信じる強さ-2-

Über das glückliche Leben(UGL) -Lion & Uwe -

  珍しく行ってきますのキスも挨拶もせず、まるで逃げるように恋人の家を飛び出したリオンは、その日一日をもやもやしたものを抱えたまま終えてしまい、このまま恋人の家に帰ろうかどうしようかと思案する。
 己の心に広がる靄の元をなかなか見極められなかったのだが、一日それなりに悩んだ結果、その姿を見ることは出来るようになっていたが、見つけたそれをどのように言葉にすれば良いかが分からず、そんな気持ちのまま帰る事に躊躇いを覚え、日が沈み少しずつ暗くなっていたが懐かしいホームへと向かう道を選択する。
 疲れた時や一人でいることがどうしても耐えられない日、気がつけば自然と足が向いている場所、それがリオンが生まれ育った孤児院-ホームだった。
重い気持ちのまま自転車を飛ばし、整備された道路から雑然とした町並みの道路、その中でも一際雑然としている走りにくい道を自転車で進んでいくと、あちらこちらが破れているフェンスがあり目的地が見えてくる。
 かなり老朽化の進んだ教会に併設した小さな家だが、そこがリオンにとってはかけがえのないホームだった。
 「…マザー、まだ起きてるか?」
 「リオン?」
 ドアを後ろ手で閉めながら小さな声で呼びかければ、廊下の一番奥の古びた扉が軋んだ音を鳴らしながら開き、突然の訪問に驚きながらも歓迎してくれるマザー・カタリーナに無意識に溜息を吐く。
 「ちょっと良いかな?」
 「どうしたのです?」
 天真爛漫な子供時代を過ぎ、その辺の大人の手には終えない様な学生生活を送った後、誰もが驚いた警察官への道に進んだリオンだが、どんな時でもいつも笑みを浮かべている印象が強かった為、そんな人間が見せるやけに真剣な顔にさすがにマザー・カタリーナも驚きを隠せずに目を瞠り、二人きりが良いと言われて教会に誘う。
 「ちょっとさ…どうして良いかわかんなくなった」
 ガリガリと頭を掻きむしりながら教会の扉を潜り、長椅子に腰を下ろして溜息を吐いたリオンに何があったと問いかけたマザー・カタリーナだが、その声にすぐには言葉を返さずに両膝の間で手を組んで親指をくるくると回転させる。
 それがリオンの癖であることを知っている彼女は、自ら語ってくれるまで待ってみようと決めたのか、リオンの隣に移動して腰を下ろす。
 二人の間に流れるのは沈黙だけで、そんな二人を見守っているのは古くても手入れが行き届いて光っている聖母マリアだけだった。
 そんな静寂の時をぽつりぽつりと語るリオンの声が静かに破り、マザー・カタリーナも膝の上で手を組んで静かに聞いている。
 「……言えなかった」
 「そうなのですか?」
 「うん…ホントはちゃんと言わなきゃいけなかったのにな」
 今朝のウーヴェの一言とそれに込められた皮肉以外の感情を感じ取り、不愉快に思った事をその場で伝えなければならなかったのに言葉ではなく態度に出してしまい、仕事に行く時には必ず交わしていたキスもせず、まるで顔を合わせることを避けるように家を出てしまったのだ。
 その後悔が一日中リオンの胸の中にあり、もやもやとした一日だったと苦笑し、天を仰いで嘆息する。
 そんなリオンの頭に手を宛がって今までやってきたように髪を撫でれば、大きな背中が倒れ込み、細くて小さな彼女の腿の上に寝転がる。
 「ずっと待ってるんだけどな」
 「何を待っているのです?」
 「………いつかオーヴェが教えてくれるのを待ってる」
 器用に寝返りを打ち、大きな身体を丸めてマザー・カタリーナの腹に語りかけるようにぼそぼそと口を開くリオンの声をしっかりと聞き届けた彼女は、そんな事があったのですかと驚愕で顔を満たすが、次いで限りなく優しい表情でリオンの頭を撫でる。
 「今朝の新聞を見てすげー嫌そうな顔をしてた。後で新聞を見たらお兄さんの記事だったんだけどさ、どうして仲が悪いのかは聞いた事がない」
 初めてウーヴェと知り合った時、仕事の関係で得た情報では父親と兄と不仲だという事だったが、付き合い出してから知って感じたのは不仲などという生易しい言葉では言い表せない感情だった。
 好きになった人が血を分けた父や兄を嫌っている、その事実を初めて知った時はかなり驚いたし、恋人が見せる今朝のような顔はあまり見たいものではなかった。
 リオンは己の恋人が時に限りなく優しいが、触れるだけで切れてしまう鋭利な刃物の様な気性でもあることを熟知していたし、また皮肉屋であることも良く知っていた。
 そして、時折見せる、まるで小さな子供のように何かに脅える顔も知っていた。
 恋人を形作る要素を垣間見ているが、その根幹にある重要な何かについてはその片鱗に触れるぐらいで、核となるものの話は聞いたことがなかった。
もう一度寝返りを打ち腕で目元を覆い隠しながらその事を告げ、待っていると言った夜を思い出して軽く唇を噛み締める。
 「リオン?」
 「…待ってるって言ったのになぁ、俺」
 「ウーヴェさんが話してくれる事をですか?」
 「いつか…俺を信じて話してくれるのを待つって…言ったんだよな、俺」
 何時かの夜、熱と夢に魘されてクローゼットの片隅で小さくなって震えていた姿が瞼の裏に浮かび上がり、いつもの冷静沈着な面影など微塵もない、端正な顔に浮かぶ脅えを取り去ってやりたいと思ったが、無理矢理ではなく自分を信じて話してくれるのを待とうと決め、強がりから発せられる大丈夫の言葉すら引っくるめて信じていると告げたのだ。
 その夜の事をまざまざと思い出し、その後彼にとってはかなりの力を振り絞ったと思う一言を、後日似たような夜に告げられた事も思い出し、自分の両頬を掌で一つ叩く。
 狂乱とも言える様子を見せられた夜に比べれば本当に小さな変化だが、それでも確実に自分を信じて一歩を踏み出してくれていたのだ。
 その事に改めて思い至り、今日一日悩んでいた事が馬鹿らしくなってくると同時、霧が晴れたように胸の中が晴れ渡り、唇に笑みすら浮かんでくる。
 「それは守らないとダメだよな」
 「自分で決めたのですね?」
 「うん。俺が決めた」
 マザーの暖かな膝の上から身体を起こし、自らが決めた事なのだと頷いたリオンの背中にただ優しい声が掛けられる。
 「あなたは強くて優しい人です」
 そのあなたが自ら決めたことならば、必ず守り抜くでしょう。
 幼い頃からどれ程手を焼かせたか分からないのに、いつもいつまでもあの頃から代わらずに信じていると、穏やかな笑顔で告げるマザー・カタリーナを振り返ったリオンは、恋人から分け与えられる力とはまた違う、総てを優しく包んでくれるような笑顔に大きく頷き、勢いよく立ち上がる。
 「ダンケ、マザー」
 「私は何もしていませんよ?」
 「うん。でも、ありがとう」
 静かに立ち上がる小さな肩に両手を乗せた後しがみつくように抱き締めれば、総てを理解していると背中を撫でられ、じわりじわりと胸の奥が温まってくる。
 「今日は泊まって帰るのですか?」
 「オーヴェを一人にしたくないから帰る」
 何時かの夜やテディベアを贈った時に告げた約束を果たさなければならないからと、自信に満ちた笑みを浮かべてマザー・カタリーナから離れたリオンは、ありがとうともう一度告げ、昔に比べれば小さな皺が増えていても変わらず慈愛に満ちている頬にキスをする。
 「気を付けて帰るのですよ」
 「うん。次の休みに二人で来るよ」
 「ええ。待っています」
 自分の生みの親に一切の関心を示さないリオンだが、間違いなく己の母親は目の前で穏やかに笑い、どこまでも己を信じてくれる彼女だと再確認をし、じゃあと手を挙げる。
 「リオン・フーベルト」
 「───Ja」
 「あなたの愛する人を信じて待ってあげられますね?」
 教会の長椅子の間に立ち、胸の前で手を組みながら凛とした声でリオンの名を呼んだマザー・カタリーナに、肩越しに振り返ったリオンが告げられる言葉をしっかりと受け止め、当然だというように頷いて親指を立てる。
 「待つよ」
 「おやすみなさい、リオン」
 「うん。お休み。ゾフィーによろしく」
 ここにやってきたときとは全く違う足取りで教会を飛び出し、塗装の剥げ掛けた自転車のサドルに跨ったリオンは、暗くなり始めた街中を注意しつつ自転車を最大速度で走らせる。
 そんな後ろ姿を、全幅の信頼を置いた目でマザー・カタリーナが見送るのだった。

 

 高級住宅街の中でもかなり立派なアパートの前、すっかりと顔馴染みになった警備員に笑顔で帰宅を告げれば、すぐさまウーヴェの部屋に連絡を入れてくれる。
 自転車は駐輪場ではなく家に運ぶため、オートロックのドアが開くのを待っていると程なくしてドアが開き、警備員に笑顔で手を挙げてエレベーターに乗り込む。
 いつもならば今から帰ると連絡を入れるのだが、今夜はそれをせずに帰ってきてしまった事をフロアに到着すると同時に思い出して苦笑する。
 今朝もやもやしたままこの家から出勤し、その気分のまま一日を過ごしてしまったが、この広い家で一人でいただろう恋人はどんな気持ちだったのだろうか。
 自分が急に機嫌を損ねた事は分かったが、その理由にまで気付いただろうか。
 朝食を食べ終えた後、ウーヴェには美味かった事だけはいつもと変わらない気持ちで伝えたが、その後慌ただしく家を出た為にどんな表情を浮かべているのかまでは見ることが出来なかった。
 部屋を掃除していると言っていたウーヴェの顔を思い出し、いつものように居心地の良い部屋になっている事を想像し、到着したことを教えてくれるエレベーターの音を聞きながら自転車を押す。
 自分の部屋が一体幾つ並ぶのか、想像する事すら虚しい程広いフロアの中央、シンプルながらも費用がかかっている事をそれとなく教えてくれる真鍮製のドアノブがフロアライトを反射していた。
 すっかりと押し慣れたドアベルに指を伸ばしたと同時に真鍮製のドアノブがガチャガチャと音を立て、静かにドアが開かれた。
 「………ハロ、オーヴェ」
 「………ああ。お疲れさま」
 少しの間沈黙した後、いつもと同じように笑顔で帰ってきたことを告げれば、少しだけ低い位置にある端正な顔に僅かに赤みが増し、メガネの奥の双眸がいつも見ている優しいものへと変わっていく。
 自転車を先に玄関に入れた後、コートの横にブルゾンを引っかけた時、お腹は空いていないのかと問われ、リオンが首を傾げるか早いか腹の辺りから盛大な音が響き出す。
 「……減ってる」
 「分かった。すぐに作るから待っていてくれ」
 素直な言葉に小さく笑みを浮かべたウーヴェが踵を返そうとするが、強い力で腕を引かれて身動きが出来なくなってしまう。
 「リオン?」
 「オーヴェはメシ食ったのか?」
 自分はともかくとして、休日であろうとも規則正しい生活を送っているウーヴェがこの時間にまだ食事を済ませていないとは思えず、首を傾げながら問いかければ沈黙が返ってくる。
 だがその沈黙を破ったのは、さっきよりは小さいながらも間違えることのない音だった。
 「────っ!!」
 「まだなんだ?」
 「…うるさいっ!」
 耳まで真っ赤になって小さく叫んだウーヴェに満面の笑みを見せたリオンは、まだなら一緒に食べようと痩躯に腕を回して抱き締め、ごく自然に出来たその勢いを借りるように肩に顔を寄せて謝罪をする。
 「オーヴェ…今朝はごめん」
 「お前が謝る事じゃない。悪いのは俺だ」
 二人ようやく今朝の事を口に出せた安堵から同時に溜息をついて謝罪をし、互いの背中に回した手で許すことを伝えるようにぽんぽんとたたき合うが、それですっかりと安心したウーヴェとは違い、ウーヴェの背中を抱いたままリオンがぎらりと双眸を光らせる。
 「難しい話は飯を食ってからにしようか、オーヴェ」
 「…何の話だ?」
 「うん。メシ食ったら話すよ」
 そんなことを言われてしまえば余計に気になって食事どころではないと背中を一つ叩かれ、それもそうかと頷いたリオンは、とにかくこんな所で立ち話もなんだからリビングに行こうと腕を引いて歩き出す。
 「部屋の掃除、したのか?」
 「ああ」
 半ば引きずられるように歩いていてリビングに入った後カウチソファに座らされ、その前の床にリオンが座ったことに苦笑する。
 「椅子に座ればどうだ?」
 「ここで良い」
 こうしてここで、少しだけでも見上げている方が良いと笑われ、手を伸ばして前髪を指に絡めて掻き上げてやると、親に誉められた子供のような顔でリオンが笑う。
 「尻が痛いだろう?」
 カウチソファに直角に置いた一人がけのソファのクッションを指し示しながら告げるウーヴェに大きく頷いたリオンがその場から手を伸ばしてクッションを引きずり下ろして座り心地を確かめるように身体を揺らす。
 「話とは何だ?」
 「うん…どう言おうかな…」
 どのように話を切り出そうか思案する顔で顎に手を宛い、うーんと唸りながら腕を組めば助け船を出すように、だが自身もどのように謝罪すればいいのかを模索しているような口調で声を掛けられ、悩んでいた顔がぱぁっと光が差したように輝く。
 「………悪かった」
 リオンがならす指の音に小さく謝罪の声が重なり、立てた膝で顎を支えたリオンが上目遣いにウーヴェを見つめる。
 「何が悪いか気付いているか、オーヴェ?」
 「部屋の狭さを皮肉ったことだろう?」
 「残念。そんなのは俺が一番分かってるから皮肉でも何でもねぇよ」
 本当に残念そうに肩を竦めながら告げ、立てた足を掴んで前後に軽く身体を揺らしてにこりと笑う。
 「オーヴェが気付くまでこのままってのも良いかな」
 「リオン」
 自分の口から言うつもりはない、だから今朝の件もそうだが悪いの意味を言えと促されるが、ウーヴェにしてみればそれ以上悪いと思えるものが無く、困惑を浮かべてリオンを見つめれば、恋人のそれが本当に珍しいと瞬きをした後、膝の上で軽く握られているウーヴェの拳に手を重ねて何度も撫でる。
 本当ならば今朝それを感じた瞬間に口に出さなければならなかった感情。
 それが出来ずに今日一日をもやもやした気持ちで過ごしてしまい、またもしかすると恋人にも同じ思いをさせてしまったかも知れなかった。
 白い手の甲を撫でながら、今日一日中考え込んでマザー・カタリーナにも愚痴を聞いて貰った言葉をどのように告げようか思案しつつも、まずは無言で出て行ってしまった事、もしかすると自分と同じように一日暗い気持ちで過ごさせてしまったかも知れない事に対しての謝罪をする。
 「ごめんな、オーヴェ」
 「教えてくれないか?」
 お前が謝ることもそうだが、俺が思っていた事とは違う理由で怒っているのならそれを教えてくれと、かなり躊躇いを感じている口調で告げられ、撫でていた拳を開かせて指を絡めて軽く握る。
 「俺は、オーヴェがどうして親父さんや兄貴と仲が悪いのか知らない」
 組んだ手が離れないように気を付けつつ、見下ろしてくる困惑を浮かべた双眸をしっかりと真正面から見つめて目を細めれば、びくんと腕が揺れて手が離れそうになる。
 「離すな、オーヴェ」
 厳命と言うよりは懇願に近い命令に動きが止まり、内心で安堵の溜息を吐いたリオンが口を開く。
 「オーヴェが教えてくれるまで待つって決めた。だから何故か知らない」
 付き合いだして半年以上が経過するが、家族についての話をほとんど聞かされたことがないとリオンが苦笑してウーヴェを見れば、のろのろと繋いでいない方の手が口元に宛われて覆い隠される。
 「オーヴェが10歳の時に何かがあった。それだけは聞いた事があるから分かる」
 「………リオン…っ」
 頼むからそれ以上言うなときつく目を閉ざしたウーヴェを、それでも真正面から見つめたリオンは、手を一度離して繋ぎ直す。
 この先、まだ待たされるのだとしても、また俺を信じて話してくれた過去がどんなことであろうともこの手を離さない、その思いが伝わればいいと願いながら閉ざされた瞼の下で揺れている双眸を思い浮かべて語りかける。
 「オーヴェが言ってくれるまで待つ。けど、ちょっと今朝は待てなかった」
 だからごめんと謝りながら繋いだ手を指の腹で撫で、空いた手を膝に重ねて背けられた顔を覗き込むように身を寄せる。
 「それは…分かった」
 「うん。で、お待たせ。何が悪いかって事だけど」
 ウーヴェの途切れ途切れの声にやけに明るい声で返事をしたリオンは、何だそれはと苦笑する恋人の白い髪をさらりと掻き上げた後、口元の笑みはそのままに青い目にだけ怒りを浮かべて見つめ、目を瞠らせる。
 「親父さんや兄貴の写真を見るだけで気分が悪くなったのも分かる。でも…八つ当たりはするな」
 嫌な人に会って気分が悪くなる、そんなことは誰にもあることで何もそれを咎めている訳じゃないと続け、瞬きもせずに見つめてくるターコイズに目を細める。
 「俺の部屋の事で文句を言うのは構わない。でも兄貴を見て気分が悪くなった事を混ぜ込むな」
 リオンの言葉に込められた思いが読めない訳ではないウーヴェは、告げられる言葉と繋いだ手の温もりに軽く息を飲んで唇を噛み締める。
 今朝、新聞で兄のインタビュー記事を見てしまい、一瞬にして朝の楽しい時間が吹き飛んでしまったウーヴェは、その後リオンの部屋の狭さと散らかり具合を皮肉ってしまったのだ。
 ウーヴェ自身はそれだけだと思っていたのだが、どうやら気付かないうちに言葉の端々に兄の影がちらついていたようだった。
 それに敏感に反応したリオンが一気に機嫌を損ねたのだと言うことを教えられ、やっと納得がいったと同時に恋人の勘の良さに舌を巻いてしまう。
 「俺の部屋が汚いのなら、それだけで文句を言えばいいだろう?」
 「…………」
 「それだけなら反論も出来るし反省も出来る。でも兄貴との事は分からないからどうすれば良いか分からない」
 軽く唇を噛みしめているウーヴェの頬を一つ撫で、そんな顔をするなと苦笑する。
 あまり感情表現が豊かではない恋人だが、それでも出逢った当初に比べれば随分と感情が表れるようになり、二人でいれば笑顔も増えてきたのだ。
 泣き笑い、時には怒りに目を染めたとしても、本当に願っているのは笑顔だった。
 心底惚れている彼にはいつも笑顔でいて欲しい、純粋なその願いを胸に思いが届けばいいと、様々な感情に揺れるターコイズを見上げる。
 「俺が悪いと謝ったのは、八つ当たりするなとその時に言えなかった事だ」
 それは分かったかと首を傾げると白い髪が上下に揺れた為、理解してくれた安堵に胸を撫で下ろす。
 「オーヴェに腹を立てたのは、八つ当たりをしてきた事、だな」
 「………悪かった」
 繋いだ手に力を込めてウーヴェから握り返せば、細められていたロイヤルブルーの目が軽く見開かれた後、嬉しそうに細められる。
 「やっぱり俺、オーヴェが好きだ」
 「リオン?」
 「悪いことは悪いと言える、そんなオーヴェが好きだ」
 皮肉屋で時々信じられないほどリアリストにもなるが、ありがとうとごめんをちゃんと相手に言える、それは何にも代え難いものだと、繋いだ手を引き寄せて唇を押し当てたリオンの言葉にただ苦笑したウーヴェは、それはお前だろうと空いた手で金髪を撫で付けてやる。
 「例え謝ったとしても、それを受け入れてくれなければどうしようもない」
 お前が誉めてくれるのは嬉しいが、本当に代え難いのはお前のような存在だと、小首を傾げるように見上げてくるリオンに小さく頷き、繋いでいた手を離させて両手を伸ばして頭を抱き寄せる。
 話す勇気の持てない自分をこうして真正面から受け止めて許し、いつまでも待っていると笑い、そして好きだと言ってくれる存在など今まで周りにはいなかった。
 「いつか必ず話す…だから…」
 どうか自分の弱さを許してくれと謝るウーヴェの身体が小さく震えている事に気付いたリオンは、その腕の中から抜け出すと逆にウーヴェの背中に手を回して顔を寄せる。
 「お前は弱くない。まだその時が来ていないだけだ。それまで待つよ。信じてると言っただろ?」
 だからもうこんな風に震えなくてもいいと囁けば、心底安堵したように身体から力が抜けてもたれ掛かってくる。
 「おっと」
 この広い家で独りで過ごしていたように、今までこんな事を言う相手もいなかったのだろうと思えば、可哀想と思うよりも自分がその相手になれた事がやけに嬉しくて、細身の身体を抱き締めながらラグの上に寝転がる。
 「オーヴェ、一つだけ聞かせてくれ」
 「……何だ?」
 己の身体に乗り上げながら目を細める恋人を見上げながらメガネを取り、前髪を掻き上げた後姿を見せた白い額にキスを一つ。
 「俺を信じているか?」
 返ってくる答えは分かっているがやはり不安を覚えてしまい、キスをした顔を抱き寄せて返事を待てば、小さな小さな吐息がこぼれ落ち、手を離してくれと合図をされてその通りにする。
 「─────リーオ」
 見上げる顔に浮かぶのは、リオンだけが見ることの出来る笑顔だった。
 その笑顔と彼だけが呼べる名前を返事の代わりに受け止めた後、きれいな弧を描いている唇にキスをする。
 お互いが抱えている思いをぶつけ合い、相手を信じることでまた繋がりが深くなるのならば今朝の新聞記事に端を発した口論未満のそれも無駄ではないだろう。
 唇の代わりに額を重ね合わせた二人はどちらからともなく小さく笑い、互いの身体に腕を回して抱き締め合う。
 これからもこうしていようと秘かに誓い合って心を満足させた後は身体の欲求を満足させるだけだった。
 「オーヴェ、腹減った」
 リオンの呟きに言葉を返そうとしたウーヴェだったが、口よりも先に胃袋が返事をしてしまい、さすがに驚いたリオンが絶句して目を丸くする。
 「…うるさいっ!!」
 「まだ何も言ってねぇって」
 いつものようにうるさいと小さく叫んだウーヴェに唖然としていたリオンだが、己の腹もそれに呼応するように音を鳴らし出した事に苦笑する。
 「今日のメシは何だ?」
 「…今からだとろくなものが出来ないな」
 だからといってどこかに食べに行くのも気が進まないと苦笑し、リオンの腰に跨る様に座り込んだウーヴェにリオンがにやりと笑う。
 「なぁ」
 このまま俺を食うなんてのはどうだと、思わず背筋がぞくりとするような声音で囁かれ、何とか震えを抑えたウーヴェが笑みを浮かべる顔を見下ろす。
 「甘くないスイーツか?」
 「こっちの方が腹一杯になるかもな」
 ふふんとお互い男の顔で笑いながら起き上がり、それを心ゆくまで楽しむにはまず晩飯だと笑うリオンに、太るのは嫌だからスイーツも程々にしようかなと返すと、青い目を剥いてリオンが叫ぶ。
 「晩飯を減らせば問題ない!」
 「………バカ」
 「いてっ!」
 あまりにも馬鹿なことを胸を張って言い張る恋人に呆れた溜息を吐いた後、ピアス穴が開いている耳を思い切り引っ張れば、情けない顔で痛みを訴えるが、その手を振り解いてウーヴェの首に腕を絡めてしがみつく。
 「リオンっ!」
 苦しいだろうと声を荒げるウーヴェに聞こえませんと嘯いた後、僅かに赤くなっている目尻のホクロにキスをして美味いものを食わせて欲しいと囁く。
 「……準備と後片づけを手伝うのなら食べさせてやる」
 「ヤー」
 決して逆らいませんと言うように敬礼をし、良しと頷かれて二人でキッチンへと向かい、今朝と同じようで何かが違っている空気の中、二人揃って食事の用意に掛かるのだった。

 

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2010/05/24


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