Die Familie -19-

 事件が解決し、ウーヴェが自宅で療養するようになってから一年が経過し、そろそろ町のあちらこちらからクリスマスの雰囲気を感じ取れるようになった頃、ようやく家族とも-といっても母と姉に限られていた-前とは違うがそれでも話をし、以前のように毎日遊んでいたベルトランが来ても一緒に遊べるくらいにまでは回復していた。
 少しずつ良くなるウーヴェに皆が安心していたが、そんなある日、アリーセ・エリザベスの部屋で、姉が大学のレポート作成のために読んでいた本を何となく手に取ったウーヴェが、何ページか捲った直後に考え込むように天井を見上げ、勉強机で背中を見せている姉に向けてこの本を読んでみたいと突然言い出した。
 その本は最近メディアなどを通じて目にする機会が増えてきた大学教授が書いたものだったが、ウーヴェの琴線に触れる何かがあったのか、この先生の話を聞いてみたいとアリーセ・エリザベスをかなり驚かせるが、事件後ただベッドに寝ているだけだったウーヴェが自ら何かをしたいと意思を示してくれたことが嬉しくて、会えるかどうかは分からないが、先生に会いたいのならば頑張って勉強をしなさい、父さんに家庭教師を探して貰うからと笑うと、ウーヴェの顔が一瞬で強張り、要らないと前言を翻したため、アリーセ・エリザベスが勘の良さを発揮し、ウーヴェが座るソファの前に膝をついて笑みを浮かべる。
 『そうね、じゃあ母さんが紹介してくれる人なら良いでしょう?』
 父さんとノルのことを許せないのなら、せめて私か母さんが紹介する先生に教えて貰いなさいと、笑みの中にも必死さを押し隠して姉が諭すと、弟もその気持ちは理解出来るのか、素直にうんと頷いて本を胸に抱く。
 『・・・フェル、その先生に会って何をしたいの?』
 あなたが勉強をしたいという気持ちを挫くつもりはないが、私が小さいときは勉強などしたくなかったから気持ちを教えてくれと、事件前と後とではすっかりと顔つきが変わってしまい、子どもらしさがなくなってしまった弟の目を覗き込みながらアリーセ・エリザベスが苦笑すると、ウーヴェが目を伏せながら本の表紙を撫でる。
 『・・・分からない・・・勉強をしたい』
 『そう。ただ勉強がしたいだけでするのも悪くないわね』
 私には分からないがあなたにはあなたの進む道がある、その道に進むために私に出来る手助けがあれば言って欲しいと笑って髪を撫でると、ウーヴェの目尻のほくろが少しだけ赤くなる。
 その辺りは事件前と変わっていないことに胸を撫で下ろした姉は、弟が勉強をしたいというのだから最高の家庭教師を探してあげよう、将来会社員になるか手に職を付けるか大学に行くかは好きにすればいいが、選択肢を最大限用意してあげるための手助けならばいくらでもしてあげようと笑って頬にキスをすると、ウーヴェが小さな手を伸ばしてアリーセ・エリザベスの首にしがみつく。
 『ありがとう、エリー』
 『・・・そんなお礼、必要無いわよ、フェル』
 笑ってくれるようになった、それだけでも嬉しいのだからと胸の中で続けたアリーセ・エリザベスは、弟の背中を撫でて今から私はレポートを書くから大人しくしているのならここにいなさいと髪を撫でると、一度部屋からウーヴェが出て行ってしまうが、最近お気に入りになっている本を持って戻って来る。
 ウーヴェが背後のソファで大人しく本を読んでいるのが以前と同じで嬉しかったアリーセ・エリザベスは、先程の願いをなるべく早く叶えてあげようと決め、後でこっそり父と母に相談しようとも決めるのだった。

 

 会社での成績が上司に認められ、本来であれば何の問題も無く乗れていた出世へのレールにようやく乗り始め、その一歩をこぎ出したばかりのギュンター・ノルベルトが、疲れていても充実した気持ちで帰宅したのは、家族の皆が寝静まった頃だった。
 だが、ギュンター・ノルベルトが帰ってくるまで起きて待ってくれている人がいて、その小さな背中を見つけた彼は、先に寝れば良いのにと思いつつも待ってくれているありがたさを感じてもいた。
 『・・・ヘクター、ハンナ、先に寝ていろといつも言ってるだろう?』
 『ギュンター様、お疲れ様でしたね』
 今日も頑張って働いて来たようですねと、顔に滲む疲れと充足感を読み取ったハンナが編み物をする手を止めて立ち上がり、ヘクターもチェスの盤面から息子と言っても過言ではない彼の帰りに視線を移動させて顔を綻ばせる。
 『今日の晩ご飯は何にしたんだ?』
 『今日は冷え込みがきつくなってきたのでレバーケーゼのスープを作りましたよ』
 カルテスエッセンの方が良いのならそちらに切り替えると笑うハンナに首を振ってスープが良いと返したギュンター・ノルベルトは、着替えてくるから食事の用意をしておいて欲しいと言い残し、己の部屋に向かう。
 最近の仕事量の多さから、どうしても帰宅時間が遅くなってしまい、少しばかり通勤に対して不便を感じているのだが、そろそろ今の勤務地である市内に部屋を借りるかどうかした方が良いかと考えて不動産情報を見ているのだが、なかなか良い物件に出会えなかった。
 部屋に戻る前、階段を上って真正面のドアの前に立ったギュンター・ノルベルトは、室内が静かである事に気付き、細心の注意を払ってドアを開けると、ベッドで小さな寝息を立てて眠るウーヴェの傍に近寄る。
 眠っているウーヴェの顔は事件前と変わらないものだったが、目を覚ますと決して自分に向けて笑いかけてくれることはないことを思い出し、拳を握る。
 事件の傷はこの小さな身体と心の奥深くに刻み込まれ、ただ日がな一日このベッドで天井を見上げるだけの日々を送らせるほどだったが、それからようやく立ち直り、今では好きな本を読んだり、前と同じ頻度とはいかないがそれでも幼なじみのベルトランと遊んでいることを聞かされて安堵していた。
 控えめにはなったがそれでも見せる喜怒哀楽の感情、それら総てが父と己の前では決して表されないものとなってしまったことは辛く悲しいことだったが、それでもこうして日々笑い、何かを考えものを食べるという、人として当然の行動を取れるようになっただけでも喜ばしいことだった。
 だから毎日、ウーヴェが眠りに就いてから今のように密かに顔を見ることしか出来ないが、それでも今日一日の疲れが僅かに癒やされることに気付いたギュンター・ノルベルトは、髪を撫でて頬を撫でたい衝動を何とか堪え、ウーヴェが人の気配に気付いて目を覚ましてしまわないうちに部屋を出て行く。
 名残惜しさを押し殺し、それでも抑えきれない衝動からドアが完全に閉まる前、お休み、フェリクス、良い夢をと告げて己の部屋に向かうが、ウーヴェがベッドの中で目を開けて必死に何かを堪えている様子を見ることはなかった。
 着替えを済ませてキッチンに向かったギュンター・ノルベルトは、ヘクターとハンナだけではなくアリーセ・エリザベスがいたことに驚いてしまい、どうしたと声を掛ける。
 『・・・フェルがね、ギムナジウムに入りたいって言ってるのよ』
 『ギムナジウム?』
 ウーヴェが事件前まで通っていたのは父の友人が経営するシュタイナー学校だったが、事件後事情が事情だけに通学することが出来ず、学校側が留年扱いとして在籍させてくれていたのだが、ギムナジウムに行きたいと、先日来家庭教師に勉強を教わるようになってから言い始めたのだと、ギュンター・ノルベルトに相談に現れたアリーセ・エリザベスは、ギムナジウムに入れるだけの学力があるのかと問われて無言で肩を竦める。
 『飲み込みも早い、理解力もあるし語学にも適性があるから、本気を出せば一年の遅れなどあっという間に取り戻せるって先生が言ってたわ』
 感心すべきかどうか悩ましい顔で妹が再度肩を竦めたため、兄は頷くことしか出来なかった。
 『アリーセ様、何かお飲みになりますか?』
 ギュンター・ノルベルトの為にレバーケーゼのスープを温めて用意をしていたハンナがアリーセ・エリザベスに声を掛けると、グリューワインが飲みたいと返されて笑みを浮かべる。
 『すぐに用意しますからね』
 『ありがとう』
 それにしても本当に親子揃って本が好きなんだからと、今度はあからさまに呆れた顔で天井を見上げるアリーセ・エリザベスにギュンター・ノルベルトはただ苦笑するが、フェリクスがギムナジウムに行くとすればどこに行くんだと呟き、妹が思案気に目を伏せる。
 『・・・通学ではなくて下宿できるところが良いそうよ』
 その言葉の真意を気づけないものは誰もおらず、皆一様に口を閉ざしてしまうが、突如生まれた重苦しい空気を追い払ったのはハンナの明るい声だった。
 『さぁさぁ、ギュンター様、温かいものは温かいうちに食べて下さい。アリーセ様も、グリューワインが出来ましたよ』
 その陽気な声に自然と沈みがちな空気も明るくなり、二人の顔に苦笑が浮かぶもののすぐさま喜びの表情に取って代わられる。
 『美味そうだな』
 『そうではなくて美味しいんですよ』
 ハンナの存在が二人を自然と助け、部屋の空気も明るくしてくれた為、空腹を思い出したギュンター・ノルベルトがスープを食べ、アリーセ・エリザベスもグリューワインを美味しそうに飲む。
 ヘクターとハンナにしてみれば、この二人が生まれて間もなくの頃からずっと両親の代わりとなって面倒を見てきた為、立派な社会人となって働くギュンター・ノルベルトや、大学生活を満喫しているアリーセ・エリザベスがいつまで経っても子どものように思えてしまうのか、仕事は辛くないか、学校でいじめられていないかと気を揉んでしまい、今もそれを口にすると、アリーセ・エリザベスが幼い頃と変わらない態度でもう子どもじゃないから大丈夫と不満を訴える。
 『そうですねぇ。立派な大人ですものねぇ、アリーセ様もギュンター様も』
 『そうよ。・・・ねえ、ハンナ、今度ケーキを焼きたいの。手伝ってくれない?』
 『ええ、良いですよ。何を作りましょうか』
 『そうね・・・色んなベリーを使ったタルトが良いわ』
 初めてアリーセ・エリザベスがケーキ作りをしたいと申し出たことが嬉しかったのか、ハンナが喜んで今すぐにでも作り出しかねなかったが、そんな女性陣を見ながらギュンター・ノルベルトが随分と具体的に作りたいものを上げたなと笑い、意外な反応を引き出してしまう。
 それは、スノーホワイトと称されるほど白い妹の頬がリンゴかそれ以上の赤に染まるという珍現象だった。
 『い、良いじゃない!ベリーのタルトが食べたくなったんだから!』
 『別に悪いとは言って無いが・・・エリー、好きな男でも出来たのか?』
 『!!』
 兄の言葉が図星だったらしく、更に真っ赤になった妹は魚のように口をぱくぱくさせたかと思うと、お休みと言い放って立ち上がる。
 『お休み、エリー』
 『・・・ハンナ、ヘクター、お休みなさい。ノルも早く寝なさいよ!』
 それが妹の照れ隠しであることをしっかりと見抜いている兄は、真っ赤な顔のままキッチンを出て行く妹の背中に手を振り、彼女の恋が成就しますようにと密かに願う。
 『・・・ギュンター様、ウーヴェ様ですが・・・』
 『ああ。ギムナジウムだろう?俺や父さんが口を挟めば良くないからな。悪いが母さんやエリーと相談して決めてやってくれ』
 大切なウーヴェの大切な進路の相談に乗れないことは辛いがと告げた時、ふと己の時を振り返ってしまい、この二人に今と同じような思いをさせてしまったのではないかと気付くが、過ぎ去った時を戻せるはずもなく、ただ心配を掛けて申し訳ないという気持ちが溢れてくる。
 『ギュンター様?』
 『・・・二人にはいつも心配を掛けさせてしまうな』
 『何を急に。ハンナのスープが美味しかったから急にしおらしくなったんですか?』
 朗らかな笑い声にギュンター・ノルベルトが呆気に取られるが、確かにそうだと肩を揺らし、本当にそうだ、頼むからいつまでも自分たちのためにこの美味しい料理を作ってくれと笑うと、ヘクターとハンナも同じように笑って大きく頷く。
 『ええ、そうですね。そういたしましょうか』
 『そうですなぁ』
 両親代わりの二人の言葉に彼も一時の安堵を得た顔で頷き、お代わりを食べて心身共に暖まった身体で明日への仕事に向けて眠りに就くのだった。

 

 ギュンター・ノルベルトがアリーセ・エリザベスからウーヴェの進路について報告された頃、レオポルドも妻から同じことを聞かされていた。
 『寄宿舎のある学校か』
 『ええ。あの子のやりたいことをさせてあげたいけれど、正直、目を離すのは不安だわ』
 通学していたシュタイナー学校の帰りに誘拐された為、正直な話、家族の誰かの目が届きにくい場所へ送り出すのは不安だと、イングリッドが頬に手を当てて深く溜息を吐くが、レオポルドはそんな妻の不安を感じつつもそれも良いかもしれないと頷く。
 『レオ?』
 『家から離れた方が良いかも知れないぞ、リッド』
 バルツァーという名前は今やドイツ国内では知らないものは無いほど有名になりつつあるが、それでも国内で数件しかない名前では無い為、会社との関連性を疑われることは無いだろうし、ウーヴェのあの様子だと自ら進んで会社の話をするとも思えないため、案外心配することはないのではないかと、妻の不安を払拭するために告げる。
 『そうかしら?』
 『ああ。ギムナジウムだと好きな勉強も出来る。将来ウーヴェがどの道に進みたいのかは分からないが、いくつかギムナジウムをピックアップしよう』
 『・・・わたくしの知人にも学校を経営している人がいますわ』
 『おお、そうか。俺の知り合いよりもリッドの方が良いかも知れないな』
 父や兄の存在を感じるだけで表情を無くしてしまうほどの嫌悪感-酷く辛いものだがそうとしか言えない-を抱くのなら、まだそれが少ないイングリッドの知人の学校を紹介して貰おうと頷くと、イングリッドも小さく頷き、入学できるほどの学力があるかどうか、家庭教師の先生に調べて貰うつもりだと答え、末息子の将来を彼自身の手で選択出来るようにと、親が出来る最大限の配慮をするつもりだとも笑うと、レオポルドが深い溜息をつく。
 『レオ?』
 『・・・いや、ギュンターやアリーセの時に本当は俺たちがこうして悩まなければならなかったことだったなと思っただけだ』
 『・・・そうね』
 その述懐に込められる反省と感慨の声にイングリッドも同意を示すが、でもあの時出来なかったことをウーヴェの時には出来る様に神がその機会を与えてくれたのだと目を伏せる。
 『そうだな』
 『ええ、きっとそう。神が与える試練は必ず乗り越えられるものよ』
 だから今私たちがしなければならないのは、ウーヴェが成長し、独り立ちするときにいくつもの未来から行く先を選び取れる為の道作りだと頷き、夫の腕に手を乗せる。
 『あの子に憎まれて生きるのは辛いわ』
 『リッド?』
 『でも・・・きっと、あの子自身も辛いはず。だから家を出て寄宿舎に入りたいと思っているのよ』
 寄宿舎がある学校に入学する、つまりはこの家を出るということは、きっとウーヴェの中でも最大級の決断であり、それを促したのは憎い父や兄と一緒にいたくないという思いだけでは無いはずと、息子の優しさを知っているイングリッドが夫を説得するように告げると、レオポルドがやるせない溜息をついて妻の肩を抱き寄せる。
 『そうだと、良いな』
 夫の呟きに妻が悲しげに頷き、とにかくウーヴェの進路について家庭教師の先生と相談し、その上でギムナジウムの資料も取り寄せて何とか希望に添える学校を見つけると告げると、夫の口ひげを細く綺麗な指先で整える。
 『そうそう。今日はアリーセがタルトを焼いたのよ』
 『タルト?料理に目覚めたのか?』
 『ふふ。好きな人が出来たんじゃないかってギュンターが言ってたけど・・・』
 アリーセ・エリザベスがハンナの手を借りて四苦八苦しながら作ったタルトは見栄えはともかく味は良かったとイングリッドが笑い、レオポルドが途端に不機嫌な顔になる。
 『レオ?』
 『気にくわんな』
 『アリーセも大学生よ。彼氏の一人ぐらいいてもおかしくないわ』
 『いや、気に入らないぞ。リッド、そいつはどんなやつか聞いたのか?』
 レオポルドの顔が不機嫌に歪み、あらあら、この人にも自分の娘に彼氏が出来れば面白くないという気持ちがあったのねと内心苦笑するが、今すぐその男のことを調べてこいと家人に言い出しかねないことに気付き、胸に手を当てて若い頃と何ら変わらない笑みを浮かべて夫を見る。
 『レオ。アリーセが選ぶ人よ、間違いは無いわ』
 『いや、しかし・・・』
 『本当におつきあいしているのなら、今度連れてきなさいとお話をしておくわ。ね?』
 だから今は落ち着いてと何とか夫を宥め賺しながらも、妻は自分たちが育てたわけではないがそれでもやはり娘に彼氏が出来るということには感情を動かす夫で良かったと胸を撫で下ろすのだった。

 

 『・・・ギムナジウムに入ることにした』
 『え?』
 その言葉をベルトランが聞かされたのは、以前とちょっとだけ変わった気持ちでウーヴェの家に遊びに来ていた時だった。
 最近のウーヴェはいつ遊びに来ても勉強しているか本を読んでいることが多く、以前のように庭で遊んだりする事は少なくなっていた。
 それでも友達であることに変わりは無いため、学校が終われば真っ先にウーヴェの部屋に遊びに来ているのだが、今日もハンナが作ってくれるであろうプリンを待ちわびながらウーヴェとボードゲームをしていた時に告げられたのだ。
 『ギムナジウム?大学に進学するの?』
 『うん。そう思ってる。・・・先生も、もう少し頑張れば好きな学校に入れるって言ってる』
 『そっか。でもさ、家から通うんだろ?』
 ギムナジウムといっても色々あり、通学できるところもあれば寄宿しなければならない所もあるが、もちろん家から通うんだろうと、ベルトランが当たり前のように問えば、ウーヴェの白くなった髪が小さく左右に揺れる。
 『ううん。寄宿舎のある学校に入ることにした』
 『どうして?家から通えば良いじゃないか!』
 『家にいると・・・』
 どうしても父や兄の顔を見なければならないし、見なかったとしてもその存在を感じずにはいられない、それが酷く辛いのだと、子供時代を一足先に抜け出したウーヴェが悲しげな顔で告げ、バートには悪いが、もう決めたことだと小さく笑う。
 『俺もその学校に行く!』
 『バート・・・』
 『お前が行く所に絶対に行く!・・・って言いたい。でも・・・俺も将来なりたいものがあるから、俺もごめん』
 ウーヴェといつも一緒だったベルトランだが、幼なじみが事件に巻き込まれて生還した後、ようやく遊びに来られるようになった時に見た無表情の息をする人形のような顔に衝撃を受け、自身でも分からない心の動きからただただウーヴェに抱きついて泣いてしまったのだが、あれからも毎日のように通い、ちゃんと自分を見ているのかどうかも分からないウーヴェに学校での出来事や家であったこと見聞きしたことを今までと同じように話していた。
 その時にウーヴェが以前のようにおやつを食べなかったため、ハンナにこっそり事情を聞けば、食事らしい食事をしなくなったと教えられたのだ。
 好きなものを食べるウーヴェの顔がその時脳裏に浮かび、今の人形のような顔と比べてしまってまた大泣きしたベルトランは、その時密かに決意をしたのだ。
 将来、自分が大きくなってウーヴェに好きなものを好きなだけ食べさせてやるようになる、と。
 十歳やそこらの子どもが抱くにしてはあまりにも具体的な夢は、原動力となるものの存在が大きければ大きいほど夢に向かって突き進む力となるのか、ベルトランはその日を境に食べることだけではなく誰かに食べさせることへ興味を持ち始め、その勉強も密かに始めていたのだ。
 『夢があるんだ?』
 『うん。ある。それを叶えるためならどんな勉強だってする』
 だからその為に行かなければならない学校があるが、それはきっとお前の行く道とは別の道だと足を掴んで笑うと、ウーヴェの顔に小さな笑みが浮かび上がる。
 『うん。きっと、違う道だ・・・』
 でも、自分たちが友達である事に変わりは無い、住むところも離れて会う機会も減るけれど、友達である事に変わりは無い、手紙を書くし電話も出来るならするとウーヴェが笑えばベルトランも釣られて笑う。
 『なあ、ウー。お前は?ギムナジウムに行って大学目指すんだろうけどさ、何になりたいんだ?』
 ベルトランの疑問はもっともなものだったが、少し考えるように頭を小さく左右に振ったウーヴェは、医者という言葉を告げてベルトランを驚かせる。
 『医者?』
 『うん。無理、かな』
 『ううん。ウーは頭が良いからなれるって!』
 医者になるのなら大学に通わなければならないし、また医者になっても色々時間が掛かるだろうが、自分が怪我をしたときには治療してくれとベルトランが笑い、ウーヴェも素直に頷くが、もし選べるのなら傷を治したり手術をしたりする医者ではなく、人の気持ちを何とか出来るような医者になりたいと、その時ばかりはしっかりとした意志を目に宿してウーヴェがベルトランを見る。
 『気持ち?』
 『うん。・・・僕のような人がいれば・・・少しでも、助けてあげたい』
 『そっか』
 『うん』
 事件で負った傷は日に日に良くなっていくが、心の傷は見えない分だけ治りが遅く分からなかった。そんな己と同じような人がいれば、その思いを少しでも分かりたいと、ギムナジウムに進路を決めた本心を吐露すると、さすがにほ乳瓶を咥えていた頃からの友人はそれで総てを察し受け入れたのか、大きく満面の笑みを浮かべたかと思うと、じゃあ将来ウーはお医者さんで俺は料理人だと宣言する。
 『バートは料理人になりたいの?』
 『そう!ウーの食べたいものを作ってやるからさ、俺が店を出したら一番に食べてきてくれよな!』
 『うん。・・・リンゴのタルト、食べたい、な』
 『分かった。どんな店になるかわかんないけど、リンゴのタルトだけはお前専用のメニューにするからな』
 『ありがと、バート』
 『うん』
 互いの夢を知り、それに向けて歩き出したのだと気付かない二人だったが、生活する場所が離れていても気持ちは離れないことだけはしっかりと気付いていて、お互いの夢が将来叶えば良い、その時どんな大人になっているのだろうと笑いながら話しているが、ドアがノックされてウーヴェの身体に緊張が走る。
 『ウーヴェ様、ベルトラン、プリンをお持ちしましたよ』
 『ハンナのプリンだ!ウー、一緒に食べよう!』
 『・・・うん』
 『!!』
 ベルトランの誘いにウーヴェが小さく頷いたことが嬉しかったのか、ハンナがプリンと飲み物を乗せたトレイをテーブルに置くと、ウーヴェの前に膝をついてその顔を温かな手で撫でる。
 『ハンナが腕によりを掛けて作りましたからね。美味しいですよ』
 『うん。ありがとう』
 『ウーヴェ様が食べて下さるのが嬉しいんですよ。ねぇ、ベルトラン』
 そう、ベルトランを振り返ったハンナだったが、もごもごと何か口を動かしていることに気付いて手元をよく見ると、ベルトランが一足早く己のプリンを食べていたようで、慌てて飲み込んだのか、器用なことにプリンを喉に詰めてしまう。
 『バート!』
 『あらあら、まあまあ』
 ハンナが呆れた様な顔でベルトランにジュースを飲ませて落ち着かせると、涙目になったベルトランが照れたように笑う。
 『まったく』
 『へへ。ウー、やっぱりハンナのプリンは美味しいから食べよ!』
 『うん』
 家族の前では子どものような顔を見せることは少なくなったウーヴェだったが、やはりベルトランの前では違うのか、子どもらしい素直な顔で頷き、久しぶりにハンナの作ったプリンを一口食べるが、前のように美味しいとは思えなかった。
 ただ、美味しいと言う言葉を期待しているハンナに気付き、それを裏切ることは出来ないとの思いから、美味しいと伝える代わりにもう一口と、頑張ってプリンを食べ続け、何とか完食すると、ハンナにありがとうと礼を言う。
 『ウーヴェ様、食べたいものがあれば言って下さいね。いくらでもハンナが作ってさしあげますからね』
 『うん。ありがとう、ハンナ』
 『いいえ。じゃあベルトラン、あまり遅くなるとお母さんも心配するから早く帰るんですよ』
 『はーい』
 良い子の返事をするベルトランは、ウーヴェの様子がおかしいことに気付いていたが、ハンナの気持ちもウーヴェの気持ちも理解出来ていたため、今何を言っても無駄だろうが、さっきウーヴェに告げた様に己が店を開いて料理をしたものを美味しいと思ってくれるようになればいい、そう感じさせられる料理人になろうと新たに決意をするのだった。

 

 ウーヴェを腰にしがみつかせたままキッチンに入ったリオンは、先に入ったハンナがこの場所について詳しいのだと気づき、蜂蜜と生姜とレモン、そして白ワインを用意して欲しいと告げる。
 「白ワインを使うのですか?」
 「へ?ああ、ムッティ。そうそう。いつもは水なんだけどさ、それはマザーが俺たちガキでも飲めるようにしてくれてたから。今は大人ばかりだし、オーヴェがちょっとでも落ち着くならって思って」
 背後からの声に振り返るとそこにはイングリッドがいて、手伝ってくれることを思い出したリオンが肩を竦めると、ハンナから受け取ったエプロンを手早く着けて指示を待つように腕まくりをする。
 「グリューワインのようですね、奥様」
 「そうねぇ、言われてみればそうね」
 グリューワインとは入っているスパイスが違うが似たようなものになると笑うと、リオンがなるほどと手を打ち付けるが、腰の辺りから聞こえた鼻を啜る音に目を丸くする。
 「あ、オーヴェ、服で鼻をかんじゃダメだからなっ!」
 ちょっとだけ待ってダーリンと告げて目にしたキッチンタオルを掴んだリオンは、ウーヴェの顔を上げさせて無造作にそれを宛がう。
 「はい、オーヴェ。んーってしてみ?」
 その言い方がまるっきり子どもに対するものだった為、ウーヴェ以外の大人が何ともいえない顔になるが、リオンにしてみればホームと呼ぶ孤児院に戻った際に行っているごくありふれた行動だった。
 だからその子供達と同列に扱った訳ではないと後で言い訳することになるが、大人しくウーヴェがリオンの言葉に従って鼻をかんだ為、はいよく出来ましたと、これもまた子供達と同じ扱いをしてしまう。
 「命の水作るからさ、皆と一緒に飲もうな」
 「・・・うん」
 「じゃあ作るの手伝うから、そこに座って待っててくれよ」
 「・・・・・・」
 嫌だと言う代わりにリオンの服を引っ張るウーヴェの行動がホームの幼い弟や妹と激しく重なってしまい、あぁあああと何とも言い表しがたい声を垂れ流したリオンは、ウーヴェの前に膝をついて涙の跡が残る頬をぐいと撫でると、ハンナも言ってたが、皆ここにいるだから大丈夫だ心配するなと笑い、頭のてっぺんにキスをする。
 「・・・・・・大丈夫、だ」
 「そっか。そうだよな。じゃあさ、手を離してくれねぇか?」
 大丈夫だというのならシャツを掴む手を離せと、その手をぽんと叩くと、かなり激しく躊躇った後に手が離れていく。
 そのやり取りを見ていたハンナがエプロンで目元を拭い、イングリッドもなにやら感慨に耽っている顔だったため、もしかして小さな頃のウーヴェはいつもこんな感じで誰かについて回っていたのかと問いかけると、二人の女性がそっと頷く。
 その様子からウーヴェが過去を口に出し涙を流すことでいわゆる子ども返りをしたのではないかと危惧するが、覗き込んだターコイズ色の双眸は例え映し出す世界が灰色であってもリオンが見続けてきたものと何ら変わらないものだった。
 その確信から一つ頷き、涙を流したことへの羞恥やどのように気持ちを切り替えれば良いのか分かっていないだけだとも気付くと、危うく鼻をかまれかけたシャツを脱いでウーヴェの頭から無造作に被せると、ウーヴェの手がもそもそと動いてシャツの前を合わせ、その中に隠れるように身体を丸める。
 「出来たら呼んでやるからなー」
 「・・・リーオ」
 「ん?どーした?」
 「・・・ハチミツ、多めが良い」
 「りょーかい。と言う訳で、ムッティ、ハンナ、今回はハチミツ多めのものを作ろうかー」
 ウーヴェのリクエストに気軽に応えて指示を待つ二人に笑いかけると、温めて飲むには贅沢すぎる白ワインを惜しげも無く鍋に注ぐイングリッドに目を瞠り、ハチミツを多めに入れるハンナの豪快さに呆然とするが、二人が楽しそうにウーヴェの為、他の家族のために命の水と呼ばれる有り触れた飲み物を作り出す作業を背後から見守る。
 「な、オーヴェ」
 「・・・何だ」
 「うん。・・・嫌味でも皮肉でも何でも無いんだけどさ、お前って本当にみんなに愛されてたんだなぁ」
 お前がハチミツ多めが良いと言っただけで二人の女性が嬉しそうに楽しそうに作業をするのだからと笑うリオンをシャツの隙間から見上げたウーヴェは、その横顔が先程父の書斎で、雲間から差し込む光のようだと感じたことを思い出すが、差し込む光では無くその光を降り注がせる太陽そのもののように感じ、リオンの言葉を脳裏に響かせる。
 本当の太陽は俺ではなくお前だとリオンは笑ったが、ここにいてこの部屋全体を照らし出しているのは己ではなくやはりリオンの存在だと改めて気付くと、止まったはずの涙がじわりと溢れ出す。
 本当に今日は泣いてばかりだと呆れてしまうが、それに対してもリオンの好きなだけ泣けば後は必ず笑えるという言葉を思い出し、身体の好きなようにさせようと肩に入れていた力を抜く。
 「リーオ」
 「ん?」
 「うん・・・・・・俺の太陽。お前がいるから・・・必ず笑える」
 だから今はこうして泣くことを許してくれと泣き笑いの顔でリオンを見上げると、嘲るような色も子どもなんだからと笑うような色もなく、今まで見た事がない様な優しく穏やかな顔でリオンが身を屈め、そっとウーヴェの塩味のする唇にキスをする。
 「分かってる。だから気の済むまで泣け、オーヴェ。泣いて泣いて、全部話して泣いたら・・・・・・」
 また二人で一緒に笑おう。二人だけではなくこれからはお前の愛する家族と皆一緒になって笑おうと囁くと、ウーヴェの口角が綺麗な角度に持ち上がる。
 「・・・・・・うん」
 素直に頷くウーヴェのその笑顔は、リオンが生を終えるその瞬間まで決して忘れる事のないもので、またそのキスも二人の中では絶対に忘れ得ないものとなる。
 その二人を少し離れた場所から見守っていたイングリットとハンナだったが、互いの目に涙が浮かんでいることに気付くと、そっとエプロンの裾で涙を拭い、リオンとならば絶対に今の苦境を乗り越えられるという確信をウーヴェ以上に抱き、二人や待っている家族のための飲み物を作ってしまいましょうと囁きあうのだった。

 

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2016.11.01
太陽がいっぱい。


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