午後の柔らかな日差しを背負いながら犯人の後頭部に銃口を押し付けている恋人の横顔は今まで目にしたことがないような冷酷な無表情に見え、今日家を出る前に背中を見送ってくれた男と同じとは思えないものに感じ、光の温かさと表情の冷たさの相違に無意識に体を震わせたノアだったが、男が掠れて震える声で助けてくれと呟いた瞬間、男の口から語られた二人の男女の死の顛末と偶然近くにいて楽しそうに彼女に見えた家族とショッピングをしていただけの己に向けて発砲し、家族を危険な目に合わせた事実が脳裏をよぎり、どうあっても消し去ることのできない怒りややるせなさが沸き起こり、握りしめた拳をベンチに叩きつけてしまう。
「!?」
その音が己の後頭部に押し付けられている銃口から発せられたと男が思ったのか、情けない悲鳴を上げたかと思うとその場にへなへなと座り込んでしまう。
ちらりと見えたその光景もノアの胸に沸き起こる苛立ちややるせなさを増幅させ、叩きつけた拳の色が変わる程握りしめる。
「ノア!」
男がタイルの床にへたり込んだ事でノアに対する危機が去ったと判断をしたテッドが拳銃の安全装置をしっかりと掛けてジーンズの腰にそれを差すと、ベンチに上体を伏せながら悔しそうに何度もベンチを殴りつけるノアの前に向かい、その手を掴んで止めさせる。
「離せ……!」
「……ノア。もう良い」
歯を食いしばり涙を滲ませた目で睨んでくるノアの感情を全て受け止めるようにテッドが床に座り込み、悔しさに歪む頬を大きな掌で包み込む。
「傷の手当てをするぞ」
救急車を呼んでいるからそれに乗って病院に行こう、そこで右足の傷の手当てをしてもらおうと、さっきノアが見たものが幻かと思えるようないつもの表情でテッドが呟くとギラリと強く蒼い目を光らせるが、己の前にいるのがいつもの顔に戻っている恋人だと気づいたように口の端を下げて唇を震わせる。
「テディ……!」
「ああ……怖い思いをしたな」
お前は平和を愛する男でこんな暴力事件に巻き込まれるような事は何もしていない、それなのに巻き込まれて怖い思いをしたなと、ノアの頬を両手で包みながら額を軽く触れ合わせると噛み殺そうとして失敗した嗚咽が聞こえ、その声にテッドが眉を寄せつつベンチに座っているノアを力任せに己の足の上に抱き寄せ、やっと己の腕の中に取り戻せた安堵から腕に力を籠める。
「ケガをしたが……無事で良かった……!」
思わず感情に震える声で同じく背中を震わせるノアを抱きしめると背中に回った手がギュッとシャツを握りしめる。
「お前が庇ってくれたからミアも無傷だった。アンシェラが駆けつけてくれて今ミアを見てくれている」
ついでにロバートもアンドルーもお前を心配して駆けつけてくれた事を伝えつつノアの頬に流れる涙を掌で拭いたテッドは、へたりこんだ男が信じられないものを見るような目つきで己を見ていることに気づき、警察と救急隊員が駆け付けるまでの間そいつを拘束していろと心配そうに見守っているアンドルーに告げ、抵抗されることなく男がアンドルーの手で拘束されるのを睥睨する。
「お前がノアを狙った理由は警察で聞かせてもらう」
「……まさか……お前が、そいつが言っていた恋人なのか?」
己が目の当たりにしている現実が信じられない、そんな顔で見てくる男を冷酷な目で見つめ返したテッドは、腕の中でノアがまだ背中を震わせている事から到底許せないという気持ちが沸き起こり、ノアの頭を己の胸に押し当てながら腰に差した拳銃を取り出して男に銃口を向ける。
「ひっ……!」
「ノアに怖い思いをさせるだけではなく傷までつけた」
お前も同じ恐怖を、痛みを味わってから警察に逮捕されろと冷たい顔で言い放ったテッドだったが、今まで無言で見守っていたアンドルーが射線を遮るように手を伸ばし、男とテッドが同時にカソック姿のアンドルーを見上げる。
「やめておけ」
怒りに任せてここで彼を撃ってしまえばお前のノアが傷つくと、旧友の腕の中で悔しそうに嗚咽を零すノアを愛おしむ様に見下ろしたアンドルーの言葉にテッドが少し考え込むが、程なくして納得の吐息を零して拳銃をアンドルーの手に預けるが、その頃になるとパトカーと救急車のサイレンが近づいてきて無意識に安堵の息を吐く。
「ノア、聞こえるか?」
救急車が来てくれたぞと腕の中のくすんだ金髪に囁きかけるとびくりと背中が揺れて思わず目を丸くしてしまうテッドだったが、背中に回った手がシャツだけではなく肌に爪を立てた事を痛みから知り、顔をしかめつつもその痛みをこらえる。
後ろから近付いてきた見知らぬ男に右足を撃たれ、ここまで無理やり歩かされてきたノアの痛みを思えばこれぐらいで悲鳴を上げることなど出来なかった。
「テディ……っ!」
「ああ。もう大丈夫だ」
本当に良く頑張った、お前が頑張ってくれたお陰でミアも無事だったし何よりもこうしてまたお前を抱きしめることが出来ると、小刻みに震える背中をそっと抱きしめて神に祈るように目を閉じたテッドの耳からノアの震える声が心の奥底にまで届き出す。
「あんな……奴の為に……っ!」
二人の人の命が奪われミアにも恐ろしい思いをさせてしまうなんてと己の行動を悔やむような言葉に聞こえ、テッドがノアの頬を掌で包みながら青い目を真っ直ぐに見つめる。
「お前のせいじゃない。全てはあいつのせいだ」
だからお前はもうあの男の事など考える必要は無い、次に思い出さなければならないとすれば警察の事情聴取であり裁判に証人として出るときだけだと告げるとノアの目が忙しなく左右に揺れるが、テッドの言葉を信じると伝えるようにその胸に顔を寄せる。
「……お前に、任せても良いか?」
「ああ。もうお前は何も考えるな。病院で傷の手当てをして貰おう」
その病院には俺も行くとテッドが告げるとノアの顔にようやく安堵の色が浮かび、全てを委ねても大丈夫だと信頼しているように目を閉じると更に気持ちを落ち着かせてくれるような濡れた感触が額に生まれる。
「テディ」
「何だ?」
「……俺の足、どうなってるんだろ……」
痛くて痛くて、でも膝を着くのは悔しかったから意地でも歩いてきた、だからもしかして俺の足無くなってないかと閉ざした瞼のまま小さな笑みすら浮かべて問いかけるノアにテッドが一瞬目を丸くするが、お前は本当に強い男だと自慢しているような笑みを浮かべて右足はまだお前の体にくっ付いているから安心しろと右足に手を当てると笑みを浮かべていた口が苦痛に歪む。
「アゥ……っ!」
「痛い間は大丈夫だ」
救急隊員が来たから彼らに委ねるぞと伝えると、テッドが愛して止まない青い目が姿を見せるが、それが不安に揺れた事に気付いて安心させるようにもう一度額にキスをする。
「俺も病院に行く」
「……テディがいるだけで……」
本当に安心できる、そうノアが笑み交じりに呟いたと同時に青い目が再び瞼の下に姿を消してしまい、テッドが咄嗟に口元に耳を寄せて呼吸を確かめると、いつもよりは弱いがそれでもしっかりとした呼吸が肌に伝わってきて、盛大に安堵の息を吐く。
その光景を信じられないと言いたげな顔で呆然と見ている男に気付いたアンドルーが口の中で何やら呟くと、その声に反応したように男が肩を揺らす。
「どうして、なんだ……」
「何がだ?」
「どうして、あいつは出来て……俺には出来ないんだ」
その呟きの真意までアンドルーには理解出来なかったしまた理解したいとは思わなかったが、テッドの腕に抱かれて世界中で何処よりも安心できる場所にいる事を実感しているように見えるノアを思うと、アンドルーの口から零れ落ちるのはただの冷笑だった。
「劣等感を持つのは誰でもあることだな」
だからといってお前が彼に対して行った事を許すことも認めることも出来ないがと呆然と見上げてくる男をテッドよりも冷たい目で見下ろしたアンドルーは、駆け寄ってきた警察官に会釈をしカソック姿であることを思い出して昔の顔を封じると、己が知る限りの事情を警察官に説明をし、救急隊員が運んできた担架に乗せられることを拒絶したノアをテッドが抱き上げて救急車に一緒に乗り込む様子を痛ましそうに見守るのだった。
駅舎前にずらりと並ぶ警察車両と救急車とそれらを運転してきた警察関係者や救急隊員らが忙しなく動く様を、規制線を張られたために近くで見ることが出来ずにいた人々は、担架では無く軍関係者のような風貌の男に大事に抱き上げられて救急車に乗り込む若い男の姿と、警官に左右を固められて俯きながらパトカーに乗り込む男の姿から、土曜日の平和な午後に起きた事件が一先ず解決し、今日の出来事はテレビのニュースやネットニュースとして配信されるのではないだろうかと話し合い、上空を飛ぶヘリを見上げてはまたそれぞれの日常に戻ろうとするのだった。