Das Heim -7-

Über das glückliche Leben(UGL) -Lion & Uwe -

 ゾフィーに対する疑念を抱いたまま職場を出たリオンは、彼女の誘いに応じる為にホームへと重い足取りで向かう。
 事情聴取の際に聞かされた事実よりも更に一歩踏み込んだような事実を何故知っていたのか、その疑念はリオンの胸の中で渦を作り様々な形になってはまた元の渦へと戻っていた。
 こんな気持ちのままホームに戻れば間違いなくゾフィーと口論するのは目に見えていて、本当ならば今すぐ逃げ出したくて仕方がなかったが、上司や同僚に今夜会うことを告げている為に逃げる訳にも行かなかった。
 実家とも言えるホームに帰るだけのことが何故こんなにもリオンの胸と足を重くさせるのかは分からないが、とにかく本能的に帰りたくない、今はゾフィーと顔を会わせたくないという思いが次第に強くなり、足を止めて街灯に手を着いて頭を垂れる。
 ゾフィーが被害者姉妹を知っている理由はきっと別にある、フランクフルトでの事件には彼女の言う通り何の関係もない、そう思い込みたい気持ちの奥から、耳を塞いでも聞こえてくる声が事実から目を逸らすなと囁いてくる。
 「────っ!」
 その声を掻き消すように頭を振ったリオンは、アメスピを取りだして微かに震える手で火をつけると、タールとニコチンの力を借りて気持ちを静めようと試みるが、やけに冴えた頭は今日の出来事を順を追って再生してしまい、拳を握って手を着いていた街灯を殴りつける。
 「シャイセ!!」
 頼む、誰か思い過ごしだと言ってくれと口の中で呟いた時、ジーンズの尻ポケットに突っ込んであった携帯から特定の人物を示すピアノ曲が流れ出す。
 そのピアノ曲がまるで全てのものを解決してくれる、そんな縋るような思いで携帯を取りだして耳に宛がうと、控えめな声が今は大丈夫なのかと問いかけてくる。
 「あー、うん、平気だ」
 もう仕事は終わって今からホームに向かう途中だと告げると、今度は街灯に背中を預けて冬に比べれば遙かに日が長くなった薄明るい夜空を見上げる。
 『リオン?』
 「ん?どうした?」
 『…………いつか話した事があったな、リオン。それを覚えてるか?』
 小さく名を呼ばれた後の唐突な質問にさすがに応えることが出来ず、何のことだか分からないと苛立ち混じりに呟いたリオンの耳に、他の人に対しては知らないが俺にだけは意地を張ったり無理をするなと言ったことを覚えているかと問われ、思わず携帯を握りしめてしまう。
 無理をしているつもりはなかったし、またするつもりもなかったが、聡明な己の恋人は総てを見抜いているのだろうか。
 電話で一言二言言葉を交わしただけでこちらの精神状態を見抜けるのはやはり精神科医だからかと、思わず冷たい声で笑ったリオンにすぐさま答えはなかったが、返ってきたのは小さな溜息だけだった。
 その溜息が理由もなくリオンの神経を逆撫でしてしまい、今までもこれからも無理をしてきたつもりもないしまたするつもりもないと断言し、携帯の向こうに沈黙が生まれるのに耐えられず、口早にじゃあまたと呟いて通話を終えて携帯を元のポケットに戻すが、咥えていた煙草を投げ捨てて新たなそれに火をつけると、やるせない気持ちと八つ当たりをしてしまった後悔を煙と共に上空へと立ち上らせる。
 八つ当たりをしたことを今すぐ詫びたかったが、電話をしてもきっと彼はリオンの八つ当たりに気付いていながらもその優しい心で総てを許し、辛ければ帰ってくればいいと、帰る場所があることを伝えてくれるのだ。
 己を傷付けた者でさえも許せる心の広さと優しさが今のリオンにとってはただただ眩しくて、そんな彼と何故自分のような者が付き合っているのだろうという、今まで密かに何度となく自問自答しては答えの出なかった疑問が浮かび上がり、肩を落としながらホームへの道を歩き出す。
 やがて古びた小さな教会の屋根が遠くに見えた時、胸の中に芽生えていた疑念とは別の、どうしようもない重さを持った感情が再度リオンの足を止めてしまい、誰にともなく助けを求めるように空を仰いで目を細めると、無意識に手が動いて携帯を取りだし、リダイヤルをしてしまう。
 携帯の呼び出し音を何処か別の世界の音のように聞いていたが、通り過ぎる車のエンジン音から現実に引き戻されると同時に、耳に宛がっていた携帯を剥がして呼び出しを停止させようとするが、それよりも先に穏やかさと心配が混ざった声が名前を呼んでくる。
 『リオン?どうした?』
 繋がった電話から聞こえる声に唇を噛み締めたリオンだったが、足を止めさせるような感情には逆らえずに、小さな小さな声でさっきはごめんと告げると、安堵の溜息が耳に流れ込む。
 『今は話をしていても平気なのか?』
 「………平気」
 『そうか。…今外にいるのか?』
 「ああ、うん、もうすぐホームに着く…」
 後数分歩けば辿り着く懐かしい教会と孤児院だが、その数分が数時間かかっても辿り着けない程の距離に感じてしまい、近くにある電話ボックスに寄り掛かると、そのままずるずると座り込んでしまう。
 「……オーヴェ…っ!」
 膝を抱えるように座り込んで振り絞ったような声で名を呼ぶと息を飲む気配が伝わってくるが、どうか思いだけでも伝わりますようにと囁かれた後、彼だけが呼べてリオンの心の奥深くにまで伝わる声が流れ込む。
 『リーオ』
 「…っ!!」
 『今日、シスター・ゾフィーの聴取があるかも知れないと言っていたな?何かあったのか?』
 お前の肉親とも言える彼女に関係することで平静さを保っていられないのかと問われ、認めたくはないがその通りだと返すと再度沈黙が訪れるが、次いで聞こえてきた声に俯いていたリオンの目が限界まで見開かれる。
 『お前はお前の職務を全うしただけじゃないのか?』
 「…それは…っ…」
 『自分がするべきことをしただけだ。そうだろう?』
 職場という畏まらなければならない場所ではなく、彼女の顔をしっかりと見つめて話をすれば絶対にお前の思いは通じるはずだと優しく断言され、その声から彼女の言葉を蘇らせる。
 何故小さな無人の教会に通っていたのか、その理由はリオンを今優しく強く励ましてくれる恋人と一緒にいる理由と同じだと言われたと告げると、少し考え込むような気配が伝わり、断言出来ないが欲しかったのかも知れないなと答えられて更に目を瞠る。
 「欲しかった……?」
 『ああ』
 己の姉のような彼女が欲していたものが何であるのかなど想像が付かなかったが、自らを振り返った時、この心優しい恋人と一緒にいる理由が不意に思い浮かんでくる。
 滅多に口にすることはないが、物心ついた時からずっとリオンの心の奥深くに底なしの闇のような渇きが存在していて、陽気な表情の下から時折その渇きが顔を覗かせることがあり、枯れることのない思いが常に心の中にわき上がっていたが、まさか彼女も同じ渇きを胸に持っていたのだろうか。
 「何が…欲しかったんだ?」
 ゾフィーは何を求めて無人の教会に通い、その教会を訪れる人達と僅かながらも交流を持っていたんだと、真実を突きつけられる恐怖を本能的に感じ取りながら問いかけたリオンは、こんな時にも心の中に不思議と入り込む声が告げた一言に青い目を瞠って息を止めてしまう。
 『お前が一番よく知っているんじゃないのか?』
 「…………」
 『リーオ。もう分かってるだろう?』
 ウーヴェの言葉に促されるように小さく同意を示したリオンは、彼に言われるまでもなく、ずっと胸の奥底に流れる渇いた暗い河のような感情があることを知っていたが、姉のようなゾフィーの胸にも同じような河が流れているとは思いもしなかった。
 だからその驚きに目を瞠ってしまうが、優しく念を押されてもう一度頷くと、それが通じたように苦笑か安堵の溜息がし、彼女が何を求めているのかが分かったのならば、何故無人の教会に通っていたのかも分かるのではないかと、まるでリオンを導くような言葉に自然と顔が上がり、胸の奥で渦巻いていた感情から抜け出せたように心が浮上する。
 「……今日さ、BKAの刑事がゾフィーを怒らせるようなことを言ったんだよ」
 『そうか。でも、その刑事に腹を立てているだけならお前が不安に思うようなことはないんじゃないのか?』
 今己の胸の中で渦を巻いている思いの正体を見極める為に呟いたリオンだったが、ウーヴェが自らでも気付いていなかった不安という感情を見抜いたことにすぐに返事が出来なかった。
 『リオン?』
 「あ、ああ、うん……何が不安なんだろうな、オーヴェ」
 『分からないか?』
 「……前にさ、無意識で何かを感じ取っているって言ってたよな?」
 『うん?ああ、そうだな』
 ある確信を抱いて問いかけるリオンに、携帯の向こうのウーヴェも間近で見つめている時と同じように何かを感じ取っているようで、声に不安を混ぜて問いかけてくる。
 『彼女の言葉から何を感じ取ったんだ?』
 「……ゾフィーはすげぇ大切なことを隠してる」
 『どうしてそう思う?』
 「俺と同じものを欲しがってるって言ってたけど、何かもっと重要な事を隠してる」
 有る意味唐突なその言葉にウーヴェが何故と静かに問いかけると、それに答えるリオンの横顔は刑事のそれになっていて、耳の奥底では彼女の言葉が木霊していた。
 姉思いの優しい少女、彼女が昂ぶった感情のまま呟いた言葉が気になる事、そう言えるゾフィーは今回の事件の被害者姉妹と面識があるのではないかという疑問を無意識に感じ取っていたのかも知れないと呟くと同時に、お前がそう感じ取ったのならば後はそれを確かめるだけだと返されて目を瞠る。
 疑問に感じたのならばその理由を問いかければ良いはずだったが、それに思い至らなかった己を馬鹿のように思い、苦笑した時ようやく己が石畳に座り込んでいたことを思い出す。
 立ち上がると同時に胸に抱えていた不安も軽くなり、まるで止まっていた血が一気に足に通ったような熱も感じ、それをもたらしてくれた存在に気付いて息を飲む。
 己の精神状態がどうであれ、電話を通していつものように力を分け与えてくれるウーヴェの優しさと強さに気付き、言葉には出来ない感謝の思いが胸から溢れ出す。
 その溢れたものの一端だけでも伝えたい思いから縺れそうになる舌を疎ましく思いつつ、何故か慌てふためきながらウーヴェを呼ぶ。
 「オー……ッオーヴェ…っ!」
 『どうした?』
 途切れ途切れになる声で名を呼び、そんな自分を不審がるでもなくいつものように優しい声で答えてくれるウーヴェに伝えたい感謝の言葉を何度も何度も伝えると、沈黙の後に限られた時にしか聞くことの出来ない溜息が携帯を通じて流れてくる。
 『お前はお前に出来る事をしただけだ。良いな、リオン。顔を上げろ、胸を張れ』
 リオンに対する全幅の信頼の証でもあるそれにリオンがきつく目を閉じてもう一度頭を垂れるが、次に顔を上げた時にはいつものような豊かな表情を想像させる顔になっていた。
 そんなリオンの変化に気付いたのかどうなのか、今度はウーヴェがリオンにだけ聞かせる声で名を呼んだ為、それに応えるようにリオンの唇に太い笑みが浮かび、暗く沈んでいた蒼い瞳に力強い光が戻ってくる。
 『────お前は俺の…俺だけの太陽だ』
 世の中を遍く照らし出す太陽のように、顔を上げて胸を張って前へと進めと、次の一歩を踏み出す力を分け与えてくれるウーヴェの言葉にもう一度感謝の思いを告げたリオンは、自らの努めを果たす為にやるしかないと気負いそうになるが、次に聞こえてきた言葉に目を瞠って動き出そうとした足を止めてしまう。
 『ただ、お前は刑事である前に彼女の、シスター・ゾフィーの大切な家族だ』
 「オーヴェ……」
 『その彼女がもしも間違ったことをしているのなら……罪を犯しているとお前が思うのなら、それを確かめて正すのもまた家族であるお前にしか出来ないことだ』
 刑事として彼女に対峙するのも構わないが、その前にまずお前は彼女と同じ水を飲んで大きくなったことを忘れるなと念を押されて息を飲むが、その言葉に秘められた思いを酌み取れないリオンではないため、瞠った目を閉じて深呼吸を繰り返した後に短く返す。
 「ああ」
 もしも誰にも言えない秘密を抱えているのならば聞き出すし、それが犯罪と関係がある-有り体に言って罪を犯しているのであれば、その罪を償うべきだと忠告出来るのは己だけだとも気付き、そうであって欲しくないがそうなってしまった時にはウーヴェが伝えてくれた言葉を力に換えると約束し、そろそろホームに向かう事も告げて携帯にキスをする。
 『終わったら連絡をくれないか、リーオ』
 「ああ、うん。でも遅くなりそうだぜ」
 『構わない。どれだけ遅くなっても良いから連絡をくれ』
 今までとは打って変わった焦燥感を滲ませる声にリオンが首を傾げつつも、あまりにも遅い時間だと連絡をしないかも知れないが、とにかく帰る時には報せることを告げてウーヴェを半ば納得させて通話を終えたリオンは、ようやく暗さが増してきた夜空を先程とは違う心で見上げ、ジーンズのポケットに手を突っ込んでその一歩を踏み出す。
 ウーヴェが分け与えてくれた力を無駄にしないよう、たとえ目を背けたい事実に直面したとしてもその場から逃げ出さない勇気が芽生えたことに目を光らせ、少し先に見えていた古びた教会とその隣に立つ小さな孤児院に向かって歩いて行くのだった。
  

     

 孤児院のドアを開け、その音を聞きつけたのか、ドアの向こうから赤毛で長身を持て余し気味の男前が気怠そうに姿を見せる。
 「よぅ、カイン。今日も暇みてぇだな」
 「うるせぇ。そう言うお前こそサボってばかりじゃないのか?」
 幼馴染みというのは、いつ何時顔を合わせたとしても一瞬にしてその当時の関係に戻ってしまうようで、ウーヴェがいればいい顔をしない言葉を交わしながら互いに拳を突き出してぶつけ合った後、カインが煙草を取りだして一目で高級だと分かるライターで火を付ける。
 「さすがにやり手の株屋ともなれば持ってるものも違うか」
 「あ?何を訳の分からないことを言ってるんだ?それよりもゾフィーが待ってるぞ」
 「………ああ、分かってる」
 リオンが肩を竦めて呟く言葉に煩わしそうに切れ長の瞳で幼馴染みを一瞥したカインだったが、リオンが煙草を銜えたのを見ると同時に火を差し出し、部屋でゾフィーが待っていることを声を潜めて告げる。
 「マザーはどうしたんだ?」
 「ばあさんならちょっと用事で出かけてる」
 「ふぅん。あー、腹減った。オーヴェのメシ食いてぇ」
 気分を切り替えるように呟くリオンをまじまじと見下ろしたカインは、お前、今付き合っているのは男というのは本当かと呟き、心底驚いた顔で見上げられて目を瞠る。
 「まだ言ってなかったか?」
 「聞いてないな。一度会わせろよ」
 「お前にオーヴェを会わせたら大変なことになるからイヤだ」
 二人並んでゾフィーが待っている部屋へと向かいながら問われ、大切な大切なウーヴェを守るためだからお前には会わせないと舌を出して言い放ったリオンは、カインの灰色の目が好奇心に強く光ったことに気付き、くるりと踵を返して幼馴染みの白い顔を見上げる。
 「カイン、一つだけ言っておくぜ。─────オーヴェには絶対に手を出すな」
 いつも大抵のことは明るく豊かな表情でやり過ごすリオンだったが、この幼馴染みの手癖の悪さは誰よりも理解している為にウーヴェにだけは手を出すなと釘を刺すと、カインの顔により一層好奇心の色が滲むが、リオンのめったに見ない本気さ加減を感じ取って鼻先で笑い飛ばす。
 「ふん。男に興味はない」
 「はは。だろうな」
 もしも万が一カインが男と付き合うことにでもなれば、その時は盛大に祝福してパートナーに今までの悪事を洗いざらいぶちまけてやると大笑いしたリオンは、後日己の言葉が現実となったときに顎が外れるほど驚愕してしまい、幼馴染みを盛大に怒らせてしまうのだったが、今の二人にそんなことが分かるはずもなく、とにかくゾフィーを待たせていることを思い出し、ドアを開けて中で待っていた彼女にいつものようにキスをする。
 「待たせたな、ゾフィー」
 「良いわよ。それよりも食事は済ませたの?」
 「まだだ。腹が減って腹と背中がくっつきそうだ」
 立ち上がって食事の用意をする彼女を目で追いつつ椅子を引いたリオンは、行儀悪く片脚を立てて椅子に座り、隣に座ったカインが持ってきたバラの花束へ目を向けて口笛を吹く。
 「相変わらず趣味はガーデニングかぁ」
 「うるさい」
 「そう言えばオーヴェも夏になったら向日葵を咲かせてたっけ」
 そろそろ種を植えないと今年の夏に大輪の花を咲かせてくれないのではないかと呟き、ゾフィーが用意をしてくれたパンにハムとチーズを載せてかぶりつく。
 「ガーデニングが好きなのか?」
 「んー?いや、いつだったか向日葵を貰って帰ってきたことがあったんだよ。で、その時の種を植えて咲かせてるみたいだな」
 俺自身は全く興味がないから分からないが、ウーヴェが密かに楽しみにしている様子なので好きにさせていると肩を竦めると、今度見に行ってやるとカインが申し出る。
 「お前にオーヴェは会わせたくねぇから断る」
 「ちっ」
 学生の頃から毎日繰り広げられていた懐かしいそれらを聞きながらコーヒーの準備をしていたゾフィーは、カインに告げて人数分のカップを用意させると、コーヒーと一緒にドーナツもテーブルに置き、二人の目を輝かせる。
 そのドーナツがこの古くても頑丈なテーブルの上にある光景は、リオンやカインにとっては言葉では言い表せない感情を引き起こすものだったが、過去がもたらす痛みや悲しみを感じるよりも先に今を生きる二人の身体が素直な反応を示し、その音を聞いたゾフィーが呆れつつも嬉しそうな顔で腰に手を宛い、幼い頃、もう一人の友人と一緒にドーナツにかぶりついていた二人の横顔を思い出しながら笑みを浮かべる。
 「ゾフィー?」
 「早く食べなさい。冷めても美味しいけど揚げたての方がもっと美味しいわよ」
 ゾフィーの言葉にリオンが顔を更に輝かせるが、その前ではカインが表情を変えることなくドーナツを早速手に取り、時が止まっている錯覚を抱かせる態度で次々にドーナツを食べ始める。
 生後数時間からこの孤児院にいたリオンと、ここに来たときには既に10代の半ばだったカインが見せる横顔は、それぞれが己の夢を叶えるためにこの孤児院から巣立って何年も経つのにあの頃から変わっていなくて、その変化のなさに呆れるべきか感心するべきかと考えていた彼女は、ある程度食べて満足したらしいリオンが取りだした煙草を一度指の上でくるりと回転させた後、その手を組んで親指をくるくると回転させ始めたことに気付いて僅かに息を飲む。
 それは、リオンが考え事をしている時の癖で、もちろんそれを知っているゾフィーが何か考えているのかと口を開こうとした時、リオンがぴたりと止めた手を組んで彼女を真正面から見つめて名前を呼ぶ。
 「ゾフィー」
 「何よ?」
 リオンの呼びかけにどんな思いが込められているのかは分からなかったが、きっと良いことではないと気付き、カインの横に座って手を組んだゾフィーだが、そんな怖い顔をするなと苦笑する。
 「俺の顔が怖いって思うってのは、ゾフィーが何か思ってるからじゃねぇのか?」
 ひょいと肩を竦めつついつもと変わらない口調で呟いて彼女を見たリオンだったが、表情とは裏腹に青い瞳には直視するのが難しい程強い光が満ちていて、それを見たゾフィーが知らず知らずのうちに手に力を込めてしまう。
 「別にあたしは何も思ってないわ」
 「────ゾフィー、真面目な話だ」
 リオンが呟いて前髪を掻き上げ、先程指の上で回転させた煙草のフィルター側に葉を寄せるようにトントンとテーブルで弾ませた後、年季が入ったジッポーで火をつける。
 「だから何よ」
 「……取り調べの時の言葉、あれはどういう意味だ?」
 リオンの声が緊張から低くなったのを察した彼女も同じように緊張してしまうが、どの言葉だと震える声で問い返し、俺と同じというのはどういう意味だと返されて無意識に胸を撫で下ろす。
 取り調べの最中に居丈高な態度の刑事が発した言葉に激昂してしまい、思わずリオンを捕まえて感情のあまり声を荒げてしまったのだが、その時に何か発したのかと緊張していた彼女は、聞かされたのがその一言だったために安堵し、前髪を掻き上げてテーブルに両肘を突いて少し上体を乗り出す。
 「あの時も言ったけど、あんたと同じよ」
 「……俺がオーヴェと一緒にいる理由と同じだっていうのか?」
 「………ええ」
 リオンの人の心の裏の裏まで読もうとするような視線に肩を竦め、隣にいるカインを一瞥したゾフィーは、あんたも私も、もしかするとこのカインも同じかも知れないともう一度前髪を掻き上げて今度は自嘲に唇を歪める。
 「どういうことだ?」
 何の事情も知らない自分の一体何が同じなんだと、今度はカインが煙草に火をつけながら鋭い声を出すと、ゾフィーが盛大な溜息を吐いた後、リオンの前にある少しひしゃげたアメスピに手を伸ばし、驚く二人の前で慣れた手付きで取りだした一本に火をつけて細く煙を吐き出す。
 「……おい、ゾフィー」
 「何よ」
 「………一本1ユーロだぜ」
 ゾフィーが煙草を吸う姿は初めて見るが、その態度に躊躇いも開き直りもない事から、煙草を日常的に吸っていたことを感じ取り、にやりと笑って掌を出したリオンは、睨まれた後に食べたドーナツは5ユーロだと返されて無言で肩を竦める。
 「で、同じってのは…」
 「………あんたがずっと欲しがっているものと同じってことよ」
 彼女の口から具体的な言葉としては出て来ないが、その言葉からリオンが感じ取ったのは、己の胸の奥深くの闇の中を流れる河と同じもので、そうなのかと問いかける代わりにカインも欲しいのかと問うと、彼女が隣へと再度視線を投げ掛け、自分自身気付いていないが本当は欲しがっているだろうと笑われて天井を振り仰ぐ。
 ここにいる三人は時期の遅い早いがあるにしても肉親と生き別れている為、それぞれの胸の裡には言葉では言い表せない複雑な思いを持っていた。
三人に共通する思いだと笑う彼女にリオンが見上げていた天井から視線を下ろし、カインの端正な横顔へと呼びかける。
 「お前も欲しいと思ったか?」
 俺やゾフィーが感じていたように、常に心の奥底で癒えることのない渇きとして存在する、家族を欲する気持ちがあるのかと問い掛けるが、己の素直な気持ちを何処か遠くへ捨ててきたような男がその言葉に答えるはずもなく、ただ冷たく笑って立派なライターで煙草に火を付ける。
 「……うるせぇ」
 煙と共に吐き出される言葉だったが、常のそれよりも上擦っているようで、カインもまた同じ思いを僅かでも持っていることを教えてくれていた為、それ以上は幼馴染みの心を追求するようなことは言わず、重苦しい沈黙が生まれたテーブルに溜息を吐く。
 「ああ、あと、何回かフランクフルトに行ってただろ?何をしに行ってたんだ?」
 リオンが思い出したように顔を上げて問い掛けた言葉に彼女がびくりと肩を揺らして目を泳がせるが、煙草を灰皿に押しつけた手で長い髪を掻き上げようとした時、隣からも声が挙がって顔を振り向ける。
 「そう言えば、俺を見て逃げたこともあっただろ、ゾフィー?」
 つい先日までフランクフルトを拠点に株の仕事で一山築いていたカインの言葉に彼女が息を飲み、確かに何度か見かけたこともあるし行ったこともあるが逃げた訳じゃないと肩を竦める。
 「何でカインと顔を合わせた時に何も話さなかったんだよ?」
 他の誰かならばいざ知らず、思春期真っ直中の頃から口うるさく自分たちを怒鳴りつけ、それでもマザー・カタリーナと同じ優しさで見守り続けてくれるゾフィーが俺たちを見かけて無視をするなんて想像出来ないと肩を竦めたリオンに、珍しく正論を吐いたと言いたげな顔でカインが肩を竦める。
 「…言いたくないこともあるわ」
 「そりゃあ大なり小なり黙ってたいこともあるよな」
 でも、それでも俺たちにまで黙っていなければならないことがあるのかと、青い眼を光らせたリオンの言葉にゾフィーが唇を噛み、カインも灰色の切れ長の瞳に強い光を浮かべる。
 常日頃どれだけ悪態を吐こうが手に負えない悪戯をしていたとしても、それでもリオンとカインにとってゾフィーは意識しないでもすべてを見せてしまう姉だった。
 何をしようとも悪い事をすれば真正面から叱り、たまに良い事をすれば盛大に誉めてくれるゾフィーの言動が、思春期をとっくに過ぎた二人に取っては有り難いものだったと何となくわかり始めていたのだ。
 なのに、そんな彼女がカインを見かけても声を掛けないなど、自分たちの常識で考えればあり得ないことで、何故だと鋭く追求するリオンにゾフィーが苦しそうに眉を寄せて唇を噛む。
 「ゾフィー」
 「……だから、言いたくないこともあるって言ってるでしょう…!?」
 リオンの無言の圧力をはね除けるように立ち上がろうとした彼女だったが、ドアが静かに開いたことに気付き、三人同時にドアへと顔を向ける。
 「何か深刻なお話ですか、ゾフィー?」
 三人の視線を受けても動じることもなく穏やかな笑みを浮かべているのは、ここにいる三人のすべてを知っていると言っても過言ではないマザー・カタリーナで、彼女の言葉によって気が抜けたのか、風船が萎むように力無くゾフィーが椅子に深く座り込む。
 「……マザー、何処に行ってたんだ?」
 「次のバザーに協力して下さる人に挨拶をしてきたのですよ。今日はもう仕事は終わったのですか、リオン?」
 リオンの言葉に目を細め、食事はすんだのか、一人で帰ってきたのかと問い掛けると、ごく自然な態度でリオンの横に腰を下ろし、随分と久しぶりだと小さく笑って三人の視線を集めてしまう。
 「何が久しぶりなんだ?」
 「あなた達とこうしてここにいることがですよ」
 それぞれが夢を抱いてここを出て行くまでは毎日のようにこうしてここで顔を合わせ、食事をしたり様々な問題を解決するために感情をぶつけ合ってきたが、今ではゾフィーと二人のことが多いと笑う彼女に問い掛けたカインも目を瞠るが、確かにその通りだと皮肉な笑みを浮かべて椅子の背もたれを軋ませる。
 「他の奴らって言ってもまだガキだもんなぁ」
 「そうですね。一番年長なのは…あの二人ですね」
 彼女が誰のことを示しているのかがすぐに理解出来なかったが、ゾフィーが微苦笑しつつあんたが再起不能寸前まで殴ったあの子達だと告げたことでリオンの青い目が見開かれる。
 「あー、あいつらかぁ。何、あいつらまだここにいるのか?」
 「ええ。あの事件の後は見違えるように真面目になって、今も教会の仕事を手伝ってくれていますよ」
 あの夜、人を見かけで判断してはいけないことを拳であなたが教えてくれたので、今あの二人は本当に良くわたくし達を手伝ってくれますとマザー・カタリーナに微笑まれてしまってリオンが口を尖らせるが、ただ一人経緯を知らないカインがゾフィーに何のことだと問い掛けて手短に説明を受けて口笛を吹く。
 「相変わらず、口より先に手が出る足が出る、か」
 「うるせぇ。お前も同じじゃねぇか」
 お前にだけは言われたくない、このサド男とリオンが歯を剥いたことにカインも目を光らせ、サド男はどっちだ暴力野郎がと言い放つと同時に二人が椅子を蹴り倒して立ち上がる。
 「あぁ、もう!いい加減にしなさい、二人とも!!」
 サドだの暴力男だの、あたしから言わせればどっちもどっちよ、そう一声叫んだゾフィーの前、マザー・カタリーナが拳を口元に宛ってくすくすと笑い出す。
 「ちょっと、マザー、どうして笑うの!?」
 「何がおかしいんだ、ばあさん?」
 「そうだそうだ!何で笑うんだ、マザー?カインがサドなのは分かり切ってることじゃねぇか!」
 「お前、まだ言うのか?」
 「事実を事実として言っただけだろうが」
 「だからいい加減にしなさいって言ってるでしょ!!」
 一瞬納まりかけた二人の熱が更に上がりそうになったのに気付いたゾフィーが今度こそ立ち上がると同時にテーブルに掌を叩き付け、その音で二人の意識をこちらに集めることに成功すると、隣と前に向けて手を伸ばし、種類は違ってもピアスが填っている耳をほぼ同時に引っ張って二人に悲鳴を上げさせる。
 「ぃてぇ!!ゾフィー、いてぇ!!」
 「…離せ、ゾフィー!痛いだろうが!!」
 「あんた達が下らない言い合いを止めれば離してあげるわ!」
 この痛みに耐えながら言い合いを続けるのか、それとも素直に振り上げた拳を下ろすのかどちらが良いと彼女に睨まれ、ほぼ同時に分かった大人しくすると叫んだ二人は、ようやく自由になった耳を手で押さえ、もう一方の手で拳を作ってゴツンとぶつけ合う。
 その二人だけの決まり事を腕を組んで見守っていたゾフィーは、マザー・カタリーナが咳払いしたことに気付いて目を瞠り、戻ってきた彼女のためにコーヒーの用意を始めるが、奇妙な沈黙を破ったのはリオンの躊躇いがちの言葉だった。
 「ゾフィー、俺たちにも黙ってフランクフルトにいたのはどうしてだ?」
 言いたくないことかも知れないがと肩を竦め、煙草に火を付けてしんみりとした声で告げたリオンにカインも素っ気なく頷き、話してくれても良いだろうと促すと、マザー・カタリーナの為のマグカップを手にしたゾフィーがテーブルに戻り、深く溜息を吐く。
 「………それは……」
 「ゾフィーがフランクフルトにいた理由ならば知っていますよ」
 「マザー!?」
 彼女からコーヒーを受け取って礼を言い、その湯気を顎に受けていたマザー・カタリーナが、自分の前で交わされる言葉の意味を察して目を伏せ、一口コーヒーを飲んだ後にゆっくりと口を開くと、その言葉に耳を疑っている顔でリオンとカインがマザー・カタリーナの穏やかな顔を見つめる。
 「どういうことだよ、マザー?」
 「…ゾフィー、お話ししますよ?」
 「………はい」
 二人にはすべて話をした方が良いと、この時だけは穏やかさよりも強さを感じさせる表情で娘のようなゾフィーを見たマザー・カタリーナは、リオンとカインの顔を交互に見ながら二人にとって意外な言葉を静かに告げる。
 「ゾフィーのご両親が見つかったのです」
 「!?」
 「何だって…?」
 生まれたときから既に肉親との縁が途切れているリオンと、幼い頃の家庭の事情で一家離散の憂き目に遭ったカインにしてみれば、己の肉親が何処かに存在することは疑っていないがそれでも会えるとは思ってもみないことだった為、芽生えた思いを言葉にすることが出来なかった。
 蒼と灰色の二対の双眸を驚愕に染め、顔を背けて肩を僅かに震わせるゾフィーの横顔を穴が開くほど見つめた二人は、掠れた声でどういうことだと問いかけ、マザー・カタリーナが小さく咳払いをした後で語り出す言葉を聞き逃すまいと意識を集中させるのだった。

 

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2012/12/18


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