を必要としていたが何故かそれは左手だったため、今もそれをするために差し出したのだが、間違ってはいなかったようで、ウーヴェの呼吸が徐々に徐々に落ち着いたものになっていく。
その様子に胸を撫で下ろしたリオンは、何があったか教えてくれと囁き、ウーヴェの手の中で強く握られたために白く色を変えた手を引き抜いた後、その手でウーヴェの白とも銀ともつかない髪を撫でて抱き寄せる。
「・・・スイス、が・・・・、スイスに、行けな・・・・か・・・って」
「あの国に?」
途切れ途切れの言葉から察することができたのはスイスという単語だけで、行けと言われたのか、それとも仕事で行かなければならなくなったのかと問いかけると、腕の中で喉が詰まったような悲鳴が小さく響く。
「い、やだ・・・スイス、は・・・っ」
「行かなくていい、オーヴェ」
スイスと聞いただけで心が不安定になるのだ、そんな場所に行く必要はないと断言しつつウーヴェの肩を抱いて引き寄せると、ソファから滑り落ちるようにぶつかってくる身体を支え、行く必要はねぇと再度耳に流し込む。
あの事件の最中、人身売買の客がスイスにいる事を常に聞かされ、その客の元に送られた後の己の運命を先に経験しておけと言わんばかりの扱いを受けていたため、救出されて入院している時、スイスという単語が聞こえてくるだけで心拍数や脈拍が異常に速くなり、呼吸も大きく乱れるようになっていた。
それをリオンが今のように絶対に己からはスイスという単語を口にしないように気をつけ、大丈夫だ、行かなくても良い、絶対に行かせねぇと根気良く教え、以前と同じように仕事を始めた頃に不意にスイスと聞いても心身の異常を訴える回数が少なくなってきていたのだ。
それが再発している事にリオンが冷や汗を浮かべつつも大丈夫だ、絶対にお前を行かせないと断言し、こめかみや頬にキスを繰り返すと、ウーヴェの呼吸がいつもより少しだけ速い程度に回復する。
「・・・落ち着いたか?」
「・・・あ、あ・・・もう少し、だけ・・・」
こうしていてほしいとの想いは言葉に出さなくともリオンに伝わったようで、もちろん好きなだけそのままでいれば良いと告げ、入院時に良くしていたようにウーヴェの耳を己の胸に宛てがうと、背中を撫でて深呼吸をしろと優しく繰り返す。
「ほら、オーヴェ、ゆっくり息を吸って。吐いて」
大丈夫だからとも繰り返し、ただひたすらにウーヴェの心の平安を望んで背中を撫で続けたリオンの耳に、何か大きな事をやり終えた者特有の溜息が流れ込み、眼鏡を取って直接ターコイズ色の双眸を覗き込む。
「もう落ち着いたか?」
「・・・ああ」
「そっか」
ウーヴェの声にも平静さが戻った事に気付き、もう大丈夫と判断をしたリオンがウーヴェと一緒に立ち上がり、一人がけのソファに座ると同時にウーヴェを足の上に座らせる。
「リアが心配していた」
「・・・後で礼を言っておく」
「そうだな。・・・何があった?」
患者と話をしているときにあの国の話でも出たかと、汗で額に張り付く前髪を掻き上げてやりながらリオンが眉根を寄せると、ウーヴェが一度深呼吸をした後、オイゲンを引き上げる事に成功したから一緒に迎えに行って欲しいと言われたと伝えたため、リオンの手に力がこもる。
「あの山男、クレバスに落ちたって言ってたよな?引き上げられたのか?」
「そう、らしい。でも・・・俺は、スイスには行きたくない、から・・・」
例え友人を迎えに行くだけのことであっても、あの事件を連想させる場所であるスイスには行きたくないときつく目を閉じつつ口早に呟くウーヴェの額にキスをし、そんな理由なら尚更行かなくて良いとウーヴェを安心させる。
「うん・・・だから、ルッツに、行ってもらうこと、にした」
「マウリッツ?あぁ、山男の事好きって言ってたなぁ」
だから一年以上も遊びに行くことができなくなっていたと、以前ウーヴェがリオンに教え、先日自宅で二人がほろ酔いを通り越した泥酔の域に達するまで飲んでいた翌朝、食欲がなさそうな顔でベーコンを突いていたマウリッツが、なにか新しい出会いとか探してみたくなったなぁと笑った時に吹っ切れたのかと思ったのだが、そんな彼に迎えに行かせて大丈夫なのかと問いかけると、ウーヴェが悩みながらも彼が適任だと思うと呟く。
「・・・迎えに行って後悔するかもしれない。でも・・・行かなかった時の後悔に比べれば、絶対行った方が、良い」
行っても行かなくても後悔するのなら、行った方がいいと、この時ようやく顔を上げたウーヴェがリオンを見つめ、そうじゃないかと不安げに問いかける。
「そうだな。・・・マウリッツもオーヴェのダチだもんな。それぐらいの強さはあるか」
「そう、思う」
自分が勝手に決めていいことではないが、出来ればルッツに行って欲しいと、己の偽らざる気持ちを口にし、再度リオンの胸に耳を宛てがったウーヴェは、落ち着いた鼓動に合わせるように呼吸を繰り返し、条件反射のようにあくびが出ることに気づいて苦笑する。
「リオン・・・」
「ん?」
「・・・うん。・・・俺は、今、ちゃんと・・・」
今という時間をお前やリア達と一緒に生きているだろうかと、まだ己は誘拐されていたあの時間の中にいて、今の現実は実は耐えきれなくなった脳味噌が見せている幻覚ではないかとの疑問を口にすると、リオンがウーヴェの震える唇にそっと口付け、いつでも見ていたいと望む笑みを浮かべる。
「なー、ダーリン。今のキス、ウソだと思うか?」
「・・・思わない」
「だろ?」
夢でも幻でもない、ちゃんと地に足を着けて生きているお前がここにいて、今俺とキスをしたんだと笑うリオンにウーヴェも釣られて笑みを浮かべ、両腕をリオンの首に回してしがみつく。
「・・・ダンケ、リーオ」
「いつも言ってるけど、お前のダンケやキスは気持ち良いから好き」
俺のオーヴェ、Du bist mein Ein und Alles.と言葉を繋いでウーヴェの背中を抱きしめたリオンは、ピアスが嵌る耳朶に小さな音を立ててキスをされ、望む言葉が流し込まれた後二人にとっては聞きなれた言葉も流れ込んできたことに気付いて笑みを浮かべる。
「リオン、リーオ。俺の太陽」
「ーーーもう大丈夫だな、オーヴェ」
「ああ」
再確認をするリオンに頷いたウーヴェは、己の言葉が嘘ではないことを伝えるように自らリオンの肩に手をついて立ち上がると、嬉しそうな顔でリオンも立ち上がり、ウーヴェの腰に自然と腕を回す。
「家に帰ったら、聞いてくれるか・・・?」
「もちろん。聞いてやるから安心しろ」
「うん」
オイゲンの叔父であるドナルドが診察室を出て行ってからどのくらいの時間が経過したのか分からなかったが、待合室でウーヴェを心配しつつ信じているリアの事を思い出し、リオンに断りを入れて診察室から出て行くと、己のデスクで所在無げに座っているリアを発見する。
「・・・リア、心配をかけた」
「ウーヴェ!もう大丈夫なの?」
ウーヴェの声にリアの頭が跳ね上がり、椅子を後ろに倒す勢いで立ち上がったかと思うと、デスクを回り込んでウーヴェの前に駆け寄ってくる。
そんな彼女にまだ少し緊張しているような笑みを浮かべたウーヴェは、心配をかけて悪かった、もう大丈夫だと頷き、不安が払拭されて行く様に胸を撫で下ろす。
「さっきドナルドが来たのは、オイゲンの遺体を引き上げる事ができた事を伝えに来てくれた」
「え・・・?オイゲンの遺体が・・・?」
「ああ。今手続きをしているからまだ連れて帰って来れないが、もうすぐ帰ってくるそうだ」
その迎えに一緒に行って欲しいと言われたが、俺よりも相応し人がいる事を伝えたとリアに話し、胸を撫で下ろす彼女に小さく笑みを浮かべる。
「お別れ会をするそうだから、リアもよければ参加してくれ」
「え、ええ」
「あいつらには後から伝えておく。今日は心配をかけた」
明日の診察時には今日の気持ちを一掃しておくからと頷くウーヴェにリアも頷き、今日も一日お疲れ様でしたと、終業の合図を二人で交わすと、リアが帰り支度をしながら二人に笑いかける。
「そうだ。新しいカフェのカップケーキが美味しいって聞いたの。あなたたちがどうしても、と言うのなら食べても良いわね」
振り返りながら悪戯っ気に目を細める彼女にウーヴェが対照的に目を見張り、その後ろでしっかりとウーヴェを支えていたリオンも驚愕に目を見張る。
「俺も!?」
「あら、嫌なら良いわよ」
あなたたちがどうしてもと言うのなら、だからと笑って肩越しに手を振る彼女にリオンが呆気に取られるが、それは彼女がウーヴェの気まずさや覚えてしまった羞恥を慮った言葉である事が理解できたため、にやりと笑みを浮かべてウーヴェの頬にキスをする。
「めちゃくちゃ上手いカップケーキを買ってくる」
「楽しみにしているわ」
じゃあまた明日、と言い残してクリニックを出ていくリアを見送った二人だったが、彼女の言葉の真意をしっかりと読みとっていたため、新しいカフェってどこにあるんだ、分からないと顔を見ずに言葉をかわす。
「・・・帰るか」
「そーだな。腹減ったし。な、ダーリン、今日の晩飯は何だ?」
「・・・・・・」
正直な話、心身の疲労から食欲は無かったが、リオンのことを思えば食べたくないとは言えず、どうしようかと上の空で呟くと、お前が食べたいと耳元で囁かれ、今はそんな気分になれないと後ろ手でくすんだ金髪に掌を軽く落とすと、痛いと言う嘘の悲鳴が上がる。
「家に帰れば何かあるだろ?」
「ああ」
「じゃあそれで良い。正直な話、今はメシよりもお前の話を聞きたい」
だからダーリン、機嫌を直して家に帰ろうとも囁かれ、それに対しては素直に頷いたウーヴェは、運転を頼むと告げて少し力を抜くと、今までもそうだったが、これからもそうであることを教えるような力強さで背後から支えられ、心から安堵したような溜息を零すのだった。
ウーヴェがドナルドの訪問を受けたその夜、自宅でリオンと二人きりになった安堵から不安に震える顔を隠すことなく吐露し、入院していた時と同じように抱き締められ背中を撫でられ子供のように安堵し、何があったのかを全てリオンに伝えていた。
全てを聞き終えたリオンが溜息混じりに呟いたのは、やっぱりお前の選択は間違っていない、お前がいく必要はないし、マウリッツに任せる事も間違いではないとの言葉だった。
「山男の叔父があいつを思ってオーヴェに来て欲しいってのも分からなくもないけど、これに気付かなかったのかな?」
ソファでウーヴェを背後から抱きしめてクッションに寄りかかっていたリオンがウーヴェの右手を取り二人の顔の前に掲げて薬指に嵌るリングを撫でたのだが、これに気付かなかったのかと再度呟き苦笑する。
「どう、だろうな・・・」
「まあ、あいつの気持ちを知ってる叔父としては、甥っ子がカワイイから目を背けたい事かもな」
ただ、それは向こうの事情であり、オーヴェにはオーヴェの事情がある、今回は断って正解だと念押しするように告げてウーヴェの髪にキスをし、マウリッツに電話をしろと告げて躊躇うような気配を感じる。
「オーヴェ、大丈夫だ」
「・・・ああ」
テーブルに置いてあったスマホを手に取り、やや躊躇いながらマウリッツの番号を呼び出したウーヴェは、耳に宛てがいながらこんなに緊張するのはいつ以来だろうかと小さく笑う。
「一時期離れていた時以来か?」
「そうかもな」
コールが5回を超えた時、柔らかな声が返事をした為、この間は大丈夫だったかと笑いかける。
『大丈夫だったけど、子供達からゾンビみたいな顔になってるって散々からかわれたよ』
そっちこそ大丈夫だったのかと問われ、リオンに随分と怒られたと肩を竦めれば、当たり前だと頭の後ろで不満を訴えられる。
その不満をやり過ごしながら今大丈夫かとも聞くと、問題ない、どうしたと穏やかな声に問われ、その穏やかさがこの後失われる可能性に胃の辺りに不快なものを感じるが、オイゲンの話だと告げて静かに返事を待つ。
『う、ん・・・どう、したの・・?』
「・・・遺体を引き上げることが出来たそうだ」
『!!』
伝わってくる息を飲む音と驚愕の気配、そして理解出来ない思いが口を閉ざしたようで、痛いほどの沈黙にウーヴェが後悔しかけた時、震える声がそうかとだけ返してくる。
「ルッツ・・・」
『うん。教えてくれて、ありがとう、ウーヴェ』
いつ帰ってくるんだと問われ、ぎゅっと目を閉じた後、ウーヴェが腹を括ったように目を開き、どうだろうか、友人を代表してオイゲンを迎えに行ってくれないかと告げて返事を待つと、きみが行けば良いとすかさず返されるが、俺は行けないと自然に口から流れ出した安堵に、顎の下で重ねられている手に手を重ねてそっと撫でる。
「俺は行けない、ルッツ。あいつの思いに応えることはできないから」
『ウーヴェ?』
「それに・・・俺や他の人にこの機会を譲ったら・・・きっとルッツは後悔する」
『・・・・・・』
今まで自分は次で良いと言っていたしそう行動していたが、あの夜涙を流しながらどうして自分じゃなかったと叫んだのは本心だろう、だったら遠慮せずに己のやりたい事をすれば良いと、ただただマウリッツを思っての言葉を穏やかに伝えると、すぐに返事は無かったが、先程よりも穏やかさを感じさせる沈黙にウーヴェが気づく。
「新しい出会いを探しても良いかなと言っていただろう?」
『・・・・・・うん』
「オイゲンを迎えに行って、お別れ会をして・・・収める場所に収めないか?」
きっと彼を思っていた気持ちは一生涯忘れられないものだろうが、忘れる必要などなく、己の心の中に置き場所を作ってあげればどうだと提案し、驚いたように息を飲む友人に見えないが笑いかける。
「あいつもきっとそれを望んでいると思う。好きになってくれてありがとうと思ってるだろうな」
『ウーヴェ・・・っ』
「だから、迎えに行って人の気持ちに気付かなかった鈍感男と言ってやればいい」
『う、ん』
「詳しいことが分かればすぐに連絡をする」
少し落ち着いたような、気分が晴れる寸前のような声がし、良かったと安堵しつつ同行するドナルドに連絡先を伝えて良いかと問いかけると、勿論と快諾されて良かったと口に出す。
「カール達には俺から連絡をしておく」
『ああ、そうだね。うん。頼む』
急な連絡で驚いただろうが行くと決めてくれてありがとうと礼を言うウーヴェにマウリッツが少しだけ沈黙した後、晴れ渡った夜空を連想させる声でこちらこそありがとうと返し、やっぱり持つものは友人だねと笑った為、ウーヴェも釣られてうんと返す。
『ダンケ、ウーヴェ。また詳しい話を教えて欲しい』
「ああ。じゃあルッツ、また連絡する」
緊張を覚える通話を終えた安堵に天井を見上げて息を吐いたウーヴェは、顎の下で組んだ手が離れて肩を撫でてくれた事に気付いて頭を仰け反らせて満足そうに見下ろしてくるロイヤルブルーの双眸に笑いかける。
「・・・これで、良かった、か?」
「これ以上はねぇってくらい良かったぜ、オーヴェ」
だから罪悪感など感じずにお前は正しい事をしたと顔を上げろ。
いつもウーヴェに言われている言葉を少し変えて返したリオンは、明日の朝最高の一杯を飲ませてやるからベッドに行こうとキスとともに誘いをかけると、躊躇う気持ちとリオンの言葉を受け入れたい気持ちがウーヴェの眼の中で揺れるが、受け入れたい気持ちへと傾いた事を示すようにリオンの右手薬指で密かに光っている同じ指輪にキスをする。
「・・・いつもより、優しくするな、ハニー」
「・・・今日は5ユーロだ」
「むぅ」
ハニーと呼べば1ユーロと言う決まりはいまでも健在のようで、しかも今夜はグレードアップしている事を伝えたウーヴェにリオンが以前では考えられない事に、後ろから首筋に噛みつくようなキスをする。
「こら、リーオ!くすぐったい!!」
「うるせぇ!」
くすぐったさに前屈みになるウーヴェにのし掛かりながらがるるるると吠えるリオンに首を竦めたウーヴェだったが、己よりも信頼しているリオンの首筋へのキスを受け止め、背後に手を伸ばしてくすんだ金髪を抱き寄せる。
「リーオ。ベッドに連れて行ってくれ」
ウーヴェの言葉にリオンが直接答えるのではなく、前屈みになったウーヴェを抱き上げて頬へのキスで返事にするのだった。
ドナルドからの連絡を受けて二週間後、本格的に雪が降り始めると色々とこんなんだからとの理由で急遽スイスに向けて出立する事になったマウリッツは、その前日の夜、仕事を終えてすぐにウーヴェのクリニックに顔を出した。
「明日、行ってくる」
「ああ、頼む、ルッツ」
この二週間、己に出来る手続きや諸々の手筈を整えていたマウリッツだったが、心の何処かに後ろめたい思いがあった。
それを払拭する為にウーヴェのクリニックに顔を出したのだが、ウーヴェにはそれを見抜かれていたようで、足を組んで珍しい表情で笑うウーヴェに驚き目を見張る。
「・・・俺に遠慮しなくて良いと言っただろう?」
「・・・うん、でも、ずっとこうしてきたからさ、遠慮してしまうな」
「悪いクセだな」
直した方がいいと笑う友人にマウリッツも肩を竦めて答えるが、明日行ってくると己に言い聞かせるように呟き、ウーヴェも励ますように頷く。
「うん。帰ってきたら送別会をしよう」
久しぶりに皆でいつもの店に行ってバカ騒ぎをしようと片目を閉じるウーヴェにマウリッツも小さく肩を揺らし、オーナーに叱られない程度にしようと笑うと、カールへの連絡などありがとうと生真面目に礼を言い、戻ってきたら取り敢えず一発ぶん殴ると安堵の裏返しの言葉を伝えてきた友人達のメールを思い出して自然と笑ってしまう。
「皆で会うのも久しぶりだし、楽しみだな」
「そうだな」
遠く離れた場所を永遠の寝床にしたと思っていた友人が自分達がすぐに会いに行ける場所へと戻ってきてくれる事が嬉しくて、他の面々も個々にウーヴェに独自の表現ながらそれを示していた。
「じゃあ、そろそろ帰るよ」
「ああ。気を付けて行ってこい、ルッツ」
「うん。行ってくる。戻ったらすぐに連絡する」
立ち上がるマウリッツをクリニックの両開きの扉まで見送ったウーヴェは、やんわりと抱き締められてその背中を安心させるように一つ叩き、行ってこいと穏やかな気持ちで伝える。
「ドナルドによろしく」
「うん」
行ってくる、ああと、何度目かのやり取りをした後、照れたような顔で扉を開けて出て行くマウリッツを見送ったウーヴェは、今日はもう帰宅したリアのデスクに腰を下ろして一つ溜息をこぼす。
もうすぐリオンがやってくるが、それを待っている時間が何故かもどかしくて、スマホを取りに診察室に戻り、今度は己のデスクの端に尻を載せる。
『ハロ、オーヴェ、どうした?』
「・・・まだ来ないか?」
『んー、後十分ぐらいかな』
スマホの向こうから聞こえてくる時間に不満の溜息をついてしまったウーヴェは、ニヤニヤと笑み崩れている事を如実に伝えてくる声に気づき、己の無意識の行動にも気づいてしまう。
『もうちょっとで着くからさー待っててくれよ、ダーリン』
「う、うるさいっ!」
『あー、まーたそんな素直じゃねぇことを言うだろ、俺の陛下は』
いつもいつも言っているが、素直じゃないお前も好きだけど、素直なお前はもっと好きと、ウーヴェの気持ちを一定方向へと傾ける言葉を低く囁くリオンに仕方がないと言い訳をしたウーヴェは、今すぐ会いたいから早く来いと命じ、返事を聞く前に通話を終える。
そして、自ら宣言した言葉よりも早く両開きの扉が勢い良く開け放たれて金色の嵐が飛び込んでくるまで十分もかからず、それをウーヴェも嬉しそうに嵐を受け止め抱きしめるのだった。
2018.12.02
オイゲン、発見されたんだね(おい)
思っていた以上に長くなってしまったお話ですが、後一つで終わり、かな。もう少しお付き合いください(^◇^;)


