Glück des Lebens-Heavenly Blue 25-

 二人が暮らす街から小一時間ほど南へ車を走らせた中規模の町の中心に、世界規模の企業へと今もなお発展し続けているバルツァーの本社があった。
町が見えてくる頃には中心の教会と並んで目立つビルも目に入るようになるが、スパイダーの運転席からそれを初めて見たリオンが口笛を吹き、メディアを通して目にしたことはあっても訪問することが初めてのウーヴェも何となく感慨深い思いに囚われる。
 「・・・さすがに世界でも有数な企業の本社だな」
 「そう、だな」
 リオンのその声にウーヴェも返すが、どちらの声にもただただ感心する色が込められていた。
 「オーヴェはさ、会社の株って持ってるのか?」
 「ん?ああ、父さんやノルは別にして、エリーと同じだけの株を持ってる」
 「それってさ、大株主って事?」
 「そうなるのかな」
 幌を上げて走るスパイダーでは風に声が負けてしまいそうになる為、いつもより声を張り上げていたために喉が痛いとウーヴェが苦笑し、リオンも確かにそうだと笑って車を目立つビルに向けて走らせる。
 この町全体がバルツァーの関連会社に勤める人達が多数暮らしている事を教えるように、町の彼方此方にバルツァーのロゴが入ったものが点在していたが、整備された道を進んだリオンの眼前に遠目でも立派なビルが全容を表し、ただ唖然と見上げてしまう。
 「・・・これを親父が一代で作り上げたんだよなぁ」
 「そう・・・だな」
 リオンの感慨深い呟きにウーヴェが目を伏せて同意をするが、昨年までならばここに来ることなど想像も出来ないことだったが、隣で感嘆の声を上げるリオンが間に入り家族間の溝を埋めてくれたから来られたのだと思い出すと、ゲートを潜って来客用の駐車場へと向かう車内でウーヴェがリオンを呼び、スペースに一度で駐車したリオンが顔を振り向けると。
 「どうした?」
 「うん・・・ダンケ、リーオ」
 「?」
 何に対する礼なのかが分からないが、お前に礼を言われるのは心地よいと笑うリオンにウーヴェも笑みを浮かべ、幌を閉じて中に入ろうとドアを開けると、すかさずリオンが助手席側に回り込んで手を差し出す。
 「ダンケ」
 その手を恥じらうこと無く借りてステッキをつくと、リオンが幌を閉じてウーヴェと肩を並べて歩き出す。
 自動ドアを潜り近代的なオフィスビルの中を見上げると、バルツァーが取り扱う工業用品などが並べられている一画があったり、雑談出来るようなコーナーが設けられていたが、入口と反対側のコーナーに小さなカフェスペースがある事に気付き、会社で美味いコーヒーが飲めるのかとリオンが感心すると、ウーヴェもこれは良いアイデアだなと笑みを浮かべ、受付と書かれたプレートのあるブースへとゆっくり歩いて行く。
 「こんにちは」
 「こんにちは。え・・・と、父と約束をしているのですが・・・」
 「お、お父様、ですか?」
 ウーヴェが珍しくどのように言えば良いのか悩んだ挙げ句の父との約束との言葉に、受付をしている女性社員の目が見開かれ、己の失態に気付いたウーヴェが顔を赤らめる。
 「・・・いきなりお父さんって言われても分からねぇよなぁ」
 今のはお前が悪いとウーヴェににやりと笑みを見せたリオンが受付のカウンターに肘をつき、会長か社長はいますかと言葉だけは丁寧に問いかけると、社員が訝りつつも頷いてくれたため、ウーヴェが安堵に目を細める。
 「本日は会社におりますが・・・」
 約束をされているとのことであればお名前をと苦笑されて一瞬躊躇したウーヴェだったが、咳払いをした後、ウーヴェ・F・バルツァーだと名乗る。
その瞬間、受付ブースにいた二人の女性社員の目が限界まで見開かれ、近くにいた社員らしき人物も己が聞いた名に間違いが無いかと確認するようにウーヴェを見つめたため、申し訳ないが会長と直接話をしたいので電話を繋いで欲しいと目元を赤くしつつ眼下にある電話を指さす。
 「・・・し、失礼いたしました」
 「いえ、こちらこそ・・・」
 お騒がせして申し訳ないと謝罪しつつ受話器を受け取ったウーヴェは、父とは違う柔らかな声が聞こえてきたことに驚きつつも、ウーヴェだがこれからそちらに向かっても良いかと問いかけ、今すぐそちらに向かいます、ソファでお待ち下さいと言われたことをリオンに伝えると、背後のソファに一足先にリオンが向かう。
 リオンの隣に向かって腰を下ろしたウーヴェは、周囲の視線が己に集中しているような錯覚を抱いて溜息を吐き、そりゃあ受付の人もお前の顔を知らなくて当然だよなぁとリオンが暢気な声を上げたため、脇腹に拳を宛がう。
 「いてて。図星を指されたからって怒るなよ」
 「うるさい」
 ソファで口論未満の遣り取りをしていると、エレベーターが開いてスーツを身につけているが動きに無駄が無い男が二人の方へと歩いてきたことに気付くが、その顔を見たリオンが病院に来た人だと呟く。
 「え?」
 「オーヴェが入院してるときにさ、ベルトランのタルトを兄貴から預かったって言って持ってきてくれた人」
 「そうだったか?」
 「そうそう。─────ほら」
 「ウーヴェ様!お待たせいたしました」
 リオンの言葉に小首を傾げていたウーヴェだったが、颯爽とやって来た男が丁重な礼をして待たせたこと、受付に話が通っていなかったことを詫びてきたため、こちらこそ迷惑を掛けた、受付の人は何も悪くないと伝えて立ち上がる。
 「会長はこちらです」
 「ありがとう」
 案内してくれる彼についてエレベーターに向かった二人は、近代的なオフィスで忙しそうに働く人達をガラス張りのエレベーターから見下ろしながら、その頂点に立つのが父であり兄である事に不思議な感慨を抱いていた。
 到着したのは最上階で、毛足の長い絨毯が敷かれた廊下を進むと、左右にいくつかドアがあり、そのうちの一つ、ウーヴェのクリニックのドアのように重厚で両開きのドアを彼が開けると、室内にいた豊かなブルネットを背中に流し、品の良さと女性らしさを見事に両立させた秘書らしき女性が感慨深げな顔で笑みを浮かべて二人を出迎える。
 「ウーヴェ様、会長がお待ちでございます」
 「・・・ありがとう」
 ここにウーヴェが足を踏み入れる日が来る事を皆が期待しつつもそんな日が来ることは無いと諦めていた為か、レオポルドやギュンター・ノルベルトに近しい人からすればウーヴェを出迎えられたことが未だに信じられないようで、ヴィルマと書かれたネームプレートの前で歓喜に顔を紅潮させる女性に礼を言い、ここまで案内してくれた彼にもと向き直ると、ヘクターとお呼び下さいと一礼される。
 「ありがとう、ヘクター」
 病室にも何度も見舞いに来てくれたのにまともに話も出来なくて悪かったとウーヴェが頭を下げると、彼が拳を一つ握った後、お元気になられて本当に良かったと、我がごとのように喜んでくれる。
 「会長、ウーヴェ様をご案内しました」
 「ああ、入れ」
 ヴィルマが座るデスクの奥にも同じような重厚なドアがあり、ノックの後にヘクターがドアを開けて二人を室内に案内すると、一礼してドアを閉める。
 「・・・会長とギュンター様は嬉しいでしょうね」
 「そうだな。やっとウーヴェ様を案内できたな」
 ドアの中に消えた二人を見送ったヴィルマとヘクターは、ギュンター・ノルベルトが出席している会議がまだ終わっていないが声を掛けてこようと笑い合い、ヘクターが部屋を出て行き、ヴィルマが歓喜に沸く胸に手を宛がって深呼吸を繰り返すのだった。
 ステッキをついたウーヴェが通された室内を見回すと、大きな窓とその前にある大きなデスクに座って書類を見ていたレオポルドが立ち上がりながらソファに座れと苦笑する。
 「どうした、珍しいか?」
 「・・・社会見学、してるみたいだ・・・」
 「ああ、そうだな。時々近所の小学生や幼稚園から来ることがあるな」
 ウーヴェがソファに腰を下ろすとリオンも並んで座るが、先ほどから一言も話していない事に気付いたウーヴェがどうしたと問いかけると、何でもないと呆然とした声が返ってくる。
 「どうした、リオン。立派すぎて驚いたか」
 「いや・・・これを親父と兄貴が作り上げたんだなーって思ったらさ・・・」
 何か気軽に親父なんて呼べなくなったと、心底困惑した顔で頭に手を宛がうリオンが珍しくて、ウーヴェが驚いたように目を見張ってしまうが、それ以上に驚いたのはレオポルドだったらしく、なんだその殊勝な言葉はと驚きに声を大きくしてしまう。
 「や、バルツァーの会長や社長って分かってたけど、すげーなぁって」
 リオンが顔を赤らめつつ興奮気味に呟く言葉に父と息子が顔を見合わせるが、本心から驚き感動しているのだと見抜くと、息子はそんなリオンの手に手を重ねて頬にキスをし、父は微苦笑しつつも褒められた事への感謝の言葉を伝える代わりにリオンの頭に大きな掌を載せて髪をくしゃくしゃにする。
 「わっ!」
 「どうだ、すごいだろう」
 レオポルドはレオポルドでお気に入りのリオンが会社を褒めてくれたことが嬉しかったようで、子供じみた顔で笑いながらリオンの髪をかき乱し、止めてくれと笑いながらリオンが手を上げて阻止しようとする。
 「そう言えば、旅行はどうだった」
 新婚旅行でまた仲良くしてきたのかと笑う父に息子は微苦笑するだけだったが、父さんのお陰であんなにも良いホテルに泊まれた事は良かったし、支配人と仲良くなって今度こちらに来ると言っていたと伝えると、同年代の男同士すぐに仲良くなれるなとレオポルドが感心したように笑う。
 「良いホテルならまた利用すればどうだ?」
 「・・・さすがにあの部屋は、そうそう簡単には泊まれない」
 十日間の滞在を終えてホテルを出るときに支払った金額を思い出すだけで何とも言えない気持ちになった事をウーヴェが伝えると、リオンもあんな贅沢は二度と出来ないと苦笑する。
 「そうか?年に一度あのホテルに泊まるために頑張って働けば良いだろう」
 「・・・それもそうか」
 父の言葉に目から鱗が落ちたようなウーヴェだったが、どれだけ頑張って働いてもあの部屋で宿泊できるだけの稼ぎなんて絶対に無理だとリオンがその横で嘆く。
 「お前、ウーヴェの稼ぎが悪いと言いたいのか?」
 「へ!?んな訳ねぇって」
 リオンの嘆きにレオポルドが目を細めるが、当の本人であるウーヴェが咳払いをした後、今日来たのは土産と土産話の他に相談があったと切り出すと、レオポルドもソファに座り直してどうしたと正面から二人に向き合ってくれる。
 大企業のトップとして忙しく働く父だが、幼い頃から変わらない態度で今も同じように接してくれる事が嬉しくて、小さく笑みを浮かべて口を開こうとするが、それよりも先にドアが勢いよく開いたかと思うと、ウーヴェを呼びつつギュンター・ノルベルトが駆け寄ってくる。
 「フェリクス!帰ってくるときに連絡をしなさいと言っただろう?」
 「・・・空港に着いたのが、遅かった、から・・・」
 だから連絡をしなかった、ごめんと兄の剣幕に押されるような小声でウーヴェが返すと、ソファの背もたれ越しに抱きしめられて目を白黒させてしまう。
 「まったく。どれだけ遅くなっても連絡をくれれば迎えに行ったのに」
 「・・・それをされるから電話をしなかったって思わねぇのかな、この人は」
 伴侶がその兄に後ろから羽交い締めにされている様子に呆れた溜息を吐いたリオンは、何か言ったかと睨まれ、兄貴がオーヴェ大好きなのは十二分に分かっているから離してやってくれと苦笑すると、ギュンター・ノルベルトが不満そうにウーヴェから離れ、父の横に腰を下ろす。
 「旅行はどうだった、楽しかったか?」
 「ああ、うん。すごく楽しかった」
 「今まで以上に仲良く出来たよなー。なー、オーヴェ」
 ホテルで過ごした十日間、何度か支配人の誘いで食事に行ったりワイナリーに出かけたりしたし、永遠に忘れられない様な時間を過ごせたと笑うリオンにウーヴェが頷くと、父と兄が心底安心した顔で頷いて楽しめたのなら良かったと笑みを浮かべる。
 「で、話は何だ、ウーヴェ」
 ギュンター・ノルベルトが入ってきたことで途切れた話を進めようと苦笑する父に同じ顔で頷いたウーヴェは、リオンの再就職のことだと告げて二人の顔を交互に見る。
 「今年のヴィーズンが終わればクリニックを再開する。それに合わせて、リオンも仕事を探すことにした」
 「フェリクスを支える為に刑事を辞めたんじゃ無いのか?」
 ギュンター・ノルベルトの疑問の声は二人にとっては想定済みだったため、ウーヴェが一つ頷いた後、俺はリオンがいない事で何も出来ない男になりたくないと腿の上で拳を握り、父と兄の顔を交互に見つめた後、拳に重ねられる掌の温もりから力を分けて貰うように目に力を込める。
 「四六時中一緒にいることだけが、支えることじゃ、ない」
 傍にいるときもいないときも、互いを信頼し寄りかかるだけでは無い関係でいたいと、ギュンター・ノルベルトが驚きレオポルドが目を細めて口ひげを指で撫でる様子にウーヴェも内心鼓動を早めていたが、リオンが前言をすぐに翻すような男ではない事、そう考えるまでの出来事を掻い摘まんで説明すると、重ねられていた手に逆に手を重ねる。
 「リオンの支えは本当に心強い。でも、それ以上に、毎日元気に働きに出るリオンを見ていたい」
 そんなリオンの傍で俺も一緒に笑って自分の仕事に精一杯取り組みたいんだと、気軽な変心ではない事を二人に伝えると、どちらの口からも同時に溜息が出るが、一方は納得で一方はまだまだ納得できないことを示すものだった。
 「ノル・・・ノルが心配してくれるのは嬉しい。でも・・・俺も結婚をして、リオンに対して責任がある。それを果たせない、そんな俺でもノルは良いと思うのか・・・?」
 己の心身を気遣う心からの不満だとは分かっているが、家庭を持った一人の男として家族に対してただより掛かるだけの存在で良いと思うのかと重ねて問いかけると、不満と納得の間の表情でギュンター・ノルベルトが整えられている髪に手を宛がう。
 「男としての責任か?」
 「あまりそういった言葉は使いたくないけど・・・」
 リオンと一緒に家庭を築く、その根幹は互いに信頼し支え合うことであり、一方的に支えられる事じゃ無いと頷くと、ギュンター・ノルベルトがリオンを真正面から見つめる。
 「・・・再就職先は決めたのか?」
 「まだ。これから探そうと思ってる。でもそれはクリニックの再開後だな」
 再開するまではまだ就職活動はしない、暇が出来ればホームに帰って教会の手伝いでもすると、全く何でも無いことのように返すリオンに三度溜息を吐いたギュンター・ノルベルトだったが、何かを思案するように拳を顎に宛がった後、窓際の大きなデスクに置かれた電話に手を伸ばし、手短に指示を与えるとソファに戻ってくるが、二人を見て一つ頷いたかと思うと、もうお前も一人でも歩いて行ける大人だったなと苦笑する。
 「いつまでも子ども扱いをしているとまたリオンに笑われそうだな」
 「あ、さすが兄貴。よく分かったな」
 「ふん。─────とにかく、リオンの就職の話はクリニックの再開後なんだな?」
 「ああ、うん」
 リオンの再就職時期を確認するようにギュンター・ノルベルトが口を開き、二人が同時に頷くと、レオポルドも再度溜息を吐くが、いつまでも心配を掛けて悪いと思っていることを伝えると、親が子どもの心配をするのは当たり前だ、だから悪いと思うのなら、選んだ道をしっかりと歩けと苦笑する父に頷いた息子だったが、クリニックの再開は例年通りだから、今年も皆でヴィーズンに行こうとリオンが浮かれ調子で告げたため、溜息一つでそれはまだと返すが、伸びてきた手が口を押さえたために目を白黒させる。
 「ヴィーズンに行きたいのか?」
 「去年一度行っただけで満足できるはずねぇって、親父」
 ビール祭りが開催されている間は何度でも行きたいのにと不満を訴えるリオンの手を掴んで口から引きはがしたウーヴェは、だからまだ考えている途中だと声を大きくするものの、ファウストもメスィフも楽しみにしているのにお前はその楽しみを奪うのかと睨まれては何も返せなくなってしまう。
 「・・・メスィフは去年一緒に行ったトルコの青年だったな。ファウストというのは誰のことだ?」
 「ん?俺たちが泊まったホテルの支配人。ホテルの名前が天国なのに支配人がファウストって面白いなって言ってた」
 ホテルの支配人の名前がファウストだと知らなかったらしいレオポルドが、初めて泊まったウーヴェ達がその支配人と友人のような付き合いを始めたことに先ほどは驚いていたが、それはギュンター・ノルベルトも同じだったのか、どこに行っても友人を作ってくるのかと呟くと、それがリオンの特性だとウーヴェが自慢するように笑う。
 「その彼も来るのか?」
 「来ればどうだって誘っておいた。まあ来るかどうかは別にして、また皆で行きたいなって思ってるのはホント」
 「そうだな・・・リッドとアリーセにも相談しようか」
 「ダンケ、親父」
 レオポルドがリオンと手を組んだため、今年も家族揃ってビール祭りに出かけることがほぼ確定されてしまい、ウーヴェが何を言っても最早無駄だと悟ったのか、それならば好きなテントに行きたいから何とかならないかと、この中で最も実力を持つ兄と影響力を今でも有している父の顔を見ると、大きなテントよりも小さなところが良いと注文も付ける。
 ごく自然と行われるそれにリオンがさすがに末っ子は自然と甘えることが出来ると感心するが、その方がリオンも楽しそうだからと付け加えられ、思わず隣の痩躯を抱きしめる。
 「オーヴェ大好き愛してる!」
 「こらっ!」
 抱きしめての告白だけでは無く頬にもぶちゅっとキスをされて一瞬で目元を赤くしたウーヴェは、調子に乗るなと耳を引っ張って短い悲鳴を上げさせる。
 「ごめーん!」
 「うるさいっ!」
 それがただの照れ隠しである事をリオンもウーヴェも理解し自覚しているが、通過儀礼のように一声叫んだ後、仲直りのキスをウーヴェからリオンの頬に届ける。
 「・・・そうだ。お土産買ってきたんだった」
 「ああ、そうだった」
 新婚旅行先の島は観光する場所もいくつかあったし、支配人の友人が所有している私設の天文台から星々を観測することも出来たが、何よりも嬉しかったのは美味いワインを作っているワイナリーを紹介して貰えたことだと笑い、リオンが荷物からボトルを取り出して二人の前に並べる。
 「持って帰ってきたのか?」
 「うん。家で飲む用は別に送って貰ったけど、とりあえず二人に渡そうと思って持って帰ってきた」
 二本並んだワインは白ワインで、ウーヴェよりもリオンが随分と気に入ったワイナリーのワインだった。
 「これは?」
 「面白かったから買ってきた」
 それは、ワイナリーのレジ近くに置いていたワインの栓になるものだったが、モザイクタイルの身体をしたトカゲのようなものがついていて、その腹の下にコルクがついていたのだが、なんだそれはとギュンター・ノルベルトが呆れたような声で問いかけると、どこかの公園の彫刻だとウーヴェが言っていたことをリオンが伝えるものの、馬鹿な俺には分からないと肩を竦めたため、ウーヴェが苦笑しつつリオンの言葉の後を継ぐ。
 「ガウディが作った公園にあるトカゲがモチーフらしい」
 「名前は忘れたが、有名な公園があったな」
 「そう」
 さすがにスペインだけでは無く世界でも有名な建築家の出身国だけあり、カナリア諸島でも土産物などでその影を感じたとウーヴェが笑うが、ただワインの栓にするには面白いと思ったから買ってきたとも告げ、ワインを飲みきれないときに使って欲しい事を伝えると、リッドが喜びそうだとレオポルドが目を細める。
 「土産など要らないが、せっかく買ってきてくれたものだ、ありがたくいただこうか」
 「うん。あと、ノル、また近々一緒に食事をしないか?」
 ウーヴェが柔らかく問いかけたそれにギュンター・ノルベルトの目が見開かれるが、友人も一緒に招待してくれないかと逆に問われて眼鏡の下で目を瞬かせるが、リオンの横顔から返事を得たウーヴェは、大人数は無理だけどと断りを入れると、一人だから安心しろと笑われる。
 「それなら、大丈夫」
 「そうか。また後で予定を調べて連絡をしよう」
 「うん。・・・父さんとも、近いうちに一緒に食事をしたい」
 「ああ。リッドも喜ぶ。その時はマザー・カタリーナもお呼びしろ、リオン」
 「・・・ダンケ」
 「彼女がいればお前の今までしてきたことを全て聞き出せるからな」
 「んなー!!そんな理由なら断固拒否する!」
 「お前に拒否権は無い!」
 兄を誘うだけでは無く父とも食事をしたいとウーヴェが告げた言葉が父と伴侶の間で一瞬にして爆発物へと変化を果たしたらしく、リオンが目を吊り上げて反論するが、それを一言で封じたレオポルドがにやりと笑みを浮かべ、それは冗談だがお前の母を呼ぶことは本当だと笑みを深めたため、笑えない冗談は禁止だとリオンがおきまりの言葉を叫ぶ。
 「この家族はマジで笑えない冗談を言うからな!」
 全くと憤慨するリオンに苦笑しつつ頬を撫でたウーヴェは、あと一つ相談があったと思い出して父と兄を見るが、左足がこんな感じなのでスパイダーの運転が出来ない、車の買い換えを検討しているがどこか良い店は無いかと苦笑すると、メーカーは決まっているのかとギュンター・ノルベルトが問い返す。
 「まだ。俺の収入で買える車を探してる」
 「オーヴェの収入で買えるって言うけどさ、スパイダーを持てるぐらいなんだから大抵の車を買えるんじゃねぇの」
 ポルシェを買って乗れるだけの経済力があるのだ、BMWでもベンツでも選び放題じゃ無いかとリオンが呆れたように天井を見上げるが、欲しい車をこれからリオンと相談するが、決まったらまた相談に乗って欲しいとウーヴェが兄に伝えた事に気付き、これもまたリオンの意思を優先してくれるのだと気付くと、あぁ、やはり己の伴侶は世界一だとの認識を改める。
 「オーヴェ」
 「どうした?」
 「うん。お前が乗り降りしやすい車にしようぜ」
 「・・・うん」
 長年乗ってきたスパイダーだが、左足がこんなではクラッチ操作もろくに出来ず、リオンしか運転できないとなれば何かと不都合だった。だから車を買い換えると告げたウーヴェは、兄が随分と真剣に考え込んでいる事に気付いて恐る恐る名を呼ぶが、何だい、フェリクスと満面の笑みで見つめ返してきたのを見た瞬間、悪い予感が背筋を這い上った事に身体を震わせる。
 「い、や、何でも、ない・・・」
 「そうか?」
 「あ、ああ」
 そのウーヴェの予感はある意味では的中していて、それを知ったリオンがお前の家族はお前に甘いと絶叫する羽目に陥るのだが、現時点では二人ともそれを見抜けずに、何だろうか、考えたくないから考えないでおこうと思考を放棄してしまうのだった。

 

 二人がヴィルマが用意してくれたお茶を飲んでゆっくりした後、仕事の邪魔をしてはいけないからと早々に帰るのを、ギュンター・ノルベルトはあからさまに落胆した顔で見送り、レオポルドはまたいつでも来いと二人を会社の受付があるロビーまで見送る。
 会長自ら見送りをするほどの人とはどんな人だと、その場に居合わせた人々は驚愕の目で二人を見るが、その視線を感じつつも平然とした顔で自動ドアを潜り、来客スペースに止めてあるスパイダーに乗り込むが、リオンがトイレに行きたいと急に宣い、呆れたウーヴェが車内で待っているから行ってこいと送り出す。
 「悪ぃ。すぐ戻って来るから」
 キスと共に言い残して自動ドアを再度潜ったリオンは、エレベーターの前で他の社員と何やら会話をしているレオポルドを呼び止める為に声を掛けようとするが、一瞬だけ躊躇してしまう。
 この大企業をたった一代で作り上げた立志列伝が何冊も出版されてもおかしくない偉人を今までのように呼んで良いのかとの躊躇いが芽生えるが、本人がそう呼べといつだったかリオンに笑って伝えた過去の出来事を盾にしようと決めて軽く息を吸うと、腹の底から声を出す。
 「親父!」
 「!?」
 その声はロビーの中で響き渡り、一斉に皆がリオンの顔を見つめ、エレベーターを待っていたレオポルドも驚いた様に振り返るが、少しだけ頬を赤くしたリオンの表情から何かを感じ取ったのか、ウーヴェと一緒の時とまったく変わらない顔でどうしたと問いかけながらリオンの前に歩み寄る。
 「ちょっと相談したい事があるんだけど良いか?」
 「何だ、ウーヴェには聞かれたくない話か」
 まさかとは思うが新婚旅行先で浮気をしたのではないだろうなと、背後のソファを顎で示しつつレオポルドが笑うと、リオンがそんな訳あるかと苦笑するが、まだ今は聞かれたくない話だと断り、肩を並べてソファに座る。
 受付の社員にしてみれば、まさか会長自らが見送りに来るだけではなく、ロビーのソファで座り込んで話をする姿を見る日が来るなど想像も出来ず、ただ呆然とその姿を見ているが、エレベーターから社長であるギュンター・ノルベルトとその秘書であるヘクターがやって来た事に気付いて見送るために礼をする。
 「会長、こんな所で話ですか」
 「おお、リオンが話があると言うから聞いていた」
 こんな所で話をせずに部屋に戻れば良いのにと、ギュンター・ノルベルトが呆れた様に二人を見るが、ウーヴェを待たせているらしいとレオポルドが告げたため、どうしたと眉を寄せる。
 「・・・再就職の話だけど、時間の自由が効く仕事があれば紹介して欲しい」
 「何だ、そんなことか」
 「俺はバカだから、サラリーマンとかは無理だと思う。セキュリティ会社とかならまだ何とかなるかなーとは思ってる」
 前職が刑事というのも再就職の時に何かの役に立つかと思うがと、頭に手を宛がうリオンを前にギュンター・ノルベルトがヘクターに顔を寄せて何事かを囁くと、総てを心得ているようにヘクターが頷き、ヴィーズン明けの少し前から呼んでみればどうだと提案されて今度はギュンター・ノルベルトが小さく頷く。
 「父さん、後で少し話がある」
 「分かった。再就職先だが色々当たってやるから待ってろ、リオン」
 「ダンケ、親父、兄貴」
 「・・・お前が元気に働く事でフェリクスが笑ってくれるのだったら、いくらでも就職先を探してやる」
 己の行動の根本にいるのはやはり今でも幼い頃の笑顔を浮かべるウーヴェだと苦笑する伴侶の兄-実父-に苦笑したリオンは、あまり時間を掛けるとウーヴェが心配するからと告げて立ち上がると、甘えて悪いが頼むと一礼をし、軽い足取りで三度自動ドアを潜るのだった。
 「・・・話とは何だ」
 「父さん専属のセキュリティを雇おうかと思ってる」
 最近は海外に出張する回数も減っているが、それでも時々出かけることがある会長職の父のため、専属のセキュリティを雇う必要性について話をしていたと、社長であり息子であるギュンター・ノルベルトが自動ドアの向こうへと顔を向けつつ囁くと、何を言わんとするのかを察したレオポルドが腕を組んで満足そうに吐息を一つ、磨かれたフロアに落とす。
 「・・・お前に任せる」
 「ヘクター、ヴィルマと一緒に準備をしてやってくれ」
 「分かりました」
 レオポルドの許可を得た事でこの話は決定済みだとギュンター・ノルベルトが笑い、役員会に諮る必要は無いと思うが、万が一のことがあれば面倒だから手回しを頼むとも告げ、今からフランクフルトで会議に出席してくる、戻るのは明日になる事を告げると、鷹揚に頷くレオポルドにヘクターも頭を下げるのだった。

 

 スパイダーを鼻歌交じりに運転し、自宅に帰り着いたリオンは、ウーヴェと肩を並べて自宅のドアの前に立つ。
 「・・・やっぱさ、家が良いよな」
 「そうだな」
 旅行先のホテルも良いが、やはり自宅に勝るものは無いと笑い、ウーヴェが鍵を開けてリオンがドアを開ける。
 長い廊下にはウーヴェの歩行の手助けをする為に手摺りを付け、リビングやキッチン、ベッドルームでも不自由さを軽減できるように、ウーヴェが一人の時でも家の中を自由に歩けるようにと一つずつ手を加えていた。
 「クリニック再開の案内を作らないといけないな」
 「業者に依頼するのか?」
 「いや、時間があるから手書きする」
 印刷された無機質なものではなく、少しでも気持ちが伝われば良いとの思いから、長らくクリニックを閉めていた事を詫び、再開することを伝える文面を手書きすると告げると、リオンが呆れた様に天井を見上げる。
 「手伝ってくれないか、リーオ」
 「・・・えー」
 「チョコ一枚でどうだ?」
 「二枚!」
 この後の予定を楽しげに笑み混じりに告げつつリオンの宣言にどうしようかとウーヴェが思案する素振りを見せるが、二枚ぐらい良いだろうダーリンと頬にキスをされて微苦笑に切り替える。
 「そうだな」
 本当は面倒臭いことなどしたくない筈なのに、チョコ二枚で手伝ってくれるリオンの本心に内心で感謝の言葉を伝えたウーヴェは、明日から作業に掛かるが、準備等もあるから、明日リアのカフェに行って彼女にも手伝ってもらえるかどうか確かめようと提案すると、 リオンが文字通り諸手を挙げて賛成する。
 「イイな、それ」
 「ああ」
 明日から忙しくなるから今日はまだゆっくりしようと笑ってリビングのドアを開けたウーヴェは、カウチソファに座って横臥すると、身体に覆い被さるようにリオンも寝そべってくる。
 「オーヴェ、ちょっと昼寝しようぜ」
 「ああ」
 ソファで二人身を寄せ合いながら昼寝しようと笑い、残暑も厳しいが窓を開けていると涼しい風が入る事に気付き、リオンがそそくさと窓を開ける。
 「────リーオ」
 「ん?」
 リオンを手招きしたウーヴェは、病室で良くしていたようにリオンの胸に耳を宛がうため、カウチに寝ろとその手を引っ張り、ウーヴェの望みに気付いたリオンを褒めるようにキスをする。
 「・・・お前の鼓動は・・・やっぱり、落ち着く・・・」
 「そっか。じゃあこうしてるからさ、寝ろよ」
 病室でいつもやっていたように鼓動を聞きながら昼寝をしようと囁くリオンに頷いたウーヴェは、優しく背中を撫でられて小さく欠伸をし、その心地よさに誘われて眠りに落ちるのだった。
 そんなウーヴェを追いかけるようにリオンも欠伸をするが、明日からの忙しさが充実している証になる様に願いつつ一際大きく欠伸をした後、ウーヴェの髪にキスをし目を閉じるのだった。

 

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2017.08.28
本社初登場(笑)でもないか。Heimでも出てきましたね(;´Д`)


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