Garden of Southern Cross.

第13話 Honest.
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「ノア!」  家を出るときには晴れていた空に雲が増え始め、青空の面積が狭くなり始めたことに舌打ちをしていたノアは、待ち合わせ場所でありダニーデンのランドマークにもなっている聖ポールズ大聖堂の階段を見上げるベンチに腰を下ろしていた。  そのベンチに腰を下ろすと、初めてこの町にやって来た時の光景を思い出せる思い出の場所であるため、今日は一人でランチを食べてくれとキスを残した恋人との初めての出会いも連鎖的に思い出してしまう。  思わず懐かしいなぁと呟いた耳に少女の声が入りそちらに顔を向けると、着丈の短い白いフワフワのセーターとタータンチェックのスカート姿で元気よく手を振る少女の姿が見える。 「ミア!」  ベンチから立ち上がって同じように手を振るノアの元に少女、ミアが駆け寄ってきたかと思うと、久しぶりの再会を心から喜んでいる顔でノアに飛びつき頬にキスをする。 「今日は付き合ってくれてありがと」 「どういたしまして。何か欲しいものがあるのか?」  この少女、ミアはテッドの姪で、ノアがこの国に移住するきっかけを作った少女であり、移住してからは年の離れた兄妹のような関係を自然と築いていて、ノアも彼女の頼みならば可能な限り叶えるようにしていた。  その為に今日の誘いも嬉しいものだったが、ランチはともかくショッピングに付き合ってほしいと言われている事を思い出し、何か買いたいものがあるのかと問いかけるとミアが家族に見せる親密さでノアの腕に腕を回して頭一つ分以上高い場所にある顔を見上げてくる。 「テッドの今年の誕生日プレゼント!」 「あ……そういえば誕生日は来月だったな」  今日も己の姪と恋人がランチとショッピングに出かける事について快く送り出してくれた恋人、テッドは7月28日が誕生日で、あとひと月とちょっとだと思い出したノアが苦笑してしまう。 「今年はノアはどうするの?」 「……どうしようかな」  ノアは己の恋人の誕生日には毎年その一年の間に仕事やプライベートで撮影した写真の中からとっておきの一枚を選んでボートに飾れる大きさにプリントしたものを額に入れて贈っていたが、それと一緒にテッドがその時々に欲しいと言っていた主に日用品を贈っていた。  だから今年はどうしようと思案しているとミアが私は今年はテッドが漁の時に使うグローブを探すと答え、ナイスアイデアだと笑みを浮かべる。 「ネックレスとかアクセサリーはテッドは着けないもんね」 「そうだなぁ……」  己の恋人はオシャレに興味が無いというよりは己がオシャレをすることが想像できないそんな朴訥な男だったが、ノアがこの国に移住する前にドイツで購入したお揃いの小さなノーティカルスターだけは漁に出かける前にノアがテッドの為に着けてやり、帰って来た時には外したそれを大切に壁のアクセサリーを吊るしている定位置に戻しているのだ。  それを思い出すとテッドにはアクセサリー類などはその小さな星だけで十分という気持ちが不意に沸き起こり、車のキーホルダーを探そうかなとミアに返すと満面の笑みで頷かれる。 「良いね、それ」 「俺も良いのがあればお揃いにしようかな」 「えー、ノアの分は誕生日プレゼントに買って貰えばどう?」  周囲から見れば年の離れた兄妹というよりは付き合いだしてまだ日が浅いカップルに見えるような親密さで腕を組んで楽しそうに笑うミアと、そんな彼女と負けず劣らずの嬉しそうな顔でノアがまずは腹ごしらえだと笑ってミアが調べてきているカフェに向かう。  そのカフェは雑誌でも取り上げられることのあるオープンしたばかりの店で、客層も様々だった。  ここでも他の街でも見かけるようなインテリアだったが、店の中央の大きな観葉植物が鎮座しそのぐるりをカウンターが囲んでいて、ひとりで来た客や窓の外を見るよりは植物の緑を見たい人達が静かにその席に座っていた。  オープンしたばかりだからかそれともランチタイムだからか店内の満席で、路面に面した席を案内されてメニューボードを片手に椅子を引いたノアだったが、店に入るまでは心底楽しみだと笑みを浮かべていたミアの顔が曇り始めたことに気付き、椅子に腰を下ろす前にどうしたとそっと問いかけると、己の気持ちを口に出して良いのか分からないと言いたげに視線が左右に泳ぎ、最後にはノアに判断を求めるように見つめてくる。 「ミア?」 「……何だろ……何か、イヤ」  その声はノアの耳にだけ届き、何がイヤなんだと更に声を潜めて問いかけるとメニューボードに載せていた指先がカタカタと震え出す。 「ミア、落ち着いて。……何かイヤな感じがする?」 「うん……分かんないけど、何かイヤ」  さっきまでの楽しそうなものから打って変わった恐怖を感じている顔色にノアが眉を一つ寄せた後、オーダーを聞きに来たスタッフに一言二言何かを告げてミアの肩を安心させるように抱きしめ、メニューボードをスタッフに差し出す。 「ごめん、次の客にこの席を譲って欲しい」 「良いですよ。……大丈夫?」 「ごめんなさい、ありがとう」  ノアの申し訳なさそうな言葉にスタッフが心配げにミアの顔を見つめ、その視線に心底申し訳ないと目を伏せたミアの肩をノアがしっかりと抱き寄せ、次の休みに来ようと髪にキスをする。 「うん……ありがとう」 「良いよ」  ミアの顔がみるみる申し訳なさに曇るのを見ていられなかったノアは、俺はミアの勘を信じているからと笑顔で告げ、次は何をしようかと彼女を最大限気遣うように優しく問いかけると、先にプレゼントを見に行こうとミアも気分を切り替えたように顔を上げる。 「うん、そうしよう」 「キーホルダーを先に探そうよ」 「良いのか?」 「うん」  己の肩を抱いて安心させてくれるノアに少しだけ血色の戻った顔を向けたミアは、良かったと笑みを浮かべて己の、周囲からは中々理解されない言動を受け入れてくれるノアに感謝の思いを込め、背伸びをしながらその頬にキスをする。 「ミア?」 「ありがと、ノア。大好き」 「俺も好きだよ、ミア」  テッドの姪という事を差し引いてもきみの素直さや相手を気遣える心は尊敬すると、本心をミアのように伝えるには羞恥が勝ったために芝居がかった顔と声で告白すると、それが面白かったらしくミアが口に手を当てて声に出して笑い出す。 「ノア、面白い!」 「そうか?」 「うん。今度テッドに話そうっと」 「ストップストップ! テディに話すのはダメだ、ミア」  それは恥ずかしいから止めてくれと笑いながら彼女の腕を己の腕に回させたノアは、うんと素直に頷くミアが少し先にショップが並ぶ一画を指さした事に気付き、ミアが笑顔になった事が嬉しいと言いたげな笑顔でショップが並ぶ通りに向けて歩いて行く。  そのため、二人の少し後を昏い目を不気味に光らせた男が静かについて来ている事にどちらも気付かないのだった。  ミアがノアの腕を引っ張るように次から次へとショップに入っては、ノアが考えるプレゼントに合致しそうな雑貨を探していくが、二人が顔を突きつけていても中々良さそうなものが見当たらずにいたが、そろそろダメかと諦めかけた時に入ったショップのウィンドウに、ニュージーランドや隣国オーストラリアに棲息する野生動物をモチーフにしたアクセサリーなどが飾られていて、面白そうだから入ろうとショップのドアを開けて中に入る。  そのショップは有り体に言えばこの町の何処にでもあるようなディスプレイの店だったが、店内の空気がノアの琴線に触れたようで、ミアに少しゆっくりこの店を見ようと笑いかけ、彼女も同じような顔で頷いた事に気付き、気を遣わせているのではないかと内心危惧してしまう。  ランチのために入ろうとしたカフェでの彼女の言動は、最近は慣れてきたとはいえそれでも思わず目を疑うようなものだった。  ミアの勘を信じると言ったのはお世辞でもなんでもなく、この国に移住してから彼女のその言動が信じるに値すると思える出来事に何度も遭遇したからだった。  己の恋人が可愛がっている姪だからという家族びいきではない、経験から来る信頼だと今もまた小さく内心で呟いたノアは、ショップの壁に客が来ることを脱力した顔で出迎えてくれているカエルのパペットと目が合い、その脱力具合にこちらも脱力してしまうと笑ってしまう。 「このカエル、可愛い」 「そうか、ミアには可愛く見えるのか」  俺にはただ脱力したカエルにしか見えないと笑うノアにミアが軽く目を見張るが、確かに脱力してるよねとくすくすと笑い出し、壁にぶら下げられているものと比べれば掌サイズに収まるカエルのパペットが着いたキーホルダーを発見し、指で挟んでノアの顔の前でぶらぶらと揺れさせる。 「これはどう?」 「……テディのピックアップのキーにカエルのパペットがついたキーホルダーか……」  うん、可愛いかもしれないとノアもそのカエルのひょうきんさよりも可愛さに目覚めた顔で頷き、これを買おうとその場のノリで決めると、スタッフがにこにこしながら待っているレジへと向かう。 「プレゼント用にラッピングして貰っても良いかな?」 「もちろんよ」  二人の様子をレジの中から見守っていたスタッフがにこやかに対応してくれるのを笑顔で待っていたミアが何気なく店の外へと顔を向けた時、一瞬で彼女の顔が強張るような強い視線を感じて体が硬直してしまう。  その感覚は彼女特有のもので、今までそれで何度も嫌な目に遭ってきた為、今感じたそれをノアに伝えるべきか悩んでしまう。  さっきも自分から誘ったカフェに入っただけで今と同じような感覚に襲われて店を出て貰ったのだ。  こんな短時間に何度も彼女自身言葉に出来ない感覚だけの恐怖を伝えればノアも迷惑ではないのか。  硬直した体でも必死に脳味噌を働かせていた時、大丈夫かとそっと声を掛けられてぎこちない動きで首を動かすと、小さな袋を手にしたノアが心配そうに顔を覗き込んできていて、今感じているものを伝えようと口を開いたときドアが開いて女性の楽しそうな声が聞こえてくる。  その声が彼女の体の硬直を解いてくれたようで、意を決したようにミアがノアの耳に顔を寄せて震える声で何かを囁きかけ、その言葉からノアがそっと店の外へと視線を流す。 「……今日はもう帰ろう、ミア」  家まで送っていくからと落ち着かせるために強張る肩を撫でて抱き寄せたノアは、己の腕の中で恐怖に震えるミアを守りたい一心でその髪にキスをし、教会傍のパーキングに車を止めてあるから車に戻って家に送って帰ろうともう一度伝え、震える手が己のシャツをぎゅっと握りしめたことに気付く。  カフェでの嫌な感じと怯えていた時、ショッピングを続けるのではなく帰るという選択肢を提案していればこんなにも怯えなくても済んだのではないかという後悔が沸き起こり、こんな細く小さな体で恐怖を感じてしまっているミアが可哀想になってくる。 「ミア、大丈夫だ。車に戻って家に帰るのが無理なら俺たちの家に帰ろう」  そこには世界中で誰よりも頼りになる男がいると小さく笑うと、ミアの顔が少し明るさを取り戻す。 「うん……ごめんね、ノア……ごめんなさい」 「謝らなくて良い」  恐怖なんて生理的なものなのだ、覚えたくて覚えるものでも無いと、ミアの過敏とも言える感覚のために今まで苦しんできたと教えられた時の事を思い出す。  ノアがニュージーランドに初めてやって来た時にテッドと知り合い、その先の未来が見えたと今よりもまだ幼かったミアに教えられたあの日、その不思議を当初は信じられなかったが、紆余曲折を経た今ではノアはミアの感覚とそれが齎す好悪の感情に一定の理解をする様になっていた。  己のその性質のせいで今まで幾度となく奇異の目で見られ避けられてきたのだろう彼女の心を思えば、そんなものは気のせいだとは笑い飛ばすことなど出来ず、また己の恋人が目に入れても痛くないほど可愛がっている姪という理由も含めてノアはミアが可愛かったし好きだった。  だから今は兎に角安心させたい一心で己の不安を押し殺し、ショップのスタッフの案じるような視線に目礼をしたあとドアを開けてそっと外に出てミアが決して顔を向けない方へと敢えて視線を流したノアは、そこに彼女の怯えの元凶を発見した気がし、細い肩をしっかりと抱きしめる。 「……あのボストンバッグ持ってる男?」 「……っ!」  明確な返事はなかったが息を呑む音が返事になっていて、うん、あれは何かしら良くないものだとノアも声に緊張を込めてしまうが、何も気付いていない顔を装って車を停めているミアと待ち合わせをしたランドマークにもなっている教会前へと戻ろうと歩き出す。  努めて冷静に、車に乗り込めば多少の無理は利くだろうという判断のもと、震えるミアを支えながらそれでもどうしても早くなる足で愛車を停めている通りにまで戻ると、リモコンを操作してドアロックを解除し、助手席に回り込んだノアが開けたドアにミアを押し込んでドアを閉めて運転席に回り込もうとしたその時だった。  真後ろにピタリと人が張り付くだけではなく、何か固いものが腰に押し当てられてしまったのだ。 「……!」  その感触に当然ながらノアは覚えはなかったが、首筋に掛かる荒い息やボストンバッグの開けられているジッパーの奥に黒光りするものを見てしまえば己の腰に押し当てられているものが何であるのかが理解出来てしまい、一瞬で血の気が引いてしまう。  そして、助手席の窓越しに蒼白な顔でガタガタと震えながらもノアの名を呼んでいるらしいミアの顔から彼女が感じ取っていたのはこの感覚だったと認識し、手の中に握っていたリモコンを操作してドアをロックする。  これでミアに危害が及ぶ可能性を少しでも減らせる、時間稼ぎが出来ると安堵したノアの耳に車のバックファイアにも似た音が聞こえ、次いで今まで経験したことのない熱と痛みが右太腿に生まれる。 「……え……?」  熱と痛みが何に由来するのかが咄嗟に理解出来ずにそこに手を宛がうとジーンズの分厚い生地を通しても理解出来る滑りを感じ、恐る恐る掌を見ると信じられないような赤さに染まっていて。  その赤が視界を染めた時、助手席の窓を拳で叩くミアの顔が視界に入り、ああ、彼女じゃなくて良かったと思わず呟いてしまう。 「そんなにそのガキが大切なら俺の言うとおりにしろ」  右太腿からの出血は止まる気配もなく、痛みと熱と銃で撃たれたという恐怖から貧血を起こしそうになっていたノアだったが、男が発砲した拳銃を再度腰に押し当てられて歩けと命じられ逆らうことが出来なくなってしまう。  男が何をさせるつもりかまったく見当も付かなかったが、兎に角今はミアの安全を図りたい一心で素直に従うことを教えるように肩の高さに両手を挙げる。 「どうせもう二人殺してる……このまま逮捕されたら一生刑務所暮らしだ」  だったら一度やってみたかったことをやってから逮捕されてやると笑う男の常軌を逸した冷静な声にノアの背筋が震え、何をするつもりだと震える声で問いかけると、煙と何とかは高いところが好きだそうだと笑われ、教会の前に広がる緑地帯とその向こうに続く通りに行けと背中を小突かれてしまい、足の痛みと失血から来る吐き気や震えを堪えながらミアが泣きながら窓を叩き続ける車から離れていく。  どうかこのまま、彼女に危害が加えられない距離まで離れられますように。  そうすれば彼女のことだ、きっとこの世で誰よりも頼りになる男に連絡を入れてくれるはず。  褐色の肌に深い海と同じ色の双眸を持つ、誰よりも何よりも頼りになる己の恋人、テッドが駆けつけてくれればきっと大丈夫。  この国に移住して数年が経過し、頼れる人も友人も増えてきたノアだったが、その中でも最も信頼できる男が来るまでの我慢だと己に言い聞かせ、腰が抜けそうなほどの激痛を堪えながら周囲の視線を気遣ってかノアの肩に親しさを装って腕を回す男の指示に従って歩き出すのだった。  
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  あと一人増えたところで何も変わらない。
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