リオンが行きたい行きたい、絶対に行くと声も高らかに宣言していたビール祭りの初日を翌週に控えた日の午後、今日はギュンター・ノルベルトとその友人と一緒に家で食事をすることになっていて、その準備の買い出しに二人で午前中出かけたりしていたが、ゲートルートでランチを食べた後に自宅に戻ってきていた。
ビール祭りが始まるのは毎年九月の末からだが、年々暑くなっているなぁとリオンが暢気に呟き、ウーヴェも確かに暑くなっていると返し、スーパーで買い求めた野菜やベーコンなどを冷蔵庫に無造作に放り込んでいく。
その作業を終えて夕食の支度まで時間があるからテレビでも見ようとウーヴェがリオンを誘い、リビングのソファに腰掛けて最近見ることが多くなったテレビを二人並んで見ているが、番組のCMを二つほど見た頃にリオンが良しと小さく呟いたのをウーヴェは気付かず、午後のバラエティ番組を見て少しだけ笑ったりしていた。
「・・・オーヴェ、ちょっと真面目な話があるけど良いか?」
「?」
リオンが内心の緊張を声に少し滲ませながらウーヴェの意識をテレビから奪い取った後、小首を傾げる伴侶に向かい合うようにソファの上で胡座を掻いて座り直すと、太い笑みを浮かべる。
「明日、再就職の面接に行ってくる」
「明日?また急だな」
「ああ。ちょっと悩んでいたから言うのが遅くなった。だからさ、刑事だった時みたいにまたネクタイ結んで欲しい」
刑事として働いていたときのリオンは服装にはあまり拘りは無かったが、いつからかネクタイをするようになり、しかもそれを毎朝ウーヴェに結んで貰っていたのだ。
そう言えばそうだったと、わずか半年近く前なのに随分と昔の出来事のようにそれを思い出したウーヴェが苦笑するが、次の就職先はネクタイが必須かと笑うと、リオンの蒼い目が斜め上を見上げた後、分かんねぇと朗らかな声で返されて再度苦笑する。
「多分必須かなぁ」
「そうか。じゃあ仕方が無いな」
「へへ。オーヴェにネクタイ締めて貰ったら背筋が伸びる感じがするんだよなぁ」
刑事として精一杯働いてこいと毎日伝えてくれたが、次の職場でも同じようにして欲しい、朝から力を分け与えて欲しいとウーヴェを正面から見つめると、きっとそうしてくれるお陰で俺はお前の大切な人を守れるはずだと答え、顔中に疑問を浮かべる伴侶の頬に手を宛がう。
「どういう意味だ?」
「うん。明日面接に行くのは・・・バルツァーの本社だ」
先日、レオポルドやギュンター・ノルベルトに就職をする話をした事を覚えているかと問いかけ、驚きに見開かれるターコイズ色の双眸を眼鏡越しに見つめると、あの時父さん達に就職の斡旋を頼んだのかと問われ、俺が頼んだのは時間に融通の利く仕事はないかと言う事だけと答え、ちゃんと質問に答えるからとテレビのスイッチを切る。
「時間の融通?」
「そう。就職すればずっと傍にいられない。でもお前のことはちゃんと支えたい。だから、オーヴェのクリニックが休みの時にはそれに合わせて俺も仕事を休む」
「・・・でも、リーオ・・・」
「最後まで話を聞け、オーヴェ」
己の心身を慮ってお前の行動に制限が掛かるのは嫌だと、双眸に強い躊躇いを浮かべるウーヴェの唇に指先を宛がって封をしたリオンは、職人にはなれねぇ、頭を使う仕事も向いてない。やはり一番向いているのは身体を動かすことだが、刑事という前職を役立てようと思えば警備会社に勤務するのが一番だと思う事を淡々と伝えると、ウーヴェがリオンの指を掴んで口から離させるが、封じられた口を開くつもりは無いと言うようにその手に手を絡める。
「ただ、警備会社でそんな融通が利くかどうかは分からない。そう思っていたら、ヘクターから連絡があった」
「ヘクター?」
「そう。兄貴の秘書。明日面接に来いってだけの電話だった」
面接次第ではどうなるか分からないが、とにかく明日行ってくると目を細め、就職が決まったらお祝いをしてくれと笑うとウーヴェの目が瞠られた後、割と長い時間驚きの表情のまま、心の中でどんな言葉が交わされたのかは分からないが、納得したような穏やかな表情に切り替わる。
「そうだな、祝いをしないといけないな」
「ダンケ、オーヴェ。・・・コネで入ったと言われるかも知れねぇけどさ、親父や兄貴のボディガードになれる、そうなればオーヴェの大好きな二人を仕事で守れるんだ」
バルツァーに就職するのに、会長の末息子であり社長の弟であるウーヴェの伴侶という立場はうってつけのもので、縁故関係で入社するのを良しとしない人達からすれば後ろ指を指されるだろうが、それ以上に己が愛する人が大切にする人達を守れる事実がリオンにとっては重要だった。
その思いを隠さないでこの時ばかりは興奮に顔を赤らめるリオンにウーヴェは何も言えずにただ見つめているだけだったが、いつだったかリオンが会社に届いた脅迫状からレオポルドの護衛をした事を思い出し、あの時本当は真っ先に伝えなければならない言葉があったが、まだ父や兄との間に溝があった為に出来なかったことを思い出すと、指を絡めていた手を顔の前に持ち上げたウーヴェは、そっと敬うようなキスをリオンの手の甲にする。
「リーオ、どうか二人を・・・」
助けてやってくれ、命の危機にさらされることなどそうそう無いだろうが、万が一の時には守ってくれと告げて再度キスをすると、お前の選択を尊重する、だから明日は面接でお前の優秀さを採用担当の人に見せてこいと口元に笑みを浮かべ、全幅の信頼を置いている顔で頷く。
「・・・ああ。行ってくるな」
「ああ」
以前までならば、公私混同になるだの、父や兄に護衛が必要かだのと反論をしていたウーヴェだったが、過去からの問題も乗り越えた今、父や兄の身を案じる己を素直に出すようになっていて、それに気付いたリオンが頷きつつウーヴェを抱き寄せると、背中に回った手がぎゅっとシャツを握りしめる。
「まだ就職が決まったわけじゃねぇけどな」
「そうだな─────でも、お前なら、大丈夫だ」
刑事として働いていたお前には人を護衛するノウハウを持っているし、万が一何かがあっても元の同僚との関係が切れていない為に何かと動きやすいだろう、そのあたりもきっと父や兄は見越しているに違いないと笑うウーヴェにリオンも同意し、だから明日の面接にネクタイをしていく事を伝えると、そういうことなら喜んでしようとウーヴェも笑う。
「面接なんて久しぶりだから緊張する」
「別に取って食われるわけじゃ無いから大丈夫だ」
不安を訴えるリオンの手を逆に引き寄せてついてくる身体をしっかりと抱きしめたウーヴェは、もしも食われそうになったらすぐに連絡をしてこいとリオンに対して甘い顔を見せると、きゃーとリオンの口から歓声が上がる。
「ダンケオーヴェ、愛してる!」
「・・・無事に就職が決まれば良いな」
「うん」
その就職先がまさかのバルツァーだとは思わなかったがと、素直な感想を口にするウーヴェの額に額を重ねたリオンが、会社を一目見て親父や兄貴のすごさを実感したことを衒わずに口にすると、ウーヴェの手がリオンの頭を抱えるように回される。
「オーヴェの甘やかし方もすごいけどな」
「・・・・・・」
お前の家族はお前に甘い、その言葉をリオンはウーヴェが退院して間もなくの頃から使うようになっていたが、今もまたそれを口にすると、さすがにウーヴェが面白くないのか、ふんと鼻息を荒くしてしまう。
「それだけ愛されてるって事なんだろうけどなー」
いつだったか、特別な子どもとレオポルドがウーヴェを称したことに嫉妬していた己がいたが、もしかするとあの時よりも今の方が嫉妬すべきでは無いかと笑うと、少しだけまた伸びてきたくすんだ金髪をウーヴェが掴んで軽く引っ張る。
「いて」
「うるさい」
「ぃてて。ハゲるから止めてくれよー」
情けない声を上げるリオンに溜飲を下げたのか、ウーヴェが頬にキスをした後、とにかく、明日上手くいくことを祈っている事を伝えて再度額を重ねると、リオンが素直に頷いて礼を言う。
「でも・・・俺の意見を尊重してくれてありがとうな、オーヴェ」
「・・・ああ」
「もうちょっと言い合いじゃねぇけど話し合いをしなきゃいけないかなーって思ってたからホッとした」
以前までのウーヴェならば過剰なほどの反応を示しただろうし、リオンの行動を己が原因で制限してしまうことに対しても罪悪感すら抱いていただろうが、それを乗り越えてでも尊重してくれるお前は本当に強い男だと笑うリオンにウーヴェも小さな笑みを浮かべ、好きな人から褒められるのは本当に嬉しいことだと笑い出す。
「今日の晩メシさ、すげー美味いの食いたい!」
「そうだな。ポテトサラダを作るから、後で手伝ってくれ、リーオ」
「俺は食べる人だからムリっ」
手伝えと言った途端のその言葉にウーヴェが目を細め、お前の意見は尊重したいが、働かざるもの食うベからざるだと言い放ち、リオンの喉元で奇妙な音を発生させる。
「食いたければ手伝うんだな、リオン・フーベルト」
「・・・むぅ。オーヴェのトイフェル」
ポテトサラダを作る手伝いをしろと言っただけで悪魔と罵られるのかとウーヴェが盛大に驚いた表情を作るが、それはリオン同様にただの言葉遊びの一環だと教えるようにリオンの手に手を絡めていたため、己の言葉遊びに付き合ってくれる伴侶の頬に音を立ててキスをする。
「ダーリン愛してる。だからピクルス抜きのポテトサラダにしてくれ!」
「仕方ないな」
「ダンケオーヴェ!」
手伝いはするがピクルスが入ったポテトサラダは苦手だと嘆くとウーヴェも嘆息混じりに頷き、ギュンター・ノルベルトとその友人を出迎える準備をしようと笑い、立ち上がるリオンの手を掴んで己も立ち上がるのだった。
「今日は何を食べさせてくれるんだ、フェリクス?」
「・・・今日は、ポテトサラダとハンナが教えてくれたハーブチキンソテーにした」
ノルとその友人の口に合えば良いのだけどと、自信なさげに笑って兄を出迎えたウーヴェは、弟の背中をやんわりと抱きしめながらお前の料理は何でも口に合うと笑うギュンター・ノルベルトに微苦笑し、その後ろで同じように苦笑しつつ立っている男に気付いて軽く目を瞠る。
「ノル、友人って・・・」
「ああ、ヘクターだ」
ウーヴェの頬にキスをして驚く弟に片目を閉じた兄は、本社の会長室でヘクターと名乗った男の背中を軽く押し、俺の有能な秘書であり友人でもあるヘクター・グリンデマンだと紹介する。
「先日は案内してくれてありがとう。あと、入院してる時にタルトを持ってきてくれてありがとう。あの時はちゃんと礼を言えなかった」
「・・・・・・」
入院時の状態を覚えているだろうが、あんな状態だったからと伏し目がちに謝罪をするウーヴェの前でヘクターが何とも言えない顔でギュンター・ノルベルトとウーヴェの顔を交互に見るが、恐る恐る手を伸ばしてウーヴェの肩に触れると、小首を傾げてウーヴェが顔を上げる。
「ヘクター?」
「・・・いや、本当に・・・元気になって良かった」
ギュンターから話を聞いた時は心臓が止まりそうだったが、会社で顔を見た時は本当に安心したと、どうしてそれほどウーヴェの身を案じてくれるのか分からない程喜んでくれる兄の友人に驚きつつも頷きもう大丈夫だと笑うと、ギュンター・ノルベルトがいつまでここで話しているつもりだと二人の肩に腕を回す。
「今日はここで食事をするつもりなのか、フェリクス?」
「ノルが、望むなら、ここでも良い」
「・・・せっかくの美味しい料理も味が分からなくなりそうだ、リビングに行こうか」
ギュンター・ノルベルトの言葉にウーヴェがにやりと笑い返すと兄の目が遠くを見た後、降参と呟きつつ肩を竦める。
「ヘクター、お前が来たがっていたフェリクスの家だ」
「・・・今何も言わなくても良いだろう、ギュンター!」
話題を切り替えるように友人に笑いかけるギュンター・ノルベルトの言葉にヘクターの顔が僅かに赤くなるが、ウーヴェが小さく笑い出し、大して特徴の無い家だけどゆっくりしていってくれと笑ってステッキをつくと、リビングの向こうの廊下からリオンがひょっこりと顔を出す。
「オーヴェ、チキンが焼き上がったぜー」
「ああ」
リオンの首からキャンパス時のエプロンが掛かっていて、兄とその友人が軽く驚くが、友人がヘクターだと気付いたリオンが口笛を吹きつつ姿を見せる。
「何だ、兄貴の友人ってあんただったんだ」
「親しくない人をあんたなどと呼ぶなと何度言えば分かるんだ」
いつも言っていることだが一向に覚える気配がないのはどういうことだ、リオン・フーベルトと、ウーヴェが目を吊り上げてリオンの耳を引っ張ると悲鳴が上がる。
「ごめんごめんお願い許してオーヴェ!」
「う・る・さ・い!」
「ぎゃー!」
廊下で繰り広げられる騒動を呆気に取られた顔で見ていた二人は、あ、ああ、そうあまり怒るな、フェリクス、ヘクターも気にしていないと、弟の怒気を和らげるために肩を叩いて宥めさせ、俺も気にしていないとヘクターがリオンに向けて助け船を出す。
その舟に乗り込んで目尻に浮かんだ涙を拭いたリオンだったが、ごめーんと一声放った後、ウーヴェの頬にキスをして仲直りしてくれと鼻を啜る。
「・・・まったく」
子どものような性格は嫌いではないが、子どもじみた言動は嫌いだと溜息を吐いたウーヴェだったが、リオンの頭に手を回して頬に同じようにキスをし、仲直りと囁きかける。
「うん。・・・・・・ダンケ、オーヴェ」
「ああ」
弟とその伴侶の仲直りを目の当たりにし、やれやれと溜息を吐いた年長者二人は、ようこそと笑顔でヘクターに手を出すリオンに本当にお前は騒々しいと苦笑しつつ手を握り、招待してくれてありがとうと礼を言う。
「オーヴェが今日は外の方が気持ち良いって言ってるから、外にセットした」
「それは嬉しいな」
ベッドルームからベランダへと二人を案内し、テーブルセッティングされているそこに座って貰うと、すぐさまキッチンへと引き返したリオンは、先程の失態を取り消して貰おうとするかのようにウーヴェの指示に従っててきぱきと動くが、その甲斐もあって程なくしてテーブルには家で食べるには十分すぎるほど豪華な料理が並び、少しだけ窮屈だが四人でテーブルを囲んで座っていた。
「今日の料理が何か分からなかったから好きなワインを飲めるように持って来た」
全員がテーブルに着いた時、ギュンター・ノルベルトが差し出した袋を受け取ったウーヴェが驚きつつ兄の顔を見れば、何でも無い事のように笑ってさあ選べと促すが、横合いから覗き込んだリオンが呆れた様に空を仰いでしまう。
袋の中には三本のボトルがあり、赤と白のワインと食後に飲むつもりのバーボンが入っていて、今飲みたい気分ではないのなら好きな時に飲めば良いと笑う兄に何も言えなかった弟だったが、今は用意してあるビールを飲もう、バーボンは食後で良いかと問いかけ、もちろんと返されて何とも言えないもやもやを胸の奥にしまい込むと、さぁ食べようと声を掛けるのだった。
ハンナ直伝のハーブチキンソテーは、ギュンター・ノルベルトにとっては母の味であり懐かしい味だったが、リオンにとってはやっぱりハンナのメシは美味いと再認識させてくれるものだった。
それを楽しんだ後、テーブルを手早く片付けてリビングに移動し、ギュンター・ノルベルトが持参したバーボンを飲むためにグラス等をリオンが用意して運んでいたが、頃合いを見計らったウーヴェが冷蔵庫の中から何かをとりだしたかと思うと、リビングに行こうと迎えに来たリオンを手招きして小首を傾げさせる。
「リーオ、準備と後片付け、ありがとう」
あまり動けない俺の代わりにありがとうと礼を言ってリオンの頬にキスをしたウーヴェは、もう少しだけ手伝ってくれと告げて冷凍庫からリオンが好きなメーカーだからという理由で買い置きする率が高くなったバニラアイスを出させてマグカップにスプーンで無造作に入れると、その上に先程取りだしたチョコを削って振りかけていく。
「今日は簡単なデザートだけど、明日の面接の結果が良いものだったら、リアに頼んでチーズケーキを作って貰おうか」
「・・・ダンケ、オーヴェ。頑張ってくる」
「ああ。────お前が新しい一歩を踏み出すから、俺もそうしようと思う」
アイスを人数分作ってトレイに載せ、それをリオンに運ばせたウーヴェがリビングへと向かうと、何をしていたんだとギュンター・ノルベルトが腰を浮かせるが、デザートの用意と少し真面目な話と笑って兄に座ってくれと促す。
「明日、リオンの面接があるんだろう?」
「ああ、聞いたか?」
口を出すべきかどうするべきか思案顔で友人を見るヘクターの視線に気付きながらギュンター・ノルベルトが頷き、そのことで何か話があるのかと問いかけると、ウーヴェがゆっくりと頭を左右に振る。
「それについてはリオンの問題だから俺からは何もない。・・・明日、クリニックに一人で行ってみようと思う」
「オーヴェ・・・・・・?」
リオンの腿に手を載せて驚く三人に頷いたウーヴェは、リオンが面接を受けている間、クリニックに一人で行ってみる事を再度伝え、最も驚いているリオンに目を細め、確かめたいことがあると告げてグラスを手に取る。
「・・・退院してから、まだ一人でクリニックに行ったことが、ない、から・・・」
己の職場であり大切な居場所であるクリニックだが、今回の事件が発生した事件現場でもある。そこに一人で戻った時に冷静でいられるのか、心身に不調が出ないのかを、月が変わってから診察を再開する前に確かめたいと告げてグラスの中身を一気に飲み干すと、リオンの肩に寄りかかる。
「昔、働いていた女性が殺された事はあったけど・・・その時は、彼女には酷い話かもしれないが、大丈夫だった」
「そー言えばそんなことあったなぁ」
「うん。その事件でお前と会った。────でも、今回は・・・俺もリアも、被害者だ」
あのクリニックの一階で俺は誘拐され、リアは足を刺されてトイレに監禁されたのだが、その現場でもあるクリニックに戻り、以前のように仕事が出来るのか、苦しんでいる人と正面から向き合えるのかを確かめたいと、ある確信を抱きつつ告げると、リオンの腕がウーヴェの肩に回されて抱き寄せられる。
「クリニックの内装を少し変えたけど、構造的に変える事は出来ない。その中で診察が出来るか・・・最終確認をしたい」
出来ると、己の患者と向かい合えると思っているが、それを確信に変えたいとリオンに更に寄りかかりながら小さく笑うウーヴェにギュンター・ノルベルトが一度目を閉じた後に立ち上がるとウーヴェをソファの背もたれ越しにそっと抱きしめ、お前になら出来ると囁きかける。
「うん。ありがとう、ノル」
「ああ。しっかりとお前の思いを確かめて来なさい」
ウーヴェの色が変わってしまった髪にキスをして頬を少しだけ宛がったギュンター・ノルベルトは、ではリオンにクリニックに送って貰うのかと問いながらソファに座ると、ウーヴェが頭を左右に振りながらバスと電車で行ってみると答えつつリオンのアイスを横合いから一口奪い取る。
「あ、俺のアイス食った」
「うん、美味しいな」
「そう言う問題じゃねぇっての」
まったくもう、と、不満気に訴える割には本気さを感じさせない顔でウーヴェを軽く睨むリオンだったが、気にしなくても送っていくのにと告げると、電車で通った場合どのような感じになるのか、疲労感がどれほどかを知りたいと言われれば何も言えなかったが、何事かを思い出した顔でギュンター・ノルベルトがヘクターに顔を寄せて囁きかけると、ワインとは別の袋から封筒を取り出す。
「ノル?」
「フェリクス、前に車を買い換える話をしていたけど、もう新しい車は決まったのか?」
ウーヴェの足を思えばクラッチ操作の無い車が必須になることから、スパイダーを買い換える話を以前父や兄に話したことを思い出し、まだカタログを見ている程度だと肩を竦めたウーヴェににこにこと笑みを絶やさずにギュンター・ノルベルトが封筒を差し出す。
「これは?」
「実は、俺も車を買い換えようと思うんだ」
「そうなのか?」
「ギュンターの車は走ってるのが不思議なぐらいのビートルだからなぁ」
詳しく聞いていないが、働いて初めて買った車だから乗っているそうだと、ギュンター・ノルベルトでは無くヘクターが肩を竦めて答えると、バルツァーの社長が随分と古い車に乗っている事にウーヴェも驚いてしまう。
「社長として出かけるときはちゃんと会社に車があるから問題は無いよ。車に乗って出かけると言っても買い物に行く程度だ、車なんて走って曲がって止まればそれで良い」
ただ、それでも走行中にエンジンが不調を訴えてくるようになってしまい、買い換え時期が訪れたと腹を括った結果新しい車を探しているのだが、お前が良いと言ってくれるならスパイダーを買い取りたいがどうだと兄に提案された弟が絶句し、伴侶へと顔を向けるが、聞こえてきたのはやっぱりなぁと言う諦め混じりの嘆息だった。
「リーオ?」
「やっぱりお前の家族はお前に甘い!誰とは言わないけど、特に兄貴な!」
「言ってるじゃないか」
リオンの言葉にヘクターが返し兄弟が憮然とするが、ちょっと待ってくれ、話がよく分からないとウーヴェが困惑顔で告げ、その封筒はもしかしてと呟くと、スパイダーを譲って貰う時に必要な書類一式を代わりに手配しておいた、後はお前のサインだけだと笑われ、額を抑えて溜息をついたウーヴェの横でリオンがソファの背もたれを抱え込む様に腕を回してウーヴェの頭を撫でる。
「・・・どうせ下取り価格も市場価格に愛情価格も合算されてるだろうからさ、それこそ好きな車を買えるぜ、オーヴェ」
「愛情価格か。中々良い言葉だな、リオン」
「褒められても嬉しくねぇって、兄貴。でもさ、スパイダーを兄貴が運転するのか?」
兄貴がスパイダーに乗っている姿が想像出来ないというか、助手席か後部座席に座っているイメージしかないとリオンが素直な感想を口にすると、主に運転するのはヘクターだと答えられて納得してしまう。
「ヘクターが運転するのか?」
「ああ、多分そうなるだろうな。・・・後は、ギュンターの彼女たち、だな」
「彼女たちには運転させないよ。お前がしてくれ、ヘクター」
ウーヴェの疑問にヘクターがにやりと笑みを浮かべて答えるが、そんなことはさせないとギュンター・ノルベルトが首を左右に振って肩を竦め、そうかとリオンも納得しそうになるが、引っかかりを覚えたものがあるとウーヴェが身を乗り出して兄の顔を覗き込む。
「彼女達と言ったな、ノル?」
「え?あ、ああ、うん、まあ、な」
「・・・何だ、兄貴も結構好きなんだな」
彼女達と言う事は、最低でも二人は付き合いのある女性がいるとリオンが口笛を吹き、珍しくギュンター・ノルベルトが顔を赤くしたり青くしたりしながら、これには深い事情があってと、胡乱なものを見る目つきで見つめて来る弟に言い訳を始め、その姿が長年ギュンター・ノルベルトの傍にいるヘクターにとっても珍しいものだったのか、目を瞠り事の成り行きを見守っている前でギュンター・ノルベルトが咳払いをし、ウーヴェの視線を遮るように掌を立ててもう一度咳払いをする。
「あー、その、事情を説明するから聞いてくれないか、フェリクス」
「・・・なんだ?」
ウーヴェの眼光に込められたものにギュンター・ノルベルトが冷や汗を浮かべ、リオンが先程鼻を啜りながらウーヴェに仲直りしてくれと懇願していた時の気持ちが少しだけ理解出来ると溜息を吐くが、付き合いのある女性は四人いて、それぞれ三ヶ月だけ彼女として付き合っている事、それら総ては彼女達も了承済みどころか、自分がいない時には彼女達だけで食事に行ったり飲みに行ったりするほど仲が良いと答え、ウーヴェの目を見開かせる。
「三ヶ月だけの彼女?」
「ああ。・・・色々忙しいとこちらも彼女達に対して気遣いが出来なくなる。三ヶ月ごとに変われば、また新しい気持ちになれるからな」
我が儘で最低な事だとは分かっているが、お前の母、レジーナと別れてからはどうしても一人の女性と付き合うことが出来ないと、ウーヴェの頬を撫でて苦笑するギュンター・ノルベルトに何も言えなかったウーヴェは、自分には理解出来ないし納得出来ない事だが、ノルと彼女達が納得しているのならそんな関係も良いかもしれないと、実父であり兄でもあるギュンター・ノルベルトの彼女との関係を認めると、俺が二人同時に付き合ってるって知った時は激怒したくせにと横合いから過去のウーヴェの言動に対する恨みが漂ってくる。
「・・・俺は理解出来ないし納得出来ないと言っただろ、リオン?」
「そんなことをするなんて人としてどうかと思うって言ってたくせに。兄貴なら良いって言うのかよー」
あの時の最低な人を見る目は忘れない、あの夜、あの古いアパートのベッドで枕を濡らしながら寝たんだからなと、半目で睨みつつ恨み言をぶつぶつと垂れ流すリオンに溜息を吐いたウーヴェは、ぽかんとする兄とその友人に肩を竦めた後、リオンの頬を何度か撫で、目元に柔らかさが出たのを見計らうと、不満に開く唇に小さな音を立ててキスをする。
「前はそうだったけど、今は俺だけだろう?」
「・・・うん」
「そんなお前を愛してる、リーオ」
「・・・うん。俺も」
リオンが不満をキスで吹き飛ばしてウーヴェに抱きつくのを見ていた二人だったが、あまり何も言いたくはないが、犬も食わないようなケンカは止めなさいと、ギュンター・ノルベルトが年長者の顔で忠告をし、ヘクターもただ頭を左右に振るだけだった。
「・・・まあ、真面目な話、彼女達に色々与えすぎると問題が出てくる」
ギュンター・ノルベルトの立場を思えば何かと問題があることを思い出すが、会社はともかく自分の私物、肩書きのないただのギュンター・ノルベルトが所有するものは、一つを除いた総てを譲渡する相手はもう決まっているのだからと穏やかに笑い、小首を傾げるウーヴェをリオンが抱きしめ、その相手はお前だと囁くと、ギュンター・ノルベルトも頷いて同意する。
「俺・・・?」
「当たり前だろう?ジーナと俺の子どもはお前しかいないんだからね」
俺が今まで稼いできて手にしてきたもの、これから先も手にするであろう総ては、いずれお前のものになると笑う兄に茫然自失の弟だったが、リオンがすかさず一つ以外と言ったがその一つはなんだ、兄貴の命かと笑うと、そんなものはフェリクスが生まれた時に与えたものだと、息をするのと同じように自然と返されて流石にそこからギュンター・ノルベルトのウーヴェに対する深い愛情を感じ取って口を閉ざしてしまう。
クリスマスイブの寒い夜、匿ってくれた教会の人たちの好意で病院へと連れて行って貰い、生まれたばかりのお前を抱いた時、この小さな命を守るために今まで生きてきた事を理解したと、遠い昔を懐かしむギュンター・ノルベルトに何も言えなかった二人を前に、彼女とは悲しい別れをしたが、それでも今でも愛しているのは彼女だけだ、一つだけ譲れないのは、彼女への思いとそれを伝えてきた写真だけだと教えられてリオンがウーヴェを抱く腕に力を込める。
「・・・ノル」
「・・・マジでお前の家族はお前に甘いよなぁ。結局スパイダーを兄貴が買い取るけどさ、いずれお前の所に還って来るってことだろ?」
ウーヴェがスパイダーをどれほど気に入っているのか等をアリーセ・エリザベスから聞かされていたし、幼い頃から手に入れたものを手放す事に酷く躊躇っていたのを覚えていたギュンター・ノルベルトが、ウーヴェが悲しまない方法を考えた時、スパイダーを己が買い取りその代金で新しい車を買えば、双方ともウーヴェの手元に戻るという事だった。
その兄の策略に乗って良いのかと悩み始めるウーヴェの頬にキスをし、兄貴の好意を素直に受け取れ、それが親孝行でもあるとリオンが囁くと、己の首の下に回される腕をウーヴェが撫でる。
「・・・うん。ダンケ、ノル。その書類にサインすれば良いのか?」
「ああ」
兄の無条件の愛情とリオンの少し違うがそれでも同等の愛情を感じ取り、素直にサインしようと決めて書類にサインをし、購入の候補となっている車のカタログをリオンが取りにいった後、テーブルに広げて四人で顔を寄せ合い、いくつになっても男は子どもの頃に車の玩具で遊んでいた時を彷彿とさせる顔を見せることを証明するように、この性能がどうだのインテリアがどうだのと盛り上がるのだった。
「今日は美味しい料理をありがとう、フェリクス」
帰るのが惜しいが、明日朝一番で重要ではないが出席しなければならない会議があるから帰るよと、今生の別れのような雰囲気を漂わせながらウーヴェの頬を両手で包み、額にキスをするギュンター・ノルベルトを尻目に、会議は時間が掛かるのかとリオンがヘクターに問いかけるが、会長も出席するが、すぐに飽きて出てくるだろうから、ギュンターは最後まで出席しないといけないだろうなと肩を竦められる。
「あ、そうだ。明日の面接だけど・・・」
新車購入とスパイダーの譲渡の話題で忘れていたが、明日は俺の面接があるとリオンが声を大きくすると、ウーヴェをやんわりとハグしながらギュンター・ノルベルトが何も心配するなと笑うと、ウーヴェが何かを言いたげに口を開閉させるが、結局は何も言わずに兄の背中を撫でて離してくれと伝え、今度はリオンの腰に腕を回して寄りかかる。
「・・・人事担当がするんだよな」
「そうだな。人事部があるからな」
そこの採用担当者が面接するはずだ、だからあまりふざけたことばかりを言うなと釘を刺されてそっぽを向いたリオンは、とにかく明日面接に行くこと、終わればすぐにウーヴェをクリニックに迎えに行くことを伝え、ウーヴェのこめかみにキスをする。
「だからオーヴェ、明日スパイダーを使うぜ」
「ああ。俺は電車とバスでクリニックに行ってみる」
そして、さっきも言ったが、事件現場となったクリニックで己の様子を確かめると頷き、三人の顔を見た後、大丈夫だと思うと頷いてリオンの肩に寄りかかる。
「大丈夫、だよな、リーオ」
「ああ。大丈夫。二人でクリニックに行って作業してる時全然平気だったもん、オーヴェ」
だから一人でも大丈夫、もし万が一不安になったとしても一人じゃないと笑みを浮かべてウーヴェに伝えたリオンは、その言葉に全幅の信頼を置いているようにウーヴェが頷き、それを見たギュンター・ノルベルトとヘクターも安堵に目を細める。
「じゃあそろそろ帰るよ」
「うん。おやすみ、ノル、ヘクター」
「ああ、おやすみ」
明日会社で再会するのを楽しみにしていると笑ってリオンと握手を交わしたヘクターは、いつまでも名残惜しそうなギュンター・ノルベルトの背中を押して玄関のドアを開けると、見送ってくれる二人に手を上げてまた明日、おやすみと挨拶を残して出ていくのだった。
兄とその友人を見送った二人は、戸締まりを確認した後、リビングの片付けをするために戻ろうとするが、リオンのシャツをウーヴェが掴んで合図を送ったことに気付き、肩越しに訝る視線を送る。
「どーした?」
「・・・片付けは明日で良い。今日は・・・こっちで寝る」
「へ?ああ、分かった。じゃあパジャマ取ってくる」
流石にこのままで寝るのはイヤだろうとリオンが肩を竦めるが、真冬でもないしこのままで良いと上目遣いに見つめられては逆らえず、先に俺の部屋に行っていろと額にキスをし、リビングの戸締まりを確認するために廊下を走っていく。
リオンが己の部屋に戻った時、ウーヴェがパイプベッドに腰を下ろして服を脱いでいて、服なら俺が脱がせるのに自分でするなよダーリンとにやりと笑いながらウーヴェの横に膝を突いて前屈みになると、リオンの身体の陰から淫靡な空気が漂ってくる。
「脱がせたいか?」
「もちろん。お前の服だけを脱がせたいね」
でも、今残念ながらパンツ一枚になっているから、それもいずれ脱がせて貰おうと笑うリオンの背中にそっと腕を回して一つ抓ったウーヴェは、間近で上がる悲鳴にクスクスと笑い、更に上がる悲鳴に肩を揺らし出すが、その肩を掴んでベッドに押しつけられて目を瞬かせる。
「もー。俺の陛下はどうして素直になれねぇかなぁ」
「・・・何の事だ」
「またまたー。いつも言ってるでしょ。素直じゃないお前も好きだけど、素直なお前はもっと好きって。だから言ってしまえ、オーヴェ」
今ここに渦巻いている思いを口にしろと、ウーヴェの薄い胸に掌を宛がったリオンの言葉に短く息を飲んだウーヴェだったが、明日クリニックに行く事が急に不安になったと、少しの沈黙の後に答えると、リオンが労るように髪を撫でて額に再度キスをし、次いで胸にもキスをする。
「────うん」
「リーオ・・・っ」
「大丈夫だ、オーヴェ。さっきも言ったけど、二人でいても平気だった。ならもう大丈夫」
お前なら一人で事件現場に出向いたとしても、必要以上に囚われたりしない、大丈夫と繰り返すと、ウーヴェの腕が持ち上がってリオンの首の後ろで交差する。
「それにさ、リアも来るし」
彼女もお前と同じで職場が事件現場になった辛さを抱えている、二人でいれば大丈夫だろうと宥めるように囁くと、リオンを抱きしめる腕に力が込められる。
「お前なら大丈夫」
明日一人でクリニックに向かう、その勇気をお前は持っているし、新婚旅行先のホテルでも短いとはいえ一人で歩いて戻って来ただろうと頬にキスをされて頷いたウーヴェは、急に不安になったことを自嘲と共に詫びるが、当たり前のことだから気にするなとリオンが頭を囲うように両手を突く。
「・・・うん」
それでも不安だったら電話をしてこい、面接中であっても出てやると笑うリオンにようやく小さな笑みを浮かべて不安を解消させたウーヴェは、そんなことにはならないようにするため、今から力を分けてくれとピアスが填まる耳朶に囁きかけ、こめかみと頬、鼻の頭に最後に唇へのキスで返事を貰い、明日の不安を何とか押しとどめるのだった。
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2017.09.05
前と同じようで違う暮らしに向けて-、二人とも、一歩前へ♪


