Das Heim -6-

Über das glückliche Leben(UGL) -Lion & Uwe -

 事件に深く関わっていると思われるシスターを任意で呼べないのか、そうBKAのブライデマンに言われて己の中で目を背けたいと思っていたことにも気付かされたリオンは、翌朝、目を覚ましたもののベッドから起き上がることが出来ず、いつもの時間に起こしてくれる恋人が、朝食の用意が出来ているから早く来いと苦笑してもタオルケットを頭から被ってベッドに伏せてしまっていた。
 「リオン?」
 「…………」
 タオルケットで覆われた世界で背後の地面が沈み、ウーヴェが腰を下ろしたことに気付いたリオンは、もごもごと口の中でおはようと呟くものの、当然ながらその声は狭いタオルケットの中でのみ響いてウーヴェには届かなかった。
 「リーオ。遅刻するぞ?」
 「…………ぅん」
 起きているがお前の顔が見られないと呟くと溜息の音が聞こえると同時に、暗かった世界に光が満ちる。
 「わっ!」
 「朝から何を訳の分からないことを言ってるんだ?ん?」
 「……ぉはよ、オーヴェ」
 「ああ、おはよう」
 己の姉のようなゾフィーが重要参考人として任意の聴取を受けるかも知れない思いと、刑事として目を逸らしてはいけない事柄に背中を向けているのではないかという思いを抱えて落ち込んでいたリオンは、ウーヴェの強くて優しい声と暖かな手の温もりに促されて己が目を背けていたことを告げたのだ。
 今まで文句や罵詈雑言ならば散々言い尽くしてきていたが、愚痴らしい愚痴などは話した事がなかった為、一夜明けた今朝やけにそれが気恥ずかしくて、ウーヴェの顔を見られないままおはよう告げてタオルケットを肩から巻き付けると、隣に腰を下ろしていたウーヴェが溜息を吐いてそれを奪い取り、早くベッドから降りろと苦笑で促してくる。
 「……オーヴェ」
 「どうした?」
 昨日の醜態をどうか忘れてくれと小声で懇願し、ウーヴェが返事をするよりも前にベッドから飛び降りたリオンは、メシを食うと叫んで下着姿でベッドルームを出て行く。
 その背中を呆然と見送ったウーヴェは苦笑を深めてタオルケットをベッドに置くと、自らも朝食を食べる為にキッチンへ向かうのだった。
 二人揃っての朝食はいつしか当たり前の光景になっていて、今ではどちらもどちらの好物-例えば朝食時にリオンが好んで飲むのはホットミルクをふんだんに使ったカフェオレだったり、苦みや酸味のバランスが程良く取れているコーヒーがウーヴェの好みだったりと、すっかりと覚えている相手の好みのものを出せるようになっていた。
 ゼンメルは半分に切ってベーコンやチーズを載せて焼いたもの、卵は特製のスクランブルエッグ、ソーセージにはマスタードとケチャップを、サラダの代わりにリンゴやオレンジを混ぜたフルーツにヨーグルトを掛けたもの、その定番になりつつある朝食を食べながらリオンが呟いたのは、昨日の醜態を挽回する方法は無いかということだった。
 「醜態?」
 「……うん……昨日のアレは…さすがに…恥ずかしい…し」
 恋人とは言え人に対して初めて愚痴をこぼしたことが恥ずかしかったようで、ウーヴェの視線を横顔で受け止めながらリオンの目元がうっすらと赤くなり、それを見たターコイズ色の双眸が大きくなった後、小さな笑い声が二人の間にこぼれ落ちる。
 「…笑うなよ」
 「昨日のあれが醜態なら、俺は今までお前にどれだけ恥ずかしい姿を見せてきたことになるんだ?」
 「や…オーヴェは良いんだよ」
 「なら、お前も良いんじゃないのか?」
 どうあっても昨夜の行為に羞恥を感じているらしいリオンが微笑ましかったが、その思いを少しだけ口元に浮かべてもう一度ウーヴェだけの名前で呼ぶと、リオンの蒼い瞳が目まぐるしく上下左右に移動した後、ぴたりとウーヴェへと向けられて照れながらも破顔一笑する。
 「────ダン、オーヴェ」
 「ああ。それよりも、昨日の話は現実になりそうなのか?」
 昨夜、リオンの気持ちが浮上するまでずっと肩を抱いていたウーヴェが聞かされたのは、ゾフィーを任意で呼んで事情聴取をすると言うもので、それが現実のものになる可能性が高いのかと声を顰めて問いかけると、リオンの顔から笑みが消えてウーヴェが一瞬息を飲んでしまうような厳しい表情を浮かべるが、ひょいと肩を竦める事でその横顔を掻き消してしまう。
 「多分、な」
 「そうか……」
 「……ボスに総て任せることにする」
 諦観の笑みを浮かべてもう一度肩を竦めたリオンは、とにかくゾフィーが疑われるようなことをしているのに連絡が付かないことが総ての元凶だと舌打ちをし、残っているヨーグルトを総て平らげて満足の溜息を吐く。
 「いつも言ってるけど、ホントに美味いメシをありがとう」
 「ああ」
 今日という一日がたとえどれ程重く苦しい物になったとしても満足するまで食べたお陰でエネルギー不足で倒れることはないと笑い、目を細めるウーヴェの頬にキスをしたリオンは、出勤する支度をする為にキッチンから飛び出してベッドルームに戻っていく。
 再びその背中を見送ったウーヴェは、今日は不測の事態が起きたとしても慌てないで落ち着いて対処しようと決め、一足先にベッドルームで支度をしているリオンを追ってベッドルームに戻るのだった。
 いつものように己の身支度を調えた後、寝癖が付いて好き放題に跳ねているくすんだ金髪を撫で付けたウーヴェは、ワイヤーチェアにリオンを腰掛けさせて手早く髪を梳かしていく。
 「いいよ、オーヴェ」
 「ダメだ。気合いを入れるんだろう?」
 だったら頭の先から爪先まで気合いを入れていることが分かる出で立ちになって己の戦場に出向けと鏡の中でリオンを見つめたウーヴェは、はにかんだような笑みを浮かべるリオンに目を細め、男にしては器用な手付きで髪を束ねてゴムで一纏めに括る。
 「────良し」
 今日も俺が惚れてやまないお前になったと鏡の中で視線を合わさずに背後から囁いたウーヴェにリオンが一瞬驚くが、そっと手を挙げて後ろ手で白とも銀ともつかない髪を撫でて手を差し入れて引き寄せると、見上げる体勢でキスをする。
 「……な、オーヴェ、カッコイイか?」
 お前の言葉通りになっているだろうかと、離れた唇の間から囁いたリオンにウーヴェが珍しく太い笑みを浮かべて疑う余地のない力強さで頷く。
 「ああ」
 「ダンケ、オーヴェ」
 ウーヴェの言葉を胸に秘めて力の源とする為に目を閉じると、閉ざされた瞼に濡れた感触が伝わり、そのキスからも力を分け与えられる。
 これならば出勤してから必ず起こるであろう精神的疲労や苦痛を乗り越えられると気付いてゆっくり瞼を開けると、逆さまの視界の中にリオンが生涯忘れることのないターコイズ色の双眸に全幅の信頼とそれをも凌駕する愛情を込めて見つめてくるウーヴェの顔を見いだし、一度唇を噛み締めた後でそのまま口角を持ち上げる。
 いつか必ず己の時が終わりを迎える日が来るが、その時が来ればこの笑顔だけを持っていたいとすら思えるその優しい表情に自然と笑みが浮かび、今日も一日頑張ってくると笑って頷いたリオンは、ウーヴェがひっそりと、だが力強い声で行ってこいと背中を押してくれたことが嬉しくて、笑みを深くして立ち上がる。
 「オーヴェも仕事、頑張ってな」
 「ああ」
 お互い人命に関わる仕事をしていることを肝に銘じ、持てる力を発揮してこようと囁きあい、額と額を重ねて出勤前の儀式を二人だけで執り行う。
 「行って来る」
 「ああ────リオン」
 「ん?」
 距離を取って頷いたリオンをウーヴェが呼び止め、何だと目を細めるリオンの顔を真正面から見つめたウーヴェは、お前ならば大丈夫と胸の裡で告げながら規則正しく鼓動を打つ胸に手を宛がい、己の為には決して祈らない神に祈った後、少しだけ高い位置から見つめてくる蒼い瞳にそっと頷き、言葉と掌の温もりでその背中を軽く押す。
 「行ってこい」
 「うん────ダンケ、ウーヴェ」
 ふわりと笑みを浮かべたリオンに背中を抱かれてそっと広い背中に腕を回した後、いつまでもこんなことをしていると遅刻してしまうと互いに気付き、離れがたい心を押し殺して身体を離すと、意を決したようにリオンが踵を返してウーヴェの家から仕事へと向かう。
 三度その背中を見送ったウーヴェは、自らも仕事に向かう為の準備に取りかかるのだった。
  

  

 ウーヴェが口にした言葉を胸に秘めつついつもと変わらない様子で出勤したリオンは、己のデスクについた途端、ジルベルトが肩に腕を回してきたことに気付いて身体を仰け反らせる。
 「何だよ、ジル?」
 「長引きそうか?」
 「あー…ああ」
 その言葉を重苦しい溜息混じりに短く肯定したリオンは、ジルベルトが舌打ちをしたことに気付いて振り返り、背もたれに顎を乗せながらどうしたと問いかける。
 「…煙草を買い忘れた」
 「知るか」
 唐突に煙草を忘れたからお前のをくれと宣うジルベルトに冷たい視線を投げ掛け、アメスピは嫌いだと言ったのは何処の誰だ、今はそれどころではないと溜息を吐いたリオンは、ヒンケルがいつものように小難しい顔で入ってきた事に気付き、視線で行方を追いかけるものの、こちらに向かってきたことを知って立ち上がる。
 「おはようございます、ボス」
 「ああ、おはよう。リオン、後で話がある。ジルベルト、今追ってる事件はどうだ?」
 ヴェルナーと共に追いかけている事件のメドは立ったのかと問われ、肩を竦めて後一歩という所ですと答えつつ頬を手で覆ったジルベルトにどうしたと首を傾げ、煙草がないからやる気が出ないそうですとリオンが答えてヒンケルがじろりと彼を睨む。
 「ばか者」
 「…いちいち告げ口すんじゃねぇよ」
 「うるせぇ」
 部下達がいつものように始めた言葉のキャッチボールを背中で聞きながら己の部屋に入ったヒンケルは、間もなくやってくるブライデマンと今日の捜査方針を決めなければと溜息を吐き、ドアがノックされたことに気付いて入れと声を掛ける。
 「ボス、話って何ですか」
 「ああ……ゾフィーと連絡はついたのか?」
 「まだです。ホームにはすぐに電話するように伝言したんですけどね」
 ゾフィーからは何の連絡もないこと、今朝もここについてすぐにホームに連絡をしたが、朝早くからゾフィーは外出していることを教えられ、携帯にも連絡を入れたもののやはり流れるのは留守番電話のメッセージだけだと答えたリオンにヒンケルも溜息を吐く。
 「困ったな」
 「ですね……BKAは何て言ってるんですか?」
 昨日はすぐに参考人として事情聴取をするべきだと言い張っていたが、聴取をするのならば直接ホームに迎えに行った方が早いかも知れないと呟き、丸椅子に腰を下ろして足の間で手を組む。
 「そう思うか?」
 「Ja.ゾフィーが何も悪いことをしていないのであれば逃げる必要はないはずです」
 逃げ回っている、そう捉えられても仕方のないタイミングの悪さで連絡が付かないことへの苛立ちを舌打ちで表したリオンは、背後のドアが開いたことに気付いて顔を振り向け、可能ならば見たくないと思っている刑事を発見して盛大に溜息を吐く。
 「…人を見て溜息など吐かないで欲しいな」
 「タイミングが悪いだけですよ。別に警部に対して思うところがある訳じゃねぇし」
 ヒンケルに対してふざけているときと同じ口調で肩を竦めたリオンは、とにかくもう一度ゾフィーに連絡をしてみるから、ホームに出向くのはもう少しだけ待ってくれと告げて立ち上がるが、リオンがドアを開けるよりも先にやって来たマクシミリアンが顔を出してリオンを手招きする。
 「ん?どうした、マックス?」
 「お前に客だぞ」
 「客?」
 「ああ。シスター・ゾフィーだ」
 「!!」
 マクシミリアンの言葉に室内にいた三人が顔を見合わせるが、誰よりも先に行動したのはやはりリオンで、事情の分からないマクシミリアンの身体を押し退けて部屋を飛び出し、部屋の外の廊下で壁により掛かりながらぼんやりと天井を見上げている見慣れた横顔を発見し、駆け寄りながらその名前を呼ぶ。
 「ゾフィー!!」
 「おはよう、リオン」
 「おはようじゃねぇよ!」
 駆け寄ってきたリオンの血相に驚きつつもおはようと告げたゾフィーは、昨日何度連絡をしていたと思うんだと、昨日一日の不安な思いを滲ませた言葉を聞いて軽く唇を噛み締めるが、忙しかったのだから仕方がないでしょうと長い髪を掻き上げ、それよりも朝から大きな声を出すなといつものようにリオンをじろりと睨む。
 「それどころじゃねぇ」
 「……あの教会について聞きたいことがある、そうでしょう?」
 彼女のある決意を秘めた言葉にリオンが軽く目を瞠るが、その後青い瞳に鋭い光を湛えて細め、マザーが知らない教会を何故知っているんだとリオンが問い掛けたとき、肩に手が載せられてその先の言葉を封じられてしまう。
 「後のことはこちらでお聞かせ願えますか、シスター」
 「ええ」
 リオンの肩に手を載せたのはブライデマンで、あからさまに迷惑そうに舌打ちをするリオンを横目で見た彼は、参考人として話を聞くだけだと断りを入れてゾフィーを中へと案内していく。
 その背中を見送ったリオンは苛立ちを隠さないで舌打ちをし、前髪を掻き上げながらも目まぐるしく脳味噌を働かせ、ゾフィーの姿を見た同僚達が集まってきたことにも気付かないほどだった。
 「リオン、おい、リオン!」
 「あ?ああ……俺も入った方が良いと思うか?」
 参考人として話を聞く部屋に自分も入った方が良いのかと、一瞬感じた不安からぽつりと呟いたリオンにヒンケルが少し離れた場所から大声で早く来いと怒鳴ったため、びくんと肩を竦めて飛び上がってしまう。
 コニーが頷いてリオンの肩を叩き、二人に任せればどんな話になるか分からない、昨日村で聞いた話を説明できるお前がいた方が良いと耳元で囁き、その言葉に一つ頷いたリオンは、表面上は何気なさを装っていたが、やはり生まれて初めて己の身内から事情聴取をする緊張から足が重くなったらしく、デスクに腰を下ろしてしまう。
 「リオン?」
 「………俺もゾフィーも何も後ろめたいことはねぇけど、やっぱり俺が同席するのはマズイよな?」
 リオンなりに様々な事態を考えての発言だったが、確かに一理あるとコニーが顎に手を宛がい、マクシミリアンも硬い表情で同意を示す。
 「コニー、入ってくれねぇか?」
 「……そうだな、俺が入る方が良いか」
 お前の家族とも言えるシスターが今回の事件にただ巻き込まれているだけだと信じているし、任意聴取でそれが分かるだろうと溜息を吐いた後に意を決したらしいコニーがリオンの肩を軽く撫でた後、ヒンケルが開けたまま待っているドアへと歩いて行く。
 その様を不安と安堵と寂寥感を込めて見つめていたリオンは、背後から聞こえた足音に視線を肩越しに投げ掛け、肩に載せられた手の持ち主に無言で肩を竦める。
 「…ゾフィーが来たのか?」
 「ああ。やっと来た」
 昨日一日全く連絡が付かないと焦っているリオンを見てきた仲間達だったから、彼女自身がやって来てくれたことには安堵するものの、この後行われる任意聴取でどんな話が出るのかが全く予想出来ず、表面上はいつもと変わらない様子のリオンの心を思って皆不安げに眉を寄せるのだった。

     

 同僚に姉のようなゾフィーの任意聴取を任せたリオンは、その間当然ながらぼうっとしている訳ではなく、溜まっていた書類の整理や昨日出掛けた村で聞いて来た情報の整理などをしていたが、携帯に向かって口早に何かを命じているブライデマンがヒンケルの部屋から出てきたことに気付いて顔を上げ、険しい横顔と激しい口調から何か不測の事態が起きたことを察して注意深く彼を観察していると、携帯をスーツのポケットに戻しながら溜息を吐いたブライデマンの口の端が上がったと同時にリオンと視線が重なる。
 「?」
 こちらが観察していた相手が見つめ返してくることへ首を傾げ、一体何があったと口の中で呟いたリオンは、ブライデマンに手招きされて眉を寄せながらも立ち上がり、大股に近寄ってブライデマンに先を促す。
 「……シスター・ゾフィーはきみの姉だと言ったな?」
 「血縁関係はありませんけどね。同じ孤児院で育ったし、何かと面倒を見て貰ってるので、姉みたいなもんですね」
 「そうか。彼女も孤児なのか?」
 「詳しい話は聞いたことはないですけど、俺が覚えている限りじゃあずっとホームにいてマザーの手伝いをしてる」
 それに、教会の聖堂の長椅子に臍の緒がついたまま捨てられていた自分を見つけてくれたのもゾフィーだったと目を伏せて告げると、さすがにその言葉に対してブライデマンは何も言わなかった。 
 だが代わりに彼の口から流れ出した言葉は、フランクフルトに親族か知人がいるのかというリオンにとっては予想外の疑問だった。
 「は?フランクフルト?」
 「そうだ。……彼女の写真をフランクフルトの刑事に見せたが、任意で聴取をしている男が彼女をフランクフルトで見かけたそうだ」
 「…もしかして、フランクフルトで発見された…」
 「ああ。ヴェラの死体遺棄もしくは殺人容疑で任意に事情を聞いている男が」
 直線距離にして300キロ離れている大都市でチェコ国籍の姉妹が命を落とした事件と関連性があると思っていたが、もう一つ厄介な事実が判明したと舌打ちをしつつブライデマンが呟く。
 「厄介な事実?何だそりゃ?」
 彼の言葉にリオンが眉を顰めつつ呟いて、犯人は見つからない、ゾフィーが事情を知っていると疑われている今以上に厄介な事実など有るのかと思わず嘯きたくなるが、彼の横顔を見るとそんな冗談交じりの言葉が通じない可能性に気付いて口を閉ざす。
 「後でヒンケル警部に事情を説明して貰えばいい」
 「そうですね、ボスから聞かせて貰います」
 だからあんたは早く任意の聴取に戻れと、ブライデマンが口を開き掛けるのを制するように不敵な笑みを浮かべて彼を睨んだリオンは、睨み付けた彼の口の中で言葉が転がされたことに気付いて眉を寄せるものの、その言葉に従う様にヒンケルの部屋へと戻っていく背中を見送り、つい条件反射のように中指を立ててしまう。
 「…冗談が通じないだろうから止めておけよ、リオン」
 「そーだな…それもそうか」
 椅子を軋ませながら背後から楽しげに声を掛けてくるジルベルトに上の空で返事をし、くるりとボールペンを回したリオンは、自らが被疑者として参考人聴取を受けているような顔で溜息を吐いてしまい、そっと横から差し出されたものが咄嗟に何であるのかが理解出来ないでいたが、それが己の好物のチョコであることに気付いて顔を上げる。
 「……新作、買って来てやったぞ」
 「ダンケ、ジル」
 愛してねぇけど、好きだぜといつもに比べれば精彩を欠いた表情で礼を告げ、掌に載せられる新しいパッケージのチョコにキスをすると、手の中で総ての問題がこのチョコを割った時のように解決してくれと願いつつ両手に力を込めてチョコを割る。
 「食うか?」
 「お前がチョコを人に分けるなんて、夏前なのに雪でも降るんじゃねぇのか?」
 背中合わせに互いに憎まれ口をたたき合った二人だが、それぞれが一欠片のチョコを口に放り込んだ時、聴取を受けていたゾフィーが顔を紅潮させて足音高く部屋から出てくる。
 「何かあったのか?」
 「……随分怒ってるんじゃねぇのか、あれ」
 マクシミリアンの言葉にジルベルトが軽く口笛を吹いて、彼女を追いかけるように出てきたコニーへと顔を向けるが、こちらを振り向いたコニーが視線で招き寄せたのはリオンだった。
 「何怒ってんだ、ゾフィー?」
 コニーの視線に気付いて大股に駆け寄ったリオンは、腕を組んで憤懣やるかたない顔で駆け寄るリオンを睨み付ける。
 「ちょっとリオン、あの刑事、何とかしてよ!」
 「は?誰の事だ?」
 「BKAか何だか知らないけど、偉そうな態度の刑事よ!フランクフルトで事情を聞いている男が、あの教会に通ってたあたしを知ってるって、だからあんたも知ってる筈だ、詳しく話を聞かせろって…!」
 爆発した心のまま捲し立てるゾフィーの姿はリオンにしてみれば珍しいものでもなかったが、感情的に大声で話をしているとどうしても注目されてしまう為、彼女の腕を掴んで廊下へと引っ張っていく。
 「痛いわ、離しなさいよ!」
 「良いからこっちに来いよ。こんな所で大声で叫んでると皆が余計な心配をするだろ?」
 廊下の端へと引っ張り出して二人きりになると同時に表情を変え、姉を案じる弟の態度で彼女の名前を呼ぶ。
 「ゾフィー、何を言われたんだ?」
 「……さっきも言ったけど、フランクフルトの事件で調べている男があたしを知ってるって。でもあたしは見た事もないのよ」
 それなのに、あの姉思いの優しい少女を殺したかも知れない男と面識があるんじゃないのかと疑われるのは気にくわないと強い口調で吐き捨てた彼女だったが、じっと見つめてくるリオンの表情が見慣れたものだった事に自然と心が落ち着きだしたのか、溜息を落としながら前髪を掻き上げて悪かったと謝罪をする。
 「俺は知ってるから気にしねぇけど、BKAに悪い印象を与えたのはちょっとマズイかもなぁ」 
 「じゃあ痛くもない腹を探られて大人しくしてろっていうの?」
 「そうじゃねぇよ────なあ、ゾフィー、教えてくれ」
 彼女の言葉に同じように溜息を吐いたリオンだったが、煙草に火をつけて腕を組むと天井を見上げながらゾフィーに問いかける。
 「何よ」
 「どうしてマザーにも内緒であの教会に通ってたんだ?」
 「……………」
 今回の事件でリオンとしても最も気になっている事、それは何故彼女が街から離れた小さな村の小さな教会に定期的に通っていたのかという事実だった為、どうしてなんだと問いかけるが、彼女からの返事は無く、煙を細く長く吐き出したリオンが回答を促すようにゾフィーを呼んで彼女の横に並んで壁にもたれ掛かる。
 「言えよ、ゾフィー」
 「……あんたと一緒よ」
 リオンの促しに何かを観念した様子で彼女が小さく呟き、腕を組んで壁に背中を預ける。
 「俺と一緒?」
 「そうよ。……あんたがヘル・バルツァーと一緒にいる理由と同じよ」
 彼女が視線を横に流して自嘲気味に呟くと、リオンの口から短い舌打ちの音が流れ出す。
 「それとあの教会と何の関係があるんだよ?」
 自分が年上の恋人と一緒にいる理由がゾフィーが教会に訪れている理由と同じだと言われても納得出来なかったリオンは、煙草を靴の裏で揉み消して吸い殻を投げ捨てると同時にゾフィーと正対するように向き直る。
 「どういう意味だよ」
 「……………」
 「お話中申し訳ないが、もう少し話を聞かせてくれませんか、シスター・ゾフィー」
 まるで睨み合うように視線を重ねている二人の耳に咳払いが入り、咄嗟にその険しい視線のまま咳払いがした方へと顔を向けた二人は、コニーが肩を竦めながら立っていることに気付き、リオンが天井を仰いで溜息を吐くことで気分を切り替える。
 「悪ぃ、コニー」
 「おー、気にするな。俺と警部は気にするなで済むが、BKAが少しうるさい────というわけで、気分を害しているのは分かってますが、ご協力願えますか?」
 「……こちらこそ、ごめんなさい」
 感情的になってしまったと非礼を詫びたゾフィーは、リオンの腕を撫でて目を細めてコニーと共に部屋に戻っていくが、部屋に入る直前に追いついたリオンを振り返り、BKAの不愉快な刑事もいればあんたの同僚のように気持ちよく接してくれる刑事もいる、色々な人がいると笑うと、リオンがひょいと肩を竦めて当たり前だと苦笑する。
 「刑事と言っても人だからな。色んなヤツがいるのは当たり前だ」
 「それもそうね────だったら、裏では悪い事をしている刑事もいるのかもね」
 「おい、ゾフィー」
 「冗談よ。そんなに怖い顔をしないでちょうだい。あ、そうだわ。もしも今夜時間があるのならホームに寄ってちょうだい、リオン」
 「どうした?」
 「最近ずっとカインが顔を出してるのは知ってるでしょう?久しぶりにマザーも一緒にお茶を飲みたいと思ってるだけよ」
 だから必ず寄りなさいと舌を出してリオンの腕を叩いたゾフィーは、苦笑するコニーに茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべお待たせして申し訳ないと頷いて部屋に入っていく。
 その背中を無言で見送るリオンだったが、その顔には滅多に見ることのない真剣さが滲んでいて、部屋にいた他の同僚達も声を掛けるのを躊躇うほどだった。

   

 彼女が任意の聴取を終えて警察を後にしたのは、戻ってから30分も経たない頃だったが、彼女と入れ替わるように今度はリオンがブライデマンに呼ばれ、嫌々な態度を隠しもしないでのんびりと上司の部屋へと向かう。
 「ボス、呼びましたか?」
 「ああ……彼女には親兄弟はいないのか?」
 組んだ両手に額を押し当てて重苦しい溜息を零すヒンケルの言葉に目を瞠ったリオンは、壁に腕を組んでもたれ掛かるブライデマンを一瞥した後、ひょいと肩を竦めて苦笑する。
 「さっきも聞かれたけど、俺が物心ついた時にはずっとホームにいて俺たちの面倒を見てくれてました。マザーや他のシスター達の口からゾフィーの肉親の話は聞いたことがありません」
 彼女も自分と同じように天涯孤独の筈だと告げたリオンだが、その言葉に潜む闇を見抜けるものはおらず、信頼している部下の言葉にヒンケルが顔を上げ、ブライデマンの横顔を直視する。
 「だそうだ」
 「……念のため、調べさせて貰うよ」
 「俺に断る必要はないと思うけどなぁ」
 探しているのがゾフィーの親ならば彼女に許可を取るべきだろうし、直接言い出しにくいのであればホームに電話をしてマザー・カタリーナにでも言えば良いと突き放すように告げたリオンは、つい先程彼女の口から憤慨混じりに伝えられた事実と、何日か前に赤毛の幼馴染みから伝えられた言葉を思い出して驚愕しそうになるが、それを何とか押し殺すように腰の上で手を重ねて拳を握る。
 最近までフランクフルトに住んでいた赤毛の幼馴染みは、ゾフィーの姿を何度かあの大きな街で見かけたことがあると言っていたが、カインが嘘を吐くとも思えなかった。
 もしかするとゾフィーが定期的にか不定期にかは分からないが、フランクフルトに出向いていたことは間違いではなく、また今聴取を受けている男と何処かで接触している可能性も捨てきれなかった。
 「……フランクフルトの事件の進展についてはまた報告しよう」
 「そうして貰えると有り難い」
 直線距離で300キロ離れた大きな街で、外国籍を持つ姉妹が殺されたのは偶然だとはどうしても思えず、一つの事件として考えた方が良いとブライデマンが呟いて部屋を出て行く姿を、ヒンケルが苦虫を噛み潰したような顔で見送ると、リオンとコニーを手招きして声を顰める。
 「…人身売買組織も絡んできているようだ」
 「!?」
 ヒンケルの言葉にさすがに今度は驚きを隠しきれず、思わずリオンが背後で握っていた手を開いてヒンケルのデスクに音高く付いて上司の顔を見下ろす。
 「それ、本当ですか、ボス」
 「ああ。フランクフルトで聴取を受けている男を調べているが、色々組織的に動いている痕跡が見つかっている」
 「それでBKAが出てきたってことですか」
 「そうなるな」
 ドイツ南部と西部に位置する大都市で起きた二つの殺人が、被害者が姉妹という事実で繋がるだけではなく、人身売買組織が絡んでいる事実が新たに判明し、わざわざBKAが事件解決に乗り出してきた本当の理由に気付いたリオンは、それならばいっその事総てをBKAに任せれば良いと肩を竦めて丸椅子に腰を下ろす。
 「そういう訳にもいかないだろう」
 コニーの宥めるような言葉に舌打ちをし、確かにそうだと頷いたリオンは、何気なく聞き逃していたが気になることがあると告げて二人の視線を集めると、ゾフィーに二人の被害者の関係を伝えたかどうか教えてくれと目を光らせる。
 「関係?姉妹ということか?」
 「そうです。ボス、教えましたか?」
 「ああ。姉妹でチェコ国籍だということは教えた」
 それがまずいのかとヒンケルに問われて小さく首を傾げたリオンは、何かが引っ掛かると呟きながら顎に手を宛がう。
 「姉思いの優しい妹なんて言葉はさ、その人のことを知らないと言えないことだよなぁ…」
 リオンの呟きに今度はコニーが首を傾げるが、彼が言わんとすることに気付いたのか、少しだけ険しい顔でヒンケルを見つめて同じ表情で見つめ返されてしまう。
 「おい、リオン……」
 「んー…コニーとボスの言いたいことは分かる。……今夜ホームでゾフィーに会うから、その時に探りを入れてみます」
 上司と同僚の言葉を遮ったリオンの胸中にあるのは、彼女に対する疑念と姉同然の彼女も疑ってしまう己に対する嫌悪感だったが、それでもやはり刑事として気になる事象はとことんまで突き詰めないと気が済まないと気付いて溜息を零し、公私の間で揺れる己に苛立ちを感じてくすんだ金髪を掻きむしる。
 「シャイセ」
 「……とにかく、人身売買組織についてはブライデマンに任せよう。俺たちは彼に協力しつつ事件の犯人を捜す。今までと同じだ、リオン」
 「………分かりました」
 ヒンケルの言葉に少しだけ救われたような思い出頷いたリオンは、この後の捜査方針について割と長い時間三人で話し合いをするのだが、ゾフィーが発した二つの言葉が引っ掛かってしまい、どうしても話に集中できずにヒンケルに何度も怒鳴られてしまうのだった。

 

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2012/11/26


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