Glück des Lebens-Heavenly Blue 13-

 アリーセ・エリザベスの狼狽する声が脳裏でリフレインしているリオンだったが、ヒンケルを乗せていることもしっかりと理解していて、安全運転とぎりぎり呼べる乱暴な運転ぶりで病院へと駆けつける。
 ヒンケルを残して車から飛び降り、レオポルドらがいる待合室へと駆け込むが誰もいないことに気付いて廊下に飛び出すが、手術が終わったウーヴェがどの病室に運ばれたのかが分からず、苛立たしげに舌打ちをしてどこだと呟いた時、遠くで名を呼ばれていることに気付く。
 「リオン!!」
 「アニキ!オーヴェの病室はどこだ!?」
 駆け寄ってくるカスパルの前に逆に駆け寄ったリオンは、オーヴェの部屋はと問いかけるが、それどころじゃ無いと叫ばれた瞬間、興奮が一気に冷めて何があったと静かに問いかける。
 「麻酔から目を覚ましたんだが、看護師が目を離した隙に病室から出て行って行方不明だ」
 「は?どういうことだ?」
 「麻酔が切れた直後に部屋を飛び出すなんて普通は考えられない」
 医師の立場から考えられないことだと呟き、とにかくウーヴェの部屋はこちらだと案内してくれるが、ヒンケルが駆けつけた為に一緒にカスパルの後についていく。
 ウーヴェの病室は少し広めの個室で、病室前に駆けつけたリオンを出迎えたのは、ただ呆然とするレオポルドやギュンター・ノルベルトらで、イングリッドとアリーセ・エリザベスは室内の簡易ソファに力なく座っているだけだった。
 「親父!」
 「お、おお、リオン!」
 リオンが駆け寄っても気付かなかったが、強めの声で呼びかけるとようやく分かったのか、途端に安堵の色が浮かび、ウーヴェが、あの子がいなくなったと呟くと、イングリッドの横に力なく座り込んでしまう。
 「いなくなったってどういうことだ?」
 リオンでは無くヒンケルの言葉にのろのろとギュンター・ノルベルトが顔を向けるが、フェリクスがいなくなったと呟いてどういうことだと自問するが、その時、リオンが何かに気付いたのかいきなりしゃがみ込んで床に顔を近付ける。
 「ボス、これって血痕ですよね」
 「ん?ああ、そうだな」
 「血痕!?」 
 リオンが気付いたのは、病室の前からぽつぽつと廊下に残る小さな赤い染みで、血の跡が残っているのならばと立ち上がったリオンが見失わないようにその跡を追いかける。
 そのリオンを追うようにヒンケルやギュンター・ノルベルトらがついていくが、血痕が導いてくれたのは、屋上へと続くエレベーターの扉だった。
 「アニキ、屋上って誰でも出られるのか?」
 「あ、ああ、急患を運んでくるヘリを受け入れる為にヘリポートがある」
 一緒についてきたカスパルにリオンが問いかけるが、答えを聞くよりも先にエレベーター横にあるドアを開けて階段を見ると、屋上へと向かう階段にぽつぽつと血の跡が残っていた。
 「オーヴェ・・・・・・!」
 手術から目が覚めた直後に屋上に向かう、そのことからリオンの脳裏には最悪のことが思い浮かび、階段を二段飛ばしに駆け上がると、目の前のドアを蹴破る勢いで開けてすっかり暗くなった空に向けてウーヴェの名を叫ぶ。
 「オーヴェ!」
 冬の夕方は日が沈むのが早く既に辺りは暗くなっていて、等間隔にヘリポート専用の照明が点る先、屋上の端ぎりぎりに立ち尽くす人影を発見する。
 「オーヴェ!」
 振り向いてくれと願いつつ喉が涸れる勢いで名を呼んだリオンは、人影が振り返り、それが手術着のままで腕から点滴のチューブを垂らしているウーヴェだと気付くと、転落しないように願いつつ深呼吸をし、どうした、今まで閉じ込められていたから散歩をしたくなったのかといつもと変わらない口調で呼びかける。
 「・・・リーオ・・・っ・・!」
 「うん。散歩するならさ、俺がいる時かもっと他の場所にしようぜ」
 何もよりによって一人きりの時に屋上に散歩になど行かなくても良いだろうと笑うと、ウーヴェの顔が苦痛に歪み、右足一本で全身をを支えていることが辛いのか、ぐらりと身体が揺れたため、大股に一歩を踏み出したリオンが腕を掴んで身体を引き寄せ顔を覗き込む。
 「オーヴェ?」
 「・・・はな、せ・・・」
 「理由を言えよ」
 俺が納得出来る理由なら離してやると低く告げてさぁと促すと、背後からアリーセ・エリザベスらの声が聞こえてくるが、その声にウーヴェの身体がびくりと揺れる。
 背後に手をつきだしてこちらに来るなと暗に伝えたリオンは、なぁ、教えてくれダーリンとウーヴェの耳に囁きかけると、感情に震え、あんなことをされてあれを見られた、リザードも壊された、生きていくのが辛いとリオンの腕の中で密着することを拒否するように身体を強張らせるウーヴェが悲しかったが、レイプした男の一人がHIVのキャリアであれだけの回数中に出されたから絶対に感染しているとも告げて暗く嗤うと、リオンがふぅんと呟く。
 「そっか」
 「・・・・・・いや、だ・・・あんな目に・・・もう、いやだ・・・っ」
 支えているウーヴェの身体は満身創痍という言葉が相応しいほどで、点滴のチューブが垂れ下がっている腕からは一滴ずつ血が流れ落ち、砕かれて手術を終えたばかりの左足に巻いた包帯には淡い赤色の染みが徐々に広がり始めていて、まだ麻酔が効いているかも知れないがそれでも骨を砕かれた激痛はあるはずで、その痛みを感じないほどの絶望が今ウーヴェを取り込んでいる事にリオンが気付く。
 リオン自身麻酔の経験は無いが、麻酔が切れた直後に術後間もない身体で、しかもエレベーターを使わずに階段を上ってここまでやってくる、それだけのことをさせる絶望とはどれほど深いものかと瞬間的に考えるが、蒼白な顔で焦点もロクに合っていない目で己へと顔を向けるウーヴェを見ればその一端だけでも理解出来てしまう。
 過去の事件もだが、その時から今までどれだけ辛くても何があってもウーヴェは自ら死を選ぶことはなかった。
 何故生きているのか、そもそも何故生まれてきたのかという根源への疑問を抱きつつもそれでも生きてきたウーヴェが、初めて意思表示をした死への思い。
 死ぬことで楽になれる、そう思ってしまうほどの事をされ、これから先真新しいものから時が経った過去になったとしても苦しめられるのなら、いっそのことここで死んでしまいたいと思っても責めることは出来なかった。
 そんなウーヴェの思いに気付いたリオンが一度空を見上げて溜息をつくが、顔を戻した時には分かったと頷いた為、ウーヴェが間近にあるリオンを見ようと顔を上げて驚きに目を瞠ってしまう。
 目の前で己の腰にしっかりと腕を回しながら、リオンが鼻歌すら歌いそうな表情で携帯でメールを作成していたのだ。
 何をしているんだとウーヴェが小さく問うと、あと少しだけ待って、ダーリンとの言葉とキスが頬に届けられ、意味が分からないとウーヴェが蒼白な顔ながらも眉を寄せるが、二人と距離を取った場所で見守っているレオポルドらの顔にも何をしているんだという疑問と苛立ちが浮かんでいたが、ヒンケルの足下にリオンが背後を振り返ることなく投げた携帯が転がってくる。
 「お待たせ」
 「・・・リオン?」
 「んー?どーした、オーヴェ?」
 その声は、事件の前まで当たり前に聞いていた悪戯っ気が籠もった声で、何をしたんだとウーヴェが恐る恐る問いかけると、ウーヴェの頬を両手で挟んだリオンが破顔一笑。
 「うん。俺も一緒に死ぬからさ、皆にバイバイのメールを送った」
 「な・・・・!?」
 そのリオンの一言は、まるで今からウーヴェと一緒にスーパーに買い物に行くとでも言うような気軽なものだった為、皆が一瞬何を言われたのかに気付かなかったが、ヒンケルが己の携帯にリオンからメールが届いたことに気付いてチェックをすると、今まで楽しかった、オーヴェと一緒に逝くことにした、チャオとだけ書かれていたため、蒼白な顔で怒鳴る。
 「な、何を言ってるんだ、リオン!」
 だが、そのメールを受け取ったヒンケルよりも驚いたのはウーヴェで、何でそんなに驚くんだよーと不満そうに頬を膨らませたリオンは、だってオーヴェ、死ぬんだろうと問いかけ、額に額を重ね合わせる。
 「だったらさ、俺も一緒に死ぬ。────お前がいない世界で生きていても意味がねぇ」
 「・・・・・・っ!!」
 ああ、安心しろ。今のお前は弱っているからここから飛び降りたら確実に死ねる。俺は俺を殺す方法を知っているから心配するなと笑い、ウーヴェを両腕で抱きしめたリオンは、最後まで一緒にいるから手を繋いで欲しいなとも笑うと、ウーヴェの顔が別の意味で蒼白になり、お前まで死ぬ必要は無いと震える声で制止してくる。
 それが不満だったのか、リオンがじゃあお前も死ぬなよと返すが、あんな事をされて足を砕かれ、この先車いす生活になる俺などお前の足手纏いにしかならない、だからとウーヴェが身体全体を震わせながら伝えると、リオンが抱きしめる腕に力を込める。
 「なぁんでお前が決めるんだよ、オーヴェ」
 「・・・リオン・・・?」
 「お前の足が不自由になったからって足手纏いになるって、何でお前が決めるんだ?」
 お前が足手纏いか重荷かなどを決めるのは俺であってお前じゃないと、滅多に聞かないリオンの冷たい声にウーヴェが唇を噛み締めるが、でも、と言い募った時、リオンの腕が微かに震えている事に気付く。
 「な、オーヴェ、ジルにされた事は確かに辛いし苦しい事だ。でもお前が諦めなきゃ、いつか必ず乗り越えられる」
 「で、も・・・」
 「お前があの事件みたいに今回の事も乗り越えてくれるって俺は思ってる。でもさ、それが辛い苦しいってのも分かる」
 だからオーヴェ、選んでくれと告げて少し距離を取ったリオンは、久しぶりに間近で見たターコイズ色の双眸が驚きに見開かれている事に目を細め、そっと額に口付ける。
 「俺と一緒に今ここで死ぬか、これから先もずっと一緒に生きていくか」
 「────!!」
 「お前に命の選択をまたさせることになるけどさ、選んでくれ、オーヴェ」
 このまま俺と一緒に死んで辛く苦しい生を終えるか、それとも手を繋いで時には喧嘩もしつつそれでも二人今までのように一緒に生きていくかどちらかを選べとリオンに迫られて絶句してしまったウーヴェだったが、お前を死なせたくないと呟くのが精一杯で、うん、俺もお前を死なせたくないと返されて唇を噛み締める。
 ケージの中でペットのように扱われ、男達から性欲処理のためだけに存在しているようにも扱われた事はどうあっても決して忘れることが出来ないだろうし、その行為から必ず思い出して苦しくなる事が分かっている為、いっそのこと死んでしまいたいと思っていたのだが、まさかリオンが一緒に死ぬと言い出すなどとは思わなかった。
 だから、お前は死ななくて良いと繰り返すが、それなら俺と一緒に生きようと返されてしまう。
 「オーヴェ、俺を一人にしないって言ってくれただろ?」
 死ぬのならこのままここから飛び降りるだけだから簡単だと笑うリオンの背中をぎゅっと握りしめたウーヴェは、それが己の無意識の行動だと気付かず、もうお前と一緒に生きていく資格がないと自嘲すると、そんな資格誰からもらうんだよ、失格を言い渡す奴がいれば俺がフルボッコにしてやるとリオンが憤慨の声を上げたため、ウーヴェの双眸にほんの少しだけ色が戻り、心の中にも小さな小さな変化の種が芽吹く。
 「・・・リーオ・・・・っ・・・」
 「うん」
 「俺、は・・・生きて、いても・・・良いの、か・・・?」
 心の中に芽生えた小さな変化。それを潰してしまわないように気をつけつつ、己の心の変化に気付いていないウーヴェの言葉に目を細めたリオンは、ウーヴェの髪に愛おしそうに口付けながらうんと答える。
 「生きていいし生きて欲しい。もしお前が死にたいってマジで思うなら、俺が殺してやる」
 「・・・・・・」
 「だからその時が来るまでは俺と一緒に生きようぜ。お前がいない世界なんて意味がねぇ」
 例えお前の足が二度と動かなくなって車いすの生活になったとしても、それでも今までのように傍にいて笑って欲しい、時にはケンカをしてもすぐに仲直りして一緒に夜を越え朝を迎えようと笑うと、ウーヴェの手が痙攣したように震えた後、リオンのブルゾンの背中をきつく握りしめる。
 「リ、オン・・・っ!!」
 「うん。俺のオーヴェ。これからも俺と一緒に生きていこう」
 二人でいれば経験できる事を沢山経験し、一人一人で経験したことは分かち合って生きていこうと囁き、同じ強さでウーヴェの背中を抱きしめたリオンは、ウーヴェの心の中から死への誘惑が一時的にとはいえ消え去ったことに気付くと、ゆっくりゆっくりと後退る。
 バランスを崩しても落下しない場所にまで下がったリオンは、しがみついてくるウーヴェの髪にキスをし、救出した時のように足を気遣いつつ抱き上げるが、ウーヴェの腕から血が流れ続けている事に気付き、カスパルに何とかしてくれと合図を送る。
 それが切っ掛けになったのか、固唾を飲んで見守っていた人たちの顔に安堵と涙が浮かび、二人の元に駆け寄ろうとするのをリオンが片手で制止し、汗とタバコの匂いが染みこんだブルゾンをウーヴェの頭から被せて膝の裏に腕を通して今度はウーヴェを横抱きにする。
 「オーヴェ、病室に戻って手当てをしてもらおうな」
 手術直後に歩いて階段を上るなどという暴挙をした為、カスパルが恐ろしい目で睨んでいると苦笑するが、リオンの胸に顔を押し当てたウーヴェがブルゾンで顔を隠し、友人の非難を遮ってしまう。
 腕に刺さったままの点滴のチューブをそっと抜き、針もちゃんと抜けたことを確かめたカスパルは、安堵の表情でリオンを見つめた後、肩に手を置いて顔を伏せる。
 「・・・・・・ありがとう、リオン」
 「アニキ、オーヴェの病室忘れたからもう一回案内して」
 そしてレントゲンで左足の確認をしてくれと告げると、腕の中でウーヴェがびくりと身体を竦ませる。
 「手術したばっかの身体でここまで歩いてくるからでしょー」
 諦めてレントゲンを撮ってもらい、不都合があったらもう一度手術を受けてこいとウーヴェの頭に囁きかけたリオンは、己が後ろに放り投げた携帯を片手に呆然としているヒンケルに微苦笑し、このままオーヴェの病室に行きます、ボスも来て下さいと告げて再び返事を聞く前に、さっきは駆け上がった階段をウーヴェを抱き上げたままゆっくりゆっくり下っていくのだった。

 

 麻酔が切れた直後に病室を抜け出すという暴挙を行ったウーヴェを病室に連れて行ったリオンは、背中をもたれさせて上体を起こせるように角度が付けられたベッドにそっと寝かせて額にキスをした後、良い子だから大人しくしてくれと囁くが、その言葉を聞いたウーヴェの顔色が更に悪くなったことに気付いて額と額を重ねて悪戯っぽく目を細める。
 「陛下、お願いですから大人しく治療を受けて下さいっ。その間にボスと話をしてきます!」
 「・・・・・・」
 「ダメ、オーヴェ?」
 視線をさ迷わせて沈黙するウーヴェの目を捉えて悪戯っぽく問いかけると、長く感じる時間の後、先に話をしてきてくれと小さな掠れる声が了解を与えてくれる。
 「ダンケ、オーヴェ」
 その許しを得てお礼にウーヴェの頬にキスを残し、代わりにレントゲンの準備や途中で引きちぎられた点滴を新しいものに変える看護師の邪魔をしないように気をつけつつ部屋を出たリオンは、少しヒンケルと話をしてくるので後は頼むとカスパルやレオポルドに伝え、頷くヒンケルと一緒に待合室へと向かう。
 角を曲がって待合室に入った途端、背の低いヒンケルがリオンの胸ぐらを掴んで怒気も露わに声を荒げるが、待って下さいボスとリオンが苦笑する。
 「何が待って下さい、だ!あのメールは何のつもりだ!!」
 ドクと一緒に逝くことに決めたなどと、お前は周囲の心配を何だと思っていると、親以上にリオンを気遣ってくれている事を示す様に怒鳴るヒンケルにただ眉尻を下げたリオンは、周囲の事を考えていないわけではない、だが、あの時ウーヴェに告げた様に、ウーヴェのいない世界など滅んでも良いし無くなっても良いと思えたのだと、頭に手を当てて情けないながらも真摯な声で告げると、ヒンケルがリオンの本音を読み取って盛大な溜息を吐く。
 「さっきジルを見送ったばかりだ。お前やドクをまた見送るのかと思うと・・・・・・!」
 湿った声で怒鳴りつつ背を向けるヒンケルに限界まで目を瞠ったリオンは、本当に心配を掛けて悪いと頭を下げるが、それと同じぐらいウーヴェの事が心配なのだと告げ、どうか分かってくれとも伝えるとヒンケルが振り返ってもう一度溜息をつく。
 「・・・興奮した」
 「ありがとうございます、ボス。俺の事をそこまで考えてくれる人がマザー達以外にもいるっての、嬉しいです」
 最敬礼をするように頭を下げたリオンは、ヒンケルがこの後のことだと気分を切り替えるように告げると、上体を戻して二人ベンチに向かい合って腰を下ろす。
 「事件の事情聴取が出来るのはオーヴェだけですね」
 「ああ。ジルもルクレツィオも部下の二人も死んだ。ドクをナンパしていたと言う男もあの様子じゃ何も話せないだろう」
 先程、別の薬物治療の専門病院に運ばれた男の様子がダニエラから報告されたが、芳しくないことどころか、急激な過剰投与の結果、脳味噌だけではなく心臓や肝臓にも随分と負担が掛かっているようで、注意が必要だと担当医が話していたことも教えられて溜息が出てしまう。
 「・・・マスコミは、オーヴェの兄貴が抑えると言ってました」
 「ああ、どうやらそのようだな。おかげで警察発表だけで済んでいるのは嬉しいことだ」
 余計な詮索をされない事で捜査に集中できたことは本当に感謝すると微苦笑し、今後この事件について大々的にマスコミが取り上げることはないとヒンケルが頷き、リオンも一安心だと苦笑する。
 心身を殺しかねない暴行を短期間とはいえ繰り返し受けていたウーヴェの傷は治療にかなりの日数を要するだろうし、きっと総てを乗り越えて大丈夫と笑える日など来ることは無いと腹を括っているが、そんな時にマスコミという外部のある種圧力が掛かれば、ウーヴェはいとも容易く己の中に閉じこもって出てくる事は無いだろう。
 それだけは何があっても避けたいリオンにとって、マスコミの影響をある程度排除できることは本当に嬉しいことだった。
 「報告はどうしますか」
 「・・・そうだな、コニーに任せておけば大丈夫だろう」
 「あ、そうだった」
 「何だ」
 ウーヴェを地下室から救出した際に同行してくれたコニーだが、ウーヴェをペット扱いしていた事を示す犬の尻尾を切ってくれたが、その時心の底からウーヴェの身を案じて怒ってくれていた、それに対してはっきりと礼を言っていないと思い出すと、後から言えば良いだろうと呆れた様に返される。
 「それもそうですねー」
 暢気に笑って頭に手を宛がったリオンだったが、表情を切り替えると同時にその頭を下げてヒンケルを驚かせる。
 「リオン?」
 「ボス、すみません。俺の休職ですが、まだもう少しそのままにしていてもらって良いですか?」
 ウーヴェの救出に呼び出してくれたのはありがたいが、あんな様子のウーヴェを一人に出来ない、いや、させたくないとヒンケルの前では本当に珍しく素直に本心を伝えたリオンにヒンケルが腕を組んで考え込むが、前にも言ったが毎朝どこにいるのかの報告をするのなら休職扱いを続けておく、ドクの容態が落ち着いたら出勤してこいと頷くと、リオンが無言で深く頭を下げる。
 「お前もだが、ドクにも早く仕事に復帰してもらわないとな」
 今日の事件はあと少しで完全な解決を迎えるか、BKAの手に渡って最早自分たちの手の届く事件ではなくなるが、新たな事件は日々起こり、犯人像のヒントを求めてドクに協力を仰がなければならないのだと笑うヒンケルにリオンも同じ顔で頷く。
 「そーですね。オーヴェには早く仕事に復帰してもらいたいので、リハビリ頑張ってもらいます」
 そうして、リハビリを終えて日常生活に戻れるようになれば、あのクリニックでまたいつものように診察をし、時間がある時にはお茶菓子で出迎えてもらいたいと心からの願望を口にする。
 「そうだな。・・・・・・よし、俺は一度署に戻る。ブライデマンも心配しているだろうしな」
 「あ、ブライデマンにもよろしく伝えて下さい」
 「ああ」
 お前がドクと一緒に心中しそうになった事も皆に伝えておいてやろうと笑われ、それは言わなくても良い、ボスのくそったれとリオンがそっぽを向く。
 「ドクや会長によろしく伝えておいてくれ」
 「Ja.・・・・・・本当に、今日はありがとうございました、ボス」
 リオンの何度目かの最敬礼に背中を向けたヒンケルだったが、肩の上に手がひらひらしているのが見え、無言でもう一度頭を下げたリオンは、待合室を出てウーヴェの病室に戻る。
 さすがに今度は病室を抜け出していないだろうと思いつつ、若干の不安を抱きながらドアを開けたリオンは、カスパルや看護師の視線-しかも何故か怒りが籠もっているように思えた-と、バルツァー一家の懇願するような視線に気付いて何事だと目を瞬かせる。
 「ど、どうしたんだ、アニキ?」
 恐ろしい目で睨んでくるカスパルに恐る恐る問いかけたリオンは、あれを見ろとベッドを顎で示されてその通りに顔を向け、思わず口をぽかんと開けてしまう。
 「・・・なに、してんだ、オーヴェ?」
 そこでリオンが目の当たりにしたのは、汗とタバコの匂いの染みついたブルゾンを抱え込み、点滴もレントゲンも拒否すると言いたげに身体を丸めたウーヴェの姿で、さすがに呆気に取られたリオンが何をしてるんだと、見れば分かる事を聞いてしまう。
 リオンの声に肩越しに顔を振り向けたウーヴェだったが、その表情を見た瞬間、呆気に取られた事も一気に吹き飛ばしたリオンがカスパルや看護師の邪魔にならないようにベッドの反対側に回り込んで端に腰を下ろし、ウーヴェの頭を抱き寄せる。
 「ごめんなー、オーヴェ。もう大丈夫だ。ここにいる」
 「・・・」
 リオンの言葉とキスにウーヴェの顔にようやく安堵の色が浮かび、リオンがカスパルに目配せをした結果、レントゲンの撮影が出来ると踏んで待機していた技師に指示を与え、看護師には点滴の準備をしてくれと同じく目で指示をする。
 「点滴をするから手を出してくれって」
 看護師が戸惑いつつリオンを見ると、何を求めているのかを察したリオンがウーヴェの耳元に口を寄せ、元気になるための点滴をしてもらおう、そして左足のレントゲンも一緒に撮ってもらおうとも告げて髪に口付けると、ウーヴェの手がブルゾンを手放してのろのろと伸ばされる。
 まるで子ども返りしたようなその態度に、いつか見た光景だとカスパルや看護師達以外が内心ひやりとするが、そんな中でもあの時と同じようにリオンは平然とした顔でそんなウーヴェも受け入れるように抱きしめていた。
 「さっきオーヴェが病室を抜け出すから、まーた点滴をしたりレントゲンを撮ったりしなきゃならねぇだろ?」
 「・・・・・・」
 「分かったらもう大人しくしてなさーい」
 リオンの明るさを装った中にも真剣な色が滲んでいる言葉にウーヴェが一応は反省している事を伝えるようにターコイズ色の双眸でリオンを見上げるが、俺じゃなくてカールに言えと苦笑されて恐る恐る友人の顔を見たウーヴェは、病室を抜け出して悪かったと反省の言葉を告げる。
 「・・・そのことについては後でたっぷりと説教をしてやる!今は大人しくしていろ!」
 いつも陽気で騒々しいカスパルの本気の怒声にウーヴェが申し訳なさそうな顔になるが、そんな顔をしてもダメだと腕を組まれてしまい、ごめんと素直に謝罪をする。
 「まったく!あれだけ歩けるのだから、車椅子は許可しないからな!」
 カスパルの言葉にウーヴェの眉がきつく寄せられるが、その眉間にキスをして大丈夫だと伝えたリオンは、車椅子はダメかアニキと問いかけ、歩けるのだからリハビリを頑張って杖で歩けと言い放たれて苦笑する。
 「だってさ、オーヴェ。じゃあリハビリを頑張って杖で生活出来るようにしようなー」
 病室を抜け出したウーヴェにカスパルが感情的に怒鳴っているように見えるが、実は車椅子での生活よりも杖を使って歩けるのならばその方が行動範囲も広いし出来る事も多くなる事をカスパルは熟知していて、友のその思いを感じ取っているウーヴェもそれについては特に不満を訴える事もなかった。
 最悪車椅子の生活だろうが、リハビリをしっかりとすれば杖を使って歩く事が出来る、己の足で歩けるのだと言外に告げるカスパルにリオンも気付いていて陽気にウーヴェを励ますように伝えると、杖という言葉の重みにウーヴェの目がきつく閉ざされる。
 「リハビリについてはまた後日説明をするが、左足の機能はもう回復しない」
 溜息をついて前髪を掻き上げたカスパルが意を決するように再度溜息をつくが、ウーヴェが目を開けたのを見計らって左足の現状を告げると、レントゲンの準備が出来たことを技師が伝え、カスパルが頷いて左足のレントゲンを撮らせるが、写真が出来上がり次第また持って来ると残してすぐに出ていく。
 「・・・・・・」
 「アキレス腱の断裂が思っていた以上に重傷だった。かなり強く切られていたから、傷は治っても元には戻らないだろう。左足は・・・」
 薬指を中心に粉砕骨折を起こしていて、何とかくっつけられそうな骨はくっつけておいたが、神経もずたずたになっていることから思うように動かす事は不可能だとウーヴェの目を真っ直ぐに見つめたカスパルは、切断は免れたが余剰幻肢がある可能性を重苦しい顔で伝える。
 「・・・う、ん」
 「余剰幻肢って何だ?」
 「幻の痛みの事だ。四肢を損壊した人たちが無くした部位の痛みを訴えることがある。ウーヴェは欠損ではないが神経を損傷しているからな」
 専門用語などリオンに分かるはずなく素直に問いかけると、カスパルが面倒くさがらずにちゃんと答えてくれたため、そうかとだけリオンが返し、ウーヴェのこめかみにキスをするように身を屈める。
 「神経が通らなくなったのに痛みだけ感じるなんてヒドイよな」
 もしそれがリハビリや何かで痛みを抑えられるのならそうして欲しいとリオンがウーヴェを思ってカスパルを見ると、緩和処置は出来るかも知れないが、ウーヴェに対して効果があるかどうかは分からない、それはリハビリのドクターとも相談しようと頷き、リオンも納得したように頷く。
 「背中の傷で一番深いものは縫合した。細かく縫ったからあまり目立たないと思うが、問題は腰の細かい傷だ」
 傷と傷の間隔が狭すぎるために縫合が出来ず、傷口を覆って治療をするパッドで様子を見るしかないと溜息をつき、かなりの本数の傷が走っていた事を伝えると、リオンがウーヴェの頭を抱えるように腕を回し、ウーヴェがその腕に顔を隠すように押しつける。
 「・・・あと、プラグも無理に抜かなくて正解だった」
 「そうなのか?」
 「ああ。下手をすれば人工肛門を増設しなければならなかった」
 左足の手術をする前に背中の手当てをしたのだが、その時に潤滑剤を使って取りだしたとそれを見せられたリオンは、視界に入らないように片手でウーヴェの頭を己の身体に密着するように押しつけ、カスパルの掌に載っているものをおぞましいものでも見るような目で睨み付ける。
 「・・・リオン・・・?」
 いきなり強く頭を押さえられて戸惑うウーヴェが疑問の声を上げるが、お前はもう見なくて良いと固い声で囁いたリオンがウーヴェの頭にキスをし、それを合図にカスパルが白衣のポケットにしまうが、そんなものが埋め込まれるだけではなく、その先に犬の尻尾を模したものが付いていたのかとリオンがやるせない溜息を吐く。
 「ああ。・・・・・・警部に後で証拠品として渡しておく」
 「分かった」
 尻の傷については何度もレイプされていたが奇跡的に酷い裂傷はないため、こちらも薬の塗布で治療できる事も教えられてリオンが胸を撫で下ろし、カスパルが何度目のかの溜息を吐いたかと思うと、ベッドに手をついてウーヴェをじろりと睨む。
 「レントゲンが出来たらまた持って来る。良いか、ウーヴェ、二度と許可なくベッドを抜け出すな!」
 「・・・・・・」
 カスパルの剣幕に怯えた顔でウーヴェが素直に頷くが、そのカスパルが今度はリオンへと顔を向けると、腰に手を宛がってお前もだぞとリオンをついでのように睨み付ける。
 「な、何だよ、アニキ?」
 「ウーヴェがベッドを出たいと言っても絶対に出させるな。良いな!」
 どうせお前のことだ、ウーヴェにリーオ、ベッドから出たいんだと言われたらナイショで出すつもりだろうが、絶対に認めないからなと指を突きつけられて首を竦めたリオンは、了解しました、絶対に出しませんと背筋を伸ばす。
 「良し。────ウーヴェ、後何回か左足の手術をしなければならない。分かるな?」
 「・・・カール」
 「何だ」
 「・・・ありがとう」
 カスパルがウーヴェの謝罪を受けて頷くと、今までの険しい顔を掻き消し、ウーヴェの身体に覆い被さるように腰を折る。
 「怪我はしたが、生きていてくれた」
 お前が誘拐されたと聞かされた時のあの思いは二度としたくないと素直な思いを口にするカスパルの背中を撫でたウーヴェは、心配を掛けて悪かった、みんなにも伝えておいて欲しいと伝言し、退院したら飲みに行こうとの約束をさせられて苦笑する。
 「入院はどれぐらいなんだ、アニキ」
 「そうだな。・・・三、四ヶ月はかかるな」
 「結構掛かるんだな」
 「ああ。手術よりもリハビリに時間が掛かる。退院してからも在宅でリハビリをする必要がある」
 とにかく最低でも三ヶ月は入院することと告げられて仕方が無いとリオンが溜息をつくが、後は頼むとカスパルが出ていったため、廊下でずっと待っていたレオポルドらが入って来る。
 「ウーヴェ!」
 レオポルドが駆け寄るも先にイングリッドが一足先にベッド傍に辿り着いたかと思うと、どんな顔をすれば良いのか分かっていない息子に手を伸ばして抱きしめ、涙が伝う頬をすり寄せる。
 「おぉ、神よ、ウーヴェをお返し下さり、感謝します・・・!」
 ウーヴェを抱きしめながら神に感謝の思いを伝えるイングリッドの肩をレオポルドが優しく撫で、本当に本当に今回はずっと心配していた、怪我はしてしまったが帰ってきてくれて良かったと、浮かぶ涙を隠さないで何度も頷く父を見上げたウーヴェは、こんなにも心配させてしまって申し訳ないという気持ちと同時に、事件で何をされたのかを知られてしまうと思うと全身が硬直してしまう。
 涙を流す母の背中を抱いて大丈夫とも言えず、父の涙に泣かないでくれとも言えなかったウーヴェだったが、先程からずっと手を握っていてくれたリオンが優しく促すように頭にキスをした事に気付き、困惑を伝えるように見上げると、事件中ずっと夢に出ていたロイヤルブルーの双眸が細められ、無理をしなくても良い、みんな分かってくれると頷かれて再度頭にキスをされる。
 「・・・・・・父さ、ん・・・母さん、心配、かけま、した」
 喉の痛み以外の理由で掠れる声でそれでも二人に心配を掛けたと目を伏せると、イングリッドが涙を拭った後ウーヴェの頬に手を宛がう。
 「いいえ、ウーヴェ。親が子どもの心配をするのは当たり前なのよ」
 「そうだぞ。親に出来ることは子どもを見守って心配することだけだ」
 イングリッドの言葉にレオポルドも頷き、先程リオンがキスした頭に大きな掌を乗せると、くしゃくしゃとかき乱して撫で付けキスをし、長い溜息を吐いた後に気分を切り替えるように天井を見上げる。
 その後ろではアリーセ・エリザベスが目を真っ赤にしてハンカチで口元を覆い隠しているが、ギュンター・ノルベルトは呆然としているように見えたため、リオンがウーヴェの頬にキスをしてみんなお前のことを心配している、だからここにいる人たちを安心させるためにも一緒に生きようと告げるとウーヴェの肩が揺れるが、かなり逡巡した後にうんと答えてくれる。
 「ほら、兄貴もすげー心配してる」
 その言葉に皆がギュンター・ノルベルトを見つめるが、その視線の中で蹌踉けつつベッド際に近寄った兄は、何をどう言えば良いのか分からない顔の弟の頭に手を載せた後、ベッド端に座り込んでウーヴェを震える腕で抱きしめる。
 「フェリクス・・・もう、死ぬなどと言わないでくれ」
 あの事件の時でさえも言わなかったその言葉、今すぐ忘れ去ってくれと弱々しい声で懇願するギュンター・ノルベルトに驚いたウーヴェだったが、己の言動がどれほど家族を心配させ不安にさせたのかに気付くと、ぎゅっと拳を握ってごめんと呟くことしか出来なかった。
 ただ、心配を掛けてごめんと謝るウーヴェの双眸はどこを見ているのかはっきりしないで茫洋としていて、リオンだけが冷静にそれを見抜いていた為、目尻を拭って安堵に顔を小さく綻ばせるギュンター・ノルベルトに少しだけ話がしたいとも伝えると、ウーヴェの身体がぴくりと揺れる。
 「兄貴、今日はもう遅いから無理だけど、明日にでも電話する」
 「ん?ああ、携帯でも父さんの家にでもどちらでも良い」
 「分かった」
 アリーセ・エリザベスの頬にキスをし、ひとまずは安堵の表情でレオポルドに寄り添うイングリッドの細い身体を抱きしめたリオンは、当分の間休職しているのでウーヴェの傍にいること、何かあればすぐに連絡をするので、今日はこのまま二人きりにして欲しいと頭を下げると、レオポルドが一つ頷いてリオンの頭を大きな掌で撫でる。
 「ウーヴェを頼む。・・・お前が一番辛いだろうが、堪えてくれ」
 「大丈夫だ、親父。オーヴェが戻ってきてくれた。それだけで良い」
 ベッドの上でこちらを見ているのかどうなのかも判然としないウーヴェを振り返ったリオンだが、それでも大丈夫と告げると、後は頼んだと頬にキスを残して抱きしめてくれるアリーセ・エリザベスとイングリッドに頷き、ギュンター・ノルベルトには黙って頷いて見送るのだった。

 

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2017.07.07
お前のいない世界など、意味が無い。


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