Glück des Lebens-Heavenly Blue 11-

 フィレンツェとローマの拠点に捜査が入った事を知らされてからここを離れる準備を終えていつでもルクレツィオやジルベルトの命令に従えるように待ち構えていたマリオは、この後、車でチェコに行くが、その間運転に集中してもらわないといけない、だから今のうちに仮眠を取っておけとルクレツィオに促されるが、緊張と不安で眠れないと訴えると、ルクレツィオがマリオの肩を抱いて一緒に寝てやるからベッドに行こうと誘いかける。
 それをリビングから見送ったジルベルトは、ルカにも同じ事を伝えるが、自分は大丈夫と生真面目に返したため、ならば地下室のあの男の様子とウーヴェの手をもう一度拘束しておけと命じ、首を傾げられて苦笑する。
 「連れて行くわけにはいかないからケージの天井から吊しておく」
 「分かりました」
 ジルベルトの残忍な笑みにルカも似たような笑みを浮かべて地下室に降りていくが、ああ、ついでにもう一度このテレビに繋がったカメラを用意しておいてくれともジルベルトが声を掛けると、了解という返事が小さく聞こえてくる。
 ルクレツィオが持って来たビールを飲み干して溜息をついた後にテレビのスイッチを付けると地下室の様子が映し出され、本当に仕事が早いと苦笑したジルベルトは、左足を抱えたまま魂の抜け殻のように横たわるウーヴェに肩を揺らして笑い、さっきの一撃が文字通り心身を打ち砕いたことに小さな声を上げて笑ってしまう。
 床に横たわっているウーヴェの手を無造作に掴んだルカが、手首を再度拘束する作業の間もウーヴェは自ら動くことはなく、ただされるがままになっていて、あぁ、本当に気持ちが良い、これほどまでにも気持ちが良いのかとソファの背もたれに腕を掛けて頭を仰け反らせるが、逆さまになった世界で、決して忘れることの出来ない蒼い双眸に睨まれている事に気付き、唇を噛み締める。
 ジルベルトは広言していたとおり、同性愛者に対する嫌悪感はかなりのものだったが、それは数時間前にルクレツィオに告げたとおり、幼い頃、自分たちの身の安全を図るためにルクレツィオがジジイと呼ぶ小児愛好者に身を差し出してくれた事への無力感や虚無感から目を背けるためのものだった。
 あの当時、ルクレツィオはどうということはないと笑いながら夜ごと相手をさせられ、夜明け前に戻って来ては死んだように眠っていたのだが、そんな友をジルベルトは言葉で労うことしか出来なかった。
 だから彼を守る為に腕っ節だけではなく頭脳でも負けないようにと必死に勉強し、学業でもトップクラスになるほどまで頑張ったのだ。
 そんなジルベルトに、長ずるにつれて己を組み敷く男の扱い方を覚えてきたルクレツィオが、俺はバカだから身体を使うしかない、頭を使うのはルーチェに任せると直視できないほどの笑みを浮かべていたのだ。
 己よりも華奢な身体で総てを受け止めるルクレツィオをただ抱きしめることしか出来なかったジルベルトは、時々こうしてくれるとありがたいと湿った声で懇願されてこれで良ければいつでもしてやると返すことしか出来ない己に忸怩たる思いを抱いていた。
 そんな友の思いに応えられていれば、今ここでこんな風に、記憶の扉の奥から愛すべき男に睨まれずに済んだのだろうか。
 己と共通する魂を持ちながら、世の総てを恨んだり憎んだりする事もせず、暗い感情とは一線を画すことが出来る強さと突き抜けた子どものような笑顔を持つ男の傍にいられたのだろうか。
 そんなはずがない、あいつは己の本心から目を背ける者を嘲笑していたはずだと、己が彼から嘲笑されているように肩を揺らしてしまうが、顔を戻したときには嘲笑の代わりに総てのものを諦めたような表情を浮かべていて、その顔のままゆらりと立ち上がる。
 無意識の動きで用意していたベレッタをヒップホルスターから取りだして弾を確認したジルベルトは、地下室のドアを開けて背中を向けるルカの後頭部に銃口を押し当てる。
 「!?」
 己の後頭部に宛がわれた鉄の感触にルカが驚き振り返る前に地下室に発砲音が響き、 脳漿を派手にぶちまけながら床に倒れるルカを無表情に見下ろしたジルベルトは、ケージ内で横たわっているウーヴェに銃口を向けるが、脳裏でロイヤルブルーの双眸が強く煌めいてジルベルトの手を止めてしまう。
 躊躇うように何度か銃口を上下させた彼だが、ウーヴェを射殺するのを何とか思い止まる代わりに、手首の拘束具に鎖を繋いでケージの天井に鎖を引っかけると、拳銃をホルスターに戻して鎖を両手で引っ張り、ウーヴェの身体を天井から吊す。
 「・・・う・・・ン・・・」
 魂が抜けても痛みはあるのか、ウーヴェの顔が苦悶に歪むのを無表情に見つめたジルベルトは、骨折と内出血で見るも無惨に腫れ上がった左足が床につくかつかないかの高さにウーヴェを吊し、鎖をケージのポールに巻き付けて固定する。
 「人の幸せを奪ったお前が幸せになるなど許されないと思ってたが・・・もう、どうでもいい。お前が文字通り力尽きるのが先か俺が先か。勝負だな」
 お前がもしも力尽きたとしても何ら痛痒を感じないが、あいつを悲しませる事だけが残念だと自嘲し、尻尾を振る力ももう無いようだなと笑ってケージの扉に鍵を掛けると、最早この部屋に興味は無いと言いたげな顔で、それでも己の手で殺害した有能な部下の死を悼むように一瞬だけ目を閉じて地下室を出て行くのだった。

 地下室からジルベルトが上がってきた時、同じタイミングでルクレツィオが階段を面白く無さそうな顔で下ってきていて、どうだったと問わずに見つめると、お前はどうだったと視線で問われる。
 長年の付き合いから理解出来た問いとその答えにどちらからともなく溜息を零すと、景気づけにビールでも飲もうとルクレツィオが笑い、ジルベルトも頷いてグラスを用意する。
 「どのビールでも良いのか?」
 「ああ、お前が今飲みたいもので良い」
 キッチンに向かうルクレツィオが振り返らずに声を掛けてジルベルトが答えつつソファで座り直し、テレビに映し出される地下室の様子をぼんやりと眺めるが、頬に冷たい感触を覚えて顔を振り向ければ、幼い頃からまったく変わっていない笑みを浮かべたルクレツィオがビールのボトルを差し出していた。
 その笑顔に別の男の笑顔が重なり、眉を寄せて何かを堪える顔でルクレツィオに手を伸ばしたジルベルトは、どうしたんだと驚きながら片手で抱きしめてくれる幼馴染みに、さっきも言ったがお前の思いに応えられなくて悪かったと呟き、驚きの声でルクレツィオが名を呼んだ瞬間、ヒップホルスターからベレッタを素早く抜くとルクレツィオの腹に銃口を宛がって一度だけ、ルカの時に比べれば震える指でトリガーを引く。
 二人の腹の間で籠もる銃声と直後に聞こえたビールのボトルが床に落ちる音、そして何故と言う声にジルベルトが泣きそうな顔でルクレツィオの脇の下に手を差し入れて身体を支えると、渾身の力で抱き寄せてソファに縺れながら倒れ込む。
 己の上で呆然と見下ろしてくるルクレツィオだが、恐る恐る腹に手を当ててぬるっとした感触に気付いて驚きに目を瞠る。
 「ルーチェ・・・どうして、だ・・・?」
 「・・・ローマもフィレンツェも壊滅した。ここもすぐに発見される」
 そうなった場合、逃げ切ることは出来ないだろうし、万が一逃げ切れたとしても、生活習慣も言語も何もかも違う他国での逃亡生活を送る事は不可能だと告げ、震える両手でルクレツィオの綺麗な頬を包むと、頭を持ち上げて驚きに薄く開く唇にそっとキスをする。
 「・・・ジル・・・」
 「もっと早くこうしていれば良かった」
 そうすればお前だけではなくあいつも喪うことはなかったのにと、後悔の述懐をしたジルベルトの顔を囲うように腕をついたルクレツィオは、こんな時に他の男の事を考えるなと笑い、今度はルクレツィオからジルベルトの口を塞ぐようにキスをする。
 「・・・マンマのジェラートも・・・お前に、奢ってもらうもの、も・・・食えなくなった・・・な」
 「ああ」
 「でも、最期に・・・お前とキス、できた。なあ、ルーチェ、教えてくれ。どうして、撃った・・・?」
 今ここで何故俺を撃ったと、恨んでいると言うよりは素朴な疑問に回答を与えてくれと言いたげな顔で見下ろされたジルベルトは、お前が誰かに殺される所など見たくなかったと、初めてルクレツィオに見せる泣きそうな顔と震える声で本心を伝えると、小さな小さな笑い声が響き、ルクレツィオが身体を支えることが限界だと伝える代わりにジルベルトの胸板に頬を載せるように寄りかかる。
 「なんだ・・・同じこと、を・・・考えていたんだな」
 「・・・ルーク・・・っ・・・!」
 その言葉の通り、ジルベルトがルクレツィオの背中を抱いたとき、腰に差した拳銃に手が当たり、お前が警察に殺されるところなど見たくないと、己が抱いた思いとまったく同じそれを持っていた事を教えられる。
 「ま、良いか・・・お前と一緒に、いれて楽しかったし・・・」
 お前と一緒でなければ出来ないことも沢山経験したし、お前がいればもっと楽しかったと思う事も沢山経験した、その締め括りがお前の手によってもたらされるのは幸福なことじゃないかと笑うルクレツィオだったが、少し咳き込んだ事でジルベルトのシャツに腹から溢れ出す血が染みこんでいく。
 ルクレツィオの命を己の服で吸い取り最期まで手を離さない事を耳に囁きかけると、失血のせいで青ざめてきた頬に口付け、見事なブロンドを胸に抱え込む様に腕を回す。
 「・・・ルーチェ・・・地獄って・・・暗いの、か・・・?」
 ルクレツィオが己の上で浅い呼吸を繰り返す度にシャツに染みこむ血の量が増えていき、シャツを通して素肌にまで滑りを感じるようになっていた。
 ルクレツィオという奇跡のような身体から流れ出す命の一滴一滴を受け止めながらしっかりと頭を抱きしめ、悪魔達が歓迎の宴を開いてくれるだろうから蝋燭が並んでいるんじゃないかと震える声で答えると、抱きしめられる満足と自信なさげな解答に不満を抱いているような溜息が胸元に落とされる。
 「面白そうだな、それ・・・」
 悪魔達の宴は楽しそうだ、お前と一緒ならもっと楽しそうだからなるべく早く地獄に来い、地獄の門の前で待っているとルクレツィオが笑い、ジルベルトも笑おうとするが上手く出来ずに掠れた吐息がルクレツィオのブロンドに掛かるだけだった。
 「地獄の門は・・・一切の希望を捨てなければならない。良いのか、ルーク?」
 「・・・希望、など・・・今ま、で・・・一度も、持ったことは・・・ない」
 孤児院でお前に出会い、二人揃って引き取られてからも、本当の意味での希望など持ったことはない、だから地獄に行っても希望など持たないから大丈夫だと、己自身を含めた世界の総てを嘲笑するような声にジルベルトがきつく目を閉じ、友の肩が大きく上下したことを知ると、血の気が失せて蝋人形のように白くなりつつあるルクレツィオの耳に口を寄せ、懐かしい二度と戻ることが出来ない孤児院で、毎日のようにマンマと二人が呼ぶシスターが唱えていた祈祷文を一足先に旅立つ友のために唱える。
 「────  adesso e nell'ora della nostra morte. Amen.
  その祈祷文はロスラーの傷口に埋められたメモに書かれていたもので、リオンが予想したようにそのメモを埋め込んだのはルクレツィオだったが、祈祷文をメモに書いたのはジルベルトだった。
 リオンの予想は半ば当たっていて、教会の孤児院出身のジルベルトは、リオンと同じで毎日のようにその祈りを耳にしていた為、例えどれほど拒否しようとも血となり肉となってジルベルトの体内を巡っていたのだ。
 ロスラーの時には忌々しい気持ちになったが、友を送るとなれば話は別だった。
 今まで人に言えること言えないことを数多と行ってきた自分たちだが、天国に行きたいなどとは思わないし、また行けるとも思えなかった。
 ただ、死といういずれは誰にも訪れる時に臨み、心が穏やかになるのならどれほど嫌悪していた聖母マリアへの祈りですら素直に真摯な思いで行えるのだ。
 ルクレツィオを思う気持ちから震える声を叱咤しつつ祈りきったジルベルトは、胸に掛かる重みが増した気がし、片手で頭を、片手で背中を抱きしめながら不意に込み上げてくる笑いを堪えるのに必死になる。
 「・・・ルー・・・地獄・・・も、俺の・・・」
 最後まで言えずに淡い吐息を一つジルベルトの胸に零したルクレツィオは、ジルベルトの感情を堪えて震える声が、もちろんだ、でも本当に太陽だったのは俺じゃなくてお前だという言葉を聞けずに息絶えてしまう。
 己の腕の中で息絶えた友の背中を撫で、これだけの血を流しているのだから軽くなっても良いはずなのに、何故こんなにも重くなるのだろうと、先程は堪えた笑いが再び込み上げてきたことに気付き、肩を揺らして一人笑い続けるのだった。

 

 冬の夜明けは遅く、夜半とまったく変わらない暗さの中、リオンが寒さを堪えるようにブルゾンを着込んでベッドルームにあるバスルームの鏡に映る己に向けて深呼吸をする。
 今からウーヴェを救出に行く、あわよくばジルベルトとルクレツィオの逮捕もすると宣言するが、無事だと良いなぁという底意地の悪い声が聞こえ、数日前ならば苛立ちを覚えたそれに今は太い笑みを浮かべて無事に決まっていると返す。
 ただ、自信を持ったその声にも多少の不安が混ざっていて、それを打ち消すためにウーヴェ愛用の香水-リオンがプレゼントしたもの-を着けようとするが、思い直してウーヴェがプレゼントしてくれた香水を少し多めに振りかける。
 「────よし!」
 己の頬を叩いて気合いを入れたリオンは、今から救出に行くからなと鏡の中の己を通してウーヴェに語りかけ、気合いを入れて出勤したリオンは、会議室で皆が待っている事を教えられて一度足を止めて深呼吸を繰り返す。
 ここ数日の出来事を振り返れば何週間も何ヶ月も経っているような気がするが、ロスラーが身元不明の遺体で発見されてから10日ほどしか経過していないのだと気付き、ウーヴェがいない日々がどれほど長く感じるものなのかと苦笑するが、その時、会議室のドアが開いてコニーとばったり出会してしまい、互いに微苦笑を浮かべるが、来たのなら早く顔を出せー、クランプスが怒り狂っているぞーと、いつかも言われた言葉を告げられてリオンの肩が上下する。
 「クランプスに怒られたくねぇから来ましたー!」
 「遅い!」
 会議室に入っての開口一番がそれだった為、ヒンケルもいつもとまったく変わらない口調で遅いと怒鳴るが、まだ出動していないのだから間に合ったでしょうがーとリオンが減らず口を叩き、コニー以外の同僚達が顔を見合わせて溜息を吐く。
 この雰囲気はいつものものと呼べるものだったが、ブライデマンの要請でBKAから駆けつけてくれた刑事達にとってはふざけているのかと眉を寄せたくなるようなものだった。
 部下は上司に似るんだなぁとリオンが暢気な声を上げ、似ているとされたヒンケルにじろりと睨まれるが、蚊に刺されたほどの痛みも感じていない顔でそっぽを向く。
 「・・・ドクが監禁されている家だが、地下は半地下、一階と二階になっている」
 一階にはリビングやキッチンがあり、二階にはベッドルームがあること、先程の報告では半地下の部屋には明かりが常についているが、リビングなどは定期的に消灯もされていると報告されて皆が頷く。
 「ドクがいるのは半地下の部屋だが、そちらはリオン、お前に任せる」
 「・・・・・・Ja」
 家にまず突入するのはコニーだが、現地についてから臨機応変で変わること、ただし、半地下に突入するのはリオンとブライデマンに任せる事をヒンケルが告げると、さすがに真剣な顔で二人が頷く。
 その後、他の刑事達への仕事の割り振りを済ませたヒンケルは、一人一人の顔を見回した後、最後に飄々とした顔で話を聞いていたリオンを見つめ、無言で頷く。
 「行くぞ」
 「Ja」
 ヒンケルの号令の元、刑事達が一斉に返事をし、己に与えられた仕事を全うするためにどうすれば良いのかを思案しつつ銘々乗り慣れた覆面パトカーに乗り込むが、リオンがどうするべきか思案した時、ヒンケルがいつものシルバーの覆面パトカーのキーをリオンに投げ渡す。
 「行くぞ」
 「りょーかい」
 同じパトカーにブライデマンも乗せ、出動する同僚達の車についていくが、リオンが考えていたよりも近くの町に進み、こんなにも近くにいたのかと感嘆の声を上げる。
 「ああ、そのようだな」
 「・・・まだ静かって事は寝てるんだろうな」
 こんな早朝にお騒がせすることを許してくれと、思ってもないことを呟いてステアリングをノックしたリオンは、隠そうとしても緊張を隠すことが出来ず、タバコを取りだして震える手でジッポーを振って火を付ける。
 「・・・あの角を曲がった先にある家だ」
 「Ja.・・・写真で映っていた車、ありますね」
 「そうだな」
 角を曲がって極力音を立てずに少し離れた空き地に車を止めたリオンは、目的の家の前の駐車場にバンが止まっていること、そのバンの向こうに半地下の鉄格子の填まった窓が見えていたが、そこにどこかで見た事のあるバッグが引っかかっている事に気付く。
 「あれ、もしかしてスーパーのエコバッグか?」
 「そうなのか?」
 半地下の様子を車の陰から見張っているが、明かりはついていても人の動きが無いと判断をし、次にリビングのブラインドが降りたままの掃き出し窓の様子を窺うが、ブラインドの細い隙間からは明かりとテレビの明かりがテーブルに反射している様子が辛うじて見えるぐらいだった。
 だが、家の中は無人のように静まりかえっていて、突入の体勢になった部下達にヒンケルが黙って頷くと、防弾チョッキをしっかりと着込んだコニーがドアノブをゆっくりと回し、鍵が掛かっている事を確認すると、植え込みをかき分けて家の裏手に回り、キッチンにある勝手口のドアノブを回して静かにドアが開いたのをヒンケルに報告し、コニーとBKAの刑事が足音を立てないでキッチンから家の中に入るが、その時、静かな声で呼びかけられて飛び上がりそうになる。
 「・・・・・・コニーか?」
 「・・・ジル」
 そんな裏口から入って来なくても玄関から来れば良かったのにと、肩を揺らして笑うジルベルトに隠れても無駄だと気付いたコニーがリビングに足を踏み入れるが、室内に血のにおいが満ちている事に気付いて顔を顰め、その発生源を探してやるせない溜息を吐く。
 壁に大きなテレビがあり、そこには地下室の様子が映し出されていて、一見して死亡していることが分かる男の死体と、一見するだけでは分からない様子の男と、ケージの中に鎖で吊されているウーヴェがいて、きつく目を閉じたコニーがジルベルトにドクを何故誘拐したと鋭く問うと、そんなことはどうでも良いと言いたげに憔悴しきった顔を振り向ける。
 「なあ、コニー、逃げも隠れもしねぇから、あいつと・・・リオンと話をさせてくれ」
 「ジル・・・」
 「なあ、良いだろう?」
 もしも不安ならば警部も呼んでくれて良いと笑うと、ソファから立ち上がって自ら玄関のドアの鍵を開け、固唾を飲んで様子を見守っているヒンケルに淡い笑みを見せる。
 「────こんなことになっちまって、残念です、警部」
 「ああ、本当にな」
 ヒンケルの後ろにリオンの顔を発見したジルベルトは、あぁ、やっと会えたと親友との久闊を叙す顔で笑うと、リオンの顔に驚きが浮かぶが、次いで太い男前な笑みを浮かべて一歩を踏み出す。
 「そうだな、やっと会えたなぁ、兄弟」
 お前に会う日をどれだけ心待ちにしていたかと笑うリオンを家に招き入れたジルベルトだったが、ルクレツィオをソファに寝かせている為にお前を座らせられない、悪いと謝罪をする。
 「気にすんなよ」
 「・・・ルークは、お前らに殺される前に俺が殺した」
 ソファの背もたれに尻を乗せて足下を見つつ呟くジルベルトに、ロスラーもお前かとヒンケルが問いかけると、拷問したあと、川に向かって歩いて行けと突き飛ばした事を告白されて皆が顔を顰める。
 「ああ、ドクの秘書を刺したのも俺だ」
 「・・・ビデオ通話に映っていた二人の男はどうした?」
 ヒンケルとブライデマンが交互にジルベルトに尋問し、興味が無さそうな顔で返事をする元部下に一歩ずつ近付くが、それを警戒する素振りも阻止する様も見せないため、何かがあると気をつけていた。
 その中でリオンがテレビに映し出されているのがリアルタイムの様子だと気付き、部屋の中央で死んでいるのは誰だと問いかければ、あれはフィレンツェから連れてきた部下だと答えられる。
 運転などをさせていたが本当に優秀な男だったと、少し寂しそうに答えるジルベルトにリオンが顔を向けてお前が殺したのかと問いかけると短い一言で肯定されるが、ケージの中央で鎖によって吊されているものが何であるかに気付いたリオンが限界まで目を瞠り、本当に趣味が悪いなとジルベルトを睨み付けると、更に寂しそうな目で小さく笑う。
 「────ボス、オーヴェの所に行きます」
 「あ、ああ」
 ジルベルトを囲むようにしていた他の面々がリオン同様テレビに映るのが録画では無くたった今のものだと気付いてジルベルトを睨み付けるが、ヒンケルがリオンの言葉に頷き、コニーと一緒に行けと命じる。
 「・・・行くな」
 その時、ソファの背もたれを掴んでいたジルベルトの手が腰に回されてベレッタを取りだしたため、BKAの刑事がジルベルトに狙いを定めて銃を構える。
 「行くな、リオン」
 その声は喉を振り絞るように出され、銃口は地下室への階段に向かいかけていたリオンの背中に向けられるが、肩越しに振り返っただけで何も言わずに地下室の階段を駆け下りていく。
 己の言葉に足を止めたが結局はウーヴェの所に向かうのだと見せつけられ、当たり前かと自嘲したジルベルトは、取りだしたベレッタをヒップホルダーに戻すフリをし、そのままルクレツィオの時と同じように己の腹に銃口を当ててトリガーを引く。
 「止めろ、ジル!!」
 その動きに気付いたヒンケルが制止の声を上げるが、それよりも早くに発砲音が二度響き、ダニエラやマクシミリアンが蒼白な顔でジルベルトの名を呼んで駆けつける。
 「ジル!!」
 腹から血を吹き出しつつソファの背もたれから滑り落ちるように床に倒れ込んだジルベルトは、駆け寄ってくる元同僚達に何故そんな顔をすると笑いかける。
 二年前まではこの仲間達の傍で面白おかしい二重生活を送れていたのだ。 それが崩壊し、本来いるべき闇の世界に舞い戻ってからは、文字通り光を無くしたように世界は暗く沈んでいた。
 ルクレツィオがジルベルトを太陽だと称していたが、ジルベルトにとっては、今地下室に向かったリオンの存在が光だった事を改めて感じてしまい、出血のためにブラックアウトしつつある意識の中、己のこれまでの人生を振り返る。
 ルクレツィオは本当の意味での希望を今まで抱いたことはないと言っていたが、それはジルベルトも同じだった。
 ただ違ったのは、ドイツで刑事として働き出してから、リオンという光に出会えた事実だった。
 それだけが、ジルベルトの中で希望と呼べるものとして存在していたのだ。
 その光を奪われ、傍にいることも奪われてしまえば、生きている意味などなかった。
 そこまで追い詰められるほど、リオンの存在はジルベルトの中で重く大きなものだったのだが、ルクレツィオの思いに気付きながらも応えられなかったのと同じ理由で目を背けていたのだ。
 最後の最後にそれに気付けたことが嬉しかったが滑稽でもあり、ああ、もう少し早く気付いて行動していればと呟くが、音になって出たのは、滑稽だなと言う言葉だけだった。
 「・・・警部・・・、俺、みたいなのが部下で、・・・申し訳、ありません」
 ですが、あなたの部下としてあいつと一緒に働けた事は、碌でもない俺の人生の中で最高で最良の時でしたと、死に逝く者特有の透明な笑顔で最後の力を振り絞るジルベルトの横に膝をついたヒンケルは、お前とリオンは本当にいつもいつも問題を起こしては大騒ぎをしていたが、それでもそんなお前達が自慢だったと、込み上げる感情を必死に堪えつつジルベルトの蒼白な頬を撫でると、嬉しそうに目が細められる。
 「・・・俺、は、天国へは、行けな・・・か、ら・・・」
 リオンとは出来れば地獄で再会したい、お前がこちらに来るときには悪魔を従えて歓迎してやるからと笑い、涙を堪えたり流したりしている同僚達を見たジルベルトは、満足そうに目を閉じ、脳裏にただ一人の笑顔を浮かべたまま、ルクレツィオが待つ地獄の門へと向かうのだった。
 ルクレツィオと己の血で汚れたシャツが上下するのを止め、首筋に手を当てて脈が止まったのを確認したヒンケルは項垂れたまま頭を一つ振ってひとまずはジルベルトと別れを済ませると、警部としてこの事件の結末を見届けなければならないことを思い出し、部下に鑑識と救急車の手配をしろと檄を飛ばす。
 ヒンケルの声に部下達が弾かれたように顔を上げて己のすべきことに取りかかり、家中に分散して今回の事件に関する物的証拠をかき集め始めるのだった。
 「・・・警部、犯人逮捕が出来ずに残念だったな」
 「ああ。────ドクはどうだ!?」
 地下に降りたリオンとコニーはどうだと叫ぶヒンケルは、テレビの中にケージに駆け寄るリオンの姿を発見し、コニーの手に何やら工具があるのを見ると、地下は大丈夫だろうと小さく溜息をつくのだった。

 

 ジルベルトの声に耳を貸さずに地下室の階段を下ったリオンは、ドアを開けて血のにおいが充満する室内に顔を顰めるが、目の前のケージの中央、どれだけ手を伸ばしても決してポールに届かない位置の天井からウーヴェが吊されているのを発見し、名を呼びながらケージに駆け寄る。
 「オーヴェ!」
 リオンが駆け込んできた物音にも反応せず、もしかしてと最悪の想像をしてしまうが、もう一度呼んだ時、首輪を掴んで少しでも楽になろうとしている手がぴくりと動き、のろのろと顔がリオンの方へと向けられた事から、最悪の事態は脱している安堵に溜息をつく。
 「今、助けるから」
 ケージの扉を開けたリオンは、その床に敷かれた毛布にいくつもの褐色の染みがあり、それが何を意味するのかに気付いて唇を噛むが、ウーヴェが苦しそうに口を開閉させた為、足が着くか着かないかの高さに吊されたウーヴェの身体を慌てて抱きかかえる。
 「オーヴェ、もう大丈夫だからな。遅くなってごめんな」
 ジルベルトがルクレツィオが旅立つのを見送った後、一人地下室に降りてきたのだが、ウーヴェの両手を拘束していたものを外し、拘束具に着けていた鎖を今度は首輪に付け替えたあと、先程と同じように鎖をケージの天井に引っかけ、ポールに巻き付けて固定していたのだ。
 手首から吊される苦痛にウーヴェは身を捩っていたが、首輪に繋がる鎖で吊された結果、身を捩ることも出来ない程の苦痛が喉に生まれ、少しでも楽にするために自由になった両手で首輪を引っ張り、腫れ上がって力の入らない左足を何とか庇いつつ最後の力を振り絞っていたのだ。
 後もう少しリオン達の到着が遅れてしまえば、ウーヴェは文字通り力尽きてケージの中で吊されたまま死を迎えていたのだと気付いたリオンの身体が恐怖に震えるが、コニーがワイヤーカッターを持ってきた事に気付き、ウーヴェの痩せて弱った身体を抱き上げ、艶を無くした髪に口を寄せる。
 「・・・間に合った・・・」
 「・・・リ、オン・・・」
 「うん。ごめんな、オーヴェ。遅くなったけど、皆とお前のこと迎えに来た。だから一緒に帰ろう」
 こんな悪夢のような世界から、今まで過ごしてきたお前が愛しまたお前を愛する人たちがいる世界に帰ろうとリオンがウーヴェの額にキスをして小さく笑いかけると、ウーヴェの顔にも微かな笑みが浮かぶが、ここで過ごした時に経験した出来事が脳裏を過ぎり、唇を噛み締めてリオンの肩に顔を押しつける。
 「・・・っ・・・う・・・っ・・・」
 「病院に行って手当してもらおうな」
 先日のビデオ通話の時にはなかった左足の傷にも気付いていたリオンは、コニーが鎖を切断してくれた為にウーヴェの全体重を支えるように腕に力を込めて抱き直すと、ウーヴェの口から小さな悲鳴が流れ出す。
 「リザードが・・・俺の、リザード・・・っ!」
 「うん。でも左足を先に診てもらおう。俺も一緒に病院に行くから」
 壊されてしまったリザードのために肩を揺らすウーヴェの髪にもう一度口付けたリオンは、コニーに頼んでウーヴェの首輪を切ってもらい総ての拘束具を取り外すことに成功するが、コニーが目を瞠った後に直視出来ないと顔を背け、コニーの視線がどこに向いているのかに気付くと舌打ちをする。
 「・・・悪ぃ、この尻尾みたいなものだけ切ってくれ」
 この尻尾の先はプラグ状になっていて尻に埋め込まれているはずだが、この状態で抜けばウーヴェの傷が深くなると告げてコニーが先程のカッターで尻尾部分を切り取り、忌々しげに見つめて舌打ちをする。
 「なあ、コニー、このままオーヴェについていってもいいかな?」
 本当はそんな事許されるわけではないと思うがと、身体を震わせるウーヴェをしっかり抱きしめて申し訳なさそうに告げるリオンにコニーが頷き、もちろんだとリオンの肩に手を置くが、その手が微かに震えている事に気付いてリオンが小さくダンケと礼を言う。
 「リオン、これをドクに掛けてやってくれ」
 ケージの中にまだあまり汚れていないバスローブがあることに気付き、簡易ベッドで横になっている男が使っている毛布より良いだろうとコニーが判断し、ウーヴェの包帯が巻かれている背中を隠すように肩に掛けると、ウーヴェがのろのろと顔を上げるが、振り返る事は出来ないようで、再度リオンの肩に顔を押しつけてしまう。
 「・・・・・・大丈夫だ、オーヴェ。そろそろ救急車が来そうだから上に行こう」
 ウーヴェを二度と離さないと言うように抱き上げて血色の悪い頬にキスをしたリオンは、ゆっくりと階段を上り、ウーヴェを悪夢のような時間と場所から己の手で救いだし、リビングで心配そうに待っているヒンケルの前に向かう。
 「ドク!!」
 リオンの肩に顔を押しつけて身体を震わせているウーヴェに皆が駆け寄り声を掛けるが、そのどれにも返事をすることが出来ずにリオンのブルゾンをぎゅっと握りしめたウーヴェは、リオンの大きな優しい手が傷を負った背中を撫でた為、悲鳴を堪えて歯を食いしばる。
 「ああ、悪い。痛かったな」
 ヒンケルに目で合図を送ったリオンは、テレビに映し出されている地下室の様子から、ここで不安そうに待っていたヒンケルや同僚達が一部始終を見ていた事に気付き、小さな溜息を吐く。
 「ボス、救急車が来たら一緒に乗っていって良いですか」
 「・・・ああ。詳しい事情を聞く必要もある。一緒に行ってこい」
 「Ja.────ダンケ、ボス」
 「ああ」
 本来ならばまだ事件の後処理があるが、被害者から話を聞くのも立派な仕事だと頷き、救急車のサイレンが聞こえたことから、簡易ベッドで横になっている男も搬送する必要があるか確かめてこいとヴェルナーに命じ、地下室の現場の保全を鑑識が来るまでしておけとも告げる。
 救急隊が駆けつけた為にブライデマンが合図を送り、地下室にも要救助者がいる事と死亡者がいる事を伝えると、リオンが先日も顔を合わせた救急隊員に気付き、ストレッチャーの用意を頼むと告げるが、ウーヴェの手がブルゾンをきつく握りしめたため、救急車までこのまま運ぶことを伝える。
 その際、カスパルが勤務する病院に搬送してくれと告げると、前に女性を搬送した病院かと問われて頷き、ウーヴェに救急車に移動することを伝え、ヒンケルとブライデマンに後のことは頼んだ、病院について時間が出来れば連絡する事を残して救急隊員に先導されて救急車に乗り込む。
 早朝の小さな町に巻き起こった騒動に周囲の家から人々が顔を出しては何事だとご近所同士ひそひそと囁き合うのを横目に、救急車に乗り込んだリオンが嫌がるウーヴェを何とか宥めてストレッチャーに乗せ、救急隊員に背中の傷と足の傷について説明をするが、少しだけ躊躇った後、血液検査も必要だと告げ、救急隊員の目を瞠らせる。
 「・・・そういうこと」
 「分かった」
 救急車の中で搬送の準備の為にウーヴェから話を聞こうと隊員がするが、声が上手く出ないのか、口を開閉させるだけだった。
 代わりにリオンが可能な範囲で答え、ようやく動き出した車内でリオンが断りつつ携帯を取りだし、まだ自宅にいたらしいカスパルに今から病院に向かう事を伝えると、電話の向こうで大きな物音がするが、こちらも可能な限り早く病院に行く事を叫ばれて通話が終えられる。
 携帯を戻して溜息をついたリオンは、ストレッチャーでぼんやりと車の天井を見ているウーヴェに気付き、やつれてしまっている頬を指の背で撫でる。
 「・・・・リ・・・オ・・・・」
 「遅くなってごめんな、オーヴェ」
 先程からくり返す謝罪にウーヴェが眉をクッと寄せた後に目を閉じ、足が痛いとだけ告げるが、手首にくっきりと痛々しい痣を残した手が何かを探すように動いていた為、リオンが手を伸ばしてそっと触れると、少し躊躇ったあとリオンの手を握ってくる。
 掌から伝わる温もりから離れていた時間を思い知らされたリオンは、ウーヴェの手を掴んで額に宛がい、本当に間に合って良かったと震える声で呟く。
 ゾフィーの時のようにならなくて良かったと述懐するリオンだったが、ウーヴェの目から涙が静かに流れ落ちたことの意味をこの時まだ理解出来るはずもなく、助かった安堵からだと判断し、指でそっと拭ってやるのだった。

 

 ウーヴェの誘拐、リアの殺人未遂事件は、部下やルクレツィオを殺害したジルベルトの自殺によってひとまず幕を下ろすのだが、事件に巻き込まれて生き残った者にとっては、事件後という第二幕に舞台を移し、長い時を掛けてこの事件と向き合っていかなければならないのだった。

 

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2017.07.03
やっと二人が会えました。そして、おやすみ、ジルベルト。地獄でリオンが来るのを待ちながら悪魔と酒でも飲んでいれば良いよ。


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