退院してから数日後の午後、ウーヴェは家族から送られた心強い支えになるステッキを突き、隣には一緒に外出できることが嬉しいと、この数日ずっと口にしているリオンと並んで学生が多く行き交う街の小さなカフェを目指して歩いていた。
ウーヴェの歩く速さに合わせるのではなく、ごく自然と同じ調子で歩くリオンは、大学に通っていなかったからこの街はあまり馴染みが無いと周囲を見回すが、学生時代をこの近くで過ごしたウーヴェにとっては懐かしく、そこかしこに学生時代の思い出が転がっているような街だった。
学生時代の話をあまりしたことがないと気付き、テストの前になるとカスパルが皆にノートを借りて回り、コピーを取るために良くその文具店に駆け込んでいた事や、オイゲンがノートを取り纏めて昼食と引き替えに貸したりしていたと笑い、楽しかったんだなとリオンが素直な感想を述べたことが嬉しくてウーヴェも素直に頷いていた。
当時と変わらない石畳の道を歩き、見えてきたカフェの様子を少しだけ窺うと、店内はそんなに混み合っていない事を確かめてドアを開ける。
「いらっしゃい」
カウンターの中にいたのはリオンやウーヴェと大して変わらない年頃の青年で、笑顔で二人を出迎えてくれるが、リオンがウーヴェと己のカフェラテとケースに並んでいるレモンタルトとチーズケーキを注文し、窓際のテーブルに行けとウーヴェに合図を送る。
ランチ時には学生で混み合いそうだが、ランチを過ぎたいわゆるお茶の時間には馴染みの客が多いようで、静かに新聞を読んでいたり、コーヒーをお供に世間話に盛り上がっているようだった。
その様子を店内から見ていたウーヴェは、レモンタルトの味が変わってなければ良いのになぁと笑うリオンに変わっていないだろうなと頷くが、運ばれてきたそれに懐かしさを感じて目を細める。
「・・・やっぱり美味そう」
「あれ、やっぱりって、お客さん、うちのこと知ってたんですか?」
青年が素敵な笑顔でリオンの言葉に不思議そうに返すが、店は初めてだけど、このタルトやチーズケーキのことは良く知っていると笑い、青年を手招きしてその耳にこのタルトを作ってくれた女性を呼んでくれないかと笑いかける。
「え?ああ、はい」
何故このタルトを作ったのが女性だと知っているのかという疑問や彼女とどういう関係だとの疑問が青年の顔に浮かぶが、頼むとリオンがもう一度囁いたため、青年がカウンターの奥の厨房に姿を消す。
「お客様?前に出るのはイヤだから断ってくれれば良いのに」
接客は極力したくないのにと、エプロンを着けて不満そうに眉を寄せる女性がカウンターに姿を見せて店内を見回すが、窓際のテーブルで笑みを浮かべて手を振るリオンとその向こうに穏やかな顔で頷くウーヴェを見た瞬間、カウンターの中から飛び出してくる。
「ウーヴェ!!」
「・・・リアのケーキが食べたくなったんだ」
駆け寄ってきて小さな子どものように飛びつくリアをしっかりと受け止めて背中を撫でたウーヴェは、数日前に退院した事、もっと早く来たかったが色々手続き等が忙しかったと詫びるが、涙混じりの声がそんなこと気にしていない、来てくれて嬉しいと返す彼女に笑みを浮かべる。
「・・・お帰りなさい、ウーヴェ」
「ああ、ただいま、リア。やっと退院出来た」
改めて退院出来た事実を感じているウーヴェにリアも頷いて離れると、微笑ましそうに見守っているリオンにも腕を伸ばしてそっと抱きしめる。
「ハロ、リア。チーズケーキがすげー美味そうだったから、昼飯食ったけど食いたくなった」
「好きなだけ食べて」
持ち帰り用のケーキも用意できるわと笑うリアの背中を撫で、もし今忙しくないのなら少し話をしたいとウーヴェがリアを見ると、目尻の涙を拭ったリアが大丈夫と頷き、周囲の視線に少しだけ顔を赤らめつつカウンターに入ると、青年に手短に事情を説明する。
その説明で理解してくれたのか、青年がウーヴェに目礼をしてくれ、リアがエプロンを外してウーヴェの横に座ると、程なくしてカフェラテが運ばれてくる。
「ゆっくりしていって下さい」
「ありがとう」
青年の心遣いに感謝の言葉を告げたウーヴェは、リアがもう大丈夫なのかと見つめてきたため、リオンを見たあと頷いてステッキを撫でる。
「このステッキとリオンがいるから大丈夫だ」
「そう。良かった。・・・入院中もずっとリオンがいたけど、刑事を辞めたって本当なの?」
「ん?ああ、辞めた。今は素敵なステキなヒモ生活だぜー」
働かなくてもメシが食えるなんて最高の贅沢だと笑ってチーズケーキを食べるリオンにリアが何かを言いかけて口を閉ざすが、軽口を装っているだけだとも気付いている為にそれに対する反論も否定もせず、ただ一言、ウーヴェの傍にいたいのねとだけ答えると、リオンの耳がわずかに赤くなる。
リアがまだ入院している時、ウーヴェが入院していることをリオンから聞かされ、面会できるのなら会いたいと頼んでいたが、ようやくウーヴェに面会できたのは彼女が病院を退院する数日前だった。
リアの傷はカスパルが言ったように少しだけ傷跡が残る程度で日常生活に支障は来さなかったが、見知らぬ男に襲われて衣類や髪を切り裂かれて監禁された恐怖はそうそう抜けるものではなく、退院すればまた以前のように日々暮らさなければならず、その不安とどのように向き合うべきかをカウンセラーに相談していたリアは、その日ウーヴェと面会できると教えられて松葉杖を突きながらウーヴェの部屋に入り、痩せてしまっていたがそれでも以前と変わらない穏やかな顔で出迎えられて杖を投げ捨てて駆け寄ったのだ。
リアが負傷し入院していた事実を直前に教えられてただ驚くと同時に、事件に巻き込んでしまった事を詫びるウーヴェにリアはあなたのせいじゃないと涙混じりに否定をしたが、その時もリオンがウーヴェのベッドに腰を下ろして今のように見守っていた事を思い出す。
その姿は以前から見ていたものと少し質を変えている様に感じ、前の浮かれている様な姿ではなく、ただウーヴェだけを思っているものにも感じ、微笑ましさすら感じていたリアだったが、リオンの心の奥深くで膝を抱えて蹲る本心にまでさすがに気付くことは出来ないでいた。
「今日はどうしたの?」
「ああ、リアに報告があったんだ」
「報告?」
何かしらと目を丸くするリアにウーヴェが照れたような笑みを浮かべ、八月か九月に結婚式を役所と教会で挙げる事になった、招待状は後日送るが式に出てくれないかと彼女を見ると、リアが再度手を伸ばしてウーヴェを抱きしめる。
「今回は教会でも挙げる事にしたのね」
「ああ。リオンの家が教会だし、マザーもいらっしゃるから」
「そうね。おめでとう、ウーヴェ。喜んで出席させて貰うわ」
ウーヴェに喜んでと頷き、リオンにも同じ言葉を伝えたリアは、式の後のパーティでリアのケーキが食べたいと申し訳なさそうに告げられて目を瞬かせる。
「私のケーキじゃなくて他の店のを頼めばどう?」
「リアのケーキが食いたいんだよなー。なー、オーヴェ」
「ああ」
素人の私などではなく有名店でお願いすればどうだとリアが遠慮するが、自分たちを良く知る人が思って作ってくれるケーキが食べたいとリオンが笑みを浮かべウーヴェが頷いたため、それならばと彼女も頷く。
「リンゴのタルトとチーズケーキで良いの?」
「それが良いの!」
リオンの素直な言葉にリアの口から楽しそうな笑い声が零れ、それならば用意をしなければならないから、日付が分かったら教えてと了承してくれたため、ウーヴェの口から安堵の溜息がこぼれ落ちる。
「結婚式と新婚旅行と・・・それが終わればクリニックを再開するつもりだ」
だからそれまでもう少し待っていてくれないか、そしてクリニックを再開したら、また有能なフラウ・オルガとしてクリニックで勤務してくれないかとウーヴェがリアの手を取って懇願すると、彼女がその手をそっと握り返して綺麗な笑みを浮かべる。
「こちらこそ、また働かせて下さい、ドクター」
「・・・ありがとう」
今日ここに来た目的の大半を終わらせたウーヴェは、緊張していた身体に甘いものをとレモンタルトを食べ、ああ、やはり緊張した後にはリアのケーキやビスケットなどを食べたいと笑うと、リアが唇を噛み締めて何度も頷く。
「リア?」
「・・・ごめん、なさい・・・ウーヴェ、クリニックで・・・また働けるのを、待ってるわ」
握りしめられた拳にぽたりと落ちる涙にウーヴェが目を細め、彼女の肩に腕を回して抱き寄せると、まだもう少しだけ時間が掛かるが必ずクリニックを再開する、それまで待っていてくれと囁き、約束するとも告げる。
「リア、クリニックを再開したらさ、俺にもまた美味いケーキ食わせて」
「ええ・・・ええ、もちろんよ」
ウーヴェの言葉に重ねるようにリオンが笑い、今日のケーキも美味しいがクリニックで食べていたものも良かったと頷いてリアの手を撫でる。
「今日は来てくれてありがとう、ウーヴェ、リオン」
「今日はこれからクリニックによって色々しなきゃいけないから、その前に美味いものを食べて気合いを入れようかなーって」
この後、クリニックの様子を見るために立ち寄ることにしたが、事件以来立ち寄っていないためどうなっているのかが分からなかった。
セキュリティ会社と契約している事と刑事達の見知った医者のクリニックが事件現場になっている為にまさか留守を狙った強盗などに入られることは無いと思うが、様子を見てくると苦笑するリオンにウーヴェも微苦笑をするが、ただ久しぶりにリアのタルトを食べられて良かったと頷く。
「・・・仕事中に邪魔をした。彼にも謝ってて欲しい」
「え?大丈夫よ」
先ほどの青年に謝っててくれと苦笑すると、意味ありげにカウンターの中を見たリアだったが、リオンが声を潜めて恋人かと問いかけたために目を丸くし、イヤだといいながら口元を手で覆い隠す。
「・・・弟よ、あれ」
「弟!?」
リアに弟がいたことは知っていたが、初めて顔を見たとウーヴェとリオンがかなり驚くが、その声にカウンターの中で青年が何事だと二人を見る。
「・・・リア、また時々ケーキを食べに来る」
「ええ。ぜひ来てちょうだい」
弟と二人店で待っていると頷いて立ち上がった彼女は、弟を手招きして二人を紹介すると、姉から話は聞いていたと笑顔で頷かれる。
また来ることを約束してリアと弟に見送られながら店を出た二人は、彼女のケーキの味が変わっていないことに安堵し、一日でも早くクリニックを再開しないとなぁと笑い合うのだった。
三ヶ月ぶりにクリニックへ向かったウーヴェは、診察終了の札がぶら下がったままのドアに溜息を吐き、セキュリティ会社に通報が行かないように鍵を解除すると、ここを開設して以来の緊張感を覚えつつドアを開ける。
待合室には馴染みのない匂いが満ちていて、リオンを思わず振り返ったウーヴェに告げられたのは、鑑識があらゆる所を調べ回ったから薬品の匂いが残っているかも知れないとの言葉で、それならば仕方が無いと苦笑し、ステッキをついてゆっくり室内を歩くが、トイレのドアが開けっ放しで、何気なく覗くがそこが事件現場であることを示す様なものは特に残されておらず、再度リオンを振り返ると、ウーヴェをカウチソファに手招きして座らせる。
「オーヴェが誘拐されてすぐだと思うが、リアがここでジルに足を刺されてトイレに監禁された」
「・・・お前が見つけたのか?」
「俺とアニキが見つけた。あの日オーヴェはアニキ達と飲み会だと言ってただろ?」
誘拐された当日、同級生達と飲み会に行くと言っていただろうと言われて思い出すように天井を見上げ、確かにそうだったと頷いたウーヴェにリオンも頷き、ウーヴェの髪を指に巻き付ける。
「オーヴェが来ないからってカールが様子を見に来た。俺はブライデマンが来たから皆で飲みに行くことになったからって言いに来た」
そうしたらお前はおらずリアがトイレに監禁されていたと教えられ、髪を巻き付けた指で頬を撫でられて目を細めると、リアの髪はあれはまだウィッグだとも教えられて細めた目を限界まで瞠る。
「ウィッグ?」
「ああ。ゾフィーの時と同じで、リアの髪が切られていた。ジル、長い髪の女に何かトラウマでもあったのかな」
綺麗に伸ばされていたリアの髪が見るも無惨に切り刻まれ、衣類も一緒に切り裂かれた状態でトイレに拘束されていた事を伝えると、ウーヴェの目がきつく閉じられる。
「そう、か」
「そう。ちょうどアニキが来てくれたから、救急車で搬送してもらったんだけどな・・・」
ああ、そう言えばあの時にとリオンが思わせぶりなことを告げ、ウーヴェが何だと首を傾げると、アニキがリアに惚れたのかも知れないと囁きウーヴェが驚きながらリオンをまじまじと見つめる。
「そう、なのか?」
「うん。だってさ、主治医でもねぇのにずっとリアの病室に入り浸ってたし、新しいカフェが好きって言ったら情報提供ありがとうよって叫んでた」
もしかするとカスパルの本気の恋が始まるのかも知れないとも笑うリオンにウーヴェが苦笑するが、もしもそうなったとしてもそれはそれで喜ばしいことだと笑う。
「うん。まあリアがどう思ってるかは別問題だけどな」
「そうだな」
事件の時の話をしながら立ち上がったリオンは、ウーヴェの手を引いて立ち上がらせると、そのまま掛け声一つで抱き上げる。
「リオン、歩ける」
「・・・ごめん、分かってるけど、嫌だ」
その声がいつものようにふざけたものならばウーヴェも窘めたのだが、ひっそりと消え入りそうな小さな声だったため、リオンの本心を読むことに長けているウーヴェがそれを読み取り、短くなったくすんだ金髪を抱きしめる。
「・・・・・・リーオ」
「・・・何だ」
「うん・・・少し重いかも知れないけど、このままが良い」
お前の心の中で蹲っている彼もきっと同じ事を思っているはずだと囁きかけてリオンの目を瞠らせたウーヴェだったが、我が儘陛下なんだからーと軽口を叩かれて不満を訴える代わりに青い石のピアスが填まる耳を軽く引っ張る。
「ぃて。ごめんごめん」
「ふん。・・・リーオ、診察室に行ってくれ」
「ん、了解」
ウーヴェを横抱きではなく子どもを抱き上げる時のようにしっかりと腕で抱えて診察室のドアを開けたリオンは、室内が大雑把とはいえある程度片付けられている事に気付くが、小部屋のドアが開けっ放しになっていることに気付き、そちらに向かうとウーヴェに伝える。
その小部屋には金庫があり、クリニックにとっての貴重品が納められているが、流石に金庫の暗証番号を見るわけには行かないからと、ウーヴェを下ろして背中を向けると程なくして金庫が開けられ、中に貴重品がちゃんと納まっている事をウーヴェが溜息交じりに告げる。
「そっか」
「ああ。ありがとう」
後は壁一面の書類棚に収められたカルテ類だが、それらも特に抜けているものはなさそうで、この様子だと旅行から帰ってすぐにでも診察を再会出来そうだと頷くが、クリニックを閉めている間に他のクリニックに患者の診察をお願いしていた事や、患者自らが他の病院に通院するようになっているかも知れない事実に苦笑する。
「まあ、そうなっても仕方が無いな」
「そーだな。でもさ、オーヴェで無いとダメな患者はいるだろうし、また戻って来てくれるって」
だから患者の数が減っているかも知れない事については今は考えないでおこうとリオンがウーヴェを背後から抱きしめ、その腕に寄りかかりながら素直に頷いたウーヴェは、待合室にもう一度連れて行ってくれと告げて抱き上げろと命じ、口では不満を訴えながらも満更でも無い顔でリオンがウーヴェを抱き上げる。
診察室の一人掛けのソファもウーヴェがいつも座っているデスクも窓際のお気に入りのデザイナーズチェアもそのままで、埃を被らないようにしたいが被せるための布などなく、明日にでも持って来たいとウーヴェが提案し、リオンもそうだなと頷きながら診察室を出てドアを閉める。
「・・・リーオ、ありがとう」
「どういたしましてー」
再度カウチソファに並んで座った二人だったが、新婚旅行の後にクリニックを再開するが、それまではもう少しだけ閉めておく事を確認しあい、ウーヴェが溜息を一つついてリアが使っているデスクの前に足を引き摺りながら歩いて行く。
「・・・彼女に早く戻って来てもらうためにも・・・」
リハビリも頑張らないといけないなと、密かな決意を拳に込めてデスクを一つ叩いたウーヴェは、先程のように背後からそっと抱きしめられて目を閉じ、何があっても支えてくれるお前の伴侶を信じろと父に入院中に言われた言葉を思い出しつつ背後に倒れるように力を抜くと、揺るがない大地に抱きしめられているような安心感と温もりに包まれて自然と笑みがこぼれる。
「リーオ・・・俺のリーオ」
「どうした、オーヴェ」
「うん。・・・支えてくれてありがとう」
素直な思いを口にすると沈黙が降ってくるが、程なくして満足そうな小さな溜息が顔のすぐ傍に落ち、そのままそっと唇にキスをされる。
こうして口に出すものだけではなく出さない思いも感じ取ってくれるリオンという存在が奇跡のように思え、後ろに手を伸ばして頭を抱き寄せると、安心したような溜息が再度零され、口の端にキスされる。
「・・・リオン・・・俺の、奇跡の人」
「それはお前だ、オーヴェ」
あんな事件に巻き込まれながらもこうして生きることを選んでくれたお前こそが奇跡の人だと囁くリオンに頭を振って否定したウーヴェは、お前という存在があるから生きようと思えるのだと答え、蒼い目を見上げるように顔を振り向ける。
「奇跡の人はお前だリオン」
入院している時に見せた泣き顔や床に這いつくばって食事をしていた姿などを見ても嫌な顔をせずに受け止めてくれ、そして進む道を示してくれた、お前は本当に奇跡のような存在だと穏やかな声で告げたウーヴェは、リオンの腕の中で向きを変えると、しっかりと両手でリオンの頭を抱き寄せる。
「だから・・・」
退院してからどうしても恐怖が先立ってしまって出来ていないことを帰ってからしようと囁きかけると、驚きに息を飲む気配を感じるが、背中の傷が少し痛む強さで抱きしめられる。
「・・・・・・ダンケ、オーヴェ」
「ああ」
いつかも似たようなことを感じていたが、あの時もお前に助けられたと小さく笑い、同じ笑いを返されたことから何を思い浮かべているのかに気付いて肩に頬を押し当てる。
「そろそろ帰るか?」
「・・・ああ」
今すぐ帰ってと言うわけではないが、クリニックで今できることはもうないから帰ろうとウーヴェが誘うとリオンも頷くが、三度ウーヴェを抱き上げたかと思うと、結婚式の話と新婚旅行の行き先も決めようと笑い、ウーヴェも釣られて笑みを浮かべ、今日の夜はお気に入りのイタリアンレストランからピッツァやパスタをテイクアウトしようとリオンが笑ったため更に笑みを深めるのだった。
お気に入りのイタリアンでパスタやピッツァを持ち帰り、デザートのジェラートも持ち帰った二人は、リオンが望んだためにベッドルームから出られるベランダでそれらを食べ、デザートも食べ終えて夜風に当たっていた。
「オーヴェ、風呂どーする?」
退院してからはまだバスタブに湯を張っておらず、改装されたシャワーブースを使ったのみだったが、今日はバスタブに湯を張ってみないかと誘われて少しだけ考え込むが、頷いてバスタブに入る練習もしないといけないと笑うとリオンの指がウーヴェの頬を撫でる。
「そーだな」
「・・・一緒に、入るか?」
「もちろん!」
久しぶりのオーヴェとお風呂だと笑うリオンだったが、その顔がウーヴェに不気味さを与えたようで、胡乱なものを見る目で見られてしまう。
「お願い、一緒に入らせて、オーヴェ」
「・・・仕方が無いな」
懇願するリオンに尊大に返事をしたウーヴェだったが、どちらもその芝居に吹き出してしまい、今からバスタブに湯を張ってくるとウーヴェが立ち上がる。
「・・・うん、頼む」
その間に俺はここを片付けておくと、リオンが何かを堪えるように頷き、ウーヴェの目が細められた後、短くなった金髪に口付けるように顔を寄せる。
「ダンケ、リーオ」
「うん」
バスタブに湯を張るぐらい、家の中でならば足を引き摺っていけば問題ないとウーヴェが今日のクリニックからの帰りに言ったのだが、大丈夫かも知れないが何か嫌だとリオンが反論していた。
だからといって総てをリオンに任せてしまうことなど出来る筈もなく、自分に出来ることは自分でするとその時も伝え、今も立ち上がる事で伝えたウーヴェは、リオンが己の手を掴んでじっと見つめてきた為、今度はその額にキスをする。
「お前がいるから大丈夫だ」
「・・・じゃあ風呂上がりの用意しておくな」
「・・・うん」
どこかの誰かさんは風呂上がりにも酒を飲みたいと言うからと笑うリオンに、今度はキスの代わりに指で軽く突くと悲鳴が上がる。
「いて」
「ふん」
すぐ側に立てかけてあるステッキをついてベランダからベッドルームに入るウーヴェの姿を見送ったリオンは、己の言動が過保護になっている事も理解していたが、どうしても事件のことが頭から離れずについつい大げさに庇ってしまう。
ウーヴェの家族が過保護になる気持ちが理解出来ると苦笑し、立ち上がって伸びをした後、テーブルに残された食器などを無造作に一纏めにしてトレイに載せると、久しぶりの風呂だと鼻歌を歌いながらキッチンに向かうのだった。
以前ならばリオンが大の字になっても平気な大きさを誇るジャグジー付きのバスタブが存在感を放っていたが、ウーヴェが入院中に二人で相談し、今はあの大きなものよりもある程度の大きさがあれば問題ないとのことから、バスタブを撤去して今の大きさ-廊下側のバスタブの一回り大きなもの-に取り替え、空いたスペースは逆に今のままでは手狭になるからと、シャワーブースを大人二人が余裕で入れる広さに拡張したのだ。
大きく見た目が変わったバスルームに溜息を吐いたウーヴェは、シャワーブース内とバスタブの側に置かれた椅子にも目をやり、己の足がこうなって初めて身体に障害を抱えている人の不便さを実感してしまう。
バスルーム内を大きくリフォームして変わったのは、ウーヴェ専用の椅子が追加されたことと、ブースやバスタブのすぐ傍に掴まり立ちしやすくするための手摺りが何本か設置された事だった。
それが無いとウーヴェが不便するとリオンが考えて設置してくれたのだが、そのことからも際限なく己を甘やかせるのではなく、自分で出来る事は自分でするとの宣言通りにしてくれるつもりだと気付くが、こうした設備を新たに作らなければならない事など、三ヶ月前には想像すら出来ないことだった。
今回の事件に巻き込まれていなければ、足を悪くした人達の日常での不便さに一生気付くことはなかったと思う反面、そのことでリオンに負担を掛けてしまうと言う思いが唐突に芽生え、胸の奥深くが疼いてしまう。
人を不幸にしたお前が自分だけ幸せになれると思うのか。
その言葉はウーヴェの動きを意図も容易く縛り付ける呪文のようで、ドアが開いてリオンが入ってくる音すら気付かずに呆然と椅子に座っていたウーヴェは、背後から緩く抱きしめられて身体が竦んでしまう。
「・・・っ!!」
「俺だ、オーヴェ」
ここにいるのは俺とお前だけだと囁かれて無意識に溜息を吐くと、微かに震える手で己の首の下で交差する腕を撫でる。
「・・・リーオ」
「どうした?」
「椅子や手摺りを置いてくれてありがとう。これがあれば不便をあまり感じずにすむ」
「そっか」
ありがとうの言葉だけを伝えようと、先ほど感じた痛みを伝えないようにしようと笑みを浮かべるウーヴェに何も気付いていない顔で頷いたリオンは、頭のてっぺんにキスをすると、ウーヴェの服を脱がそうとする。
「自分で脱げるっ」
「えー、脱がせる楽しみを奪うなよー」
それぐらい自分で出来ると言い張るウーヴェにリオンが不満に口を尖らせ、友人一同からすればいい加減にしろと怒鳴りたくなるような言い合いを繰り広げたが、結局ウーヴェが勝利を収めてシャツのボタンを手早く外して脱いでいく。
白い日に焼けていない背中に縦横無尽に走る大小様々な傷跡と、右腰の手術することの出来なかった傷跡がバスルームの照明に照らされて影を作る背中にリオンがぐっと拳を握るが、ウーヴェがどうしたと見上げた事に気付いて首を左右に振る。
「なー、オーヴェ、俺、やりたいこと出来たんだけどさ、やって良いか?」
「な、なんだ?」
その問い方と声に不気味なものを感じたのか、ウーヴェが胡乱な目で再度リオンを見つめると、にやりと笑ったリオンがウーヴェの肩にキスをし、そのまま背中の傷に口を寄せる。
「・・・っ!!」
背中に不意に落とされたキスに身体が跳ね、何をするんだとウーヴェが身を捩ろうとするが、その肩をぐっと掴まれて身動きが取れなくなる。
「お前の背中の傷全部にこれから毎日キスする」
「リオン・・・?」
「んー?」
何故そんなことをと、ウーヴェが躊躇いつつ問えば、お前の勲章にキスをするのは当たり前だと返されて口を閉ざしてしまう。
「お前が生きようとしてくれてる勲章だぜ。それに敬意を示すのは当然だろ?」
背中の傷もそれ以外の傷もそうだと笑うリオンにウーヴェが何も言えずに唇を噛み締めるが、背中の傷にキスを終えたらしいリオンが前に回り込んで見上げるように膝をついたかと思うと、そのまま身を屈めてウーヴェの左足にキスをしたため、さすがにそれには飛び上がりそうになる。
「リオンっ!」
「怒鳴ってもダメー。もう決めたからな」
お前の傷の全てにキスをする、それは俺が決めたことだから例えお前であっても止めさせることは出来ないと笑い、伸び上がってウーヴェを抱きしめたリオンは、だから全部の傷を見せて撫でさせてくれと囁き、震えるウーヴェの頬にキスをする。
「ほら、バスタブに入ろうぜ」
「・・・うん」
早く入ろう今すぐ入ろうと、子どもを風呂に入れさせる親のように歌って急がせたリオンに苦笑し身につけていたものを全て脱いだウーヴェは、手摺りを掴んでバスタブに入ると、何ヶ月ぶりかに感じるそれに溜息を吐く。
ジャグジーはなくなってしまったが、気分転換に入浴剤を使えば泡風呂になるとリオンが笑いながらウーヴェと向かい合うように入るが、ウーヴェの左足をバスタブの縁に引っかけさせると、何度かの手術の傷跡が痛々しい左足の甲に再度キスをする。
「オーヴェ、痛みはどうだ?」
「・・・触っても何も感じない」
「そっか。じゃあ撫でても平気だよな?」
ウーヴェの返事よりも先にリオンが先ほどキスをした足の甲をそっと手で撫で、踝の上に残る横一直線の傷跡も撫でると、そのまま手をふくらはぎから太ももに這わせ、湯の中で腰や背中を撫でていくが、最終的に辿り着いた頬を撫でると同時に自ら近寄り、驚くウーヴェに悪戯を成功させた子どもの顔で笑う。
「くすぐったい、リーオ」
「へへ。後撫でてない傷はここじゃあ無理だからなー」
その傷についてはベッドの中で撫でるとしましょうと、声音を一瞬で変えたリオンにウーヴェも顔を赤くするが、脳裏に楽しげに笑う男の声が蘇って今度は青くしてしまう。
『お前が誰にでも喜んで尻を振る姿を見せて褒めて貰え』
ビデオ通話をする直前にルクレツィオから淫靡な笑み混じりに囁かれた言葉が脳裏に蘇り自然と身体に震えが走ってしまい、この後のリオンも己も望んだ行為の意味が書き換えられてしまいそうになる。
愛している人とのセックスと監禁されているときのものが同じはずがないと否定するが、さらにそれを否定する声が響きそうで、咄嗟に伸ばした腕でリオンの背中を抱きしめる。
「・・・ち、がう・・・っ」
不意にきつく抱きしめられて驚いたリオンだったが、ウーヴェが小さな震える声で否定をし、あいつらと一緒じゃないとも呟いたため、ウーヴェの頭の中に広がる光景を読み取ってしまい、身体の震えの理由も察してしまうと、気付かれないように天井を見上げて溜息を一つ吐くが、否定の言葉が何度も繰り返されたため、一縷の望みを掛けてウーヴェの顔を覗き込む。
「オーヴェ」
「・・・っリ、オン・・・っリー・・・っ」
「うん。違うよな、オーヴェ」
俺たちがこれからしようとすることは、あいつらがお前にした事とは全く違う意味を持つ、互いの思いを確かめ合って深めるためのものであり、一方的に押しつけるものじゃないよなと囁くと、声ではなく白い髪が何度も上下することで教えられる。
「ち、が・・・っ」
「だよなー」
だってあの時はキスしてなかったもんなぁと笑うリオンにウーヴェが目を見張るが、そっとキスをされて自然と目を閉じ、繰り返されるそれに身体の震えが治まってくる。
何度か数えられない程繰り返されるキスによって脳内で再生されている声が薄らいでいき、代わりに真夏の青空を連想させる笑みを浮かべて手を差し伸べるリオンが名を呼ぶ声が聞こえ、薄く目を開けるとそこに脳内から飛び出てきたかのような笑みを浮かべたリオンがいて、さっきとは違った思いからきつく背中を抱きしめる。
あの時に何度か聞かされた、光を求めるものがお前だけだと思うなとの言葉が遠くに聞こえるが、脳内と目の前の光と笑顔によって幻のように消えていく。
「─────リオン・・・俺の、俺だけの太陽・・・」
光を求める人がいるかも知れない、でも俺の太陽は、俺にとっての光はお前だけだと囁くウーヴェに何度も頷いたリオンだったが、ちゃんと分かっていること、あいつらが何を言ったのかは分からないが、それを乗り越えるために教えてくれと囁き、ウーヴェの肩に顎を乗せて安堵の吐息を零すと、背中にしがみつくように回されていた手が背中を撫でたため、傷跡が残る背中を同じように撫で、ここで立ち止まるのではなく先に進もうと小さく囁くリオンにウーヴェも掠れた声でうんと答えるのだった。
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2017.07.22
リアの弟初登場!(笑)クリニック再開までもうちょっと。


